2007年12月31日 (月)

2007年の終わりに

 久々に静寂な朝を迎えています。いろんな思いや感情、すべてを包み込んだ静寂さというべきか、ある種「無」に近い静寂さに自分が支配されているのを感じます。そして「無」の感情の奥のほうにあるのは、「感謝」、これだけです。あらゆる思いや感情を包み込み、そしてひとつに束ねられる唯一の感情、それこそが「感謝」であると実感しています。

 2007年を振り返り、さまざまな人との関わりを想起する時、「感謝」という一本の糸が、それらをひとつに束ねてくれるのです。

 いったい私は、どれだけの人たちに支えられて生きているのだろうか。何かあればいつでも駆けつけてくれる人たち、引っ張り出してくれる人たち、励ましの言葉、お叱りの言葉、忠告や提言、常に傍らで見守ってくれる人たち、そして何よりも愛すべき彼ら。

 そういう人たちに支えられなければ生きていけない自分の小ささを、喜びを持って実感するのです。小さいことの喜びとは、かくも温かい。これからも小さく生きよう。小さく生きるということは、身の丈の生き方をするということであり、身の丈とは常に「感謝」を実感できるサイズということでしょうか。

 時に自分を大きく見せようという気持ちになってしまうこともあります。しかしそれを必ず叩いてくれる人たちがいます。後ろ向きな気持ちで小さくなる場合もあります。しかしそれを引っ張り上げてくれる人たちもいます。そういう人たちの心をしっかりと受け止めていけば、「身の丈」は回りによって用意されていくものです。

 みんな、ありがとう。

 せっかくの完全オフの日。この日につかんだ静寂さとその内に脈打つ「感謝」の気持ち。これを来たるべき2008年の私の仕事のスタンスにしていきたいと思います。

 さまざまな人たちのさまざまな思いを受け、今日もこうして生きており、そして働いていくわけです。さまざまな思いに翻弄(ほんろう)されながら、小さき私はウロウロと、前に進んでいくのでしょう。しかし節目節目でそれを「感謝」の糸で束ねながら、道筋を確かなものに正していく。そういう道のりが私には与えられているのでしょう。

 しかし「感謝」を形に変えていく取り組みとは、前提的に「自分」というものがしっかり据わっていなければなりません。「感謝」とは鏡のようなもので、「自分」があってはじめてそれは価値あるものになるからです。

 静寂さに自分が還ることができた。そこを拠点にいま一度、<自分は何をしたいのか>に立ち戻るべきだと考えます。

 先日の夜、妻がぼんやりと金魚のぱっぽを眺めていました。同じ病気で金魚のぽっぽを失った妻は、今度は病気からの快復に成功し、こうしてぱっぽは元気に泳ぎ回り、妻の笑顔がありました。その翌朝、同じ椅子で同じ笑顔(同じ顔)で金魚を見つめる長男の姿がありました。「ぱっぽ、元気になったね。」

 ぽっぽやぴっぽを失った悲しみは、ぱっぽの元気な姿を喜ぶ気持ちだけでなく、「いつかぱっぽが川に戻れるようにしたいね」という私たち家族の夢にもつながります。思えば我が家は私が小さい時から、ケガをしたり病気になったり迷子になった動物たちがやってきました。元気になったり飼い主が見つかったりして、彼らは帰っていくのでした。そして今年25歳になる飛べない・歩けない・目が見えないカラスなど、帰っていくところのない動物たちのみが、我が家で主のように威張って生活しているのです。「駆け込み寺」のように、人も一時的に住み着いたりすることがよくありました。動物だらけの汚い家に駆け込んでくる人たちもいました。私の祖母の代などはもっと顕著だったといいます。障害を持った人、(戦中・戦後)食べ物がない人などが、よく住み着いていたといいます。

 今日、そんなようなことを思い浮かべていました。感性の源ともいえる家風から離れたところで<自分は何がしたいのか>を構想することができない。私が帰ってくる場所は常に必ずここなのですから。

 貧しいけど温かい…そんな環境で生きてきたように思います。そんな私ができることの精一杯は、<貧しいけど温かい仕事>これだけです。

 

いつかみんなが巣立っていくという夢を見続けること。

それでも巣立っていけない時は、無理のない範囲でしっかりと支え続けること。

無理なことは頭を下げ、人に託していくこと。

それが自分にできることのすべてだと思います。

自分や仲間たちが温かくなれるような仕事はやる。温かくなれない仕事はやらない。相手への「感謝」につながる仕事はやる。「感謝」に結びつかない仕事はやらない。「みんなが巣立っていくという夢」につながる仕事はやる。つながらない仕事はやらない。

これがすべての価値基準です。この価値基準に立ち返り、2008年は一歩一歩前を向いて頑張っていこうと思います。

みんなありがとう。

<追伸>

しばらくこのブログ、中断します。いつもたくさんの方々に読んでくださり、本当にありがとうございました。

少し落ち着いたら、本を書こうと思っています。しばらく「雲隠れ」いたします。

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2007年11月 3日 (土)

東京モーターショー

今日は以前からシンタロウと約束していた東京モーターショーに行ってきました。大手術を控え、今後自由な活動が制約されてしまう。その前に好きなところに連れていこう、というものでした。シンタロウとシンタロウママ、私の妻と子供たち2人という2家族での大移動。渋滞と人混みという私の大の苦手なことでしたが、楽しかったですよ。

車椅子と一緒に、そしてチビふたりを連れながらだったので、全部見て回ることはできませんでしたが、それでもシンタロウも楽しんでくれたと思います。

回った範囲で、私とシンタロウママの見解としては、三菱モータースのお姉さんが一番きれいでした。「シンタロウ、友野さんの奥さんとあのお姉さんどっちがきれい?」とシンタロウママ。

いや~それは、ねえ。なんというか~。難問でしょう。

難問すぎて答えられません。口が裂けても答えられません。それほど難問。

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2007年9月12日 (水)

ピンチに強い!

先日の月曜日、うちの職員から朝突然「仕事休みます」の電話。風邪をこじらせ声もまともに出ていない。「ゆっくりするといいよ」。牛乳配達の仕事には私が入る。

その日はローテーションの関係で、ヨウヘイもミヨコさんも休み。2つの店をどう維持するか。また、特別支援学校の実習生が3人も来ている。そして新しい仕事もその日に入ってくる。そしてそして、今日は仲間たちの給料日。26人分の給料袋を私が抱えていて、みんなはそれが届くのを楽しみにしている。

朝、その日休みの予定の掃除男に電話をかけてみる。・・・ダメだ!呼び出し音が熟睡している。ヨウヘイの生活ホームにも電話。誰も出やしない。仕方ない。現有戦力で乗り切ろう!

とりあえず、牛乳配達のコージ君に店に入ってもらい、ユータ君と私で配達に出る。納得いかない顔のコージ君。

ユータ君は、この日の私のピンチを十分に理解し、配達表を見ながら次々と準備をし、また私が慣れないコース(最近急激にお客様が増えた)ゆえに、詳細な道案内をしてくれる。きびきびとした動きと的確な私への指示。

9時半にはじめて、何とか5時に終わった。ありがとう、ユータ。急きょ店の担当に回ったコージ君も、その日の店のエピソードをいろいろ聞かせてくれる。また実習生の一人が落ち着かず、手に負えなかった状態だったことも知る。

翌火曜日、その日も私は牛乳配達。ユータ君とコージ君はすでにスタンバイOKの状態で私を待っていた。しかし昨日手に負えなかったという実習生がその日も「戦闘体制」で、目が離せない状態。

「私が見ているしかない」…急きょまたコージ君を中の仕事に回し、この実習生を私の助手(?)につけて、牛乳配達に出発。この日もユータ君が2人分の仕事を気合でこなしてくれる。午前中、ピリッとした雰囲気を作り、この実習生もやっと落ち着きを取り戻す。そうなる前、空びん回収の仕事で、繰り返し与えた指示を無視してカバンを適当に持ち、空びんを1本割った。「指示を無視するとこういうことになる」ということを厳しく説明。これで彼女は落ち着いた。もう大丈夫。

昼、作業所に戻ると、コージ君の暗い顔。「具合悪いの?」仲間たちは心配していた。しかし暗い顔の本当の理由は、2日連続突然牛乳配達の仕事から外されたこと。本人理由をいくら説明されても納得していない。

実習生も、落ち着いたからもう大丈夫。中仕事の職員に彼女を託し、午後はコージ君、ユータ君のいつものコンビで牛乳配達に出る。

びっくりした!字が読めず、数字も分からないはずのコージ君が、遅れて昼食をとった私とユータ君の代わりに、配達表を読みこなし、配達の準備をしている。ユータ君がその姿を見て、読めない字を丁寧に教えてあげ、準備を完了させていた。

「コージ、自分でできるようになりましたよ。確認したけど、全部合っています!」とユータ君。

ものすごい気合を感じた。「牛乳配達は自分の仕事、絶対できるようになってやる」というコージ君の気合と、それをさりげなく支えるユータ君。

「今日は、配達準備はユータでなく、コージがやろう」と呼びかけ、二人は「は~い」と快諾。不安はあったが、コージ君が準備をし、ユータ君が全部チェックして、無事ミスもなく配達完了。準備だけでなく、配達や片付けも、なにかこう、縮み込んだバネが一気に伸びるような爆発的なエネルギーを仕事にぶつけている二人。楽しかったし、うれしかった。

中仕事では、落ち着きを取り戻した実習生がポテンシャルの高さを見せつけ、我々でもかなわないような器用さで仕事をこなしていた。

コージ君、ユータ君の頑張りで、その日の業務全般が滞りなく終えられた。

3箇所の事業所すべて、無事作業が終了。

ピンチに強く逆境に強いこの人たちに支えられて、私は今日も仕事をしている。みんな強い、強い、本当に強い!

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2007年9月11日 (火)

ヨージおじちゃん

知的障害を持つヨージが我が家に転がり込んできて数ヶ月がたつ。家族として彼が家の真ん中にいることが当たり前のようになってきた。4歳の長男・2歳の次男もヨージおじちゃんがいる生活を当たり前のように受け入れている。たまにヨージが帰省すると、次男は泣いてしまう。長男は「また帰ってくるよ」とそれをなだめる。

数ヶ月前、突然の病で歩けなくなり、その歩けない自分を受け入れられず車椅子を拒否したり、ヨージ自身にとっても我々にとってもとても辛い時期があった。今ではそれも完治し、あの頃がうそのような家族の雰囲気を取り戻すことができた。

子供たちがおもちゃを散らかして遊んでいる。私が「散らかしたのは誰だ!」と叱ると、ふたりは「ヨージおじちゃん」と答える。ヨージも「え~うそ~」といって笑っている。子供たちに「欧米か!」とか何だとかいわれて頭をポンと叩かれる。それでもヨージは笑っている。

まだ字の読めない次男は、本を持ってヨージのところに行って「おじちゃん、読んで」と本を読んでもらう。ヨージの言葉は分かりにくいのだが、それでも次男は真剣に聞いている。

今、ヨージはひとりで風呂に入る練習をしている。私が近くでいろいろと指示を出し、練習をしている。そこに子供たちがやってきて、ヨージがひとりで体を洗っている姿をみて「ヨージおじちゃん、自分で洗ってるよ!」と感心している。その頑張っている姿に、ただ感心しているのだ。

いろんな部分において、すでに二人はこのおじちゃんを超えてしまってもいる。だからといって、哀れに思うこともなければバカにすることもない。できる・できないを超えたところにある「頑張っている」という姿に、子供たちは共感し、尊敬もしているようだ。

子供たちが将来どんな道を歩んでいくかは分からない。私の仕事をついでくれるかも知れないし、まったく別の世界かもしれない。でも今ヨージおじちゃんと暮らしているこの貴重な体験は、きっと彼らの中に残ってくれるだろうと思う。

先日、私の家族と生活ホーム「らいと」の全員で、佐倉まで遊びに行ってきた。森の中でヨージはどんぐりをふたつ拾ってきて、二人の子供たちに大事そうに手渡してくれた。不器用ゆえに手のひらからこぼれ落ちそうなどんぐりを、丁寧に小さな手のひらに移してくれた。子供たちは大事そうにそれを受け取り、笑顔で「ありがとう」と答えていた。

ヨージのこの素朴な気持ちの伝え方に対して、子供たちはいつか拒絶という形で答える日も来るのだろう。そしてそれを超えて、拒絶した自分を責める日も来るのだろう。人はそうして大人になってゆく。人は傷つき、また人に傷をつけながら大人になっていく。

どんぐりも、大人になった子供たちから、また小さな手に移されてゆくのだろう。そしてお自分が受け取ったどんぐりの記憶を、その時思い出したりもするのだろう。

ヨージよりも2歳年上の私も、ヨージから学ぶこともある。

笑顔を忘れちゃあ、いけないんだよ。

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2007年8月26日 (日)

ウコン最終回

ウコンネタで引っ張るのは、もうおしまい。ちゃんとした記事を書ける状況でないので、ご容赦下さい。

今日は妻の誕生日。妻はほとんど飲めないので、いつもは私一人で晩酌しておりますが、昨晩「ウコンを飲めば、朝スッキリするよ」と口説いて、コップ半分だけですけど、晩酌につき合わせました。ビール半分と私の小難しい話を聞くだけで睡魔に襲われてしまったようです。

ではまた。

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2007年8月23日 (木)

失敗した。

うこんを飲むようになってから、ビールの量が増えてしまい、家計を圧迫するようになってしまった。

失敗した。

書きたいことはいろいろあるけど、今日はもう動けない。

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2007年8月20日 (月)

ひらめいてしまった・・・。

昨日は、ライブで歌ってきました。「就労継続支援事業もえぎ」の仲間たちも観客として来てくれて、ステージ上から手招きをしたら、本当にステージに上がってきてくれて一緒に歌いました。

 しかし歌う前に一杯ひっかけたのが災いして、ソロのアドリブのところ準備していたものが全部すっ飛んでしまって、メチャクチャな英語のアドリブになってしまった。炎天下の野外ステージ。甲高い声で目一杯歌ってきました。

終わったら当然打ち上げです。「明日から仕事・・・」というメンバーも多かったので、みんな乾杯の前に「ウコン茶」を飲む。これがビックリ。あれだけ飲んでも翌朝スッキリ。おそらく「ウコン茶」を飲んだ他のメンバーもそうだったのではないでしょうか?

「ウコンはすごい!」

またひとつ仕事のアイディアが浮かんでしまった。春になるのが楽しみです。

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2007年7月26日 (木)

親離れ子離れそして兄妹離れのすすめ

この重いテーマについて、あえて書く!一部の福祉関係者、保護者などにとって見たら耳の痛くなる話であろう。しかし書く!

今日、千葉市に住む私の実妹から、メールが来た。以下全文。

そろそろ巣立つかも。一羽で過保護に育ったからなかなか飛ぶ勇気がない。親達が促してるんだけど。もしかしたら兄ちゃんが助けた彼奴かもしれない。違っても彼奴の兄弟には変わり無いね。

実は数週間前の日曜日の朝、実妹から弊社に電話。「団地の階段の踊り場の上に、ツバメが巣を作って、ヒナが一匹落ちちゃった。助けようがない。お母さんツバメも困っている。どうすればいいの?」

「お兄ちゃんが飛んでいくサ!待っていなさい!」

たまたま休みの日の朝だったので、すぐさま現地に向かった。片道1時間以上。ヒナは助かるか・・・。

現地に着くと、その救出の困難さに思わず愕然とした。階段の踊り場の天井なので、簡単に届く場所ではない。3匹のうち、2匹はすでに亡くなっていて、一番小さなヒナだけが動いている。

「お兄ちゃん・・・助けてあげて!」

私は団地から離れ、近所に長い脚立のある家を片っ端から探し回った。ずいぶんと走り回ってやっと見つけた。「すみません!脚立を貸してください。ヒナが落ちちゃったんです!」玄関から出てきたおじいちゃんは「そりゃあ大変だ。持っていって。錆びてるから開くかわかんねえけど。」

団地に戻り階段を走り、アクロバット的なかけ方で脚立をなんとかツバメの巣まで届かせた。錆びた脚立がもし折れたら、踊り場の4階から私はまっ逆さまだ。福祉の世界では「惜しい人をなくした」とかと言われるのだろう。

でもヒナを無事救出。足は震えたが、妹の期待には応えた。

そのヒナたちが、巣立ちの時期を迎えているというのが、先ほどのメール。なんとも可愛い、私の妹らしいメールだ。ツバメの巣の写真までついていた。200707260734331

妹よ、困ったときはいつでもお兄ちゃんを呼ぶんだぞ!

いつでも助けになってあげるからな。

ちなみによくこのブログにコメントをくれる「giriimo」とか「girl sister」は義理の妹で、妹はどちらもやっぱり兄としてかわいい。

以上、「親離れ子離れそして兄妹離れのすすめ」でした。

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「読んでますよ~」

最近、あちらこちらで「読んでますよ~」と声をかけられる。そういわれた瞬間に「この人のお心を害するようなことは、書いてなかったかな?」と頭の中で記憶の引き出しの総点検が行われる。冷や冷やものである。

昨日、O君の送りで、O君自宅近くまで行ったとき、O君のお父様にお会いし、「読んでますよ~、なにかコメント書こうかと思うんですけど、何書いていいか…」と声をかけられた。

「O君パパが読んでいたとは・・・。じゃあ、あのことは書かなくてよかったぁ。」・・・そんなことを考えました。

「あのこと」とはこんなことです。来月うちの福祉作業所の有志が、富士山に登る計画を立てています。今日もそのための会議があるといいます。そしてその「富士山計画」に、当然元気もののO君も誘ったのですけれど、O君が行くかどうかが決まる前にO君パパ、O君ママが参加することになったのです。「O君が心配なら、その日うちでO君を預かっていましょうか?」という話にもなりかけましたが、結局「O君パパ、ママが行くならO君も連れて行きましょうよ」ということになった。

「面白い家族だなあ」ということで、その記事を書こうと思ったことがありました。

「面白い家族」ついでに、ずいぶん昔、こんなことがありました。O君は養護学校時代から体を動かすことが大好きで、常に体力が有り余っています。作業所に入ってきて1年目。週末になるとO君パパ、ママがO君をマラソンに連れ出したり、サイクリングに連れ出したりと、その有り余った体力の消費のために苦労されています。当時私は、「O君パパとママの負担を少しでも軽くしてあげたいなあ」ということで、若い(体力のある)女性職員を連れて、休日O君とその先輩のU君を連れてサイクリングに行きました。4人で船橋から佐倉まではかなりの距離です。こいのぼりの泳ぐすがすがしい季節でした。(当時撮影したビデオがまだ我が家にあります。)

O君を自宅に送るとき、「O君パパとママは、これで少しゆったりした休日を送れるかな」と思っていたのですが、O君ママから返ってきた言葉に驚かされました。「うちの子を見てくださったから、パパとふたりで海の方をずっと走ってきました。」

「海のほうってどこまで?」

「江戸川越えて…」

「江戸川越えたら東京じゃん!」

こっちは船橋市から佐倉市までサイクリングをしてきて「遠かったなあ」と思っていたのですが、パパとママはなんとその時県境を越えて走っていたのでした。

(体力が有り余っているのは、O君だけじゃなかったのね・・・。)

こんな記事を以前書こうとしてやめたのですが、いや~O君パパが「読んでいる」と聞いて、「書かなくてよかった~」とホッとしました。

でも書いちゃった!O君パパ、これからもよろしくお願いします。富士山は頑張ってきてください。

うちの作業所と「富士山」については以前記事にしたことがあります。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_c98c.html

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_f2eb.html

またかつて(9年前?)、O君と一緒にサイクリングに行った女性職員とは、今はどうやら私の息子たちの母親になったようです。

おしまい

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2007年7月15日 (日)

基礎理論?

<授産事業、就労支援事業、福祉作業所等における「工賃倍増計画」策定について>

しばらくちょっと固い記事でいこうかと思います。「育児」から入ってこられた方、「ペット」から入ってこられた方には申し訳ありませんが、ちょっと難しい話が続くかもしれません。

平成19年度から全国の都道府県で「工賃倍増計画支援事業」が実施され、授産施設・就労系事業所等の工賃水準を引き上げるための具体的事業が動き出しました。各都道府県で、工賃倍増計画実施事業が展開され、千葉県においても「計画策定ワーキングチーム」が発足しました。

全国の具体的事業を見ても、あるいは厚生労働省の示す具体例などを見ても、「経営コンサルタントの派遣」や施設長クラスの研修・セミナーなどが中心になっていくようです。経営コンサルタントの派遣は、ビジネス理論(マーケティングや営業の手法・理論)に基づく経営分析や提案などがなされ、各種研修・セミナーなどではそれに加えて先駆的事例などの検討が行われるようです。

厚生労働省の打ち出す「工賃倍増計画支援事業」においては、一定の予算措置もなされ、実践とその結果が求められるものであるからして、より実践的な事業として遂行されていくものだと思います。そして事業の性格上そうあるべきだとも思います。

しかし私が最近考えているのは、本来ならばもう少し基礎理論の解明に力を入れるべきだろうな、ということです。企業経営に関する諸理論に基づいて授産・就労系諸事業の工賃向上戦略を解明することはとても有意義なことだとは思います。しかしなお、その独自性により残るべき問題というものが存在し、そこを残したまま理論の輸入(企業→福祉)に頼っていては残るべき問題が依然取り残され、実体論的には福祉・就労系事業の二極化が進むだけのような気がします。もちろんそれはそれでいいのかもしれませんが、やはりなお「工賃」に関する全体を包み込む基礎理論というものの解明が必要なように思われます。

経済政策論や社会政策論等の分野においても、外国から輸入された理論をそのまま適用しても、あまり結果には結びつきません。それぞれの政治経済的あるいは宗教・文化的な歴史的特殊性に踏まえて理論は再構築させなければ、思うような結果は得られないのです。

外来生物が在来種を駆逐するという事例は、この場合の例えにはならないかな?

話を戻して。

「就労支援の事業の会計処理の基準」というものが厚生労働省より示され、とりわけ原価計算をきっちり行えるような会計処理方法が示されました。私なりにその「目玉」と思うのは、「就労支援事業製造原価明細表」、「販売費及び一般管理費明細表」の作成を「就労支援事業別事業活動収支内訳表」の明細表として位置づけるという部分であります。「製造原価」と「販売費及び一般管理費」(「販管費」といいます。)を明確に区分するということ。福祉の現場は、やや製造原価に倒して考えがちな部分があったのですが、「販管費」の概念上の整理によって、マーケティング理論を受け止める土壌が会計処理の分野においても整理されたと認識しています。現場の会計は、しばらくはやや混乱もするかと思いますが、長い目で見たとき、きっとプラスに作用すると個人的には思っています。

簡単に言えば、作ることだけでなく売ることの価値基準を会計処理上でも正しく計るべきだということでしょう。「売ること」からの逆規定を受けない「作ること」は、本当の意味での「作ること」にはなっていなかったということです。あくまでも会計処理の基準・方法に関してのことですが、マーケティング理論を(就労系)福祉の地平において土着化させるための基礎工事は行われたということです。

ただしそれはマーケティング理論に関してのことであり、それは(就労系)福祉事業における工賃向上に関する基礎理論の中の一部を構成するものに過ぎません。

(これ以上、会計の話を引っ張ると9割の方が引いてしまうので、止めます。)

基礎理論の解明が重要だといいながら、もちろん私にそんな力はないし、私の任務だとも思っていません。ただし、現場のど真ん中の視点として「この辺の理論領域を解明すべき」という提案ならできるかな、と思います。

それを多少シリーズ化して、小出しにしてみようかな、と思いました。読者数が減れば、その時点で辞めようかな(笑)。

おっ、仕事が舞い込んできた。日曜の夜だというのに。ではまた。

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2007年7月11日 (水)

しんちゃん

週末になると、うちの子供たちは「しんちゃんのところに行く~」と大騒ぎ。「しんちゃん」はもともと自閉的傾向が強く、強度行動障害があって、それゆえ車椅子にもなってしまった。そして今はまだ長期リハビリ入院をしている。その病院に行って、しんちゃんに大好きな車のことを聞いたり、車椅子に乗せてもらうのがうちの子供たちの週末の決まりごとになってしまったようだ。

先週末「親父は(疲れているから)また今度にしようよ」と言ったのだが、泣いて抵抗するので、連れて行った。しんちゃんと特に会話をたくさんするわけではなく、たまにベッドに登ってトランポリンのようにして遊ぼうとして私に怒られたり、車椅子に乗って病院の廊下を走ったりして怒られたり、まあそんな感じでした。

また先日、タケシ君のうちに私が行くとき、長男もついてきた。タケシ君のお父さんの体調についての話やその他今後の生活のことなどの話をする。タケシ君は近くで手を振って飛び跳ねていたり、ワーワーをやっている。そんなタケシ君に、長男が近づいたり話しかけたりしている。

「やっぱり、こういう子(知的障害者)をいつも見ているから平気なのね。」とお母さん。普通の子ならびっくりしたり恐がったりするらしい。

確かにうちの子たちは慣れてるよな。我が家にも最近家族になったおじさん(知的障害者)がいるし、いつも一緒に遊んでいるし。作業所の旅行にもついてくるし。

うちの子たちにとって、こういうちょっと変わったおじさんは、近い目線で遊んでくれるから好きなのだろう。

障害者のホームステイみたいな事業ってあったら面白いのにな。

さあ、今日も仕事。今日はソフトボールクラブの練習もあります。週末あの全国レベルの強豪、習志野高校女子ソフトボール部との交流試合もあります。

いつも本気で試合をしてくれるので、もちろん30-0とかで負けてしまうのですが、なんとなくすがすがしいのです。本気でやってくれるのは、うれしいことだし、試合をしてくれる彼女たちも、障害を持つ人たちとの付き合い方(普通に接する)をこういう機会で感じてくれればなおいい。

じゃあまた。

しんちゃん、今週は忙しくて顔出せないかもしれないけど、病院で騒いだりするなよ!騒いだら、看護師さんからすぐに報告もらうようになっているんだからな!

看護師さん、リハビリの先生。すみませんが、よろしく。しんちゃんがもう少し元気になったら、カラオケにいきましょう。

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2007年7月 9日 (月)

脱落

昨日の記事、主要箇所(足立区の事件の背景の説明)が脱落しており、修正を加えました。9日朝以前に読まれた方は、もう一度お読みください。

先日、法人会の懇親会があり、「㈱ふくしねっと工房」として参加、アピールをしてきました。でも全然ダメ! どうも企業のほうの集まりに参加すると、どうも肩身の狭い思いというか、他人の土俵で相撲を取っている感じでドーンとできません。腰も低くなっています。<善意を求めているのでなく、パートナーシップを求めているのだ>と自分に言い聞かせ、参加しているのですけどね。

もちろんいい話のいくつかは頂戴しましたけどね。小さく頂き大きく育てるといった感じの。

「ふくしねっと工房」のお取引先の福祉事業者様もこれを読まれていると思いますが、少々お待ちくださいね。いい話が来るかもしれません。でもいつもそうですが、<いい話>をすべてのお取引先にご提供できないのが心苦しいです。

会社を始めて、もちろんいいことはたくさんありますが、福祉事業者のみなさまにお待たせしている時間はなんとも苦しい限りです。仕事を待つ間、障害を持つ方々はその場所でどう過ごしているのかなあと思うと、「ごめんね~」という感じ。顔出して喜んでくれると、本当に嬉しいのですけどね。

家族からは「もう少し儲かる会社にすれば」というご意見も頂戴することはありますが、聞く耳持たずです。

「工賃向上」? そういえば、オレ自分でやってるじゃん。別に公費投入されなくても、ささやかだけど、結果を残しているじゃん。

ではまた。

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2007年7月 8日 (日)

足立区学力テストの件と「工賃倍増計画」、および鼻くそについて

 東京都足立区のある小学校で、区独自の学力テストの集計から障害児3名の答案用紙を除外していたというニュースがありました。また他にも点数を上げるための不正もあるようです。(7月8日朝刊)

 この事実に対して、良心的な障害福祉関係者は憤慨するでしょうし、良心的な学校教育関係者は「起こるべくして起こった」と落胆するでしょう。

 このブログは、障害福祉関係者の読者が割合的に多いと思いますので、ちょっと説明します。

 足立区教育委員会は、昨年10月、学力テストの結果によって、小学校計72校、中学校計37校をそれぞれ4段階にランク分けし、最大約500万円から約200万円とする方針を打ち出しました。(一度「撤回」発言もあったが、事実上その方針で新年度を迎えました。)
 これほどまでして足立区が「学力向上」をめざしている直接の動機としては、東京都と区が実施している学力テストの結果が23区中23位、つまり最下位だったことがあげられます。「予算」という「エサ」と「脅迫」により、各校を競争させることにより学力アップを目指そうというやり方です。そして朝日新聞の報道では、小学生の間でも「エリート校」「バカ学校」という言葉が飛び交っている状況にあるようです。おそらく報道されたこの小学校以外も、似たり寄ったりのことがあるのでしょう。

 そして「平均点向上」のための奥の手として、障害児3名を集計対象から外すという行動に出たのでしょう。また、その他にも「学力テスト平均点向上」のためのさまざまな不正が行われていた可能性も指摘されています。

 東京都が、もし東京都の学力テスト平均点を出すときに、最下位の足立区を集計から外していたとしたらどう思うのでしょうかね。それと同じことを平気でしているのですよね。

 この学校の先生方、学校関係者、足立区の教育関係者の資質に問題があるわけではないでしょう。「何としても学力を上げたい」という思いがいつの間にか一人歩きして、当初の目的を見失い、手っ取り早い平均点アップの方法に手を染めたということでしょうか。「平均点」の向上ためには、弱者の切捨てがもっとも手っ取り早いのでしょう。

 千葉県には「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県作り条例」(「障害者差別条例」)があります。行政の方々も、福祉関係者も、この全国唯一の条例に誇りを持っている方が多く、私自身も半分は(*1)「いいことだ」と思っています。

 (*1)「半分は」とつけたのは、本来はこんな条例を必要としない社会こそが望ましいからです。障害者の差別に関する条例が必要な社会というものは、障害者(等)の差別が根強く存在している社会ということになります。「健常者への差別を禁止する」とか「男性への差別を禁止する」とかという条例はないでしょう?そのような条例が生まれる物質的根拠が存在しないからです。行政の方々は条例によって差別をなくす・減らしていくという考え方をするのは当然ですが、地域福祉の現場からすれば、逆の視点も必要です。差別を生み出す社会的背景を地域福祉の実践によって改善していくことこそが地域福祉の視点です。「そんな条例、うちにはいらないよ」という社会こそが望ましいのです。そういう社会でないこと自体が、我々地域福祉の実践家の反省材料なのです。そういう条例が必要だったという現実自体が我々に反省を要求しているのですよ。条例成立に大騒ぎしているみなさん、足元をどうぞご覧下さい。みなさんの回りをどうぞご覧下さい。そこに見えるものが条例を必要とする物質的根拠です。そしてそこがあなたのフィールドです。あなたの責任領域です。そこに立ち返りましょうよ。

 お~っと、話を大きく戻します。千葉県にそのような条例があるというところに戻しますね。このような条例がある千葉県なのだから、足立区の小学校のような事件がなければいいな、と思いますが、心配もあります。ましてや「教育」の世界でなく「福祉」の世界ではこのような<弱者切捨て→平均点向上>のような馬鹿げたことはないだろうと思いたいのですが、これもまた心配があります。

 千葉県は、さきのような条例をもつ県です。「障害者福祉先進県」を目指すことは当然のことでしょう。他方千葉県は、障害者施設・作業所の「平均工賃」が全国で下位に甘んじています。そこを改善したいと思うことも当然のことでしょう。そこに国から「工賃倍増計画」に関する予算が降ってきた。(1000万~3000万?)「よしっ」と思うのも当然でしょう。

 でもその「よしっ」という気持ちは、ある意味先ほどの足立区の教育行政とそのブレーンの教育関係者の「よしっ」という気持ちと大きな違いはないはずです。足立区も都内最下位の「平均学力」を引き上げたいという強い思いで改革に乗り出したのだからです。

 要は、そこから足を踏み外さないよう自己点検が必要だということです。弱者切捨てで「平均学力」を表面上押し上げようとした足立区と同じ道を歩んではいけないということです。それが本来の「障害者差別条例」を持つ千葉県のスタンスであるべきです。

 「平均学力」も「平均工賃」も、ある意味同じ落とし穴があります。「何のため?」という視点を失うと、一人歩きしてしまう恐れのある数値だということです。本来中味のない数字のはずの「平均」を実体化してしまうと、とても危険だということです。弱者切捨てにつながりやすいということです。「教育」の世界でどうかということは私の専門外なのでコメントはしませんが、少なくとも「福祉」の世界の絶対的な前提は、弱者の視点に立つことです。実体化された「平均」は、常に弱者に冷たい眼差しをおくります。

 簡単な話、生産性の低い障害者を入れれば、その施設の平均工賃は下がります。切り捨てれば平均工賃は上がります。

県の単位で考えた時、何の作業をしていいかさえ分からず困っている施設・作業所を無視して、強者を育成・養成しても、県の「平均工賃」は上がります。これまで行く場所もなく自宅や病院、入所施設から外に出ることがあまりできなかった多くの障害者が「まずは外に出ること。地域の中で日中活動の場をもつこと。」を目指して、作業所などが急速に増えたとしたら、県の平均工賃は下がります。意地悪な言い方をすれば、「まずは日中の居場所を作りたい」という場所を、その地域からなくしてしまえば、その分「平均工賃」は上がるでしょう。極端な話、「工賃倍増」は簡単な話です。

 「平均工賃」なんて、そんな数字でしかないのです。しかしそれが実体化され、ある意味魔力を持つと、とんだ間違いを起こす恐れもあるということです。

 とりわけ千葉県の福祉行政が「工賃向上」を考えるなら、何よりもまずボトムアップを考えるべきです。数字の話は好きではないのだけれど、あえて言うならば「工賃1万円」に届かない施設・作業所に対する支援をまずは考えるべきだと思うし、数字的な結果が欲しいのならば、「工賃1万円」の達成数(割合ではない)を大切にすべきです。

 現場の感覚からして、障害者の給料、1万円に届くかどうかは大きな意味を持つような気がします。初めて「給料1万円」を、障害を持つ仲間が持ち帰った時の親の顔を見れば分かります。施設・作業所に「障害を持つわが子の面倒を見てもらっている」という意識が、「この子、働いているんだ」に変わるのが、この「1万円」だと思うのです。(一般論ですけれど。)「行ってらっしゃい。頑張って。」と送り出される関係が築ける線が、一般的にはこの「1万円」にあると思います。

 障害福祉サービス費の自己負担分を除くならば、交通費・食費などの利用諸経費(支出)を超えるためにも、この1万円という線が大切なように思います。

 もちろん「1万円でいい」と言っているわけではありませんし、事実私の作業所ではその「1万円」の線は楽に超えていますが、「これでは足りない。もっと増やしてあげたい」と日々考えています。

 しかし県全体の施策を考えるならば、「働いている」という実感の沸く最低ラインとしてのこの「1万円」を達成するための施策を打つことが、もっとも千葉県らしいことのはずです。「草の根的」な地道な活動を重要視した施策が、本来は望ましいと思われます。

 別な視点から考えます。障害者が差別される際の根源的な背景は、社会そのものの根源的な存立条件が生産諸関係にあるということです。つまりその社会の生産諸関係の様態が社会の形態・様相・意識を根源から決定しているということであり、障害者差別が生まれる物質的な根拠は、障害者がその社会における社会的生産諸関係からはみ出していることにあります。そしてそのことがまた、障害者就労に関する福祉行政が存立する根拠でもあります。今の社会の生産様式・生産諸関係からはみ出された障害者たちにいかに就労の場を提供し、障害者差別が生み出される社会的生産関係における矛盾点を補完するか、それが就労に関する障害者福祉行政の立脚点であるはずです。

 

 「福祉」はあくまで社会にとっては「補完」であって、「補完」は矛盾を前提としています。矛盾に盲目な「補完」はありえません。矛盾に立脚しつつも、同時に現実肯定的・追認的な立場で「補完」は成り立つのです。ただし「補完」は矛盾の縮小をこそ願う立場であって、矛盾の拡大再生産に対しては断固たる拒否の立場をとるべきであります。社会の矛盾を、障害者福祉の世界で拡大再生産させることだけはしてはいけないのです。そのような意味でも、障害を持つ人が社会的生産関係の中でそれなりの役割を果たせるという実感の、文字通り最低サインを「1万円」に置くならば、そのラインにこだわりを持ってもいいのではないでしょうか。

もっとも、事実として作業所等には障害の程度・種別などによって「最低1万円」さえもかなり厳しい仲間たちがいることも事実です。しかしその彼らの数百円・数千円の労働の価値を、価値としてしっかり受け止めてあげることももうひとつ大切な視点になりますが、これは現場の人間の考える領域です。

話が大きく蛇行をしています。

さて、どうまとめましょうか。

このブログの記事、誰が何に使っても構いません。私、友野剛行の執筆です。やたらと「鼻くそ」だの「うんこ」だのと連発するブログを書いております。

鳥取の方々も読んでいただいてますよね? どう思います?

ではまた。

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2007年7月 1日 (日)

アオムシを囲む人々

日付が変わろうとしている。それでもアオムシは頑張っている。わき腹からまたひとつ寄生蜂のマユを出した。そして体液が染み出している。おそらくこれが最後の寄生蜂のマユだろう。

長男の風歌は言った。「アオムシ、頑張ってる。だけど蝶にはもうなれない。」それ以上は語らない。慎重に言葉を選ぼうとして、そして結局選ばれた言葉はない。それが沈黙。

妻は金魚たちの世話をした後、アオムシのかごに目をやる。金魚たちはあの重い病気を乗り越えて、今日妻の判断で、やっと淡水に戻った。アオムシをしばらく眺めて、子供たちを連れて二階に上がっていった。

わたしの母が、深夜起きてきた。「アオムシ、きっと痛いんだと思う。どのくらい痛いんだろう。このまま生かせておくのがかわいそう。末期がんの人を見てきた。ただ痛いだけの状態がかわいそうな気がする。いっそのこと楽にしてあげたほうがいいんじゃないか、と思う」。そういい残して部屋に帰っていった。反論はできなかった。でも<命>って、痛いとか痛くないとか、展望があるとかないとか、そんなものの向こう側にあるような気もする。

明日からまた仕事頑張ろうと思う。

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アオムシ、ありがとう。

先週末、我が家の家族になった「トモノアオムシ」が、1週間猛烈に食べ続け、やがて虫かごの屋根によじ登り、さなぎになる準備に入ったことは、前回までのブログで書きました。長男・風歌(ふうた)やその友達のことちゃんが、とても大切にそのアオムシのさなぎの準備を眺めていました。

先日の朝、アオムシの様子がおかしい。へんな白い糸がわき腹からたくさん出てきて、アオムシは明らかに苦しんでいます。私は妻と風歌に「アオムシの病気について調べておいて」と言い残し、仕事に出ました。その日の仕事は忙しく、帰りは深夜になってしまいました。翌朝風歌に「アオムシはどうなった?」と聞きました。

「アオムシはねぇ…。食べられちゃったの。」重い口を開いて風歌が答えました。私にはまったく理解のできない答え。虫かごの中にいたのに、何で食べられちゃうの?

妻が説明してくれました。以下、妻の答えのすべてです。

アオムシは、寄生蜂(アオムシコマユバチ)に寄生されていた。この寄生蜂は、アオムシに卵を産み付けられ、幼虫となり、アオムシの体内で食い荒らし成長し、アオムシがさなぎになる準備に入った時を見計らって外に出てくる。そして出てきてすぐマユになる。およそ30匹。さなぎになるために天井で準備をしていたアオムシにその30個のマユが固まっている。すでにその蜂の30個のマユの方が、アオムシよりも大きくなっている。

トモノアオムシは、それでも生きている。食い荒らされた下半身はもう動かなくなっているが、体中に張り付いたマユから何とか逃れようと頭を動かし続けている。

アオムシは、蝶になることもさなぎになることも、もうできない。大好物のキャベツを5日間食べ続け、あんなに大きくなって、そしてさなぎになる準備に入った。しかしそれは、寄生蜂のために食べ続け、寄生蜂のために天井に登っただけだった。

「アオムシは、お腹は痛かったと思うけど、蝶になろうとして天井に登ったんだよね」と妻。「きっとそうだよね」と私。

風歌も「蝶になったらサヨナラするんだ」と語っていた。いい<サヨナラ>を待ち望んでいた。

あまりにも残酷な話だ。風歌は「腹ペコアオムシ」のアニメDVDを何度も見て、最後に蝶になる姿を繰り返し見ている。我が家のアオムシのことはもう何も言わない。

私は、寄生蜂のマユを鬼のような形相で全部壊し、アオムシを天井からキャベツの葉っぱの上に戻した。体はもう半分の大きさになってしまっている。さなぎになる準備をしていたアオムシだから、もうキャベツは食べないのかもしれない。実際食べてくれない。もちろん食べたとしても、さなぎにはなれないだろうし、そもそも食べた物が消化されてウンチになることもないだろう。

でもあんなに大好きだったキャベツの場所に、どうしても戻してあげたかった。一口でもいいから食べて欲しいな。

最後は本当に自分のために。

でも私が殺した寄生蜂のマユも、蜂の赤ちゃんです。蜂も可愛い赤ちゃんを産むために、卵を産みつけたのです。そう考えると、何がなんだか分からなくなってきた。妻もこういいました。

「自然は恐いね。でも私たちが生きていることだって、このアオムシと寄生蜂の関係とあまり変わらないんだよね。いろんな命の犠牲の上で生きてるんだよね。」

「そうだね」と私。

今、このブログを書いている途中、下に降りてアオムシを見に玄関に行った。そこには妻がいた。お互い顔を見合わせ、ちょっと哀しく笑った。アオムシはまだ生きている。

アオムシ、ありがとう。今度生まれてきたら、きれいなモンシロチョウになってね。

そして寄生蜂のマユたち、ごめんなさい。あなたたちを殺すことはなかったかもしれません。

B0025008_22102251 これがアオムシと寄生蜂の写真です。

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2007年6月29日 (金)

アオムシのその後

今日、仕事から戻ると、「おかえりなさ~い」の数がいつもより多い。ことちゃんとのんちゃんがまた遊びに来ていた。お母さん頑張りすぎてない?

そして虫かごに目をやると、アオムシがいない。長男が「アオムシはねぇ。さなぎになる準備をしているの」。ことちゃんも続けて言います。「上のほうにいるよ。さなぎになるときに動かすと、死んじゃうんだよ。だから動かしちゃダメだよ」…「分かった。」

さなぎになったら、次は本当に蝶になります。蝶になったらサヨナラをしなければなりません。長男にそのことを話すと、意外にも納得していました。以前なら「絶対にサヨナラしない!」と駄々をこねるところなのに。

私の会社の方は、また仕事がドーンと入りました。県内の各福祉施設に発注する仕事です。今回もまた儲けはとりません。かなり率のいい仕事です。どこにどれだけ回すか、とても頭の痛い問題です。たくさんの作業所・施設から「仕事をくれ」といわれておりまして、そのすべてに応えられないのが心苦しいです。

昨日は県庁で会議。「行政としての(作業所の)立ち上げ支援のあり方について」という内容。ん~難しい。行政の仕事を民間がやるということは、意外とスムーズな場合が多い。しかし本来民間の仕事を行政がやるとなると、これが結構難しいというか、…疑問符がたくさんついてくる。

やはり地域福祉は、地域に根っこをはるその力強さこそか定着・安定する鍵です。あえて手を差し伸べてはいけない領域があるようにも思えます。

養殖は天然には勝てない。

会議のあとは、酒の席。いろんな話が聞けました。今日、このブログを開いた人の中には、「自分のことが書かれているんじゃないか」とヒヤヒヤしながら開いた人もいるのではないかと思います。

大丈夫です。しかし9月が楽しみです。船橋が変わるかも?

こんなことを書いている間に時間は刻々と過ぎていきます。明日は午前中職員会議のあと、午後講演を頼まれています。講演と質疑応答で3時間をどう費やすか。まだ何も考えていません。貴重な週末に聞きに来てもらうのだから、参加者一人一人に「来てよかった」と思ってもらいたいのですが、何を話せばそうなるのか、まだ見当がつきません。このまま何も準備をしないで行ったほうがいいかもしれないという気にもなってきました。(逃げかな?)

今日は一日牛乳配達をしました。10年前からのお客様、笑顔はぜんぜん変わらないのだけれど、そのおばあちゃんがずいぶん小さくなってきたように思います。これからもずっとその笑顔でいてもらいたいです。

講演準備は、もう諦めた!

ごめんなさい!

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2007年6月27日 (水)

アオムシは今

アオムシは今、猛烈に食べています。自分の体よりも一日のウンチのほうが大きいのです。もう4日間、我が家はアオムシの話題ばかりです。

なんでもそうですが、やはり出会いを大切にすることです。出会ったことによって面倒な部分もある場合もあるでしょう。でもその出会いを大切にしていれば、必ず報いはあるのです。それを期待するのでなく、そうなった結果に感謝することが大切です。

キャベツを猛烈に食べ続けるアオムシは、毎日ものすごい勢いで大きくなっている。8mm程度で我が家に越してきたアオムシは4日間で30mmに。4日で4倍?

これを見ていて、これまで野菜が嫌いだった長男が「ぼくも大きくなるよ」と、キャベツをたくさん食べるようになりました。

大人たちが、ガミガミ言っても食べない野菜、それをわずか数十ミリの小さな家族が食べてそして大きくなる姿を見せることで、簡単に解決してしまったのです。

アオムシのおかげです。

福祉作業所から就職していった仲間たちも、みんなが欲しがるようなゲームなどをたくさん買い込んで、たまには作業所に見せびらかしに来てくれればいいなあ。就職すればこれだけいろいろ買えるという姿を見せに来てくれればいい。そうすればみんなもっと「就職したい」っていう気持ちになるだろうなあ。

無理かな?

下に「害虫駆除なら」というスポンサーリンクが貼ってあることに驚きます。ちゃんと読んでから貼れよな!

あっそうそう。今日、このブログを読んでくれている方から、私のところで働きたいというお手紙をいただきました。お電話して面接日などを設定したいと思いますが、今日はもう遅いので、明日にでもお電話差し上げます。

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2007年6月25日 (月)

アオムシ

週末、私が料理をしている時、ほうれん草に蝶のさなぎを発見。長男に見せたら大喜び。「アオムシがさなぎになったんだね。蝶になったら、ぱ~っと飛んでいくよ」…結局、我が家の庭のトマト畑でさなぎを飼うことにした。

そうそう、長男も4歳になりました。まだ年少組です。

さなぎの様子が気になり、すぐに庭に出ようとする長男。網戸を開けたまま庭に出てしまうので、蚊がたくさん入ってしまう。長男に「蚊が入るから閉めて!」というとなぜか変な格好(志村けんのアイ~ンみたいな格好)で固まっている長男。「何してるの!」というと「ちょっと待って!すぐ終わる」と彼。よく見ると肘に蚊が止まっていて、長男は蚊が血を吸い終るまでじっと待っていた。長男は蚊を殺すことも許してくれない。もし次男(2歳)がコガネムシの胴体を引きちぎって「あっぶっ壊れちゃった~」などと言っているのが長男の目に止まったらと考えると、とても恐ろしい。

とにかく、そんな長男が庭でさなぎを育てている。

その翌日、今度はアオムシが小松菜に乗って我が家にやってきた。8mmほどの小さいアオムシ。当然長男は大喜び。庭のトマト畑での飼育が許されなかったので、虫かごで飼うことになった。このアオムシの可愛さには、長男だけでなく、家族全員が夢中になった。日曜日は我が家の中心にこのアオムシがいた。かなりの偏食家のアオムシで、小松菜、キャベツが大好き。タンポポは拒否。何を食べて何を食べないかで家族の輪ができた。

「このアオムシは、いっぱい食べてさなぎの中に入って少し休んで、今度出てくるときは、蝶になるんだよ。オモシロ蝶になるよ。」と長男。

「オモシロ蝶?」…すぐにその意味が分かって爆笑してしまった。庭でさなぎを見ながら私とばあちゃんが「これはモンシロ蝶だね」と話していたのを長男が聞いていて、「モンシロ蝶」が「オモシロ蝶」になったのでしょう。

じゃあ、このオモシロ蝶のアオムシの名前を決めよう。

長男がすぐに提案。「トモノアオムシ」。

「えっアオムシっていう名前?」と私が聞くと、「違う!トモノアオムシ!」と長男。

4歳児の頭の中では、トモノアオムシは、すでに家族なのでしょう。家族はみんな同じ苗字を持つから、同じ苗字をつけたのでしょう。「でもトモノアオムシは、トモノタロウ(我が家のカラス)に見つかったら、すぐに食べられちゃうよ」と周りが言うと「絶対にダメ!」と拒否する長男。

日曜日はそんなアオムシデーでした。ただ不幸なことにこのトモノアオムシ、次男の目に止まり、次男は夜、虫かごを振り回したり投げつけたりして遊んでいました。(長男は見ていないようです。)しばらくじっとして動かなかったトモノアオムシですが、夜の11時ごろ、再びキャベツを食べ始めたのでひと安心。アオムシの運命や如何に。

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2007年6月24日 (日)

本当に書きたいこと

本当に書きたいことは、自分に対して書き残しておきたいことであって、そのほとんどはここに記すことができないもの、あるいはかなり抽象的にしか書けないものばかりです。

それはあまりにも人間的で、あまりにも具体的で、ときに切迫しており、ときに重すぎることであったりします。

A君のお父さんは、以前たまにA君と面会する時、私も誘ってくれて、よく3人で食事をしました。飲むと必ず「A君が生まれたとき、どんなにうれしかったか」を何度も繰り返し話してくれます。東京で仕事して、終電で地方の妻の実家に駆けつけ、生まれたばかりのA君を一晩中眺め、始発で戻ってきて仕事をする。そんな毎日だったと飲むと必ず語ってくれました。A君は今、大変な病と闘っています。当然お父さんも闘っています。生まれたばかりのA君に寄り添っていた時と同じ気持ちで、お父さんも闘っているのでしょう。

B君は、昨日お父さんを亡くしました。これから男として、若いお母さんや妹を支える柱になるために強くなっていかなければなりません。昨日訪問して、本人にはそのことを告げ、お父様にも約束してきました。

Cさんは、非行と虐待の渦中にいますが、何とか働く喜びと責任感の中で、失われつつある本当の自分を取り戻そうとしています。過去何があったかは別として、働いている彼女の目は澄んでいます。さまざまなデータ・情報が入ってきても、私が確認できる唯一の真実は、目が澄んでいるということだけです。

今、A君からCさんまで書きましたが、アルファベットでは足りないくらい、たくさんの現実に面しています。それが地域福祉の現場です。

県の「工賃倍増計画」という鼻くそ程度の問題も、こうした現場の視点で考えていくしか、私にはできません。でもその任務を受けている以上、真剣に考えていこうと思います。

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2007年6月18日 (月)

父の日

月曜日、今日は一日憂鬱な気分が抜けませんでした。何をやっても失敗しそうな気がして、いつもは秋空のように澄み切った私の頭の中の事業構想にいきなり雷雲が立ち込めたような感覚。まあ、明日には復活しているんだと思いますが。ビールを適量処方すれば。

昨日、長男の幼稚園の父親参観に行ってきました。初めて見る息子の幼稚園での生活。でも息子はおやじに気ばっかり使って「あの子がリンゴ組の○○ちゃんだよ」とか「△△君はイタズラばっかりで、すぐ怒られちゃうの。」とかと説明。「そんなことはいいからいつもの姿を見せてよ」・・・。

みんなで何曲も歌をうたっていたり、長い手話をみんなでやっていたり、「ここまで教え込むのは大変だったんだろうなあ」と感心しました。そしてその輪の中に長男が普通にいることに感動しました。お父さんのための歌もみんなで披露してくれて、手作りのプレゼントを一人ひとりのお父さんが子供から受け取ったりして、私も「親父、いつもありがとう」と言われて泣きそうになりました。終わった後では、それぞれの父子が愛情たっぷりに抱き合う光景がたくさんありました。どの家族にとっても、忘れられない一日だったでしょう。

でも、私は仕事柄、ちょっと胸が苦しくなったのも事実です。障害者の日中活動を支える場というものは昨今ではたくさんありますが、うちは特に本当に行き場所がない仲間たちが最後に門をたたく場でもあります。生活支援の体制が取れなければ支えきれない仲間たちが多いということです。「行き場所がない」ということにはさまざまな理由があって、家族の問題がその1番の理由です。事実、私が毎日接している仲間たちには、小さな頃から親と離れて生活するしかなかった仲間も多いのです。

私なりには「彼らはきっと寂しかったんだろうなあ」と考えてはきましたが、実際にこうした親子で感動するような演出などが幼稚園や学校などで普通に行われているのを肌で知り、その暖かな輪の中に身を置くと、「彼らはこういう環境の中でひとりたたずんで何を思っていたのだろうか」と考え込んでしまいました。

本当の意味で心の交流が難しい彼ら。心の扉が厚い彼ら。その扉を叩く日々の中で、彼らの幼少時代の孤独を私なりに想像はしてきましたが、想像とはおそらくまったくレベルの違うものだったのだろうと、この父親参観で思いました。

父親参観から家に帰り、妻などは「どうだった?よかったでしょ?」といろいろ聞きだそうとします。息子も「どうだ!」とばかりに得意そうな顔、満足な顔でこちらを見つめています。その言葉と心に応えたかったのですけれど、素直な感想をストレートに妻に告げることはできませんでした。「親がいない子のことを想像して胸が苦しくなった」などと家に帰った直後に言えないでしょう。(このブログで妻に白状したことになりますが。)

息子にはそんな寂しい思いをさせたくないと思う反面、第二、第三の息子のようなあの連中(障害を持つ仲間たち)の心の闇を少しでも触れたいと思う気持ち、それらが交差して、得意の自己嫌悪にも発展。直接にはあれだけ頑張って歌や踊りを覚えて披露してくれた息子を前にして、モヤモヤした気持ちを抱いている自分への嫌悪かな?

これが今日一日の憂鬱の正体かな? 自分でもよく分からない。

でもありがとう。

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2007年6月15日 (金)

大雑把その2

前回の続き。

逆にもともと大雑把な人がきっちりとした仕事の結果を返していくために必要なことは…。

自分がそうだったので、「簡単じゃないぞ~」というのが結論です。

一点だけ、大切なことを挙げるとすれば、<自分の中に自分を懐疑的に否定するもう一人の自分を作る>ということです。

「終わった~」という自分に対して、「お前がミスしないはずない」「お前の仕事はテキトーだ」という自分が常にいることです。その懐疑的なイヤミったらしい自分とケンカしながら仕事をこなしていけばいいのです。

まあ、<自分の中にもう一人の自分を作る>ということは、大きく言えば<大人になる>ということだと思うのですけどね。片足で立つよりも2本の足で立つほうが安定する。自分を懐疑的に否定するもう一人の自分をまずは育てて、その自分とバランスよくうまく付き合うことです。

それは同時にまた、感情のコントロールにもつながります。子供のような感情を爆発をさせるタイプは、<もう一人の自分>が育っていないのです。いくら自分がさまざまな経験をして反省していっても、あるいは努力をして自分を築き上げても、<自分を懐疑的に否定するもう一人の自分>が未形成だと、やはり弱いのです。片足をいくら鍛えても、片足だけで相撲をとったら子供にだって負けてしまいますよね。

これは人との関わり方にもつながっていきます。

朝、これを読んだ人は、なんとなく嫌~な朝になってしまいましたね!

でも頑張りましょう!

