2007年10月 4日 (木)

速報!

我が長男の通う幼稚園の運動会が6日にあり、そのプログラムなどの詳細が先日明らかになった。

我が長男は「白組」となった。そうなった以上は「白組」の大勝利を目指して、我が息子も先頭で戦い抜くであろうし、選ばれし「白組」の園児諸君もその勇者ぶりをいかんなく発揮してくれるに違いない。

私自身、陰ながらではあるが「白組」の勝利のために全身全霊を傾け、その勝利のための大応援の一翼を担う覚悟である。

大丈夫だ! 親父がついているぞ!

空を見るのだ。空の上の親父の親父も、応援してくれているではないか。

すべては6日! 「白組」園児諸君よ! 立ち上がれ! 

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2007年7月11日 (水)

しんちゃん

週末になると、うちの子供たちは「しんちゃんのところに行く~」と大騒ぎ。「しんちゃん」はもともと自閉的傾向が強く、強度行動障害があって、それゆえ車椅子にもなってしまった。そして今はまだ長期リハビリ入院をしている。その病院に行って、しんちゃんに大好きな車のことを聞いたり、車椅子に乗せてもらうのがうちの子供たちの週末の決まりごとになってしまったようだ。

先週末「親父は(疲れているから)また今度にしようよ」と言ったのだが、泣いて抵抗するので、連れて行った。しんちゃんと特に会話をたくさんするわけではなく、たまにベッドに登ってトランポリンのようにして遊ぼうとして私に怒られたり、車椅子に乗って病院の廊下を走ったりして怒られたり、まあそんな感じでした。

また先日、タケシ君のうちに私が行くとき、長男もついてきた。タケシ君のお父さんの体調についての話やその他今後の生活のことなどの話をする。タケシ君は近くで手を振って飛び跳ねていたり、ワーワーをやっている。そんなタケシ君に、長男が近づいたり話しかけたりしている。

「やっぱり、こういう子(知的障害者)をいつも見ているから平気なのね。」とお母さん。普通の子ならびっくりしたり恐がったりするらしい。

確かにうちの子たちは慣れてるよな。我が家にも最近家族になったおじさん(知的障害者)がいるし、いつも一緒に遊んでいるし。作業所の旅行にもついてくるし。

うちの子たちにとって、こういうちょっと変わったおじさんは、近い目線で遊んでくれるから好きなのだろう。

障害者のホームステイみたいな事業ってあったら面白いのにな。

さあ、今日も仕事。今日はソフトボールクラブの練習もあります。週末あの全国レベルの強豪、習志野高校女子ソフトボール部との交流試合もあります。

いつも本気で試合をしてくれるので、もちろん30-0とかで負けてしまうのですが、なんとなくすがすがしいのです。本気でやってくれるのは、うれしいことだし、試合をしてくれる彼女たちも、障害を持つ人たちとの付き合い方(普通に接する)をこういう機会で感じてくれればなおいい。

じゃあまた。

しんちゃん、今週は忙しくて顔出せないかもしれないけど、病院で騒いだりするなよ!騒いだら、看護師さんからすぐに報告もらうようになっているんだからな!

看護師さん、リハビリの先生。すみませんが、よろしく。しんちゃんがもう少し元気になったら、カラオケにいきましょう。

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2007年7月 1日 (日)

アオムシを囲む人々

日付が変わろうとしている。それでもアオムシは頑張っている。わき腹からまたひとつ寄生蜂のマユを出した。そして体液が染み出している。おそらくこれが最後の寄生蜂のマユだろう。

長男の風歌は言った。「アオムシ、頑張ってる。だけど蝶にはもうなれない。」それ以上は語らない。慎重に言葉を選ぼうとして、そして結局選ばれた言葉はない。それが沈黙。

妻は金魚たちの世話をした後、アオムシのかごに目をやる。金魚たちはあの重い病気を乗り越えて、今日妻の判断で、やっと淡水に戻った。アオムシをしばらく眺めて、子供たちを連れて二階に上がっていった。

わたしの母が、深夜起きてきた。「アオムシ、きっと痛いんだと思う。どのくらい痛いんだろう。このまま生かせておくのがかわいそう。末期がんの人を見てきた。ただ痛いだけの状態がかわいそうな気がする。いっそのこと楽にしてあげたほうがいいんじゃないか、と思う」。そういい残して部屋に帰っていった。反論はできなかった。でも<命>って、痛いとか痛くないとか、展望があるとかないとか、そんなものの向こう側にあるような気もする。

明日からまた仕事頑張ろうと思う。

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アオムシ、ありがとう。

先週末、我が家の家族になった「トモノアオムシ」が、1週間猛烈に食べ続け、やがて虫かごの屋根によじ登り、さなぎになる準備に入ったことは、前回までのブログで書きました。長男・風歌(ふうた)やその友達のことちゃんが、とても大切にそのアオムシのさなぎの準備を眺めていました。

先日の朝、アオムシの様子がおかしい。へんな白い糸がわき腹からたくさん出てきて、アオムシは明らかに苦しんでいます。私は妻と風歌に「アオムシの病気について調べておいて」と言い残し、仕事に出ました。その日の仕事は忙しく、帰りは深夜になってしまいました。翌朝風歌に「アオムシはどうなった?」と聞きました。

「アオムシはねぇ…。食べられちゃったの。」重い口を開いて風歌が答えました。私にはまったく理解のできない答え。虫かごの中にいたのに、何で食べられちゃうの?

妻が説明してくれました。以下、妻の答えのすべてです。

アオムシは、寄生蜂(アオムシコマユバチ)に寄生されていた。この寄生蜂は、アオムシに卵を産み付けられ、幼虫となり、アオムシの体内で食い荒らし成長し、アオムシがさなぎになる準備に入った時を見計らって外に出てくる。そして出てきてすぐマユになる。およそ30匹。さなぎになるために天井で準備をしていたアオムシにその30個のマユが固まっている。すでにその蜂の30個のマユの方が、アオムシよりも大きくなっている。

トモノアオムシは、それでも生きている。食い荒らされた下半身はもう動かなくなっているが、体中に張り付いたマユから何とか逃れようと頭を動かし続けている。

アオムシは、蝶になることもさなぎになることも、もうできない。大好物のキャベツを5日間食べ続け、あんなに大きくなって、そしてさなぎになる準備に入った。しかしそれは、寄生蜂のために食べ続け、寄生蜂のために天井に登っただけだった。

「アオムシは、お腹は痛かったと思うけど、蝶になろうとして天井に登ったんだよね」と妻。「きっとそうだよね」と私。

風歌も「蝶になったらサヨナラするんだ」と語っていた。いい<サヨナラ>を待ち望んでいた。

あまりにも残酷な話だ。風歌は「腹ペコアオムシ」のアニメDVDを何度も見て、最後に蝶になる姿を繰り返し見ている。我が家のアオムシのことはもう何も言わない。

私は、寄生蜂のマユを鬼のような形相で全部壊し、アオムシを天井からキャベツの葉っぱの上に戻した。体はもう半分の大きさになってしまっている。さなぎになる準備をしていたアオムシだから、もうキャベツは食べないのかもしれない。実際食べてくれない。もちろん食べたとしても、さなぎにはなれないだろうし、そもそも食べた物が消化されてウンチになることもないだろう。

でもあんなに大好きだったキャベツの場所に、どうしても戻してあげたかった。一口でもいいから食べて欲しいな。

最後は本当に自分のために。

でも私が殺した寄生蜂のマユも、蜂の赤ちゃんです。蜂も可愛い赤ちゃんを産むために、卵を産みつけたのです。そう考えると、何がなんだか分からなくなってきた。妻もこういいました。

「自然は恐いね。でも私たちが生きていることだって、このアオムシと寄生蜂の関係とあまり変わらないんだよね。いろんな命の犠牲の上で生きてるんだよね。」

「そうだね」と私。

今、このブログを書いている途中、下に降りてアオムシを見に玄関に行った。そこには妻がいた。お互い顔を見合わせ、ちょっと哀しく笑った。アオムシはまだ生きている。

アオムシ、ありがとう。今度生まれてきたら、きれいなモンシロチョウになってね。

そして寄生蜂のマユたち、ごめんなさい。あなたたちを殺すことはなかったかもしれません。

B0025008_22102251 これがアオムシと寄生蜂の写真です。

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2007年6月29日 (金)

アオムシのその後

今日、仕事から戻ると、「おかえりなさ~い」の数がいつもより多い。ことちゃんとのんちゃんがまた遊びに来ていた。お母さん頑張りすぎてない?

そして虫かごに目をやると、アオムシがいない。長男が「アオムシはねぇ。さなぎになる準備をしているの」。ことちゃんも続けて言います。「上のほうにいるよ。さなぎになるときに動かすと、死んじゃうんだよ。だから動かしちゃダメだよ」…「分かった。」

さなぎになったら、次は本当に蝶になります。蝶になったらサヨナラをしなければなりません。長男にそのことを話すと、意外にも納得していました。以前なら「絶対にサヨナラしない!」と駄々をこねるところなのに。

私の会社の方は、また仕事がドーンと入りました。県内の各福祉施設に発注する仕事です。今回もまた儲けはとりません。かなり率のいい仕事です。どこにどれだけ回すか、とても頭の痛い問題です。たくさんの作業所・施設から「仕事をくれ」といわれておりまして、そのすべてに応えられないのが心苦しいです。

昨日は県庁で会議。「行政としての(作業所の)立ち上げ支援のあり方について」という内容。ん~難しい。行政の仕事を民間がやるということは、意外とスムーズな場合が多い。しかし本来民間の仕事を行政がやるとなると、これが結構難しいというか、…疑問符がたくさんついてくる。

やはり地域福祉は、地域に根っこをはるその力強さこそか定着・安定する鍵です。あえて手を差し伸べてはいけない領域があるようにも思えます。

養殖は天然には勝てない。

会議のあとは、酒の席。いろんな話が聞けました。今日、このブログを開いた人の中には、「自分のことが書かれているんじゃないか」とヒヤヒヤしながら開いた人もいるのではないかと思います。

大丈夫です。しかし9月が楽しみです。船橋が変わるかも?

こんなことを書いている間に時間は刻々と過ぎていきます。明日は午前中職員会議のあと、午後講演を頼まれています。講演と質疑応答で3時間をどう費やすか。まだ何も考えていません。貴重な週末に聞きに来てもらうのだから、参加者一人一人に「来てよかった」と思ってもらいたいのですが、何を話せばそうなるのか、まだ見当がつきません。このまま何も準備をしないで行ったほうがいいかもしれないという気にもなってきました。(逃げかな?)

今日は一日牛乳配達をしました。10年前からのお客様、笑顔はぜんぜん変わらないのだけれど、そのおばあちゃんがずいぶん小さくなってきたように思います。これからもずっとその笑顔でいてもらいたいです。

講演準備は、もう諦めた!

ごめんなさい!

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2007年6月27日 (水)

アオムシは今

アオムシは今、猛烈に食べています。自分の体よりも一日のウンチのほうが大きいのです。もう4日間、我が家はアオムシの話題ばかりです。

なんでもそうですが、やはり出会いを大切にすることです。出会ったことによって面倒な部分もある場合もあるでしょう。でもその出会いを大切にしていれば、必ず報いはあるのです。それを期待するのでなく、そうなった結果に感謝することが大切です。

キャベツを猛烈に食べ続けるアオムシは、毎日ものすごい勢いで大きくなっている。8mm程度で我が家に越してきたアオムシは4日間で30mmに。4日で4倍?

これを見ていて、これまで野菜が嫌いだった長男が「ぼくも大きくなるよ」と、キャベツをたくさん食べるようになりました。

大人たちが、ガミガミ言っても食べない野菜、それをわずか数十ミリの小さな家族が食べてそして大きくなる姿を見せることで、簡単に解決してしまったのです。

アオムシのおかげです。

福祉作業所から就職していった仲間たちも、みんなが欲しがるようなゲームなどをたくさん買い込んで、たまには作業所に見せびらかしに来てくれればいいなあ。就職すればこれだけいろいろ買えるという姿を見せに来てくれればいい。そうすればみんなもっと「就職したい」っていう気持ちになるだろうなあ。

無理かな?