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2007年6月14日 (木)

大雑把

仕事をこなす上で、大切なことはポイントをつかむということである。ポイントをつかむということは、集中すべき部分、大切に扱うべき部分を仕事の全体の中から見つけ出すということである。

仕事の全体像を大雑把に把握し、その中でポイントを整理すること。そのポイント以外はできるだけエネルギーと時間を抑え、ポイントを浮かび上がらせること。そしてそこに集中すること。

そのためには<大雑把な仕事の仕方>を身につけることも大切。デジカメで例えるならば、画質を落として一定の容量あたりの写真の数を増やすこと。

もともと大雑把な人が、ポイントにおける集中力を身につけるためにはいろんな力をつけなければいけない。しかしもともと一点集中型の人が<大雑把な仕事>を身につけるためには、そんなに多くの能力は要らない。

「勇気」…これだけだと思う。抽象的ですね。例えるなら、100点を常に期待されている人が、60点の答案用紙を堂々と持ち帰る「勇気」みたいなものでしょうか。手を抜いた部分は手を抜いた結果しか返ってこない。しかしその結果をも自分の結果として受け入れる「勇気」と言い換えましょうか。「これでいいんだ」と納得する力。

その向こうにある集中すべきポイントさえしっかりと見据えていれば、構わないことなのです。

「おいしいカレーを作って欲しい」といわれて、まず人参とジャガイモの栽培から始めてしまったら、相手のニーズには応えられません。そこらのスーパーで適当に安い食材を集めてきて、「さあ、どこでおいしいといわせるか」を考えればいいのです。隠し味としてのニンニクと蜂蜜のバランス、この一点に集中する、とかね。

さあ、仕事に行こう。

追伸:「おいしいカレー」のためには、「あぐり」の野菜を使いましょう。「そこらのスーパーで」というのは、撤回!

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2007年6月 6日 (水)

千客万来

今日は一日「リサイクルショップクローバー」のお店番。客足としてはイマイチの日。5時になり「さあ、店を閉めよう」と思ったところで思わぬ客。

スズメバチ!

彼は店内を見回して、品定めをして結局レジの上の天井に立ち止まり、巣作りを始めた。

気に入ってくれたのは有難い。しかしここは私の店だ。巣作りしたい気持ちも分かる。俺だって巣作りしたくてこうしてここで頑張ってるんだ!

そうは思いつつも、店長(私)、真っ先に逃げた!おっと、仲間たちを忘れた。仲間たちを私の車に避難させる。しばらくしても彼は動かない。仕方ない。殺虫剤を買いにいってターゲットに向けて発射。店員全員私の車で待機。普通の殺虫剤で効くわけがない。しかし居心地は悪くなったようだ。巣作りをやめて飛び回っていた。入り口を開けるがなかなか出て行かない。

他のお客様もいらっしゃったが、先客(スズメバチ)がいたためお帰りいただく。かれこれ30分くらいか。浅間山荘事件のようだ。

しばらくすると、彼は帰っていった。高々と舞い上がり、消えていった。

その30分間、お店は機能せず。

収穫があるとすれば、その30分、みんなの心が一つになったことか。

そう考えると、どこかで元気でいてくれたらいいな、と思う。

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2007年6月 5日 (火)

苦情男

 みなさん、体調はいかがですか?私は妻や子供の看病をしたり仲間たちの病院に通ったりしている間に、いつの間にか質の悪い風邪にやられてしまって、足腰が立ちません。それでも10年以上無遅刻無欠勤なので、仕事はちゃんとしておりますが。(偏頭痛もちは、ある意味、丈夫なのですよ。どんなに辛くても偏頭痛の痛さに比べたら屁でもないわけですし、それはもう30年以上耐えてきているわけですから。偏頭痛のひどい時に比べたら、金槌で指先叩かれた方がよっぽどましですから。)

 さてさて、そんな時に来ました。昨日、苦情が。「責任者を呼べ!」・・・はいはい、行きますよ。この安っぽい頭、仲間たちのためなら何度でも下げられますから。現場に向かう車の中では吐かずに頭を下げる練習です。脂汗です、まったく。

 先日お寿司のカタログを配っていた作業所の仲間たちが、女子寮のポストなどに投函中にL字型のドアノブを触っていて、もし開いたらどうするんだ、ということです。そのお怒りはもっともなことです。

 その日担当していたイタルさんとクニちゃんは、もちろん女性の部屋に興味を持つタイプではない。故意に開けようとしたわけではないのは分かります。でもなぜ?

 二人を現場に連れて行き、話を聞いても「???」…まったく身の覚えのない様子。現場責任者のイタルさんはもちろんのこと、クニちゃんのことも「そんなことはしていませんでした」と。

 しかし苦情が発生したのは事実。自前のチラシを配っている時なら「やってません」と向かっていってもいい。しかし要はお寿司屋さんに対するイメージがどうかという話です。納得のいかないイタルさんを説得。「大切なことは、これからそのお客様がお寿司をとってくれるかどうかだよね。お寿司をとってくれたお客様のお金が、二人の給料になるんだから。」

 二人を連れて苦情主様のことろに謝りに行きました。<やった、やってない><なぜやった>そんな話はいたしません。「これから気をつけます。申し訳ありませんでした。」これを貫くだけです。

 本当は納得していないイタルさんの謝り方は、しかしとても潔かった。自分のプライドとかそういうものでなく、お寿司屋さんのために、深々と頭を下げ続け、「クニ、謝ろう」と。

 その相手の方はとても親切な人で、「うん、いいよ。いつもありがとう。お寿司とってるよ。今度は気をつけてね」「はい」・・・これで帰ってきました。

 翌日、つまり今日です。今日も二人はお寿司屋さんのカタログ配布。私もついていくことにしました。行く途中の車の中、イタルさんの表情は冴えません。「どうしたの?」「緊張してます」。失敗の理由が分かればそれを修正するだけですが、分からないままリスタートですから緊張するのも当然です。

私はあえていいました。「たまには苦情も必要だよね」。一瞬「えっ」という表情の彼。

「苦情が全然なければ、緊張感はなくなっていくでしょ?たまにこうして苦情ももらって、よしもっといい仕事しよう、と思えばいいんだから。俺たちは昔はたくさん苦情をもらって、ここまで仕事を覚えてきたんだから。その気持ちを忘れるなっていうことなんだよ、きっと。」

イタルさんの表情が急に明るくなりました。明るくなったというよりは、前を見るようになったという感じですが。

さあ、出発地点に着きました。私がイタルさんにこうして付くのは久しぶりです。それも苦情のおかげです。「どこから始める?」私が聞くと、イタルさんが答えました。「あのお店です。」

「えっ!」…あのお店のオーナーは、昨日謝りに行った先の苦情主様です。イタルさんはあえて、そこを今日の出発点にしたのです。

「分かった。ポストに入れずに手渡ししよう。」「そうね。」とイタルさん。

「○△寿司です。昨日は申し訳ありませんでした。」そういいながらカタログを手渡す。昨日その方の自宅に配っているわけですから、その方もカタログがあえて欲しいわけではないはずです。しかし明るく受け取ってくれました。「ありがとう。また寿司とるからね」「よろしくお願いします。」

爽やかな朝のスタートです。きっとそのオーナー様にとってもそうだと思います。

その後、しばらく私はクニちゃんのチェック。イタルさんにクニちゃんの見方をもう一度教えなおす機会です。「ここで待って、クニちゃんの入れ方を見てみな。ここならちゃんと見えるでしょ。ここまで来て確認するんだよ。」

私がイタルさんに付きながらクニちゃんの入れ方を見ている。するとクニちゃんは、ポストに入れ終わった後、鍵穴の部分をカンカンと叩いています。もともと水が張ってある容器の表面をちょっと叩いてみたり、金属のカンカンという音を楽しむことのあるクニちゃん。ポストに入れたら金属部分をカンカン、またポストに入れたらカンカン…。

「これだよ!原因は。」私がそういうとイタルさんもうなずきました。クニちゃんとイタルさんのコンビはもう4~5年。知り尽くしているがゆえに、逆に「周りから見たらどうだろう」という視点を失ってしまうことがあります。我々だってよくあることです。この「カンカン」は、見方によってはドアノブが開くかどうかを確認しているようにも見えます。ましてや女子寮に男性二人が来るわけですからそれだけで警戒されるのです。

それ以降「カンカン」を注意しながらの仕事。始めのうちは注意されるごとにびっくりした表情でキョトンとしていたクニちゃんもカンカンをやらなくなりました。私はこの時点で引いて、イタルさんにあとを任せました。

夕方、イタルさんから終了報告電話。カンカンについては「まだ時々やったりやらなかったりが続いたけど、もう大丈夫です。」と。いい表情で帰ってきました。

みんな、地域の中でいい勉強してるなあ。まあ、俺もだけどね。

まだまだ勉強。

頭下げられる回数より、頭下げる回数の方が何倍も多いのですから。

ふんぞりかえって勉強はできないですからね。

風邪も吹っ飛んじまいました。また明日頑張ろう!

「日中活動の充実?」…ヒントは書いたつもりだぜ。  

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2007年6月 2日 (土)

質的充実・量的充実

千葉県では、来週から(障害者の)「日中活動の場の質的・量的充実のための検討会議」なるものが始まります。「工賃倍増計画策定会議」とはまた別の会議です。障害福祉課長と就労事業振興センター長と私の3名が両方とも出ることになっているようです。民間からは私だけ? 週末ソフトやマラソン大会で遊んでいたり子供と遊んでいたりするので、「あいつは暇そうだから」という理由で、こういう会議に捕まってしまったのでしょう。以後、遊びの記事は減らします。

先日、「社会福祉法人オリーブの樹」(加藤理事長)が発行した「小規模福祉作業所のあり方研究」の発刊記念の宴会に参加しました。この冊子はかなり広範囲に配付されているようなので、もう読まれた方も多いと思います。私もあちらこちらで「読みましたよ」と声をかけられました。執筆者のみの宴会の席は、大先輩たちに厳しい叱咤激励を受けながら、入り口に一番近い席で小さく座って、がむしゃらに食べておりました。でも大変勉強になりました。勉強になるお話を聞けることは分かっていましたので、あまり飲みすぎないよう、忘れないよう気をつけていましたので、食べるほうに専念しました。

さて、「日中活動の場の質的・量的充実のための検討会議」ですが、どんなスタンスで臨むべきかを考えているところです。<質的充実>でいうなら、あまり仕事の充実=工賃向上に偏らないほうがいいと思いますし、もっと私の一番のポリシーである<障害者との関わり方>に絞って考えていってもいいのではという気がします。どう関わるかがすべてです。

また<量的充実>でいってもやはりマンパワーでしょう。作業所一つ背負って立つ人材をどれだけ生産できるかという問題でしょう。そのノウハウをどこに求めていくのかということ。最近の流行では、ビジネスのノウハウに依拠しすぎだと思っています。全然違うんですから。どう違うのかについては、このブログでも過去かなりたくさん書いていると思いますのでここでは略。

ちょっと脱線モード。ここで切ります。緊急事態のため。

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2007年5月30日 (水)

イライラとパズル

昨夜の私は、家に帰ってもしばらくイライラが収まらなかった。家でイライラすることはほとんどないのだけれど。イライラするといっても表面的には無口になっていつも以上に掃除ばかりするだけですから、まわりは「調子悪いのかな?」と思う程度でしょう。

原因は、おそらくパズルだと思います。「リサイクルショップクローバー」で、働く車(消防車、パトカーなど)のパズルが出たので、次男・心歌(こうた)に買って帰りました。中古品ですが、パーツは全部ありました。

家に帰ってお兄ちゃん(風歌/ふうた)に「心歌にパズル買ってきたんだよ」と話すと、「心歌パズルもってなかったもんね。一緒にやろう!」お兄ちゃんも弟もご機嫌でパズルを始める。弟は細かいことは気にしないタイプなのであまりパズルには向かない。お兄ちゃんは1歳の頃から数十ピースのパズルを仕上げていた。だからこれは簡単すぎるのだが、弟のために「心歌、ここだよ~」と説明しながら並べている。弟も大喜び。

ところが、1ピース足りない。絵にポッカリ穴が開いている状態になってしまった。完成されたパズルの絵を楽しみに並べていたのに、最後の1ピースが無くなっていたのだ。途中車に乗るとき、私はパズルを落として、バラバラになったものを全部拾ったはずだった。しかし1ピース無くしてしまったのだ。

2人をとてもワクワクさせて、自分自身もワクワクしながら2人と遊んでいたのに、最後の最後にガッカリさせるだけになってしまった。

そういう自分自身の馬鹿さ加減に対する苛立ちが、妻や子供たちが寝静まった後もずっと体から消えなかったのだ。

朝になって立ち直った。そんな朝、福祉作業所のU君のお母さんから電話。U君が体調を崩し、頭痛がひどいという。今日は休ませることにした。

親たちはたいてい、障害を持って手のかかる我が子を福祉作業所に面倒を見てもらっていると考えている。(もちろんそういう側面はある。)しかしそれだけではない。

みんながパズルの1ピース。全員が集まってはじめて作業所の「絵」が完成する。1ピースでも不足なら、絵としては不完全なのだ。昨夜の子供たちとのパズル遊びと重ね合わせながら、U君のいない作業所を見て、そう思った。

みんな大切な一人一人。早く元気になれ。

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2007年5月29日 (火)

作戦!

障害者福祉の現場でさまざまなハプニングを乗り越え、仲間たちの地域生活を作っていくためには、ときにさまざまな作戦を練る必要がある。その作戦について語ったら、記事は何本でも書ける。

以前、何度もおまわりさんのお世話になってしまう仲間がいた。障害を持つ仲間に対して、基本的におまわりさんは優しいから、その人もついつい甘えたくなってしまうとおまわりさんの世話になる方法を選んでしまう。<優しいおまわりさんから、恐い私が彼女を引き取りにいく>という構図では何度も同じことを繰り返すだけだ。

その日、またしても呼び出しがかかり迎えにいった。彼女に会う前におまわりさん数名を呼び集め作戦会議。そして演技指導。おまわりさんが怒って留置所に入れようとしているところに私が入っていって、「今回だけは助けてください!」と彼女を救出し、「もうしません」と約束させる。おまわりさんもノリノリ。しかもやっぱりホンモノの人たちの演技はすごい。私自身演技だと知っていても恐くなってしまうほどの迫力。私が平謝りをしてなんとか彼女を救出し、車に乗せ、彼女に向かってこういった。「ひどい警察だなあ。あんな連中に今度つかまったら本当に何されるか分かんないよ。次につかまったら、俺、助けられないかもしれないよ。」…ウンとうなずく彼女。

 帰り際、こっそりと私が頭を下げると、おまわりさんたちはニッコリしてOKのサイン。(彼女、この記事読まないだろうな?)ここまで演技をしてくれたおまわりさんたちの想い、どうか彼女に届きますように。

 今日は別の彼が朝から暴れる予感。気持ちが優しく、また動揺しやすいため、社会のニュースに感情を制御できなくなってしまう。今日のスポーツ紙のトップ記事は、ある政治家の自殺とあるグループのボーカルの死去。どちらもとても悲しいニュースです。彼が読んだら動揺を超えて興奮し、時に大暴れになってしまうこともあります。そしてまわりに危害を加え入院騒動になることもあります。こういう時、我々は彼を落ち着かせよう、なだめようとするのですが、それは彼にとって、壁を作ってしまうだけのようです。「俺の気持ちが分からねぇ連中」という印象を与えるだけだからです。余計に独りよがりになってしまうのです。

 今日、私が作業所に入ったとき、彼はすでにスポーツ新聞を買いあさっていました。「調子はどうだ?」と聞くと、「いいわけねえだろ。バカヤロウ!」との返事。顔を近づけて威嚇してきます。

よし、俺が彼よりも興奮してやれ!

私は昨日中日ドラゴンズが負けて、巨人に抜かれて2位になったことを大騒ぎした。中日が負けたという一つのニュースで、相手よりも先に大騒ぎをしたのだ。「ちゃんと応援したか?してねえだろ!どうしてくれるんだ!負けちゃったじゃねえかよ!スポーツ紙を俺に見せたら承知しねえぞ!今日は休みだけど、明日も負けたらお前どうなるか覚悟しておけよ!」

私がニュースで大騒ぎしている姿を彼に見せつけた。彼は引いていた。引いたということは冷静になったということだ。彼は私にこう言った「おい、野球バカ。中日が負けたっていうニュースだけで俺を殺す気か?」

私は答えた。「わかった。俺が悪かった。じゃあこれからはニュースで大騒ぎするのはお互いやめような。」

彼は一日落ち着いて作業をしてくれた。

賛否両論あるかと思いますが、これが私の作戦です。まだまだあるぜ!「バカヤロウ」。

「作戦」といっても、要は相手と同じ目線に立つための工夫です。

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2007年5月27日 (日)

今日は一日、、、。

損益計算書と貸借対照表を作成しておりました。

この両者の絡みって、仕上がるとゾクゾクしますね。誰が考えたんだろう?

ストックとフローの絡みでひとつのモノ(事業)を表現する。

物理学の世界では量子論として、物質(その最小単位)を物質と波の2側面から捉えますよね。互いに他を否定しあうものの弁証法的統一として存在了解します。これは自然によって与えられたものの認識であり解釈なのですけれど、それと同じような論理性を上記の2つは持っている気がします。しかも人間が作り出した経理の方法論。考えた人の頭の中を見てみたい。

そんな悠長なことを言っていられるのは18年度決算だからであって、来年度はそんなこと言っていられないだろうなあ。

今日はとりあえず一人で乾杯!

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2007年5月26日 (土)

僕の骨

前回の記事、タイトルをつけるのに苦労したもんだから「汚れつちまつた悲しみに」なんていうタイトルにした。長男・風歌(3歳)がなんとなく口にした詩のタイトルを、そのままつけた。

今日の朝、4時半に目が覚めてしまった。今日はいつもより出勤時間が遅いため、もう少し寝られるのならば寝ていたい、、、そう思いながら携帯を見ると、メールが来ていた。その詩の先が送られてきた。

    

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も小雪の降りかかる

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も風さへ吹きすぎる

 私も神経や感性がとんがっていた10代~20代の頃、この中原中也の詩を好んで読んでいたが、今では記憶の中でしか読むことがなかった。

 なんとなく気になって本棚の奥のほうに眠っている(「眠っている」こと自体ある意味うらやましい)中也の詩集を引っ張り出して読んでみた。

 詩を読むとき、あまりその人の年譜なり時代背景なりを探るのは元来好きではない。<感じる>と<評論する>は違うからだ。

 早朝から吸い込まれるように読んでいて、ふと気がついた。「20代前半の頃と感じ方が違うな」。

 「ホラホラ、これが僕の骨だ、

 生きていた時の苦労にみちた

 あのけがらわしい肉を破って・・・」

 「おもえば今年の5月には お前を抱いて動物園

 象を見ても猫(にゃあ)といい 鳥を見せても猫(にゃあ)だった

 最後に見せた鹿だけは 角によっぽど惹かれてか

 何とも云わず 眺めてた」

 中也は、長男を2歳で亡くしている。「感性の詩人」「感性の天才」などと言われているし、私もそう思って読んでいたが、そんなレッテル張りはだめだ。どんなに悲しかっただろう。

 また、不思議な詩の意味も分かった。

 「かなしい心に夜が明けた、

  うれしい心に夜が明けた、

  いやいやこれはどうしたというのだ?

  さてもかなしい夜の明けだ!」

 なんで「かなしい」のに「うれしい」のかが分からなかった。「これはどうしたことか?」・・・「かなしい」と「うれしい」が混じりあっていることこそが「かなしい夜の明け」なんだなあ。

 かなしさに徹しきれず、うれしさも首をもたげる。うれしさ自体何ら悪いことではない。でもうれしさが悪いことに感じてしまう。それはなぜ?

 中也は混沌とした心情を、混沌と書き綴っている。「感性の天才」だなんだっていわれているけど、この混沌とした感性は、「天才」だから感じるものではない。それをそのまま表現できたことこそが「天才」なのだろうが。

 中原中也の最愛の長男・文也が2歳にして亡くなったのが、1936年1月10日。そして次男・愛雅が産まれたのがその5日後の1月15日。

 いったい、なんてことだ!

 それから「亡き児 文也の霊に捧ぐ」とついた「在りし日の歌」という詩集を書きためた中也。しかしその翌年の1937年結核のため亡くなる。(「在りし日の歌」刊行。)

 さらに翌年の1938年、次男の愛雅が亡くなる。

 70年前のお話です。

 うちの2歳の心歌(こうた)も、2歳の文也と同じようにトラを見てもクマを見ても「ミヤ」(うちの猫の名前)と呼ぶ。変わっちゃいないんですね。赤ちゃんは。そしてそれを愛おしむ親の気持ちも。

 自分の「骨」を冷めた目で眺める中也。その向こうにある愛おしいものへの気持ち。

 20代前半までの頃と読み方が変わったのは、「感性」なり「表現」を実体から切り離してとらえるのはイミテーショナルだということ。香水と同じで実体がないものはそれまででしかないということ。(ん~表現が下手だな!)

 とにかくメールありがとうございます。仕事に行く時間です。

今日は法人の総会。そーかい、そーかい。

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2007年5月24日 (木)

汚れつちまつた悲しみに

ご無沙汰しております。毎日たくさんの方々にご訪問していただき恐縮です。さて、先週の青葉の森リレーマラソン大会ですが、わが(障害を持つ)10人の仲間たちは見事42.195kmタスキをつなぎ、3時間10分で完走しました。今週末はソフトボールクラブの試合です。2つの法人の総会も今週末にあります。

 昼間、福祉作業所でギャーギャーと大声を出して仕事をして、夜妻が寝た後は会社の仕事をして、朝妻や子供たちが起き出す前に法人事務局の仕事をしています。土日は障害者スポーツ。こんな男なのに逃げ出さない妻は本当に偉いと思います。

 さて、たまには会社のお話しでもしようかと思いましたが、コンタクトレンズが乾いてきて、限界に近づきましたので、先ほど書き上げた資料をここに貼り付けます。仕事のイメージはこんな感じです。ではまた~。

  *表題の意味は何もありません。思いつきというか、息子がなんとなく口にしていた言葉をそのままタイトルにしました。

お礼と感想

 この度は、弊社の受注作業をお引受くださり誠にありがとうございました。ほとんどの施設・作業所の皆様は今回発注分の仕事を完了され、「次はいつ入るのか」とお問い合わせも多数いただいていおります。

   <中略>

 

 さて、今回皆様から集まった箱を検品する中で、私自身気付いたことをお話させていただきます。すべてプラスに受け取っていただき、決してお気を悪くされないようお願いいたします。

 ほとんどの商品は、こちらが想定した合格ラインを超え、自信を持って納品できる水準にあるものでした。しかし他方、ミスの仕方において多少気になる部分もございましたのでお知らせします。

 例えば、大きな一箱に50本入りの小箱が20箱入っています。20箱中1718箱は完璧に仕上がっているのですが、残りの23箱が完璧にミスであるというタイプ。50本入りの小箱のうち、50本全部がダメだというパターンです。

     <中略>

 一つの箱の50本すべてが同じパターンのミスをしているということは、おそらくは箱ごとに利用者(等)に手渡して、作業を行った結果でしょう。作業方法として、それはそれで構いません。ただ問題なのは、その箱は全く確認がされていないことを意味するということです。

 技術的なミスではありません。むしろ技術的には高い人だと考えられます。なぜなら50本すべてが通常より2mmないし3mm高い位置で貼られ、50本すべて同じ形で完成させる技術力があるということだからです。つまり作業過程で、誰かがひとことそのズレを修正させてあげれば、その方は完璧なものを仕上げたはずだということです。これは関わり方の問題であります。そして私は、福祉の世界でもっとも大切なことはこの直接的な関わり方の問題だと思うのです。最初の23本を一緒に手をとってやってみたり、<うまくいった、いかなかった>を一緒に語り合ってみたりして、一緒に修正する。そのような基本的な関わり方さえできていれば、防げるミスだと考えます。

 また、右側の方は完璧に仕上がっているのに段々と雑になってきて、一番左の列はかなり大雑把というミスのパターンもありました。最初の23本を見て「彼ならできる」と判断したものの、途中からおかしくなってくる。これはその人の気持ちの部分まで見えていない場合、起こりやすいミスです。

 授産活動を軸とした福祉活動において、こうした<その人の傾向を知る>ということはとても大切だと思います。一定の時間になると集中力が切れてくる人、周りの環境によって集中力にムラができる人、見ているときと見ていないときの作業にかなりの差が生じる人、さまざまなパターンが存在します。(これは障害あるなしにかかわらず言えることですが。)

 その人の傾向を知り、そのマイナス面をどうフォローアップしていくのか、それがとても大切だと思います。気分転換が必要な人。あえて誰かと競争させながらやる気を引き出してあげるべき人。環境から整えてあげるべき人。対応はさまざまです。

 11本確認させていただく中で、その作業風景が見えてくるようでした。

 自立支援法が成立し、障害者福祉の世界では、器に関することが話題としては先行しがちです。<報酬単価→器(事業形態)→人、作業>というベクトルで発想し語られがちです。しかし大切なのは関わり方の中味だと思います。

<中略>

また、以下のようにも考える必要があると思います。先方事業者が確認をする際、最初に目にしたのが、たまたまミスの多い箱だったら、残りの9割(以上)の評価もそのようなものになってしまいます。ひとりに対してちゃんと関われなかったがゆえに、その作業所全体が<ミスが多いところ>という印象を持たれ、あるいは今回のようなケースでは<障害者団体>全体が、「やっぱり障害者だから…」という印象を与えてしまうということです。先方事業者の<障害者像>もマイナスに作用するでしょう。そして仕事とはそういうものです。

千葉県は全国に先駆けて障害者差別に関する条例が制定されました。それはそれですばらしいことですし、それに携わった方々の努力には本当に頭が下がります。しかし条例だけでは人の心までは変えられません。心を表に出す際にそこに一定の正しい制御がかかる、それが法律であり条例であると思います。そして本当に心に訴えるには、やはり草の根的な活動しかないのだと考えます。福祉の現場で働くものとして、地域の方々、企業関係者、その他に「やっぱり障害者だから…」というマイナスイメージを作ってしまうことだけは避けたいものです。ひとりひとりとじっくり関わり、人との出会いを大切にする。そしてその広がりの中で、出会った相手のこれまでの<障害者観>も少しずつ変えていく。仕事もそのための手段のひとつであるという発想も必要なのだと思います。そういう地道な世界です。

いろんなことを書かせていただきました。そして今回私の不手際で納品時間を間違えたり待たせたりして、大変ご迷惑をおかけしました。作業に関しても、私自身の説明の悪さもあったかと思います。この場でお詫び申し上げますとともに、これに懲りずこれからも弊社にお付き合いくださるよう切に願います。

なお、今回こちらで<不良品>と判断させてもらったものは、「クローバー」のN君にすべて修正してもらって完成させましたので、ご心配には及びません。

<中略>

では今後ともよろしくお願いします。

                       ㈱ふくしねっと工房

                       代表取締役 友野 剛行

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2007年5月20日 (日)

スポ根とまりぎ!

みなさん、スポ根してますか?

私はこれまで、いろいろ偉そうなことばかり書いてきましたが、ほとんどがインチキでありまして、本当は単なるスポ根親父です。

さて、今日は「青葉の森リレーマラソン大会」です。千葉市中央区青葉の森で(4人~)10人が1チームを編成し、駅伝形式で42.195km走りきります。もちろん一般の市民大会ですが、我が「とまりぎジョギングクラブ」の障害者チームも大威張りで参加します。

我がチームの10名は、全盲だったり言葉がなかったり、伴走がいなければどこまでも飛んでいってしまうタイプだったりといろいろなハンディがありますが、いつもどおり勝つ気で参加します。

おととい、大会運営委員長様より私の携帯に電話。「選手宣誓を頼みたい」と。快諾。もちろん私じゃないですよ。女性ランナーのIさんがやります。

「とまりぎ」の障害者スポ根の特徴は、①我々は徹底して裏方に回ること。②いわゆる一般の障害者スポーツ、障害者レクと違って、障害者のみで囲わずに一般の中にドシドシ入っていくこと。

「徹底した裏方」と言いましたが、例えば今回のリレーマラソンの伴走者(一人では走れない人の伴走)も障害を持つ仲間たちがやります。キャプテンと副キャプテンが伴走です。

「一般の中に入っていく」といいましたが、確かに「ゆうあいピック」などのソフトボールの障害者大会に参加はします(前年度2部優勝)が、それが目的ではありません。地域の一般ソフトボールチーム、町会・クラブチームとの交流が目的です。試合相手はたくさんいらっしゃいます。いや、もっと先の目的は、うちのチームの選手が、地域のチームの中に入っていくことです。

実際本日、うちのソフトボールクラブの女性キャプテンのYさんは、地域の婦人ソフトボールチームの一員として、ソフトボール大会に参加します。チームの一人一人は、ソフトボールの交流を通じて、たくさんの地域の方々から名前を覚えられています。

先週も東葛地域のソフトボール大会(障害者大会)がありました。準優勝しましたが、決勝で特別支援学校のチームに惨敗しました。

負けた瞬間、来年は雇用型の事業を行おうと思いました。あの優秀な生徒さんたちをスカウトするためです(笑)。

さあ、そろそろリレーマラソンへの出発の時間。

このブログでスポ根関係の記事を集めてみました。新しい読者の方々はどうぞ。では行ってきます。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_7ead.html
ソフトボール、ハッタリ、そして出会いの大切さについて

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_7ffb.html
おかげさまで優勝しました

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_3a3c.html
ゆうあいピックソフトボール選手権で優勝!

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_ac92.html
私はどうしても許せなかった。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/51_60c0.html
第51回成人の日記念船橋市民駅伝大会

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_4724.html
船橋市民駅伝速報

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2007年5月18日 (金)

工賃倍増計画策定

昨日は、千葉県の工賃倍増計画策定に関する会議に参加。

障害者福祉分野の就労・授産に特化した領域における第一線で活躍されている方々や企業、行政の方々と熱のこもった討論の初日。

面白かったです。勉強になりました。

おそらく「自分の勉強になる」ということが軸になっていくと思います。

会議の中で考えました。「工賃をあげていくためのノウハウ」それを県全体に波及していくこともこのチームの責務なのだということは十分に分かります。しかし自分(たち)が本当に苦労して這い回ってつかんできたノウハウや技術の核心部分は、そう簡単にはお話できません。少なくとも私はそうでした。どうしても核心部分を避けてのお話になってしまいます。意識せずともそうなっている自分に気付いたのでした。

オレ、失格だな~。

その後、シンタロウが入院している病院へ。熱出してやがった。「頑張って我慢して、退院したら好きなところ連れて行ってやるぞ。どこがいい?」

「SHIDAX」

ちょっとガックリ。

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2007年5月17日 (木)

「いらっしゃいませ」と「はじめまして」

「リサイクルショップ クローバー」の店長をしております友野です。「クローバー」は前原店と飯山満店というふたつの店舗があります。今日は私、一日店長みたいなものです。夕べ、うちのの職員から「明日は牛乳配達か店かどちらかに入ってください」と指示を受けましたので、こうしてお店に入っているわけです。

飯山満店はいつものとおり、なじみのお客様が来て、「今日は雨ねえ」とか「この前置いてあったブラウスまだある?」とかといいながら、顔に「お得意様」と書いてご来店してくれます。

前原店は、保育所、託児所、幼稚園などの密集地帯を選んで4月にオープンした店で、まだ「お得意様」と呼ぶべきお客さんがたくさんついているわけではありません。比較的若いお母さんが保育園などの帰りに立ち寄ってくれるようになりました。

今日、うちの長男(3歳)と同じくらいの男の子と若いお母さんがご来店。「この有精卵」ってどこでつくってるの?とご質問。

<待ってました>とばかりに私が説明。柏井市の高柳というところにある「わかたけ社会センター」(http://park20.wakwak.com/~wakatake/)という障害者の施設で作ってるんですよ。鶏を放し飼いにして、元気な卵を産んでるんですよ。

その若いお母さんは、「そうなんですか~」と感心されたあと、「じゃあ有精卵ってどうやってつくるの?」・・・私は少々慌てた。<お子さんがいるんだから、有精卵の作り方ぐらい知ってるはずだよなあ。店長はどう答えればいいのよ!>

そこに気を利かせて入ってきてくれたのが「クローバー」のSさん。元タクシー運転手ですが脳梗塞の後遺症で半身に麻痺が残り、こうして「クローバー」で働いている。午前中営業活動に出てもらって昼戻ってきたところだった。

「とにかく、有精卵は栄養価が違うんですよ。私も詳しくは知らないんですけど、例えば蛇とかが鶏の卵を食べますよねえ。有精卵と無精卵では必ず有精卵を食べるらしいですよ。蛇に聞けば間違いないでしょうね。」

この一言で卵のお買い上げ~。さすがタクシー運転手。お客様との駆け引きのうまさと雑学の知識。

私は「有精卵はどうやって」と聞かれて、ただ鶏の交尾の絵ばかりが頭の中に浮かび、慌てているだけでしたが、Sさんの場合は、さりげなく自分のフィールドに話を持っていき、お客様の直接の質問でなくニーズに踏まえての答えを展開していたのでした。

一日店長失格でした。さて、午後の仕事に戻ります。

P.S. 昨日からこのブログを開いてくれる人が突然ポーンと増えたようで、調べてみたら「鳥取県障害者就労事業振興センター」さんのブログ「がんじょDe笑売」でなんと私のブログが紹介されておりました。http://ganjo.jugem.jp/

鳥取県のみなさま、はじめまして。こんなブログですが、たまに遊びに来てやってください。

で「がんじょ」ってなんですか?

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2007年5月16日 (水)

就労か工賃アップか

「就労か、工賃アップか」・・・。または「充実した日常」か。

障害者自立支援法制定を通じて、あるいは厚生労働省が音頭をとり各自治体がそれに呼応する形で、「就労」「工賃アップ」に関する施策がさまざまな形で図られようとしています。

そして他方、「就労」「工賃アップ」が作業所・施設を判断する際の画一的な物差しにされることへのアンチテーゼとして「充実した日常」などを対置するところも出てきています。

ちょっと待って。

まず、障害を持つ彼らの日中の居場所がまだまだ足りないんですよ。これは地域の現場じゃないと分からないことですよね。居場所のない人たちの中で、統計的に数字として上がってこない人もたくさんいるのです。

もうひとつ。「就労」にしても「工賃アップ」にしても、要するに<働く>ことの意味の問題ですよね。そしてそれは各々固有の問題ですよね。

障害を持つ方々の中でも親の財産や年金などで、一生働かなくても生活が可能な人もいますし、まったくその逆の人もいます。

<働く>ということには(以前も書いた気がしますが)目的性と手段性が統一されているのです。自分に照らし合わせてみてください。そしてそれは各々固有の問題なのです。みんな違うのです。

福祉の現場の人たちは、今目の前にいる一人一人について、まずはじっくり考えてみてください。大いに悩んでください。その悩みの先に「就労」や「工賃アップ」があれば、その現場の目標の一つに掲げ、必要があれば行政の施策等も大いに活用してください。悩みの先に「就労」「工賃アップ」がなければそんな施策はどうぞ無視してください。それだけのことです。

まずは一人一人に戻りましょう。それができるのが現場の特権です。「就労」「工賃アップ」またはそれらのアンチとしての「充実した日常」、そのような看板に障害を持つみんなを当てはめるのでなく、一人一人の目線からさまざまな看板を眺め・選択し・活用するということです。

そして行政の方々やその周辺の方々は、今述べた「現場の特権」を無条件に承認してください。その上でさまざまな施策を準備し、現場からの声に応える体制を目指してください。くれぐれもある一定の物差しで現場を計ろうとしないこと。なぜならそれをすると、あなた方も現場から「一定の物差し」で計られ判断されてしまうからです。「現場を分かってない」というように。

それこそ不毛な物差し合戦でしょ?くだらないんですよ。そういう論争は。

現場と行政(およびその周辺)は、できることもやるべきこともぜんぜん違う。どっちが良いも悪いもない。どっちが上も下もない。障害を持つみんなにとって両方必要なのは事実なのだから。

自分たちだけが頑張っているというのは思い上がりです。うんこです。うんこ。

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2007年5月12日 (土)

「もえぎ」の商魂と団結力

10日という日は、障害者自立支援法に基づく就労継続支援事業等においては、障害福祉サービス費請求業務の締切日である。就労継続支援事業B型に4月から移行した「もえぎ」にとっては初の請求書類等の提出日であり、その書類の確認のため、私は「もえぎ」に赴いた。

事務所と「福祉ショップ&リサイクルショップもえぎ」は、同じ建物の1階だが、入り口が違う。事務所の用事を済ませたあと、私はその店に立ち寄った。毎日地域の方々からのご提供の品が入り、中にはあっと驚く掘り出し物もある。

その日、私が「もえぎ」で目にしたものは古本の山。しかもその内容がすごい!哲学・科学の古典がずらり!田辺元(戦前の哲学者西田幾多郎の元弟子)の全集、戸坂潤の科学論、ヘーゲルやカント、キルケゴールの古典、アインシュタインの相対性理論とその関係著作…。思わず目を見開いて本を眺めていると、「もえぎ」の店員&職員が「これ、BOOK OFFとかに持っていけば売れますかねぇ」と言ってくる。

私は思った。(これらの本の価値が分かってないな。こういう専門書を扱う古本屋でないと、これらの価値は分からないのに…。よし、私が買い叩いてしまえ!)

「これ、一冊10円で売ってよ」

すると施設長さんが「みんな、どうする?」と、そこで手作り品の製作作業をしている障害を持つ仲間たちに聞く。5人の仲間たちがそこで作業をしていた。5人とも言葉はほとんどない。<Yes-No>の意思表示も苦手な仲間たちが「もえぎ」には多い。それなのに施設長さんはみんなに「どうする?」と聞いたのだ。「これは追い風かも」と思って、私も続けて「みんな~いいよね?」と猫なで声でみんなに尋ねる。

木工パズルのやすりがけをしていたユータ君がにっこり振り返り、両手で「×」のサインを私に送る。続けてトミコさんらもにっこりしながら首を横に振る。全員が「ダメ」のジェスチャー。それを見て施設長さんが「みんな、ダメだってサ!ちゃんとお金払ってくださいよ。」

この団結力は何だ?しかも私は「恐い人」で通っているはずなのに、私に媚を売る人が一人もいない。グループ内で5つあるお店のどこを行っても一人くらいはゴマをすって「いいですよ」と言ってくれるはずなのに、ここは誰一人として崩せない。

「分かった。車に戻ってお金を取ってくる。」

正規のお金を支払い私は店を後にした。

どう切り崩すかが次の課題だ。

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2007年5月10日 (木)

給料日~続「働くって何だろう」~

4月15日、私は「働くって何だろう」という記事を書きました。(↓)

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_a446.html
福祉作業所(地域活動支援センター)において、A君らとの関わり方について悩むある職員の方の相談、そして「働く」ことについての考察について書きました。

1ヶ月近く前、あの記事を書いているとき、私は「これだけ自分のために真剣に考えてくれる人が常に傍らにいるんだから、A君は幸せだよなあ」と思って書いていました。本当にこの関わり方でいいのか、その答えを模索しながら、常に向き合ってくれる人がいつもそばにいるのです。その「職員」の人は、あの後仕事だけでなく、カラオケなどにもA君を連れて行ってあげたりしていました。

そして今日、作業所の給料日です。金額はどうであれ、A君と、その「職員」の方々らが真剣に向き合い関わってきた結晶がつまった給料袋ですから、それはとても重いものだと思います。

しかしそのA君は、昨日亡くなってしまいました。数日前、突然の脳の病気で自宅で倒れ、そのまま還らぬ人になってしまいました。享年19歳。今日その重い給料袋をもって参列することになるのでしょう。最後の「お疲れさま」になってしまいました。

私自身もA君のことはずっと前から知っていました。毎朝毎朝、同じ場所で会っていました。地域の福祉に関する会合が定期的にありましたので、ご家族ともずっと前から面識がありました。

今日は給料日。100人がそれぞれ頑張ってきたその結晶を受け取る日です。A君もその中の一人です。

A君、お疲れさま!

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2007年5月 8日 (火)

社会的入所?

千葉県内で、精神障害者のグループホームや作業所を運営されているK氏から、あるメーリングリストを通じて「精神障害者の長期入院」の問題、「社会的入院」の問題に関して、次のような論文が届きました。抜粋し掲載します。

精神障害者の長期入院の問題は、この国において何十年もの間議論され続けてきたにもかかわらず、結果的にはこの間の統計数値が雄弁に語っているように、ほとんど未解決のまま一向に前進しておりません。

私はそれぞれ定員四人のGH(グループホーム)を、男女一つずつ計二箇所運営しております。GHから更に自立度の高い段階に行けそうな方々を次々とGHから移す支援をも、微力ながらも同時に開設当初から行って参りました。GHから次の段階に行った方々を、地域の福祉力で支えていくシステムをどのようにすれば作って行けるかを、日々模索し続けています。GHに入居している方々にとって、GHが最終のゴールとは私にはどうしても思えないのです。一工夫して行けば、ここから更に自立できる方もまだまだ大勢おられるはずです。自分達の個々の希いをそれぞれに掲げながら、誰もが暮らしやすい地域を一緒に創っていければと願っております。

このように次の段階へ行ける入居者を、もしもGHの世話人等が自らの生活のために<経営>を優先して囲い込んだならば、それを病院における「社会的入院」をもじって、GHにおける「社会的入居」と言おうと私は考えております。

GHを自らの理念に沿った形で丸4年間運営してみて、初めて病院経営の大変さも少しですが分かりはじめました。社会的入院の問題を病院だけを<単純化>して悪者に仕立てて批判することのみでは、この極めて闇の深い問題は解決しえないのです。

皆様方もご承知の通り、退院促進の課題は現在社会的入院を余儀なくされておられる方々が、このまま病院内で老齢化して老人施設へ移動するか、または病院内で亡くなっていくかの何れかの道を辿って、<解決>をして行くことになる可能性が極めて大きいのです。しかしこの退院促進の課題を、このまま深い闇の中に放置し続けていくことは許されません。誰かが地域の側より真正面からこの課題に取り組むことにより、深い闇の中に隠蔽されている精神障害者が置かれている情況を少しでも顕在化させていく必要があるのです。当事者・家族・医療・福祉・行政・市民等々…のみんなで、心を病む人々(=実は誰にとってもそれは他人ごとなどではなく、心を病んでいる人の姿は過去や未来の「自分自身」や、自分を取り巻く「周囲の人々」の姿でもあるのです!!)の行く末を考えて行くことは、それはとりもなおさずこの国で長い間隠蔽されてきた深い闇を、少しずつ明るみに導き出していく端緒になっていくはずです。

K氏のこの論文は、直接には病院内に設置される「退院支援施設」の是非および態度表明とその段取りについて書かれたものです。しかし私は作業所および生活支援に関わるものとして、もう少し普遍的に解釈し、考えさせられました。経営を優先に病院やホームで抱え込むことが「社会的入院」および「社会的入居」なのだとしたら、作業所・施設などにおいても「社会的入所」もあるよなあ、と。

元来、社会からある意味断絶させられた形で、家族が障害者を抱え込んで生活されている状況。その状況に対して、社会参加・地域参加を呼びかけて、その本人の社会参加の場を提供し、また媒介的に家族のゆとり、家族の<普通の暮らし>をも支えていくのが作業所の第一の任務です。だから当然目指すべき道として生活支援とリンクしていくのです。

そしてさまざまな方々が通ってくる中で、その一人一人を知っていく中で、次のステップを構想していくことも必要になってきます。一般就労を含めた、より広い社会参加を目指すべき人、医療とのよりいっそうの協力関係を構築することを通じて、より円滑かつ安全な社会参加を目指すべき人、・・・いろいろ見えてくるわけです。

しかし作業所や施設が、国や自治体からの公費で経営を補い、ある意味<抱え込む>ことを通じて運営が安定する今の法体系システム(障害者自立支援法)のもとでは、必ずしも理念どおりに行かない部分も出てくるでしょう。経営ができなくなれば、支えることも難しくなるからです。

家族や病院が<抱え込む>ことに対して、別の選択肢を用意してその機会を提供するのが作業所であったりグループホームであったりするわけですが、そこがまた<抱え込む>経営を余儀なくされているという現実もあるということです。

現場は常にその矛盾を実感していなければなりません。そしてその解決策を模索していなければなりません。

それを昨晩からずっと考えています。(今は朝の5時。)

考えるべき点は、思いつくところでは次の通りでしょうか。

①公費即経営という硬直した経営スタイルから脱し、経営のダイナミズムを模索すること。完全自主運営をモデルの一つとして理念的に吸収し、経営のオルタナティブ(代案)を提示し、実践してみること。

②ケアの深さに応じた事業規模を検討すること。たとえば日中の生活を無事に安全に送ることだけを目指した(今時そんなところは少なくなってきたと思いますが)事業では、ケアそのものがマニュアル的に対応できるわけですから、ある程度大きな規模でも可能だと思います。しかし逆に一人一人に即した深いケア(家庭背景、将来の問題、その人の生き方の問題にまで踏み込んだケア)を目指すならば、自らの力量とケアの深さ(関わり方の理念)に対応する事業規模というものがあるはずです。その限界点の認識とその超え方を考える必要があるということ。

K氏の論文からかなり逸脱してしまいました。しかし考えるヒントはたくさんいただきました。

おっそろそろ仕事に行く時間。週末は作業所のキャンプもあります。総勢50人くらい? ソフトボールの大会も同じ日にあります。その次には「青葉の森リレーマラソン大会」もあります。5月末までは書類の山がそびえ立っています。雲に隠れて山頂が見えません。ただ見たくないときもあります。

昨日の夜、M作業所にブラッと立ち寄ったら、職員の方がひとりで事務仕事をしていました。「事務もやるんですか?」「全部ですよ!全部!」

どこも同じだと思うと、ちょっと嬉しくなったりしました。お忙しい時間にお邪魔いたしました。

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2007年4月30日 (月)

久々です。

毎日たくさんの方がここを開いてくださっているのにずっと更新できず、すみませんでした。書くべきことは(最近の生活の中でも)山のようにあったのですが、いざ記事にするとなると考え込んでしまいます。いや、結論を出すまで考え込む時間的ゆとりがなかったというほうが正しいです。

知的障害を持つ私の親戚が我が家にきて生活を始めてから早1ヶ月。車椅子のシンタロウが入院してその病院に通い始めてから早3週間。息子が幼稚園に通い始めてからも早1ヶ月。私の会社の今の仕事が始動してから早1ヶ月。障害者自立支援法に基づく地域活動支援センターをふたつ始めてから早1ヶ月。法人の事務長として、7つの事業の書類などに追われてから早1ヶ月。就労支援会計処理基準という分けの分からない会計処理基準を適用しはじめて早2ヶ月。その他にもいろんなことがあった。

ありえないほど忙しかったです。

体調もしばらく崩しっぱなし。快復の兆しもなし。原因は寝不足なのは十分に分かっています。

ここにきて、板さんの言葉がよく思い出されます。(今年1月3日に死去。)

板さんについては↓

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_c98c.html

板さんを送迎中、私が栄養ドリンクを飲み干した時、板さんがいいました。

「寝てないんでしょ?俺もそうだったなあ。子供に金かかってましたからね。休めないんすよね。そいつを飲むと一日頑張れちゃうんですよね。毎日それ飲んで仕事してると、いずれ俺みたいな体(脳梗塞→半身不随)になっちゃいますよ」

板さんの言葉は、まだ私の中で生きています。

あと30年今のまま頑張れたら、板さんのおかげだな。

息子がパソコンを使いたがっているので、今日はここまで。昔の「いすず、ジェミニ」をパソコンで見たいそうです。

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2007年4月15日 (日)

風歌へ

風歌(ふうた)は先日幼稚園に入園したばかりの3歳児。うちの長男。
先日わが家に新たな「家族」がやってきた。わたしのいとこのヨージ。ヨージの家族の病気で、ヨージの介護者がいなくなり、こうして一時的にわが家が引き取ることになった。ヨージとは私は本当に小さい頃よく遊んだ。当時は彼の障害など気づかなかった。私の祖母の「ヨージはバカだから、かわいそう」といった言葉と、その言葉に激怒した私の母の言葉を今でも覚えている。
私も小さいなりに成長して、次第に祖母の言葉と母の言葉の意味を分かるようになった。ヨージとは一緒に遊ぶことはなくなった。遊んであげる、という意識に変わっていった。

私が11年前、まったく別の畑から福祉の世界に入ってきて、真っ先に考えたことは「いつかヨージを引き取ることになるだろう」ということ。そんなヨージが一時的にわが家に来た。

風歌にとって見たら、来客であるこのおじさん。おじさんはみんな自分にやさしく遊んでくれるはず。なのにこのおじさんだけ相手にもしてくれない。しばらく風歌は距離を取ってこのおじさんを観察していた。

トイレに入るとき、パンツまで脱ぐ。親父(私)がお尻を拭いてあげる。着替えも手伝い、ひげもそる。食べこぼしを拾う。そんな親父とこのおじさんの関係を風歌は黙って眺めていた。自分が食べこぼせば叱られるのに、このおじさんだとあまり叱られない。そんな現実を風歌はどう見ているのだろう。

次第に風歌が変わってきた。返事が返ってこなくても「ヨージおじさん、おはよう」と声をかける。得意の英語もおじさんの前では使わない。風邪をこじらせているヨージの鼻を拭こうとする。「お薬の時間だよ」と声をかけたり水を渡す。

風歌がある時こういった。「ヨージおじさんは、親父のお仕事の人たちとおんなじなんだよね。」私は答えた。「同じだよ。だからおじさんも畑で一生懸命働いてるんだ。だから親父とも同じだよ。」

風歌はそれに答えなかった。風歌のいう「おんなじ」と、私の答えの「同じ」の意味の違いを分かっているからだ。
なぜ私が違う意味の「同じ」を語ったのか、それはいつか分かってくれると思う。

風歌は日ごろから「車椅子のしんちゃんは、どうやって電車に乗るの?」と聞いてきたり、ブロックで車椅子を作り、「しんちゃんの車椅子作ったの。これ早いよ〜」と言ったり、「スティービ−ワンダーは目が見えないのになんで歌が歌えるの?」と聞いてきたりする。親父の仕事に連れ回しているので、何となく興味を持っているのだと思う。「しんちゃんの(入院している)病院は、スカイライナーとか成田エキスプレスが見えるから、また行きたいな〜」。昨日見舞いに連れてきた時に風歌が言った言葉。

親父の仕事、親父の性分によって、息子にいらぬ気遣いをさせているのかもしれないと悩むこともある。また息子が私のいとこの鼻を拭いてあげようとしたときは、正直複雑な気持ちになった。3歳児がヨージに対して慈悲の気持ちを表していることへの、うまく表現できないが抵抗感を私は持った。でもうれしくも思った。うれしさと抵抗感、複雑な気持ちを払しょくさせてくれたのは、ヨージだった。ヨージが笑顔で風歌に「おやすみなさい」と声をかけた。風歌も自然に答えた。

これでいいんだ、と思った。
それが、とりあえずの結論です。

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働くって何だろう

働くって何だろう?

マクロ的に言えば、人間社会の存立条件ですよね。「社会」と「群れ」の違いは、労働=協働による生産諸関係があらゆる関係の基礎になっているという点にあります。歴史上いかなる社会もそれは同じです。ただ現代社会は、生産物あるいは労働の主体までもが「商品」という形態をとって流通し、商品の価値=交換関係があらゆる社会関係の基礎になっているという点が、これまでの社会と違うところです。

しかし私たちは、こうしたマクロ的な視野をもっていてももっていなくても、働いています。いや、働くということを重い課題として意識しながら生きています。

障害を持っていても、当たり前のように地域社会の一員として暮らして欲しい、暮らすべきである…これが福祉作業所あるいは地域活動支援センター(Ⅲ型)の建前上の前提です。

「建前上」といったのは、実際そういう信念を持って取り組んでいるところはそう多いわけではなく、たとえその信念を持っていても実際に貫くのは難しいからです。

昨日、こんな相談を受けました。「A君やB君やCさんに対して、仕事しなさいっていうのはどうなんだろうって考えてしまう。彼らにとって仕事をすることってそんなに意味があるのかなあ。それよりも外出の機会を増やしたりして仕事以外の充実の仕方を考えてあげた方がいいような気がして考えちゃうんですけど…。」

おそらくA君らの実際の姿、日常風景を見れば納得する方も多いでしょう。(言い方は悪いですが)傍から見れば結論は簡単なのです。「無理して働くことはないと思うよ」って、客観的な立場の人は誰でも思うと思います。

しかしその相談してきた人を含めて、中にいる人は違います。結論は簡単でなく深い葛藤を抱えることになるのです。

どんなに障害が重くても軽くても、ここにいる人たちはみんな仲間。まずは一人一人が頑張ることと、その頑張りを背景に至らない部分は互いに助け合うこと。そういう関係の中にA君らもいるのです。だから「頑張ろうよ」といい続けているのです。

作業の工夫をし、「はい」も「いいえ」も表現できない仲間たちの気持ちを汲み取り、ただ汲み取るだけでなく「働こうよ」というこちらの気持ちを伝えて、それがどれだけ伝わっているかは言葉でなく実際の作業工程で検証される。・・・・・でもほとんどの場合伝わっていない。それでも毎日同じように気持ちに働きかけ、「伝わらないな」と思っては落胆し、それでも毎日彼らと向き合う。そういう毎日を送りながらの「働くこと・働かせること」への疑問の吐露なのです。結論はそう簡単ではありません。

その場では私はこう答えました。「確かにそういう疑問は持つよねぇ。でも仕事しなくていいよってやっちゃうと、作業所において彼らを褒める機会がなくなっちゃうよね。」

「でも仕事で褒めてあげられることも、ほとんどできてないよ」とその人。

「でも褒めてあげるという目標や機会を最初からなくしちゃうと、気持ちの上で彼らに向き合えなくなっちゃうんじゃないか?」と私。「ん~そういうことか、分かった」とその人。

ここは障害者へのサービス事業です。彼らが毎日通ってくればそれだけで補助金などの公的資金が入り、職員の給料は保証されます。だから別に原則的には「(人間)関係」など意識しなくてもいいのかもしれません。実際に施設によっては障害者を「お客様」と呼び、「仕事」=「お客様へのサービス」という意識を徹底させているところもあります。筋としては間違いではありません。でも地域福祉の現場ではもう一歩先の「働くって何だろう」「彼との(人間)関係をどう作っていくべきなのだろう」という課題を一人一人が背負ってもらわなくてはならないのです。

一般に「働くことの意味」とは、社会的な貢献への意識だったり、社会的な地位などへの渇望だったり、今の生活の維持や発展のためだったり家族のためだったりします。給料収入を別の生活上の目的のために費やすその手段であったり、また「楽しいから」という自分自身の生活の充実のためだったりもします。目的・手段の入り混じった体系としてその人なりの「意味」を持つのだと思うのです。

しかし上記のいずれにも当てはまりそうにないA君らの「働くことの意味」を考えるということは、とても難しいことです。誤解を恐れずに言うと、「働くことの意味」は本人でなく第三者としての我々(直接関わっている人たち)が持つしかなく、ある意味一方的な思い込みも必要なのだと思います。歩けない人の足になってあげること、見えない人の目になってあげること、不安定な人の支えになってあげることと同様に、A君らの代わりに我々が「意味」を持ってあげること、そしてその線で接してあげること、それしかないのだと思います。そしてその線で考えるのなら「褒めてあげたい」「認めたあげたい」その思いがA君らと仕事を通じて関わることの「意味」になるのだと思うし、心の中で説明してあげる「働くことの意味」なのだと思います。

それをベースにして、外出などの機会を作って生活上の充実を考えてあげることはぜひとも必要です。他の仲間たちと同様に5時間みっちり仕事漬けという状態がいいのかどうかも現場で判断されるべきです。

でも、毎日毎日じっくり関わっている人たちは、本当にすごいと思いますよ。それができそうで実はできない人、さんざん見てきましたから。無意識なのか意識的なのか、大変な人・関わりたくない人には簡単に背を向けてしまう人も少なくありません。関わるとしてもほんの一瞬で、その一瞬はいい仕事をしますが、一日一緒にはいられないのです。福祉の世界で大切な人は、一瞬だけ関わりいい仕事をすることでなく、ずっと一緒にいてあげられる人です。

そろそろ仕事の時間ですので、また。

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2007年4月14日 (土)

夜と朝の隙間に落っこちて

今日は朝の4時ごろからポツポツと雨が降ってきて、5時にはザーッときました。不眠男のウェザーレポートでした。

昨日は「㈱ふくしねっと工房」の社長としての営業の仕事。地域活動支援センター(福祉作業所)の所長としての顔を隠して、遠方の面識のない障害者施設等を訪問…のつもりが行った先で「とまりぎのNさん元気?」「あ、あの〜寿退社しました。」「やっぱりねえ、そんなこと言ってたもん。」

なぜバレた?顔に「とまりぎ」と書いてあるのかな?バレているなら仕方ない、「とまりぎ」の機関誌を手渡す。すると、「いつも読んでますよ。友野さんが送ってくれるんですよねえ」…そうか、私の名前でこの機関誌は発送されていたんだ。

名前だけが一人歩きする。講演や研究会の話もまた入ってしまった。ここでは大した存在じゃないのに。「所長」といっても従業員の雇用条件すら知らない。「どんな契約?見せて」というと「えっ知らないんですか?」と逆に驚かれてしまう。3人いれば3回驚かれる。多少は交流が広がってさまざまな情報が入りやすい環境になることは仲間たちにとってプラスになることですが、あまり名前だけ一人歩きするのはちょっとくすぐったい。実情とかけ離れていますからね。

そのうち雲隠れしますから。あっ雨がやんだ。こんな感じで静かになりますから。

雨がやむと鳥たちは大喜びです。すずめたちがチイチイ鳴いています。そういえば先日妻がこんなことを言ってきました。「お母さん(私の母)面白いんだよ。鳥が笑ってるのが聞こえるって言っていて、見たらその鳥、ミミズをくわえていた。お母さん鳥の言葉が分かるんだって。」

5時半になると、この季節はさすがに朝ですね。そろそろ早い人は起き出して、「あれ?ゆうべ雨降ったのかな?」とかと言うのでしょう。新聞がビニールに入っていたりして。

昨日からうちの金魚のぱっぽが心配です。だから私は今こうして起きているのです。ぱっぽの病気は昨日妻が気づきました。「一日見てあげられなかったら、ぱっぽ病気になっちゃった。」と妻が言ってきました。

わが家には今私の親せきがいて、一緒に暮らしています。彼は知的な障害を抱えていて、今親が入院しているので、こうしてうちが引き取って一緒に暮らしています。私の親せきなのに、妻が介護を全部してくれています。息子の入園式&登園開始も重なって、妻は大忙しです。そんな中、きんぎょのぱっぽの病気を心配しています。

ぱっぽはたまに横になりかけたり、けいれんのようにバタバタしたり、一晩中やっていました。横にいてあげることしかできません。その横でカメたちはスヤスヤ寝ています。となりでこれだけぱっぽがバタバタしているのに気づかないようです。

6時になり、犬やネコたちも起きてきました。水がないと言って大騒ぎです。毎日の当たり前の風景の中で、ぱっぽだけがいつもと違う。当たり前の風景は、そのちょっとしたことだけで、ずいぶんと見え方が違ってきます。命の有限性を感じながらその風景を見るからです。

命の有限性は毎日意識しすぎていると、気がめいってしまいます。だけど、たまにこうしてじっくり考えることも必要です。息子の風歌は通い始めた幼稚園から帰ってきてぱっぽを見て、1年半前に死んだ金魚のぴっぽのことを思い出したようで、ぴっぽが死んだ理由を妻に尋ねていました。同じころ死んだカブトムシのことも思い出したようです。命の有限性を直感したとき、記憶の扉が開くということもあるのでしょう。

福祉の現場も命の有限性と本来は向き合っています。毎日は意識しませんが、意識する瞬間を大切にすることは必要です。

当たり前の毎日は、当たり前じゃないものをも包み込みながら、当たり前に繰り返していきます。当たり前じゃないことを包み込むことこそが、むしろ当たり前なのです。

恐竜時代からそれは繰り返され、今こうして我々が当たり前のように地球で威張って暮らしています。ちょっとずつ形を変えて、私も歳を重ねていきます。

どうやら妻が起きたようです。私も待ちに待った睡魔がやってきました。今日も忙しいのですけれど、ちょっとは夢も見られるかな?ダメかな?