下に「害虫駆除なら」というスポンサーリンクが貼ってあることに驚きます。ちゃんと読んでから貼れよな!

あっそうそう。今日、このブログを読んでくれている方から、私のところで働きたいというお手紙をいただきました。お電話して面接日などを設定したいと思いますが、今日はもう遅いので、明日にでもお電話差し上げます。

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2007年5月30日 (水)

イライラとパズル

昨夜の私は、家に帰ってもしばらくイライラが収まらなかった。家でイライラすることはほとんどないのだけれど。イライラするといっても表面的には無口になっていつも以上に掃除ばかりするだけですから、まわりは「調子悪いのかな?」と思う程度でしょう。

原因は、おそらくパズルだと思います。「リサイクルショップクローバー」で、働く車(消防車、パトカーなど)のパズルが出たので、次男・心歌(こうた)に買って帰りました。中古品ですが、パーツは全部ありました。

家に帰ってお兄ちゃん(風歌/ふうた)に「心歌にパズル買ってきたんだよ」と話すと、「心歌パズルもってなかったもんね。一緒にやろう!」お兄ちゃんも弟もご機嫌でパズルを始める。弟は細かいことは気にしないタイプなのであまりパズルには向かない。お兄ちゃんは1歳の頃から数十ピースのパズルを仕上げていた。だからこれは簡単すぎるのだが、弟のために「心歌、ここだよ~」と説明しながら並べている。弟も大喜び。

ところが、1ピース足りない。絵にポッカリ穴が開いている状態になってしまった。完成されたパズルの絵を楽しみに並べていたのに、最後の1ピースが無くなっていたのだ。途中車に乗るとき、私はパズルを落として、バラバラになったものを全部拾ったはずだった。しかし1ピース無くしてしまったのだ。

2人をとてもワクワクさせて、自分自身もワクワクしながら2人と遊んでいたのに、最後の最後にガッカリさせるだけになってしまった。

そういう自分自身の馬鹿さ加減に対する苛立ちが、妻や子供たちが寝静まった後もずっと体から消えなかったのだ。

朝になって立ち直った。そんな朝、福祉作業所のU君のお母さんから電話。U君が体調を崩し、頭痛がひどいという。今日は休ませることにした。

親たちはたいてい、障害を持って手のかかる我が子を福祉作業所に面倒を見てもらっていると考えている。(もちろんそういう側面はある。)しかしそれだけではない。

みんながパズルの1ピース。全員が集まってはじめて作業所の「絵」が完成する。1ピースでも不足なら、絵としては不完全なのだ。昨夜の子供たちとのパズル遊びと重ね合わせながら、U君のいない作業所を見て、そう思った。

みんな大切な一人一人。早く元気になれ。

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2007年5月26日 (土)

僕の骨

前回の記事、タイトルをつけるのに苦労したもんだから「汚れつちまつた悲しみに」なんていうタイトルにした。長男・風歌(3歳)がなんとなく口にした詩のタイトルを、そのままつけた。

今日の朝、4時半に目が覚めてしまった。今日はいつもより出勤時間が遅いため、もう少し寝られるのならば寝ていたい、、、そう思いながら携帯を見ると、メールが来ていた。その詩の先が送られてきた。

    

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も小雪の降りかかる

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も風さへ吹きすぎる

 私も神経や感性がとんがっていた10代~20代の頃、この中原中也の詩を好んで読んでいたが、今では記憶の中でしか読むことがなかった。

 なんとなく気になって本棚の奥のほうに眠っている(「眠っている」こと自体ある意味うらやましい)中也の詩集を引っ張り出して読んでみた。

 詩を読むとき、あまりその人の年譜なり時代背景なりを探るのは元来好きではない。<感じる>と<評論する>は違うからだ。

 早朝から吸い込まれるように読んでいて、ふと気がついた。「20代前半の頃と感じ方が違うな」。

 「ホラホラ、これが僕の骨だ、

 生きていた時の苦労にみちた

 あのけがらわしい肉を破って・・・」

 「おもえば今年の5月には お前を抱いて動物園

 象を見ても猫(にゃあ)といい 鳥を見せても猫(にゃあ)だった

 最後に見せた鹿だけは 角によっぽど惹かれてか

 何とも云わず 眺めてた」

 中也は、長男を2歳で亡くしている。「感性の詩人」「感性の天才」などと言われているし、私もそう思って読んでいたが、そんなレッテル張りはだめだ。どんなに悲しかっただろう。

 また、不思議な詩の意味も分かった。

 「かなしい心に夜が明けた、

  うれしい心に夜が明けた、

  いやいやこれはどうしたというのだ?

  さてもかなしい夜の明けだ!」

 なんで「かなしい」のに「うれしい」のかが分からなかった。「これはどうしたことか?」・・・「かなしい」と「うれしい」が混じりあっていることこそが「かなしい夜の明け」なんだなあ。

 かなしさに徹しきれず、うれしさも首をもたげる。うれしさ自体何ら悪いことではない。でもうれしさが悪いことに感じてしまう。それはなぜ?

 中也は混沌とした心情を、混沌と書き綴っている。「感性の天才」だなんだっていわれているけど、この混沌とした感性は、「天才」だから感じるものではない。それをそのまま表現できたことこそが「天才」なのだろうが。

 中原中也の最愛の長男・文也が2歳にして亡くなったのが、1936年1月10日。そして次男・愛雅が産まれたのがその5日後の1月15日。

 いったい、なんてことだ!

 それから「亡き児 文也の霊に捧ぐ」とついた「在りし日の歌」という詩集を書きためた中也。しかしその翌年の1937年結核のため亡くなる。(「在りし日の歌」刊行。)

 さらに翌年の1938年、次男の愛雅が亡くなる。

 70年前のお話です。

 うちの2歳の心歌(こうた)も、2歳の文也と同じようにトラを見てもクマを見ても「ミヤ」(うちの猫の名前)と呼ぶ。変わっちゃいないんですね。赤ちゃんは。そしてそれを愛おしむ親の気持ちも。

 自分の「骨」を冷めた目で眺める中也。その向こうにある愛おしいものへの気持ち。

 20代前半までの頃と読み方が変わったのは、「感性」なり「表現」を実体から切り離してとらえるのはイミテーショナルだということ。香水と同じで実体がないものはそれまででしかないということ。(ん~表現が下手だな!)

 とにかくメールありがとうございます。仕事に行く時間です。

今日は法人の総会。そーかい、そーかい。

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2007年4月15日 (日)

風歌へ

風歌(ふうた)は先日幼稚園に入園したばかりの3歳児。うちの長男。
先日わが家に新たな「家族」がやってきた。わたしのいとこのヨージ。ヨージの家族の病気で、ヨージの介護者がいなくなり、こうして一時的にわが家が引き取ることになった。ヨージとは私は本当に小さい頃よく遊んだ。当時は彼の障害など気づかなかった。私の祖母の「ヨージはバカだから、かわいそう」といった言葉と、その言葉に激怒した私の母の言葉を今でも覚えている。
私も小さいなりに成長して、次第に祖母の言葉と母の言葉の意味を分かるようになった。ヨージとは一緒に遊ぶことはなくなった。遊んであげる、という意識に変わっていった。

私が11年前、まったく別の畑から福祉の世界に入ってきて、真っ先に考えたことは「いつかヨージを引き取ることになるだろう」ということ。そんなヨージが一時的にわが家に来た。

風歌にとって見たら、来客であるこのおじさん。おじさんはみんな自分にやさしく遊んでくれるはず。なのにこのおじさんだけ相手にもしてくれない。しばらく風歌は距離を取ってこのおじさんを観察していた。

トイレに入るとき、パンツまで脱ぐ。親父(私)がお尻を拭いてあげる。着替えも手伝い、ひげもそる。食べこぼしを拾う。そんな親父とこのおじさんの関係を風歌は黙って眺めていた。自分が食べこぼせば叱られるのに、このおじさんだとあまり叱られない。そんな現実を風歌はどう見ているのだろう。

次第に風歌が変わってきた。返事が返ってこなくても「ヨージおじさん、おはよう」と声をかける。得意の英語もおじさんの前では使わない。風邪をこじらせているヨージの鼻を拭こうとする。「お薬の時間だよ」と声をかけたり水を渡す。

風歌がある時こういった。「ヨージおじさんは、親父のお仕事の人たちとおんなじなんだよね。」私は答えた。「同じだよ。だからおじさんも畑で一生懸命働いてるんだ。だから親父とも同じだよ。」

風歌はそれに答えなかった。風歌のいう「おんなじ」と、私の答えの「同じ」の意味の違いを分かっているからだ。
なぜ私が違う意味の「同じ」を語ったのか、それはいつか分かってくれると思う。

風歌は日ごろから「車椅子のしんちゃんは、どうやって電車に乗るの?」と聞いてきたり、ブロックで車椅子を作り、「しんちゃんの車椅子作ったの。これ早いよ〜」と言ったり、「スティービ−ワンダーは目が見えないのになんで歌が歌えるの?」と聞いてきたりする。親父の仕事に連れ回しているので、何となく興味を持っているのだと思う。「しんちゃんの(入院している)病院は、スカイライナーとか成田エキスプレスが見えるから、また行きたいな〜」。昨日見舞いに連れてきた時に風歌が言った言葉。

親父の仕事、親父の性分によって、息子にいらぬ気遣いをさせているのかもしれないと悩むこともある。また息子が私のいとこの鼻を拭いてあげようとしたときは、正直複雑な気持ちになった。3歳児がヨージに対して慈悲の気持ちを表していることへの、うまく表現できないが抵抗感を私は持った。でもうれしくも思った。うれしさと抵抗感、複雑な気持ちを払しょくさせてくれたのは、ヨージだった。ヨージが笑顔で風歌に「おやすみなさい」と声をかけた。風歌も自然に答えた。

これでいいんだ、と思った。
それが、とりあえずの結論です。

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2007年3月21日 (水)

欧米か

長男・風歌(3歳)のおはなし。

最近長男が私に愚痴を言ってきます。

「こうた、ゆうこときいてくれないんだもん。ふうたがおもちゃで遊んでるときね、こうたはいたずらするの。やめなさいっていっても聞いてくれないんだぁ。ふうたがまだ小さいから、こうたは言うこと聞いてくれないのね。」

「風歌が小さいからじゃないよ。心歌は親父の言うことも聞いてくれないからね。」と私。長男なりに弟・心歌(1歳)との関わり方を悩んでいるのでした。

そんな長男の最近のマイブームは英語。なぜ英語にハマったのかは分かりません。教育テレビか何かでしょうか。長男の昼間の時間は見ることができないので分からないのです。

先日カーステレオで「mcAT」を聞いていました。歌詞の中で「mcAT、mcAT、・・・」と繰り返される部分があります。長男がそこを聞いて真似して歌っていたのですが「エンプティ、エンプティ、・・・」と歌っています。「ところでエンプティってどんな意味?」と私が聞くと、「ん~、なんにもないこと」と長男。「空虚な」とかそういう意味なので、ほぼ正解。げ~っ!なんだこの人!

調子に乗って「You got a mail.」(ネイティブに近い発音)。これは「メールが来たよっていうこと」と長男。「真っ暗なときは、Good night. お外が明るくなったら、Good morning.」

こんな調子なので私は妻に「風歌、英語好きだって言うから、習わせようか?」と聞く。妻は「ダメ!そうじゃなくても3歳のくせに勉強ばっかりしてるんだから。理屈ばかりこねてこっちは大変!もう勉強なんかさせない!泥んこになって遊ぶことが大切!」…私の提案は簡単に粉砕されました。

今日は福祉作業所の仲間たちの一時介護で私は泊り込み。子供と会えない日は子供のことが書きたくなってしまいます。

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2007年3月16日 (金)

心の歌

「みんな〜おなじ〜生きているから〜ひとりにひとつづつ、大切ないのち〜」

次男の心歌(こうた.1歳)が最近この歌ばかり歌っている。これなんだっけ?なんかのコマーシャル?
と思っていたのだが、やはりコマーシャルだった。コマーシャルに合わせて心歌も歌いだした。心歌の歌はまだ棒読みで、途中はっきりしない部分もある。「ひとつづつ」のところが「ちちゅちゅちゅちゅ」となる。だからすぐに何を歌っているのか分からないときがある。しかし長男の風歌(ふうた.3歳)は心歌の歌や言葉がすぐに分かる。心歌が歌いだすと、それに合わせて一緒に歌う。そして「大切ないのち〜」のところだけ、叫ぶように大きな声で歌い、心歌もお兄ちゃんのまねをして大声で歌う。

「みんなおなじ、生きているから。ひとりにひとつずつ大切ないのち」

親父もそう思って、お仕事してるんだよ。命を授かってまだ1年の君に、「いのち」がどれだけわかるのか。でも逆に40年近く命を消費している私には十分に分かっているというのか。有限な命の無限な連鎖と営みの中では、38年と1年の差は大した差ではないのではないか。いろんなことを考えながら、二人の歌を聞いていた。

カメを抱きしめ、ネコやイヌに乗っかり、金魚や鳥を眺めている心歌の一日の仕事は、親父の昼間の仕事とたいして変わらないのかもしれない。

俺たち、同じかもね。でもちょっと違うところがあるんだ。

大切なもの失うと、とても悲しいんだよ。金魚だってほかの動物だって、心歌より先輩で、心歌の1年は、まだ先輩たちを失った経験がない。

これからその経験をたくさん積まなければならない。そしていつかは私自身が身を持ってその経験を心歌に与える日も来るのだろう。それでも歌い続けてくれたらいいな。

「みんな〜おなじ〜生きているから〜ひとりにちちゅちゅちゅちゅ〜」

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2007年3月11日 (日)

金曜日の夜

金曜日の夜、私が大きな荷物を持って帰ってくると、子供たちはちょっとしょんぼりする。「親父、お仕事いっぱいもって帰ってきたのね」と風歌(3歳)。

そして今日「かあちゃん、ロイヤルホームセンター行こう」とかあちゃんを誘い、外に出て行った。気の使い方が最近大人びてきて、もうちょっと子供らしさを持ってもらいたいと思う反面、「(外に行ってくれて)助かった」とも思ってしまう。早く仕事を片付けてあげなきゃな。

心歌(こうた・1歳)は、寝起きの時隣にいるのがかあちゃんだと思ったら親父だったというただそれだけの理由で、「もう~!おやじ、ないの!」と言って私の顔面を殴ってくる。私が優しく「こうちゃ~ん」と呼んでも「こうちゃん、しないの!」と言ってパンチ。

 そのくせ私が朝食中にはニコニコして近づいてくる心歌。

「心歌はこんな時しか寄ってこないんだから、来ても何もあげないよ~」と私が言うと、風歌が心歌を抱きしめ、「こうた、おやじに『おはよう』っていってごらん。もらえるよ~。」とささやいている。心歌がそれに応えて「おはよ」という。

しょうがない。お兄ちゃんがそういうなら。心歌にあげるしかない。心歌はもう口をあけて「ちょうだい、ちょうだい」をしている。この二人の大好物は梅干。

心歌、ネコとふざけていて、ネコと頭をゴッチンコ。ネコの石頭に勝てるはずがない。かなり痛かったはずだ。それなのにネコを抱きしめ「痛いの痛いのとんでけ~」とやってあげている。お兄ちゃんがいつもしてくれることを、こうしてネコにやってあげている。Cimg0035 写真はネコを抱いている風歌となでにいく心歌。ずっとずっと、この子達のために親父も頑張らなきゃいけないなあ。

さてさて、以前心歌がスティービーワンダーの「I just called to say I love you」を歌っていることを書きましたが、相変わらず心歌はその歌がおお気に入りです。

 散歩に出ても走りながら「I just called~」と歌っています。名前が心(ソウル)歌(ソング)で、誕生日もスティービーワンダーと同じ。自然にはじめて歌った曲がこの曲。偶然としては驚きであることを以前ブログで書きました。http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_cf94.html

 ところがさらにビックリすることを最近知りました。この曲、邦題がついていて「心の愛」というタイトルなんですって。心歌が歌う「心の愛」かぁ。

 たとえ傷つきやすくても線が細くても構わないから、人の心の痛みが分かる人になって欲しいと思います。それが叶えば、親父のダメダメ人生も、多少は意味のあったものに変わるのでしょう。

 さあ、子供たちがロイヤルホームセンターから帰ってくる前に、仕事を終わらせちまいましょう。

 ちなみに最近妻のブログからここに入ってくる方々もいらっしゃるようなので、あえて『子育て』カテゴリーで書きました。下が妻のブログ。

http://kurasitanosi.blog60.fc2.com/blog-entry-58.html

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2007年2月 3日 (土)

息子が作った詩

「かあちゃん」

ふうたがわらうと  かあちゃんもわらう

ふうたがおこると  かあちゃんもおこる

ふうたがあそぶと  かあちゃんもあそぶ

 

 

 

          Cimg0785 友野風歌(3歳7ヶ月)

  写真は1年前(2歳)。0歳の心歌(こうた)に甘えられる。

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2007年1月18日 (木)

大阪の事件について

このニュースが飛び込んできて、私はしばらくの間、完全に判断停止に追い込まれてしまった。以下、産経新聞より一部省略かつ修正の後抜粋。

大阪府八尾市の近鉄八尾駅前の歩道橋で17日、大阪市平野区の西田璃音(りおん)ちゃん(3)が男に投げ落とされ重傷を負った事件で、殺人未遂容疑で逮捕された八尾市桜ケ丘、障害者作業所勤務、Y容疑者(41)が「仕事がイヤで、何か悪いことをすれば仕事場に戻らなくていいと思った」と供述していることが18日、八尾署の調べで分かった。同署は、Y容疑者が仕事でイライラしていたところに、たまたま璃音ちゃんが通りかかり、突発的に投げ落とした可能性が高いとみている。
 調べなどによると、Y容疑者は17日午前10時ごろから同市内にある作業所でクッキーの袋詰めの作業を行い、昼食のあと午後1時ごろから、同駅前でメンバーらとクッキーを販売。現場は人通りが多く子供も多数通りかかったが、約1時間半経過した午後2時半ごろに突然、璃音ちゃんを投げ落とした。
 調べに対しY容疑者は「仕事のストレスがたまっていて、むしゃくしゃしていた」などと供述していたが、「何か悪いことをすれば仕事に戻らなくていいと思った」と話していることも新たに判明。同署は、ふだんから仕事に対する不満があり、イライラしているところに、璃音ちゃんが通りかかり、突発的に投げ落とした可能性が高いとみている。

 同署によると、Y容疑者は落ち着いた様子で「悪いことをした」と反省の弁も述べている。精神科に通院治療中だが、質問の受け答えもしっかりしているという。
 一方、璃音ちゃんは依然、病院の集中治療室で治療を受けているという。
 社会福祉法人O会のK事務局長の話 「事件が起きたことは本当に残念。しかし、知的障害があるから事件を起こしたのではないことと、多くの知的障害者がまじめな人であるということを分かってほしい。こうした事件によって障害に対するマイナスイメージばかりが先行することが心配。知的障害者を常時、見守り続けることは現実的ではないし、そうしたからといって本人の自立につながるとはいえず、悩ましい。一人一人に対しての支援のスタイルが異なり、パターン化できないのも難しい」
 
 このニュースを、ふたりの<私>が同時に見ていた。一人は障害者の福祉作業所の所長としての私。もう一人は3歳児の父親としての私。
 所長としての私は、この事件に対するマスコミや世間の論調が、やれ「障害者を野放しにするな」とか「危険人物を街に出すな」とかと騒ぎ立てることをまずは直感した。一生懸命まじめに地域で働いている多くの障害を持つ仲間たちへの風当たりが急速に強まることを危惧した。大阪のその作業所(小規模通所授産施設)ではクッキーを作っていたという。その仲間たちはどうなってしまうのか。仕事が続けられるか、居場所は維持できるのか・・・。
 もうひとりの璃音ちゃんと同じ3歳児をもつ父親としては、一言でいって、「絶対許せない」。Y被告だけでなく、職員も施設も法人も、全部許せない。公開する文章には書けない言葉が頭をよぎる。そして「所長としての私」が作業所の存続を心配している、そういう「私」が許せない。
 「父親としての私」が怒りを持っていることに対して、「所長としての私」は、なんとも言葉がない。「こうした事件によって障害者に対するマイナスイメージばかりが先行するのが心配」というK事務局長の気持ちも十分に分かるが、今そんな言葉を被害者の親が聞いたら、はらわたが煮えくり返るどころの騒ぎじゃない。
 一日ずっと、整理できない感情を抱えていた。いまこうして書いているうちに何らかの答えが出るかとも期待していたが、それもどうやらダメなようだ。もう一度それぞれの「自分」に戻って考えてみる。
 
「所長としての私」として。
 私はこれまで、「障害者の就労支援」という仕事に携わってきた。人間として、できる部分・できない部分、そしていい部分・悪い部分、全部抱えた人間として、つまり我々と同じ一個の人間として、他者とふれあい認められて生きていくこと、何らかの形で他者に「必要だ」といわれる環境の中で生きていくこと、そういう人生を、あいつにもこいつにも送ってもらいたい、そんな思いで「就労支援」の仕事をしてきた。そして「障害者の就職」といっても、みんながみんな善意のかたまりのような所に送り込むわけではない。偏見・差別、それを前提とした社会に送り込むわけだ。ある意味、偏見や差別はあって当たり前(肯定するわけではないが。)、それを跳ね返す根性と実際の仕事ぶりを身につけさせて「お前が乗り越えろ!」と背中を押すのが私の仕事だ。
 健常者と同じ失敗をしても「やっぱり障害者だから」といわれてしまう。健常者と同じだけ手を抜いても周りの反感を買う。だから基準を厳しく設定するしかないのだ。「そこまで厳しくしなくても」とよく言われてきた。私を鬼のように思っている人たちも多いはずだ。でも本当に彼らが地域の中で差別や偏見を乗り越えて人から「必要だ」といわれて生きていくためには、基準を厳しく設定するしかないのだ。「自閉症」の仲間たちの独り言やこだわり、同じ言葉の繰り返しなどを「障害だから仕方がない」という捉え方をして、半端な優しさで受け入れてしまうことは、その人と社会の間に壁を作ってしまうことにしかならない。だから厳しく接する。世間が嫌がることに対しては、「○○障害だから」ということで済ませてしまうのではなく、それはいけないことなのだということを伝え続けていく。いいことはいい、悪いことは悪い、その基準を明確に伝えていく。それが私の考え方だ。
 こういう事件が起こり、世間が「だから障害者は・・・」という風潮を作ると、たいてい障害者施設陣営は「犯罪発生率は、(精神)障害者よりも健常者の方が高い」というデータをもって反論する。
 おそらくそのデータは正しいと思う。数多くの「障害者」と接してきて、同時にそれよりはるかに多い「健常者」と接してきて、そのデータは実感として正しいとは思う。
 だが、その一歩先のことを我々は考えなければいけないのだ。そういう風潮があっという間に作られてしまうそういう世間、あるいは社会。その中で障害を持つ仲間が日常的に地域で暮らすことを模索するという地域福祉の世界は、いかに「障害」をできない理由にせず、彼らに社会人としてのルールを厳格に伝えていけるか、それを貫けるか、そういう世界だということだ。差別や偏見を前提とした地域社会で「地域福祉」を推進するということは、それ相応の厳しさが関係にないとダメだということだ。そういう厳しさとその裏にある「地域の中で生きようよ」という思い、それを相手に伝えられて初めて「さあ、地域に出よう」ということになるのだ。我々にとっての教訓はその点にあるのだと考える。
 そしてもうひとつ考えるべきことは、「地域福祉」を進める以上、「100%何もない」ということはありえないということ。たとえ「99%大丈夫」と思える場面においても、残りの1%を予測して、それへの危機管理の意識と対応準備をどれだけできるのか、それが大切だということ。そしてさらには、「それでも100%はありえない」という冷厳な事実を自覚すること。腹をすえるしかないということ。
さて、「父親としての私」に戻ります。
 この感情は、やはり言葉にできません。うちの長男と同じ頃産まれて、同じように親は喜び泣いて、そして同じように夢を見ていたはずです。早く元気になって欲しい、それを祈るばかりです。
 以下はうちの長男が産まれた日に私が書いた詩(日記)です。親としての感情を推測してください。
    
     ほんとうに風ちゃんがうまれたら
    
    ほんとうに風ちゃんがうまれたら
    どんなだろうって思っていたら
    ほんとうに風ちゃんがうまれた
    はじめまして 風歌(ふうた)くん
    でもぼくは 君のことを
    ずっと前から 知っていたよ
    ところで 君のほうは?
 