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2007年4月 8日 (日)

新たな仲間たちの紹介で~す。

桜は散り始め、ピンクと緑の色彩バランスが街路樹の色を決しています。「桜は散り始めが一番きれいだなあ」・・・そんなことをいうと「かんぱす」の仲間たちに怒られそうですが。「花びらの掃除が一番大変なんですよ」って。そうか、うちは神社の清掃委託も頼まれていたんだっけ。

じゃあ5月がいい季節なのかなあ?

  ゴールデンウィークはお店(リサイクルショップ)があまり売れません。

じゃあ6月がいい季節?   

  梅雨時のビラ配りは一番大変です。畳店のキャンペーンもあります。

じゃあ7月?

  牛乳配達の蓄冷剤が増えるので、配達が大変になります。

8月は?

  庭の草取り依頼がまとめて入ってきます。

9月なら・・・

  クリーニング店のビラ配りがまとめて入ってきます。上半期決算もあります。

10月!

  地域の福祉祭りの実行委員を掛け持ちでやっています。それに学校関係などの販売シーズンでもあります。

11月!

  リサイクル衣料の総入れ替えのシーズンで大変です。

12月!

  そりゃ~大掃除でしょ。掃除の依頼も増えてきます。

1月!

  船橋市議会の報告がド~ンと来ます。

2月!

  車の研磨の仕事が大変です。氷よりも冷たくなっているんですから。

3月!

  文句なく忙しいでしょ~。

みんなそんなに働いてばっかりいて!季節を楽しむゆとりもないのか?そんなに仕事が楽しいか?

楽しいんだろうなあ。目がキラキラしてるもんな。みんなここの福祉作業所に入ってきた時は、目線を上にあげることもできないような顔をして、お母さんたちも疲労でグッタリした顔をしてここに入ってきたのに。

あっそうそう、4月から「福祉作業所」でなく「地域活動支援センターかんぱす」になりました。「クローバー」も「地域活動支援センタークローバー」になりました。しかも店舗を一つ増やし、飯山満店と前原店の二つになりました。仕事も増えて事業所も増えたのですが、そうした理由は障害を持つ仲間たちが今年もまたボーンと増えたからです。

この記事のタイトルは「新たな仲間たちの紹介」でしたっけ?

じゃあ次回紹介します。

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2007年3月31日 (土)

ビラ男の正体を暴く!

年度末だというのに、我が「かんぱす」は一時介護のラッシュだ。「かんぱす」は障害者の働く場であるが、同時に一時介護サービスも行っている。障害を持つ仲間たちの父兄の方々には「運営にはいっさい関わらないでください。お母さんはお母さんなりの(子供とは別の)人生があります。どうかそれをエンジョイする部分も持ち合わせてください」と常々お話している。子離れのできない親というものは、「社会の顔」を見につけてきた子供(障害者)から見ても、「うざい」からだ。

 うちの父兄はその言葉を受けて、やれ上海だやれ行楽地だと、子供をうちに預けてエンジョイされている。その間「かんぱす」で一時預かりの仲間たちと酒を酌み交わすこともあるし、いろんな作業所の人たちが集まって宴会になることもある。

 今週はTマナブ君だ。マナブ君に「今回は誰と泊まりたい?」とある人が聞くと、「ビラ男君だよ~」だの「菅野谷さん(もえぎの女性所長)だよ~」だのと答える。(後者については当然みんなに突っつかれる。)

 それにしてもビラ男の人気はすさまじい。他にもタケシ君などは「ビラ男と一緒じゃないと仕事をしない!」と公然と言い放つ。言葉はあまり持っていないのでジェスチャーでそう話す。

 私の最近の調査結果によると、ビラ男ファンの年齢層にかなり偏りがあるというデータがでた。だいたい30代前半、この年齢層に集中している。これには何か理由があるはずだ。

 そしてそこからさらに調査を進めると、ひとつの興味深い事実が浮かび上がった。ファンの年齢層の偏りの問題とその事実がどうリンクしているのかについてはまだ調査中としかいえないが、偶然とは思えない。

 その事実とは、「とまりぎ」グループ(7つの障害者事業の連合体)の30代前半の人たちが秘密裏に定期的に会合を持っており、その会長がビラ男だというのだ。信頼できる消息筋によれば、1~2ヶ月に1度、居酒屋を秘密会議の場所として終結しているというのだ。ビラ男は裏世界では「会長」と呼ばれているらしい。

 ビラ男よ、そのたくらみは何なのだ!この太陽系の水と緑あふれる地球を舞台に、いったに何をたくらんでいるのだ!

 もちろん30代前半の秘密結社に私が潜り込むわけにはいかない。このままなすすべなく、彼のたくらみを黙って見過ごすべきなのか。

 普段のビラ男を知る私としては、その裏組織の会長をするような男には見えない。裏と表を使い分けることは苦手な男のはずだ。先日もビラ男が事務室に入ってきて、おそらくは私がいないと思ったのだろう、私が事務机に向かっている姿を見るなり「あちゃ~!」と声を上げ、「その態度は何だ!」と私に叱られたばかりだ。その彼が裏の顔を持つなど、私には信じがたい。

 逆に言えば、「表と裏を使い分けられない」というイメージこそが、彼の戦略なのかもしれない。何も知らない顔をして、とぼけた顔をしながら、実は裏社会で幅を利かせている、確かにそういうケースは考えられる。

 実際、消息筋によると、この秘密組織のもう一人のドン、八千代に住むSという女性が事務局長を担い、ビラ男会長の右腕として手配役をしているらしいのだが、そのS事務局長から結集=会合の案内が各会員に回っていたにもかかわらず会長だけが時間も場所も知らされていなかったというエピソードがある。ビラ男会長がとぼけているようにも見えるが、それもこの組織の闇の部分を静かに語っているエピソードにも見える。確かにひとりとぼけていれば、誰もこの男が裏のドンだとは気付かない。それにしてもあまりにも巧妙だ。

 そしてついに私は、ビラ男の陰謀と、秘密結社の活動の全容が明らかになるチャンスを得た。20代前半のMという女性職員がオブザーバーとしてこの秘密結社の会合に誘われたというのだ。スパイ大作戦だ。ビラ男よ、ついにその尻尾をつかんだぞ。

 数日後、私はMに会合の様子を聞いた。私の鼓動が私の鼓膜から脳髄へと逆輸入されてくるようだ。Mは語った。

「単なる定期的な飲み会だと思っていたんですけど~。ぜんぜん雰囲気が違いました。どこで口を挟んでいいのか、私が本当にここにいていいのかなあって思いました。」どういうことだM

「ほとんど会議のようでした。(障害を持つ)みんなのことについて、もっとこうしてあげたいとか、もっとこんな関わりをしたいとか、そんな話ばかりでした。議事を進行するような雰囲気で、私が突然意見を求められたりして、いや~こんな難しい話、私何も答えられないなあって思いました。固い話ばかりでした。」

 おもに主導しているのは「もえぎ」のSと「クローバー」のS事務局長、そして「かんぱす」のGTだという。「それで、ビラ男はどうしているんだ?」と私がMに聞くと、「いや~ずっとウン、ウンとうなずいていましたよ」と。

 私のスパイ大作戦がばれたのか、それともいつもただ聞いているだけなのか、分からない。またしても尻尾をつかみ損ねてしまったようだ。

 ビラ男よ、いつまでも私が何も知らないと思ったら大間違いだ。いつかその尻尾をつかんで、この場で発表する。

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2007年3月23日 (金)

ビラ男よ!

 わが福祉作業所にも養護学校などを卒業した新たな仲間たちがちらほらと通い始めています。毎年この頃になるとワクワクした気持ちになる反面、いろんなハプニングを恐れます。平成19年度から、私が見て回るべき作業所が3箇所(事務所を入れて4箇所)になり、それぞれに新人君たちが入ってきますので、その意味では大忙しです。

今日、私は朝から「かんぱす」に立ち寄ることができないので、昼食準備を始めはKマナブ君に頼もうと思いました。

しかし待てよ・・・昨夜ビラ男君がクニちゃんの一時介護で泊まる日だよな。だったらビラ男君に昼食準備を頼んでみようか・・・。

お昼、さあご飯を食べようと思ったとき、ご飯が炊けていなかったらどう思います?私は自分を責めました。私の判断ミスです。たとえビラ男君に昼食準備を頼むにしても、助手をつけるべきという発想がなかったこと。後になって、Tマナブ君が「タイマーセットするときは時間を入れなきゃダメなんだよ」とビラ男君に説明していましたが、それもあとの祭りです。

福祉の世界では、私がしてしまったこういう判断ミスを「やらせっぱなし」と呼びます。何かを相手に任せるにしても、失敗の予測とそれへの対応をこちらで準備しなければなりません。そして大前提として、仕事を任せる場合、事前に自分の目で見て「大丈夫」という確認と判断が必要なのです。それをせずに「まあ、やらせてみよう」ということは特に地域福祉の世界ではタブーなのです。

昼、ご飯が炊けてなく、待たされる側だったTマナブ君やダイスケ君、ハマちゃんらはビラ男君には決して怒りません。むしろビラ男君をいじる材料ができたとばかりに楽しんでいます。ビラ男君を見るなり、大喜びでいじっています。やれご飯が炊けないだとか、朝作業所に来たときには布団がまだ敷きっぱなしになっていただとか、みんなで情報を共有しあってビラ男君をつついて楽しんでいます。

みんなそんなに楽しいか?

「ところで今日の朝はクニちゃんと朝ごはん何食べたの?」、そう私が聞くとビラ男君はこう答えました。「ギョウザとか、シュウマイとか、ハルサメとかです。」

え?朝からギョウザとシュウマイとハルサメ?

思わず私もいじってしまいました。

今日も「かんぱす」は笑顔の絶えない一日となりました。

<追伸>

最近たくさんの方々にご意見やご相談などのメールなどを頂いて、まだお返事できていません。ひとつひとつ私なりに考えをまとめようとしているのですが、なかなか考えの整理がうまく進んでおりません。思考が氷のように固まっています。しばらくお待ち下さい。思考が固まったときには「ビラ男」ネタに限ります。「ビラ男の本を出して欲しい」というご依頼も受けましたが、本にするほど記事(=ネタ)が増えるということは、、、、何といいますか、、、私としては避けたいことでありまして、、、。まあ、結果として出すとしたらそのときは皆様よろしくお願いします。

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2007年3月18日 (日)

数学のお勉強~誰のための工賃倍増?~

以下は、ある記事から抜粋。

 厚生労働省は、福祉施設で働く障害者の工賃水準をアップさせる「工賃倍増計画」に基づく都道府県の各種支援事業に対し、1都道府県当たり1000万~3000万円を補助する方針を決めた。障害者の収入を増やし、地域で自立した生活を営めるよう後押しするのが狙い。各県が策定する工賃倍増計画には、「企業とのつながりが弱い」など福祉施設の弱点を洗い出した上で、コンサルタントや企業OBによる経営指導や市場調査を行い、収益性の向上を図る対策を盛り込む。

 授産施設などで働く障害者は全国でおよそ8万人。単純労働ということもあって工賃は月額1万円以下が半数を占め、平均でも約1万5000円と低い。

 同省は、単身の衣食住の出費に必要な最低水準を「月10万円」に設定。障害者年金(月額約6万6000円)に加え、工賃を倍増させ3万円とすることで「月収10万円」に近づけたい考えだ。都道府県、市町村が策定する第2期障害福祉計画の目標年度である11年度までの5年間で達成することをめざす。

これも別の記事(毎日新聞・鳥取県)から。

県:障害者の自立支援を 工賃3倍計画、就業支援など新規事業--当初予算 /鳥取
3月11日13時1分配信 毎日新聞

 県内で働く障害者約1200人の収入を増やして自立を促そうと、県は07年度当初予算に工賃3倍計画事業費(861万円)を新たに計上した。障害者の職場実習を受け入れる事業所へ支給する謝礼金などに充てられる新規就業支援事業(3542万円)も初計上。障害者自立支援法の施行に伴う支援策の一環で、法定雇用率1・8%の達成を目指す。
 厚生労働省は障害者の単身生活に必要な最低水準を月10万円と定め、障害者年金(2級、6万6000円)に全国平均1万5000円の工賃を倍増させて「月10万円」を実現させる工賃倍増計画を策定。地域で自立した生活が営めるよう、都道府県に各種支援事業を実施するよう求めていた。
 県によると、県内で働く障害者は授産施設に630人、小規模作業所に560人おり、平均工賃は国平均より少ない1万1000円。最低水準を満たすには3倍増が必要で、今後5年間で達成を目指すほか、製品の商品化やNPO法人化、企業訪問による販路開拓の促進に取り組む。
 一方、県内の障害者の雇用率は06年6月現在、1・77%と法定雇用率を下回り、事業所の43・5%が未達成であることから、県は障害者の実習を受け入れた事業所に謝礼金を支払うほか、通勤が困難な在宅障害者の就業を促そうと事業発注を請け負う団体への奨励金を支給する。【松本杏】
3月11日朝刊 

 ここにきて、厚生労働省の障害者施設の「工賃倍増計画」がさかんに取り上げられるようになり、その計画事業費を受ける都道府県も、おそらくはさまざまな方策を練り上げている最中ではないでしょうか。
 今からいうと、あの神戸の福祉作業所のつるし上げは、そのための号砲だったのでしょう。「今日、予定通り運動会をやるよ~」という朝に「ド~ン、ド~ン」と鳴るやつと同じ。

 さて、今日は社会のお勉強でしたっけ?

 いや、数学のお勉強でした。上のほうにそう書いてありました。それにしても「工賃倍増計画」…田中角栄の「所得倍増計画」を連想するネーミングですね。個人的にはあまり良いイメージはありません。

 脱線しました。数学に戻ります。
 まず「誰のための工賃倍増」?という問題から考えていきましょう。

「それは働く障害者のみなさんのために決まっているじゃないですか」「本当は誰のため?」「だから、障害者の…」「本当は誰のため?」「だから障害者の!…」「本当は誰のため?」

「工賃倍増」を口にする人がいたら、この質問をしつこく10回くらい繰り返してみましょう。実はその「誰のため」をはっきりさせないと、「計画」の基本線が大きく逸脱してしまう危険性があるからです。

 まず都道府県にとってみたら、国から事業費を受けて事業を遂行するわけですから「平均工賃○○%アップ」「全国で○位」ということが(例え2次的なものだとしても)大切になってくるわけです。また事業者にとってみたら、その工賃アップが事業的(収入的な)な向上につながるかどうかが大切になるでしょう。就労継続支援事業などでは「目標工賃達成加算」などもあります。もちろんそれらの行政サイドの利益・事業者の利益が障害者一人ひとりの利益と完全にマッチングしていれば、問題はないわけです。そしておそらくはマッチングしているという前提でコトは進んでいくのでしょう。

 地域福祉のフィールドで長く仕事をしていると、光が差せば陰を見るという習慣が身についてしまいます。陰こそが私たちのフィールドですから。

 さて数学の問題です。

A君(工賃千円)、B君(工賃3千円)、C君(工賃6千円)、D君(工賃3万円)

この4人の福祉作業所があったとします。(実際は4人では成り立たないのですが。)この作業所の平均工賃(1万円)を上げるという目的のためには、まず誰の工賃を上げることを第1に考えることが効率的でしょうか。

答えはD君(工賃3万円)です。たとえばA君(工賃千円)の工賃が3倍になっても、全体の平均工賃は500円(5%)しか上がりません。しかしD君の工賃が倍になれば、全体の平均工賃は7500円(75%)も上昇するのです。

本来福祉の世界では、もっとも関わりを必要とされるべきA君が放っておかれ、D君の工賃アップが重要視され工賃格差が広がっても、数字上の「平均工賃」の世界では○になるのです。行政にとっても、事業者にとっても、75%上昇は悪くない数字です。これが「平均工賃」の落とし穴のひとつです。簡単な話、生産性の低い障害者を切り落として、生産性の高い障害者と入れ替えれば、「平均工賃」は上がってしまうのですよね。これ、福祉にとっていいこと?

「目標工賃達成加算」についても数字の裏を見て行きましょう。
ある就労継続支援事業B型に20人の障害者が働いています。
単価は、一人日額460単位(4600円)ですから4600円×20人=92000円がその日の障害福祉サービス事業収入となります。
 ただ「目標工賃達成加算」(日額26単位・260円)を得るにはもう一歩「平均工賃」額が足りません。そこでひとり生産性の低い障害者を切り捨ててみました。19人になったので、その分障害福祉サービス事業収入は減るかのように見えます。しかし「平均工賃」は上がり、「目標工賃達成加算」がつくようになりました。一人日額486単位(4860円)になりました。その日の障害福祉サービス事業収入は、4860円×19人=92340円。なんと、生産性の低い障害者を切り捨てたら、340円儲かるようになってしまいました。年額8万円以上です。
 数字の世界なので、実際にはこんなマンガは存在しないかもしれませんが、このケース、「平均工賃」の世界では次のような結果になります。
行政にとってみたら、「工賃倍増計画」の観点から○。
事業者にとってみたら、事業収入アップの観点から○。
切り捨てられた障害者にとってみたらもちろん×。
残った障害者も、利用者負担額が上がってしまうから×。

「誰のための工賃倍増?」…この質問を繰り返さなければならない理由はお分かりでしょうか?

今日は朝から数学のお勉強でした。

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2007年3月14日 (水)

あぐりの野菜

 昨日、事務経理方法の確認のために「障害者の働く場あぐり」に立ち寄りました。「とまりぎ」グループは、現在7箇所の小規模福祉作業所の連合組織でその運営をNPO法人礎が担うことになります。

 今回、厚生労働省より示された「就労支援事業会計処理基準」に照らしあわせて、会計処理方法の刷新を行っている最中でありまして、こうして私も(事務員として)あちらこちらに回っています。「とまりぎ」の作業所は、一箇所にまとめることなく地域点在型で事業を拡大してきていますので、全作業所を回るだけで船橋市をほぼ1周することになるのです。

 昼頃「あぐり」を訪問すると、仕出し弁当作りとその配送が終わり、一段落の雰囲気。「今、何の時間?」と聞くと「まったりの時間です(笑)」と。午前中ならきっと話しかけても誰も答えられないくらい忙しいのです。ここは仕出し弁当作りと農作業が主な仕事。作業所の作業内容によって、時間とリズムがずいぶんと違うんですよ。

 経理の話をチョイチョイと済ませて戻ろうとすると、「あぐり」の仲間から「野菜いかがですか?」と売り込みの声。新鮮なカブがすぐに目に留まり、購入。「これで漬物を作ろう」・・・。

 私は作業所でぬか床を抱えており、毎朝手入れをして昼食のみんなの漬物を作っています。日中暖かくなってきて、ぬか床の塩分を少し上げてみたので、その分浸透の弱い漬物の食材を使うつもりではいました。いきなりナスでは塩っぽくなりすぎますからね。

 葉っぱの部分を切り取りぬか床に入れました。そしてその葉っぱのみずみずしさにいたく感動し、「これで味噌汁作ったらうめえよなあ」…。

 そういうことで、今日の「かんぱす」のはカブの葉っぱの味噌汁。私は今日は面接や面会(?)などで動き回っていたためみんなの味噌汁を飲む姿を目にすることはできませんでした。夕方戻ってみると鍋はきれいになっていました。みんながおいしく食べて飲んでくれると嬉しくなります。台所もいつものようにピカピカでした。(8割が血液型A型ですから!)

 4月からは味噌汁にうるさい養護学校の生徒が卒業して入ってきます。(私の味噌汁は飲んでくれるんですけどね・・・)。実は今日はその生徒さんの作業所利用契約のための面接がありましたが、なんと生後3ヶ月のかわいい赤ちゃんも面接に同席したため、未熟者の私もついつい赤ちゃんの話に夢中になってしまい、30分を予定していた面接が1時間以上になってしまいました。いや~かわいかった。赤ちゃんの手首のあたりのプクプク感は、男性でも遺伝子に組み込まれている母性本能のようなものをくすぐってしまうようです。

さあ、残りの仕事をやっつけよう!

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2007年3月11日 (日)

タタミ運びの写真

先日、「障害者の働く場かんぱす」として、タタミの運搬&柔道会場セッティングの仕事を請けました。その時の写真を「飯山満小親父の会」の方よりいただきました。ありがとうございます。ちょっと掲載。

Dsc00727 これは柔道大会前夜にタタミを会場に運んで並べているところです。

遅い時間でしたが、みんな集中力を切らさず頑張ってますね。

Dsc00745 こちらの写真は並べ終わって記念撮影。

「親父の会」の人たちも混じっています。

Dsc00977 翌日、大会が終わって、またタタミの運搬。みんなお疲れ。そして「かんぱす」にご依頼くださった「親父の会」のみなさま、本当にありがとうございます。

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金曜日の夜

金曜日の夜、私が大きな荷物を持って帰ってくると、子供たちはちょっとしょんぼりする。「親父、お仕事いっぱいもって帰ってきたのね」と風歌(3歳)。

そして今日「かあちゃん、ロイヤルホームセンター行こう」とかあちゃんを誘い、外に出て行った。気の使い方が最近大人びてきて、もうちょっと子供らしさを持ってもらいたいと思う反面、「(外に行ってくれて)助かった」とも思ってしまう。早く仕事を片付けてあげなきゃな。

心歌(こうた・1歳)は、寝起きの時隣にいるのがかあちゃんだと思ったら親父だったというただそれだけの理由で、「もう~!おやじ、ないの!」と言って私の顔面を殴ってくる。私が優しく「こうちゃ~ん」と呼んでも「こうちゃん、しないの!」と言ってパンチ。

 そのくせ私が朝食中にはニコニコして近づいてくる心歌。

「心歌はこんな時しか寄ってこないんだから、来ても何もあげないよ~」と私が言うと、風歌が心歌を抱きしめ、「こうた、おやじに『おはよう』っていってごらん。もらえるよ~。」とささやいている。心歌がそれに応えて「おはよ」という。

しょうがない。お兄ちゃんがそういうなら。心歌にあげるしかない。心歌はもう口をあけて「ちょうだい、ちょうだい」をしている。この二人の大好物は梅干。

心歌、ネコとふざけていて、ネコと頭をゴッチンコ。ネコの石頭に勝てるはずがない。かなり痛かったはずだ。それなのにネコを抱きしめ「痛いの痛いのとんでけ~」とやってあげている。お兄ちゃんがいつもしてくれることを、こうしてネコにやってあげている。Cimg0035 写真はネコを抱いている風歌となでにいく心歌。ずっとずっと、この子達のために親父も頑張らなきゃいけないなあ。

さてさて、以前心歌がスティービーワンダーの「I just called to say I love you」を歌っていることを書きましたが、相変わらず心歌はその歌がおお気に入りです。

 散歩に出ても走りながら「I just called~」と歌っています。名前が心(ソウル)歌(ソング)で、誕生日もスティービーワンダーと同じ。自然にはじめて歌った曲がこの曲。偶然としては驚きであることを以前ブログで書きました。http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_cf94.html

 ところがさらにビックリすることを最近知りました。この曲、邦題がついていて「心の愛」というタイトルなんですって。心歌が歌う「心の愛」かぁ。

 たとえ傷つきやすくても線が細くても構わないから、人の心の痛みが分かる人になって欲しいと思います。それが叶えば、親父のダメダメ人生も、多少は意味のあったものに変わるのでしょう。

 さあ、子供たちがロイヤルホームセンターから帰ってくる前に、仕事を終わらせちまいましょう。

 ちなみに最近妻のブログからここに入ってくる方々もいらっしゃるようなので、あえて『子育て』カテゴリーで書きました。下が妻のブログ。

http://kurasitanosi.blog60.fc2.com/blog-entry-58.html

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2007年3月10日 (土)

親亀がグラグラすれば、一番上の孫亀が落下する。

 最近さまざまな事業所から電話、メールをいただく中で、私あてのものが割合としてかなり減ってきた。「ツカモトさんいらっしゃいますか」「タケイさんは」「サカジリさんは?」…。「ただいま席を外しておりまして…」と事務員さんのように対応しています。先日久々に(でもないけど)私あてに電話。「おおっ」と思ったら、レンタルビデオの延滞の催促。(犯人は妻と子供たちだな…。)
 
 最近心がけていることは、うちの仲間たち(いわゆる職員・利用者と呼ばれる人たち)に「顔」をしっかり持ってもらうということ。その方がお互いにとっていいと思うからです。それは私自身がこれまでさまざまな事業所様と触れ合うなかで考えてきたことです。 担当窓口の人は明らかに社長・上司の顔色を伺いながらこちらに対応してくる。社長も明らかに「私が社長です」と顔に書いて、腕組みをして見ている(比喩ですが)。そういう時交渉相手である私の側は何を感じると思いますか?

① 目の前の交渉相手の向こう側を意識しなければならず、とても面倒であり、その交渉相手の言葉そのものに重みを感じなくなる。
② 「この交渉相手は社長に信用されていない人なんだなあ」=「ということはこちらもあまり信用できないなあ」。
③ この人と腹を割って話すのは損。

 こういうケースも多々ありましたが、それとなく切り捨てるようにしています。社長にも信用されていない交渉相手を、どうやって信用しろというのでしょうか。それとも社長自らが見積書から値段交渉まで全部対応してくれるのでしょうか。…それをしてくれる業者なら、丁寧にお付き合いさせてもらっていますが。

 こうした「顔をもって対応する」ということは、とても大切なことだと思います。とくにうちは障害者福祉・就労支援の現場。私が職員の「顔」をつくり託すということは、その職員も障害を持つ仲間たちの「顔」をつくり託すということに直結するからです。逆に私が職員の顔をつぶすと、それは仲間たちの顔をつぶすことに直結していきます。

 「親亀の背中に小亀を乗せて~小亀の背中に~♪」

 うちは障害者の地域生活と就労生活を支援する現場。例えば障害者の職場実習の例。実習中の障害者が与えられた作業をうまくできず四苦八苦しているとする。支援者がすぐに「責任者」ヅラしてそこに入ってきたり口出してきたりしたら、わざわざ「この障害者は支援者に信用されていないんだなあ」と実習先の企業に逆宣伝をすることにしかなりません。「最初はうまくいかなくても、彼なら自分で工夫して2~3日あれば克服できますよ」という顔をして遠くで知らん顔をしていればいいんですよ。イライラや不安は腹の中に隠して、耐えることも必要なのです。「責任者」ヅラをするのは、本当に自分が責任を自分が取るべき場面、土下座する覚悟があるときだけでいいんです。それ以外のときは相手の「顔」を立てる。

 うちの職員がさまざまな交渉をしている間、基本的には私は知らん顔、つまり「任せてますよ」という顔をしてその場から離れています。そうすれば交渉相手もうちの職員もとてもやりやすいのです。ということは、障害を持つ仲間たちも働きやすいのです。<私が信用している職員、その職員が信用している仲間たち>という立場で仕事に望めるのです。

 ただし、裏では全く違うのですよ。交渉前にその中味や考え方を巡ってかなり綿密に打ち合わせをします。あらゆるパターンを想定して、対応策を打ち合わせています。その対応策の裏にある考え方についても、ちゃんと説明し、交渉者の意見にも耳を傾けます。こちらが耳を傾けなければ、こちらの声は相手を素通りするからです。
 十分な備えがあれば、交渉の現場では知らん顔で臨めるのです。たいてい私は近くを掃除していたり、他のおしゃべりに加わっていたり、ぬか床の手入れをしたりしています。
 相手が堂々とできる背景を作ること。その背景を作るということは、事前にそれなりにしっかり関わるということ。

 さまざまな業者様のオフィスを訪問し、私なりに考えてきたことです。

 また先日こんなことがありました。ある業者様から苦情をいただきました。「本当にチラシをちゃんと配っているのか」ということがその中味です。マンション管理人からその業者に苦情=報告が入ったということがその背景にありました。普段なら、交渉はその担当者に任せて私は知らん顔をしているか、軽く挨拶をするか程度なのですが、その時は割って入りました。
 

 「うちが信用できないのなら、別に仕事をいただかなくても結構です。うちの仲間がそんな適当な仕事をするはずありません。」そう言い切りました。お互いヒートしましたが、あえて記録も全部見せて、その苦情をもらった日の担当者(障害者)を現場から呼び戻して説明させました。日にちとマンションの住所をいい「あの日、ここはどう配ったのか」を本人に聞きました。彼は答えました。

 「そのマンションは実は2棟あります。1棟は管理人の許可を取って集合ポストに入れました。もうひとつは管理人の代理という女性が管理人室から出てきて、その人の指示で所定の場所に24部置いてきました。」

 要するに管理人同士の引継ぎ連絡上の問題です。それがご丁寧に業者に連絡が入ったということです。しいていうならば、その日の報告で「例外的対応」としてその現場でのやり取りの詳細を報告していれば、業者様の不信は免れたはず、ということでしょう。それは後ほどみんなに伝え、教訓として話しました。
 状況を確認せず簡単に私が謝ってしまっていたら、「彼らならやりかねません。私は彼らを信用していません」と相手に宣言していることを意味します。本当に無実ならば、そうされた人は頭に来るか、やる気を失うかどちらかです。やる気を失えば、「信頼されたい」という意識が消滅し、本当にいい加減な仕事をするようにもなってしまいます。

 長くなりましたが、その現場がいい仕事をするかしないかは、お互いの「顔」をどう守り、立てるかということです。小便クサイ表現を使うと「信頼関係」です。

 先日、就労支援事業の立ち上げの書類を施設長予定の女性職員と一緒に提出しに行きました。その行政機関の担当の方が私に「事務員さんですか?」と聞いてきたので、「はい」と答えました。

 帰り道、その女性職員が大笑いで「何で事務員さんって答えたの? ちゃんと名乗らなかったの?」と聞いてきました。「べつに事務員でいいじゃん。事務やってるんだから。」
 
 その場で大切なことは、あなたが「施設長」として所轄庁の担当者と顔を合わせ、信頼されること。俺が誰かは関係ないでしょ!

 もっともこんなことをいちいち考える必要もないくらい、小さな現場が一番理想なんですけどね。おしまい。

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2007年3月 4日 (日)

上野動物園

今日は、久々の完全オフにしました。暖かな一日。家族で上野動物園に行きました。上野の桜はすでに咲き始めていました。

普段から公私のけじめのない生活を送っているせいか、あるいは地域福祉の仕事が染み付いている人間の宿命か、いざ「家族で」と考えても、「障害を持つ仲間たちはこの週末どう過ごしているかな?」と考えてしまうものです。「今日、洋平が生活ホームで一日ひとりでいるのかな?あいつの実家は犬がいるから動物好きだろうな。連れて行ってあげよう!」ということで、生活ホームに迎えにいく。

茂原の実家に帰っているはずのシンイチロウが、生活ホームにいた。「僕が帰っちゃったら洋平ひとりになっちゃうから、かわいそうだから家に帰らなかったんですよ」とシンイチロウ君。優しい男だなあ。

というわけで洋平、シンイチロウを連れて、家族&生活ホームで上野動物園へ。ついでに私の実の妹も千葉市から呼び出して連れて行った。

人ごみが苦手で、電車に乗るだけですぐに頭痛になる性分なので、疲れはしましたが、楽しい一日を過ごしました。

コモドオオトカゲを見て長男・風歌(3歳)が一言。

「これじゃあ、まるで恐竜だね。」

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2007年3月 2日 (金)

続・ビラ男の一生

私が11月に書いた「ビラ男の一生」の続編を待つ読者が多いことは、私なりに十分に分かってはいた。(↓「ビラ男の一生」)

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_75fd.html

読者の皆さんが知りたいのは、その後の「ビラ男」の様子であろうと思う。では、本題に入る。

 昨日の夕方、何となく暇をもてあましていたハマちゃんとTマナブ君をつかまえて、私はこういった。「明日のみんなの予定を組んでよ。二人が組んだ予定にみんな従うから。俺もその通りに動くよ。」

 ホワイトボードを全部消して、Tマナブ君が書き始めた。「ピザーラ」「味ぎん」「議会報告」「長野ビラ」「ゼンドー」…。まず明日やるべき仕事の項目から書き始めていた。それはとても正しい。しかしTマナブ君は、その先が浮かばずに悩んでいた。そこにハマちゃん登場。業務日誌や取引先事業所の業務依頼書などを読み始め、誰がどの仕事をするのか、エリアや規模をどうするのかまで考えて書き始めていた。(Tマナブ君に書かせていた。)

 そこで最初に書いた名前が「つかもと」(仮称)。

 私はすぐに分かった。「この『つかもと』(仮称)というやつは、ビラ男のペンネームに違いない。みんなはまずビラ男の仕事から考え始めるということだ。」

 さすがビラ男の人望は厚い。「みんなの仕事の予定を組んで」と指示された仲間たちが最初に組んだ仕事が、なんとビラ男の仕事だった。

それにしてもハマちゃんの構想は奥が深い。藤崎5丁目には最近できた大きなマンションがある。その大きなマンションを竜君ならば管理人との交渉を避けて飛ばしてしまうだろう。だから5丁目には自分が入り、竜君には6丁目に入ってもらう…。そこまで計算された予定だった。逆に言えばそこまで考えることのできるハマちゃんが最初に考えたのが、ビラ男の明日の動きだったということだ。そしてホワイトボードの下のほうに、本当に小さく「ともの」と書いてある。しかも何の仕事が与えられたのかもよく分からない。情けで名前が入っているだけのようだ。こうして私は障害を持つ仲間たちから、半分「戦力外通告」を受けたのだ。

 私が年度末仕事・経理に追われている間に、ビラ男はさらにその人望を厚くし、凄みを増してきたようだ。

 昼休み、他の職員がタケシ君に「午後、ショッパー(地域生活情報誌の配布)頑張ろうな!」というと、タケシ君は「ヒーヒー」と不満を音声で表現し、「め・ね」と繰り返しいう。「め・ね」とは何かというと「めがね」のこと。そう、ビラ男のことを指しているのだ。その職員が「いいじゃん~。俺とやろうよ~」というとタケシ君はさらに悲鳴を上げ、「め~ね~!」と大声を上げる。「どうしてもビラ男と一緒じゃないと仕事しない」とタケシ君は言い放ったのだ。

 結局彼が折れて、ビラ男がタケシ君と仕事に行くことになった。

 その一部始終を見ていた私は仲間たちに聞いた。「何で、みんなビラ男君をそんなに尊敬してるの?」

 ハマちゃんは答えた。「いつもビラだから」「ビラ頑張っているから」。Tマナブ君に私は聞いた。

「この作業所で一番仕事頑張っている人は誰?」「つかもと君(仮称)だよ~」とTマナブ君。ここまで仲間たちに尊敬されているとは…。

 しかも単に尊敬されているだけでなく、愛されてもいる。その証拠にKマナブ君はいつもビラ男に向かってこういっている。「本当はつかもとさん(仮称)は、職員じゃないでしょう?」「竜さんとつかもとさん(仮称)がしゃべっていると、どっちが職員だかわかんないもん」。そういわれて笑顔で応えるあたりは、ビラ男の人間の深みのなせる業だ。

 今日の朝、私がタケシ君の送迎に入り車で迎えに行くと、タケシ君のお母さんがこういった。

 「昨日タケシ、つかもとさん(仮称)とショッパーやりたいって騒いだんでしょう?昨日つかもとさん(仮称)が嬉しそうに教えてくれたの。でもタケシはつかもとさん(仮称)を友達だと思っているみたい。タケシはつかもとさんといると楽しそう。きっと自分の思い通りにつかもとさんを動かしているんですよね」

 タケシ君ママよ、私も同感だ。こういう現場では、みんなにとって<ちょっと上の頼れる兄貴>という存在は絶対に必要だ。そしてそれは誰もがなれるものではない。天性(天然ではない!)のものを持っているということだろう。

 しかし私はずっと疑問を持っていた。ビラ男は本当に今の仕事がしたくてしているのだろうか。ビラ男の肩書きは「精神保健福祉士」である。私は面接の時「将来、精神保健福祉の仕事につながるために、ここで勉強したい」とビラ男が語っていたのを覚えている。「彼の仕事におけるニーズに私は応えられているのだろうか」。そう悩むこともある。形の上では<所長-職員>という関係であっても、要は人間関係。互いのニーズの接点なくしてはいい就労関係は維持できないからだ。

 ある日、酒の席を用意して、私はビラ男に単刀直入に聞いた。「今の仕事辛くない? なんでそんなに頑張れるの?」

 

ビラ男は答えた。「8月4日のことです。あの日は本当に暑い日で、ビラ配りをしている時、私もKマナブ君も完全にバテていた。倒れるかと思いました。でもタケシ君は違った。いつも以上に気合を入れて頑張っていた。その姿を見て本当に感動しました。こいつの根性はすげ~って、マジで思いました。タケシ君のこの気合と根性を発揮できるのがビラだとしたら、俺はどこまでもタケシ君に付き合い続けようって思ったんですよ。足が痛くて朝動けない日もありましたけど、もう慣れました。大丈夫です。」

ビラ男がタケシ君に感動したように、私もその話を聞いて「こいつの根性はすげ~って、マジで思いました。」

これが「ビラ男の一生」の続編です。

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2007年3月 1日 (木)

時間と人 ~遠い記憶から~

私が中学1年のとき、いつも一緒に学校から帰っている3人の友達がいました。私は思い上がりの強い人間でしたので、3人を従わせているかのような意識を持っていたように思います。

 私は帰る前に、学校裏庭の大きな石の近くに3人を待たせ、他の友達と話し込んだり先生などに声を掛けたりかけられたり、おそらくは毎日長い時間彼らの帰りを待たせていたのだと思います。私がフラフラしている間、3人はいつも大きな石の近くで座ったり何かをしていたり、とにかくおとなしく待ってくれているのが常でした。彼らが私をおとなしく待っているという事実こそが、私の「思い上がり」を基礎づけていた、そういうことだったのかもしれません。

ある時、いつものように他の友達とからんでいて、3人を長い時間待たせた後、当然の顔をして彼らのもとに戻った私に、まずエノさん(愛称)がいいました。

「お前と俺たちでは、時間の感覚が違うんだよ。」

ドキッとしました。いつもおとなしく私に従ってくれていると思っていた友達からのこの言葉。さらに続けて「待っている時間と待たせている時間の長さがきっと違うんだよ。お前はたぶんそれが理解できないんだよ。時間の考え方が違うからだよ。」中学1年生の日常会話としては、とても意味が深く、すぐには理解できなかったように思いますが、言葉としてとてもインパクトがありました。

さらにこうちゃんが続けていいました。「時間がどうとかはよくわかんねえけど、お前は俺たちを馬鹿にしてるんだよ。待たせてもいい奴らだとしか思ってないんだよ。馬鹿にしていること、バレてるんだけどさ~。お前だけが気付いてねえんだよ。」

返す言葉がなかったように思います。いや、遅れた理由を一生懸命誠実ぶって説明していたような気もします。でも頭の中はパニックでした。「図星」とこの時点で思ったかどうかはぼんやりとした記憶でよく分かりませんが、このときの情景は、以後25年間何度も繰り返し脳裏に浮かびます。とても鮮明な記憶として。カバンのひもを頭に掛けて手をポケットに突っ込んだエノさん。石ころをマンホールの上で蹴りながら笑って話していたこうちゃん。

それ以降、遅刻しそうなとき、何かの待ち合わせに遅れそうなとき、いつもこの二人の言葉が浮かぶのです。「待っている時間と待たせている時間」「馬鹿にしている。俺たちのことを待たせてもいい奴らだと思っている。」自分が相手を馬鹿にしていることを自分は気付かず、まわりみんなはそのことを直感的に感じている。その冷ややかな目すらも気付いていない。そんな情景を思い浮かべるだけで、恐怖感を覚えます。

時間に関して、あるいは人というものに関して、大切なことを教えてくれた貴重な経験です。こうちゃんはあの後すぐに転校して、それっきりです。

こんな経験の一つ一つを大切にすることですよね。

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2007年2月28日 (水)

ネットワークの作り方

障害者福祉の分野は、「施設から地域へ」というキャッチフレーズで、さまざまな制度上の改革が進められています。

同じ障害者福祉でも、「施設型」と「地域福祉」では、まるで水と油のように違うと私は考えております。相撲部を解体して卓球部を作るようなもの。そう簡単に移行・展開ができるものではありません。「時期尚早」という印象がぬぐえません。

とはいえすでに漕ぎ出した船。考えていくしかないのです。

「地域福祉」の進展の鍵はネットワーク作りにあると思います。そしてそのネットワーク作りで頭を悩めておられる方々にお会いする機会が本当に増えました。障害を持つ人たちの地域での生活を支えてく。地域での生活を支えていくのにすべて自分で抱え込むようなスタイルではお互いが窮屈になります。というか不可能です。孫悟空がいつまで走っても手のひらの中にいた・・・そんな「手のひら」は「地域福祉」の仕事ではないのです。

<大きな器で小さくても安全な生活を守る>ことが「施設」なのだとすれば、<小さな器で大きな生活を支えていく>ということが「地域福祉」なのだといえます。

「そんなこと、そう簡単にできるわけねえよ」・・・当然です。簡単にできるわけないことを、ではどうやって実践していくのか。そこにネットワークの問題が必然化するのです。

ネットワークの作り方について。「ネットワーク」といってもさまざまなバリエーションがありますので、ここではあえて抽象的に話していきたいと思います。

ネットワーク作りにおいて、それを主導する方々がまず考えていらっしゃることは「どう広げるか」であるように思われます。広げるために身を粉にして一生懸命活動して、しかしそうはいかない部分も出てくる。そこで今度は「ネットワークの目的をどこにおくべきか」と発想される。こういうパターンが多いようです。

ちょっと時間がなくなってきましたので、結論的なことだけ述べておきます。

ネットワーク作りを主導される方がまず考えなければいけないことは、そもそも「ネットワークを作ろう」と思った自分自身において、目的を二重化して考えなければいけないということです。それは以下のようにです。

①ネットワークそのものの目的を考える。自分、あるいは自分の事業、自分達が抱えている障害を持つ仲間たちというものから一歩離れて構想する。主語を「地域」であるとか「地域の障害者」として考えるべき部分。

②そのネットワークを通じて、自分(たち)は何を目指すのか。ネットワークをつくるという活動そのものや作られたネットワークをどう活用するのかということ。この場合の主語は自分(たち)にあるのです。

①の領域だけで考えると、自分の実践とのつながりを失い、ただ疲れるだけで終わってしまう場合も多いようです。極端に言えば、自分の本当のやるべき任務・業務がおろそかになってしまう場合もあります。逆に②が突出しすぎると、引き回し的なネットワークになってしまい、他者にとっての意味合いを喪失し、やがて収束に向かってしまいます。収束に向かえば、当然自分の事業にとっての意味も失います。

大切なことは①、②を分化して考え、①を前提とした②の領域、②を前提とした①の領域をそれぞれ考えることです。その分析視覚と発想の深み、さらにはバランス感覚などが求められるのだと思います。

もう迎えにいく時間なので、ここまで。ではいってきま~す。

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2007年2月20日 (火)

障害者の地域福祉における地元不動産業者のとのつながりについて

障害者の地域福祉における地元不動産業者のとのつながりについて

先日ある短大の先生とお話して、表題の件について研究されているとのことで、意見等を求められました。「私のブログをよんでちょ~」とだけお答えしたのですが、私自身読み返したところ、該当する部分が少なかったので、ここでちょっと書きます。

<障害者の地域福祉について>

事業そのものが(うちのように)たとえ就労的事業が中心であったにしても、地域福祉の本来の目的は、「その人が(たとえさまざまな障害を抱えていても)当たり前のように地域で暮らす」ということが最大の目標になります。作業の提供はそれ自体が目的なのではなく、手段の体系の一つになるのです。

「地域で暮らす」ということの根本は、やはり<衣・食・住>のうちの<住>の社会的性格の有無にあります。その人が当たり前のように地域で暮らす、そのために我々福祉事業者ができることは何であるのか。そして我々の不足の部分は地域のネットワークを活用しながら、どうやって彼の<住>の社会的性格を支えていくのか、ということが大切なのです。

地域の中で、とりわけ<住>に関しての情報が集まるのは地元の不動産業者だと考えます。ですから我々は福祉事業の開所当所から地元の不動産業者との関係を大切にしてきました。

<どうやってつながりを作るのか>

 まず何よりも、障害を持つ仲間たちのことを理解してもらわなければなりません。「理解してもらう」という言い回しは、福祉関係者が好きでよく使うものですが、ここで少し注意が必要です。「どう理解してもらうのか」ということを考えなければなりません。その人の障害特性を理解してもらい、「障害者だから仕方がないんですよ」ということを理解してもらうということでしょうか? 違いますよね。「自分と同じ人間じゃん!しかも頑張ってるじゃん!」という形で理解してもらうことが第一前提ですよね。そのためにはやはり仕事ですよね。その結果ですよね。

 不動産業者が抱えている駐車場の除草、空き室の清掃、物件広告の配布、夜逃げの後処理…。これらを仕事として請けて、結果を返すんですよ。除草だったら作業前と作業後の写真、働いている写真なども報告書に添付してお見せする。物件広告の配布ならば、まずは小中学校の学区を意識することですよね。引越しする際、親がまず考えることが子供の転校の有無ですから。そのあたりを下調べして、反響が来やすいエリアをこちらから逆に意見するくらいまでにこちらの力量をつけること。そして結果につながることを実感してもらうこと。こういうことの積み重ねで、まずはその業者にとってなくてはならないパートナーになることが大切ですよね。

<その前に、付き合う業者の選び方>

 基本的には地元密着型の業者を選ぶこと。そして障害者の<住>に関係することですから、賃貸に強い業者。その上で、窓口の方のうち一人でもいいですから、福祉に対して理解がある人がいるところ。その人に対してまずは結果を返すことを何よりも大切にする。そうすれば自然と上の方の人が名刺を持ってこちらに来てくれます。

<その先のこと>

 互いのニーズを知り合う関係を作る。その不動産業者が抱えているアパートなどで暮らしている障害を持つ方のことでお困りになっているというケースは結構多いのです。「うちの利用者じゃないから関係ない」という態度をとったら終わり。もちろん背負い込みすぎるのも事業的な意味でマイナスになる可能性がありますので注意しなければなりませんが、お困りになっている事例をよき聞いて親身に解決策を講じることが大切です。

 そういうケースの場合、これまで、掃除や引越しを手伝ったり、買い物を手伝ったりしてきました。オーナーさんと居住者(障害者)の対立が深くなったりした時には、そこに入り込みすぎずに、その方の通院している病院のワーカーさんをつきとめ、そのワーカーさんと一緒に中に入って解決するということもしてきました。前提的に病院のワーカーさんとのつながりは大切です。こちらはワーカーさん(=病院)とのつながりのある事業者として、不動産業者のニーズに対応するのです。言い方は悪いですが、病院内のワーカーさんは所詮病院の人です。いかに地域福祉・地域医療を目指して頑張っている方でも、地域資源そのものとのつながりは我々ほどではありません。逆に障害を持つ入居者を抱えている不動産業者やオーナーさんにとってみたら、病院はよく分からない世界です。我々がその接点を担うことで、信頼をつかむことです。

 そうすることで、直接自分の事業所の利用者でない方の地域生活に関する諸問題も、側面的に支援し、地域福祉を進めることです。テメエのことしか考えない福祉事業者は、所詮テメエのことしか考えずに口で「ネットワーク」というだけなので、深みのあるつながりは作れないのです。

 つぎにこちらのニーズも伝えていきます。仕事上のニーズもありますが、それ以外もあります。千葉県では地域活動支援センターにおいて家賃補助制度があります。不動産業者との日ごろの付き合いの中で、そういう福祉制度についても理解してもらうことです。うちの事業所の周りの不動産屋さんは、みんな自立支援法に強いですよ(笑)。

 例えば家賃補助の限度額以内ならば事業者は直接の負担額は発生しません。ただし、敷金・礼金・保証金などは補助の対象で丸ごと自己負担になります。もう分かりますよね。オーナー様にも不動産業者にもプラスになる方向でかつこちらの負担額を減らせる方法を検討してもらえる関係ができるのです。

<さらにさらに>

不動産業者に好印象を与えれば、その業者と付き合いのあるオーナー様や事業主様にそのイメージは広がります。どうやって広げてくれているのかは直接見たことないので分かりませんが、パーッと広がっていくようです。それでずいぶん仕事も増えました。(もうこれ以上はお腹いっぱいです。)

<ひとつの到達点として>

 うちの利用者が生活の場を求めている時、あるいはグループホームなどを探している時、その業者は親身になって、探してくれます。オーナー様の不安に対しても、ちゃんと説得してくれて、安心させてくれます。そして何かトラブルがあったときには、対応してくれます。それだけでどんなに有難いことか!