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2007年1月11日 (木)

飛んだ・・・。

先日、おもちゃ屋さんに立ち寄ったとき、なんとなく凧(たこ)に目が留まって、買ってしまいました。昔なつかしいゲイラカイト。トーマスの絵の描いてあるやつ。そういえば凧あげなんかしている子、今いないですねえ。ゲームを持って子供達はいつも下を向いている。青空の下でも下を向いている。それってやっぱり間違いですよね。

「うちの子も凧なんて見たこと無いだろうなあ」・・・買って帰った後、ゲイラカイトを冷蔵庫の脇に隠しておいた。すぐに長男風歌(ふうた・3歳)に見つかる。

「おやじィ、何買って来たのよ。これ何?」・・・長男はすぐに説明書などを見て、ものの構造を知ろうとする。ラジコンだって構造把握から入ったんだから。設計図男・説明書男の本領発揮。「これはきっと、風で飛ぶ飛行機だね。風でとぶんだよ、きっと。」と風歌。「3歳児に言われなくても、親父は飛ばし方も知ってるんだぞ!」と私。さっそく凧揚げです。

風歌も次男の心歌(こうた・1歳)も妻もばあちゃん(私の母)も大興奮!風が強い日だったのでどんどん高く上がっていきます。しかし今の凧は軟弱にできていてすぐに壊れてしまう。「ダメだ。修理しなきゃね。」と風歌。

<壊れたものは直して使う> それを身につけることは大切なことだ。さっそく家に帰って修理。完璧な出来栄え。今度は風歌と2人だけで広場に行きました。

3歳の風歌、見事な糸さばきでどんどん高く舞い上がらせていきます。40mほど上がったでしょうか。高くなればなるほど力が必要になります。

そこに強風が吹いてきて、とうとう風歌は手を離してしまいました。「親父! ギャ~!」という悲鳴と泣き叫ぶ声。風歌はもうあきらめてしまったのか、その場で倒れこみ泣くばかり。この子が腹の底から本気で泣くのははじめて見たような気がします。抱きしめるしかありません。

凧は本当に気持ちよさそうに、大空を泳いでどんどん小さくなっていきます。「これぞ自由」とばかりに右に左に・・・。

さんざん泣いた風歌は「もうダメだ。親父、また買ってきて」・・・。そういったとたん、小さくなったはずの凧がまた大きくなってきました。近づいてきたのです。近づいては離れ、なんとも思わせぶりな態度を示す凧。そしてとうとう消えてしまいました。

「風歌、探しに行こう!」・・・家に帰って車に乗ります。ばあちゃんは「きっと神社の方まで飛んで行っちゃったんじゃないかな」と。いくら自然博士のばあちゃんとはいえ、気まぐれな風の表情まで見えるわけはない。・・・そう思いながらも神社の方向に車を走らせ、探しに行きました。

見つかった!神社の近くの畑の真ん中に。ばあちゃんは何者だ?しかし風歌は大喜び!

「あきらめないでよかった。」とてもすがすがしい気持ちでした。

息子たちとのふれあい、「親父らしさ」を示せたことはやっぱり嬉しい。ふだんあまり顔も見せられないからね。

やがて日中までのポカポカ陽気から、だんだんと暗くなり、風も冷たくなってきた頃、妻とばあちゃん(嫁と姑)が「映画に行く」と出て行きました。なにやらキムタクが出ている何とかという映画だそうです。妻もばあちゃんも、それぞれ息子(風歌と心歌、私)を家に残して映画を見に行くというのです。私と子供達はお留守番!

普通の嫁と姑ってどんな関係だろうか? ふたりで「キムタク」の映画行く?ありえねえ!

たまたま、ことちゃんの家族から「夕食一緒にどうですか?」とお誘いを受けたので、男3人の悲しい夕方は避けられましたけど。

<追記>

「これはきっと風で飛ぶ飛行機だね」と分析する風歌。この分析魔・設計図男は、とどまるところを知りません。夕食に誘われ、暗い夜道、車に乗っていると突然こんなことを言い出しました。

「ガードレールは、車がぶつからないように光っているんだね。でも電池は入ってないよ。車が光るとガードレールも光るんだよ。」いつもこうして分析に夢中なのです。

カップラーメンを作っているときに、「かやく」の入った袋をじっと見て、「このギザギザは袋をあけやすくするためについてるんだよ、きっと。だからここからあけるんだよ。」

ラジコンのバックの車庫入れの前には車体を裏返してコントローラとタイヤの動きを確かめてから右折バックをしました。

素朴に育って欲しくて「風歌」ってつけたのになあ。

今日の記事は仕事とは何の関係もありません!

書けるような仕事、してないんですよ今日は。まあ、それなりに頑張ってはいるんですけどね。少しずつは。

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2007年1月 6日 (土)

「当然のこと」その2~最終回~

迷っていましたが、やはりこの記事を書くしかありません。

12月27日の夜、私は3歳の息子に「本当はサンタさんは親父でしょ?」と聞かれてしまったことは28日のブログで書きました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_de3e.html

実はその日の昼間、「かんぱす」「クローバー」合同の筑波山温泉日帰り旅行に行く時、私は車の中で板さんと「本当はサンタさんは誰なのか、子供たちが知ってしまったのはいつ?」ということについて、話をしていました。板さんについては12月11日のブログ「当然のこと」で書きました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_667b.html

12月27日、前日の豪雨と暴風が去り、あたかも「台風一過」であるかのような空気の澄みきったさわやかな朝。私は板さんを車に乗せ、車椅子のシンタロウを迎えに行くため、県道8号線を西に向かっていました。右前方には雪化粧の富士山が遠く鮮やかにそびえ立っています。

「やっぱり富士山はいいねえ。今日筑波山やめて富士山に行きたいね」と私。

「青木ヶ原っすか?」(笑)と板さん。「あそこは板さん一人で行ってよ(笑)」

「ところで友野さん、今年もサンタの大役は果たしたんですか?」と板さん。

「うん。兄弟喧嘩の種をまいてきちゃったみたいだけど、喜んでるみたいだよ。兄ちゃんにはラジコンカー」(私)。「もう風歌くんぐらいなら、ラジコンの操作もできるんですねえ」(板さん)。

「ところで板さんサンタは、子供にサンタの正体を話したのはいつ?」(私)「どうだったかなあ、一番上の子は確か小学校3年生ぐらいの時に、意を決して話したかなあ。でももう知ってるよって顔されたなあ。カミさんあたりがサッサとしゃべっちゃったんだろうなあ。あいつ、夢がないからさあ。」(板)

「奥さんがどうかは知らないけど、板さんの夢はいつもでかすぎるんだよ。でも俺も子供が小学校3年生になったら白状しようかな?」(私)。

(しかしその夜3歳の長男に「サンタは親父」と言われてしまった・・・。)

「子供たち4人に一番カネがかかる時だけ『お父さん、お父さん』で、それが終わったらお払い箱。男ってこんなもんっすかねえ。」(板さん)「俺はそうはならないよ。板さんと出会って、俺の反面教師になってくれたから、そんな失敗はしないよ(笑)」(私)。

世界各地を渡り歩き、建築の第一線でバリバリ働き、稼ぎまくり遊びまくっていたという板さんが、過労と生活習慣が原因で、脳梗塞と心筋梗塞で倒れ、半身不随になったのが8年前。こん睡状態・リハビリ生活、、、やがて独り者に戻ってしまっていた。アパート暮らしとなったその後はアル中と肝機能障害、そして糖尿病、借金地獄というある意味お決まりのパターン。登った山は高かったけど、そこから転がり落ちるのも早すぎた、いや速すぎた。そしてその山のふもとで私との出会いがあった。

一番低いところで出会ったのに、板さんの心はいつもまだ山のてっぺんにいた。山のてっぺんにいる人と、山のふもとで話をするわけだから、いつも心が通じ合わないんですよ(笑)。

 県道8号線が高架から地上におり、いよいよシンタロウの家に向かう。もう富士山など見えやしない。車椅子のシンタロウを筑波山に連れて行くのは以前からの約束ではあったが、今回の旅行の主人公はシンタロウでなく、板さん。(シンタロウと筑波山に関する記事は以下。)http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_f2eb.html

 何故筑波山&温泉旅行の主人公が板さんかというと、以前ブログで紹介した「かんぱす10周年台湾旅行」、実は板さんだけが参加できなかったからだ。(以下、台湾旅行の記事)

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_f265.html

 最高に楽しかった台湾旅行、しかし体調等の問題で板さんだけを置いていったことは何とも心残りではあった。その年の「心残り」はその年に解消したい。

「板さん、年末みんなでどこ行きたい?」「まあ、ゆっくり温泉がいいっすかねえ」「じゃあ、シンタロウも筑波山に行きたがっているから、筑波山を眺められる温泉に行こう!」

あとは「かんぱす」職員の武井君に下駄を預ける。「板さんを筑波山近くの温泉に連れて行くから、段取り立てて」。あとは武井君が段取りを立てた。筑波山中の食堂で温泉の割引券を見つけて私が武井君に「こっちの温泉の方が割引で安くなるし、女性陣の好きな足裏マッサージもあるし、こっちに変えない?」と進言してみたが、武井君に却下された。「ここは露天風呂がホテルの屋上にあるから、ここを選んだんですよ!」。「分かった」と私は進言撤回。

 筑波山山腹のホテルの屋上の露天風呂。12月とは思えない暖かな一日で「台風一過」のように空気は澄んでいた。風も強く、桶がカランカランと踊っていた。湯気も風にさらわれて、すぐ近くにある雲の中に吸い込まれていくので、メガネをかけて入浴してもメガネが曇らない。男性陣だけで18人。狭い浴槽にみんなで浸かっていた。半身不随で着替えに時間がかかる板さんがどこまで「ゆったり」を満喫できたかどうかは分からないが、板さんのためにみんなでここに来た事実は変わらない。

 眼前に富士山が見えた。船橋市の県道8号線から見た朝の富士山とはまるで違って、それは巨大だった。すぐそこにあるかのようだった。18本のチンポコの向こうに見える絶景ともいうべき壮大な富士山。シンタロウに言った。「お前、あの頂上まで登ったんだぞ!」。車椅子になる1年前、シンタロウは作業所の仲間たちと富士山に登った。

風呂から出て男性陣・女性陣が合流してもまだパンツ姿の板さんに女性陣からブーイング。ヨダレを垂らしながらも板さんは、笑顔で返していた。

板さんが自分の失禁やヨダレに気付かなくなってから、もう何ヶ月になっただろうか。歩くだけで転んでしまうようになってから何ヶ月になっただろうか。脳梗塞の後遺症か、アル中や糖尿の影響か、それら全部含んでの、全体的な衰弱か。

それでも板さんは「俺はここを出て、勉強して、行政書士になる。一人暮らしをする」といってはばからない。心はいつも山の上にあるのだ。山のふもとの私たちの進言など、おそらくは雲に消えて届かないのだ。山の頂上にいる板さんの心は、雲を突き抜けているので、いつも晴れ渡っている。これは昔からなのか、障害者になってからなのかは分からない。昔の板さんのことは、私は知らないのだから。

 板さんにこう質問したことがある。「好きなだけ食べて、好きなだけ酒を飲んで、1年でのたれ死ぬのと、俺たちのいうことをちゃんと守って、節制して10年・20年生きるのと、どっちがいい?選んでいいよ。」

 間髪入れずに板さんは答えた。「好きなだけ食べて飲んで、20年生きたいっすねぇ」・・・何も分かっちゃいねえんだ、このオッサンは。死の淵から蘇って今生きているのに、まだ自分は不死身だと思ってるんだから・・・。

 とにもかくにも、板さんを筑波山の温泉に連れて行かれた。12月とは思えない暖かな一日。空気は透き通るようで、富士山はすぐ目の前にあった。茨城で一番の美人が働いているという噂のマクドナルドに立ち寄ることはできなかったけど、いい一日だった。

 こうして「かんぱす」「クローバー」の一年が終わりました。私は12月30日のブログ「よいお年をお迎えください」の中で、「順調すぎる一年」「年を越すのが恐い」と書いた。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_29ab.html

 筑波山からちょうど1週間が過ぎた1月3日。板さんは本当に山のてっぺんに登ってしまいました。享年54歳。夕方散歩から戻ってきて、心筋梗塞でした。

 おそらくは大好きな箱根駅伝を見終わってから散歩に行ったのでしょう。自身も「青梅マラソン」に参加したことがある、大の陸上ファン。今回も「順天堂か、東海でしょう。古豪復活はないでしょう。」と予想していました。

 枕元には別れた奥さんと子供たちの住所などが書いてあるメモ。

 「向こうには新しい生活があるのだから、邪魔しちゃダメだよ。今の状態でどのツラさげて、会いに行くんだよ。あわせる顔ないでしょ?」何度私が説教しても、きっと山の上から聞き流していたのでしょう。そして会いに行こうとしていたのでしょう。

 今から思えば、筑波山の日の朝、「今年もサンタの大役は果たしたんですか?」と私に聞いてきたのが板さんでした。もう一度サンタさんにでもなるつもりだったのでしょうか。その時は質問の意味を予測することもできませんでした。

 板さんよ!あんたは何にも分かっちゃいなかったんだよ!子供さんが小学校3年生の時には、あんたはすでにサンタじゃなかったんだろ?どれだけ時間を巻き戻そうとしてるんだよ。いつもあんたは、何にも分かっちゃいねえんだよ!