 ただ飛び込みで行って頭を下げて「生活の場を探してください」とやっても、仕事としては受けてくれても、その先は分かりません。そうならないためにも地道な関係を作っておくことが大切です。地道にコツコツ、そしてその中心は障害を持つ仲間たち自身だということです。

<まとめ>

仕事を通じて(不動産業者と障害者との)人間的なつながりを作り出し、その人間的なつながりを通じて地域福祉の仕事を進めていくのです。但し、不動産業者同士の関係については慎重に!配慮の力が求められます。

これ以上うちの方法をしゃべると、うちの職員に「それは企業秘密ですよ」と怒られてしまうので、これでおしまい。

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2007年2月16日 (金)

福祉の仕事は楽しくいこう。

福祉の仕事は楽しくいこう。

いわゆる「成功哲学」系の文献を読むと、<発想の転換>のような例がよく出てきますよね。それはそれで「なるほどな」と思うのですが、では実践にどうつなげていくのかというと、それが結構難しい。

それは何故かというと<転換>するということは、軸が定まっていなければうまくできないからです。例えばジャンプして、着地する時に180度ターン(=転換)するとしましょう。それをうまくやるには頭を上げて直立の状態から始めますよね。体重の軸を真ん中に持ってこなければブレてしまい、うまくターンできないからです。前かがみになってターンするのは難しいでしょよね。

それと同じで<発想の転換>をするには、発想の軸をどこに定めるかということが実は一番肝心なのです。

障害者福祉の世界も同じです。最近障害者福祉事業の世界でもビジネスイデオロギーで福祉事業経営の発想を転換するといった類の催し物が多くあります。確かに<目からウロコ>という衝撃を覚える今までにない発想を教示されます。でもなかなか実践には活かせない。「活かせないのはその現場が悪いから」で福祉の現場が断罪される。

でも違うんですよ。それぞれの福祉現場にそれぞれの課題なり問題点があることは否定しません。しかし福祉には福祉の軸がある。そこに違う軸を持ってきて「さあ、ここでターンしなさい」といってもできるわけがないんですよ。そのことにそろそろ気付いていかないと、現場がメチャクチャになりますよ。

私の作業所が「○○西」という地域から「○○東」という地域に引っ越してきて丸二年。「○○西」では地域の中に(手前味噌のようですが)しっかりと根付いていて、「引っ越す」というだけでも大変でした。必要な場所として認知されていましたから、あちらこちらから「こっちに越してきて」「違うところに行かないで」と言われるのです。

私自身そのことに安住しすぎていたのでしょう。「必要とされて当たり前」という感覚に浸っていたのだと思います。

「○○東」への引越し。隣町ですから、当然のように歓迎されると思っていました。ところがどっこい…。「この道を障害者に歩かせるな。気持ち悪いだろう。」ちょっとのことで怒鳴りこまれたり市に苦情が入ったり…。当時私の不在時に新人職員がその対応をする羽目になったりして、いやぁ大変でした。

そのつど私が頭を下げに行って収拾するのですが、そういうことが繰り返されると、新人職員の意識がどんどん小さくなってしまいます。

うちの作業所のモットーは、障害者が地域で必要とされ、必要とされていることを各々が肌で感じ、威張って(胸を張って)生きていくことです。「職員」といわれる側の我々が「地域に何を言われるか」とビクビクしながらやっていたら困るわけです。

2年前私はその新人職員に言いました。

「面白くなってきたね。苦情をもらうと、内心ワクワクするんだよ。俺が何を考えて頭下げていたか分かる? 3年後には逆に頭を下げられるんだろうなあって思いながら、頭を下げてるんだよ。だからワクワクするんだよ。これまでの○○西地域ではなかなか味わえなかったことだよね。苦情なんてもらえなかったわけだから。その意味が3年後には分かるから。」

それから2年が経ちました。先日、うちの作業所がある地域でちょっとした問題がありました。うちの作業所も地域の方々の共同出資で作られた私道に面しているのですが、その私道の奥にアパートがあります。そのアパートのごみの出し方を巡って、地域の方々とアパートの管理会社が対立している。市も間に入っていますが、収拾がつきません。市指定のごみ収集車がこの私道に入って、何かあったときに責任の所在がどこなのかという問題があるのです。市道ならば、たとえば6トンにもなる収集車が入って道路が陥没したとき、その修理責任は市の側にあり、市が修理代を負担します。この道路そのものもそれほど丈夫でなく、6トン車では耐えられないだろうというのが多くの方の見解です。アパート住民とこの地域の方々の感情の問題にもなっています。

我々はその対立の輪に入りました。うちの障害を持つ仲間たちなら解決できると踏んだからです。公道で収集車が待機している間に、うちの力自慢の仲間たちが分担してその奥のアパートのごみを収集車まで運ぶことができる。その方法でまずは地域の方々が納得してくれて、さらにアパート管理会社と業務の契約が結べれば、関係者すべてにとっていい解決ができます。

その提案を持ちかけたところで、対立の輪は解けて輪は解散になりました。

以前「障害者はこの道をフラフラ歩くな」といわれた道で、彼らが頼られ頼まれることになりました。障害を持つ仲間たちが「お願いします」と頭を下げられる立場に立ちました。ここから先、本当の信頼をつかむか否かは仲間たち自身の頑張りですが、我々はそこには絶対の自信を持っています。だからこういう提案ができるのです。

「フラフラ歩くな」といわれた道で、「お願いします」といわれて胸を張って歩くわけです。そういう構想を描くことそのものを<発想の転換>というのであれば、その際の軸は「障害を持つ仲間たちそのものを主人公として考える」という福祉の世界ならではのものです。その道を歩かない方法を考えるのではなく、「どうすれば奴らが威張って歩けるか」という発想。その価値観の軸。この軸がブレてしまうと、発展はしないのです。「職員」といわれる人たちがいくら地域におべっかを使ったりし続けても、問題は解決にはつながらないのです。

「3年後には分かるから」と宣言してから2年。1年後が楽しみです。でもその楽しみは2年前から楽しみにしているものです。

長くなったけど、最近の事例でもう一つ。ある固定客のみを対象とした個人事業者の宣伝チラシの配布をうちの作業所が行っています。こうした依頼業者だけで、うちの作業所は両手で足りないほどの数を抱えています。この個人事業者との付き合いは2年近くになるでしょうか。今では「入って当たり前」の事業者の一つになっています。

ところがこの事業者から先日相談を受けました。実は固定客の減少で広告費出費が出せなくなっている。単価を下げてもらえないか、という相談。

うちはリピーター率が極めて高く、うちから別の業者に乗り換えたという例は少なくとも私は1件も知りません。ですから広告の効果というものには自信を持っています。配り方やエリア指定などあらゆる意味で他の業者には真似できない水準だと自負しているからです。しかしこの個人事業者さんの例でいえば、うちが宣伝チラシ配布を担当してからも、固定客が増えていないというのです。

その相談に乗ったうちの「職員」は、当初「単価を下げるしかないかなあ」と考えていたようです。気持ちは分かります。これだけ長く付き合っている業者、相手が困っているんだから何とかしてあげたい。そういう気持ちになるものです。でもここで先ほどの「価値観の軸」に戻って考えるならば、長期的にはそれは決していい判断にはなりません。まずこれまでの障害を持つ仲間たちの労働を「価値がなかったもの」として否定することにもなってしまいます。そして今後の彼らの労働の価値も(単価を下げるわけだから)下げてしまうことになるのです。すなわち軸のないターンになってしまうのです。

私は宿題を出しました。(すぐにヒントを与える悪い癖はありましたが・・・)

①なぜ反響が来なかったかの分析をすること。チラシの大きさ・中味、さらにいえば、この事業者のセールスポイントは何であり、それがこのチラシに反映されているのか、など。

②そのうえで、仲間たちにとってプラスになる方向で、この業者のプラスになる道を考えること。

③「固定客がつかなかったから単価を下げて」に対して、「固定客を3倍にしてあげるから単価を上げて」と答えられるような発想を持つこと。

こういう<発想の転換>を持つためには、障害を持つ仲間たちの仕事に対して我々がどう評価しているのか・何を大切に、何を軸として判断するのか、ということが大切なわけです。その軸にどっかりと体重をかけた上で、「どうすれば固定客を増やして上げられるだろうか」と構想することです。

仲間たちの仕事に大きな問題はなかったはずです。その信念があります。問題があったとすれば、彼らに仕事の段取りを指揮した我々の側にあるか、あるいはもっと前の段階にあるか、いずれかです。そう思えば簡単に単価を下げるという発想にはつながらないはずです。

前のブログでちょっと紹介した気もしますが、今彼はいろんな構想を考えているようですし、その軸は間違っていません。どんな答えを持ってきて、どんな解決をしてくれるのか、そしてその解決の先には障害を持つ仲間たちが輝いている絵があるのか、楽しみです。

今回の記事のタイトルは、「福祉の仕事は楽しくいこう」でした。楽しそうでしょ(笑)。でも大変なんですから。特に私のところで働いている人たちは、特に大変ですよ。

来てみます?きっと逃げ出したくなりますよ。最初のうちはね。でも誰も逃げないんですけどね。障害を持つ仲間たちのハートが刺さっちまいますからね。

やばいっ、オレ明後日講演しなきゃいけないのを忘れていた。準備ができていない。逃げ出したくなりました。仲間たちのところへ。

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新作業の一こまなど

       Img027        

計量器を使って、何か分量を測って製作しています。計量器の使い方も少しずつ覚えてきました。

Img028

 何か真剣に作業をしています。いったい何ができるんでしょう。

Img030

 ところでこの「職員」は、何してるんでしょう?働いているんでしょうか。私の管理不行届きでしょうか。

すべては謎に包まれています。

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2007年2月13日 (火)

私の日常

 朝起きてコーヒーを飲んでいると、出窓の外にいつものメジロが2羽やってきます。彼らの好物グレープフルーツをぶら下げてあるからです。1羽は(オスかな?)いつも大胆にグレープフルーツをつっつきながらもう一羽を呼びます。もう一羽(メス?)はとてもシャイで、ぶら下げてある糸に留まりながら、キョロキョロ様子を伺い、大丈夫そうなら食べに来ます。

 私がストーブをつけるので、金魚たちも起きてきます。カメたちはよほど室温が上がらないと、起きてきません。犬やネコ、カラスは年寄りなので、寝ています。

 福祉作業所につくと、まずぬか床に手を入れます。私専用のぬか床が、作業所にはあります。頑張って働いている仲間たち、冬なのに汗を大量にかき、時に塩を噴いているので(笑)、こうして漬物を用意してあげているのです。ぬか床をいじりながら、その日一日自分が落ち着いて仕事ができるように暗示をかけます。

 冷蔵庫を開けると、たまに前日私が用意した漬物が残っていることもあります。ちょっとガッカリします。しかし食べてみると、「まだまだ漬物になっていないな」と思います。ぬか床は生きています。毎日かかわることが大切です。そして人間と同じで、マニュアルどおりにはいきません。ぬか漬けをはじめて1週間で、ベテランのぬか床と同じ味が出せるわけはありません。熟成されていくのです。いろんな野菜を包み込みながら、ぬか床は自らの味を出していくのです。そして手を入れる人によって微妙に味が変わってきます。何故かは分かりません。「生きているから」としか言いようがありません。ナスの色は、そのことが顕著です。

 さて、障害を持つ仲間たちの昼食、昨日は祝日で仕出し弁当が休みだったので、私が作りました。2作業所分の昼食。かたやきそばに野菜炒めをあんかけにして、味付けは豆板醤を軸にちょっとピリッとさせました。ちょっとピリッとした仕事につながるかな、と思って。

 炊いたご飯が残ると、たいていはおにぎりを作って、働く仲間たちの夕方のおやつにします。しかし職員がたくさん仕事を抱えているときなどは、私が彼らの夜食を作って置いておくこともあります。

 私はたいてい先に帰ります。帰る時間によりますが、早い日は夕食の準備をします。人参などはカメにも半分あげてしまいます。カメは人参が大好物です。6匹のカメ。誰が食べて誰が食べられなかったかは口元(クチバシ)をみれば分かります。赤くなってますから。

子供たちを寝かしつけてから、さあお勉強。本とにらめっこです。

お勉強は、内容でなく必ず時間で区切ります。そうしないと際限がないからです。時間になれば、ビールを飲んで、翌朝のコーヒータイムまでぐっすりです。

朝になれば、またメジロたちがやってきます。1匹は積極的で、1匹は慎重です。カメたちがようやく起きはじめる頃、私は作業所でぬか床に手を入れています。

おしまい

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2007年2月 6日 (火)

福祉作業所の日常

障害者の小規模福祉作業所「かんぱす」と「クローバー」で働いていると・・・。

こんな日常になります。

まずは先週末。宣伝広告の配布の委託を受けている地域の学習塾から相談がありました。昨今の生徒さん不足についてでした。うちの職員がその経営を救うために、あの手この手を考えています。障害者福祉と今の子供に関する諸問題の接点を模索し、互いにとっていい道はないか、いろいろ考えてあげているようです。インターネットでイジメ問題などを調べていた痕跡がデスクの上に残っています。この職員は、隣の市町村の地域福祉に関するプロジェクトの相談にも乗ってあげているようです。

金曜日の夕方、いつもなら帰ってしまう仲間たちが、ガスメーターの解体やチラシ配布の準備などをしながら夕方遅くまで残っています。実は土曜日、地域の「きっず柔道大会」に畳を運ぶ仕事を地域の小学校のPTA(親父の会)から依頼されていまして、みんなその仕事のために残っていたのでした。私の仕事はカップラーメンを10個買ってきて、これから力仕事をする仲間たちの夜食にしてあげることでした。地域のお父さんたちと一緒に汗水流して働く仕事。「かんぱす」にはこんなに宝の山(働き手)がいるのだということをアピールするために、気合の入った力持ちばかりを集めて、この仕事に望みました。流れ作業で80枚の畳は柔道大会の会場に次々と運ばれ、あっという間に仕事は完了。感謝されて喜ぶ仲間たち。

週があけて、月曜の朝。私は地域の自動車修理工場の社長さんから呼び止められました。「所長さん、ちょっとこの車見てくださいよ!」大きな声で社長さんは言います。(何だろう、と内心ビクビク。)

「この車、かんぱすのダイスケ君とマナブ君が磨いたやつですよ。信じられないくらいピカピカでしょ。本当すごいっすよ。前はアルバイト入れてたんだけど、やっぱりみんな手を抜くんですよね。でもダイスケ君たちの仕事は出来上がりがぜんぜん違うんですよ。おかげで車磨きは彼らに全部任せて、他の仕事に入れるから、こちらとしては大助かりなんですよ。」販売用の車を磨いたりワックスをかける仕事を請けているのです。普段どちらかというと仕事が遅く注意されがちなダイスケ君の持ち味。つまり丁寧で器用。それがこんな形で認められ評価されていたのでした。

そうこうしている間に、作業所にチラシがどっさり届きました。船橋市議会の議会報告です。今回は5万部。船橋市議会の近況を地域の有権者の方々に届ける仕事もしています。障害を持つ仲間たちはこの仕事をどうこなすか、みんな思い思いの構想をぶつけ合っています。

もうひとつの作業所クローバーに立ち寄ると、みんなでこの春発売開始予定の新製品の開発に没頭していました。何を発売するかはまだ秘密です。いうとクローバーの職員に怒られてしまいます。私が顔を出すと「クエン酸の消費量が多くてコストがかかっちゃうんですよ。他の粉末の酸で代用できないでしょうか。」と相談。「ん~。ワインビネガーは液体だから、化学反応が進みやすいから難しいけど、量を調節して試してみたら?」

それからもう一つ相談。牛乳配達の委託を受けている事業所から「もう1コース回ってほしい」と頼まれているという。「八千代の小娘が月・木で来てくれるなら可能だけど…ちょっと考えさせて」と対応。

そうこうしている間に、さっきとは別の学習塾から電話。「来週チラシ配ってよ。今回は6000部いい?明日の夕方取りに来て!」…。今日も大忙しです。

さらには地域の地区社会福祉協議会の会長さんが「クローバー」に来所。ペットボトルの回収を地域としてやりたいと思って市に相談しに行くんだけどどう思う?、そのフタをとる仕事とかできない?「クローバー」の職員が対応。この職員は地域の福祉祭りの実行委員もやっているので、こうして会長自ら相談に来てくれるのだ。

最近は事務方の仕事ばかりに追われて、障害を持つ仲間たちと直接一緒に汗水流して働く機会が減ってしまいましたが、こうして地域の方々事業者さんらとお会いしていると、いかに仲間たちが地域の中で頑張って働いているのか。いかにたくさんの信頼をされているのかがよく分かります。

そして明日からはこれまで取引のなかった業者さんからの依頼で新しい仕事も始まります。アパートの共用部の清掃です。すでに数社からこの仕事は請けていますが、この業者さんからは初めて。結果を出せば仕事が増えるというので、みんな気合が入っています。

事務仕事は達成感などが乏しく、ずっとやっていると暗い気分になりがちですが、地域の方々からの仲間たちの頑張りの「速報」がこうしてさまざまな形で私の耳に入ってくるので、私も頑張ろうと思うのです。

お前らホント、スゲ~よ!

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2007年2月 3日 (土)

息子が作った詩

「かあちゃん」

ふうたがわらうと  かあちゃんもわらう

ふうたがおこると  かあちゃんもおこる

ふうたがあそぶと  かあちゃんもあそぶ

 

 

 

          Cimg0785 友野風歌(3歳7ヶ月)

  写真は1年前(2歳)。0歳の心歌(こうた)に甘えられる。

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2007年2月 1日 (木)

ヒント

小さな事業を切り盛りすること。

大切なのはイメージ力と機動性。

小さな事業所の存在価値は、等身大ゆえのぬくもりと近い距離感。人や取引先に安心感を与えるそれ。小さな事業所が小さな関係を作り、それを大きく膨らませるのは、実は先に述べたイメージ力。イメージ力とは空間的あるいは時間的な意味で、自分の視野のその先にあるものを感覚的につかみとる力。それを可能にするのは「経験」を自分の中でリサイクルして分別・再利用する力。あとは作られたイメージに対する実践的な処理能力。

機動性について。1番良い判断(best)をじっくり時間をかけてするべきか。あるいは結果としてbestではなく2番目、3番目(better)なのかも知れないというリスクを背負いつつも判断を瞬時に行うべきか、このどちらの判断方法を採用するかを臨機応変かつ瞬時に判断すること。これが機動性の前提。「ここはじっくり時間をかけて考えるべき」「ここはすぐに答えを出すべき」その振り分けがいかに適切かということ。

いいかえれば二つの基準を同時に持つこと。ひとつは「bestの判断は何なのか」ということ、もうひとつは判断までの時間。この組み合わせによって打ち出した判断内容に基づいて行動する、これが機動性。つまり押す場面、引く場面の見極め。

こういうのを書くと、みんな「自分のこと書いてるのかなあ」って不安になるよね。でも安心してください。その「予感」が当たっているのは一人だけですから。

よけいに不安?

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2007年1月26日 (金)

奴らの足音のバラード

奴らの足音のバラード  かまやつひろし

何にもない 何にもない

全く何にもない

うまれた うまれた

星がうまれた

星がひとつ

暗い宇宙に うまれた

星には夜があり

そして朝が訪れた

何にもない大地に

ただ風が吹いてた

吹いてた

この曲、あの頃大好きだった。

もっと小さい頃は、歌詞の中身のあまりの大きさに

自分が吸い込まれていくような恐怖心を

感じていたような気がする。

両親と離れて、何もない地球の始まりのような空間で

たたずんでいるような、絶対的な孤独。

その大きさが、耐え切れず恐かった。

やがてそれなりに大きくなり、

苦悩というものの大きさをそれなりに知るようになり、

己れの苦悩の小ささを知らしめ、

それを超えた絶対的な法則性としての自然の弁証法。

その前にただ跪くしかないような、

物質への忠誠心を、

私はどこに置いてきたのか。

それともすべてがインチキだったのか。

私のすべてが。

自分が半分空っぽだから、

体が軽くなって、いい仕事ができるのだとしたら、

それはいいことだろうか?

考える前に、働こう。

それしかない。

それとも、他に逃げ口があるっていうのかい?

ただ闇雲に、働こうと思う。

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2007年1月23日 (火)

スランプの脱出法その2

半年前の7月16日に「私のスランプ脱出法」という記事を書きました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_8244.html

あの記事は個人の「スランプ」についてですが、今回は組織の「スランプ」です。障害者地域福祉という狭いフィールドですが、私も経験しました。4~5年前に。次々といろんなハプニングに襲われる。障害を持つ仲間たちをめぐって、いろんなことが立て続けに起きる。

ある仲間が地域情報誌の配達中に足を痛めていて、同行していた職員も私自身もそのことを知らずに帰してしまい、あとで大変になったこと。市販の安定剤を電車の中でまとめて全部飲んでしまい、救急車で運ばれた仲間。時事ニュースに興奮して暴れまわってしまった仲間。家出する仲間。仲間同士の取っ組み合いのケンカ。仕事上の苦情の嵐。まだまだありましたよ。こういうことが一気に同時に起こったのでした。それぞれのハプニングは直接には関連していない。いや、私自身が関連させて考えることができていなかったのです。

私はそのつど担当職員を呼んで、その対応のまずさなどについて説教をしていた記憶があります。「困ったなあ」という意識で。

その頃の私自身の問題について、具体的に今思うことは省略します。むしろどのように乗り越えたかについて書くだけにします。

ひとつの福祉作業所、たかだか15人程度の場所。浅くてもいい、2~3分の会話でもいい、とにかく毎日全員に声をかけ関わることを最大の目標にしました。意識せずみんなと関わっていると、いろいろ気を配っているつもりであっても、一人二人は一日関わることなく終わってしまう人が出てきてしまうものです。だから「必ず全員」ということを意識し目標にしたのです。私自身、何となくちっぽけな「指導者意識」のようなものが芽生え始めていた頃なので、「障害を持つ仲間たちとの関わり」は私がやるより私の下の職員にやらせるものという意識があったのだと思います。そこをスッパリと変えてみました。「自分がやらなければならないこと」と決めつけていたことを一度リセットして、私と仲間たちの「1対15」の関係の再構築から再出発したのでした。「1対15」を前提にするようになって、そこから「1対1」あるいは「3対15」の関係も新鮮なものになったように思います。

職員の仲間たちの苦悩や苦手なこと、日々の思いなども見えるようになりました。そうすればどこをどうサポートすればいいのかも見えてきました。そして何よりも私自身が前向きに物事を捉えられるようになりました。

そうしてあの地獄のような「組織のスランプ」を乗り越えたのでした。

今でも「全員と関わる」ということを目標にはしていますが、もちろんあの頃よりも業務内容は増えてかつ深くなり、毎日それが実現できるということは難しくなりました。しかし「2日間みんなと関われなかった時は、3日目には全員と関わる」というように、自分の中の区切りをつけるようにはしています。(現場職員からは「最近いつもいない」との苦情を承ってりますが。)

事実、3日間ほど中を空けてしまうと、今でも小さなハプニングがチラホラと出てきます。昔はそれを人のせいにしていた部分がありますが、今は自分の仕事の区切りのつけ方の問題として捉えています。

組織も人も、スランプを乗り越えて強くなっていくし、障害を持つみんなも失敗を乗り越えて強くなっていくものですよね。

ところで昨日、マナブ君が実習生(中学生)にお尻を近づけ、屁をぶっかけていました。中学生は我々に言いつけませんでした。「あいつ、またやったか」という声があちらこちらから聞こえてきそうですが、そうです。またやりました。

こういう小さいこと(小さくない?)を見逃さないことですよね。

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人間の記憶について

 人間の記憶は、信号化され記憶の貯蔵庫でストックされている。我々は意識の地平において、その記憶の貯蔵庫から必要な記憶を必要量取り出す能力を一定程度有している。しかし、意識とは重層的なもので、例えば「思い出したい」と思う意識の裏側で、もうひとつ「思い出したくない」という意識が働くことがあり、またその逆もある。それらの重層的な意識は、複雑に絡み合い、意識は自己を対象化することはできない。対象化された時点において、それはもはや「意識そのもの」でなく「対象化された意識」となる。つまり本物ではなくなる。

 「対象化された意識」を「意識そのもの」として錯認してしまうその地平において、いわゆる意識化されていない(対象化されていない)意識を、「下意識」(フロイト)などと定義付けられることがある。

 本来対象化し得ない「意識」を意識的に対象化することによってしか、「意識」を意識することができない。「対象化された意識」しか、意識の自己認識手段はないということだ。それゆえにこの「下意識」という概念は、「対象化された意識」の中で、いまだ対象化されていない部分を表す概念としては、使い勝手がいい。

 さて、人間は意識的に記憶の貯蔵庫から、必要な記憶を取り出すことが一定程度できたわけだが、この「下意識」という概念を用いるならば、意識の指示でなく明らかに「下意識」の指示で、記憶の取捨が判断されるというケースがある。その記憶を呼び起こすことは、「意識」にとってよい選択肢でないという判断を「下意識」が行っていると思うよりほかないような状態に置かれることがある。あくまでも「対象化された意識」を「意識」と呼び、「意識の対象化からはみ出した、憶測に基づく意識」を「下意識」と呼ぶ概念操作を前提とするならば、の話だが。

 私自身もスッポリと抜け落ちている意識上の時空間がある。ある一定の記憶の世界を言葉にして表現することはできるが、それを脳内で映像化することができない。イメージとしてすっぽり抜けているということだ。そこにあるのは「無」なのだが、「下意識」が記憶の貯蔵庫に蓋をしているとしか思えないような現象が私の中では起こっている。

 しかしそれによって私は今こうして生きて、そして時に笑ったりすることができているのだろうと思う。

 「下意識」が「意識」そのものと向き合う中で、「意識」にとってその記憶は呼び起こすべきか否かを判断し、時に「意識」の指令に反した形で記憶の現出を操作する。それによって「意識」は自己を守っている。「下意識」の陰の力に支えられながらも「意識」は自己を所有している。

 こうした「意識」と「下意識」、「記憶」のバランスを欠くと、人間の「意識」は大きく混乱する。誰しも遠い過去の記憶が近い過去の記憶に比べて薄くなることによって、「意識」のバランスは保たれているのだとは思う。たとえ「下意識」の記憶操作がなかったとしても。

 「自閉症」と呼ばれる障害を持つ仲間たちの中には、こうした「意識」と「記憶」のバランスにやや難があるのではないかと思うようなケースが存在する人たちがいる。いわゆる「カレンダー人間」と呼ばれる、過去の記憶をカレンダーとともに瞬時に呼び起こす能力を持った仲間たちがそれだ。彼らは混乱しやすく、矛盾に対してとても敏感なのだ。

 3年前、Aさんから「正しいのはBだ」と言われた。そして昨日、同じくAさんから「正しいのはBではなくCだ」と言われた。

 通常我々なら、記憶が鮮明な「正しいのはC」という答えを基準に指示内容を整理することができる。「3年前のBだと言われたのは間違えだったのかな」「Aさんの意見が変わったのかな」「今の自分に踏まえて、AさんはBからCに答えを変えてきたのかな」というように。しかし彼らの場合には、3年前の記憶も昨日の記憶も、同じぐらいの印象と圧力をもって彼らに迫るのだ。だから整理する際の基準を失い、とても混乱する。

 どんなにつらいのだろう、と思うときがある。記憶が消えない世界ってどんな世界だろう。これまでと矛盾する新たな情報は、時に彼らを混乱させる。そして行動のパターン化・ある種儀式めいた常道行動によって情報を遮断し、オウム返しによって他者を遮断する。「自閉症」という名称が付与された理由はこうした行動に基づく。

 それゆえ私は、彼らと接するときは、いかに自分自身の訴えに一貫性を持たせるか、ということに気を配る。

 「意識」は、本来対象化し得ない自己自身を対象化しそれを「意識」と表現し、その「対象化された意識」のアンサンブルを通じて他者を意識し、関係を作り上げていく。

 私は「下意識」の指令に基づいて過去の記憶を一部、おそらくは操作しているのだ。そしてそうした「意識」の自己省察の志向性において、自己の中に他者を自覚し、こうして彼らとの意識的な接点を作り出し、関係を作り出している。

 そうして今日も、私は彼らと「対象化された意識」の接点を模索している。

 これが「ぼくが福祉の仕事をはじめた理由」です。

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2007年1月19日 (金)

ぼくが福祉の仕事をはじめた理由

そりゃあ、一言ではいえないよ。

  

                 061118_1125001                             

うちの長男と次男。三輪車が長男、自転車が次男(笑)。

マスミ姉さんからいただいた自転車。

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2007年1月18日 (木)

大阪の事件について

このニュースが飛び込んできて、私はしばらくの間、完全に判断停止に追い込まれてしまった。以下、産経新聞より一部省略かつ修正の後抜粋。

大阪府八尾市の近鉄八尾駅前の歩道橋で17日、大阪市平野区の西田璃音(りおん)ちゃん(3)が男に投げ落とされ重傷を負った事件で、殺人未遂容疑で逮捕された八尾市桜ケ丘、障害者作業所勤務、Y容疑者(41)が「仕事がイヤで、何か悪いことをすれば仕事場に戻らなくていいと思った」と供述していることが18日、八尾署の調べで分かった。同署は、Y容疑者が仕事でイライラしていたところに、たまたま璃音ちゃんが通りかかり、突発的に投げ落とした可能性が高いとみている。
 調べなどによると、Y容疑者は17日午前10時ごろから同市内にある作業所でクッキーの袋詰めの作業を行い、昼食のあと午後1時ごろから、同駅前でメンバーらとクッキーを販売。現場は人通りが多く子供も多数通りかかったが、約1時間半経過した午後2時半ごろに突然、璃音ちゃんを投げ落とした。
 調べに対しY容疑者は「仕事のストレスがたまっていて、むしゃくしゃしていた」などと供述していたが、「何か悪いことをすれば仕事に戻らなくていいと思った」と話していることも新たに判明。同署は、ふだんから仕事に対する不満があり、イライラしているところに、璃音ちゃんが通りかかり、突発的に投げ落とした可能性が高いとみている。

 同署によると、Y容疑者は落ち着いた様子で「悪いことをした」と反省の弁も述べている。精神科に通院治療中だが、質問の受け答えもしっかりしているという。
 一方、璃音ちゃんは依然、病院の集中治療室で治療を受けているという。
 社会福祉法人O会のK事務局長の話 「事件が起きたことは本当に残念。しかし、知的障害があるから事件を起こしたのではないことと、多くの知的障害者がまじめな人であるということを分かってほしい。こうした事件によって障害に対するマイナスイメージばかりが先行することが心配。知的障害者を常時、見守り続けることは現実的ではないし、そうしたからといって本人の自立につながるとはいえず、悩ましい。一人一人に対しての支援のスタイルが異なり、パターン化できないのも難しい」
 
 このニュースを、ふたりの<私>が同時に見ていた。一人は障害者の福祉作業所の所長としての私。もう一人は3歳児の父親としての私。
 所長としての私は、この事件に対するマスコミや世間の論調が、やれ「障害者を野放しにするな」とか「危険人物を街に出すな」とかと騒ぎ立てることをまずは直感した。一生懸命まじめに地域で働いている多くの障害を持つ仲間たちへの風当たりが急速に強まることを危惧した。大阪のその作業所(小規模通所授産施設)ではクッキーを作っていたという。その仲間たちはどうなってしまうのか。仕事が続けられるか、居場所は維持できるのか・・・。
 もうひとりの璃音ちゃんと同じ3歳児をもつ父親としては、一言でいって、「絶対許せない」。Y被告だけでなく、職員も施設も法人も、全部許せない。公開する文章には書けない言葉が頭をよぎる。そして「所長としての私」が作業所の存続を心配している、そういう「私」が許せない。
 「父親としての私」が怒りを持っていることに対して、「所長としての私」は、なんとも言葉がない。「こうした事件によって障害者に対するマイナスイメージばかりが先行するのが心配」というK事務局長の気持ちも十分に分かるが、今そんな言葉を被害者の親が聞いたら、はらわたが煮えくり返るどころの騒ぎじゃない。
 一日ずっと、整理できない感情を抱えていた。いまこうして書いているうちに何らかの答えが出るかとも期待していたが、それもどうやらダメなようだ。もう一度それぞれの「自分」に戻って考えてみる。
 
「所長としての私」として。
 私はこれまで、「障害者の就労支援」という仕事に携わってきた。人間として、できる部分・できない部分、そしていい部分・悪い部分、全部抱えた人間として、つまり我々と同じ一個の人間として、他者とふれあい認められて生きていくこと、何らかの形で他者に「必要だ」といわれる環境の中で生きていくこと、そういう人生を、あいつにもこいつにも送ってもらいたい、そんな思いで「就労支援」の仕事をしてきた。そして「障害者の就職」といっても、みんながみんな善意のかたまりのような所に送り込むわけではない。偏見・差別、それを前提とした社会に送り込むわけだ。ある意味、偏見や差別はあって当たり前(肯定するわけではないが。)、それを跳ね返す根性と実際の仕事ぶりを身につけさせて「お前が乗り越えろ!」と背中を押すのが私の仕事だ。
 健常者と同じ失敗をしても「やっぱり障害者だから」といわれてしまう。健常者と同じだけ手を抜いても周りの反感を買う。だから基準を厳しく設定するしかないのだ。「そこまで厳しくしなくても」とよく言われてきた。私を鬼のように思っている人たちも多いはずだ。でも本当に彼らが地域の中で差別や偏見を乗り越えて人から「必要だ」といわれて生きていくためには、基準を厳しく設定するしかないのだ。「自閉症」の仲間たちの独り言やこだわり、同じ言葉の繰り返しなどを「障害だから仕方がない」という捉え方をして、半端な優しさで受け入れてしまうことは、その人と社会の間に壁を作ってしまうことにしかならない。だから厳しく接する。世間が嫌がることに対しては、「○○障害だから」ということで済ませてしまうのではなく、それはいけないことなのだということを伝え続けていく。いいことはいい、悪いことは悪い、その基準を明確に伝えていく。それが私の考え方だ。
 こういう事件が起こり、世間が「だから障害者は・・・」という風潮を作ると、たいてい障害者施設陣営は「犯罪発生率は、(精神)障害者よりも健常者の方が高い」というデータをもって反論する。
 おそらくそのデータは正しいと思う。数多くの「障害者」と接してきて、同時にそれよりはるかに多い「健常者」と接してきて、そのデータは実感として正しいとは思う。
 だが、その一歩先のことを我々は考えなければいけないのだ。そういう風潮があっという間に作られてしまうそういう世間、あるいは社会。その中で障害を持つ仲間が日常的に地域で暮らすことを模索するという地域福祉の世界は、いかに「障害」をできない理由にせず、彼らに社会人としてのルールを厳格に伝えていけるか、それを貫けるか、そういう世界だということだ。差別や偏見を前提とした地域社会で「地域福祉」を推進するということは、それ相応の厳しさが関係にないとダメだということだ。そういう厳しさとその裏にある「地域の中で生きようよ」という思い、それを相手に伝えられて初めて「さあ、地域に出よう」ということになるのだ。我々にとっての教訓はその点にあるのだと考える。
 そしてもうひとつ考えるべきことは、「地域福祉」を進める以上、「100%何もない」ということはありえないということ。たとえ「99%大丈夫」と思える場面においても、残りの1%を予測して、それへの危機管理の意識と対応準備をどれだけできるのか、それが大切だということ。そしてさらには、「それでも100%はありえない」という冷厳な事実を自覚すること。腹をすえるしかないということ。
さて、「父親としての私」に戻ります。
 この感情は、やはり言葉にできません。うちの長男と同じ頃産まれて、同じように親は喜び泣いて、そして同じように夢を見ていたはずです。早く元気になって欲しい、それを祈るばかりです。
 以下はうちの長男が産まれた日に私が書いた詩(日記)です。親としての感情を推測してください。
    
     ほんとうに風ちゃんがうまれたら
    
    ほんとうに風ちゃんがうまれたら
    どんなだろうって思っていたら
    ほんとうに風ちゃんがうまれた
    はじめまして 風歌(ふうた)くん
    でもぼくは 君のことを
    ずっと前から 知っていたよ
    ところで 君のほうは?
 

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2007年1月17日 (水)

明日更新!

毎日毎日、たくさんの方がこのブログを読んでくださっていて、なかなか更新できないことに恐縮しております。とくにここ1~2週間はとても読者が多いです。明日の夜、更新いたしますので、もうしばらくお待ちください。

 私は現在「就労支援事業会計基準」に関するセミナーに行っておりまして、受験時代以来(以上?)の予習・復習の毎日であります。でもちゃんと勉強していなかったら本当にチンプンカンプンだったでしょう。

 明日のセミナーが終わったら、ちゃんと記事を書いて、ビールを飲んで、一週間分寝ます。ではまた。

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2007年1月14日 (日)

船橋市民駅伝速報

第51回成人の日記念船橋市民駅伝、わが「とまりぎジョギングクラブ」は・・・。

残念ながらタスキを4区→5区につなぐことはできませんでした。トップの市立船橋高校と15分以上の差がついた時点で繰り上げスタート。繰り上げスタートからわずか1分後にユータ君が入ってきました。今年も残念ながら灰色のタスキをもってゴール。

今年の市立船橋は強すぎた~。2位と5分くらいの大差での優勝だと思います。自衛隊などの強豪チームを大差で引き離していました。さすがもと高校全国NO1の学校。まだ正式記録は分かりませんが。

でも1分差(16分差)という数字は、来年の目標にはちょうどいい数字だと思っています。4人があと15秒ずつですよ。

心配されたアンカーのダイスケ君も朝には元気な顔を見せ「もう大丈夫です。僕が走ります」と言ってくれて、新成人のショータ君も安定した走りを続けてくれました。大きなブレーキもなく最後まで完走できたことは、とても嬉しいことです。

 第1区のマサシ君がトップの市船と5分差。第2区のサトル君がトップとの差をおよそ3分半広げて、第3区のシンイチロウ君が4分半、この時点でトップの市船とは13分開いていました。第4区のユータ君が奇跡的な走りでトップとの差の開きを2分以内に縮めないと繰り上げになるという展開。しかし3分開いてしまって結果16分の差。1分遅れで繰り上げスタートになったという展開でした。正直言って、うちのエース、第1区のマサシ君が4分差以内で帰ってきてくれると予想していたので、そこが唯一の誤算でした。というよりはぶっちぎりで優勝した市船が強すぎました。

市立船橋高校の選手のみなさん、おめでとうございます!

駅伝大会の後は、「とまりぎ」で今年成人式を迎える仲間たちと選手たち、そしてスタッフ・応援の人たちで焼肉食べ放題へ。70数名の小規模福祉作業所の仲間たち、そのうち今年成人式を迎える人は11人もいたんですよ!みんなでたくさん食べました。年賀状で「今年は就職させてください」と書いてきたマユミさんは(かなり嫌がっていましたが)私の横に座り野菜の食べ放題!・・・ちょっと体を引き締めないと、就職は難しいっすからね。動きが鈍くなるし疲れやすくなるし・・・。

今年成人になった仲間たち、おめでとう! 今後は本当の意味で「大人」として、地域社会で生きていくことになります。自分の行動の責任を自分でとれるように、そういう意味での「大人」になれるように、日々頑張っていきましょう。

このブログを読んで応援に来てくださった方もいらっしゃったようです。私はその方に面識ありませんでしたが「(ダイスケ君は)本当にいい体してるねぇ。足はもう大丈夫?」とダイスケ君が話しかけられていました。

とりあえず速報です。いつも思うことですが、目標は簡単に達成されてしまうよりも、すぐ目の前でスルリと逃げていく方が、ワクワクして楽しいです。来年達成された喜びを、今から想像しています。

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2007年1月13日 (土)

第51回成人の日記念船橋市民駅伝大会

明日、「第51回成人の日記念船橋市民駅伝大会」です。わが「とまりぎジョギングクラブ」も参加します。去年は自衛隊の第一空挺団と市立船橋高校がメチャ速く、5区で繰り上げスタートになってしまいました。わずか1分の差で・・・。今年はタスキをつなぐことが何よりの目標です。選手たちは福祉作業所や会社の仕事の後、5時~6時まで練習しています。ソフトボールクラブの方は障害者チーム同士の大会なので、優勝したりもできますが、こっちは違います。当然後ろの方を走ることになるとは思いますが、それでも集中力を切らさず、ゴールを目指していきたいです。

応援に来てくださる方も募集していますので、簡単にコースを説明します。遠方の方にとってはつまらない記事になりますがご容赦ください。

<1区>船橋総合運動公園を9時にスタート。(8時20分より開会式。)御滝中学までの4.0kmをマサシ君が走ります。普段は「障害者の働く場あぐり」で農作業をしています。農業で足腰が鍛えられたのでしょうか。ここ1年で急成長してチームのエースに君臨しました。仕事の方もかなりの成長をしていて、まだ22歳と若いので一般就労する力はついたとは思いますが、福祉作業所の給料と障害者年金を合わせれば、我々職員の1年目よりも稼いでしまっている(笑)ので、今のところ就労支援はしていません。以前は目を離すとふざけてしまい、「エントリーから外す!」と宣言したこともありましたが、最近はたんたんと走ることができるようになりました。なおもう一歩の向上心を期待したいところですが、それは沿道の応援で彼の潜在能力を引き出すしかありません。ゼッケン231番「マサシ!走れ!」と声をかけてください。

<2区>御滝中学から船橋北高校までの4.6km。一番長い距離は今年も若きエースサトル君が走ります。「かんぱす」から15歳で一般就労したサトル君ももう18歳。重労働で体力がついてガッチリしてきました。普段仕事が忙しくてなかなか練習に参加できていないのでその点が心配ですが、負けん気とイケメンぶりは誰にも負けないので、やってくれると思います。特に黄色い歓声をお待ちしています。

<3区>北高から東京学館船橋高校までの3.3km。シンイチロウ君です。「かんぱす」から一般就労してから、多少体力が落ちてきています。しかし最近は仕事の後「障害者の働く場クローバー」に立ち寄り毎日練習をしてきましたので、ブランクは解消されたと思います。「かんぱす」時代は仕事で毎日走っていましたからね。気の優しい男ですので、人を抜くということにためらいを感じてしまうところがあります。どうか野太い歓声と怒声をお願いします。

<4区>東京学館から新京成バス折り返し場所「豊富小隣」までの2.1km。短い区間のスピードランナーが集う区域です。「クローバー」のユータ君。以前、千葉県障害者振興センターのホームページでも紹介されていた「牛乳配達のプロ」のユータ君です。(以下がその記事)

http://jusan-kassei.de-blog.jp/inosisinohana/2006/12/post_2fe8.html

おそらく牛乳ビンを持って走ったほうがは速いんじゃないかと思います(笑)。去年はアンカーでしたが4区→5区の繰上げスタートを阻止するために、あえて4区に入ってもらいました。「牛乳屋さ~ん」と声をかけてくれれば、より速くなります。

<5区>「豊富小隣」から古和釜高校までの3.2km。最近安定してきたショータ君です。「とまりぎ」の廃品回収で、体力をつけてきていますが、同時に体脂肪もつけてきていますのでちょっと心配(笑)。あっそうそう、今年成人式です。おめでとう!泣き虫ショータもとうとう大人の仲間入りかぁ。この大会はショータ君のための大会です。脂肪を全部燃焼させていい走りをしてもらいたいです。終わったら成人のお祝いをしてあげるからなっ。度を越えた照れ屋で、黄色い歓声を受けるととろけてしまいます。低い声で「ショータ!」と声をかけてください。私は古和釜高校で陣頭指揮をとっています。

<6区>古和釜高校からゴール地点の船橋総合体育館(船橋アリーナ)までの2.4km。アンカーはいちおうダイスケ君です。練習ではエース、本番にはめっぽう弱い、気の優しすぎるダイスケ君です。しかし最近の練習では大スランプ。かなり厳しく指導されてきました。

 しかし昨日(12日)の夕方、足を痛めていることが発覚。表情の暗いダイスケ君に私が「ちょっと、屈伸してみな」と言ってみたのですが、屈伸さえもできず顔をゆがめています。私も一瞬凍りつきました。大会まであと2日。ダイスケ君といえば、引きこもり状態から脱して「かんぱす」に入ってきた頃は、「目がかゆい」といっては作業所を休み、「耳が痛い」といっては休もうとしていた人です。そのたびに私が家庭訪問して本人やご家族と話をしてきて、何とか強い気持ちで作業所に通えるようになったばかりです。「目がかゆい」といって休んでいた人が、これほどの足の痛みを我々に隠していたとは・・・。本人は「出たい」といっていますが、当日の体調次第で私が決めます。「船橋アリーナ付近を身長180cmの美男子の「231番」が足を引きずって走っていたら、それはダイスケ君です。無理はさせたくありませんが、気持ちには応えたいと思っています。ぜひとも10時ごろ、「船橋アリーナ」近くに結集していただいてダイスケ君を応援してあげてください。

万が一に備え、チームのキャプテン今年40歳のイタルさんには走る準備をしてもらっています。イタルさんも「ダイスケに走らせたい」と言っています。1月3日に亡くなってしまった板さんには、「まだ四十九日前だから、自宅付近近くでダイスケの足を守ってくれ」と話してあります。大の駅伝ファンだから、酔いつぶれていなければきっと守ってくれるはずです。

心を一つにしてタスキを最後までつないでいきたいです。

千葉県では障害者差別に関する条例が昨年制定されました。我々は法律や条例の制定運動という形でなく、障害を持つ人たちが、真剣に白球を追いかけたりタスキをつないだりしている姿を通じて、社会に呼びかけているのです。もっともそれは2次的な目的で、一番は勝つこと・走ること・みんながヒーローになることなのですけどね。でも2次的な目的くらいのほうが、人々の心に届くものなのです。

いい報告がしたいですね。なによりも無事と安全。板さん、頼む!

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2007年1月11日 (木)

飛んだ・・・。

先日、おもちゃ屋さんに立ち寄ったとき、なんとなく凧(たこ)に目が留まって、買ってしまいました。昔なつかしいゲイラカイト。トーマスの絵の描いてあるやつ。そういえば凧あげなんかしている子、今いないですねえ。ゲームを持って子供達はいつも下を向いている。青空の下でも下を向いている。それってやっぱり間違いですよね。

「うちの子も凧なんて見たこと無いだろうなあ」・・・買って帰った後、ゲイラカイトを冷蔵庫の脇に隠しておいた。すぐに長男風歌(ふうた・3歳)に見つかる。

「おやじィ、何買って来たのよ。これ何?」・・・長男はすぐに説明書などを見て、ものの構造を知ろうとする。ラジコンだって構造把握から入ったんだから。設計図男・説明書男の本領発揮。「これはきっと、風で飛ぶ飛行機だね。風でとぶんだよ、きっと。」と風歌。「3歳児に言われなくても、親父は飛ばし方も知ってるんだぞ!」と私。さっそく凧揚げです。

風歌も次男の心歌(こうた・1歳)も妻もばあちゃん(私の母)も大興奮!風が強い日だったのでどんどん高く上がっていきます。しかし今の凧は軟弱にできていてすぐに壊れてしまう。「ダメだ。修理しなきゃね。」と風歌。

<壊れたものは直して使う> それを身につけることは大切なことだ。さっそく家に帰って修理。完璧な出来栄え。今度は風歌と2人だけで広場に行きました。

3歳の風歌、見事な糸さばきでどんどん高く舞い上がらせていきます。40mほど上がったでしょうか。高くなればなるほど力が必要になります。

そこに強風が吹いてきて、とうとう風歌は手を離してしまいました。「親父! ギャ~!」という悲鳴と泣き叫ぶ声。風歌はもうあきらめてしまったのか、その場で倒れこみ泣くばかり。この子が腹の底から本気で泣くのははじめて見たような気がします。抱きしめるしかありません。

凧は本当に気持ちよさそうに、大空を泳いでどんどん小さくなっていきます。「これぞ自由」とばかりに右に左に・・・。

さんざん泣いた風歌は「もうダメだ。親父、また買ってきて」・・・。そういったとたん、小さくなったはずの凧がまた大きくなってきました。近づいてきたのです。近づいては離れ、なんとも思わせぶりな態度を示す凧。そしてとうとう消えてしまいました。

「風歌、探しに行こう!」・・・家に帰って車に乗ります。ばあちゃんは「きっと神社の方まで飛んで行っちゃったんじゃないかな」と。いくら自然博士のばあちゃんとはいえ、気まぐれな風の表情まで見えるわけはない。・・・そう思いながらも神社の方向に車を走らせ、探しに行きました。

見つかった!神社の近くの畑の真ん中に。ばあちゃんは何者だ?しかし風歌は大喜び!

「あきらめないでよかった。」とてもすがすがしい気持ちでした。

息子たちとのふれあい、「親父らしさ」を示せたことはやっぱり嬉しい。ふだんあまり顔も見せられないからね。

やがて日中までのポカポカ陽気から、だんだんと暗くなり、風も冷たくなってきた頃、妻とばあちゃん(嫁と姑)が「映画に行く」と出て行きました。なにやらキムタクが出ている何とかという映画だそうです。妻もばあちゃんも、それぞれ息子(風歌と心歌、私)を家に残して映画を見に行くというのです。私と子供達はお留守番!

普通の嫁と姑ってどんな関係だろうか? ふたりで「キムタク」の映画行く?ありえねえ!

たまたま、ことちゃんの家族から「夕食一緒にどうですか?」とお誘いを受けたので、男3人の悲しい夕方は避けられましたけど。

<追記>

「これはきっと風で飛ぶ飛行機だね」と分析する風歌。この分析魔・設計図男は、とどまるところを知りません。夕食に誘われ、暗い夜道、車に乗っていると突然こんなことを言い出しました。

「ガードレールは、車がぶつからないように光っているんだね。でも電池は入ってないよ。車が光るとガードレールも光るんだよ。」いつもこうして分析に夢中なのです。

カップラーメンを作っているときに、「かやく」の入った袋をじっと見て、「このギザギザは袋をあけやすくするためについてるんだよ、きっと。だからここからあけるんだよ。」

ラジコンのバックの車庫入れの前には車体を裏返してコントローラとタイヤの動きを確かめてから右折バックをしました。

素朴に育って欲しくて「風歌」ってつけたのになあ。

今日の記事は仕事とは何の関係もありません!

書けるような仕事、してないんですよ今日は。まあ、それなりに頑張ってはいるんですけどね。少しずつは。

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2007年1月10日 (水)

消えた・・・。

EXCELで、明日までに作るべき書類、あと少しで完成のヤツ。別の文書を参照して切り貼りして、参照文書だけ消そうと思ったら、ボケーッとしていて作るべき書類まで消えてしまった。

今から全部作り直し?

家でやります。今日は誰とも話をしたくないし、顔も見たくありません。

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2007年1月 6日 (土)

「当然のこと」その2~最終回~

迷っていましたが、やはりこの記事を書くしかありません。

12月27日の夜、私は3歳の息子に「本当はサンタさんは親父でしょ?」と聞かれてしまったことは28日のブログで書きました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_de3e.html

実はその日の昼間、「かんぱす」「クローバー」合同の筑波山温泉日帰り旅行に行く時、私は車の中で板さんと「本当はサンタさんは誰なのか、子供たちが知ってしまったのはいつ?」ということについて、話をしていました。板さんについては12月11日のブログ「当然のこと」で書きました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_667b.html

12月27日、前日の豪雨と暴風が去り、あたかも「台風一過」であるかのような空気の澄みきったさわやかな朝。私は板さんを車に乗せ、車椅子のシンタロウを迎えに行くため、県道8号線を西に向かっていました。右前方には雪化粧の富士山が遠く鮮やかにそびえ立っています。

「やっぱり富士山はいいねえ。今日筑波山やめて富士山に行きたいね」と私。

「青木ヶ原っすか?」(笑)と板さん。「あそこは板さん一人で行ってよ(笑)」

「ところで友野さん、今年もサンタの大役は果たしたんですか?」と板さん。

「うん。兄弟喧嘩の種をまいてきちゃったみたいだけど、喜んでるみたいだよ。兄ちゃんにはラジコンカー」(私)。「もう風歌くんぐらいなら、ラジコンの操作もできるんですねえ」(板さん)。

「ところで板さんサンタは、子供にサンタの正体を話したのはいつ?」(私)「どうだったかなあ、一番上の子は確か小学校3年生ぐらいの時に、意を決して話したかなあ。でももう知ってるよって顔されたなあ。カミさんあたりがサッサとしゃべっちゃったんだろうなあ。あいつ、夢がないからさあ。」(板)

「奥さんがどうかは知らないけど、板さんの夢はいつもでかすぎるんだよ。でも俺も子供が小学校3年生になったら白状しようかな?」(私)。

(しかしその夜3歳の長男に「サンタは親父」と言われてしまった・・・。)

「子供たち4人に一番カネがかかる時だけ『お父さん、お父さん』で、それが終わったらお払い箱。男ってこんなもんっすかねえ。」(板さん)「俺はそうはならないよ。板さんと出会って、俺の反面教師になってくれたから、そんな失敗はしないよ(笑)」(私)。

世界各地を渡り歩き、建築の第一線でバリバリ働き、稼ぎまくり遊びまくっていたという板さんが、過労と生活習慣が原因で、脳梗塞と心筋梗塞で倒れ、半身不随になったのが8年前。こん睡状態・リハビリ生活、、、やがて独り者に戻ってしまっていた。アパート暮らしとなったその後はアル中と肝機能障害、そして糖尿病、借金地獄というある意味お決まりのパターン。登った山は高かったけど、そこから転がり落ちるのも早すぎた、いや速すぎた。そしてその山のふもとで私との出会いがあった。

一番低いところで出会ったのに、板さんの心はいつもまだ山のてっぺんにいた。山のてっぺんにいる人と、山のふもとで話をするわけだから、いつも心が通じ合わないんですよ(笑)。

 県道8号線が高架から地上におり、いよいよシンタロウの家に向かう。もう富士山など見えやしない。車椅子のシンタロウを筑波山に連れて行くのは以前からの約束ではあったが、今回の旅行の主人公はシンタロウでなく、板さん。(シンタロウと筑波山に関する記事は以下。)http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_f2eb.html

 何故筑波山&温泉旅行の主人公が板さんかというと、以前ブログで紹介した「かんぱす10周年台湾旅行」、実は板さんだけが参加できなかったからだ。(以下、台湾旅行の記事)

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_f265.html

 最高に楽しかった台湾旅行、しかし体調等の問題で板さんだけを置いていったことは何とも心残りではあった。その年の「心残り」はその年に解消したい。

「板さん、年末みんなでどこ行きたい?」「まあ、ゆっくり温泉がいいっすかねえ」「じゃあ、シンタロウも筑波山に行きたがっているから、筑波山を眺められる温泉に行こう!」

あとは「かんぱす」職員の武井君に下駄を預ける。「板さんを筑波山近くの温泉に連れて行くから、段取り立てて」。あとは武井君が段取りを立てた。筑波山中の食堂で温泉の割引券を見つけて私が武井君に「こっちの温泉の方が割引で安くなるし、女性陣の好きな足裏マッサージもあるし、こっちに変えない?」と進言してみたが、武井君に却下された。「ここは露天風呂がホテルの屋上にあるから、ここを選んだんですよ!」。「分かった」と私は進言撤回。

 筑波山山腹のホテルの屋上の露天風呂。12月とは思えない暖かな一日で「台風一過」のように空気は澄んでいた。風も強く、桶がカランカランと踊っていた。湯気も風にさらわれて、すぐ近くにある雲の中に吸い込まれていくので、メガネをかけて入浴してもメガネが曇らない。男性陣だけで18人。狭い浴槽にみんなで浸かっていた。半身不随で着替えに時間がかかる板さんがどこまで「ゆったり」を満喫できたかどうかは分からないが、板さんのためにみんなでここに来た事実は変わらない。

 眼前に富士山が見えた。船橋市の県道8号線から見た朝の富士山とはまるで違って、それは巨大だった。すぐそこにあるかのようだった。18本のチンポコの向こうに見える絶景ともいうべき壮大な富士山。シンタロウに言った。「お前、あの頂上まで登ったんだぞ!」。車椅子になる1年前、シンタロウは作業所の仲間たちと富士山に登った。

風呂から出て男性陣・女性陣が合流してもまだパンツ姿の板さんに女性陣からブーイング。ヨダレを垂らしながらも板さんは、笑顔で返していた。

板さんが自分の失禁やヨダレに気付かなくなってから、もう何ヶ月になっただろうか。歩くだけで転んでしまうようになってから何ヶ月になっただろうか。脳梗塞の後遺症か、アル中や糖尿の影響か、それら全部含んでの、全体的な衰弱か。

それでも板さんは「俺はここを出て、勉強して、行政書士になる。一人暮らしをする」といってはばからない。心はいつも山の上にあるのだ。山のふもとの私たちの進言など、おそらくは雲に消えて届かないのだ。山の頂上にいる板さんの心は、雲を突き抜けているので、いつも晴れ渡っている。これは昔からなのか、障害者になってからなのかは分からない。昔の板さんのことは、私は知らないのだから。

 板さんにこう質問したことがある。「好きなだけ食べて、好きなだけ酒を飲んで、1年でのたれ死ぬのと、俺たちのいうことをちゃんと守って、節制して10年・20年生きるのと、どっちがいい?選んでいいよ。」

 間髪入れずに板さんは答えた。「好きなだけ食べて飲んで、20年生きたいっすねぇ」・・・何も分かっちゃいねえんだ、このオッサンは。死の淵から蘇って今生きているのに、まだ自分は不死身だと思ってるんだから・・・。

 とにもかくにも、板さんを筑波山の温泉に連れて行かれた。12月とは思えない暖かな一日。空気は透き通るようで、富士山はすぐ目の前にあった。茨城で一番の美人が働いているという噂のマクドナルドに立ち寄ることはできなかったけど、いい一日だった。

 こうして「かんぱす」「クローバー」の一年が終わりました。私は12月30日のブログ「よいお年をお迎えください」の中で、「順調すぎる一年」「年を越すのが恐い」と書いた。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_29ab.html

 筑波山からちょうど1週間が過ぎた1月3日。板さんは本当に山のてっぺんに登ってしまいました。享年54歳。夕方散歩から戻ってきて、心筋梗塞でした。

 おそらくは大好きな箱根駅伝を見終わってから散歩に行ったのでしょう。自身も「青梅マラソン」に参加したことがある、大の陸上ファン。今回も「順天堂か、東海でしょう。古豪復活はないでしょう。」と予想していました。

 枕元には別れた奥さんと子供たちの住所などが書いてあるメモ。

 「向こうには新しい生活があるのだから、邪魔しちゃダメだよ。今の状態でどのツラさげて、会いに行くんだよ。あわせる顔ないでしょ?」何度私が説教しても、きっと山の上から聞き流していたのでしょう。そして会いに行こうとしていたのでしょう。

 今から思えば、筑波山の日の朝、「今年もサンタの大役は果たしたんですか?」と私に聞いてきたのが板さんでした。もう一度サンタさんにでもなるつもりだったのでしょうか。その時は質問の意味を予測することもできませんでした。

 板さんよ!あんたは何にも分かっちゃいなかったんだよ!子供さんが小学校3年生の時には、あんたはすでにサンタじゃなかったんだろ?どれだけ時間を巻き戻そうとしてるんだよ。いつもあんたは、何にも分かっちゃいねえんだよ!