 板さんとの最後のお別れの日は、筑波山の時と同じように、さわやかに晴れわたり空気の澄んだ一日でした。思えばこの人と約束した日は、いつもこんな天気だったように思います。どんな運をもらってこの世に生を受け、どんな運を山のてっぺんに持ち帰るつもりなのかこのオッサンは。

 私の予想を超えて、たくさんの人たちが最後の別れに手を合わせてくれました。これだけ好き勝手な人生を送ってきたこのオッサンに、なんでこれほどの人たちが手を合わせているのか。

 「板さんよ!もったいない話だと思わない?」そう思いながら手を合わせている私に、板さんからどんな答えが返ってくるか、これまでの付き合いの中で簡単に想像ができます。

 「きっと私の人徳じゃないですかねぇ」・・・きっとそう答えるでしょう。

 最後に好きなだけ酒を飲ませてやりたかった。後悔というより過去形の願望です。

 板さんよ。しょうがねえから、冥福を祈ってやるよ。そしてこれからは山の上から見守ってくれよ。あんたが時折みせる本当に優しい目で接してくれた俺の子供たちを。そしてあんたが最後まで会いたがっていたあんたの子供たちを。

 

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2007年1月 3日 (水)

お正月も終わります!

みなさん、どんな正月でしたか?

普段できないこと(仕事、趣味、勉強)をまとめてやる正月。家族のために過ごす正月。自分の充電。旅行。

私は例年通りの3点セットです。箱根と高校サッカーと仕事。箱根駅伝で泣いて、高校サッカーで泣いて、仕事で泣いてます。仕事の方は、箱根に例えるならば、5区の山登りです。タスキを受け取ったと同時に息が上がり、足が痙攣している感じです。3月までにこの山を登れるの?本当に大丈夫?やはり勉強は若いうちにしておくべきですね。活字が頭に残らないんですよ。

長男(3歳)とトランプで神経衰弱をして2勝4敗。3歳児の記憶力はやはりすごい。長男とラジコンカーでレースをしたら2勝0敗。速い方のラジコンをとったほうが勝ち。大人になるということは、こうしたずるさを身につけるということか。ラジコン車庫入れ(ビールの空き箱で車庫を作り、そこにラジコンカーをバックで車庫入れする)はほぼ互角。フローリングにワックスをかけたので、夜中子供たちが寝た後、ラジコンのドリフト駐車を練習しています。

次男(1歳)は箱根駅伝に夢中。コマーシャルが入ると、「終わっちゃったよ!」とか「見えないよ!」とか「頑張れって言ってるのよ」とかとわけのわからないことをいってテーブルを叩いて怒っています。この次男、とても暴力的な(笑)性格ですが、いつの間にか10まで数えられるようになっていました。恐ろし~。ラジコンも操作しています。

さあ、明日からまた頑張りましょう。

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2006年12月28日 (木)

クリスマスが終わって・・・。

ハンバーグステーキ問題(↓)で、目が覚めてしまったので、お話をもうひとつ。昨日の話。私の妻が世話人をしている生活ホーム(障害者の共同生活の場)に橋っつぁんという75歳の入居者がいます。昨夜は橋っつぁんの忘年会。きっと飲んでくるでしょうから、私があとで迎えに行くと約束をしていました。家で食事をして、さあ迎えにいこう、という時でした。3歳になる長男・風歌(ふうた)が「風歌も一緒に行く。もう夜だから、橋○さん、ホームに帰らなきゃダメだよね。」そういってついてきました。

車に乗って家からかなり離れた時点で、息子は言ってきました。

「親父、話があるんだ。」「なんの話?」

「風歌、赤いかっこいいフェラーリの車、プレゼントでもらったでしょ?でもサンタさんは本当は親父でしょ?」

「なんで?」

「だって、風歌と心歌はプレゼントもらったのに、かあちゃんはもらわなかったでしょ?だからサンタさんは本当は親父でしょ?」

何も答えませんでした。

直接は「まだ夢を見させてあげたい」という気持ちで。

でも本当は、自分がまだ夢を見たいだけなのかも知れないなあ。

自分がサンタさんになる夢。

迎えにいった橋っつぁんは、ビールを飲んで武勇伝をかましている最中でしたので「あと1時間したらまた迎えに来るよ」といって、置いてきました。

そして1時間後に、ひとりで迎えにいきました。頭の中は息子の言葉がグルグル回っています。

「サンタさんは、本当は親父でしょ?」

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2006年12月21日 (木)

目に力がある人

なんとなくこう、「この人は信頼できる!」「この人とつながっておきたい」「この人のことが知りたい」・・・肩書きやステイタスとは関係なく、感性の領域でパッと「この人なら・・・」と思える人っていますよね?私自身がそう感じる対象の傾向なんて考えたことがなかったのですが、最近分かりました。

目に力がある人です。常に先のことをキッと睨みつける力が目にある人です。仕事などで交渉の際も、なんだかんだいってこういう感覚的な部分が大きく左右するような気がします。

そこでうちの次男の心歌(こうた)です。この人の目にもそれを感じます。何かの運命を背負って、たまたまうちの妻の腹を借りて、この世に生を受けたような気がします。5月の13日の金曜日に・・・。かわいい悪魔です。まだ1歳半ですが、末恐ろしいです。

「まんま」とか「おやじ」とか、もちろん単語はたくさんしゃべりますが、文章になる言葉に傾向があります。飯を食うことと束縛をはねつけること、これだけです。

「おやじ、もうあっちにいってよ」「うるさい、どいてよ」「いいから、まんまちょうだいよ」こんなことをいいます。兄ちゃん(風歌・ふうた)のときは「だ~いすき」とか「うれしい」「だいじょうぶだよ」、こんな言葉から覚えていったのに・・・。

いつも腹をすかせているので、一度好きなだけ食べさせてみたことがありました。子供用のご飯のお茶碗に3杯たべて、うどんを一玉(大人一人分)たべて、さらにパンを1枚食べてしまいました。まだ1歳ですよ!

とにかく消化が早いのです。はちきれんばかりのおなかは、見る見る小さくなって、すぐウンチになってしまいます。

怪我が治るのも、およそ同じ種類の生き物とは思えない早さです。頭を椅子に思い切りぶつけて、餃子のような形で腫れあがりました。本人はあまり痛がらず、むしろ「病院におもちゃを二つ持っていく!」と大騒ぎ。待合室で看護婦さんがびっくりするくらい腫れ上がっていたのに、「冷やさなきゃね」と冷えピタを持ってきてもらう間に、傷が癒えて、腫れも引いてしまいます。むしろ怪我をすると、周りがびっくりしたり心配するということを本人は覚えてしまいました。病院から戻ってきて、頭を椅子に叩きつけるまねをして、回りが「やめなさい!」と騒いでいるのをみて大喜び。病み付きになってしまったようで、怪我をしたところをわざと痛めて周りの反応を楽しんでいます。こういうときの目の力強さはすごいものです。怖いから目を合わさないようにしています。3歳のお兄ちゃんにできて1歳の心歌にできないことはほとんどありません。体を動かすことに関しては。

「目に力がある人」は、きっと心歌と同じように、もともと違うものを持っているんじゃないか、と思います。私の好きな何人かのアスリートを見てもそう思います。我々とは、もともと何かが違うんでしょうね。伸び伸び育って欲しいです。早く自由にしてあげたいし、はやく自由になりたいかも(笑)。

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2006年11月27日 (月)

あと14年待て!

うちの3歳の長男と1歳の次男の話。どこのチビ兄弟もそうなのだろうが、「なぜ長男と次男はこんなにも違うのだろうか」とつくづく思う。

昨夜9時ごろ長男と次男は、かあちゃんに連れられて2階の寝室へ行った。2人ともまだ興奮状態で寝そうな状況にない。かあちゃんのみ放出する波長が変わってきていた。次男は乱暴者だから、かあちゃんが寝そうになると顔を叩いたり乗っかったり、やりたい放題。そんな次男を寝かせるために、長男はたいてい次男に絵本を読んであげる。昨夜はたまたま私も2階にいたので、長男の朗読を黙って聞いていることができた。この日は「カーズ」の絵本1冊最初から最後まで弟のために長男は読み上げていた。

長男は以前近所のお姉さん「ことちゃん」に我が家で絵本を読んでもらってから、大きいお兄さん・お姉さんはちっちゃい子供に絵本を読んであげることが「やさしさ」の証であると考えている部分がある。だから絵本を自分で読んでいて、分からない部分があると、「ねえ、これなんて読むの?なんて書いてあるの?」と何度も聞いてくる。そしてそのうち1冊読めるようになってしまう。いったい何冊の本を読めるようになったのだろうか。1歳の弟は、どこまで理解しているかは別として、すぐにお兄ちゃんに本を持っていって「はい」と渡す。そんな弟が3歳チビ兄ちゃんなりにかわいいのだ。

昨夜も長男は弟を寝かせるために「カーズ」を読む。しかしそのうちお兄ちゃんが眠くなり、先に寝てしまう。かあちゃん・兄ちゃんの順で。そして2人が寝静まったのを確認して、弟はそっと寝室を後にする。ここからが弟にとっての夜の本番なのです。弟が親父を独占するということは日中においてはなかなかない。どうしてもお兄ちゃんが先、次が弟、となってしまう。しかし夜の11時以降は自分の時間だと思っている。階段を立ったまま下りてくる1歳児。そして「兄貴とカカア、寝かしつけてきたぞ!」とばかりにおもちゃを広げ遊び始める。私も大人の時間をひとりで楽しみたいから無視し続けていると、洗濯かごを頭からかぶって走り回り笑いをとろうとしたり、何とか遊びの世界に引き込もうとする。それでもダメだと分かると、2階に上がって行き、兄ちゃん・かあちゃんを起こそうとする。叩いたり引っ張ったり。しかし2人が起きるわけがない。するとまた下におりてきて「靴はく!」と言い出す。この人、とにかく一切の束縛が嫌いで、常に外に意識が向いている。先日は夜中の11時過ぎに自分のカバンを持ち出し靴を履いて「バイバイ~」と鍵を開けて外に出ようとする瞬間をつかまえた。

正直に言って、この人はいずれ飛び出していってしまうと思っている。そしてこの人ならそれでもどうにかやっていかれると思っている。危険だからと閉じ込めておいても本人にとっては決して幸せではないし、第一閉じ込められるとも思っていない。だがせめて15歳までは我慢してもらいたいと思っている。そこから先は自由だ。だから本人には常々話している。「あと14年待て!」。

アスレチックに連れて行っても、3歳のお兄ちゃんができないアトラクションを、1歳の次男が軽々こなしてしまう。そうすると長男はやる気を失う。そんな長男は弟を寝かしつけるために本を読んであげる。

そんな次男を見て私は「こんな人になってみたいなあ」と思う。きっと長男もそう思っているだろう。思っていなくてもいずれそう思うに違いない。

せめて15歳まで。思えば私も私の父も、学費など経済的に親から面倒を見てもらっていたのは15歳まで。そしてそのことは約束として小さいときから伝えられていたので、高校も大学も私立などはは考えたことはなかったし、そのためにはまわりよりも先に準備をしなければいけないという意識は何となくあった気がする。学費を含めた生活援助は、いっさいなかった。

へんな伝統だけど、長男と次男には同じことを話していきたいとは思っている。でもその捉え方はきっと違うんだろうなあ。長男にとってはプレッシャーになるかもしれない。過度のプレッシャーにならぬよう配慮は必要。しかし次男は違う。「面倒を見るのは15歳まで」=「15歳になったら自由になる」そんな感じだろうなあ。

お子さんがもう大きくなっている読者の方の笑い声が聞こえそうですね。「バカな親」「分かってないなあ」ってね。顔が浮かぶぜ!