 板さんとの最後のお別れの日は、筑波山の時と同じように、さわやかに晴れわたり空気の澄んだ一日でした。思えばこの人と約束した日は、いつもこんな天気だったように思います。どんな運をもらってこの世に生を受け、どんな運を山のてっぺんに持ち帰るつもりなのかこのオッサンは。

 私の予想を超えて、たくさんの人たちが最後の別れに手を合わせてくれました。これだけ好き勝手な人生を送ってきたこのオッサンに、なんでこれほどの人たちが手を合わせているのか。

 「板さんよ!もったいない話だと思わない?」そう思いながら手を合わせている私に、板さんからどんな答えが返ってくるか、これまでの付き合いの中で簡単に想像ができます。

 「きっと私の人徳じゃないですかねぇ」・・・きっとそう答えるでしょう。

 最後に好きなだけ酒を飲ませてやりたかった。後悔というより過去形の願望です。

 板さんよ。しょうがねえから、冥福を祈ってやるよ。そしてこれからは山の上から見守ってくれよ。あんたが時折みせる本当に優しい目で接してくれた俺の子供たちを。そしてあんたが最後まで会いたがっていたあんたの子供たちを。

 

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2007年1月 3日 (水)

お正月も終わります!

みなさん、どんな正月でしたか?

普段できないこと(仕事、趣味、勉強)をまとめてやる正月。家族のために過ごす正月。自分の充電。旅行。

私は例年通りの3点セットです。箱根と高校サッカーと仕事。箱根駅伝で泣いて、高校サッカーで泣いて、仕事で泣いてます。仕事の方は、箱根に例えるならば、5区の山登りです。タスキを受け取ったと同時に息が上がり、足が痙攣している感じです。3月までにこの山を登れるの?本当に大丈夫?やはり勉強は若いうちにしておくべきですね。活字が頭に残らないんですよ。

長男(3歳)とトランプで神経衰弱をして2勝4敗。3歳児の記憶力はやはりすごい。長男とラジコンカーでレースをしたら2勝0敗。速い方のラジコンをとったほうが勝ち。大人になるということは、こうしたずるさを身につけるということか。ラジコン車庫入れ(ビールの空き箱で車庫を作り、そこにラジコンカーをバックで車庫入れする)はほぼ互角。フローリングにワックスをかけたので、夜中子供たちが寝た後、ラジコンのドリフト駐車を練習しています。

次男(1歳)は箱根駅伝に夢中。コマーシャルが入ると、「終わっちゃったよ!」とか「見えないよ!」とか「頑張れって言ってるのよ」とかとわけのわからないことをいってテーブルを叩いて怒っています。この次男、とても暴力的な(笑)性格ですが、いつの間にか10まで数えられるようになっていました。恐ろし~。ラジコンも操作しています。

さあ、明日からまた頑張りましょう。

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2007年1月 1日 (月)

明けましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。

大晦日、わが心の師、北島三郎の「まつり」に酔いしれ、酔いしれすぎて記憶を失い、気付けば二日酔いとともに新年を迎えておりました。「せがれ、その手が宝物~」(まつり)にジ~ンとしました。越路吹雪も美空ひばりも、レイチャールズもジェームスブラウンも他界した今日、「心の師」は三郎先生のみであります。

さて年末の大掃除、我が家ではやはりキッチンが私のフィールドですので、キッチン回り、換気扇、ガス回りは一年の感謝をこめて、私が掃除するほかありません。(私が家にいるときは、私の妻も私の母もほとんどキッチンに立たせることはありません。料理と掃除は私の仕事です。)そして私は、大掃除用の掃除グッズは、けっこう詳しいのです。だいたい新しい洗剤などが出るとすぐに買いたくなります。「風呂釜用強力~」「強力カビ取り~」「強力油取り~」とかと宣伝されると、ついつい買ってしまいます。自分で確かめたいのです。

今回私が換気扇の掃除をしようとした時、わたしの母(ばあちゃん)と妻が「重曹を使ってみたら?」と言ってきました。二人が重曹にハマリ、本などを回し読みしているのは知っていましたが、「掃除のプロに掃除のアドバイスをしてくるとは何たる無礼者!」と思い、無視していました。しかしやはり自分で確かめたくなってしまうんですよね。洗面器にお湯で溶かした重曹を入れ、それにつけた雑巾で換気扇回りを掃除してみました。

これがビックリ!

スプレータイプの油汚れ専用強力洗剤ではどうしても直接スプレーした部分とその回りにムラができてしまいます。そのムラを取るために、無駄にスプレーを使ってしまい、しかも体によくないものを撒き散らしている気がします。しかし重曹は嫌な匂いもなく体に優しく、そしてきれいに汚れが落ちるのです。私は嬉しくなってキッチン全体をこの重曹で磨いて、すぐさまパソコンに向かって「重曹」について調べました。

これは面白い!いろんな用途に使える面白さだけでなく、「これは哲学的に面白い存在だ」、そう思ったのです。この大地に深く眠っている鉱石や海底海中にも存在し、人間の体内にも存在する。そして双方の浄化作用をひっそりと引き受け、かつ人間が自然の一部であることを証明している。物理学的法則性からはみ出すことをせず、自然は物質の自己運動を通じて変貌し、やがて人間的自然を産み落とすに至った。自然の一部であり、自然からはみ出し、かつ現在自然に逆らおうとする優秀であると同時に愚かであるこの人間なるものを自然史的過程の中から生産し、かつ場所的に再生産している。人間が愚かにも、本質的には自分自身がその一部であるはずの自然に公然と刃向かい、産業や文化、生活を作っている。人間はこうして人間的自然としての自分自身を傷つけている。

 人間と自然の違いは、ただ脳髄と直結しているか、脳髄と空間的に切り離されているかの違いでしかない。畑に育つ葉っぱ類。これは誰が見ても自然の自然たる姿をしている。しかしこれを人間が摂取して体内に送り込まれ、体内の一部と化し脳髄と直結された時点で「人間」となる。それがやがて糞尿として体内から放出され脳髄と切り離された時点でまた「自然」となる。それだけの違いでしかないのだ。しかも脳髄の活動そのものも物質の自己運動とそれを支える物理学的法則性からなんら独立していない以上、人間は自然なのです。

 人間が本来自分自身である自然との無駄な争いに興じている。そこに歯止めをかけるかのごとく、自然の中から、人間の体内から、この重曹が自らをアピールしている。物質的であると同時に神秘的であるこの「重曹」に、そんなロマンを感じてしまいました。そんなロマンを感じながらの年末大掃除でした。妻やばあちゃんにこんな話しても「また難しいこと言ってる」ぐらいでほとんど聞いてくれないと思われますので、ブログにしました。誰か一人くらいは共感してくれるかな、と思って。桜井さん(笑)!

そしてA型族の諸君はすでに気付いているとは思いますが、「重曹」について、詳しく調べておくように。何か見えてくるような気がするぞ~。

こうして私は元旦から仕事ネタを考えているのでした。今年もよろしくお願いします。

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2006年12月30日 (土)

よいお年をお迎えください。

いよいよ年の瀬です。みなさまいかがお過ごしですか?

このブログ、29日からアクセスがめっきり減っています。いかにみなさまが職場などでご覧になっていたかがよく分かります。学校関係者、役所関係、会社関係者、作業所関係者・・・そういう方々に読まれているのですね。

さて、みなさまはこの平成18年は、どんな1年でしたか?

私自身は、それまでと変わりなく「やるべきこと」と思ったことをひとつずつこなすだけの毎日だったはずですが、振り返ってみるとすべてにおいて順調すぎる一年でした。年を越すのが恐いくらい(笑)。

仕事においてはいい仲間たちに出会えて、すべての人たちが期待通りの力を発揮してくれました。福祉作業所という狭い枠組みを超えて幅広く、しかも仕事上の大切な出会いがたくさんありました。ちゃっかりと会社も立ち上げました。スポーツでは私が「監督」(名前だけですけどね)をしているソフトボールとジョギング(障害者チーム)のいずれもが大会で優勝したり表彰されたりと、好成績が続きました。中日ドラゴンズも優勝してくれました。障害を持つ仲間たちも、大きな怪我もなく、無事1年を送れただけでなく、みんなで台湾旅行にも行きました。子供たちが大きくなるにしたがって、家計上のピンチの時期もありましたが、自動車保険から想定外の臨時収入があり、ピンチは免れました。(あの1万円で食材が買えました。)コンサートも無事成功しました。いや~最高でした。

こんな1年は2度とないと思って気を引き締めていこうと思います。

思えば、障害者福祉の世界に飛び込んできて10年、ずっとこんなに笑って過ごしてきたわけではありません。辛抱の時代も長くありました。だから今いくら順調であっても、その頃の記憶と記録をひも解けば、私は順調な現状に安住することもなければ気持ちの上で浮かれることもありません。前を向く気持ちを駆り立てられます。その意味ではすべてが貴重な財産です。

「努力の結果は後から必ずついてくるもの。」・・・私の死んだ父親がよく口にしていた言葉です。

年を越すと、それだけ死んだ私の父親に年齢で近づくことを意味します。父親には何一つ追いつくことができなかった私が、こうしてただ年齢だけが近づいていくんですね。勉強も腕力もスポーツも歌や絵も、何一つかないませんでした。「年齢以外は、すべて追いついてみせる」・・・子供の頃そう思っていたこともありましたが、結果としてはそれが逆の形になってしまいました。私の父親にできなかったことで私にできること・・・「私は自分の息子たちに追い越されることができる」・・・そのためには健康第一ですね。

話を戻して・・・。

順調だったこの1年間の中で、とりわけ人との出会いというものが貴重な財産になりました。何の財産もない人間ですが、よき出会いに支えられて、どう転んでも何とか前向きに生きていける足場はあるような気がします。

雪道で立ち往生をしていた車を私とK君(先日の記事に出てきたK君)で押してあげたことがあります。そんなことは数日後には忘れていましたが、その車の運転手さんがある営業の仕事をしている方で、そのことがきっかけとなり、いくつかの出会いにつながりました。

障害をもつ仲間が、自転車で人の車に小さな傷をつけてしまいました。当然、責任者として私が一緒に謝りに行ったのですが、その相手の方は以前から「この福祉作業所に協力したい」と思っていた方でした。

ある銀行に行った時、キャッシュコーナーで長蛇の列。そこでちょっと話しかけた銀行員さんは以前から障害者福祉に協力したいと思っていた方でした。

こういうことが、1年間の中にたくさんありました。すべては偶然からくるものですが、今後の教訓として確認するべきことがあるのも事実です。

・いやなこと、面倒なことから逃げないこと。

・謙虚な気持ちで人に頭を下げる姿勢を失わないこと。

 (若い職員や仲間たちに地域福祉の実践を伝えていく際に、私はまず私の頭を下げる姿勢を彼らに見せることを何よりも大切にします。そうすれば2回目、3回目からは彼らは進んで頭を下げることを実践してくれます。そして地域福祉ではそれは大切なことだと思うのです。人間関係を大切にした福祉ですから。)

・出会いを大切にすること。(どこまでできているかは自分自身疑問ですが、大切にすべきという気持ちは持っているつもりです。)

こういうことを大切にしてさえすれば、たとえ不運な時代がまた訪れたとしても、何とか乗り越えていけるのだと思います。

ではみなさん、よいお年をお迎えください。

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2006年12月28日 (木)

クリスマスが終わって・・・。

ハンバーグステーキ問題(↓)で、目が覚めてしまったので、お話をもうひとつ。昨日の話。私の妻が世話人をしている生活ホーム(障害者の共同生活の場)に橋っつぁんという75歳の入居者がいます。昨夜は橋っつぁんの忘年会。きっと飲んでくるでしょうから、私があとで迎えに行くと約束をしていました。家で食事をして、さあ迎えにいこう、という時でした。3歳になる長男・風歌(ふうた)が「風歌も一緒に行く。もう夜だから、橋○さん、ホームに帰らなきゃダメだよね。」そういってついてきました。

車に乗って家からかなり離れた時点で、息子は言ってきました。

「親父、話があるんだ。」「なんの話?」

「風歌、赤いかっこいいフェラーリの車、プレゼントでもらったでしょ?でもサンタさんは本当は親父でしょ?」

「なんで?」

「だって、風歌と心歌はプレゼントもらったのに、かあちゃんはもらわなかったでしょ?だからサンタさんは本当は親父でしょ?」

何も答えませんでした。

直接は「まだ夢を見させてあげたい」という気持ちで。

でも本当は、自分がまだ夢を見たいだけなのかも知れないなあ。

自分がサンタさんになる夢。

迎えにいった橋っつぁんは、ビールを飲んで武勇伝をかましている最中でしたので「あと1時間したらまた迎えに来るよ」といって、置いてきました。

そして1時間後に、ひとりで迎えにいきました。頭の中は息子の言葉がグルグル回っています。

「サンタさんは、本当は親父でしょ?」

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私はどうしても許せなかった。

私はどうしても許せなかったのです。K君は、弱いものを決して馬鹿にしない。強いものに打たれても決してへこたれない。優しさは表に出し、悔しさは胸にしまう。不器用だし仕事もできる方じゃないけど、そういう真面目さと優しさは、だんだんと味わいのある仕事をしてくれるようになるし、職場においてはなくてはならない存在になる。1年目より2年目、2年目より3年目、きっと重宝される。だから自信を持って企業に就職させたのです。「障害者だから」ということでなく、一人の人間として社会人として必要な人になる、そんな男です。

だから私は許せなかったのです。横っつらを思い切り張り倒しました。これを暴力というならいえばいい。

この時の障害者チームとのソフトボールの試合は、いつも通りの圧勝ムード。確かに誰もが「今日も楽勝だなあ」そう思っていたでしょう。私もベンチで怖い顔をしながらも、内心は安心しきっていました。そんな時、K君はわざと2塁から1塁に向かって走り出したのです。相手の1塁手を馬鹿にしながら。そんなことをする奴だと思ってキャプテンに任命したわけではない。相手は一生懸命プレーをしている。そんな時に明らかに馬鹿にした態度。

選手全員をベンチに呼び戻し、全員に頭を下げさせ、私は試合放棄しました。馬鹿にした時点でこちらの負けです。そしてK君を思い切り張り倒したのです。これを暴力というならいえばいい。適正化委員、市や県の障害福祉課や苦情処理第三者委員が何を言おうと関係ない。「処遇」云々の問題ではない。これは男と男の信頼関係の問題だ。私のK君への信頼の問題だ。「障害」云々の問題ではない。それが分からない奴は一列に並べて全員張り倒す。

そう宣言したところで目が覚めました。朝の4時。汗びっしょりかいて。全部夢であることに気付きました。正直ホッとしました。

Kが人を馬鹿にするようなことをするはずないよな~。

でも4時に目が覚めちゃったよ。あと1~2時間は寝られるはずだったのに。私がK君を100%信頼していれば、こんな夢は見なかったはずだ。たとえそれが99%であっても、残りの1%がこうして夢となって現れたのだ。

そういえばK君、「就職できたら所長と武井さんに、ハンバーグステーキをおごります」と約束していたよな。まだおごってもらってないぞ!

寝不足の原因は、そのハンバーグステーキだ。

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2006年12月25日 (月)

目覚めた男

目覚めた男は、仕事にも目覚めたので、やっぱりブログは書けない。

「眠い男」にたくさんのアクセス。みなさん申し訳ない。自宅では長男が「サンタさんが赤いフェラーリのラジコンをプレゼントしてくれた」と大騒ぎのようです。ラジコンのフェラーリを抱きしめて、「カーズ」のDVDを見ているようです。

よかったね。

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眠い男

眠い男は、ブログも書けない。

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2006年12月24日 (日)

朝起きたら

朝起きたら、10時でした。時計よりも正確な私のリズムが崩れるのは年に数回あるかないか。休みの日でも5時にはきっちり目が開いてしまいます。「昼まで寝ていた」とかいう話を聞くと、うらやましく思っていました。そうしたくても目が覚めてしまうんだから。でも今日は10時まで爆睡することができました。ちょっと嬉しいです。昨日のコンサートはお客様もたくさん聞いてくれて、自分としては大満足。酒も美味かった。

さあ、10時に起きてみたら頭の中に「やるべき仕事」が箇条書きでたくさん書いてあります。これを頭から消去することが難しいんですよね。夜ならばビールを飲めば消えます。昼間はそうはいかない。結局「やるべき仕事」を片付けていき、数を減らすことしかできません。

仕事の意識から解放されるには、仕事をこなすしかないということでしょうか。日曜の夜、一番ホッとする状態は、その日のうちに仕事の目途をつけて「これで月曜からの仕事がパンクしない」…そう思った時です。

父親としては失格かな?

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2006年12月23日 (土)

コンサート

今日は八千代市緑ヶ丘のAEON、アゼリア広場でクリスマスコンサートをやります。5時~6時で8曲かな?・・・歌います。ジャンルはゴスペルです。ゴスペルクワイヤーの12月は毎年大変忙しいです。

朝から心臓がバクバクです。私がソロを歌う曲もあるので。まあ普通に原曲に忠実に歌えばなんら緊張することはないのですが、いろんなアドリブを考えてしまうと、そればかりが膨れ上がってしまいます。前回、海をバックに野外ライブをやった時にはブルースハープを組み込みましたがピアニストとキーの確認をしなかったので、Cの曲をBで準備(Fのハーモニカ)してしまい、急きょアドリブに変更。冷や汗をかきました。

今日は忠実にオーソドックスに歌おう、決めた。

仕事と関係ない話をしました。でも関係あるのですよ。よく「自分の時間がとれない」という話を聞きます。たしかに仕事を頑張ってくれているのは分かります。でも自分の時間が「とれない」のでなく「作れていない」という部分もあるんじゃないかな?仕事における時間の段取り・組み立ては、仕事を含んだ自分の時間の段取り・組み立てと直結しているのです。

これだけ仕事をしていても、ほら、自分の時間を作ってるよ!

まあ、そんなメッセージです。

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2006年12月21日 (木)

目に力がある人

なんとなくこう、「この人は信頼できる!」「この人とつながっておきたい」「この人のことが知りたい」・・・肩書きやステイタスとは関係なく、感性の領域でパッと「この人なら・・・」と思える人っていますよね?私自身がそう感じる対象の傾向なんて考えたことがなかったのですが、最近分かりました。

目に力がある人です。常に先のことをキッと睨みつける力が目にある人です。仕事などで交渉の際も、なんだかんだいってこういう感覚的な部分が大きく左右するような気がします。

そこでうちの次男の心歌(こうた)です。この人の目にもそれを感じます。何かの運命を背負って、たまたまうちの妻の腹を借りて、この世に生を受けたような気がします。5月の13日の金曜日に・・・。かわいい悪魔です。まだ1歳半ですが、末恐ろしいです。

「まんま」とか「おやじ」とか、もちろん単語はたくさんしゃべりますが、文章になる言葉に傾向があります。飯を食うことと束縛をはねつけること、これだけです。

「おやじ、もうあっちにいってよ」「うるさい、どいてよ」「いいから、まんまちょうだいよ」こんなことをいいます。兄ちゃん(風歌・ふうた)のときは「だ~いすき」とか「うれしい」「だいじょうぶだよ」、こんな言葉から覚えていったのに・・・。

いつも腹をすかせているので、一度好きなだけ食べさせてみたことがありました。子供用のご飯のお茶碗に3杯たべて、うどんを一玉(大人一人分)たべて、さらにパンを1枚食べてしまいました。まだ1歳ですよ!

とにかく消化が早いのです。はちきれんばかりのおなかは、見る見る小さくなって、すぐウンチになってしまいます。

怪我が治るのも、およそ同じ種類の生き物とは思えない早さです。頭を椅子に思い切りぶつけて、餃子のような形で腫れあがりました。本人はあまり痛がらず、むしろ「病院におもちゃを二つ持っていく!」と大騒ぎ。待合室で看護婦さんがびっくりするくらい腫れ上がっていたのに、「冷やさなきゃね」と冷えピタを持ってきてもらう間に、傷が癒えて、腫れも引いてしまいます。むしろ怪我をすると、周りがびっくりしたり心配するということを本人は覚えてしまいました。病院から戻ってきて、頭を椅子に叩きつけるまねをして、回りが「やめなさい!」と騒いでいるのをみて大喜び。病み付きになってしまったようで、怪我をしたところをわざと痛めて周りの反応を楽しんでいます。こういうときの目の力強さはすごいものです。怖いから目を合わさないようにしています。3歳のお兄ちゃんにできて1歳の心歌にできないことはほとんどありません。体を動かすことに関しては。

「目に力がある人」は、きっと心歌と同じように、もともと違うものを持っているんじゃないか、と思います。私の好きな何人かのアスリートを見てもそう思います。我々とは、もともと何かが違うんでしょうね。伸び伸び育って欲しいです。早く自由にしてあげたいし、はやく自由になりたいかも(笑)。

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2006年12月19日 (火)

事務男

新年度、障害者自立支援法に基づく法定事業に7箇所同時に「えいっ」と参入します。7つの作業所を一つにまとめるのでなく、7つの事業として行うのです。単純にいって、用意する書類などは7倍。

昨日は、息子が頭を怪我して大慌てでしたが、息子の無事を祈るような気持ちで震える手で、A法人の「利用契約書」を作っておりましたが、今日はB法人の1つの事業の「重要事項説明書」を作りました。

別に私は行政書士でもなければ会計士でもありません。昔、獣医は目指しておりましたが、心はいつも絵描きです。そして実際は貧しい福祉労働者です。

時折、パソコンをぶち壊したくなる衝動を感じるときがありますが、そんなときに限って「塚ちゃん」が障害を持つ仲間たち6人ほど連れて、さわやかに作業所に戻ってきます。みんな笑顔ですが声がでか過ぎます。二酸化炭素の排出量の多い連中で、入ってくると一瞬にして窓ガラスが曇ります。環境破壊です。「塚ちゃん」の周りには、たいてい仲間たち6~7人がいて、彼を取り囲んでいます。そんなみんなの笑顔を見ると、多少は癒されます。「オレがこの仕事やらなきゃ、あの人たちの場所も作れねえんだよなあ。頑張るしかねえなあ」。

さて、仕事に戻ります。

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2006年12月18日 (月)

お詫び

週末に作成した記事、いらぬ誤解をうむ恐れがあるので、削除しました(笑)。「遺伝子には逆らえない」というやつです。

さて、午後の仕事に戻ります。

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2006年12月14日 (木)

輝いているとき

今日は千葉県障害者就労事業振興センター主催の「明治デリカ千葉 配達業務説明会」に行ってきました。乳製品の配達業務を福祉作業所等に委託したいという「明治デリカ千葉」のマネージャーと、船橋でその仕事を10年やっている「かんぱす」の私、そして明治さんから「配達のプロ」とお墨付きを与えられているユータ君が「講師」として参加しました。

生まれて初めて「講師」の椅子に座るユータ君。はじめは大変緊張していましたが、「さすが!」という仕事ぶりを披露してきました。今日の私の仕事はユータ君の晴れ舞台を設けることと、「ユータは一日にして成らず」。つまりここまで来るまでにどう関わり、どう仕事に取り組んできたのかの説明だけです。最後に「先生」と呼ばれ「ありがとうございました」と御礼をされているユータ君。

障害者の世界とは、施設によっては40歳50歳になっても20歳そこそこのケツの青いくそガキ職員を「先生」と呼ばなければいけないところもあるのです。

今日という日は、ユータ君にとっては緊張もしたけれど特別な日だったと思います。本当に輝いていました。こっちも涙が出そうなくらい。

今年ももうすぐ終わりです。思えばこの1年、多くの仲間たちの「晴れ舞台」を作り出し、その舞台の上で仲間たちが見事に輝いた、そんな1年だったと思います。

青葉の森リレーマラソン大会で「とまりぎジョギングクラブ主将」として選手宣誓を見事に成し遂げたのはイタルさんでした。

障害者スポーツ選手権大会で、女子ソフトボール投げの大会新記録を出したのはマユミさんでした。

「かんぱす」から一般就職を成し遂げた彼も、差し伸べる我々の支援の手を振り切り、「今までかんぱすで言われてきたとおり、自分でできることは自分でしてみたい。だから自分の力で就職したい」と言い切って就職した彼も、それぞれ輝いていたと思います。

「ゆうあいピックソフトボール大会」(2部)で優勝し、MVPを受賞したハマちゃん。授賞式はカッコよかったです。

大事故から奇跡の復活を成し遂げ、車椅子マラソンで4位に入賞したシンタロウ。

長年の引きこもり状態を脱し、「かんぱす」のニューリーダーと回りに認められるまで、仕事を頑張ってきたアンチャンは、輝き続けていた年だったと思います。彼の人生の大きな分岐点になる年だったと思います。

今度の「船橋市民駅伝大会」でアンカーを務めるのは、ダイスケ君。自宅付近を通り、先輩たちから受け継いだタスキをゴールに運びます。登校拒否・通勤拒否で「かんぱす」にやってきたダイスケ君が、仲間たちの歓声の中「とまりぎ」のタスキをゴールまで運んできたら、おそらく私は失神してしまうんじゃないかと思います。想像するだけで、もういっぱいいっぱいです。少なくとも今、大会に向けて練習をしているダイスケ君はすでに十分輝いています。

これが私たちの仕事なんだろうなあ、と思います。障害があろうとなかろうと、人は平等に生まれたら最後は死んでいく。その間の一こま一こまを「生活」と呼んでいて、その中にはいいときも悪いときもある。その人の尺度で「この瞬間!」と思えるような、決定的な場面が作られ、そしてその場面を共有できたらという私たちは夢を持つ。それだけなんですよね、きっと。地域福祉の仕事っていうのは。

課題も喜びも輝きも、すべて前にある。足のつま先の少し前にある。そんな気持ちになれば、後ろ向きにはならない。

夕べはビール飲みすぎました。自室でひとりで飲みすぎました。誰のせいにもできません。でもまあガソリンだと思っています。燃料満タンで、毎日走っているのです。燃費よりも馬力が大切です。

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2006年12月13日 (水)

そうじ男

私は年中そうじのことばかり考えている。妻のブログ(http://kurasitanosi.blog60.fc2.com/)の10月29日の記事にもあるように、私にとって、そうじはリラックス法のひとつである。なにしろ際限がない。最近はあまりないが、家でも仕事をしない日などは、朝から晩まで掃除をしている。以前仕事場から夜中の1時に帰ってきて、それからフローリングのワックスをかけたこともある。最近はチビたちと動物たちの繁栄で、家でのそうじは諦めつつある。そうはいってもそうじは「浮気」みたいなもので、妻やチビたちの目を盗んで、コッソリやるものだ。妻がママさんバレーに行く仕度などをしていると、「今日は風呂掃除にしようかな、台所がいいかな、換気扇かな」と想像してワクワクしている。体が弾んで食事準備などもサッサと済ませ、バレーボールに行く妻に食べさせる。「行ってらっしゃ~い」。

 作業所では、かなり我慢をしてるつもりだが、やはり顔に「掃除しろ」と書いてあるようだ。二つの作業所を往復する毎日だが、私の車の音を察知すると「クローバー」の優秀な仲間たちは「来ました!」と現場の職員に報告する。それからわずか数十秒の間に事務机の上などがバタバタと片付けられる。たまに私の車の発見が遅いと、事務机の上にあるものをバタバタとどこかにしまい込む姿を見かける。あまりに慌てて、伝票など紛失しなければいいが。

そんな私に、待ちに待った12月がやってきました。大掃除の季節です。年末の作業所は仕事に追われ慌しいので、早めに行っています。今年はとくにみんな張り切っています。そんな中を往復していると、とても楽しい。わっテーブルクロスが入った。わっこんなに広かったのか・・・。カーテンレールや柱の上の部分が私の気になるところ。長い付き合いの仲間たちはすでに知っているのでそこを丹念にやるが、若い子たちはまだまだ甘い。

「かんぱす」は、血液型A型が圧倒的に多い。8割以上がA型なのだ。類は類を呼び、お互い細かいところを気にし合っている。流しに米粒ひとつでも残っているということはまずない。占いなど信じるわけはないが、A型の人だけはなんとなく見分けがつく。曲がったことが嫌いでこだわりが強く几帳面。新京成線で2~3駅行ったところにグループ内の別の作業所があるがこちらは歴史的にもB型が多い。「なるほど」と思う。

大掃除の真っ只中で、こんなブログを書いたら、プレッシャーかな?

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2006年12月11日 (月)

当然のこと

今日はろくな仕事もしていないのに、疲労が取れず。「今日は4時にはみんな仕事を切り上げてさっさと帰ろう」と提案。朝、1時間半も遅刻してきたT君は目が腫れてフラフラしていた。もうひとりのT君は、なぜかずっとでかいリュックを背負ったまま電話の応対。礼儀正しいので、何度も頭を下げている。リュックを背負ったまま。ひっくり返ったてんとう虫が起き上がろうとしているかのようだった。「みんな疲れきっている」そう思った。

待ち遠しかった夕方がやってきて、「リサイクルショップクローバー」の板さんを連れて一緒に帰ることにした。板さんをはじめとして何人かが入荷したばかりの子供服の値札付けをしていた。一瞬、ウルトラマンのパジャマが私の目に止まった。板さんらもそのことに気付く。「これなんか、上の子にピッタリじゃないですか?」と板さん。なぜ私の子のサイズを知っているかというと板さんのグループホームの世話人が私の妻だからだ。当然チビたちも出入りしている。・・・・・「へ~、たまには商売っ気あるこというじゃん!売り上げなんか大して気にもしていないくせに」「へへへ・・・」。そんな感じでウルトラマンなんとか(あたらしいやつ)の着ぐるみパジャマを購入。板さんを車に乗せていざ帰路へ。

途中でふと思った。「うちの子ウルトラマン見たことないなあ」・・・板さんを乗せたままCDレンタル店へ。ウルトラマンの新しいバージョン(なんだっけ?)のDVDを借りた。

さあ出発!・・・と思ったところで、ふと考えた。これを居間で毎日見られたらこの前から見たかったビデオがなかなか見られないなあ。ばあちゃんの部屋で見てくれないかなあ。でもばあちゃんのテレビはDVDが見られないんだよなあ。あっそういえばヤマダデンキのポイントが溜まっていたなあ。・・・ヤマダデンキに急行。板さんをつれて。5800円の一番安いDVDプレーヤーをポイントで購入。「クローバー」でパジャマを買っただけなのに、長旅になってしまった。

やっとの思いでグループホームに着く。板さんをそのまま下ろして帰ろうとしたらソファーに見覚えのある人影が。うちの長男がソファーで転がってテレビを見ていた。「親父と一緒に帰るか?」と聞くと「今、かあちゃんとお仕事してるから帰らない」と冷たく言われた。「ウルトラマン見ようよ」とDVDを見せると「親父と帰る」とついてきた。家に着いて「ばあちゃん、はいプレゼント。DVDプレーヤー買ってきたよ」というと、不満そうなばあちゃん。「これで私の見たい番組が見られなくなる」・・・ばあちゃんは私の意図を察していたのだ。孫たちにテレビを占領されてしまう。「かわいい孫のため。我慢しなさいよ」と私。

今日の夕飯の支度がなかなかできない。ご飯も米を研いでいる最中投げ出してある。ばあちゃんの部屋に行ってみると、なんと、孫より夢中でウルトラマンのDVDを見ていた。これじゃあ仕方がない。かあちゃんはグループホームから帰ってこない。私が今日も夕食担当だ。

さあ、何を作ろう、と思ったところにあったものが梅干の瓶。梅干の梅肉をごま油・オリーブオイルで炒めて、中華だし・料理酒・みりん・伯方の塩少々で味付けしたチャーハンと昨日の夜私が作って大好評だった特性ラーメンのスープ(昆布ときのこを煮込んだだしを使ったワンタン入りのラーメン)をあんかけにしたラーメン(これは結局はかみさんが作った)が今日の夕飯。

ところで、板さんを連れての長旅の途中、私がDVDを借りたりDVDプレーヤーを買ったりしている間、私の車の中で待機していた板さん。カーステレオから流れたある曲を聴いて「これ、いいっすねえ。」と一言。・・・思わず笑ってしまった。「そういえばこの曲、板さんの人生そのものだねぇ。」

   SION「当然のこと」

その昔誰も何も信じない男がいた

外に出たことのない自信だけを大切にかかえて

誰も知ったこっちゃないから 構いはしないけど

困ったことに奴はいつも構って欲しかった

奴はそれこそ手当たりしだいに そこら中かみついて

やってもやられても またひとりでいい気になってた(中略)

本当はよく知ってた 自分がそれほど強くないことも

弱虫で甘ったれで どうしようもないことも

誰も信じてないから 誰にも信じてもらえない

わかっちゃいるけど 笑い返せなかった

板さんよ、せめてあんたが死ぬ時には、遠くに住むかわいい娘さんや息子さんたちから涙を一滴ずつでももらえるようになるために、もう少し頑張ろうぜ。酒が好きな気持ちは十分に分かるけど、あんたは優先順位を間違えちゃったんだよな。

   「当然のこと」の続き

くすねた金でうまい酒が飲めるわけはなく

ろれつが回らない朝も夜も ただ寂しいだけ

いったいこんなところまで 何しに来たんだっけな

それみたことか 笑う奴らの顔さえ浮かばない

みなさん、なにを期待しているのかどうか分かりませんが、ろくに更新もしていないのに、ここ数日ブログのカウントが急上昇しております。

なにを期待しているのか分かりませんが、ざっとまあ、こんな感じの男ですから。

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2006年12月 4日 (月)

車椅子マラソン

12月3日(日)、シンタロウ君、はじめての車椅子マラソン大会に参加!

シンタロウ君については、何度か記事を書いたことがあります。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_f2eb.html (またいつか富士山へ)

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_f265.html (かんぱす10周年台湾旅行)

シンタロウ君の大けがから1年半、シンタロウ君の第2の人生に付き合っていく中で、私自身の目標は3つありました。①当初予定していた「かんぱす10周年」の海外旅行にシンタロウ君を絶対に連れて行くこと。②車椅子マラソン大会に参加し、好成績を挙げること。③富士山に連れて行くこと。

台湾旅行は、前掲記事の通り最高に楽しい形で、無事実現しました。さあ、今度は車椅子マラソン大会です。車椅子歴1年のシンタロウ君、大ベテランの方々に対してどこまで力を発揮してくれるか。もともと持っている抜群の運動神経と本人のリハビリの努力がどこまで通用するのか。

昨年の「八千代ニューリバーロードレース大会」のときは、シンタロウ君入院していました。今年は「絶対に優勝するぞ!」とハッパをかけ、これまで練習を続けてきました。練習は水曜日の午後、薬円台公園で行っていました。当初は養護学校の後輩、コージ君がシンタロウ君の伴走をして練習をしていましたが、なんとシンタロウ君の車椅子の速さについていくことができずリタイア。結局今大会の伴走は「かんぱす」の職員(この呼び方本当は好きじゃないんですけどね)G君がすることになりました。普段からG君のシンタロウ君への思いは熱く、気持ちが一つになれば、きっと優勝してくれると信じていました。「どのくらい熱い思いなのか」について。先日、ある小宴会の席でG君はシンタロウ君のお母さんの前でこう宣言。「クニちゃん、タケシ君、シンタロウ君なら養子にもらってもいい」。そういい切れるほどの思い入れです。(でもお母さんの前で「養子」宣言ということは、これってプロポーズ?)

さてレースです。普段はフラフラしていることの多いシンタロウ、スタート前はやはり緊張した顔をしています。中には速そうな人もいます。車椅子そのものがスポーツ用です。

そんな中でのスタート。最初の直線で一気に先頭に出るシンタロウ、やはり速い!

しかしそこで思わぬアクシデント。歩いている分には気付かないくらいの凸凹が、やはり車椅子にとって障害となって、とくにスピードを上げたときに車椅子自体に大きな振動を生みます。そしてすでに神経が切れ、感覚をなくしているシンタロウ君の足が、車椅子から落ちてしまいました。トップスピードで走行中に落ちた足を椅子に乗せようと前かがみになるシンタロウ君、その瞬間バランスを崩し転倒してしまいました。

大きなケガにはつながらず、安心しましたがその後もやはりスピードに乗り切ることができず、4位に終わってしまいました。優勝だけを考えてここまで練習してきたシンタロウ君にとっては、とても残念な結果になってしまいました。

そして何よりも事前の私自身の配慮不足が悔やまれます。足をバンドで固定してあげていれば、こんな事態にはならなかったからです。申し訳ない気持ちです。

でも普段あまり見せない、本当に真剣な顔、とても輝いていました。シンタロウとこうした緊張感を味わえる日がまたやってきたということも、ある意味奇跡といえます。以前は一般成人マラソン大会の10kmの部に出場し、いつかフルマラソンを走ることも夢見ていました。そして事故後の第2の人生でも、こうして輝くことができたのです。

シンタロウ、来年こそはぶっちぎりで優勝するぞ!普通の優勝では許しません。ぶっちぎりです。

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2006年11月27日 (月)

あと14年待て!

うちの3歳の長男と1歳の次男の話。どこのチビ兄弟もそうなのだろうが、「なぜ長男と次男はこんなにも違うのだろうか」とつくづく思う。

昨夜9時ごろ長男と次男は、かあちゃんに連れられて2階の寝室へ行った。2人ともまだ興奮状態で寝そうな状況にない。かあちゃんのみ放出する波長が変わってきていた。次男は乱暴者だから、かあちゃんが寝そうになると顔を叩いたり乗っかったり、やりたい放題。そんな次男を寝かせるために、長男はたいてい次男に絵本を読んであげる。昨夜はたまたま私も2階にいたので、長男の朗読を黙って聞いていることができた。この日は「カーズ」の絵本1冊最初から最後まで弟のために長男は読み上げていた。

長男は以前近所のお姉さん「ことちゃん」に我が家で絵本を読んでもらってから、大きいお兄さん・お姉さんはちっちゃい子供に絵本を読んであげることが「やさしさ」の証であると考えている部分がある。だから絵本を自分で読んでいて、分からない部分があると、「ねえ、これなんて読むの?なんて書いてあるの?」と何度も聞いてくる。そしてそのうち1冊読めるようになってしまう。いったい何冊の本を読めるようになったのだろうか。1歳の弟は、どこまで理解しているかは別として、すぐにお兄ちゃんに本を持っていって「はい」と渡す。そんな弟が3歳チビ兄ちゃんなりにかわいいのだ。

昨夜も長男は弟を寝かせるために「カーズ」を読む。しかしそのうちお兄ちゃんが眠くなり、先に寝てしまう。かあちゃん・兄ちゃんの順で。そして2人が寝静まったのを確認して、弟はそっと寝室を後にする。ここからが弟にとっての夜の本番なのです。弟が親父を独占するということは日中においてはなかなかない。どうしてもお兄ちゃんが先、次が弟、となってしまう。しかし夜の11時以降は自分の時間だと思っている。階段を立ったまま下りてくる1歳児。そして「兄貴とカカア、寝かしつけてきたぞ!」とばかりにおもちゃを広げ遊び始める。私も大人の時間をひとりで楽しみたいから無視し続けていると、洗濯かごを頭からかぶって走り回り笑いをとろうとしたり、何とか遊びの世界に引き込もうとする。それでもダメだと分かると、2階に上がって行き、兄ちゃん・かあちゃんを起こそうとする。叩いたり引っ張ったり。しかし2人が起きるわけがない。するとまた下におりてきて「靴はく!」と言い出す。この人、とにかく一切の束縛が嫌いで、常に外に意識が向いている。先日は夜中の11時過ぎに自分のカバンを持ち出し靴を履いて「バイバイ~」と鍵を開けて外に出ようとする瞬間をつかまえた。

正直に言って、この人はいずれ飛び出していってしまうと思っている。そしてこの人ならそれでもどうにかやっていかれると思っている。危険だからと閉じ込めておいても本人にとっては決して幸せではないし、第一閉じ込められるとも思っていない。だがせめて15歳までは我慢してもらいたいと思っている。そこから先は自由だ。だから本人には常々話している。「あと14年待て!」。

アスレチックに連れて行っても、3歳のお兄ちゃんができないアトラクションを、1歳の次男が軽々こなしてしまう。そうすると長男はやる気を失う。そんな長男は弟を寝かしつけるために本を読んであげる。

そんな次男を見て私は「こんな人になってみたいなあ」と思う。きっと長男もそう思っているだろう。思っていなくてもいずれそう思うに違いない。

せめて15歳まで。思えば私も私の父も、学費など経済的に親から面倒を見てもらっていたのは15歳まで。そしてそのことは約束として小さいときから伝えられていたので、高校も大学も私立などはは考えたことはなかったし、そのためにはまわりよりも先に準備をしなければいけないという意識は何となくあった気がする。学費を含めた生活援助は、いっさいなかった。

へんな伝統だけど、長男と次男には同じことを話していきたいとは思っている。でもその捉え方はきっと違うんだろうなあ。長男にとってはプレッシャーになるかもしれない。過度のプレッシャーにならぬよう配慮は必要。しかし次男は違う。「面倒を見るのは15歳まで」=「15歳になったら自由になる」そんな感じだろうなあ。

お子さんがもう大きくなっている読者の方の笑い声が聞こえそうですね。「バカな親」「分かってないなあ」ってね。顔が浮かぶぜ!

ところで仕事の関係上、ワゴン車(SPARKY)をもう一台買いました。SPARKYが2台になりました。嬉しいっす。

また、今日の朝、渋滞停車中に後ろの車に思いっきり追突されてしまいまして、SPARKEY1台壊れてしまいました。悲しいっす。

そして私は今日は首がいたいのです。              おしまい。

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2006年11月25日 (土)

ビラ男の一生

わが福祉作業所のメイン作業は、ビラ配りにある。いろいろな業者の宣伝チラシ、カタログその他の配布を1部○円で受けている。リピーター率(一度当所に仕事を頼んでくれた方が、そのままお得意先に発展する割合)はきわめて高い。それは一般の広告代理業者と比べても仕事の質が高いからだ。仕事の質が高いということは①ごまかさず、ミスも少ない。②期限をしっかり守る。③依頼者のニーズを先読みして、反響が出やすいような配り方ができる。④報告が細かく、正確である。⑤実際に配布した担当者(障害者)が自分の責任で自分の報告をする。…以上の点が依頼者の信頼を生んでいるのだ。

その結果、仕事は常に豊富にあり、福祉の世界としてはみんなそれなりに胸を張れる給料を手にしている。(一般就職の場合との差はまだまだあるが。)

 作業所の仲間たちの障害の種別や程度はさまざま。しかし障害のある無しやその程度で人の優劣は決まらない。うちの作業所の場合、ビラ配りに気合が入っているかどうかで仲間同士の尊敬の差が生まれる。ずっと走って配れる仲間は尊敬される。地図の読み方が上手ければ尊敬される。雨や雪でもガンガン飛んでいく根性があれば尊敬される。言葉がある人・無い人は関係ない。頭がいい悪いも関係ない。根性があれば尊敬される。

 それは障害のある無しに関係ないので、「職員」と「利用者」という区別も無い。「職員」として入ってきても、仲間たちから「気合が足りない」とレッテルを貼られれば、相手にもしてもらえない。言葉のない仲間から床に線を引かれ、「ここから先には入ってくるな」とジェスチャーで訴えられた「職員」もかつてはいた。「根性が足りない」と判断されたのだ。非常に分かりやすい世界だ。気合と根性だけが価値基準なのだ。

「職員」としてこの職場に入ってきて、まず仲間たちのこの価値基準・ルールを目の当たりにする。たいていの場合は、「根性なしとは思われたくないぞ」と気合を入れて頑張る。そしてやがて仲間たちから「お前、なかなかやるな」と認められるようになる。「職員」君もやりがいを感じ、この仕事にハマっていく。ビラ男の完成だ。事実、今年度「職員」として入ってきたTは、ビラ男として仲間たちから信頼され尊敬され、今では常に仲間たちの輪の中心にいる。仲間たちが帰ったあとも、何時間もビラを数えたり眺めたり、ビラにうっとりしている姿を見ると、ビラ男として尊敬されるその理由がわかるというものだ。終電時間までビラを眺めていても、彼はビラに飽きることはない。恋人と向き合うかのように彼は優しくビラに語りかけている。

ここまでは黙っていても仲間たちが鍛えてくれる。フワフワした新人を、気合の入ったビラ男に育て上げるまでは、障害を持つみんなの仕事だ。私の仕事はその先にある。みんなが育てたビラ男の視野を、どうやって広げていくか。ビラだけでなく、その作業所の将来展望、みんなの生活や生き方、その他さまざまな領域を幅広くケアできる人間に育てていくこと。それが私の仕事だ。

私は仲間たちが鍛えてくれた職員Tというビラ男の視野を広げるべく、「メール便」という作業を福祉の世界に委託したいというある企業の説明会に、ビラ男Tを行かせた。果たしてTの視野は広がってくるだろうか?

説明会後、Tから電話。非常に面白かったということと、もう少し自分の中で整理してみたいという内容。よしよし。「報告書を書くように」と指示。

翌日土曜日の夕方、Tからメール。「夕方までかかって、自分の考えをまとめてきたのか。えらい!」…そう思ってメールを読むと、「ピザーラ津田沼店、幕張4丁目1500部配り終えました」との内容!

ビラ男Tよ!私はゆっくりくつろいでいたのに、Tは今日もビラか!? 私の教育が行き届かないのか、それとも障害を持つ仲間たちの教育が行き渡っているのか・・・そう思ってパソコンを開くと、ちゃんと報告書ができていたではないか。しかも冷静かつ的確に判断されている。よかった。

このブログのせいで、Tがあちらこちらに顔を出すと、「パスポートの件で、遊んで来い!と怒られた人」とか「台湾でぼったくりにあった人」とかと、いらぬレッテルを貼られてしまうことがあるようだ。Tの名誉挽回とばかりにこのブログを書いてみたが、果たして名誉挽回になったかな?

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2006年11月23日 (木)

かんぱす10周年台湾旅行~

「かんぱす10周年 台湾旅行」に関する記事です。本来ならば、その雰囲気をリアルに伝えるべく実名表記にしたいのですが、一応職員以外はすべてニックネームを使わせてもらいました。あらかじめご容赦下さい。しかも、記事がとても長げえことも、ご了解ください。

                          平成181122

                         かんぱす所長 友野 剛行

<台湾旅行にいたるまでの経緯>

・「かんぱす」は平成8年2月にスタート。(小規模福祉作業所として補助対象事業になったのは4月。)すなわち平成17年度の2月にはすでに満10年を迎えていました。だから当初は平成17年度の冬に10周年海外旅行を企画していたのです。平成169月におこなわれた「かんぱす父母会」で第一次企画を発表し、その月から毎月給料から2千円ずつ「かんぱす旅行積み立て」として徴収してきました。

 ところが平成17年5月のしんちゃんのあの事故。生死のふちをさまよい、その後も「かんぱす復帰の目途が立てられないしんちゃんを置いて、10周年旅行を実現する気持ちには誰一人としてなれませんでした。平成17年8月の父母会で、「本年度の海外旅行は凍結。来年しんちゃんが戻ってきたら、しんちゃんを連れてみんなで行く」と宣言。

 しんちゃんが奇跡的な快復を遂げて、車椅子ながら「かんぱす」に戻ってきたのが3月。しかし当初は入退院を繰り返し、およそ海外旅行など行かれるような状態ではありませんでした。本人の努力で体力も回復し、なんとか旅行に連れて行く目途が立ったのが夏頃。この頃から本格的に旅行の準備を始め、担当の武井と、JTB船橋のI氏による打ち合わせなどが始まりました。

<旅行の内容・日程の決定!>

 そして10周年旅行の概要も決定しました。11月19日()から21日()までの2泊3日、場所は台北です。旅行参加者は、「かんぱす」「クローバー」の仲間たちをはじめ、かつて「かんぱす」で働いていて今は「もえぎ」や「かりん」、「NPO法人とまりぎ」で働いている仲間たち、そして就職者の中からK君。また初の海外旅行。みんなの体調面のケアの必要性と、しんちゃんのサポートの関係から、しんちゃんのお母さんで現役の看護師をしているしんちゃんママにも参加を依頼し、合計26名ということになりました。

<パスポートの申請>

 これはとても大変でした。本人のできること・できないこと、そしてそれぞれの家庭背景も考慮しながら26枚のパスポートを揃えるのは、思っていたよりも苦労しました。普段ビッチリのスケジュールで仕事をこなしている仲間たち。その間を縫うような形で申請に行ったり、受け取りに行ったり…。そしてそれを数名ずつ、計画的に。途中様々なハプニングに見舞われたりしながらも何とか人数分揃ったときには、正直ホッとしました。

<旅行前日>

 いよいよ前日。しかしすでに半分の仲間にとっては、旅行は始まっているのと同じでした。飛行機の時間の関係で、全体の集合時間が早朝5時40分。約半分の仲間が「かんぱす」「あかり」に分かれて前日から泊り込みです。

 ここ数日、浮き足立つ仲間たち。心配で電話をかけまくってくる親たち…。

 夕方6時、「あかり」に旅行担当者の6名(友野・武井・塚本・三輪・菅野谷・大槻)が集まって最終打ち合わせ。当日5時40分に誰一人として遅れることなく集まるためには、そして集まった面々が何らトラブルなく予定している飛行機に乗るためには、かなり綿密な打ち合わせが必要でした。バス旅行や電車旅行のように、出発時間を多少遅らせたり、電車を1本遅らせれば済むという話ではないからです。

 朝の送迎の方法から、モーニングコールの担当、切符のスムーズな買い方、連絡の集中方法まで、すべて事細かに決めました。

前日のうちに、大部分の仲間たちの荷物のチェック。あんちゃんは、通帳から年金手帳まで持ってきてしまう。ジャイアン君はゲームを持参するしないでひと悶着。K君はよほど日本が嫌いになったのか、パンツ7枚をカバンにいれ、キヨシは大槻君が準備したカバンを無視してカバン3つを持っていこうとする。エスキモーのような格好で南国に行こうとするコージ。卓さんは三輪さんがわざわざ自宅まで行き、90歳になろうとする卓さんのお母さんと一緒に荷物の準備。

 心配の一つに海外では携帯電話が使えないという問題がありました。携帯慣れしている我々は、事前の打ち合わせが不十分でも途中携帯で連絡を取り合えば済むという日常を送っています。そのままの意識で海外に26名で移動したら、いろんな失敗が予想されたからです。しかしJTBのI氏が海外でのレンタル携帯電話の手配までしてくれた(1本1日300円程度)ので、ずいぶんと楽になりました。

 ある程度準備が順調に進んで、みんなの体調管理も順調(1週間ほどはみんなの仕事量も抑えて、体調管理優先で作業をしていました。)で、本番を待つばかりとなりました。

 前日うちあわせで、最後に私はみんなにこういいました。「最後は全部私が責任を取るから、私の首が飛ばない範囲で、思いっきりみんなを楽しませるように。みんなを楽しませるということは自分たちも同じだけ楽しんで下さい。」

 大金を払って行くのです。2年間積み立てたお金を使って行くのです。その重みを「楽しみたい。楽しませたい。」という気持ちにつなげて結構。ピリピリするのは私一人で十分だと思っていました。

<旅行初日>

 打ち合わせ・シナリオ通りにまずは進んでいきました。本田さんが成田空港まで車椅子を含む7人を送ってくれたことによって、ゆとりも生まれました。遅刻者はゼロで、みんな元気です。ただしくにちゃんだけは緊張で引きつった顔。空港には予定通り7時40分には全員集合して、手続きを待つばかり。集合写真を撮りました。しかし数えてみると25人…。「一人足りない!」と思ったら、菅野谷さんが空腹に耐え切れず、ひとりでおにぎりを買いに行っていました。25人と26人、2種類の集合写真。

 その時点で私は「くにちゃんとコミ君だけは要注意」とみんなに伝えてありました。パスポートとチケットは節目節目で本人が持たなければならないからです。とくにコミ君はカバンのどこにパスポートを入れたかを、分かる人全員集めてそれを伝えておきました。

 しかし、荷物検査が終わり、空港の構内に入り、搭乗手続きで待っている間、ちょっとした隙間を見つけて、くにちゃんが逃走。厳重な警備で囲まれている構内からいとも簡単に逃げ去っていき、倉庫に隠れてしまいました。飛行機がよほど恐いのです。私が追いかけ、つかまえ震える手をとって再び構内へ。普段ならパスポートなしで入ることはできないところですが、事情を見ていた空港警備の人が入れてくれました。そこから先は武井君がマンツーマンでくにちゃんにつきました。

 さて飛行機への搭乗。車椅子のしんちゃんとしんちゃんママ、大槻君の3人は別の入り口から先に入れてもらいました。車椅子も検査の対象で、機内には別の車椅子で乗り込むからです。残り23名が乗り込んだとき、予想外の事態がそこにありました。我々26名の席がバラバラに用意されていたのです。狭い機内で大きな荷物を持った客が次々と乗り込んでくる。そんな中、我々が移動したり立ち上がったりできる状況ではありません。とりあえず塚本君・くにちゃん・タケシ君・武井君だけはなんとか固めて座らせることができ、私はみんながあまり見えない席に座らざるを得なくなりました。立ち上がると「シートベルトを着用して座って下さい」と注意される状況。「下りるときが勝負」と腹をくくるしかありませんでした。コミ君が一人で座っているのが遠くに見えました。トイレに行きたくソワソワして何度も注意されています。スチュワーデスに話をし、なんとかトイレまで連れて行ってもらう。

 飛行機が飛んでいる間、緊張で今にも逃げ出す勢いのくにちゃんを塚本君がなんとか取り押さえている。しかしその横で同じく緊張しているタケシ君がくにちゃんの態度に八つ当たりして大騒ぎ。大変だったようです。

 なんとか台北空港に到着し、やっと仕事ができる環境ができました。私は比較的前のほうに座っていたのでみんなに「席を立つな。最後まで待っていろ。」という指示を出すことができました。コミ君がカバンを持たず下りようとウロウロしている姿が見えました。カバンをなくしたのです。スチュワーデスに話をし、まずは他の客が下りて落ち着けるまで待機させ、カバンを探してもらいます。後ろの方の収納庫にありました。カバンをしまってから席の移動になったようです。

 何とか全員飛行機を下りて、台湾に入国手続き。一人一人恐い顔をした入国管理官に尋問される形で台湾の国に入っていきます。我々がみんなの間に入って対応。ところがパスポートをなくす仲間が出てしまいました。コミ君です。パスポートをカバンのどこに入れたのかは今回の旅行参加者のほとんどに伝えてあり、みんなでコミ君に監視の目を光らせていたはずなのに、その隙間を縫って、コミ君らしい仕事をしてくれました。武井君が慣れない英語(都立大の英文科卒)で事態を伝え、機内に残されていたパスポートを見つけてくれた。

 初めて台湾の地に足を踏み入れ、その暑さだけが「異国の地」の証のようでした。顔も同じ、看板は漢字だらけで意味が分かってしまう。車は右側通行で左ハンドルだが日本車しかない状態。日本語で話しかければカタコト日本語で返ってくる。空気の匂いの違いは食文化の違いのようにも感じられました。

 台湾人の今回のガイドさん。呉さんという初老の男性。流暢な日本語で案内してくれます。あとで詳しく述べますが、このガイドさんとの出会いによって、今回の旅行は数倍楽しめたといってもいいでしょう。コミ君ハプニングで全体の時間がかなりずれ込んでガイドさんをずいぶん待たせることにはなってしまいました。しかし笑顔と「かんぱす御一行歓迎!」の横断幕で出迎えてくれて、まずは「専用車」というマイクロバスへ。車椅子にとっては厳しい条件でした。急な階段でしんちゃんの肩幅くらいしかない幅。担ぎ上げるにもこちらの手を回すスペースさえありません。一度目は私が馬力で持ち上げましたがこれを10数回繰り返すのかと思うと「大丈夫だろうか…」そんな不安もよぎりました。2回目からはしんちゃんママがしんちゃんに怒鳴りつけました。「アンタならそのくらい一人で登れるでしょ!ひとりで登ってみなさいよ!」私もハッとして2回目からは本人の出来るところを見計らいながら必要なサポートをするという形をとり、3回目、4回目と昇り降りも上手くなりました。上手くなってからはサポートを大槻君や塚本君に任せるようにしました。何しろ急な階段なので、お尻から出血が確認されましたが、大事には至りません。