ところで仕事の関係上、ワゴン車(SPARKY)をもう一台買いました。SPARKYが2台になりました。嬉しいっす。

また、今日の朝、渋滞停車中に後ろの車に思いっきり追突されてしまいまして、SPARKEY1台壊れてしまいました。悲しいっす。

そして私は今日は首がいたいのです。              おしまい。

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2006年11月16日 (木)

教訓

今日の夕方、Sさんが「相談に乗って下さい」と突然この福祉作業所に来ました。仕事中だったので、少し下で待っていただきました。その間、日曜日から3日間、台湾旅行に行く作業所の仲間たちはSさんをつかまえて「オレ、飛行機5回目!」だの「ひこうき~」だのと興奮して話しかけています。(深刻な顔したSさんの顔色を見ることもなく、場の雰囲気もつかまずに・・・)ここ数日興奮しっぱなしです。

とりあえず話をひと通り聞いて、次に出た言葉は「うちの娘、天才なんですよ~」。

話を聞けば確かにすごい娘さん。娘自慢をず~っと聞いていて、「これは私にとっての教訓だな」と悟りました。

私も息子自慢はほどほどにします。おしまい。

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2006年10月15日 (日)

週末地域福祉の歩き方

最近「育児」の記事ばかりで「ちゃんと仕事をしているのか」とお思いの方もいらっしゃると思いますが、もともと大した仕事をしているわけではありませんので、その点はご理解ください。「大した仕事」をしているのは、障害を持つ仲間たちです。そしてそこに寄り添う「職員」と呼ばれる仲間たちです。

さて、今は日曜日の昼間。この土日について今日は書きます。

昨日土曜日は、朝からフラッと「障害者の働く場クローバー」へ。春になればまたうちを希望して養護学校の生徒さんらがたくさん入ってきます。今の場所だけでは狭すぎるので、新たな作業所=店の場所探しです。行きつけの不動産屋(笑)などを回ります。この近辺の不動産屋は、障害者自立支援法について、少なくとも他の地域の不動産屋よりは詳しいはずです。なぜなら、私が説明して回っていますから。地域活動支援センターの家賃補助の計算方法なども既にご存じです。この季節に私がフラッと不動産屋に行くと、それだけで「また増やすんですね」とすぐに了解されます。まずは私のイメージの話をします。それに合う物件をいろいろ探してくれます。あるひとつの不動産屋の奥さんがしばらく実家に戻っていたことも、そしてその理由も私は知っています。「お父さんは?」「ええ、結局亡くなりました。でも100歳まで頑張ってくれたから・・・」「そうですか」。

フラフラ歩いていると、地域の顔と呼ぶべきオバチャンたちにもあちらこちらで会います。これからの構想などいろんな話をしながら情報収集。この方法が一番いいのです。もちろん身の上話なども織り交ぜながら。いろんな悩み・いろんな問題を抱えながらみんな自分の人生を生きている。その事実は障害あるなしに関係ありません。息子さんとの関係、自分の体調のことや老後のこと、かわいい孫の話、くだらない(失礼!)近所の噂話・・・。そういう話にも付き合います。付き合わされます。

この日は物件については収穫なし。うちの職員の事業構想はどんどん広がって具体的になってきています。なんとかそれに追いつくようにベースを用意してあげなければいけないのに・・・。

午後は、近所の在宅の障害を持つ方のお宅に訪問。私個人として、たまにこうして訪問したり外に連れ出したりしています。自分が若い頃、障害を持っているがゆえに社会から・会社からさんざん受けてきた辛い思い。40年経っても若い障害者たちは今でも同じように辛い思いを背負って生きている。そんな社会が少しでも変わっていくことが彼の夢であり願いであります。私の夢や今後の構想や今の福祉行政の動きなどをお話しています。とても目を輝かせて聞いてくれます。私自身もなんとなくダラダラと惰性で仕事をしていたりする時、こうして訪問してその方と話をします。「このままじゃいけない」とピリッとします。

近所まで戻ってきたので、一度自宅に戻り子供たちを連れてまた福祉作業所などに行きます。

「生活ホームあかり」ではYさんが庭の草取りをしていた。「今日はやることないから草を取る」・・・「仕事」としては草取りが一番嫌いといっているのに・・・。そこに近所の子供たちが集まってきました。5~6人の子供たちが虫かごを持って生活ホームに結集。虫かごの中にはヤモリやトカゲ、カマキリやその餌としてのバッタがたくさん!生活ホームに暮らす障害を持つ仲間たち、近所の愛すべき悪ガキたち、うちの子供たちが輪になって遊んでいました。5歳のお兄ちゃんが3歳のうちの息子にカマキリなどを触らせてもらっています。息子は大喜び。ヤモリのお腹を触らせてもらったり・・・。近所の4歳のお兄ちゃんが一言「このヤモリ、腹筋ないねえ」。このすばらしい一言に逢えただけでこの日の私は幸せになりました。調子に乗って「おじさんは腹筋強いぞ!」とシャツをめくると、悪ガキたちが次々と私のお腹に思いっきりパンチ。我慢して平気な顔をしていました。これも私の地域福祉のスタイルです。

地域(近所の悪ガキ)と施設(生活ホーム)の垣根、そして私の私生活(息子たち)その三者の垣根はこの空間にはありません。地域も福祉も家庭も全部ゴチャ混ぜにして生きていくスタイルは、実は「とまりぎ」の30年来のスタイルです。

「とまりぎ」の創設者・岸本は30年前、在宅障害者を訪問し、「地域に出よう。ともに働こう」ということを呼びかけて回り、「とまりぎ」ができました。岸本は、障害を持つ仲間をその自宅まで迎えて、そのお宅に自分の子を預けてから福祉作業所にきていたと聞きます。えっちゃんのお母さんに自分の子供を見てもらっていたのです。今のように福祉作業所への補助金制度もなく完全自主運営をしていた作業所で岸本自身がとっていた給料が当時5万円。障害者には多い人で6万円払っていたと聞きます。極貧生活の中、障害者の地域での生活を支えるために、彼は同時に自分の生活も支えてもらっていたのだといいます。えっちゃんのお母さんがよく言っていました。「岸本さんは、仕事に熱中しすぎて、うちのえっちゃんを送ってくれるのはいいんだけど、自分の子供をうちに忘れて置いて帰っちゃうのよ(笑)」・・・こんなエピソードも残っているようです。そんなえっちゃんのお母さんが20数年後、体を壊し動けなくなった時、えっちゃんとえっちゃんのお母さんの生活を泊り込みで支えてくれたのが、岸本の娘さんでした。そんなえっちゃんのお母さんも他界。天涯孤独になったえっちゃんは今生活ホームで仲間たちと暮らしています。

そしてその生活ホームの庭でこの日作られていた仲間たちと近所の子供たちとうちの子供たちの輪。私の知らない「とまりぎ」創設期をイメージしながら私は考えました。「とまりぎの歴史と理念のわずかひとかけらでも、継承できているのだろうか?」。

土曜日はこんな一日でした。

今日日曜日は朝からチラシ配りの作業を行う仲間たちの送迎と、「前原地区福祉祭り」への顔出しとあいさつ回り。今日も昨日以上にたくさんのエピソードに恵まれましたが、もう疲れたので書きません。(仕事もたまっているし・・・。)

10月11日、千葉県は全国初の「障害者差別条例」が制定。障害がある人もない人も当たり前のように地域で暮らす。そのための背景が「条例」として制定されたのです。

ここで少し、威張っちゃおうかな?

千葉県には「とまりぎ」があります。

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2006年10月12日 (木)

幼稚園問題

幼稚園問題について、コメントをいただきました。また最近は仕事の関係者の方々から「幼稚園決まりましたか?」とよく聞かれます。

私の妻のブログをご覧ください。答えが書いてあります。

http://kurasitanosi.blog60.fc2.com/

なお、妻はもうひとつブログみたいなものを書いているそうですが、見せてもらえません(笑)。

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2006年10月 8日 (日)

スポーツの秋

今日は、長男が通い始めた幼稚園ではじめての運動会。なのに私はソフトボールの試合。高芝地区の町会ソフトボール大会に「とまりぎソフトボールクラブ」として参加。町会のチームに混じって、障害をもつ仲間たちのチームがのびのびとプレーしてきました。結果は0-15で惨敗。でもとても楽しかったです。途中、妻からの運動会速報として、息子の活躍シーンの写メールが送られてくる。「親父が見たら、感動してきっと泣いちゃうよ」と妻。飛んで行きたかったが、生活ホームでの父兄との面談も予定されていた。その後でも飛んで行きたかったが、面談の報告や今後の事業構想の相談を理事長にしなければならない。

その頃には息子は家に帰っていた。熱が38度5分。グッタリして寝込んでいた。そんなスポーツの秋。妻も産休以来休んでいた婦人バレーボールチームに復帰。

先週は「白井梨マラソン」の引率。再来週はYMCAチャリティーランの引率。と東葛地区の障害者ソフトボール大会、その後は「成田POPラン」・・・。スポーツの秋は12月まで休みなく続きます。

親父は遊んでるわけじゃないんだよ・・・。笑っているけど、お仕事してるんだ。

次男の自由への渇望はどこまでも膨らんでいく。産まれてすぐから、抱かれると「離せ~」と暴れていた心歌(こうた)。束縛の一切を拒絶する。洋服まで「束縛だ」と脱ぎたがり、布団は一切ダメ。その範囲はどんどん拡大し、部屋の安全対策の囲いや、ドアが閉まっていることさえも「束縛だ」と大騒ぎ。そのうち、家そのものも彼にとっては自由を奪うものになるだろうし、いずれ「日本は狭すぎる」と飛び出すのだろう。でも私は密かに彼に憧れている。

そんな心歌(こうた)は音楽が大好き。中でもスティービーワンダーを聞くと、踊りだす。ソウルミュージックが体に合うようだ。今ではハーモニカを上手に吹いて踊っている。まだ1歳なのに。このブログの左にあるトラックバックで心歌の誕生日の出来事を調べてみたら、なんとスティービーワンダーと同じ誕生日だった。ちょっとビックリ。ソウルミュージック・・・漢字で書けば心(ソウル)歌(ミュージック)、つまり心歌。

この人は、いつかハーモニカとギターをもって、どこか赤茶色の大地に飛んでいくんだろうな。俺も連れて行ってくれよ!俺のギターとお前のハーモニカで、南部の黒々とした小粋なオバチャンでも見つけ、一緒に歌いたいな。ブラインドレモンジェファーソンのラビットフットブルースあたりをね。

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2006年10月 1日 (日)

タイトルのつけようのない話

今は日曜日の夕方です。昨日、土曜日も販売やら会議やら「障害者就労継続支援事業」の立ち上げ準備の手伝い(要は引越し)やらで動き回り、今日も「白井梨マラソン」の引率でやっと家に帰ってきました。週末もあまり家にいられないため、たまに早く帰ってきたときは息子たちと遊ぼうと決めていましたが、妻と息子は友達の家に遊びにいったきり帰ってきません。妻の友達とは、千葉県障害者就労事業振興センターの職員の人で、うちの長男と同じ年の娘さんのいるお母さんです。せっかく遊びに行ったのだから、いい仕事ネタでも持って帰ってきてくれればいいのですが、そういうわけでもありません。話は、お互いの共通の趣味のコーヒーのことや育児のことばかりのようです。

そもそも私と妻も、あまり仕事の話はしません。こちらもやはり話題は子育てと、共通の趣味の音楽と映画、そして動物たちの話ばかりです。(交際中から仕事の話はお互いしませんでした。)昨夜の家族会議は、金魚の水槽の水の量が多すぎることの弊害について。ばあちゃんから提起があったのでそれについて話し合いました。その少し前は我が家に25年住んでいるカラスの目の大ケガについて。(おそらくは失明してしまったと思われます。)千葉市に住む私の妹が我が家のカラスの異変に気付き、「病院に連れて行ってあげなよ!」と言ってきました。羽の奇形で飛べない・歩けない・目もほとんど見えないカラス。もう老体なので病院に連れ出すのも可愛そう。獣医学の進歩と私たちの過保護で、動物たちは本来の寿命より長く生きることがあります。苦しいだけの延命が彼らにとって望まれることなのか、そんなことを話し合いました。

さて今日は「育児」についてです。(前置きが長げ~よ)

数日前、妻が「今日も一日イライラして風歌(長男)とケンカばかりしちゃった。ごめんなさい。」と夕食時に私に訴えてきました。息子は長男として、妻は母親として、それぞれ成長してきているので、以前の「イライラ」とは質が違うはずです。妻は続けます。「風歌が言うことは、いつも正しい。それは私も分かっている。でもかあちゃんはうまくできないの!だからついつい『かあちゃんだって、頑張ってるんだから認めてよ』と風歌に要求しちゃうの」といいます。長男はまだ3歳になったばかり。ずいぶんと難しいケンカをしてるんだなあ・・・。

1歳の心歌(こうた)に対して妻が注意していると「かあちゃん、もう少しやさしく言ってみなよ。笑った顔をしてみなよ」と長男は言います。また「かあちゃん、心歌にお水あげてみなよ」と長男。言われたとおり水を飲ませてあげると次男は落ち着きました。妻と次男のケンカに際しては「それは心歌が悪いよ」「それはかあちゃんが悪いよ。かあちゃん少し落ち着いてよ」・・・そんなこともいいます。こんな関係を一日続けていて、妻がとうとう「もう、いや!」となってしまったようです。

「風歌に頼りすぎているんじゃないか?まだ3歳だぞ。対等な立場で話を聞きすぎて、ゆとりがなくなっているよ。『お兄ちゃん、えらいなあ』ぐらいの気持ちでいいんじゃないか。」私はそういいました。

リフォーム中で足場に囲まれた家を見ると「ねえ、あの家つかまっちゃってるよ。束縛されてる。いやだよ~って言ってるよ」。筑波山に行った帰りには「山が泣いてるよ。風歌君が帰っちゃったよ~、さびしいよ~って泣いてるよ。風歌、泣いてる山を発見したよ。」・・・そんな長男。

真正面から向き合いすぎているから、もう少し長男とその感性を包み込むような関係をつくったほうがいいよ。それが私の意見でした。半分納得して半分納得できない顔の妻。

その夜、私は自室で仕事をしていました。書類の山と格闘している私のところに長男がやってきました。「おやじ、なにやってんの?」「お仕事だよ」。長男は窓を開けて空を指差してこういいました。「ホラ、見て。もう真っ暗だよ。真っ暗のあとは、いい天気になって明るくなるんだよ。だから今日はもう、お仕事はおしまいの時間だよ。」・・・ドキッとしました。「確かに全部片付けようとしたら、朝になっちゃうな。風歌のいうとおり、区切ることも大切だな」。さっきまでの切羽詰った気持ちと、「頑張るぞ」というモチベーションはすべて消えました。

「あと少しだけやったら終わりにするから、下で待っててね。」と私。「うん、わかった。じゃあ、下で待ってるからね。」続けてこういいます。「おやじ。あと少しでお仕事おわりなんだから、あと少しは、ちゃんとがんばるんだよ」。

一度やる気が切れたところで「あと少しはがんばるんだよ」の一言。またドキッとしました。「そうだな、最後はちゃんとやらなきゃな」・・・。納得してしまいました。

そして分かりました。妻の言う「風歌のいうことはいつも正しい。でもかあちゃんはうまくできないの!」・・・こういうことか。私も短時間だが長男の一言一言に完全に振り回されていました。妻の半分納得できない顔の理由も分かりました。息子を受け止めることを妻に要求する前に、私が妻を受け止めるべきでしたね。それにしても、この人(風歌)と付き合っていくのは大変だなあ。

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2006年9月 9日 (土)

父親・仕事・組織そしてサボりについて

9月になりました。障害者自立支援法、その日中活動分野での活動開始は10月です。あと1ヶ月弱となりました。10月からの参入を予定されている事業者の方々は準備に大変忙しいことと思います。

そこで今回の記事は、うちの長男の「幼稚園見学会」です。前の記事で書きましたように、うちの長男はホームページで行きたい幼稚園を探していました。妻がその中のいくつかに見学の予約を入れておいたのです。

「オレも行くから」

「えっ?行かれるの?仕事大丈夫?」

「行かれるかどうかじゃなくて、オレは行くの!」

訪問先のいくつかの幼稚園で、長男は夢中。みんなが裸足でグランドで体操をしていたら「ふうたも~」と靴を脱いでグランドに走ってしまう。慌ててつかまえると「ふうたも幼稚園行きたいなあ。だって友達いっぱい欲しいんだもん。おうちに帰らない。」・・・駄々をこねます。この気持ちに応えなきゃなぁ、と思いました。幼稚園・保育園・在宅、考える際の基準は、妻のゆとり・家計のこと・教育のこと、そういう視点でばかり話し合っていたように思います。やはり息子の視点を第一にしたいものです。

さて、話を少し仕事の方にもっていきます。私も「福祉」の世界の人間として、やはり同じように<人>を支え<人>と関わる仕事としての保育や教育の分野には、やはり単なる「父親」から離れた部分で興味を持ちます。普段はお子さんを託される立場に立っていますが、今は息子を託すという立場で幼稚園や園長先生、先生や子供たちを見ています。自分が自然に目が行くところや質問するところ、それは逆に普段自分が見られたり質問されることです。素直に「面白いなあ」と思いました。いくつかを回って、これほどまでにそれぞれが違うのか、と驚きもしました。

理事長や園長先生、こういう偉い立場の人の言うことは、すべて立派なことです。それぞれの考え方の違いはあれ、すべて納得させられることです。そして違いがあるとすれば、その偉い人のいうことが、本当に末端まで染み込んでいるのか、それとも言葉だけなのかということです。幼稚園や保育園などの、従業員が数十人程度の小さい組織は大企業と違って、この偉い人が本当にいい仕事をしているのかどうかで全体の色が変わってくるのだと感じました。きっと福祉の世界もそうなのでしょう。

 ある幼稚園は子供が見学に来ても目も合わさない。逆にうちの子に興味を持って話しかけてきた児童が注意されている。・・・この際だからはっきり言いますが、ちゃんとしたあいさつもできない先生たち。ひとりふたりならどこの組織にもこういう人はいると解釈できますが、そうではない。

 もうひとつの幼稚園は、誰もが自然にあいさつをしてくる。私にでなく息子にです。見学者である息子が輪に加わろうとすると、子供たちも先生も、普通に受け入れてくれている。先生も考え方をしっかり持っていて、偉い人の言葉だけでなく、その先生がここの幼稚園の考え方・方針について自信を持って説明できる。「うちは、幼稚園では○○が大切だと考えています。△△については小学校に入ってからで十分だと考えています。だからうちでは~はしません。」こういう説明がきっちりできるのです。

こんなにも違うのかと思いました。もちろんこの後者の幼稚園は、もう定員いっぱいで入るのは困難なのですが・・・。

この違いは何なのでしょうか?先生がその幼稚園に就職するときにすでに資質の差があったのでしょうか。「福祉」の世界からの類推ですが、資質の差ではありません。入ってきてから差がつくのです。どちらのタイプの幼稚園も、偉い人の言葉を散々聞かされて仕事をしていることには変わりないでしょう。ならば何が違うのか?

「言葉」というものには、<正しい・間違っている>という客観的な判断の他に、<聞ける・聞けない>という主観的な判断があります。おそらくそこが違うんだと思います。偉い人が正しいと思ったこと、そして客観的にもそれは正しいとされることを懸命に訴えても、「聞けないよ」という場合があります。そういう場合、周りはたいていシラけて聞いています。というか、流しています。働く人(先生)も生活がかかっていますから、流すしかないのです。ケンカをして損をするのは自分ですから。

大きな組織の場合には、多くの場合偉い人はある意味言葉だけの存在です。地位やら名誉やら過去の実績やら、そんなものをバックに従えた「言葉」だけの存在です。少なくとも末端から見ればそうです。その人の実際の仕事ぶりなど言葉の裏側にあるものについてはあまり見えません。

しかし小さな組織はそうではありません。すべて丸見えです。小さい組織では上に立つ者は丸裸ということです。自分で陰部を隠しているつもりであっても、そうなのです。(表現が汚いけど。) ここに<聞ける・聞けない>の違いがあるのです。

聞けない言葉は隅々には染み込んでいかない。シラけた雰囲気が蔓延します。はっきりいって、そういう雰囲気を感じた幼稚園もありました。

「父親」から離れて「仕事」に戻って考えたとき、私もこんな分析をしている場合ではありません。私も「丸裸」の一人だからです。大切なことは「言葉」だけでなく、背中で伝えていかなくてはなりません。それは私なりに肝に銘じていることでもあります。若い人たちの仕事のレベルを上げていくことも私の仕事ですが、それ以上に私自身が向上心を持って、常に先を進んでいなければいけません。10の仕事を相手に要求したのなら、自分は裏で20の仕事をしていなければなりません。裏で20の仕事をして、それが表となって表れるのが15ぐらいでしょうか。表に出た部分だけでも、仕事を要求した相手よりも上をいっていなければなりません。そうじゃなきゃ、「言葉」が軽くなるでしょ? 軽くなってしまった言葉は、いくら地位や名誉のレベルを上げてもその軽さは変わりません。

私は自分の仕事の評価を、私と一緒に働く人たちの目で測るようにしています。「聞けない」という目をされたときには、私が仕事をしていないと考えるのです。働くみんなの目が生きているときには(そのみんなの仕事の結果がどうであれ)私の仕事としては○です。

さて問題。このブログによって、金曜日私が仕事をサボって幼稚園の見学会に行ったことがみんなにバレてしまいました。果たして来週から私の言葉は、「聞ける」ものなのか「聞けない」ものなのか、これが大きな問題です。とりあえず土・日頑張ることをアピールしておきましたが、さあどうでしょう。

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2006年9月 6日 (水)

人生の選択

3歳になった長男。先日新聞の折り込み広告で船橋市内の私立幼稚園マップが冊子になって入っていたのを見つけて、じっと見入っている。

そうか、そろそろ幼稚園を考えなければいけない時期か。願書受付が11月。その前に各幼稚園で説明会、見学会などが催され、それが進路選択の一助となる。在宅か幼稚園か保育園か・・・。正直なところ、息子(たち)が妻と離れて何時間も過ごすということは、まだ考えられない。保育園などは5時まで、いやそれ以上に預かってくれるという。まったく驚きだ。そんな長い時間親子が引き裂かれていたら、妻がもたない。私だって胃に穴が開く。小学校に入学するまでの必要なしつけや学力は、私が見るつもりであった。息子よ!大丈夫だ。私がお前を、スーパーマンにしてあげるから。

幼稚園ガイドをしばらく読んだ後、息子は私にこういった。

「おやじぃ、ふうた、この幼稚園に行きたいな!」・・・おおっ!息子よ、私から離れるつもりか。あどけないその笑顔で、私から巣立っていくつもりなのか息子よ!いや、違う。何か理由があるはずだ。

「なんでこの幼稚園がいいの?」と私。「ボールでみんな遊んでるでしょ?ふうた、ボールがある幼稚園がいいんだぁ」。・・・ボールかぁ。分かった。親父に任せておけ。

さっそくサッカーボールを買い与えた。親父がお前をJリーガーにしてあげるからな!