 マイクロバスでまずは観光地である中正紀念堂へ。台湾での「中華民国」を建設した蒋介石に関する記念堂です。蒋介石の銅像やさまざまな歴史の断片、ガイドさんからの説明に一番喰らいついていたのがジャイアン君とあんちゃん。ジャイアン君のダジャレがどこまで通用していたかは分かりませんが、終始ご機嫌で話しかけていました。毛沢東の実践論と矛盾論を大学時代読みふけっていた私としても、毛沢東のライバルで敗北した蒋介石の記念堂は、複雑な思いながらも感銘を受けました。微動だにもしない警備・きらびやかな空間、とてもよかったです。輪からはみ出して勝手な行動をする人もおらず、みんながその説明に集中できたのもよかったです。

 その後、龍山寺に立ち寄り、リバービューホテルへ。そこで多少くつろいだりしている間にミニ職員会議。くにちゃん逃走とコミ君ハプニングの件、我々の立ち位置の悪さの軌道修正(多少のカミナリも落とす)、今後のスケジュールについての確認など。

 夜、再びマイクロバスに乗り込み、台湾料理の店へ。ここも食堂が地下でエレベーターもなく急な階段。男4人がかりでしんちゃんを下に連れて行く。体力勝負の初日だったので、腹もペコペコ。それにしてもものすごい品数と量の食事!あれだけ脂っこい料理なのにむねやけがしない。烏龍茶が日本で飲んでいるものと全く違い、とにかく甘い。やっとのことでお皿を空にしたら「サービスよ~」といって炒飯の大皿の追加。なんとか平らげたら「またサービスよ~」と炒飯!「もう無理ですよ」と話すと「もって帰りな」とカタコト日本語で言ってくれて、炒飯の残りを全部包んでくれた。日本ではこんな経験はできないですよね。

 ホテルに戻ったのが夜の9時。でも時差が1時間あるので、実際は10時。夜遊びも企画していたがみんなホテルに帰って風呂に入ったらバタンキュー。タケシ君も布団に入って10秒でいびきをかいていました。早朝の集合と恐かった飛行機、盛りだくさんの企画に、みんなはもう遊ぶ余力はありませんでした。

 しかたなくみんなが寝静まった夜に職員としんちゃんママだけでミニ宴会。「かんぱす」の初期を知る菅野谷さん、「かんぱす」の形がどんどん作られてきた発展期を支えてきた大槻君、そして今の形で入ってきた塚本君・武井君・三輪さん…。「かんぱす10年」を記念しての旅行。当然話の花も咲きます。途中からしんちゃんママの人生哲学について。女性陣にはいい勉強になりました。

<旅行2日目>

 ホテルでのバイキング朝食を済ませて、再びマイクロバスに乗って、基隆の観光。バスの中では「台湾かんぱす」を作ろう、という話。塚本君が所長に立候補。「ここでどんな仕事する?」その答えが分かりきっていながらあえてイタル君に質問。「ビラまきです」。やっぱり…。 

左には高くそびえる山々。右には海。日本にも同じ風景はありそうだが、何故か不思議なシダ植物。石畳の道、車椅子を押す塚本君・あんちゃん・ダイスケ君。男・浜ちゃんは、なぜか監督役に徹していたようです。上り詰めた所には、塩水でえぐられた奇妙な岩山。記念写真も撮りました。海風が湿り気を交えながらもさわやかに吹いていて、昨日ほど暑くないさわやかな午前。みんなの笑顔も絶えません。「クローバー」のミヨコさん・ミチタカさんは看護師のしんちゃんママに付き添われて、なんとかみんなについていけました。昨日逃走劇を繰り広げたくにちゃんも、風が吹けば心が広がるタケシ君も、全身に海風を受けながらご機嫌です。ダイスケ君・浜ちゃん・あんちゃん・塚本君の仲良し4人組は、おしゃべりが延々と続いています。いい悪いは別として。

 その後、野柳へ。石畳の高い階段。しんちゃんには申し訳なかったですが、車内で待機。大槻君がそれに付き合ってくれました。記念写真を撮ったり、お金を投げ入れるおまじないのようなものにみんなが夢中になったり。マナブ君そっくりの銅像にみんなで笑ったり。帰りに中国語しか話せない喫茶店でコーヒーを注文。身振り手振りでなんとかコーヒーを買う面々。これが苦い!でも美味しかったです。喫茶店にはネコが一匹。ネコを飼っているくにちゃんが優しく触りに行きます。ヨシコさんはネコが恐くて近づけず。

 その後、バスに乗り込み、台湾料理店へ。目玉はショウロンポウと餃子。これがまた美味い!みんな腹いっぱい食べつくして、再びバスに乗り込み、世界一高いビル「101」へ。500m以上の高さのビルの最上階までなんと36秒。これもまた世界一の速さのエレベーター。実は昼から午後は自由行動という企画書を出し、その分の料金は払っていなかったのに、ガイドさんのご厚意で、昼食の企画やそこまでのロードサービス、その後の「101」への移動まで、ガイドさんとこの運転手がやってくれて、「101」の入場料を安くする交渉までやってくれたのです。わすか2日間で、みんなのことを好きになってくれて、楽しめるための様々な配慮と段取りをノーマネーでやってくれたのです。

 世界一の高さのビルから見下ろす高層ビルの群れ。あまりの高さゆえに恐さすら感じませんでした。

 そしてそこからはじめてのグループ行動。7人に携帯電話を手渡し、綿密な打ち合わせのもと、グループごとにバラバラになりました。女性陣は6名(菅野谷・三輪・しんちゃんママ・エミさん・ヨシコさん・ミヨコさん)は一つのグループで、当初より検討されていた足つぼマッサージにタクシーを走らせていきました。6人全員が足裏などのマッサージを受けたそうです。菅野谷・三輪・しんちゃんママの3名は「痛いけど気持ちいい」と話していましたが、みんなのほうはケロッとしていました。体が小さすぎて肩もみと足のマッサージの両方を同時にするのが難しかったのがエミさん。「いたくない?」などと話しかけられ「は~い」などと答えていたようです。セレブにでもなったかのように。ヨシコさんはエステにはまってしまい、夜まで大興奮。

 冴えない男性陣は町をウロウロするばかり。行動力の差を思い知らされました。ミチタカさんなどは「無印良品」でイチゴジャムを買っていました。

 夜、各グループは「101」の地下にあるフードコートに再集合し、食事。50店舗近くの店に広い敷地。1品だけ食べるのはもったいないので「いくつか注文して食べろ」と指示していましたが、一品一品の量がものすごく、とてもハシゴはできませんでした。三輪さんのラーメンは辛すぎたようで、しんちゃんママに食べてもらっていました。それぞれが思い思いの店に行き、だんだん慣れてきた現地通貨の「元」を使っての注文。(この「元」はまとめて私が通貨交換し、それをみんなと随時交換したもの。)「100元かあ、安いなあ」と、計算が得意なジャイアン君・あんちゃんは口にして、「円」すらもよく分かっていないはずのK君・ユウタ君・スグルさんらがマネをして「120元かぁ」などと言っていました。コミ君はクレープをほおばって、ご機嫌。昨日のハプニングは忘れてしまったようです。

 食後はタクシーに分乗してホテルへ。台湾では実はタクシーの方が地下鉄よりも安くて旅行初心者には安全なのです。ホテルの名刺を渡すだけで済むのですから。

 この日の夜は、昨日よりはみんな元気。夜遊びの企画も再開しました。「夜遊びに行きたい人は?」…あんちゃん・ユウタ君・K君・ミチタカさん・ミヨコさん・マナブ君・コミ君・ダイスケ君・キヨシ君が立候補。我々の側も三輪さん・菅野谷さん・しんちゃんママ・塚本君・武井君が立候補。友野・大槻という「かんぱす」が一番長い2人が中に残り、居残り組を見ることにしました。グループに分かれて夜の町へと飛び出す仲間たち。しかしロビーでウロウロしている仲間を発見。浜ちゃんです。「いこうかな?やめようかな?」ずっと悩みながらウロウロしています。結局「やっぱりいく」とみんなを追いかけて飛び出していきました。悩める男・浜ちゃん。

 夜遊びでは、浜ちゃん・あんちゃん・コージ君・塚本君が射的のゲームに興じ、ぼったくられる。4人で金額を振り返らずゲームに没頭し、4人で4000元(1万5千円)の請求。塚本君が日本語で逆ギレしてなんとか支払額を1000元(ひとり千円弱)にまけさせて、事態を収拾。男・浜ちゃん、ぼったくりに合う。台湾かんぱす所長・塚本、ぼったくりを振り切る。

 深夜はミヨコさんも交えて恋愛論議。ミヨコさんの人生経験や塚本君の淡い恋の話。武井君の小難しい恋愛哲学など。

<旅行3日目>

 深夜まで起きていた人たちは眠い目をこすってホテルのバイキングへ。昼食の時間があまり取れないことから「腹いっぱい食わせおけ」と指示。

 朝食後は武井君・菅野谷さんの打ち合わせで、近くの「二二八和平公園」にいくことに。入り口近くでハーモニカやトランペットを演奏する白人男性。友野・キヨシ君・コミ君・ミチタカさん・コージ君という音楽好きの面々は座り込んで聞き入っていました。キヨシ君が一言「何か俺すごく気持ちがいいんですよね。ここに来てから。ずっと調子がいいんですよね~。」…彼との付き合いは長いけれど、こんな風に自分のことを語ってきたのは初めてです。公園内を散策すると、台湾リスが人間慣れして近づいてきます。日本の敗戦=台湾の「独立」を記念して作られた石造では、深い井戸のようなものに水が流れていく光景を、微動だにもせずコミ君・キヨシ君が眺めています。コージ君は飽きていました。その後、我がグループは台湾博物館へ。大航海時代の歴史上の遺品や絵画、「ポルトガルかなあ、スペインかなあ」「これ、マルコポーロ?」ミチタカ君・キヨシ君・友野で知的な会話も弾みます。説明は中国語と英語、とりあえず私が英語を訳して説明していると、キャーキャー大騒ぎの日本人集団と遭遇。菅野谷・三輪・エミさん・しんちゃんママ・ヨシコさん・ミヨコさんの女性陣。同じものを鑑賞しても話題がこれほど違うのか、と実感。

 公園のグループ行動は11時15分に集合。みんな集まったかな?

 どこの公園でもそうだが、台湾では広い場所には必ず太極拳をしている人がいます。ここも例外ではありません。ただこの公園が違うのは、その太極拳の輪の中に、日本の侍も混じっていたことです。男・浜ちゃん、太極拳を身につける。

 さあ、帰ろうかというときにみんなが口々に言います。

 「まだ日本に帰りたくない」「もう2~3日、ここにいたい」「卓さん、お金出してよ」。それほど楽しい3日間だったのでしょう。

 12時にホテルに戻り、マイクロバスで土産屋へ。みんな残してきた人たちへの思いをお土産に詰めて、大きな袋をもって歩いています。袋にたくさんのお土産をさげて歩いている菅野谷さんに卓さんが一言、「そんなもん拾ってくるから重たくなるんだよ」。「こんなもん、落ちてないから!」。ヨシコさんは自分で身につけるキーホルダーを買って大興奮。マナブ君は「お土産誰に買ったの?」と聞かれて「マナブだよ~」。自分で食べるのはお土産とは言いません。

 帰りの飛行機はガイドさんが手早く手配してくれて、みんな固まって座ることができました。だから混乱はなし。この3日間で、それぞれの役割分担も自然発生的に作られて、実にスムーズな動きでした。自分も楽しいから、自然と仲間と協力する意識が持てる。そんないい循環が、この3日目には形作られていました。

 帰りの飛行機は、あっという間でした。ほとんど記憶がありません。くにちゃんはまた青い顔をしていましたが周りが支えていました。飛行機の中では男・浜ちゃんがくにちゃんの手をしっかりと握りしめていました。飛行機を降りて、入国手続きへ。「楽しかったねえ」と口にする仲間たち。

 帰りにはまた本田さんが車で迎えに来てくれたので、車椅子も含めて非常にスムーズに動けました。電車組と車組に分かれて船橋へ。電車の車内ではジャイアン君・あんちゃん・塚本君・キヨシ君が大声でおしゃべり。まだ台湾にいるような雰囲気でした。見た目も含めて。

 こうして「かんぱす10周年台湾旅行」が無事に終わりました。またいつもの「かんぱす」「クローバー」の毎日です。でもその毎日の積み重ねが、こうした楽しい経験につながること、そのことを自覚して今後の毎日をより充実させていければ、と思います。

                                   以上

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2006年11月16日 (木)

教訓

今日の夕方、Sさんが「相談に乗って下さい」と突然この福祉作業所に来ました。仕事中だったので、少し下で待っていただきました。その間、日曜日から3日間、台湾旅行に行く作業所の仲間たちはSさんをつかまえて「オレ、飛行機5回目!」だの「ひこうき~」だのと興奮して話しかけています。(深刻な顔したSさんの顔色を見ることもなく、場の雰囲気もつかまずに・・・)ここ数日興奮しっぱなしです。

とりあえず話をひと通り聞いて、次に出た言葉は「うちの娘、天才なんですよ~」。

話を聞けば確かにすごい娘さん。娘自慢をず~っと聞いていて、「これは私にとっての教訓だな」と悟りました。

私も息子自慢はほどほどにします。おしまい。

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2006年11月14日 (火)

オヤジは今日も遅くなります。

 障害を持つ仲間たちが、仕事においてミスをしてしまいました。「チラシお断り」と書いてあるポストにチラシを入れてしまったというミスです。前回同じお宅に別の仲間が入れてしまい、依頼業者(宅配ピザ)のほうにクレームが入っていたのです。同じお宅に別の仲間が今回入れてしまったということ。

 直接は、この作業の担当者の伝達ミス。(ちゃんと仲間たちに配布禁止の場所を伝えていれば、ミスはないからです。)しかしそのお宅がご立腹で「責任者を出せ!」とおっしゃっている以上、私が頭を下げてくるしかありません。私たちの福祉作業所は、数々の依頼業者から「まじめに一生懸命仕事をしてくれている」という信頼をそれなりに得ていますので、この一件で依頼業者との関係が壊れることはありませんが、この問題を解決してくるほかはありません。

今晩、約束をとって謝りに行ってきます。

仲間たちが地域に出て行って一生懸命働いている。さまざまなハプニングや失敗は、最小限に食い止めつつも100%避けられるものではありません。ある意味最終的な部分は私の仕事になってきます。そして私の仕事になる以上、その仕事についての考え方を整理する必要があります。

まずいくら障害を持っていたとしても、地域に出て働く以上は「社会人」としての責任を求めていくことになります。責任を求めるということは責任を取るということです。それがまず前提です。その上で、まずはよほどの悪質なものでなければ、最初の事態は「ハプニング」という性格を持ちます。「ハプニング」を防ぐには「配慮」です。「ハプニング」を先回りして予想して、それを回避するための「配慮」です。そして次に同じことが起こった場合、これは単なる「ハプニング」では済まされなくなります。これは明らかなミスとなります。

「ハプニング」が起こる前に必要なものは「配慮」。しかし起こってしまって以降は「対応」ということになります。「配慮」と「対応」の違いは、「配慮」は予想を前提にした危機管理であるのに対して、「対応」は実際的な事柄を具体的に防いでいくための措置です。「対応」がとれなかった場合、これは「ミス」といいます。そして「ミス」に対しては事態の推移の中で、私の直接的な仕事になる場合があります。

働いているみんなが、故意にミスをしようとしているわけでなく、結果として「ハプニング」や「ミス」を犯してしまった場合、私が安っぽい頭を下げて回ることについては、何の抵抗もありません。起きてしまった事態への意識と責任感は十分に感じている奴らですから。みんななりに誠意を尽くし、それでもダメなら、「こういう状況だから、あとは私に任せておけ」というほかありません。でも本当の私の仕事はその先にあります。次の「対応」の中身を検討・吟味して、それで十分かどうかの判断と、それが継続されているかの確認です。正直な話、ミスはいいのです。同じミスを2回繰り返さないという意識だけをしっかり持ってもらえば、それでいいと思っています。問題は後ろでなく、前にあるのです。

ミスを通じて学んでいくのは、みんなだけではありません。頭を下げながら、私も学んでいくべきなのですね。

次男の風邪がなかなか治りません。オヤジは今日も遅くなります。

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2006年11月12日 (日)

ダブルブッキング王

今日は朝から「とまりぎソフトボールクラブ」の試合&相手チームと合同のバーベキュー大会。大穴北東町会イースターズからのお誘いです。朝、試合前の練習をしてひと汗かいたところでさあ試合。ところが私はここで現場を離れなくてはなりませんでした。

実はこの日、ダブルブッキングで「とまりぎジョギングクラブ」が「小出監督ランニングアカデミー」に参加する日でした。小出監督&佐倉アスリートクラブの方々に走り方などを指導してもらうというものです。

車で佐倉に行き、開会式まで参加。「あっ小出監督だ!カメラを忘れた!」仕方なく携帯電話でカシャ!これがその写真です。Img004_1 小さくて見えづらいですが、小出監督が挨拶している時の写真です。

開会式だけ参加して、ソフトボール場に戻ります。試合はもう終わって、バーベキュー大会の頃です。腹ペコでしたが頭の中では肉を食べておりました。ところが、、、「終わってる・・・・」。

相手チームの方々はもうビールで真っ赤な顔。私を見つけるなり「監督、今日どこ行ってたのよ~!」「すみませんでした~」

両企画の関係者の方々、今日は本当にありがとうございました。スポーツっていいっすねえ、本当に。

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2006年11月11日 (土)

昨夜、閉め出されてしまいました。

超個人的な宣伝ですが、12月23日にAEON八千代緑ヶ丘店でライブをやることになりました。今日はそのリハがあり、ちょっと歌っただけですが体がボロボロです。昨夜、妻子に部屋から閉め出され(何の心当たりもありませんが、たぶん子供のいたずらで中から鍵をかけたまま寝てしまったようです。)、私は深夜まで待機していたにも関わらず、早朝5時には起き出し掃除や洗濯などをしておりました。ちょっと仕事場に顔を出し、そのままリハ。元来睡眠時間は4時間あれば大丈夫な方ですが、今日は体が言うことをききません。若くないなあ、と実感しました。

その「若くないなあ」という実感は、同時にこの地域福祉の世界の次の世代をどう育てるかという考えに結びつきました。毎日このオッサンにくどくど言われている諸君は、わたしの頭の中で何を考えているか、だいたい分かっているとは思います。そして今回は、それをまとめます。

①外の空気を吸収してください。

 自分を伸ばすのは、結局は「他流試合」だと考えます。「井の中の蛙」にならないこと。どんどん外の空気に触れて、それを素直に受け止めること。素直に受け止めるとは、誰に対してもあるいは何に対しても「否定」から入らないこと。「否定」は遮断であり、吸収にはつながりません。自分たちは今の現場でそれなりに誇りを持って働いている。ある意味「他とは違う」というプライドを持っている。それは大切なのです。しかし、どこに行っても誰にあっても、何かは自分(たち)より優れている。それを感じ取り、共感すること。いろんな考え方に触れたらグラグラしてしまう部分もあるでしょう。でもそのグラグラすることこそが大切なのです。グラグラしながら自分の中で作り上げたものこそが本物なのです。「このままでいいのか」「やっぱりこのオッサンの考え方ややり方は間違ってるんじゃないか」・・・そう思ってもらって大いに結構!その先をどうかとことん考え抜いてください。はっきり言っておきますが、私は妄信的に「尊敬」されることは嫌いなのです。なぜなら私がそこから何も学べないからです。福祉の外の世界に対しても同じです。福祉だけの基準で考えないこと。いろいろな基準で発想できることが大切です。いろんな基準を自分の中で束ねる、その束ねるひもが「福祉的」であればいいのです。

②野心をもってください。

 いつか私を追い出してください。または飛び出てください。その自信がない人だけ、私の近くにいればいいです。私は飛び出されても、あるいは私が追い出されても、ぜんぜん平気です。そういう気持ちがあるとないとでは、仕事への姿勢が変わってきます。自分が知らない領域・自分が苦手な領域に対して、真剣に向き合うようになります。結果として追い出したり飛び出たりしなかったとしても、それはそれでいいことです。でもそのくらいの「野心」がないと、本当の真剣さは生まれてこないような気がします。地域で暮らす障害者たちのために、自分はどうあるべきか。それが基準です。「もっとこういう場所が必要だ!そのために自分はこんなことを始めてみたい!」・・・そんなことを言ってくれるようになったら、どんなに嬉しいことか。大喜びで追い出し(笑)、そして納得できるものなら協力しますから。まだまだ先の話ですけどね。大丈夫。代わりの人を育てるくらいの自信はありますから。要するに障害を持つ人たちを傍らにした自分なりの夢を、しっかり持ってくださいよということです。

③ 私の夢

 ここまで組織づいてしまうと、はかない夢で終わってしまう可能性もありますが、私の夢は妻と二人で小さな作業所かグループホームをやることです。あるいは今の会社で障害者とともに細々と活動するすることです。できれば、動物たちと虫たちと花畑で囲まれたプレハブか何かのポンコツ小屋で。子供たちに呆れられながらも多少の協力をしてもらって、細々と食いつないでいければ十分です。貧乏暮らしは慣れているし、生き抜くコツも身につけています。名刺もないし、「福祉」の世界ではほとんどの人は私たちのことを知らない。そういう気軽さで、いつか暮らすのです。ただ、いろんなところで活躍している人たちが、ちょっと困ったり相談があるときだけ、ひっそりとしたそのプレハブ小屋に足を運んでくれる。ビール6缶くらい持参して(笑)。それで十分です。私の最後のパートナーは妻ですから、どうぞ安心して蹴落としてください。

まとめに代えて。要するに気合を入れろ、ということです。おしまい。

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たいへん忙しくしておりました!

書きたいことは山のようにあるのに、その時間が全く取れませんでした。今は今日の仕事の中止の手配で朝からバタバタとしております。勝手に「たぶん中止だろうなあ」と判断してしまう人、「オレは雨なんか関係ねえ!逆らってでもやるからな!覚悟しとけ!」といってくる人、、、いろんなタイプに即して連絡を取らなければなりません。

そういうことでまた後で。

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2006年11月 5日 (日)

アクセス解析について

このブログの管理者(=私)は、「アクセス解析」といって、「誰が」以外の多くの情報を手に入れることができます。何日何時に何名、一日に何名、合計何名など。そして最近それがバージョンアップして、このページを開いてくれた人が、次にどの記事に移動したのかとか、そのページを何分開いていたのかまで分かるようになっています。

これが面白いんだ。「育児」の記事ばかり読んでいる人は、「障害者自立支援法」がどうしたとかのページは3秒くらいで飛ばしてしまうし、毎日同じページばかり読んでいる人がいるし、、、。とくにうちの職員にハッパをかけるような内容のページを毎日開いて読んでいるおりこうさんがいることも、このバージョンアップされた「アクセス解析」で分かりました。10分近く記事とにらめっこしているようですね。

累計ですが、3ヶ月で数千人がこのブログに入ってきています。読者数としては数百人ですが。それでも嬉しいですけどね。

驚いたのは、一日何回もこのブログを開いている人が80人もいること!そして1日20回以上開いている人もいらっしゃるようです。

こっちも忙しくて、そう毎日更新はできませんから、2~3日に1回開いてくれれば十分ですよ(笑)。それよりお仕事を頑張りましょう!

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2006年11月 4日 (土)

かわいらしいミスの仕方

今日は、成田POPマラソンの引率です。6時半出発なのに寝坊してしまいました。何かの奇声で目を覚ましたら、我が家に今日走る予定の選手、T子さんがいた。いや~ビックリした。高速道路を使い、なんとか受付時間には予定通りに到着。

すっきりした秋晴れではないけれど、薄くかかった雲がその向こうの空の高さをむしろ表現するかのようで、そしてまた時折雲の隙間から差し込む日差しが、太陽系の絶対的な静寂さを私たちの心まで届けているようで、とてもすっきりした顔の面々が、成田に集いました。

 最近、なんか俺おかしいか?

「とまりぎジョギングクラブ」のうち、長・中距離選手8人が選ばれて、今日の大会に参加。全盲のS君は今年もお父さんの伴走でハーフマラソンに。その他10kmに3人、3kmに4人が走りました。特筆すべきは3kmマラソン初参加の女性メンバーIさんが8位に入賞したこと。いや~よかったです。

さて前回の記事で、私は今日の朝刊に「県民だより」があるとお話しましたが、1日間違えておりました。明日です。多少は恥ずかしい気持ちもありますが、誰にでもあるミスなのであまり気にしていません。パスポートの受取日を間違えるよりは、かわいらしいミスだと解釈しています。(変わらねえか?)以下の記事を参照のこと。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_6343.html

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2006年11月 3日 (金)

千葉県民のみなさん!

明日の新聞折込に入っている「県民だより」をどうぞご覧ください。

私たちの福祉作業所の仲間たちがバ~ンと写真掲載されていますから。

先日行われた写真撮影は私もいくつか同行し、撮影現場に立ち会っていたのですが、実際に採用される写真を見せていただいて、いろいろ考えさせられました。

世の中、本当にコツコツ頑張っている人と、ちょっと頑張っていればそれだけで脚光を浴びる運命にある人と、いるんですね(笑)。

もちろん写真に掲載される仲間たちも、本当に頑張って働いているのですよ。ただ写真の枠からちょっとはみ出している人の頑張りは、本当にすごいのですよ。牛乳配達のY君!新聞配送のU君! 僕には、写真の枠の外で頑張っている君たちの姿が見えるのだよ。

でも本当にいい写真を撮ってくれてありがとうございます。

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2006年11月 2日 (木)

よく考えました。

明日は一日休みをもらって、絵を描こうと思っています。パステルで。題材は決まっていませんが、薄紫を基調としたビジョンが浮かんでおります。薄紫の中でも、絵画全体の明るさを表現できるような気がしたのが、明日の休みの唯一の動機です。空気が澄んでいる分、浸透圧の関係で、自分の中にあるものが拡散していくような感覚への防御として、それを束ねる先が、私にとっては絵画なのかもしれません。

そしてそれは、昔からそうだったような気もします。

携帯はずっと、マナーモードにしていると思います。商談以外は着信にも返信しません。

みんな、怪我をしないように。

あさっては、成田POPマラソンの引率に行きます。絶好調のH君が、どこまで上位に食い込めるか、それが楽しみです。

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2006年10月30日 (月)

地域福祉の片隅から

千葉県では「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」が全国に先駆けて成立し、県が主導する官民共同のプロジェクトが、さまざまな形で実行されています行政が、これほどまでに「地域福祉」の推進に関して熱心に取り組んでいるという例は、あまりないのではないかとさえ思います。最近でも行政の方々が次々と私たちの福祉作業所に見学に来られていますし、その方々の表情を見るだけでも、いかに熱心に取り組まれているのかをうかがい知ることができます。

このブログのタイトルは「地域福祉の片隅から」です。なぜ「片隅」なのかというと、こうした行政主導の「地域福祉」のムーブメント、そういう主流に対して一定の距離を保つことが本当の「地域福祉」のためには必要だと考えるからです。私たちの業界は常に「片隅」なのです。そのことを忘れてはいけません。「片隅」にいるからこそ、こぼれ落ちた人たちを拾い上げられるのです。みこしを担ぐつもりはありません。みこしを担ぐ人たちの足元からはじき飛ばされた人々、この人々を拾い上げられる場所こそが、私たちのホームタウンです。

実のところ、最近行政の方々からの「地域福祉」の推進に関する相談を数多く頂戴しています。そのことを念頭に置きつつ、最近私が考えていることを書いていこうと思います。

さて、本題に移ります。障害者福祉の世界において、行政がこれまで主導してきたのは「施設型福祉」です。「施設型福祉」と「地域福祉」は、全く別物であるということ。その認識をまずはもつべきなのです。確かに両者とも、そのフィールドの中の事業の中味については同じようなものもたくさんありますし、同じ「障害者福祉」である以上、共通項もたくさんあります。しかし、こと行政の関与ということとの関係でいうのならば、両者の違いは明確に押さえておくべきなのです。

「施設型福祉」においては、行政は文字通り主導的立場をとります。その事業の運営主体は社会福祉法人等であったりしますが、あくまでも行政が始めに枠組みを設けてその枠組みの中で認可を与え、事業がスタートするのです。そしてそのことに何ら問題があるわけではありません。

しかし「地域福祉」は違います。地域のニーズを地域自らが引き受ける形において、さまざまな形の「地域福祉」が誕生するのです。例えば「福祉」をやっているという意識すら持たないような数々の取り組みが、実はその地域の「地域福祉」の大切な柱であったりもするのです。商店街のおじちゃんや、口の悪いおばちゃんが、「地域福祉」の大切な資源であったりもするのです。

小規模作業所の歴史を見ても明らかですが、「地域福祉」に対する行政の関わり方は、後追い的な支援という立場を取るのが常です。「施設型福祉」においては主導的立場を取るべき行政は、「地域福祉」の世界では後追い的な立場を取るのです。そして、いい形で後追いができれば、「地域福祉」の発展に大きく貢献するのです。しかし逆に言えば、追い越してはいけないということです。

「施設型福祉」と「地域福祉」のこうした性質の違いを十分に理解されていないと、行政が先回りをして枠に押さえ込んでしまい、逆に地域福祉の発展を押さえ込んでしまうことさえあるのです。

ちょっと抽象的ですね。具体例を申しましょう。

小規模作業所とは、千葉県ではおよそ30年ほど前から作られてきたムーブメントです。行政がその功績を評価し「心身障害者小規模福祉作業所」という名称を与え、運営費の補助を始めたのが今から13年前の平成5年。補助金を拠出する以上は「運営要綱」なども当然必要となってはきます。その「要綱」においては、当時知的障害者と身体障害者のみを(補助の)対象とすることがうたわれ、精神障害者に関しては「精神障害者共同作業所」(昭和60年補助開始)を利用することになっていました。

ここで「施設型福祉」と「地域福祉」の行動の違いが顕著になります。「地域福祉」とは、地域のニーズに対して地域自らが引き受ける形で推進されていくものです。「心身障害者小規模福祉作業所」の「運営要綱」という枠からははみ出されてしまっている精神障害者の仲間たちを積極的に引き受ける作業所も出てきました。「施設型福祉」では当然門前払いになるでしょう。障害種別や程度などによって施設の役割は分割されているからです。しかしもともと枠のないところから生まれている小規模作業所にとっては、「運営要綱」などよりも地域に困っている障害者がいるという事実の方が、はるかに重要な問題なのです。そのように枠をはみ出した小規模作業所の実践に対して行政がそれを評価し、精神障害者も補助の対象として認める方向で「運営要綱」を改定したのが平成18年度。行き場のない障害者の思い、それを含んだ地域のニーズ、これを何よりも大切にしながら行政の「枠」をはみ出して発展する小規模作業所の「地域福祉」。そしてその功績をしっかりと見つめ、後追い的にその発展を支える行政。「地域福祉」というフィールドにおいては、そのような後追い的な支援こそが行政のもっとも力を発揮できる関わり方なのです。

ちょっと角度を変えてお話しましょう。「地域福祉」のフィールドにおいては、行政の仕事は、0から1を作ることではありません。1を2にし、2を3にするのを助けるのが行政の仕事になります。「施設型福祉」の発想で「地域福祉」を考えると、0から1を作れるかのように考えてしまいがちです。それは明らかな勇み足です。

また、そのことはさらに別の問題にも発展します。「0→1」の発想で地域に入っていくと、おそらくは地域の反発を少なからず受けます。なぜなら「地域福祉」のフィールドにおいては「0」ということは有り得ないからです。たくさんの人がそこで暮らしていて、その人たちの中には高齢者・障害者など困っている人たちも少なからず存在する以上は、その地域特有の「地域福祉」がかならず存在します。それはきっと腰を下ろしてじっくりと眺めてみないと分からないようなとても小さい単位であったり、いわゆる「福祉」っぽくない形であるためなかなか判別できないものであったりするのだと思います。不十分ではあれ、その地域特有の解決策があり、担い手がいるということを決して忘れてはいけないのです。

「0→1」の発想では、そういう小さな「地域福祉」を拾い上げるという考えは浮かんできません。ブルドーザーの下にいる小さな虫たちの存在に気付かないのと同じです。

まずは平日の街を歩いてみてください。公園のベンチで、病院の待合室で、八百屋の店頭で、ジジイやババアのおしゃべりに聞き耳を立ててみてください。障害者っぽい人が歩いていたら、怪しまれないように工夫して(笑)、後ろをこっそりついていってみてください。その子が入ったお店で、優しくそして厳しく叱られたりしていれば、そのお店の店員とあとでじっくり話をしてみてください。

目の周りにクマを作り、フラフラになりながら「地域福祉」の推進のために日夜努力されている行政担当者の皆様を数多く知っています。その方々の努力には本当に頭が下がります。しかしあえて、私が地域福祉の片隅から感じることをお話させていただくとすれば、以上の点です。

これが昨日「書きたいテーマが二つある」と言った、もうひとつのテーマです。昨夜はたいへん酔っ払ってしまいましたので、1日遅れました。

        障害者の働く場クローバー 友野剛行

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2006年10月29日 (日)

金魚のキスのしかたについて

固い話で~す。今日は書きたいテーマが二つあります。日曜日。子供たちとの約束もあり、夜はお友達との約束もあるので、その隙間に書きます。まずは一つ目。

私は4年前に、「職業リハビリテーション」(障害者の就労支援)に関する研修に行きました。当時「職リハ」の世界でさかんに言われていたことは、「まずは個人の機動力・柔軟性を活かして地域のネットワークを作ること」でした。個人で作り上げるネットワークを組織に還元していく・組織を軸としたネットワークに発展させていく。そのためにはまず「個人」ということです。なぜ「個人」でなければならないかというと、あまりに「組織」を意識しすぎたり、相手に「組織」を意識させすぎたりすると、「人」としての信頼関係が作れないからです。どんな提案をされても「いや~理事長に相談しないと、私の一存ではお答えできません」「その件につきましては、~と上の者が申しておりましたので、~ということでお願いします」・・・こんな対応に終始するような状態では、その「人」にまわりはついてきません。腹の中では当然「理事長・所長はなんていうだろうか?私の判断は間違っていないだろうか」と小便チビるほど不安に駆り立てられていても、それを態度に出してはいけません。シガラミは外に見せるものでなく、自分の中で消化するものです。「私」というものをまずは知ってもらう。そして「私」を知ってもらうことが組織を知ってもらうことなのです。なぜなら「私」の中には組織というものが貫かれているはずだからです。そしてもしそうでなければ、「私」として動くべきではありません。

私の場合は障害者福祉の世界の人間なので、ネットワークを作るということは、障害を持つ仲間たちが中心になるということです。だから「私」として動く時には(まあ、いつもそうですけど)「私」の中に、障害を持つ仲間たちへの思いや愛情(怒り・悲しみも含めて)を、体中にブチ込んで動くのです。威張ることも媚を売ることもせず、虚勢を張ることも無理やり陰に回ることもせず、普通に他者と向き合うのです。なぜなら、その時点での「私」は、障害者の代理人にすぎず、障害者が求めている他者とのつながりは、まずは「普通の関係」だからです。だから私も「普通」に徹するのです。

さて、4年前の研修。その時のメモで私の5カ年構想というものがありました。講義を受けながら、私なりにイメージしたものを書きなぐったのです。初公開ですが、この4年間はその時の構想に沿って私は動いています。なぞの多い私の行動の種明かしです。

1年目、まずは地域の関係者とのつながりを作ること。地域の福祉関係者・町会・病院・理解のある住民の方々・、商店街や地域の中小企業・・・そういう方々とのつながりを作ることです。地域の福祉祭りなどの実行委員や会合、地域行事への参加を通じて作りました。

2年目、学校関係者。養護学校の先生などとの信頼関係を作ること。実習やちょっとした講演のようなものも含めて活用しました。

3年目、福祉の業界関係者。「福祉作業所等のあり方研究会」に所属し、小さくなりながらも(なってねえか?!)必要な関係者とのつながりを作り、情報などを仕入れやすい環境を作ってきました。情報を仕入れやすい環境を作るということは、自分も情報発信者になることです。そのためには苦手な勉強もそれなりにしなくてはなりません。受験生の手本になるくらい(笑)影でこっそり勉強をしました。

今年4年目は「障害者自立支援法」の施行も絡みますので、行政の関係者。人当たりよく、行政の方々ともニコニコとお話しておりますが、実は4年前に腹黒~く(笑)計画していた「ニコニコ」ですので、ご了解ください。つながりとしては予想を超えて広がってしまい、少々戸惑ってはいます。先日も船橋から遠い市町村の行政関係者から障害者の趣味に関する相談の電話。・・・もう少し話しても大丈夫かな?・・・ペットの飼い方です。ちょっと顔を出してみるにはあまりに遠すぎるのでここで書きますが、ペットを飼うのは小さい子供の育児と同じです。

抱き上げ、キスをすることです。(金魚も?・・・金魚には水槽越しにしてあげてください。やっとタイトルの理由が分かった?)

さて5ヵ年構想の最後、来年は企業関係者です。そのための準備として、まだ青写真以下の状態ですが、今年会社を立ち上げました。5月1日に「会社法」が施行されましたので、ゴールデンウィーク全部つぶして準備して、5月8日に立ち上げました。これもまた受験生の鏡で、一夜漬け勉強のお手本のようでした(笑)。来年に向けて、少しずつつながり作りは準備を進めています。

このように1年ごとにスタンスを少しずつ変えてやってきていますが、なぜ1年毎かというと理由があります。準備に半年・実践に半年、このくらいのスタンスがやはり必要だからです。毎年度前半にまず手を広げます。本当にパーッとね。単なる思い付きや思い込みでなく、計画的にそれなりに準備はしているわけですから、当然つながりは広がります。そして年度後半は、それを少し縮小します(笑)。「縮小」とは二つあります。ひとつは切り捨てることです。障害を持つ仲間たちにとって、あるいは地域や社会全体の障害者にとって、プラスになるメドがたたないつながりを維持する必要はありません。(その人が「障害者にとってプラスにならない人」ということでなく、私がその人とつながる必要性があるかどうかの問題です。)もうひとつは、冒頭でもお話したとおり、「私」から「組織」に還元することです。大切な人とのつながりを「私」としてでなく「組織」としてのつながりに発展させていくことです。あるいはつながりの中での役職を、うちの職員に引き継ぎます。(面倒だから押し付けているわけではないのですよ。誤解しないでね。あっ今日福祉祭りだね。頑張ってね。)

こうして身軽な状態に戻りながら、年度後半から、翌年の準備をするのです。これが私のスタンスです。

5ヵ年構想の集大成としては、これらのつながりをひとつに束ねて、ひとつの形にすることです。それは障害者の雇用と就労の支援、これにつきます。会社作りもそのための準備でした。だからこの時期を選んで立ち上げたのです。私の行動原理の種明かしです。この時期の種明かしも計画どおりです。あ~すっきりした~。不眠と便秘が治るかな?

そして参考になったかな?はやく追いついてこいよ!立ち止まって待つことはしないけど。誰のために書いているか分かるだろ?

坊やと小娘。

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2006年10月27日 (金)

ドラゴンズ、日本一に・・・

ドラゴンズ、日本一になれませんでした。(↓過去記事)

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_29cf.html

1週間、日本シリーズのことしか頭になく、ろくな仕事もせず、すぐに帰ってしまい、後半はイライラしっぱなしで、みんな本当に申し訳なかった。

気持ちを入れ替えて、今日からいい仕事をします。

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2006年10月19日 (木)

みんなと一緒に遊んで来い!

「障害者の働く場かんぱす」の10周年を記念して11月に台湾旅行を企画しています。30人近くで海を渡ります。今はパスポートの申請などの手続きで忙しくしています。

今日は「かんぱす」の「職員」であるT君が6人を引き連れて半日かけてみんなのパスポートを受け取りに行きました。

話は変わって先日の7作業所合同の職員会議では「みんなの引率の仕方・関わり方」についてみんなで勉強をしました。各作業所の所長クラス3人ほどで分担してシミュレーション。80人ほどの障害を持つ仲間たちを無作為に5名選び、「自分がこの5人を連れて外出するにはどう動けばいいか」・・・それをその場で瞬間に考えて即答するというものです。考える時間など与えません。現場ではそんな時間はないからです。「どう動けばいいかなあ」と腕を組んで考えている間に、1人2人はすでにフラフラと動き出してしまったり座り込んでしまったり、転倒する恐れのある仲間たちもいます。そんな学習を会議で盛り込んだのです。

話は戻って、この日T君がパスポートを取りにいくのに6人を連れて行きます。一瞬の隙に走り出す恐れのある仲間、何度も迷子になり大騒ぎになったことのある仲間、一人でフラフラしてしまう車椅子の仲間、おしゃべりが止まらずその人のおしゃべりにつかまると周りが見えなくなってしまう恐れのある仲間・・・よりどりみどりです。

「職員会議の成果を試す時だな」・・・そう思った私は「T君、どうやって動くつもりかを話して」と質問。T君は即答。「A君の車椅子はB君とC君が一緒について離れないようにします。D君は外ではやはり危険なので私がずっと横についています。E君も迷子の恐れがあるので基本的には私のすぐ近くにいてF君と一緒に歩いてもらいます。」・・・「OK!俺と同じ考えだよ」と私。自信を持って6人は出発していきました。

それから1時間半後、T君から電話。「もう終わったのかな?」

「すみません。日付をちゃんと見なくて・・・。パスポートができるのは明日でした!」

忙しい仕事を工面して、なんとかパスポートをもらいに行く時間を作ったのです。私は怒って言いました。

「そこまで行ってしまったんだから、そこでみんなと一緒に遊んで来い!」

作業所が開所して10年、いままでいろんな人にいろんなことでたくさん怒ってきましたが、「遊んで来い!」と怒ったのは初めてです。言われたとおり7人で遊んできたようですが、ハプニングもなく無事に帰ってきたのは、職員会議の成果といえるのかもしれません。

次の会議の議題は決まりました。「パスポート申請時の日付の見方について」です。

でも今日の動き方としてはバッチリだったよ。

*ココログのメンテナンス工事にぶつかり、記事の発表が2日間遅れました。

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2006年10月15日 (日)

週末地域福祉の歩き方

最近「育児」の記事ばかりで「ちゃんと仕事をしているのか」とお思いの方もいらっしゃると思いますが、もともと大した仕事をしているわけではありませんので、その点はご理解ください。「大した仕事」をしているのは、障害を持つ仲間たちです。そしてそこに寄り添う「職員」と呼ばれる仲間たちです。

さて、今は日曜日の昼間。この土日について今日は書きます。

昨日土曜日は、朝からフラッと「障害者の働く場クローバー」へ。春になればまたうちを希望して養護学校の生徒さんらがたくさん入ってきます。今の場所だけでは狭すぎるので、新たな作業所=店の場所探しです。行きつけの不動産屋(笑)などを回ります。この近辺の不動産屋は、障害者自立支援法について、少なくとも他の地域の不動産屋よりは詳しいはずです。なぜなら、私が説明して回っていますから。地域活動支援センターの家賃補助の計算方法なども既にご存じです。この季節に私がフラッと不動産屋に行くと、それだけで「また増やすんですね」とすぐに了解されます。まずは私のイメージの話をします。それに合う物件をいろいろ探してくれます。あるひとつの不動産屋の奥さんがしばらく実家に戻っていたことも、そしてその理由も私は知っています。「お父さんは?」「ええ、結局亡くなりました。でも100歳まで頑張ってくれたから・・・」「そうですか」。

フラフラ歩いていると、地域の顔と呼ぶべきオバチャンたちにもあちらこちらで会います。これからの構想などいろんな話をしながら情報収集。この方法が一番いいのです。もちろん身の上話なども織り交ぜながら。いろんな悩み・いろんな問題を抱えながらみんな自分の人生を生きている。その事実は障害あるなしに関係ありません。息子さんとの関係、自分の体調のことや老後のこと、かわいい孫の話、くだらない(失礼!)近所の噂話・・・。そういう話にも付き合います。付き合わされます。

この日は物件については収穫なし。うちの職員の事業構想はどんどん広がって具体的になってきています。なんとかそれに追いつくようにベースを用意してあげなければいけないのに・・・。

午後は、近所の在宅の障害を持つ方のお宅に訪問。私個人として、たまにこうして訪問したり外に連れ出したりしています。自分が若い頃、障害を持っているがゆえに社会から・会社からさんざん受けてきた辛い思い。40年経っても若い障害者たちは今でも同じように辛い思いを背負って生きている。そんな社会が少しでも変わっていくことが彼の夢であり願いであります。私の夢や今後の構想や今の福祉行政の動きなどをお話しています。とても目を輝かせて聞いてくれます。私自身もなんとなくダラダラと惰性で仕事をしていたりする時、こうして訪問してその方と話をします。「このままじゃいけない」とピリッとします。

近所まで戻ってきたので、一度自宅に戻り子供たちを連れてまた福祉作業所などに行きます。

「生活ホームあかり」ではYさんが庭の草取りをしていた。「今日はやることないから草を取る」・・・「仕事」としては草取りが一番嫌いといっているのに・・・。そこに近所の子供たちが集まってきました。5~6人の子供たちが虫かごを持って生活ホームに結集。虫かごの中にはヤモリやトカゲ、カマキリやその餌としてのバッタがたくさん!生活ホームに暮らす障害を持つ仲間たち、近所の愛すべき悪ガキたち、うちの子供たちが輪になって遊んでいました。5歳のお兄ちゃんが3歳のうちの息子にカマキリなどを触らせてもらっています。息子は大喜び。ヤモリのお腹を触らせてもらったり・・・。近所の4歳のお兄ちゃんが一言「このヤモリ、腹筋ないねえ」。このすばらしい一言に逢えただけでこの日の私は幸せになりました。調子に乗って「おじさんは腹筋強いぞ!」とシャツをめくると、悪ガキたちが次々と私のお腹に思いっきりパンチ。我慢して平気な顔をしていました。これも私の地域福祉のスタイルです。

地域(近所の悪ガキ)と施設(生活ホーム)の垣根、そして私の私生活(息子たち)その三者の垣根はこの空間にはありません。地域も福祉も家庭も全部ゴチャ混ぜにして生きていくスタイルは、実は「とまりぎ」の30年来のスタイルです。

「とまりぎ」の創設者・岸本は30年前、在宅障害者を訪問し、「地域に出よう。ともに働こう」ということを呼びかけて回り、「とまりぎ」ができました。岸本は、障害を持つ仲間をその自宅まで迎えて、そのお宅に自分の子を預けてから福祉作業所にきていたと聞きます。えっちゃんのお母さんに自分の子供を見てもらっていたのです。今のように福祉作業所への補助金制度もなく完全自主運営をしていた作業所で岸本自身がとっていた給料が当時5万円。障害者には多い人で6万円払っていたと聞きます。極貧生活の中、障害者の地域での生活を支えるために、彼は同時に自分の生活も支えてもらっていたのだといいます。えっちゃんのお母さんがよく言っていました。「岸本さんは、仕事に熱中しすぎて、うちのえっちゃんを送ってくれるのはいいんだけど、自分の子供をうちに忘れて置いて帰っちゃうのよ(笑)」・・・こんなエピソードも残っているようです。そんなえっちゃんのお母さんが20数年後、体を壊し動けなくなった時、えっちゃんとえっちゃんのお母さんの生活を泊り込みで支えてくれたのが、岸本の娘さんでした。そんなえっちゃんのお母さんも他界。天涯孤独になったえっちゃんは今生活ホームで仲間たちと暮らしています。

そしてその生活ホームの庭でこの日作られていた仲間たちと近所の子供たちとうちの子供たちの輪。私の知らない「とまりぎ」創設期をイメージしながら私は考えました。「とまりぎの歴史と理念のわずかひとかけらでも、継承できているのだろうか?」。

土曜日はこんな一日でした。

今日日曜日は朝からチラシ配りの作業を行う仲間たちの送迎と、「前原地区福祉祭り」への顔出しとあいさつ回り。今日も昨日以上にたくさんのエピソードに恵まれましたが、もう疲れたので書きません。(仕事もたまっているし・・・。)

10月11日、千葉県は全国初の「障害者差別条例」が制定。障害がある人もない人も当たり前のように地域で暮らす。そのための背景が「条例」として制定されたのです。

ここで少し、威張っちゃおうかな?

千葉県には「とまりぎ」があります。

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2006年10月11日 (水)

ただいま福祉作業所の昼休み中!

福祉作業所の昼休み。障害を持つ仲間たちが、ビラ配りなどの仕事から帰ってきます。さわやかな秋晴れに似合うさわやかな汗(?)。

「学習塾のビラ、6丁目は全部終わったから、午後から3丁目に行きます」とハマちゃん。そして続けてこういいます。「あの通りの○○(会社名)がつぶれちゃったよ。今日、片づけをしてた。なんでだろう。みんな頑張ってなかったのかな?」

本当に潰れたのかどうかは見ていないので私は分かりません。建てかえ&引越しかもしれません。そしてもし潰れてしまったにしても、従業員の方々が「頑張ってなかった」から潰れるわけでは決してありません。

「それは違うよ。みんなが頑張ってなかったから潰れたんじゃないよ」・・・私はそう言おうとして、やっぱりやめました。そして質問を変えました。「うち(福祉作業所)が潰れないためにはどうすればいい?」・・・「大丈夫、ぼくが一生懸命働けばいいから。」とハマちゃん。

みんな、こんな気持ちで働いているんですね。

毎日毎日、いろんな町でいろんなビラを配っている仲間たち。その町並みのちょっとした変化も彼らは気付くのです。そして、黙々と仕事をしつつ、きっといろんなものを感じているのです。地域で働く誇りをベースにして。

今日の昼休みはたいへん静かでしたが、なんだか気持ちが暖かくなりました。さて、午後の仕事です。

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2006年10月 8日 (日)

気になる話

妻が面白いことを言ってきた。

「本当に好きなこと、本当にやりたいことは、『やるぞ』と思う前に、もうやってるんだよね。きっと。だから『やりたい』と思いながら、まだやってないことは、やりたいことや好きなことの順番としては、下の方なんだよね。あなたは音楽と絵でしょ。考える前にすでにやっていることは。」

「確かにそうだね。ぼくにとって、音楽と絵は、『歌いたい、描きたい』と思う前に、いつもここにあるね。」

「私は何かなあ、本を読むことだなあ。誰が何と言おうと、私は本が好き。」

そんな会話をしたのが今日の朝。ところで妻の「『やりたい』と思いながら、まだやってないこと」っていったいなんだろうか?何かあるから、こんな話を切り出してきたんだよなあ、きっと。

何だろうか。

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スポーツの秋

今日は、長男が通い始めた幼稚園ではじめての運動会。なのに私はソフトボールの試合。高芝地区の町会ソフトボール大会に「とまりぎソフトボールクラブ」として参加。町会のチームに混じって、障害をもつ仲間たちのチームがのびのびとプレーしてきました。結果は0-15で惨敗。でもとても楽しかったです。途中、妻からの運動会速報として、息子の活躍シーンの写メールが送られてくる。「親父が見たら、感動してきっと泣いちゃうよ」と妻。飛んで行きたかったが、生活ホームでの父兄との面談も予定されていた。その後でも飛んで行きたかったが、面談の報告や今後の事業構想の相談を理事長にしなければならない。

その頃には息子は家に帰っていた。熱が38度5分。グッタリして寝込んでいた。そんなスポーツの秋。妻も産休以来休んでいた婦人バレーボールチームに復帰。

先週は「白井梨マラソン」の引率。再来週はYMCAチャリティーランの引率。と東葛地区の障害者ソフトボール大会、その後は「成田POPラン」・・・。スポーツの秋は12月まで休みなく続きます。

親父は遊んでるわけじゃないんだよ・・・。笑っているけど、お仕事してるんだ。

次男の自由への渇望はどこまでも膨らんでいく。産まれてすぐから、抱かれると「離せ~」と暴れていた心歌(こうた)。束縛の一切を拒絶する。洋服まで「束縛だ」と脱ぎたがり、布団は一切ダメ。その範囲はどんどん拡大し、部屋の安全対策の囲いや、ドアが閉まっていることさえも「束縛だ」と大騒ぎ。そのうち、家そのものも彼にとっては自由を奪うものになるだろうし、いずれ「日本は狭すぎる」と飛び出すのだろう。でも私は密かに彼に憧れている。

そんな心歌(こうた)は音楽が大好き。中でもスティービーワンダーを聞くと、踊りだす。ソウルミュージックが体に合うようだ。今ではハーモニカを上手に吹いて踊っている。まだ1歳なのに。このブログの左にあるトラックバックで心歌の誕生日の出来事を調べてみたら、なんとスティービーワンダーと同じ誕生日だった。ちょっとビックリ。ソウルミュージック・・・漢字で書けば心(ソウル)歌(ミュージック)、つまり心歌。

この人は、いつかハーモニカとギターをもって、どこか赤茶色の大地に飛んでいくんだろうな。俺も連れて行ってくれよ!俺のギターとお前のハーモニカで、南部の黒々とした小粋なオバチャンでも見つけ、一緒に歌いたいな。ブラインドレモンジェファーソンのラビットフットブルースあたりをね。

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2006年10月 5日 (木)

イヤラシサを隠して・・・。

今日は朝4時におきて、障害者自立支援法の利用者負担事務手続きなどの勉強をしようと思ったら、職員から「宿題」メールがきていた。「今後の事業の展望・構想、みんなの仕事、採算ベースなどを考えてきて」という「宿題」。その構想がなかなか面白かったので、予定変更で朝からその宿題の添削をしていた。7時になっていつも通り、仲間たちの送迎。仕事の準備。そして県庁の方々をお迎えする。「県民だより」の写真撮影。昼から市役所に行き、障害者自立支援法に基づく地域活動支援センターの書類を届ける。眠くてたまらなかった。そこに取引業者から「今から30分後にお支払いに行きます」と電話。今月はみんな頑張ったから、すごい額の入金だろうなあ・・・。これで目が覚める。戻って領収書の準備、業者の方との打ち合わせ。

今は養護学校などの実習生の出入りが多い。変化を嫌う障害者の仲間たちには落ち着かない日々。なぜかゴミ箱を気にする仲間たち。自分の思い通りの配置でないと落ち着かない。それぞれが別のものを気にするなら対処できるが、同じゴミ箱のフタを少しいじったり、場所を少しずらしたり・・・。他の仲間も同じものを気にしているから火花バチバチ。今日はたくさん怒りました。

夕方、みんなにとっては待ちに待ったお給料日です。みんなを集めて下半期に向けた決意を話す。「上半期のそれぞれの反省を、これから先の6ヶ月に活かそうぜ」という内容の話をしたが、みんなは「早くその給料を渡せよ!」という顔。(それだけ頑張ったんだからなあ。)

一番多く給料をもらったO君の給料の中味を、本人に頼んであえてみんなに見せた。福沢諭吉がずら~り。「すげ~」「こんなにもらってるの?」仲間たちから驚きの声。(これを待ってたんだよ)

「みんな一人ひとりがどうすればこれだけもらえるようになるのか、考えてみようよ」「仕事中ケンカしてたらダメだよな」「遅刻もダメだな」「仕事のパートナーを好き嫌いで選ぶ人も伸びないよな」・・・そんな話。(少しは気合が入ったかな?ゴミ箱お兄さんたちも・・・。)

みんなが帰った後、私は福祉作業所をあとにして、6時半から私の会社の加盟する経営者団体の講習会に参加。税制改正や交際費の扱い方の変更点などの講義。難しくてその場ではぜんぜんわかんねえ~。「わかんない顔してるのはオレだけかな?」とキョロキョロしていた。学生時代、クラスにこういうキョロキョロいたよなあ、と思いつつ。

いろんな社長さんとお話。何年か前、仲間たちの就職場所を探したり、企業から仕事をいただくために、これらの会社を私はいくつ頭を下げて回っただろうか。その時、扉の向こうで会うこともできなかった社長さんたちとこうしてお話をしている。

私は邪念を振り払うのに必死だった。今はイヤラシサを隠して、ひたすら清潔に挨拶するほうがいい。でも頭の中はイヤラシサであふれかえっていた。「この会社のこの業務だったら、あいつ就職させてもらえないかなあ」「この仕事の一部をあの作業所に発注してくれたらあの作業所は喜ぶだろうなあ」「このアイディア福祉の世界に欲しいなあ」・・・頭の中はそんな邪念であふれかえっていた。魚釣りで、魚がウヨウヨいるのが見えてている場所に糸をたらす心境だ。(こういうケースはあまり釣れないんだけどね。)税制改正の勉強などすっ飛んでしまうくらい。でも今ここで営業に入るわけにはいかない。自然とそういう話ができる雰囲気になるまで、ニコニコしていた。

人間、イヤラシサを隠そうとすると、やたらと腰が低くなる。「この物腰は営業マンだな。社長さんたちの中で営業マンスタイルでいたら、目立って嫌だな」・・・それでは、とばかりにふんぞり返ってみたりもしたが、これがまたへたくそでダメだ。「税制改正のお勉強に専念しよう。オレは高校生の時、前に座っている女の子にクラクラしつつも、邪念を振り払い数学の問題を解いていたじゃないか。あの魂だ!勉強するぞ!」

とにかく疲れた。でもこういう場違いな場所で、障害を持つ仲間たちのために勉強したり必要なつながりを作るために悪戦苦闘したりすることは、決して無駄ではないな。そう思って家路を急いだ。

もう寝ます。明日は福祉作業所の職員会議。あまり私はガミガミ怒らず、前向きに話を作ってみたいと思っています。(え?無理?どうせ怒る?)

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写真

今日は千葉県庁の方々が、私たちの福祉作業所にこられ、「県民だより」のトップ写真になるかもしれない写真をたくさんとってくださいました。

あたりまえのように地域の中で仕事をしていた仲間たちは、いざカメラを向けられ多少ぎこちない部分もありましたが、カメラが向いていようと仕事は仕事。いつも通りきっちり仕事をしてくれましたので、もしかしたら11月の「県民だより」に写真が出るかもしれません。船橋市内あちらこちらで障害を持つ仲間たちが地域の中で当たり前のように頼られ、認められ、受け止められ生きている。

「とまりぎ」の代表・岸本が30年かけて作ってきたこの船橋市内での地域福祉の進展。たった1枚の写真とはいえ、その理念と精神が千葉県全体に、そして全国に広がっていけばいいな、と思います。

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2006年10月 3日 (火)

仕事をこなせる・こなせない

福祉の仕事の基本は、人と関わることです。人と関わる時間を充実させるためには、それ以外の「自分の仕事をこなす」ということが実は大切になってきます。そこをどう考えるか、という記事です。関心がある人、関心を持つべき人だけ読んでください。

誰でも仕事をこなせた時はあるし、こなせない時もある。こなせなかった場合の自分の傾向というものがある。自分の傾向を自分自身はどう見ていて、他人は自分をどう見ているのか、そのつながりをつかむことが「自分の傾向を知る」ということです。自分の傾向を知った上で、それはどうまずいのかを考えることが何よりも大切。そのためのひとつのシミュレーションです。

あなたに鉛筆と色鉛筆、そして画用紙が一枚渡されました。仕事の中味は「森の絵を描いてください。10分以内にお願いします。」というもの。この仕事、あなたはこなせませんでした。自分がこなせなかった理由を、以下のタイプから選んでください。

 

 A:「絵を描くのは苦手だなあ…困ったなあ」と思っている間に時間切れ。

 B:「描こうとは思ったんですけど、鉛筆が折れてしまって描けませんでした」という理由がついてくるタイプ。

 C:「急に言われてもできないよ。」「10分でできるわけないよ」とブツブツ言いながら結局は投げてしまうタイプ。

 D:「自分は苦手なので、○○さんが代わりに描いてくれるといっていました。たぶん描いてくれたと思います」というタイプ。

 E:鉛筆でサッサと書き上げ「終わりました」。色がついていないことを指摘されると「色鉛筆を使えという指示はされていません」と言い返す(あるいは腹の中でそう思う)タイプ。

 F:1本の木を一生懸命葉っぱまで丁寧に描き、それに時間を費やし、途中で「このペースでは終わらない」と気付き、あとになって「やっぱり10分では無理です」というタイプ。

 G:1本の木を一生懸命葉っぱまで丁寧に描き、それに時間を費やす。結局1本だけ丁寧に、あとは適当に「やっつけ仕事」をするタイプ。

 H:途中まではスムーズに描きあげ、色を塗る段階で「葉っぱは春夏なら緑、秋なら枯葉の色、冬なら葉っぱは無し。どの季節の森を描くべきか」を質問しようと思っている間に時間切れのタイプ。

 I:苦手意識で手がつかず、最後にギリギリになって「白紙の状態じゃまずい」と思い、とりあえず描き始めた形跡だけを残すタイプ。

 J:その他のタイプ。

この中で、自分はどのタイプだと思っていますか? そしてそういう「こなせなかった仕事」の例を具体的に挙げてみてください。そして他の人にあなたをどのタイプだと見ているかを聞いてみてください。その上で、そういうタイプは何故まずいのかを考えてみてください。

例えば。EとHは形は違いますが、根っこの部分は同じです。仕事を指示された時、言葉で発せられた指示内容を、言葉になっていない部分までつかみとって理解する力があるかないか。そして指示どおりに行うべき領域と、自分の裁量で判断するべき領域の線引きができないということです。違う指示内容で考えて見ましょう。仕事場の上司から「台所洗剤が切れたから買ってきて」と指示されました。箱入りのケースでまとめ買いして注意されたら「ひとつだけ買ってこいとは指示されなかった」というのがEのパターン。洗剤のメーカー・銘柄の指示がなかったため「確認するまで買えない」というのがHのパターン。

「洗剤を買ってきて」という直接の言葉による指示。その裏にあるものをつかみ出すということは、①仕事場で使う洗剤。昼食後使うだけだからたくさんはいらない。②油物を大量に洗うわけではないので、高価なもの入らない。…これが指示内容を理解するということ。その上で、③常識の範囲の安さで、いろんなメーカーのものから自分で1本選ぶ。…これが自分の裁量の範囲。

これがスムーズに、指示した人の想定とズレない形で行える人が、実は仕事をこなせる人です。

最初の例に戻れば、鉛筆と色鉛筆を渡された時点で「色を塗る」ということは、言葉の指示になっていなくても前提として当然考えるべき(E)であり、季節や葉っぱの色、木の種類などは「自分の裁量」として前提にすべき(H)ことで、いちいち確認の手間をとるべきことでないのです。

そういう感じで考えて自分の傾向を整理することは、福祉の世界でも大切なことです。

もう家を出る時間。6時50分に出るのに現在6時40分。ひゃ~!

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2006年10月 1日 (日)

タイトルのつけようのない話

今は日曜日の夕方です。昨日、土曜日も販売やら会議やら「障害者就労継続支援事業」の立ち上げ準備の手伝い(要は引越し)やらで動き回り、今日も「白井梨マラソン」の引率でやっと家に帰ってきました。週末もあまり家にいられないため、たまに早く帰ってきたときは息子たちと遊ぼうと決めていましたが、妻と息子は友達の家に遊びにいったきり帰ってきません。妻の友達とは、千葉県障害者就労事業振興センターの職員の人で、うちの長男と同じ年の娘さんのいるお母さんです。せっかく遊びに行ったのだから、いい仕事ネタでも持って帰ってきてくれればいいのですが、そういうわけでもありません。話は、お互いの共通の趣味のコーヒーのことや育児のことばかりのようです。

そもそも私と妻も、あまり仕事の話はしません。こちらもやはり話題は子育てと、共通の趣味の音楽と映画、そして動物たちの話ばかりです。(交際中から仕事の話はお互いしませんでした。)昨夜の家族会議は、金魚の水槽の水の量が多すぎることの弊害について。ばあちゃんから提起があったのでそれについて話し合いました。その少し前は我が家に25年住んでいるカラスの目の大ケガについて。(おそらくは失明してしまったと思われます。)千葉市に住む私の妹が我が家のカラスの異変に気付き、「病院に連れて行ってあげなよ!」と言ってきました。羽の奇形で飛べない・歩けない・目もほとんど見えないカラス。もう老体なので病院に連れ出すのも可愛そう。獣医学の進歩と私たちの過保護で、動物たちは本来の寿命より長く生きることがあります。苦しいだけの延命が彼らにとって望まれることなのか、そんなことを話し合いました。

さて今日は「育児」についてです。(前置きが長げ~よ)

数日前、妻が「今日も一日イライラして風歌(長男)とケンカばかりしちゃった。ごめんなさい。」と夕食時に私に訴えてきました。息子は長男として、妻は母親として、それぞれ成長してきているので、以前の「イライラ」とは質が違うはずです。妻は続けます。「風歌が言うことは、いつも正しい。それは私も分かっている。でもかあちゃんはうまくできないの!だからついつい『かあちゃんだって、頑張ってるんだから認めてよ』と風歌に要求しちゃうの」といいます。長男はまだ3歳になったばかり。ずいぶんと難しいケンカをしてるんだなあ・・・。

1歳の心歌(こうた)に対して妻が注意していると「かあちゃん、もう少しやさしく言ってみなよ。笑った顔をしてみなよ」と長男は言います。また「かあちゃん、心歌にお水あげてみなよ」と長男。言われたとおり水を飲ませてあげると次男は落ち着きました。妻と次男のケンカに際しては「それは心歌が悪いよ」「それはかあちゃんが悪いよ。かあちゃん少し落ち着いてよ」・・・そんなこともいいます。こんな関係を一日続けていて、妻がとうとう「もう、いや!」となってしまったようです。

「風歌に頼りすぎているんじゃないか?まだ3歳だぞ。対等な立場で話を聞きすぎて、ゆとりがなくなっているよ。『お兄ちゃん、えらいなあ』ぐらいの気持ちでいいんじゃないか。」私はそういいました。

リフォーム中で足場に囲まれた家を見ると「ねえ、あの家つかまっちゃってるよ。束縛されてる。いやだよ~って言ってるよ」。筑波山に行った帰りには「山が泣いてるよ。風歌君が帰っちゃったよ~、さびしいよ~って泣いてるよ。風歌、泣いてる山を発見したよ。」・・・そんな長男。

真正面から向き合いすぎているから、もう少し長男とその感性を包み込むような関係をつくったほうがいいよ。それが私の意見でした。半分納得して半分納得できない顔の妻。

その夜、私は自室で仕事をしていました。書類の山と格闘している私のところに長男がやってきました。「おやじ、なにやってんの?」「お仕事だよ」。長男は窓を開けて空を指差してこういいました。「ホラ、見て。もう真っ暗だよ。真っ暗のあとは、いい天気になって明るくなるんだよ。だから今日はもう、お仕事はおしまいの時間だよ。」・・・ドキッとしました。「確かに全部片付けようとしたら、朝になっちゃうな。風歌のいうとおり、区切ることも大切だな」。さっきまでの切羽詰った気持ちと、「頑張るぞ」というモチベーションはすべて消えました。

「あと少しだけやったら終わりにするから、下で待っててね。」と私。「うん、わかった。じゃあ、下で待ってるからね。」続けてこういいます。「おやじ。あと少しでお仕事おわりなんだから、あと少しは、ちゃんとがんばるんだよ」。

一度やる気が切れたところで「あと少しはがんばるんだよ」の一言。またドキッとしました。「そうだな、最後はちゃんとやらなきゃな」・・・。納得してしまいました。

そして分かりました。妻の言う「風歌のいうことはいつも正しい。でもかあちゃんはうまくできないの!」・・・こういうことか。私も短時間だが長男の一言一言に完全に振り回されていました。妻の半分納得できない顔の理由も分かりました。息子を受け止めることを妻に要求する前に、私が妻を受け止めるべきでしたね。それにしても、この人(風歌)と付き合っていくのは大変だなあ。

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2006年9月30日 (土)

拓也とTシャツと私

昨夜、脱衣所でTシャツをポーンと脱いだら、Tシャツの裏に書いてある「○○拓也」という名前に目が留まった。そう、このTシャツは拓也のものだった。私はこの「拓也」ブランドの服をたくさんもっています。パジャマもトレーナーも・・・。私より少しだけ体の大きい拓也。5年ほど前、お下がりを私がもらったものです。

本当にいたずら坊主でした。福祉作業所から拓也の自宅までの送迎。他の仲間を玄関まで送るため私が車から離れるわずかな時間、戻ってみると何かいたずらをしていました。バックミラーが天井を向いていたり、私の上着が隠されていたり、後ろの席の座る順番が変わっていたり・・・。ご家族の都合で私が拓也と一緒に泊まった日に、夜トイレから戻ると私と拓也の布団が入れ替わっていたり・・・。「あれ?また拓也だな?」と聞くと、さも満足そうにニヤ~っと笑っていました。拓也は言葉を持っていませんでした。でもおしゃべりが大好きでした。周りの人が面白いことを言うと、絶妙のタイミングで、顔より大きい口をパカッと空けて大笑いしていました。

養護学校を中退して福祉作業所に飛び込んできました。学校のほうがいたずら友達もたくさんいて楽しいはずなのに、彼は実社会(福祉作業所)で働く道を、同級生たちよりも一足先に選んできました。彼は「とまりぎ」で働くことが大好きでした。廃品回収で、たまにボロ(衣類)の袋を道路の車に向けてぶん投げて大興奮していたこともあります。ヒヤヒヤしたこともたくさんありましたが、今となったらすべてが懐かしい思い出です。

彼は20歳の時、病気で他界しました。20歳という短い人生をさかのぼって考える時、彼が養護学校を中退して地域の中で思いっきり働いて・思いっきりいたずらして生きる道を選んだことは、正解だったように思います。もちろんそういう解釈ができるまで、5年という月日は必要としましたけど。

彼が亡くなってしばらくしてから、私はよく彼の家に遊びに行きました。カメを連れて遊びに行くと、ご家族でカメをかわいがってくれました。拓也の話をたくさんして、大笑いしていました。拓也がどんなにいたずら坊主だったか、全部言いつけておきました。私の妻が妊娠中に遊びに行ったときのこと。

「いつ産まれるの?男の子か女の子か分かってるの?」と拓也のお母さん。「男の子ですよ。名前は風歌(ふうた)って決めてます。予定日は6月の13日です。」と私。

「えっ?6月13日?そうなの・・・。」お母さんはそういって、また別の話に切り替わりました。しばらくして小さな声で「6月13日は、拓也の誕生日なんです」。「あ!そうだね!じゃあ、きっと拓也の生まれ変わりだね。きっとやんちゃないたずら坊主だね。」と私。

それで拓也のTシャツとかを「これ着てください」と私がいただくことになったのです。

わが子の誕生日と同じという事実、普通ならすぐに「うちの子と同じ!」と喜んで話したくなると思います。でも拓也のお母さんは、しばらく間を空けてそして小さな声で話したのです。これが障害者のお母さんのお気持ちなんだとその時思いました。「うちの子と同じ誕生日」ということを告げて、喜んでもらえる自信がないという感覚が、タイミングを遅らせたのでしょう。でも「拓也がうちの子を守ってくれる。いたずらもたくさん教えてくれる」私はそう確信したので、それをお母さんに告げました。

ローテーションで、この「拓也」のネーム入りのTシャツを着てそして脱ぐ時、これらの思い出をいつも一瞬にして思い起こすことが出来ます。そして風歌を見る時「拓也がついていてくれる」という気持ちも持ちます。風歌のいたずらがあまりにひどくなる時「コラ!拓也!いい加減にしろ」と怒りたくなるときもあります(笑)。

おっと、もうこんな時間。今日は船橋市小規模作業所連絡会の会合。明日は「白井梨マラソン」に私は障害者チーム「とまりぎジョギングクラブ」の監督として行きます。拓也の養護学校の同級生、くにちゃんも10kmに参加します。

拓也、明日はくにちゃんの背中を押してやってくれ!

では仕事に行きます。

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2006年9月24日 (日)

福祉現場の右ストレート

現在、県の主催する「サービス管理責任者研修」の真っ只中です。ということは、記事にすることもたくさん出てきます。なぜならば現場を丸一日空けるということは、それだけハプニングが起こる可能性が高くなるからです。それだけでワクワクしてきます。あいつら、俺がいない間に、いったい何をやらかしてくれるのか・・・。会場には600人ほどの研修者。このうち本当に現場に根をはって仕事をしている人はどのくらいの割合なのかは分かりません。おそらくは寄生虫のような「管理責任者」もいることでしょう。それはそれで構わないのですが。とにかく現場を丸一日空ける日が続けば、いろんなハプニングが起こりうるのです。研修参加者の中には、戻ってみたら火の車だったという人もかなりの数いるのではないでしょうか。

さて我が愛すべきハプニングです。私が研修後、作業所に戻るとA君と一緒にビラ配りに出ていたB君が泣きながら電話をしてきました。

「オレにはもう友達はいなくなった。これからはひとりで仕事したいんだ!」泣いていて、何を言っているのかわかりません。「オレは何度も謝ったんだけど、あいつが許してくれねえんだ。一方的に殴られた。オレはやり返さなかった。」

普段仲のいいA君がB君を殴ったということはおそらくよっぽどのことがあったのでしょう。話を聞く中で、どうやら民家の敷地内でケンカになり、殴られていたB君が近所の人に謝って許してもらったということ。A君はまだその現場近くに座り込み固まって動かないということが分かりました。

二人は終盤まで順調に仕事をこなし、送迎の時間と場所まで電話で指定して、職員のD君が車で迎えに行っている最中でした。好調な電話連絡からわずか20分後の出来事でした。さて、情報収集です。実は朝、イライラしていたB君が朝礼の時間に作業所の仲間のC君に言いがかりをつけてケンカをしていました。それを止めに入った職員のDにも殴りかかり、ちょうど訪問していた別の法人(グループ内の生活支援を掌る法人)の事務局長にも向かっていったといいます。また通勤途中でもケンカをしていたといいます。朝から大騒ぎだったようです。その後話をして落ち着かせて、本人の反省と精神的な安定を確認してから仕事に送り出した、とのことです。

またA君は、この作業所内で「ジャイアン」のように威張っているB君に対して唯一正面から注意できる仲間。筋肉の固まりで体のでかいB君に、A君も体では負けていません。そして普段からとても仲のいい二人。B君の多少のわがままやイライラはA君が吸収したり叱ったりしてくれます。

そんなA君が「ジャイアン」のようなB君を一方的に殴って、B君はただ謝っていたといいます。よほどのことがあったに違いありません。

私のいままでのやり方なら、すぐに自分で現場に飛んでいって解決を図ります。しかしこの日は腹が据わっていました。うちの職員がその場でどう判断しどう解決を図るか、むしろそれを見ようと思いました。起こってしまったことはもう仕方ありません。

さまざまな問題行動で、施設や職場からリストラされてきた仲間たちが中心の福祉作業所でありながら、あえて地域のど真ん中を仲間たちの活動の場に選んでやってきています。いろんなハプニングは予想しつつその責任を取る腹づもりは常にできています。

職員のD君は、まずB君を車に乗せ、現場近くで石のように固まったA君を何とか車に乗せようと悪戦苦闘していたようです。周りには当然見物人も出てきています。「重い荷物を車に乗せるようなやり方では、彼の心に届かない。心に届かなければ、彼を動かすことはできない。」私はそう指示しました。こうした光景はすでに予想済みだったので、同じく職員のE君にも急きょ現場に向かってもらいました。「まずは彼の心に働きかけること」その上で、現場の判断はとりあえずE君に任せました。

しばらくしてE君から報告電話。A君は相変わらず固まって動かないから、とりあえず迷惑をかけた民家に自分が謝って回りましょうか、という相談。

それはダメ!直接迷惑をかけたA君が固まって沈黙を守っているのに、先回りして謝って回ることはできない。・・・私はそう判断しました。

広告代理業という事業として考えた場合、職員・E君の判断は正しいのです。上司にあたるE君がまずは謝って現場を収めること、これは必要なことです。しかし私たちの現場は「事業」としての視点と「福祉」としての視点を両方併せ持つ必要があります。迷惑をかけた民家は当時留守で、いずれにせよ事後的な報告と謝罪になるでしょう。ならばこの場面では落ち着いて「福祉」の視点を貫くことです。「事業」としての責任は私が負う。事の規模からしても「事業」的な視点での判断の結果は、私が10回頭を下げるか20回頭を下げるかの違いでしかない。そんなものは大したことではない。ひとりの大男が顔を腫らせて大泣きし、もうひとりの大男が石のように固まっていたら、当然見物客も増えるでしょう。でもそこで「職員」っぽい人たちが石を引っ張り上げようとしていたり、石のまわりで頭を下げて回ったりしていたら余計に面白い見せ物にしかなりません。腹をくくるしかないのです。見物客には屁でもぶっかけて放っておくこと。二人の心と交信することにこの場は専念すること。それが大切な場面だと私は判断しました。

「A君が座り込んでいる場所に、一緒に座ってみたら?責任は俺が取るし、周りの人は関係ないから。一晩中でも一緒に座ってみたら?」・・・それが私が出した指示です。

A君については、以前このブログで記事を書いたことがあります。長い間引きこもっていて、やっとこの作業所で社会生活の形ができてきたところなのです。最近は誰よりも優等生。一生懸命仕事をし、信頼もされてきました。しかし多少のことでクヨクヨし、落ちるところまで落ちてしまうという弱さはまだ常に抱えています。またギリギリまで我慢して、爆発してしまうという部分もあります。このふたつがあるから就職も何度も失敗し、家に引きこもっていたのです。ここで大切なのは、爆発するまで我慢するのでなく、その前に相談してくるという方法を身につけること。そしてこの日のような大失敗のあとでも(ちゃんと反省をした上で)翌日から切り替え、前を向く習慣をつけること、この二つです。以前のようにこのまま崩れて引きこもってしまうのか、それとも今回の失敗をむしろ糧として、失敗後の自分の立て直し方を身につけるのか、そういう分岐点に彼は立っているのです。立っているというか固まっているのですけれど・・・。だからこそ、「事業」としての責任云々よりも、この場面では「福祉」としての視点で相手の心に届くことを優先にするべき、そういう判断内容だったのです。

うちの人たちは、本当によく働いてくれます。時間を惜しまず労力を惜しまず、みんなのために身を粉にして毎日働いています。彼らの頑張りがあるから、「問題児」のレッテルを貼られ施設や職場からはじき出された仲間たちも地域の真ん中でこうして働いて生活ができるのです。

長い時間、彼らは固まったり泣いたり吠えたりしている二人の大男に寄り添い、心を開かせ、話をしていたようです。そうして事の全貌が見えてきました。

A君は前の日、私から「この地域はできる人が少ない難しいコースだ。明日お前とBでこのコースを配り終えたらお前を一人前として認めてやるよ」・・・そういわれていました。「一人前として認めてもらいたい」、そういう思いで彼は朝から本当に頑張っていたようです。他方のB君は、朝からイライラしていくつかのケンカをしてしまい、その後悔で消耗しきっていました。仲良しの二人の間には、最初からモチベーションにおいてかなりの差があったのです。消耗しきっていたB君は午前中10分ほどひとりで休憩を取っていたようです。その間もA君は配り続けていました。そしてひとりで休んでいるB君に対してA君は苛立ちを覚えていたのも事実のようです。夕方、とうとうA君は自分の持ち出しの1000枚(しかもあの難コースで!)を配り終えました。しかしひとりで休憩を取ったりしてずっとテンションの上がらないB君は、まだ数百枚残していました。「自分はこんなに頑張ったのに、Aさんがやる気ないから終わらなかったら、たまったもんじゃない」「Aさんが配り終わるまでずっと待っていたら、時間は遅くなるし、配った枚数の実績も自分とAさんが同じになってしまう。自分のほうがこんなに頑張ったんだから、枚数でも自分のほうがたくさん評価されて当然だ」・・・そんな思いでA君はB君のビラに手を伸ばしました。「半分わけてよ。手伝うから。」

しかしB君は後悔の固まりになっていました。朝のいくつかのケンカ。そして勝手に休憩を取ってしまったから、自分だけ遅くなってしまったこと。それらの後悔がひとつになり、独りよがりな意識になっていました。また仲のいいA君に対する甘えもあったのでしょう。「ビラを手伝う」と手を伸ばしたA君に対して、こう言い放ちました。

「勝手なことすんじゃねえよ!」

これでA君は、完全に切れてしまったのです。「朝から勝手なことをし続けたのはBさんだろ!オレはずっと頑張って、ずっと我慢していたんだ!」

「一人前」として認められたい、そんな思いでハイテンションで頑張ってきた疲労感、相棒に対する苛立ち、そして「勝手なことするな」というこの言葉、ここで我慢しきれなくなったのです。民家の敷地であることも忘れて、先輩のB君に暴力を振るってしまいました。

普段から「ジャイアン」のように威張りん坊気質のB君は、仲間に敬遠されることが多いのですが、A君だけは「友達」だと思っていました。突然切れてしまったB君のパンチを浴びながら、謝りながら反撃する気力もなくただ立ち尽くしていたようです。もちろん反撃していれば、力の差がかなりあるB君のほうが相手をねじ伏せてしまいます。しかし、ただやられるだけだったようです。

一日頑張って作業所に戻ったら「一人前」として認められ、褒められるはずのA君は、この瞬間に最悪の状態に転げ落ちてしまいました。一方、朝からまわりにケンカをふっかけ、孤立していたB君にとって唯一の「友達」だと思っていたA君のパンチは、B君を孤立の淵に追い込むには十分でした。固まっていた人・クヨクヨと泣いていた人、二人の大男のそれぞれの理由がこれです。

A君、B君の傍らには職員のD君とE君が寄り添います。少しずつ反省の気持ちも汲み取れるようになりました。2対2に分かれて、その日は夜遅くまで作業所に残っていたようです。日付変更まで数十分(笑)。私は別の作業所で同時に起こっていたハプニングへの対応で、その場から離れていました。

翌日、気まずい気持ちをにじませながら、A君とB君はお互い大好きなゲームの話をしていたようです。間にE君が入り、互いに目を合わせないながらも会話をしていたようです。みんなその日は朝から疲れきった顔をしていました。

今回のことで登場人物のそれぞれが何を学び、何を感じたのか。それをつかむのが私の仕事。ハプニングを通じて「事業」としても強化していくこと。間違いのない真剣な仕事を身につけていくこと。

時を同じくして、作業所の近所の畳屋さんから突然の仕事の依頼。腰を低く申し訳なさそうに頼み込んでこられました。イベントチラシの配布を、うちの作業所でなく別の広告代理業者(チェーン店)に頼んでみたところ、配布締切日になって「やっぱりできませんでした」と返されてしまったという。「9月24日までにこのチラシを持参されたお客様には豪華プレゼントが・・・」と書いてあるチラシを、9月20日に「できません」と返却してくるバカ事業者。ご近所さんの頼みをつき返すわけにはいきません。バカ事業者とうちの福祉作業所の仕事の質の違いを示すチャンスでもあります。

仲間たちは忙しいスケジュールの合間、手分けをしてそのチラシを配って差し上げました。大男は休日返上で、ものすごい数のチラシを配布し、イベントまでに間に合わせて差し上げました。さすが!

膝を交え、寄り添い、心を拾い上げます。そうすると見えてくるこの人たちの思い。好きになるのが当然でしょ?こいつらが。

こうしてこの福祉作業所の毎日はドタバタと、しかし着実に前に向かって進んでいくのです。

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2006年9月17日 (日)

じじいのため息と回想

障害者の福祉作業所。人と関わる仕事。たくさんの若い人たちと一緒に仕事をしてきて、感じることがあります。

福祉の原点とは相手のニーズに耳を傾け、その実現のための手助けをすること、これに尽きます。しかしこの「ニーズに耳を傾ける」ということは意外と難しいことのようです。もちろん私自身がちゃんとできているというわけではありません。それこそ失敗と反省の繰り返しの中で実践をしているわけだし、答えのない答えを探し求める過程そのものこそが答えであるとしかいいようのない実践に身を置いているわけですが、そんな私から見ても「どう難しいのか、それを理解することが難しい」とさえ思ってしまうことが多いのです。最近ずっと考えている難問のひとつです。

「なんか、内容が固いわ。楽しい記事がいいわ。」と思った人は、昨日の記事にジャンプしてください。お~っと、あなたはダメ!ちゃんと読みなさい!

「ニーズに耳を傾ける」という行為、自分の実践に照らし合わせてみて、この行為を別な形で表現し直すなら、「自分の(相手への)思い・希望と、相手自身の思い・要求のつながりを模索する」ということでしょうか。つまり自分の価値観・判断・(相手への)思いというものがまず前提としてなければ、それは模索できないのです。「受容的交流」「あるがままを受け止める」、言葉ではいろいろ聞いているはずなのですが、受け止める側の自分自身が明確な価値意識を持ってそこに立っていないと、受け止めることはできないのです。風船が風を受け止められますか?

自分が相手に対して「こうなって欲しい」「こうなったらいいだろうな」「こうならないと、たいへんだぞ」・・・そういう価値意識で相手に向き合う。その上で相手の即時的な要求をしっかりと聞いて、こちらの価値意識とつながる地平において要求への回答を出す。聞く力は大切。しかし「聞く力」とは自分の価値意識を捨て去ることでなく、それを作り上げることです。どうやらその辺が難しいことのようです。聞こうとすると、自分の価値判断が消えて、ただ相手に振り回されることになり、それでは良くないと思うと今度は相手を無視した一方的な押し付けになってしまうのです。そして特に最近は聞いているつもりで実際は相手に振り回されてしまうタイプの人が多いようです。振り回されている状況を献身的に耐え続けることが「福祉の実践」であると勘違いするケースも多いのではないでしょうか。

要するに、自分が相手のビジョンを持てないということ、相手の生活や人生を(ある意味で勝手に)構想する力が、これまでの人生の中で形成されてないということなのだと思います。そんなものは「福祉」云々の前に、学生時代などの友達関係の中で自然と身につけてくるべきものだと私は考えていました。人と知り合い深く関係を築くということは、時に相手と対立するかもしれない価値観を明確にもって、それを互いにぶつけ合いながら相手を受容し受け止めていくことだと考えています。「オレは(オレのために)アンタにはこうあって欲しい」「オレは(アンタのために)アンタにはこうあって欲しい」この2つの基準をもってぶつかり合うことだと考えています。「考えている」というよりも、経験を言葉にするとそういうことになるのです。そのあたりの経験のギャップを感じることが多いのです。

相手のビジョンを持てないということは、実のところ自分自身の現実的なビジョンも持てないということになるでしょう。自分のこれからの人生設計や構想が実にフワフワしたものであるように思えることが多いです。地に足が着いていないということでしょうか。

分かれ道に出くわすと常に楽な道を選ぶ。それでいてその道のゴールを高く描く。<坂道は嫌いだけどあの山に登りたい>そういっている感じがします。また逆のパターンで、自分のこの先をほとんど描けていないのにスケジュールばかり詰め込んで、自分の時間に隙間を作らない。自室のソファーでぼんやりと「この先、私はどう生きよう」と考える時間もないのではないか、と心配になるケースもあります。

親の教育のあり方についても、日々考えさせられます。

携帯文化、メール文化の功罪についても考えさせられます。

また受験勉強とは今思い出してもくだらないものだし、当時も私はくだらなさを感じていました。それでも一日十数時間机にかじりついていたり、嫌な教科でも逃げずに向かったり、答えが分からない問題を何時間も考え抜いたりという行為そのものは今プラスになっていると思います。つまらないものに向き合いしがみつくためには、それなりの目的意識が自分の中にないとできることではありません。だから目的意識を失わないことに必死だったように思います。今目の前にあるつまらないものと、その先にある目的意識を絶えず交信させていくことが必要だったように思います。英文法も運動方程式も因数分解も、今の生活には何も役に立っていませんが、それでもあの日々は無駄になっていないように思います。部活も同様です。

しかし今それを振り返っても、難問の答えは見えてきませんね。でもヒントになるとすれば、「過去の経験はやり遂げたものに限って、自分の血や肉になる」ということでしょうか。今福祉の実践の中で、「やり遂げた」という経験をどう提供するか、それが大事なのかもしれません。「やり遂げた」・・・その経験の中で、自分の価値意識を育ててもらう。そういうことから始める必要があるのかもしれません。

これが難問に対する、現時点での答えです。

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2006年9月16日 (土)

ゆうあいピックソフトボール選手権で優勝!

今回は「とまりぎソフトボールクラブ」の活躍の報告です。「とまりぎソフトボールクラブ」の生誕の歴史については、以前記事を書きました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_7ead.html

さて、ゆうあいピックソフトボール選手権大会(2)において、「とまりぎソフトボールクラブ」が優勝しました。                      

以前の記事において、827日の「青年学級対抗ソフトボール交流会」で「とまりぎソフトボールクラブ」が優勝を果たしたこと、そして「ゆうあいピック」でも優勝し2大会制覇を目指すことをお伝えいたしました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_7ffb.html

すでに新聞報道(朝日新聞9月15日朝刊)でご覧になった方もいらっしゃると思いますが、912日と13日、連日の熱闘を制して約束どおり優勝し、2大会制覇を成し遂げました。これで平成18年度は公式戦に全勝。練習試合を含めても、障害者チームとの対抗戦では無敗のままここまで来ることができました。まずはそのことをご報告いたします。

今大会は初戦から決勝戦まで、2516322040というスコア。

主力選手たちの温存で、控えの選手たちがスタメンに並んだ2回戦(63)も含めてエラーらしいエラーはいっさいなく、また大会歴史上初と評された決勝戦でのトリプルプレー(ショートライナーのジャンピングキャッチ&飛び出した12塁のランナーの封殺)もあり、「守備のとまりぎ」の名を千葉県に轟かせてきました。

選手たちは本当によくがんばったと思います。控えの選手たちが試合に出てもすぐ活躍できたのは、ベンチでも集中して声を出し続けていたからです。ベンチとナインの一体感こそが、この圧勝の原動力です。

また、「ソフトボールクラブ」の活躍の背景には、各作業所の仲間たちの協力があることを忘れてはなりません。

大会の2日間、選手と応援団すべての昼食を、早朝から作ってくれた「あぐり」の仲間たち。遥々成田まで応援に来てくれた「かんぱす」「クローバー」「もえぎ」の仲間たち。そして普段作業所の屋台骨を背負っている働き手たちが不在だった2日間、選手たちを送り出し、その分仕事をがんばってくれた作業所の多くの仲間たち。

そして大会参加のためのK君の休暇を、快く受け入れてくれて送り出してくれた「NEW DAYSSN店のマネージャーをはじめとしたスタッフの皆さん。

多くの方々の支えがあって初めて手にすることができた勲章です。

「とまりぎ」と交流を持っていただいている様々なチームおよび関係者の方々には、ここであらためて御礼申し上げます。

ゆうあいピック優勝までの軌跡

<第1回戦>

相手は初出場の「かしの木園」。初回が終わった時点で180。しかしチーム状態として決して喜べるものではありませんでした。結果的にヒットになるとはいえ、明らかな悪球に手を出しフォームを崩すクリーンアップ。仲間がホームランを打ってもシラーッとして出迎えないベンチの選手たち。仲間や相手への失礼な言動や行動。そしてあまりの大差ゆえに出番がないまま終わった控え選手はすねてしまい、整列もしようとしません。「このままでは大変なことになる」・・・そういう初戦でした。

<第2回戦>

昨年も対戦した「十倉厚生園」。第1戦の反省から、思い切った作戦を取りました。

主力5選手をスタメンから外し、控え組中心で戦いました。「水を得た魚」のように控え選手たちは躍動していました。控えバッテリーはフォアボールがゼロ、控え野手はエラーがゼロ。ホームラン狙いでフォームを崩す主力選手が空振りしてしまう速球投手の球を、ほとんどバットを持つ機会がないTさんが懸命に喰らいつき、ファールを重ねてのフォアボールは見事でした。6対3というスコアは平凡ですが、控え選手の自信という点では大きな一勝でした。

<準決勝>

「中野学園」との対決。この試合の目標は「チームの一体感」を作ること。「青年学級対抗」で、あの強豪「でいさくさべ」や「若草グリーンズ」を大差で破ったときのような一体感を取り戻すことでした。その要求に最初に応えてくれたのは、第2回戦で活躍した控えの選手たち。ベンチから一生懸命選手を励ましています。それでもなお消極的な態度や発言を繰り返す正捕手のO君に、普段はあまり会話をしてこないSさんが叱りつけます。

お前がそんなこと言っててどうすんだよ!

みんな勝つためにここに来てるんじゃねえか!

しかしこの一言で、O君は立ち直りました。初回に17点を奪い圧勝ムード。そんな中でもO君は、雨に濡れたバットを拭いたり仲間に声をかけたり、チームのためにできることを一生懸命やるようになりました。ボールに喰らいつく姿勢も変わりました。

結果的には第1戦と同じ大差の圧勝でしたが、「チームの一体感」という意味では全然違う意味のある1勝でした。この時点で結果は見えていました。あとは決勝戦、いかにみんなで楽しめるかだけです。

<決勝>

決勝戦をスタンドで悔しい思いをもって眺めていた前回大会からちょうど1年。これまで何度も優勝経験のある「松里福祉会」との試合。しかしわがチームは、はじめから勝利は確信していました。ノーエラー、トリプルプレーに満塁ホームラン。完璧な勝ち方でした。

大会MVPには、当然「守備のとまりぎ」のエース、豪腕・浜田君です。(新聞に「最優秀殊勲選手」として名前が出ていますので、ここでもそうします。)

試合後、仲間を称えあう選手たち。そして来年は1部(盗塁等あり)に昇格することも考えなければいけません。Sさんや他の仲間がこういいました。「今日のO君がキャッチャーなら、俺たち1部でも十分戦えるよ。大丈夫、あれだけ体を張って止めてくれたら、いけるよ」・・・試合中、O君を叱りつけていたSさんから出たこの言葉。「一体感」の象徴のように感じました。これから盗塁・進塁などを中心に練習を組み立て、「走れる人」を中心としたチーム編成も考えていきます。地域のチームの方々には、この「盗塁等あり」の新ルールでお願いしたいと思います。これまで本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。                                                                   (監督:友野 剛行)

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2006年9月10日 (日)

質問です。

みなさま、いつも読んでいただきましてありがとうございます。ちょっとご質問させていただきます。

このブログというものは、「アクセス解析」といって、このページを開いてくれた件数や時間帯が管理者には調べられるようになっています。そこで気になることがひとつ。以前から深夜の4時にこのページを開いている人が非常に多いということです。

夜更かししている子は誰かな?昼間シャキッとしてますか?

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2006年9月 9日 (土)

父親・仕事・組織そしてサボりについて

9月になりました。障害者自立支援法、その日中活動分野での活動開始は10月です。あと1ヶ月弱となりました。10月からの参入を予定されている事業者の方々は準備に大変忙しいことと思います。

そこで今回の記事は、うちの長男の「幼稚園見学会」です。前の記事で書きましたように、うちの長男はホームページで行きたい幼稚園を探していました。妻がその中のいくつかに見学の予約を入れておいたのです。

「オレも行くから」

「えっ?行かれるの?仕事大丈夫?」

「行かれるかどうかじゃなくて、オレは行くの!」

訪問先のいくつかの幼稚園で、長男は夢中。みんなが裸足でグランドで体操をしていたら「ふうたも~」と靴を脱いでグランドに走ってしまう。慌ててつかまえると「ふうたも幼稚園行きたいなあ。だって友達いっぱい欲しいんだもん。おうちに帰らない。」・・・駄々をこねます。この気持ちに応えなきゃなぁ、と思いました。幼稚園・保育園・在宅、考える際の基準は、妻のゆとり・家計のこと・教育のこと、そういう視点でばかり話し合っていたように思います。やはり息子の視点を第一にしたいものです。

さて、話を少し仕事の方にもっていきます。私も「福祉」の世界の人間として、やはり同じように<人>を支え<人>と関わる仕事としての保育や教育の分野には、やはり単なる「父親」から離れた部分で興味を持ちます。普段はお子さんを託される立場に立っていますが、今は息子を託すという立場で幼稚園や園長先生、先生や子供たちを見ています。自分が自然に目が行くところや質問するところ、それは逆に普段自分が見られたり質問されることです。素直に「面白いなあ」と思いました。いくつかを回って、これほどまでにそれぞれが違うのか、と驚きもしました。

理事長や園長先生、こういう偉い立場の人の言うことは、すべて立派なことです。それぞれの考え方の違いはあれ、すべて納得させられることです。そして違いがあるとすれば、その偉い人のいうことが、本当に末端まで染み込んでいるのか、それとも言葉だけなのかということです。幼稚園や保育園などの、従業員が数十人程度の小さい組織は大企業と違って、この偉い人が本当にいい仕事をしているのかどうかで全体の色が変わってくるのだと感じました。きっと福祉の世界もそうなのでしょう。

 ある幼稚園は子供が見学に来ても目も合わさない。逆にうちの子に興味を持って話しかけてきた児童が注意されている。・・・この際だからはっきり言いますが、ちゃんとしたあいさつもできない先生たち。ひとりふたりならどこの組織にもこういう人はいると解釈できますが、そうではない。

 もうひとつの幼稚園は、誰もが自然にあいさつをしてくる。私にでなく息子にです。見学者である息子が輪に加わろうとすると、子供たちも先生も、普通に受け入れてくれている。先生も考え方をしっかり持っていて、偉い人の言葉だけでなく、その先生がここの幼稚園の考え方・方針について自信を持って説明できる。「うちは、幼稚園では○○が大切だと考えています。△△については小学校に入ってからで十分だと考えています。だからうちでは~はしません。」こういう説明がきっちりできるのです。

こんなにも違うのかと思いました。もちろんこの後者の幼稚園は、もう定員いっぱいで入るのは困難なのですが・・・。

この違いは何なのでしょうか?先生がその幼稚園に就職するときにすでに資質の差があったのでしょうか。「福祉」の世界からの類推ですが、資質の差ではありません。入ってきてから差がつくのです。どちらのタイプの幼稚園も、偉い人の言葉を散々聞かされて仕事をしていることには変わりないでしょう。ならば何が違うのか?

「言葉」というものには、<正しい・間違っている>という客観的な判断の他に、<聞ける・聞けない>という主観的な判断があります。おそらくそこが違うんだと思います。偉い人が正しいと思ったこと、そして客観的にもそれは正しいとされることを懸命に訴えても、「聞けないよ」という場合があります。そういう場合、周りはたいていシラけて聞いています。というか、流しています。働く人(先生)も生活がかかっていますから、流すしかないのです。ケンカをして損をするのは自分ですから。

大きな組織の場合には、多くの場合偉い人はある意味言葉だけの存在です。地位やら名誉やら過去の実績やら、そんなものをバックに従えた「言葉」だけの存在です。少なくとも末端から見ればそうです。その人の実際の仕事ぶりなど言葉の裏側にあるものについてはあまり見えません。

しかし小さな組織はそうではありません。すべて丸見えです。小さい組織では上に立つ者は丸裸ということです。自分で陰部を隠しているつもりであっても、そうなのです。(表現が汚いけど。) ここに<聞ける・聞けない>の違いがあるのです。

聞けない言葉は隅々には染み込んでいかない。シラけた雰囲気が蔓延します。はっきりいって、そういう雰囲気を感じた幼稚園もありました。

「父親」から離れて「仕事」に戻って考えたとき、私もこんな分析をしている場合ではありません。私も「丸裸」の一人だからです。大切なことは「言葉」だけでなく、背中で伝えていかなくてはなりません。それは私なりに肝に銘じていることでもあります。若い人たちの仕事のレベルを上げていくことも私の仕事ですが、それ以上に私自身が向上心を持って、常に先を進んでいなければいけません。10の仕事を相手に要求したのなら、自分は裏で20の仕事をしていなければなりません。裏で20の仕事をして、それが表となって表れるのが15ぐらいでしょうか。表に出た部分だけでも、仕事を要求した相手よりも上をいっていなければなりません。そうじゃなきゃ、「言葉」が軽くなるでしょ? 軽くなってしまった言葉は、いくら地位や名誉のレベルを上げてもその軽さは変わりません。

私は自分の仕事の評価を、私と一緒に働く人たちの目で測るようにしています。「聞けない」という目をされたときには、私が仕事をしていないと考えるのです。働くみんなの目が生きているときには(そのみんなの仕事の結果がどうであれ)私の仕事としては○です。

さて問題。このブログによって、金曜日私が仕事をサボって幼稚園の見学会に行ったことがみんなにバレてしまいました。果たして来週から私の言葉は、「聞ける」ものなのか「聞けない」ものなのか、これが大きな問題です。とりあえず土・日頑張ることをアピールしておきましたが、さあどうでしょう。

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2006年9月 6日 (水)

人生の選択

3歳になった長男。先日新聞の折り込み広告で船橋市内の私立幼稚園マップが冊子になって入っていたのを見つけて、じっと見入っている。

そうか、そろそろ幼稚園を考えなければいけない時期か。願書受付が11月。その前に各幼稚園で説明会、見学会などが催され、それが進路選択の一助となる。在宅か幼稚園か保育園か・・・。正直なところ、息子(たち)が妻と離れて何時間も過ごすということは、まだ考えられない。保育園などは5時まで、いやそれ以上に預かってくれるという。まったく驚きだ。そんな長い時間親子が引き裂かれていたら、妻がもたない。私だって胃に穴が開く。小学校に入学するまでの必要なしつけや学力は、私が見るつもりであった。息子よ!大丈夫だ。私がお前を、スーパーマンにしてあげるから。

幼稚園ガイドをしばらく読んだ後、息子は私にこういった。

「おやじぃ、ふうた、この幼稚園に行きたいな!」・・・おおっ!息子よ、私から離れるつもりか。あどけないその笑顔で、私から巣立っていくつもりなのか息子よ!いや、違う。何か理由があるはずだ。

「なんでこの幼稚園がいいの?」と私。「ボールでみんな遊んでるでしょ?ふうた、ボールがある幼稚園がいいんだぁ」。・・・ボールかぁ。分かった。親父に任せておけ。

さっそくサッカーボールを買い与えた。親父がお前をJリーガーにしてあげるからな!

「おやじぃ、ふうた、このボールもって幼稚園に行くんだ」と息子。

父親として、一人の人間として、私は人生の大きな岐路に立ち、そして決断をした。息子よ!お前の気持ちは十分に分かった。親父と一緒に、いい幼稚園を選ぼう。

さっそく息子と一緒にインターネットで市内私立幼稚園のマップを検索。「しつけ」とあれば、「厳しすぎるんじゃないか」と心配になり、「遊びが第一」とあれば「遊んでばかりで大丈夫か?」と心配になる。「設立数十年」とあれば、歴史にアグラをかいているんじゃないかと疑念を持ち、「新しい校舎」とあれば未熟ではないかと疑念を持つ。

ダメだ!私には決める勇気がない。・・・息子をパソコンの前に残し、居間に戻り私はコーヒーをすすっていた。しばらくして多少落ち着いた私は、自分の部屋(実はここが私の会社)に戻った。息子はまだパソコンと睨めっこ。なんとスクロールをしていろんな幼稚園の写真を見ていた。「やっぱり、このボールの幼稚園にするね。大丈夫だよ」と息子。来週、この幼稚園の見学会に行く。

福祉作業所の所長として、私がいつも親たちにいうのは「子離れをしなさい。親離れをさせなさい」ということ。実は説教ばかりしています。

お母さんたち、実はこれが私の姿です。笑いたければ笑えばいいが、でもお互いさまだぞ!

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2006年9月 5日 (火)

携帯電話

地域福祉の仕事をして10年。「地域福祉」とは、障害を持つ仲間たちを施設の中やその周辺で囲い込んでおくような関わり方でなく、地域の中にどんどん出て行こうという関わりです。つまり、目が離れることも当然多いといえます。危険性は承知しつつ、細心の注意を払って危険を抑止します。

携帯電話。私が持つようになったのは10年前。その頃はまだ職員の中でも持っている人の方が少なかったです。学生上がりの新人職員がポケットベルを持っていることに驚いていました。ポケベルは営業職のサラリーマンが持つものだと思っていたからです。

携帯電話が普及して、この仕事においてもずいぶん便利になりました。障害を持つ仲間たちの親や地域の方からの連絡も携帯電話のメールで入ったりします。仲間たちの母親の愚痴もメールでなら聞くことができます(読んでいたらごめんなさい!)。障害を持つ仲間たちと離れていても連絡が取り合えるので、心配性の私にとってはとても便利なものです。「安心」をもらっているような気がします。

しかし逆に、ホッと一息つく時間がなくなったのも事実です。この電話が目の前にある限り、電話の向こうの人は仕事上の<私>と会話をしてきます。ずいぶん前ですが、新婚旅行の最中でさえ、いくつかの商談をする羽目になりました。あの時あのタイミングであの業者様からの催促の電話がなければ、いまここにいる長男は、じつは女の子だったかもしれません。そんなわけで、この携帯電話のおかげで、私の生活から完全な<私人>というものがなくなりました。

そんな私の携帯電話、昨日も一日中鳴り続けていました。「パソコンが動かないんだけど・・・」だけで2件、障害者の共同生活の場「生活ホーム」だけで4箇所。親たちや作業所の職員、福祉関係者・・・。

「生活ホーム」からはこんな電話でした。「昨日のソフトボール(地域の町会チームとの交流戦)、体調が悪くてちゃんと練習できなくて申し訳なかった。本当に頭が痛くて今熱が38度ある。やる気がないわけじゃないから、大会には出して欲しい」・・・「大会のことはまだ先だから、そんなことより早く病院に行くぞ!」と私。

もうひとつの生活ホームからはこんな電話。「誰かがオレの部屋の電気をイタズラして、電気をつかないようにしたんですよ。オレが(インシュリンの)注射を打つこと知ってて、わざと暗くしようとしたやつがいるんですよ。」・・・私が帰宅してほっとした瞬間にかかってきた電話。尋常ではありません。もちろんそんなことができる仲間はいるはずありませんが、電気がつかないのは困ったことです。「今すぐ行くから注射しないで待っていて」と私。

車で向かう途中、「蛍光灯が切れたのかな?テールランプかな?」といろいろなケースを想定して対応も決めていました。しかしいざ電気をいじってみても、まったく反応なし。疑われた生活ホームの仲間たちも懐中電灯を持ったり椅子を持ってきたりと私に協力しながら不安そうな顔。ブレーカーを確認しても、他の部屋の電気を持ってきて移植してもダメです。私も困っていました。「電気をイタズラされた!」との訴えを起こした人は、障害を持つようになる前は、海外のダムや橋を作る大型プロジェクトの電気関係の責任者として第一線で働いていました。そんな彼は電気を元から遮断するには配線のどこをどうすればいいのかというところから、これは間違いなく妨害工作であるという論拠を展開しています。

「この部屋のどこかに電気のスイッチない?」・・・私が聞くと「いや、それはない。この部屋は和室で・・・」と展開する彼。それを半分聞きながら私は廊下にスイッチのようなものを発見し、ONにしてみると中の電気がピカーッと。

疑いをかけられていた仲間たちは「良かったねぇ、Aさん。電気ついたねぇ」・・・普通なら「疑いやがって!このヤロー」と向かっていきたくなるような状況ですが、彼らは素直に電気がついたことを喜んで、椅子などを片付けたりしてくれました。私が帰るときにその二人は「ありがとうございました!」、原告の彼は「・・・」。気まずかったんでしょう。そういうことにしておきましょう。

私も一度「ただいま」と家に帰ったあと、お小言を並べる気にもならなかったので、そのまま3人のホームを後にしました。その帰りにも別のホームから電話。帰ってからも作業所からいくつかの電話。息子たちは親父との食事を待っていてくれました。「待たせちゃったね。ごめんね。」

携帯電話によって仕事上の生活はずいぶん便利になりました。しかし<私人>の領域はずいぶん狭くなりました。でも「まあいいか」と思っています。この日の収穫は、普段私と会ったとき(現在は一般就労)にはいつも(怖くて)緊張ながら敬語で話をするB君が、生活ホームという空間の中では緊張もせず、私に敬語も使わなかったということ。生活者としてのひとりの青年B君と話ができたということ。それが自分の中ではなんとなく嬉しかったということです。

以上が「携帯電話」をタイトルとした今日の記事です。

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2006年8月28日 (月)

今日の記事

昨日は監督として、記事を書いた。

今日は父親として、子供のストレスへの対応について、そして家族のあり方について書くつもりだったが、筋肉痛が心にも入り込み、心が筋肉痛で動かない。書く必要性は感じているんですけどね。

帰ってきてやるべき仕事を目の前にしたときから、強烈な疲労感と体のずっと奥のほうの、しびれるようなイライラ感(こういうことを私が書くと、周りが気にするから良くないんですけどね。)に支配されて、とりあえず風呂に入ることにした。

脱衣所の電気をつけると、鏡の向こうの自分の顔が、「疲れているんだから少し休めよ」と語っているようだ。朝この顔を見るとおそらくは嫌な気持ちになるだろうが、なんだか慰められているようで、その鏡の現実を素直に受け入れることができた。

次に風呂場の電気をつける。もうお化けが怖くなくなって、どのくらいの月日がたつのだろう。この電気をつける瞬間が、かつてどんなに怖かっただろうか。そんなことを考えながらも、疲労感を洗い流すことをまず第一に考えて、風呂場に一歩足を入れる。

君はその時、その時、リクガメが先に風呂にいたら、どんな気持ちになるだろう。しかも彼が「卍」の形でスヤスヤと眠っていたら?