「おやじぃ、ふうた、このボールもって幼稚園に行くんだ」と息子。

父親として、一人の人間として、私は人生の大きな岐路に立ち、そして決断をした。息子よ!お前の気持ちは十分に分かった。親父と一緒に、いい幼稚園を選ぼう。

さっそく息子と一緒にインターネットで市内私立幼稚園のマップを検索。「しつけ」とあれば、「厳しすぎるんじゃないか」と心配になり、「遊びが第一」とあれば「遊んでばかりで大丈夫か?」と心配になる。「設立数十年」とあれば、歴史にアグラをかいているんじゃないかと疑念を持ち、「新しい校舎」とあれば未熟ではないかと疑念を持つ。

ダメだ!私には決める勇気がない。・・・息子をパソコンの前に残し、居間に戻り私はコーヒーをすすっていた。しばらくして多少落ち着いた私は、自分の部屋(実はここが私の会社)に戻った。息子はまだパソコンと睨めっこ。なんとスクロールをしていろんな幼稚園の写真を見ていた。「やっぱり、このボールの幼稚園にするね。大丈夫だよ」と息子。来週、この幼稚園の見学会に行く。

福祉作業所の所長として、私がいつも親たちにいうのは「子離れをしなさい。親離れをさせなさい」ということ。実は説教ばかりしています。

お母さんたち、実はこれが私の姿です。笑いたければ笑えばいいが、でもお互いさまだぞ!

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2006年8月 4日 (金)

3+6+2=11 ?

私は経理・事務の仕事は本来あまり好きではない。でもずっと気になっていた事務仕事を一日がかりでやっつけて、昨日はそれなりに爽快感があった。帰宅の時間はやはり、プロ野球のナイターがとっくに終わっている時間。腹ペコです。帰宅すると妻は「ごめん、まだ夕飯できてないんだ」・・・ぜんぜん構わない。私は寛容だ。実はその日の夕方、妻の仕事の報告がメールで送られてきていて、「頑張っているんだなあ」と感心していたところだったのだ。妻は私たちの福祉作業所の利用者が生活するグループホーム(高齢者のグループホームの障害者版)の世話人をやっていて、3人の生活を見てくれている。ではその報告を当たりさわりない程度に紹介します。

私の妻(世話人)の報告

 

まず部屋のものをすべて隣の部屋に移動し、Aさんの部屋にはベッドのみが残る状態にしました(彼の部屋には誰も使っていない一人掛けのソファが二つ置かれていて、これもカビの原因になっていました処分することに。また、押入れにも少しカビがあり、布団も湿っぽい状態です後日干す予定)。

 何も無くなったところで掃除機をかけ、酢水で固く絞った雑巾を使って雑巾掛けし、最後にファブリーズを吹きかけました(何らかの形で本人が週一度でも掃除できればいいのですが。同時に棚、柱などは普通の水で雑巾掛け)。ベッドのマットやタオルケット、枕は干しました(枕はマットをはたいた様に大量のほこりはたききれませんでした)。

 床が乾くまで小物の整理。ずっと使っていない簡易歯ブラシなど必要の無い物はほとんど処分しました。(中略) 残りは衣類の整理。冬物は押入れに、上着とズボンは指定のハンガーに下げました。ベッド下の収納はカビの原因になるのでなくしました(勝手口横の倉庫に置いてあります)。向かって正面の小さな引き戸収納の扉を外し(押入れにしまいました)、そこに収納ケースを置いて、パンツ.靴下.タオル.パジャマをしまいました。着たけどすぐには洗濯しないズボンなどは、脱ぎ捨てないで左手の棚の下段に畳んで置くように話しました。

 最後にベッドのセッティング。厚いマットと薄いマットの間にゴミ袋を2枚裂いて敷き、薄いマットの上にマットカバーを敷きました。除湿剤をベッドの奥、押入れ、ハンガー下の3箇所、ゴキ退治を正面棚とベッド下に置きました。

<Aさんがやったこと>

.持ち物の移動(一緒に)

.酢水での雑巾掛け(畳全部1時間)見ていないと適当。声かけ。

~昼食~

.小物整理(一緒に)、整頓

.ハンガーかけ

.洗濯

 放っておけばすぐもとの状態になりそう。こまめに声をかけて本人が片付けていくように促していきたいです。床の掃除もAさんができる方法を考えたい(クイックルなど)。

 こんな報告を読んだ後だったから、食事準備が遅れていても気になりません。グループホームの3人の世話をよくしてくれていると思います。世話人の仕事を一生懸命していて家事が多少遅れたのでしょう。

 しかし私が帰宅したとき、妻の両手にはバスタオルでくるまれた大きな陸ガメが・・・。「ごめん、今カメたちのお風呂入れてるんだ」と妻。うちの陸ガメたちはお風呂が大好き。最近彼らの嫌いな湿気が多く、多少便秘気味だったので、カメたちもたまにはゆっくりお風呂につかって新陳代謝をよくすることも確かに必要でしょう。お風呂に入ったあとは決まって大きなウンチをしてくれます。カメをひとりずつ丁寧にお風呂に入れ、甲羅の隅々や首の皮、尻尾まできれいにバスタオルで拭いてあげる妻。

「でもうちのカメは6匹もいる。その順番待ちかあ・・・。」

 さらに続けて妻。「ごめん、カメたちのあとはチビたちも風呂に入れるんだ」・・・「チビたち」、二人の息子。長男は自分でシャツを脱ぎ、素っ裸になって待機。

グループホームで3人の世話、続いて6匹のカメの入浴介助と2人の息子の風呂。

3+6+2=11

私の前には11人もいたのだ。私は12番目。サッカーでいえば12番目の選手、つまりサポーターだ。

大いに結構! しっかりサポートしましょう。   

 

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2006年7月17日 (月)

ちょっと一息

仕事のほうがちょっと煮詰まってきたので、ここでひとつ先日の息子たちとのエピソードを。

先日、息子たち(3歳、1歳)を連れて虫取り網をもって、近くの山と畑に虫取りに出かけた。坊主頭で虫取り網を持って山を走る長男を見て、通りすがりの家族が「いいねえ。坊主頭と虫取り網。最近あまり見なくなった光景だよね」と噂している。

長男は山で虫を見つけると、家に帰ってすぐに昆虫図鑑でその日に出会った虫を検索する習慣がある。そしてこの習慣は、実に1歳から続けている。3歳になった現在昆虫にはかなり詳しくなっている。しかも1歳の頃家にいて死んでしまった昆虫たちのことまでしっかりと覚えている。「あっタマムシ。これ死んじゃったね」とか。ダンゴムシ、カメムシ、テントウムシ、クモ・・・そういうこじんまりとした虫が結構好きなのだ。

話は脱線します。2歳になったばかりの時、うちの金魚のピッポが死んでしまった。ハンカチに乗せられ横たわっている金魚を見て2歳の長男はこういった。

「ピッポねんねしちゃったね。お庭でバイバイね。タマムシとクワガタといっしょだね。虫(金魚も虫のひとつのようだ)は、みんな目あいてねんねするね。(だから)また帰ってくるね。」

まだ簡単なひらがなしか読めないのに、小さい頃から図鑑ばかり読んでいた長男。あまり理論ばかりの頭でっかちにしたくない(もう十分頭でっかちだが)ので、地に足の着いたしっかりした感受性だけは育てていきたいと思い、わが夫婦は息子たちが望む虫なら、どんな虫でも飼うようにしている。我が家には犬、猫、カラス、カメなど10数匹のペットがいるが、長生きするその子たちとは別に<生まれて・愛されて・死んでいく>という命のサイクルを虫たちを通じて感じることは大切だと思っている。妻も虫は苦手だったが、今では息子たちと虫を観察している。

さて、虫取りに戻るがその日はいい収穫がなかった。畑のわき道を通って帰ろうとしたとき、畑で見かけたのは10cmほどの真っ黒なアオムシ。次男はキャーキャー言ってアオムシを触る。「つぶれちゃうよ!」 長男はしばらくじっと見つめて一言。

「あれ?このアオムシ、まだ蝶にならないねえ」・・・そうか!図鑑やDVDではアオムシはすぐに蝶になる。現実のアオムシはいくらじっと見ていても、なかなか蝶にならない。

「じゃあ、連れて帰ろう。きっといつかきれいな蝶になるよ」私はそういって、この真っ黒なアオムシを連れて帰った。長男は大興奮。帰ってすぐに「ばあちゃん!アオムシ採ってきたよ!きっと蝶になるよ!」「すごいねえ」とばあちゃん。さらに続けて「この虫は硬い葉っぱしか食べないんだよ」と。

このばあちゃん、昆虫、花、鳥など山に関することなら何でも知っている。このまま老いて死んでいくのがもったいない。脳ミソからハードディスクに情報を保存しておきたいと思うような人だ。そんなばあちゃんが私を呼んでこういった。

「あれは、蝶にならないよ。ブドウなどによくいる幼虫で、すごい蛾になるよ。あの子がみたらきっとショックを受けるよ。」

私は「ブドウ」「蛾の幼虫」でGOOGLE検索。・・・・・いた!・・・・・ばあちゃんの言うとおり、「すごい蛾」だ。「スズメガ」の一種で「セスジスズメ」といい、ノブドウなどを食べている。

0816sesuzisuzume 困った。蛾になったらどうしよう。いや、その前に図鑑で事実を知ってしまうこともありうる。しかもこの幼虫ものすごい勢いで葉っぱを食べている。

息子たちは大興奮。葉っぱを食べるこの来客に見とれている。「決めた!今日中にさよならしよう。息子たちが目を離しているうちに逃がしてあげよう」・・・父親の決心は固かった。職場の職員や得意先から何本か電話。しかしその内容を覚えていないほど、息子たちが目を離すタイミングを計るのに私の意識は集中していた。

「今だ!」・・・私は虫かごを持って玄関から飛び出した。静かな夜、虫かごをもった40前のオッサンが一目散に走っている。昼間、息子たちが虫取り網を持って走っている情緒あふれる光景とはあまりにも対照的なものであったに違いない。

まず一番近くの畑に解放した。「ごめんね」。蝶なら愛せるが蛾なら愛せないという自分の価値観に理不尽なものを抱えたままのさよなら。心は小さく痛んだ。しかしホッとした気持ちを隠すことなく家路に向かおうとしたその時、ばあちゃんの言葉が頭をよぎった。

「この虫は硬い葉っぱしか食べないんだよ」

今解放したこの葉っぱで大丈夫だろうか?・・・葉っぱならきっと食べるさ。・・・でもそういう私だって食べる葉っぱと食べない葉っぱがあるよな。自分がもし松などの針葉樹もレタスも同じ葉っぱだから毎日松を食べろといわれたら困るよな。・・・私は今自分の目線と自分の物差しだけで相手を計っているんじゃないか?福祉の道に生きる者として、そういう人にはなりたくないはずじゃないのか?

玄関先まで戻ってきていたが、私はUターンした。「やはり彼がもといた場所に戻してあげるべきだ」・・・また走ったさ。ところが解放したはずの場所に彼がいない。夜の闇にまぎれてしまった。「きっとこの葉っぱでもよかったということだろう」「いやいや、食べられる葉っぱを求めて探しているんじゃないか」「でもここからあの畑は遠すぎる。たどり着く前に死んでしまうよ」・・・「見つけた!」・・・2度目の「ごめんね」。

彼はもとの家(畑)に戻っていった。農家の人に見つかるなよ。私は家に帰り息子たちに説明。「もう夜になったから、アオムシは家に帰ったよ」。「そうか。帰ったのね。」そういって納得する長男。でも空っぽになった虫かごを見て涙を見せるもぐっとこらえていた。

あの涙は何だったのか。単なる来客の帰宅が寂しかっただけなのか。それとももっと深いところで何かを感じていたのか。私には分からない。きっと私が3歳の頃だったら、分かっていたかもしれない。でももう、ここがこれだけさびついているから、分からないのです。おしまい。

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