息子がドヤドヤと入ってきて「カメさん、気持ちよさそうだね。良かったね」と一言。

いきなりカメにシャワーをかけてやったんだけど、当然だろ?あまりに気持ちよさそうに眠っているんだから、びっくりして起きる姿が、普通は見たいだろ?予想通りびっくりした姿を見ると、今度はなんだか申し訳ないような気持ちに襲われるんだ。疲労感の反対側で、一日の仕事がうまくこなせなかった苛立ちと罪悪感がこのときの気持ちとひとつに絡み合い、結局そんな気持ちを打ち消したくなる。

カメが湯船の中で、もう一度気持ちよさそうにうつらうつらと眠りにつき始めたとき、それらの気持ちは「打ち消す」というような強制的なものでなく、スーッと解けていく感じで体内から放出されるのだ。

風呂から出て妻に「お風呂、誰か先に入ってたよ」とクイズ。「誰?もしかして虫?分かった。ハナちゃん(カメ)でしょ。さっき向こう(風呂場)のほうを歩いてたから」「当たり~」。

今日はそんなところです。

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おかげさまで優勝しました。

 先日8月27日の「第23回青年学級対抗ソフトボール交流会」において、「とまりぎソフトボールクラブ」は2部トーナメント戦において、優勝することができました。ここまでこのチームを鍛えてくれた、たくさんの地域のソフトボールチームの皆様への感謝を込めて、ご報告させていただきます。

   *「青年学級」とは、養護学校・特殊学級の卒業生たちが休日などを利用してレクレーションやクラブ活動、旅行などを楽しむためのものです。

 試合そのものは1回戦から決勝戦まで、1試合あたりの平均得点17点、そして全試合毎回得点、すべて圧勝に近い結果でした。もともと普通に戦えば優勝を狙える位置にいることは分かっていました。苦手だった速球派ピッチャーへの対応もこれまで練習や試合に付き合ってくださった皆様のおかげで克服してきましたし、練習の仕方・声の掛け合い方・投げ方や取り方や打ち方、すべて皆様に教わってきたことをそれなりに身につけてきたので、「これだけの地域の方々に支えられているこのチームが負けるはずはない」という気持ちは、みんな持っていました。

  *「とまりぎ」はこの1年間だけでも、4つの町会の一般チーム、シニアクラブチーム、地域の一般クラブチーム、婦人クラブチーム、高校女子ソフトボール部(今年インターハイに出たところ)、障害者施設の職員チーム、病院デイケアのチームなど10以上のチームと交流させてもらってきました。

 しかし「敵は我にあり」…このチームの最大の弱点は<気持ち>にあったのです。ちょっとしたミスでも萎縮してしまい、普段のプレーができなくなる仲間たち。カッとなりやすく、またすぐにあきらめてしまう傾向のある仲間たち。ちょっとしたミスで萎縮したり、互いに責め合ったり、試合を投げてしまったり…そういった<気持ち>こそが、最大の敵だったといえます。

 この日も最初はいつもの悪いムード。「第1戦の先発ピッチャーY君」という発表を聞いたとき、下を向いてしまう他の選手たち。先日の地域の高齢者チームとの試合で、フォアボールを連発するY君に声をかけることもなく、結局エラーの連発で自滅して負けてしまったムードを引きずったままのスタートでした。

 しかし、そんなムードを打ち消したのは、Y君の見違えるような好投。面白いようにストライクが入るY君のピッチングに、ナインのリズムも自然とよくなります。少々のエラーは「ドンマイ、ドンマイ!」。最後はエースのH君の試運転のためにマウンドは譲ったものの、本当に見事なピッチングでした。

 

最大の敵、<気持ち>の問題に、このチームは打ち勝とうとしている。それを証明するようなエピソードが、この日は他にもたくさんあったのです。

第2戦は前年度のチャンピオンチーム。当然エースのH君の出番です。前半はエースらしい好投で大差のついた試合展開。しかし後半突然崩れてしまいました。時折気にしている手を見てみると、なんとボールを投げる右手の親指の爪がはがれて、なくなっていました。先日の試合でボールを当てて、はがれていたのです。痛みを圧してのマウンド。それを見たK君が「あの~ぼく投げましょうか?」…。気が優しく、どちらかというと消極的なタイプのK君が、積極的に自ら申し出てきたのです。

そのK君も前の試合でセンターの打球を追うとき足の付け根を傷めていて、試合中以外は立っていられないほどだったのです。「大丈夫なの?」「走れないけど、投げられます。」…それよりもH君を心配していたのです。

そんなK君の<気持ち>に託して、決勝戦はK君の初登板です。ナインも緊急登板のK君を励まし支えます。フォアボールが続いたときには、みんながマウンドに行って声をかけています。

大ファインプレーも出ました。レフトに抜けようかという強烈な当たり、サードのMさんが飛びついてボールを捕まえにいきます。強い打球はMさんのグローブをはじいて転がっている。しかしそこに詰めていたショートのN君がそのボールを拾い上げ、身を呈してファーストに送球。今度は難しいバウンドをファーストのSさんが体を張って抱きかかえるようにキャッチし、間一髪アウト。支えあう心がMさん・N君・Sさんと受け継がれた見事なアウトでした。

他にもバックホームでアウトにする「1点もやらないぞ」というプレー。冷静にフォアボールを選んで次のバッターにつなごうという姿勢。支えあう心が、最大の敵、一人一人の<気持ち>の問題を克服したのです。

優勝の瞬間はまさに歓喜の瞬間でした。一人一人が、<気持ち>の問題に打ち勝っての優勝なのです。そのことを感じあえたから、あれほど仲間たちが互いをたたえあい、喜びを分かち合えたのです。そして今、この喜びを、ここまでチームを支えてくれた地域の数々のチームのみなさんと分かち合いたいのです。これまで本当にありがとうございました。

是非、秋の「ゆうあいぴっくソフトボール大会」にも勝って「2大会制覇」を達成したいです。また胸を貸してください!

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2006年8月24日 (木)

まだまだ勉強!~相談支援事業編

 今日で「障害者相談支援従事者研修」が終わりました。演習の3日間、とにかく勉強になりました。これまでたくさんの相談を受けてはきましたが、入り方・引き方・広げ方・深め方、全部経験の蓄積だけで対応してきたような気がします。そしてそえゆえに客観的な自分の傾向などを振り返ることがあまりできずにきました。それはそうですよね。自分の経験から自分の傾向を拾い上げることは至難の業ですから。今回ケアマネジメントの方法論というものに触れて、自分の傾向を客観的につかむことができました。それが一番の収穫です。それといかに勉強不足であるかを身にしみて知りました。主催された県の障害福祉課の方々、講師の方々、ほんとうにありがとうございます。とくに講師の方々は日に日に疲れが表情ににじみ出て、その疲れの見える表情から、いかに真剣に障害者の相談事業というものを考えていらっしゃるのかを垣間見ることができました。我々、未熟な受講生に対する憤慨の気持ちも当然持たれていたと思います。その気持ちこそ実にありがたいことです。

課題を多く抱えながらも、一応終了認定証をいただき、ため息交じりですが「頑張らなきゃな~」と思い、会場を出て歩いていると、後方から呼び止められた。「あの~ちょっと聞きたいんですけど」

おおっ相談支援のクライアントの第1号がもう来たか!研修の成果の見せ所です。

「あの~陸ガメのオスとメスはどうやって見分けるんですか?」

私は答えました。「尻尾の根っこの太いほうがオス。おしっこの穴の位置も少し違うんですよ・・・」一方的に答えてしまう私。

すると「食べ物は亀餌ですか?」とか「ロシアの亀なんですけど、どのくらいで大きくなるんですか?」とかと質問。

「亀餌はあげすぎるとダメですよ。栄養がよすぎて体の成長に甲羅の成長が追いつかず、甲羅の形がゆがんできてしまうんです。やっぱり葉っぱが中心のほうがいいですよ。葉っぱもほうれん草はダメ。アクが強いから。小松菜かチンゲンサイ。一番いいのはタンポポ。でも道端に生えているのはだめ。排気ガスとかあるから。ちゃんと公園とか山のほうから採ってきて・・・」「大きさはこのくらい。オスのほうが若干小さくて、もともと小さい個体の子なら、それ以上あまり大きくならないかも・・・」またも一方的に答えるだけ。

研修でも「アセスメントができていない」「ニーズをつかみとることができていない」「相手の過去と現在と将来の生活の全体像がイメージできていない」といろいろ指摘してくれました。

そのクライアントのカメは一匹なのか複数なのか。一匹だとしたら尻尾の太さの比較を言っても話が噛みあいません。なぜオスとメスの違いが問題になるのか。子孫が欲しいのか、名前をつける際の判断基準なのか。「オスとメスの見分け方を知る」というニーズのもうひとつ先のニーズをつかみとることができないのです。ただ一方的に答えを並べているだけなのですから。「ロシアのカメ」といっても「ホルスフィールドリクガメ」(別名ロシア陸ガメ)のことを指しているのかさえ確認していません。なのに「このくらいの大きさにしかなりません」と無責任な答えをしてしまったのです。その子の甲羅や顔の形、特徴などを聞いて見なければ断定できないのです。もし間違って「ケヅメリクガメ」だとしたら大変です。数年で50cmほど、最終的には80cmほどになってしまいます。そういう可能性をおくならば、そのカメの住環境を知る必要があるのです。部屋で住むのならば、水槽では無理。部屋で普通に暮らすしかありませんが、その場合「紙おむつ」をつけないと大変なことになります。ウンチとおしっこを一日数回。「紙おむつ」も自立支援医療からは費用が出ません。経済的なことも問題になります。「相手の世界をイメージする」それを最初のアセスメントでどれだけできるか・・・その点で失敗しているのです。

「亀餌はダメ」「タンポポがいい」とすぐに答えを押し付けてしまうところもあります。でもこれは危険でさえあります。実はうちはかつてカメの定期健康診断(*1)で、甲羅の変形を指摘され、亀餌から自然食への変更を指示されたことがあります。長年亀餌で育ってきた子に「亀餌はあげない。タンポポを食べなさい。食べないのはお前のわがままだ!」という対応をしてしまいました。カメは数日間ハンガーストライキ。危険になってから私たちは反省して、週に1回、2回とタンポポを増やしていき、自然と慣れるよう、その後関わり方を変えてやっと定着しました。そんな経験があったのです。その子がどんな食生活なのか、誰がどう食事を与えているのか。その後お風呂は入れているのか。ウンチはどこでどうしているのか。温度は何度に設定して湿度はどう管理しているのか。(湿度管理で失敗するとかなりのダメージを受けます。)カメの全生活をイメージする場合、そういうことがまず問題になるはずです。それが問題にならないような「インテーク」を行っているのです。

・・・(*1)うちの長男がお腹の中で妊娠10ヶ月目のとき、カミさんが私のトラック(うちのマイカーはなぜかトラックでした)の荷台にカメを乗せ、ひとりで運転し、専門医に行ってカメの健康診断したときのことです。一歩間違えれば、うちの長男はカメの病院で生まれるところでした。・・・

さて私の面接技法を「ケアマネジメントの7原則」に照らし合わせてみましょう。

①個別化の原則・・・「ロシアのカメ」というだけでホルスフィールドの一般的な飼育法を対置しているだけで、その子に即して考えていないのです。

②意図的な感情表出の原則・・・相手からプラスの感情を引き出すのに失敗して「ダメ」「ダメ」で終わってしまっています。

③統制された情緒的関与の原則・・・「ちゃんと答えよう」という気持ちが先にたって、一方的な対置に終わっている以上、情緒の統制には失敗しているのでしょう。

④受容の原則・・・「ダメ」「ダメ」では、まず受け止め・受け入れるということに失敗しているということです。

⑤非審判的な態度の原則・・・「審判的態度」そのものです。

⑥自己決定の原則・・・カメそのもののニーズをつかみとっていません。カメが欲する食べ物とこちらから健康面に留意して勧めるものの違いをどうすり合わせるかという視点・それ以前にそのカメは何を食べたいのかという視点がないのです。これでは「自己決定」につながりません。

⑦秘密保持の原則・・・「相談の内容について、秘密は厳守するという原則をきちんと話す」という接し方ができていません。このブログもそのカメの同意を得ていません。

やはり頭で理解することと、それを方法論として実践に適応することではまるで違います。学んだものが血となり肉となるためには、たえず自分の実践を振り返り、自己省察することが大切です。

また頑張ろうと思います。

(追記)

この記事、もちろんふざけていますが、現場の仲間たちにはヒントとなるようなことを盛り込んだつもりですので、みなさん2回目は真剣に読んでくださいね。所長より。

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2006年8月14日 (月)

遠い憧れについて他、3話

軟弱で四角いものが転がると、ただそれだけで傷がつく。硬質で四角いものが転がると、ただそれだけで周りを傷をつける。

これが人間だとして、あるいは筋肉のかたまりだとして。

力を入れて思いっきり固くなって転がれば周りを傷つけ、それをせずに転がれば自分が傷つく。

どっちも嫌だから、四角いものは丸いものに憧れる。丸いものはいくら転がっても傷つかないんだから。

だが丸いものも、実はひそかに、四角いものに憧れる。その憧れは、たとえ小さくとも深いものとなる。それは遠い憧れだからだ。

四角いものは転がっていれば、いずれ丸くなるか、少なくともその希望だけは維持できる。しかし丸いものがいくら転がっても、四角いものには戻れない。

<そういう登場人物で、第1話>人を大切にするということ

丸いものでも、かなりの打撃を受ければ、割れてしまい、丸いものでなくなることもある。しかしそれはもう転がることはできない。半球になってしまったものは、もはやサイコロのようにさえ、転がることはできない。だから決して壊してはいけない。

<第2話>働くということ

転がり方の鈍くなった丸いものは、ゆがんだ丸いものに形を変えてしまうことはある。放置されたゴムボール。そうなってから、また転がり始めようとしても、転がる先を自分でコントロールできない。自分でまだ丸いと思っている場合はさらに困ったことに、正しい道を進んでいるつもりで、道を誤ってしまう。だから丸くなったものは、常に転がっていないといけない。働くとはそういうことかもしれない。

<第3話>遠い憧れについて

丸くなったものは、遠い憧れで四角いものに寄り添うことができる。もう決してなれないその四角いものに、時に傷つけられながらも。

私が今の福祉作業所で働き始めたのは10年前。放浪癖のある障害者がいた。言葉はなく、人を寄せ付けようとしない。自分の主張は、文字を書いて伝えることはできる。文字はあるのに言葉はなかった。作業所をサボっては、電車やバスで旅に出る。駅のホーム、広い公園、その他風を感じられる場所で風を感じながら、腹の底から大声を出してその風に応えていた。夜になればデパ地下の食品売り場の試食コーナーで食べ歩き。販売員にとっては、話しかければ自分の手を噛んで威嚇し、かといって人に危害を加えるわけではない彼を前にして、通報するまでの気持ちにはならない。だから彼は腹いっぱい食べ歩いて、公園に向かう。公園ではベンチに新聞を敷いてベッドにする。星を眺めて眠りにつく。

そんな彼の行動を知り尽くしながら、私たちは必死に彼を探し続けるが、見つけられる割合は低かった。彼は常に裏をかいて行動していた。デパートも公園も、彼の行動範囲には星の数ほどあるんだから。

足を棒にして探し続ける私は、心配と悔しさとそしてもうひとつ、ひそかな憧れを感じていたことを否定する気はない。

あんなふうに自由気ままに暮らしていけたら、どんなにいいだろうな。そう思うと、さらに必死で探し続けていた。

丸いものはひそかに四角いものに憧れる。そんな感情がたとえわずかでもなかったら、あのトラブルメーカーたちの集結の場・福祉作業所で働き続けることはできないんだろうな。

話はこれでおしまい。

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2006年8月 6日 (日)

弱者の立場、そこに送り出す側の論理

障害者の福祉作業所で、一般就労を目指す仲間への関わりについて。

一般就労を目指す仲間というのは、たいていその作業所においても中心的な位置にいる場合が多い。自分でもその立場はそれなりに自覚していて、その自覚はいろんな形で態度や行動に出ます。そしてそれがゆがんだ形で現れる時、その現場の「職員」と呼ばれる人たちにとって、頭を悩ませるひとつの問題となります。とくに障害を持つ仲間たちに対しての態度や行動。

大きくいって2つのパターンがあるかと思います。ひとつは「この人たちに任せられない」と一人で頑張りすぎてしまうタイプ。頑張るだけなら、なんら問題はない。頑張りすぎてしまって自分がきつくなって、きつくなったら相手のせいにしてしまうんですね。仕事をこなす力はあります。だから信頼されます。でもきつくなって投げてしまったり、人のせいにしてしまったりしたら、それまでの頑張りも水の泡になってしまいます。こういうタイプはあまり背負い込みすぎないように、適度な頑張りに留めておけるように周りが配慮すればいいことですから、関わり方次第ではそれほど大きな問題にはなりません。

さて、次のタイプ。「職員」と呼ばれる人たちが負けてしまうほど、よく周りに気を利かせ、非常に「助かる」人。周りがよく見える分、ついつい指図する側に立ちたがります。それによって「助かる」ことも多々ありますが、「自分の仕事をこなす」という点でやや難がある場合もあります。しかし周りがよく見えているその人にとって、「自分の領域」が視野の外に置かれてしまうのです。

前者はいわゆる「仕事をこなしてくれる人」なので、かかわり方次第では大きく伸びますし、就労支援においても、職場の人・支援者のちょっとした配慮を伝えていけばそれほど大きな問題にはならないでしょう。問題は後者のタイプです。

周りがよく見える分、仲間たちの様々な問題が見えてしまいます。だから自分が問われたとき「あの人だって・・・」とついつい自分と他者の比較をしてしまい、なかなか反省することができません。自分なりには一生懸命周りに気を使って頑張っているのに自分ばかりが責められているような気になってしまう場合もあります。その不満がつのれば、イライラの矛先は仲間たちに向いてしまいます。そしてそれもつのれば、ちょっとしたいじわるやよくない行動を起こすこともあります。ここまで来て、やっとその現場でも重要な課題となって浮かび上がってくるものです。

就労支援に限って、このようなケースへの対応をここでは考えます。周りの仲間へのよくない行動。それに対していろいろ話してみるものの、なかなか心に届きません。道徳的な観点から、説き伏せようとして失敗してしまう場合が多いようです。道徳的にしか問題にできないということは、相手に即して語れないということです。道徳とは個々人の、さまざまな理由をもつ<いい・悪い>の基準、そのさまざまな理由を取り払い一般化して抽象化したものです。つまり個々の理由を取り払ったところでの善悪の基準が道徳ということです。感覚的に抽象的な基準が道徳での善悪なのです。しかし現実に個々人に即すならば、「Aさんが、Bをするにあたって、Cをするということはよくないことである。それはCをすればBができないからである」という具体的な基準があるはずなのです。「AさんがBをする」という現実に即して、その深みに踏まえたところで「Cをすること」を問題にするならば、決して一般的で抽象的な道徳論では終わらないはずなのです。「相手に即して語れない」とはそういうことです。「Bをする」とはこの場合「就職する」あるいはもっと広い意味で「働きながら自分の社会生活を作る」ということでしょう。そのこととの関係で「Cをする」、つまり仲間にたいしてある意地悪的な行動をすることの善悪を考えるのです。

 一般的に障害者が就職する場合、その就職先の世界では「弱い立場」に立つことが多いと思います。もちろんそうでなく本当に社会や会社の先頭に立って頑張っておられる障害を持つ方々もおります。しかし福祉作業所で対象としている仲間たちは、どちらかというと「弱い立場」を前提にした就職を目指すしかない方々です。そうでなければ作業所には来ていません。

 仕事はそれなりにできるといっても、やはり配慮してもらったりフォローしてもらわなければうまくいきません。時には失敗をして迷惑をかけることもあるでしょう。それでも長く働き続けるにはどうしたらいいでしょうか。

 上記のような「弱い立場」の人が会社に入ってきている。周りの人は多くの場合、二つの感情を同時に抱えます。ひとつは「弱い立場」のこの人を助けてあげたい・応援したいという気持ち。もうひとつは、その人のできない部分「弱い立場」に基づく不足の部分に対してイライラする気持ち。・・・まわりはみんな、この両方を持っていると考えればいいのです。自分に即して考えれば分かることです。そしてこの二つの気持ちのどっちがどれだけ大きいかによって、その人の態度や関わり方が変わってくるということです。同情を求めるわけではないけれど、やはり同情に近い感情としての「やさしさ」が職場に多く溢れている方が、「弱い立場」の仲間たちにとっては働きやすい環境となります。

 ではその「弱い立場」の人が、職場でもっと「弱い立場」の人を馬鹿にしたり意地悪したりからかったりしていたら、周りはどう見るでしょう。「助けたい・応援したい」という気持ちと「イライラする」気持ち、そのバランスは大きく変わるでしょう。とても些細なことが、とても大きなことになる瞬間です。職場の人たちにとって、これまで自分のやさしさの範囲で受け止めていたその「弱い立場」の人のさまざまな失敗や不足の部分に対して、それを受け止められなくなります。周りの見方がガラッと変わるのです。それに抗して「憎まれっ子、世にはばかる」とばかりに実力を発揮できればいいでしょうけれど、そこまでの力がない大部分の仲間たちにとってはつらい世界が待っています。

 ほんのちょっとした態度や言葉で、「自分よりも弱い人を馬鹿にしている」と見られてしまった「弱い立場」の人は、その場所で長く勤められる可能性は限りなく低くなるでしょう。そういう態度や言葉は、いくらその仲間が真剣に「自分は就職したい、社会で働きたい」と思っていても、その思いと逆の方向に自分を運んでしまうのです。

 「Aさんが、Bをするにあたって、Cをするということはよくないことである。それはCをすればBができないからである」・・・その論理の具体的な形がこれです。

 支援者としては、ぜひこのような相手のニーズに即した将来の現実をイメージする力をしっかりもって、相手のニーズや現実に即した物事の善悪をしっかり伝えられる、そういうかかわり方を目指していくべきだと思います。

 自分の語る内容が、一般道徳に流れてしまい相手に届かないという現実に直面した際には、もう一度相手のニーズに戻るという習慣をつけていくべきだと思います。

  今日はなんかオレ、偉そうなこと言ってるなあ。12番目の選手のくせに。

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2006年8月 4日 (金)

3+6+2=11 ?

私は経理・事務の仕事は本来あまり好きではない。でもずっと気になっていた事務仕事を一日がかりでやっつけて、昨日はそれなりに爽快感があった。帰宅の時間はやはり、プロ野球のナイターがとっくに終わっている時間。腹ペコです。帰宅すると妻は「ごめん、まだ夕飯できてないんだ」・・・ぜんぜん構わない。私は寛容だ。実はその日の夕方、妻の仕事の報告がメールで送られてきていて、「頑張っているんだなあ」と感心していたところだったのだ。妻は私たちの福祉作業所の利用者が生活するグループホーム(高齢者のグループホームの障害者版)の世話人をやっていて、3人の生活を見てくれている。ではその報告を当たりさわりない程度に紹介します。

私の妻(世話人)の報告

 

まず部屋のものをすべて隣の部屋に移動し、Aさんの部屋にはベッドのみが残る状態にしました(彼の部屋には誰も使っていない一人掛けのソファが二つ置かれていて、これもカビの原因になっていました処分することに。また、押入れにも少しカビがあり、布団も湿っぽい状態です後日干す予定)。

 何も無くなったところで掃除機をかけ、酢水で固く絞った雑巾を使って雑巾掛けし、最後にファブリーズを吹きかけました(何らかの形で本人が週一度でも掃除できればいいのですが。同時に棚、柱などは普通の水で雑巾掛け)。ベッドのマットやタオルケット、枕は干しました(枕はマットをはたいた様に大量のほこりはたききれませんでした)。

 床が乾くまで小物の整理。ずっと使っていない簡易歯ブラシなど必要の無い物はほとんど処分しました。(中略) 残りは衣類の整理。冬物は押入れに、上着とズボンは指定のハンガーに下げました。ベッド下の収納はカビの原因になるのでなくしました(勝手口横の倉庫に置いてあります)。向かって正面の小さな引き戸収納の扉を外し(押入れにしまいました)、そこに収納ケースを置いて、パンツ.靴下.タオル.パジャマをしまいました。着たけどすぐには洗濯しないズボンなどは、脱ぎ捨てないで左手の棚の下段に畳んで置くように話しました。

 最後にベッドのセッティング。厚いマットと薄いマットの間にゴミ袋を2枚裂いて敷き、薄いマットの上にマットカバーを敷きました。除湿剤をベッドの奥、押入れ、ハンガー下の3箇所、ゴキ退治を正面棚とベッド下に置きました。

<Aさんがやったこと>

.持ち物の移動(一緒に)

.酢水での雑巾掛け(畳全部1時間)見ていないと適当。声かけ。

~昼食~

.小物整理(一緒に)、整頓

.ハンガーかけ

.洗濯

 放っておけばすぐもとの状態になりそう。こまめに声をかけて本人が片付けていくように促していきたいです。床の掃除もAさんができる方法を考えたい(クイックルなど)。

 こんな報告を読んだ後だったから、食事準備が遅れていても気になりません。グループホームの3人の世話をよくしてくれていると思います。世話人の仕事を一生懸命していて家事が多少遅れたのでしょう。

 しかし私が帰宅したとき、妻の両手にはバスタオルでくるまれた大きな陸ガメが・・・。「ごめん、今カメたちのお風呂入れてるんだ」と妻。うちの陸ガメたちはお風呂が大好き。最近彼らの嫌いな湿気が多く、多少便秘気味だったので、カメたちもたまにはゆっくりお風呂につかって新陳代謝をよくすることも確かに必要でしょう。お風呂に入ったあとは決まって大きなウンチをしてくれます。カメをひとりずつ丁寧にお風呂に入れ、甲羅の隅々や首の皮、尻尾まできれいにバスタオルで拭いてあげる妻。

「でもうちのカメは6匹もいる。その順番待ちかあ・・・。」

 さらに続けて妻。「ごめん、カメたちのあとはチビたちも風呂に入れるんだ」・・・「チビたち」、二人の息子。長男は自分でシャツを脱ぎ、素っ裸になって待機。

グループホームで3人の世話、続いて6匹のカメの入浴介助と2人の息子の風呂。

3+6+2=11

私の前には11人もいたのだ。私は12番目。サッカーでいえば12番目の選手、つまりサポーターだ。

大いに結構! しっかりサポートしましょう。   

 

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2006年8月 1日 (火)

「この一歩」のための関わり方

私の福祉作業所に最近通い始めた仲間がいます。彼のことはずいぶん前から知っていました。ずいぶん前から「うちにおいでよ」と声をかけていました。でも実際に通うようになったのは最近のことです。

彼は長いこと、いわゆる引きこもりの生活をしていました。長い冬のような生活から、やっと春に一歩近づいてきたのです。

彼の弟は私がやっているもう一つの福祉作業所に通っています。養護学校卒業後、すぐに来たので、すぐに定着することができました。明るく元気に働いています。福祉作業所や授産施設の障害者の給料、その全国平均の何倍も弟は手にしています。それなりに頑張っているからです。しかしそのことは逆に兄弟のこれまでのバランスを崩し、家庭の状態は必ずしもいい方向に向かっているわけではありませんでした。

もともと仕事をする力があったのはお兄さん。弟は何でもできるお兄さんをある面で尊敬しているようでした。そのお兄さんは養護学校卒業後、先生方の支援で就職。しかしその後フォローする人がいなく、挫折。学校から直接就職していった人の場合、この挫折後のケアがなかなかできないのです。(先生方には是非この点を考えていただきたい。先生方の大切にする「就職率」の数字の裏側で、いったいどれだけの人が彼のような状態になってきたのかということです。)

お兄さんは何度かの挫折を経験し、だんだん社会から遠ざかり、いわゆる引きこもりの生活に入ってしまっていたのでした。そして当初から就職でなくこちらの福祉作業所の利用を決めていた弟は、むしろだんだんと社会生活が広がっていく。

お兄さんが弟の足を引っ張るような行動に出ることは、ある意味何の不思議もないことです。

あまりにも重い最初の一歩。この一歩をお兄さんが踏み出すことは本人にとっても弟にとっても何よりも大切なこと。何度か本人やご家族と話をしたり、家まで迎えに行ったりしながら、何とか作業所に通えるようになりました。通ってきてからの彼は実に明るく前向きで、人と話せるのが楽しくて仕方がないといった状態でした。もちろん「働く」という意識はまだまだ先のことですが、通う習慣が少しずつ身についてきました。

毎日汗水流して働くお兄さん、仕事後は私たちをつかまえて延々とおしゃべり。何時になってもなかなか帰りません。一度帰ってもまた戻ってきてしまいます。私の懐の狭さをさらけ出すようで恥ずかしいことなのですが、ある日私は「もう、いい加減に帰りなさい!」と叱ってしまいました。見る見る表情が変わる彼。というよりも表情が消えていきました。無言で小石を私に投げつけ、家と逆の方向へ走っていきました。

その夜彼は帰宅せず。帰ってきてからも布団にこもってしまいました。私が彼の家に行き布団越しに話しかけても無表情はほとんど動きません。またもとの引きこもり生活に戻ってしまうのでしょうか。

そして今日の朝、他の職員が朝迎えに行き、いろんな話をし何とか連れてくることができました。しかし作業所の入り口の前で立ち止まり固まってしまう。そこから先、無理やり中に入れないように、そして彼のペース・彼の世界に入り込み過ぎないようにその職員に私は指示。この入り口での「一歩」が彼にとっては実に大切だからです。この一歩を自力で踏み出せるかどうかが、とても大事なのです。私たちが本当の意味で関われるのは、この一歩を彼が踏み出せるかどうか、この点に絞られてきます。入り口前の道路でうずくまったり頭を抱えたり・・・。近所の目も気になりますが、それを一番に考えてしまうと失敗する場面です。しばらく中から「入っておいで」と声をかけていた私ですが、約1時間。こちらから彼に向かいました。「これが8月の予定だよ。この日みんなで山登りに行こうかと思うんだけど、一緒に行くよね」と関係ない話題から切り出す私。「8月5日に○○で花火大会があるんだ」と彼。「じゃあそれも行こうか」・・・そんな話をやり取りしている中で彼が切り出してきた。

「あの日、早く帰れって言われて、オレなんか役立たずだからもういらないのかと思って、あの後、行く所なくなっちゃったんだよ。」

「道路でうずくまっているままなら、確かに役立たず(笑)。でも中に入って仕事をしてくれたら大切な仲間だよ。じゃあ、中で待っているから。」と私は中に入っていった。

大切な話は、中に入ってからです。入り口の外で話を聞いてくれるという関係をあまり深く作ってしまうことは、実は彼の大切な「この一歩」を作るためにはマイナスな場合もあるのです。どこで手を差し伸べ、どこで差し伸べた手を一度引っ込めるか、この辺のタイミングは実に大切なことです。手を差し伸べすぎて抱え込んでしまうと、彼の引きこもりの殻を破るための「この一歩」が作れません。逆に手を差し伸べないことには何も始まりません。微妙なタイミングを計るためには明確な基準がいるのです。その基準は作業所の「入り口」です。単なる入り口に過ぎないのですが、彼の心の中においては、とても重くそして明確に引かれた線がそこにはあるのです。私は手を引いて彼を中に入れることはしませんでした。それは彼の心の問題は彼にしか解決できないからです。中で涼しい顔して待っていました。しかし他の障害を持つ仲間に私は耳打ち。「中に入って一緒に仕事しようって話しかけなよ。君に任せるから。」・・・彼女はスーッとお兄さんに近づき、「仕事しようよ」・・・。彼もすんなり入ってきました。私も含め、中にいる人は誰も大騒ぎせず、彼がいるという当たり前の空間を当たり前に受け入れて、そして仕事に戻っていきました。後で彼女にはこっそり「さすが!」と持ち上げました。

ことさらに笑顔を振りまいたり持ち上げたりという余計なことは一切せず、普通な環境を普通に作りました。私がそういう態度でしたから、みんなも何となくそういう普通の態度で彼に臨んでいました。

この「入り口」を入ってきた仲間は、それぞれみんな大切な仲間。みんな役割があり、その役割をこなす中で、仲間が必要であることと自分が必要な存在であることを、理屈ぬきで肌で感じる。そういう場所です。

このような関わり方の線、悪く言えば「駆け引き」、これは教科書で身につくものではありません。一切は経験と、その経験を栄養に変える心の持ち方、角度を変えれば「目の前の仲間への想い」、そういうところから身についていくのだと思っています。

その人のこれまでの生き方とこれからの生き方。その接点に私たちは向き合っている。それら全部を「今」という容器に押し込んで、それと向き合うのが小さな福祉作業所の毎日の実践なのです。

みんな分かったかな? 分かんねえかな(笑)?

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2006年7月31日 (月)

追記

昨日、「本当の地域福祉とは?」という記事を書いたところ、このブログがオープンしてもっとも多くの方々が読んでくださったようです。私の希望としては、共感してくれる人3割、憤慨してくれる人4割、その他3割・・・。今のところ「共感」の声はいくつか届いていますが、「憤慨」の声もいただければと思います。

障害者福祉全体のフィールドでは、小規模作業所なるものは実にマイナーな世界。施設型の福祉こそがメジャーであって、施設で働く人々の多くは「作業所」なるものの存在をあまり意識せず働いている場合も多いと思います。しかし作業所で働く人たちは違う。「施設」を常に意識して、時に憧れを抱いたり、時に「反面教師」にしたりしています。それはマイナーフィールドの宿命なのかもしれません。作業所で働く人々は、「施設型の福祉」に対して、いろんな感情を持ちながらも、しかし総じて共通項的感覚があります。

オイラのところの方が、一人一人への関わりは、絶対に深い!

オイラのところは、決して人を蹴落とさない。

この共通項的感覚すなわちプライドゆえに、当事者を中心とした自然発生的なネットワークは形成されていくのです。それはそのネットワークを作ってきた人間にしか分からない、とても大切な財産です。

アクセス数が多いと、こうやって調子に乗って、すぐに記事を書いてしまうんですよ。

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2006年7月30日 (日)

本当の地域福祉とは?

久々です。このブログ、行政の関係者など思いもよらぬ固い系の方々も読んでいることを最近知りましたので、行政に関係する話も少々・・・。私はあまり正面きって福祉行政に文句をいうタイプではなく、むしろ文句ばかりいっている人たちは逆に行政にしがみついているようで、「それはしたくない」と思ってきました。<文句ばかりいうくらいなら、無視したほうがいい。無視してもやっていかれるくらい、自分たちが福祉の力をつければいい>そんな感じで考えています。しかし今回は多少の忠告的な記事を書いてみようかな、と。

先日、県の主催する障害者の相談支援従事者研修に行ってきました。直接の目的は相談支援事業従事者(障害者ケアマネージャー)の資格を取るためでなく、新体系サービス事業のサービス提供責任者の資格のためです。

いろいろな人も読んでいるのでバリバリの福祉用語はここまでにしますね。簡素な表現に努めていきます。「子育て」などからこのブログに入ってきている人たちもいますので。

講義の概要はこんな感じです。障害を持つ方々の地域生活を支えていくためには、さまざまな困難ケースが存在します。そういうケースを決して切り捨てるのではなく、相談支援の担当者が本人や家族のニーズをしっかりとくみ取り、病院や地域の民生委員、就労支援の諸機関その他の関係者との「支援のためのつながり」を積極的に作り出し、当事者を中心とした「支援の輪」の会合などを通じて、その人にあった必要な支援のサービスの体系を計画する。本人の希望に即してその計画を実行し、たえず家庭訪問などを通じてその計画を検証し、時に修正し、継続的に本人と家族の生活を支えていく・・・。それが障害者の相談支援事業従事者の仕事だということです。福祉サービスは「施設から地域へ」がキャッチフレーズになっています。

お題目はすばらしい!あとはどうやってその仕事のプロを発掘し育てていくの?

皮肉っぽい問いかけをしたのはわけがあります。この研修、講師は行政担当者や福祉施設の施設長さんたちが担当していました。施設型福祉のプロの方々の語る「地域福祉」の講義でした。「困難ケースへの対応」・・・。でも実際はこれまで施設型福祉から多くの「困難ケース」を抱えた障害者が、時にははじき出され、ときには門前払いされ、行き場所をなくし小規模作業所などの「地域福祉」を頼ってきたのでした。いや、あまりに多くの人たちが施設型福祉からはじき飛ばされてきたことが、小規模作業所の今日の発展の主要な要因なのです。

小規模作業所は、直面するさまざまな「困難ケース」に向き合うために、何の教科書もない状態から、<病院や地域の民生委員、就労支援の諸機関その他の関係者との「支援のためのつながり」を積極的に作り出し、当事者を中心とした「支援の輪」の会合などを通じて、その人にあった必要な支援のサービスを計画する>というこの研修で提唱される「相談支援事業」を自然発生的かつ自発的に行ってきているのです。

いくつかの例。たとえばこの研修の講義をされている施設から「リストラ」されてきた障害者の例。(私たちの作業所だけで、この施設からの「リストラ」組だけで4名います。しかしこの講義を担当する施設長さんの就任前で、F市が直接運営していた頃のことなので、この施設長の名誉を傷つけるものではありません。むしろそういう状態から立て直してきたのが、この施設長さんら新スタッフなのでしょう。)

お母さんに連れられて「A施設から、他の場所を探すよう言われた」として私たちのところに面接に来た障害を持つその女性。お母さんと二人暮らしでその女性の障害者年金だけで二人暮らししているといいます。身なりや雰囲気からすぐに「施設にはじき出された困難ケース」だということはすぐに感じました。まず家庭訪問。

彼女の家には屋根がありませんでした。トイレも台所も床がなく、地面が出ていました。トイレに用を足すのでなく、この穴に直接行うしかない状態です。この状態から彼女だけ救うのであれば、障害者年金を使い、私たちのもつ生活ホームに入居すればいいのですが、それだけではお母さんが生活できません。親戚やご近所との関係、その他さまざまなことがらに首をつっこみ、いろいろな工面を行い、なんとかこの屋根のない家を解体し、プレハブの家を立てることができました。生活保護なども活用し、生活ホームで暮らすようになったこの女性だけでなく、お母さんの生活も立て直してきました。今は二人ともとても生き生きとした暮らしをそれぞれの場所でしています。

もうひとりの施設「リストラ」組の男性。多動で衝動的な行動もあり、時に周りを傷つけることもあります。施設では「作業」はほとんど行わず、広い場所でひとりで走り回るだけだったといいます。「隔離」とはこういうことをいいます。彼がうちに来たとき、まずは施設と逆のことを実践しようと決めました。人々の輪の中で彼が必要であるという環境を作ることです。言葉はあまりありませんが、体が大きく力がある、そして道の記憶に長けている。そういう彼にぴったりの仕事を探す。

ありました!地域生活情報誌を車で配布員のお宅に配送する仕事です。この情報誌の担当者と話をし、彼についても詳しく知ってもらい、彼のための仕事としてこの「情報誌配送」の仕事をもらいました。この担当者は熱心に話を聞いてくれて社内の意見を調整し、仕事を回してくれたのです。しかしこの新聞、いったいどのくらいの重さになるのでしょう。この重い新聞をかれは両手で抱え、道を一発で覚える天性の才能を発揮して配送場所に走って配ります。この仕事を彼がはじめてもう8年。長年配達員をしている方々とは彼はもう長い付き合いになっています。「B君、この前○○駅の近くのレストランにいたね。お母さん美人ねぇ~」などと話しかけられます。彼はこの仕事を始めてほとんど休むことはありませんが、それでもたまに休むときは多くの方々から「B君どうしたの?」と心配の声をかけてもらいます。彼が施設の「問題児」から地域で働く社会人に成長することは、お母さんをはじめとした家族の彼の見方にも大きく影響します。そのことは家族関係にもつながってきます。毎月福沢諭吉の入った給料袋をもってくると「おつかれさん」「ありがとう」と家族に声をかけられます。

前者は彼女の生活背景作りから生活を支えてきた例、後者は彼の直接的な地域生活(仕事)からかれの生活背景を変えてきた例で、いずれもA施設リストラ組の例です。

たまたま講師として現在のA施設の方がいらっしゃたので上記の例を挙げましたが、その他数多くのケースが作業所の現場には存在します。知的、身体、精神の障害のうちいくつかを重複しているケースは施設から敬遠されてしまい、うちにやってきます。また知的障害でも「数学にはめっぽう強いが、人間関係など抽象的なものはまるでできない」というパターンは障害者手帳をもらえないケースがあり、障害者手帳がなければこれらの「施設」は利用させてもらえません。あるいは本人や家族がその「障害」を認めず、それゆえ必要な福祉サービスも受けられません。一般枠で就職を試みても全くダメで、ある人は「職員希望」として、ある人は「ボランティア希望」として、この地域福祉の門をたたくというケースもあります。こういうケースで必要なのは、まず本人と家族が「障害」を理解し受容するための関わりです。それは同時に周りの「障害者」を受け入れて仲間になり、なおかつ共通する自分の「障害」を前向きに受容して自分の人生を切り開いていく、そういう過程を準備するのです。ある人は自分の「障害」を素直に受け入れつつ、「自分の力でもう一度就職を目指したい」と訴え、障害者枠で自力で就職をつかみ、今でも頑張って働いています。またある人は、私たちが作成したプランに基づいて、障害者手帳、障害者年金を(私たちの支援で)取得し、私たちが準備した彼のスポーツなどの余暇活動での活躍の場で自信もつけて、精神的自立を目指した「生活ホーム」(障害者の共同生活)での生活を試みて、そして私たちのジョブコーチ(就職をお手伝いする人)をつけて、無事就職していきました。

こういうケースは小規模作業所というこれまでの「地域福祉」実践の場においては無数にあるのです。私たちは、こうした施設の嫌う「困難ケース」に向き合う中で、この研修でうたわれているような「障害者ケア・マネジメント」のノウハウは、体で身につけてきています。もちろん教科書にはなっていませんし、私たちは教科書を書くほど暇ではありません。(ブログ書いてんじゃねえか!って?・・・日曜日なので許してちょ!)

さて県の研修のあと、我がF市の障害福祉課に訪問。「施設から地域へ」、その要となる市の事業としての「相談支援事業」、F市はどう考えているのか?

相変わらず、これまでの「施設型福祉」の顔に、「地域福祉」の看板を持たせて並べるだけのことでした。おめでたいことです。制度が変わっても、それを担う人間の価値観が変わっていかなければ、あるいは制度の変化に対応する視野の広さを獲得しなければ、なにも変わっていきません。福祉の世界で「制度」を考えるということは、「制度」の隙間からこぼれ落ちていく人たちの対応を考えるということが実は中心的な課題となるのです。しかし我が愛する「制度」の担い手さんたちには、この隙間の存在は実に小さく見えるようです。

さてどうしよう。県全体の「福祉作業所等のあり方研究会」で真の地域福祉の担い手を束ねていくべきか、あるいはF市の現状をちょっとつついていくべきか。・・・考えての結論。私はあくまでも「地域福祉の片隅」で、愛する仲間たちとともに、この地域の地域福祉の活動に邁進しよう。それが一番スッキリする形です。楽しいし。

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2006年7月 2日 (日)

「ちょっかい」と哲学

先日、福祉作業所「かんぱす」から一般就労していった仲間が初給料の明細をもって「かんぱす」にやってきた。就職しても「かんぱす」がこづかい・所持金・通帳の本人管理の支援をしているから、その書き方などを教わりに来たのだ。

直接の支援者は私ではない。私は横にいてちょっかいをかけるだけ。「好きな子はできたか?」「かんぱすに戻ってくるか?」「給料でハンバーグおごってくれる約束はどうした?」などと、こづかい帳の相談に来た彼の邪魔をしていた。

「うるさいオッサンだなあ」という態度・・・。それがまた何か嬉しくて、しつこくちょっかいをかけてしまうんだな。すでに彼の気持ちは新しい会社の一員、私の顔色を伺う必要もなく気持ちも前に向かっている。

いろいろ悩んでしまったりある種の挫折をもってここから離れていった仲間たちにとっては「また戻りたい場所」になればいいし、彼のようにここから巣立っていった仲間たちにとっては「もう、戻りたくない場所」であればいいと思う。

もともと障害者の地域福祉なんていう仕事の究極の目標は「自分が不必要な存在になること」だ。「必要な存在」を経由して「不必要な存在」になることだ。「必要な存在」を自己目的化してしまうという過ちは、自己満足的なボランティアと仕事を区分できないことに起因する。

もう少しいう。障害者の地域福祉という仕事の本質的な存立条件は、社会そのものと、障害を持つ個人の間の矛盾にある。(もちろんこの場合、医療的福祉は除く。)地域福祉の究極目標は社会が少しずつ変わっていき、障害を持つその個人も社会適応様式など少しずつ変わっていくことを通じて、その矛盾が少しずつ解決されていくことにある。

固い? もう少し続けていい? 

したがって、地域福祉の前進とは、地域福祉の存立条件の解消への道のりである。地域福祉は地域福祉そのものの否定の方向性において、本質的には障害を持つ<個>とそれを含む<全体>との矛盾的自己同一の地平において止揚されるのだ。そしてその本質の世界においては、「障害」と称されるものの全ては「個性」へと止揚される。

障害者の地域福祉の仕事を進めていくということは、このマクロ的な展望に踏まえつつ、ミクロ的な直接的関わり、つまり1対1の関わりの実践を検証していくということだ。

例としていえばこういうこと。Aさんの○○介助(トイレや歩行や食事、作業など)ができるのは<私>を含めた数名しかいない。その限りでは自分は「必要な存在」だ。自己存在の有限性などを視野から外し、狭い世界で考えれば、<私>にとって、それはひとつの満足を生む。でもAさんの○○介助ができる人の、もっと不特定な広がりがもてればどんなにかいいだろう。

 そのためにはAさんが何を身につければいいのかな?「やってもらって当たり前」という態度は世界を狭くするよな。せめてこの部分を自分でできれば、介助者の負担はかなり減るよな。そうすれば頼むことも頼まれることも、もっと気軽になるよな。親が子離れできず、つねに監視の目を光らせているような状態では、あえて手を差し伸べたい人なんていないよな。気分の悪い介助ほどつまらない仕事はない。ということは、Aさんの精神的な親離れも必要だよな。

 または社会の側はどう変わっていけばいいのかな?まずはその<個>に対する理解が必要だよな。<個>を超えた障害そのものも知っておいてもらったほうがいいよな。「地域福祉」の立場で、地域にどうそれを伝えていけばいいかな。もちろん(いわゆる「福祉」世界の人が大好きな・・・ちょっとイヤミ)法制度上の改善も必要だよな。

 そんなことを構想しながら関わっていくということが必要であるし、マクロとミクロを行ったり来たりしながらそれを直接的な関わりの中で統一していくことが必要なのだ。

 こんな結論的なことを書いてしまって、このブログ、次に続くのだろうか?

 さて、これらの「地域福祉の哲学」は、いわゆる「福祉」の教科書にはどこにも書いてありません。逆のことはたくさん書いてありますが。だから「福祉」に関する資格は、運転免許と違ってすぐに実践的な力を持つものではありません。

いっさいは実践する力と構想する力。「構想」といっても頭でっかちになる必要はない。頭で構想するもいいし、ハートで構想するもいい、足で構想するもいい。考える部分なんてどこでもいいんだ。胃袋だっていい。キンタマだっていい。<自分>という存在のどこかで究極の姿を描き、あとはボーンと実践する力。それが必要な世界なんですよね。

 それが分からないお馬鹿さんたちへ。愛を込めて。

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2006年7月 1日 (土)

ソフトボール、ハッタリ、そして出会いの大切さについて

障害者の働く場とまりぎグループ(7つの福祉作業所)に通う仲間達と卒業生(就職した仲間など)や地域のデイケアの仲間などから構成される「とまりぎソフトボールクラブ」が千葉市の「でいさくさべ」さんから、交流試合において3年越しの「初の1勝」をあげました。

3年前、私は福祉作業所だけでなくデイサービス事業もやろうかな、という思いつきで千葉市の「でいさくさべ」さんに訪問しました。職員の方が親切にサービスメニューなどを教えてくれる中で、ちょっと気になったのが「ソフトボール」というメニュー。

「うちもたまにソフトボールやってるんですよ」と私。「じゃあ今度試合しましょう」とその方。「そうですね」・・・。

思わず口が滑ってしまった。「うちもたまにやっている」といっても、ボールをコロコロ転がして寝かせたバットに当てて、手をつないで1塁に歩くようなもの。「今度試合をしましょう」なんていうレベルではない。でも訪問先で親しみをもってこんな会話を交わし、楽しく帰ってきた。「いい勉強になったなあ」

ところがしばらくして「でいさくさべ」さんから電話。「ソフトボールの試合、いつやりましょうか?」・・・やばい!ボールコロコロがバレてしまう!・・・焦りながらもそれを隠し、日程を調整。「あの~職員もチームに入れてもいいですか?」と私「構いませんが、うちは入れませんよ」と返ってきた。ホームページで「でいさくさべ」を検索。千葉県全体の大会である「ゆうあいぴっくソフトボール選手権」でベスト4! 大変なことになってしまった。いまさら「実はコロコロボールを転がして・・・」なんて言えないよなあ。ピッチャーがボールをコロコロ転がして相手に笑われる夢まで見てしまった。

大慌てでチームを結成。グローブも足りない!左利きの私は右利き用のグラブをはめて練習。あの時は本当によく練習した。父兄に相談。「こういうことで試合をすることになってしまって・・・」。練習試合を組んでもらう。

練習を通じて、それなりに形にはなってきた。「勝てるかも!」(いま思うと恥ずかしい!)それなりに自信をもって試合に臨み、完敗。「でいさくさべ」さんからすれば、練習相手にもならなかった。でも快く「またやりましょう」といってくださる。

作業所に戻ってみんなと話し、「とまりぎソフトボールクラブ」正式に発足。毎週練習を重ねてきた。「でいさくさべ」さんは何度も練習試合をしてくれた。もちろん勝てはしなかったが、点差だけは少しずつ縮まっていった。20点差・18点差・15点差という感じで・・・。

それから2年。うちも強くなった。千葉県全体の大会「ゆうあいぴっく」ソフトボール選手権大会(2部)でもベスト4まで勝ち上がり、記録の上では「でいさくさべ」さんに追いついた。「でも勝ったことがない」・・・。

チームの何人かが「千葉県選抜チーム強化練習」に参加し、トップクラスの練習を肌で感じた。うち1名が千葉県代表選手になった。「でも、でいさくさべさんには勝ったことがない」・・・。

そして昨日、ついにその日がやってきた。お互いベストメンバーでなく、レベル的にはお互い多少落ちた試合だったが逆転逆転の攻防戦の末、Yさん(女性)の逆転満塁ホームランなどで見事勝利!(Yさんは、知的障害者女子ソフトボール投げの県大会大会記録を持っている)

試合後、向こうの選手たちから握手を求めてやってきてくれた。「おたがい、次のゆうあいぴっくで頑張ろう!」

その時ふと、あの3年前の「うちもたまにソフトボールをやってるんですよ」という私のハッタリを思い出し、その恥ずかしい感覚を思い出した。

あのハッタリがあったこと。そしてこの弱小チームにお付き合いし続けてくれた「でいさくさべ」のみなさんとの出会いがあったこと。そして何よりも選手たちがきつい練習に耐えてきてくれたこと。そしてこの日の初勝利があった。

「でいさくさべ」さんへの本当の恩返しは、今年秋の「ゆうあいぴっく」。どうか決勝まで当たらないように、祈っています。お互い決勝まではいくでしょう。決勝で当たれば、どっちが勝っても構わない。(勝ちたいけどね。)3年間の付き合いの全ての思いを、その試合に出したいと思います。

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2006年6月25日 (日)

久々

最近「ふくしねっと工房」のHPばかりいじって、ここが更新されません。ごめんなさい。HPとブログの役割分担を整理しないと。

とりあえずHPも読んでやってください。

「ふくしねっと工房」 http://www.fnetkoubou.com/

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2006年6月17日 (土)

タケちゃんとレコード針

 ぼくは小さい頃、名古屋の片田舎、まだ伊勢湾台風の傷跡が残る庄内川の川沿いの長屋に住んでいました。近所に「タケちゃん」と呼ばれる、おそらくは20代前半のお兄ちゃんが住んでいました。タケちゃんはいわゆる「知的障害者」で、近所のおばさんは「タケちゃんは馬鹿やから、よう話しとったらかんで」(あまり話をしたらいけないよ)と言っていました。でもぼくはタケちゃんが大好きでした。

 タケちゃんはよくうちに来て、小さな包みに入ったレコード針を当時まだ20代だった母と5歳のぼくにプレゼントをしてくれました。母とぼくは「ありがとう」といっていました。タケちゃんに言葉はあったかどうか覚えていませんが、いつもニコニコと包みを持ってきて、ニコニコと手を振って帰っていくのでした。だからうちにはレコード針がたくさんありました。なぜレコード針なのかはわかりません。今から言えば、あの指輪か宝石の箱のような小さな包みが、プレゼントの象徴だったのかもしれません。

 タケちゃんはまた、ぼくの大好きなアマガエルをよく捕まえてきてくれました。ぼくはそんなタケちゃんが大好きでした。

 タケちゃんにはきれいなお姉さんがいました。そしてお姉さんはある日お嫁に行くことになりました。大人同士の会話を聞いていて、なんとなく、それは大きなことなんだと当時ぼくは感じていたような記憶があります。お姉さんの結婚式、しかしタケちゃんは、「風邪をひいたから」ということで、出られないことになりました。本当に「風邪」が理由だったかどうかはわかりません。今から言えば、それは違うのではないかという気がします。とにかくタケちゃんはお姉さんの結婚式に出られなくなったのです。

 タケちゃんは、どうしても結婚式に出たかったのでしょう。お姉さんの結婚式の前の日、タケちゃんは家じゅうの風邪薬や、ありとあらゆる薬をいっぺんに全部飲んで、死んでしまいました。「タケちゃんは死んじゃったよ。だからレコードの針は、大切に使うんだよ」母親の言葉は鮮明にぼくの心に焼きつきました。

 今残っているぼくのタケちゃんの記憶が全部ぼくの記憶かどうかはわかりません。あとから母親に聞かされて、付け加えられた部分もあるでしょう。しかしタケちゃんはお姉さんの結婚式の前の日、確かに薬を全部飲んで死んでしまいました。

 昭和49年。ドラゴンズが巨人のV10を阻止して逆転優勝し、名古屋の街は大騒ぎでした。

 タケちゃんが今のぼくに教えてくれるもの、それは人間は「ありがとう」といわれると飛び上がりたくなるほどうれしくなるし、はじき出されれば本当に悲しくなるということ、それだけです。

 これがぼくの、いわゆる「障害者」という人との最初の出会いです。

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2006年6月15日 (木)

昨日の夕食

私は夕飯はご飯と納豆と決めている。我が家のルールだ。にもかかわらずその日に出てきたのは冷やし中華。私は家族のために一生懸命働いている。なのに何故冷やし中華なのか?しかも納豆はきちんと出てきている。

食後、台所をのぞくと、炊飯器のお釜の中に元気なアサリたち。そしてヤドカリも。

事態はつかめた。要はこういうことだ。その日、ある福祉作業所が潮干狩りに行くというので、「うちのカミさんと息子たちをつれてってよ!」と頼んでおいた。妻と息子たちは潮干狩りでアサリを取ってきて、とりあえず目の前にあったお釜に入れておいた。そしておそらくはそれを見ているうちに愛情が湧いてきてしまったのだろう。そして長男あたりが「食べちゃだめ!」と抗議したのだろう。息子二人の強烈なシュプレッヒコールを前に、おそらくカミさんは屈する形で、料理を断念したのだろう。しかし水槽に移すと更なる情を誘発するのでそれもできず、かといって鍋に移すわけにはいかない。どうすることもできずアサリたちはそのままお釜の中。当然亭主のご飯を炊くこともできない。そこで出てきたのが冷やし中華だ。

 蚊をたたくだけで「死んじゃうよ!」と怒り出したり、カマキリを捕まえてもキスをする2歳の長男。アリをみても「ワンワン(かわいい動物の総称のようだ)がいた~」ととろけてしまう1歳の次男。この二人を前にして、生きたままのアサリを持ち帰ること自体が妻の失敗だ。そして潮干狩りに生かせた私の失敗だ。甘んじて食べようじゃないか!この冷やし中華を。

ところでその福祉作業所の潮干狩りも、作業所職員の報告によればなかなか考えさせられるものだったようだ。最年少のK君は、アサリそっちのけでヤドカリを大量に拾う。そして帰り際に一人悩むK君。かわいいからもって帰りたい。でももって帰ったら死んじゃうからかわいそう。でもこのまま別れることはできない。立ちすくむK君に職員Mがやさしく諭す。しばらくした後、意を決したK君は、そのやさしさの全てでヤドカリたちを解放した。

K君への相談支援。ヤドカリたちへの社会復帰支援。この職員Mは、ふたつの支援を同時にやってのけた。

最近いわゆる「福祉」の世界のの人たちは、やれ補助金が出ないからこの支援はできない・やれ補助金が削られたからこの事業はできないと大騒ぎの様相だが、本当の「福祉」は金がでる・でないじゃない。・・・話を戻そう。

さて、昨夜の冷やし中華とアサリの問題から一日たって、今日私が家に帰ると妻から相談。「アサリ、みんなべろ出して、見てると可愛いねぇ」・・・(お前までも!)「もう食べられないよ」と妻。「仕方ない。お兄ちゃん(長男)と話し合って決めなさい。」と私。

その時点でお釜から水槽に移しかえられていたアサリたちの可愛さに、兄弟は大興奮。奪い合いになりお兄ちゃんのビンタも飛ぶ状況。「お兄ちゃん、アサリ食べる?海に返す?」と私が聞くと「海に返さない。でも、食べたら死んじゃうよ」と悩む長男。次男はただアサリを触りたくて、お兄ちゃんに泣きながらタックル。

悩みに悩んで「かあちゃん、明日海に返しに行こう」と長男。我が家の2日がかりのアサリ問題はようやく決着がついたようだ。

2歳の長男の心の揺れ動きとその純粋さには、胸を締めつけられるような感覚を抱く。でも福祉の現場でもそれに似た感動を数多くもらうことができる。たとえ数の上ではがっかりしたり呆れ返ることのほうが多いのだとしても、だ。

明日雨が上がるといいな。

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