2008年3月20日 (木)

必然性の洞察的探求

 他の職員の疲弊した表情の中に、自分自身のそれなりの疲労も同時に感じ取った。みんな早く帰るように指示し、私も早く帰った。そして今日はひとりで借りてきた映画のDVDを見ることにした。

 RAINという映画だった。人々の日常の、ちょっとした不幸を背負いつつ営まれていく生活の中で、歯車が狂い、それぞれの規模で人生が変わっていく、そういう人生の数々ををデジタルに刻んでいく、そんな映画だった。見終わったあと残る感情は「虚無感」、それがなんとなく心地よかった。

 思えばここ数カ月、私はこの「虚無感」と無縁の生活を送っていた。24時間という一日の時間の中で、意味のない時間を意味のない時間として受け入れ、それを消費するといったことはほとんどなかったのではないか。10分単位で私のすべての時間が意味づけられていた。利用者のための時間、書類を仕上げるための、事業を進展させるための時間。勉強のための時間、家族のための時間、そして心を休めるための時間、体を休めるため、リフレッシュのための時間。その日を忘れるための時間。「〜のため」と無縁な時間を、送ることはほとんどなかったような気がする。

 映画は虚無感に支配されていた。ブルーノートのジャズがずっと流れていた。そしてそれがすばらしかった。この映画の本当の狙いは、実はそこにあったのではないか。

 心に空白がないと、人は感受性を閉ざしてしまう。映像として、ストーリーとして、無理やり心に「空白」を作られ、そこにジャズをぶち込まれたような、そんな感覚だ。だから「人の不幸」の数々をデジタルな情報として流しているだけの映画でありながら、なんとなく心地よい感覚に陥るのだろう。

 私にだって「虚無」というにふさわしい時間の流れを送っていた過去はある。しかし当時と今では、音楽にしても絵画にしても、その感じ方が違う。当時は震えるような感性で、それらをとらえ、骨の中に染み込ませていた。今はその感覚は記憶の中にしかない。決して褒められるような生活じゃなかったけど、感受性は今よりも豊かだった。

 何が幸せか、ある意味分からなくもなってきた。でもその幸せって何か分からないくらいが、きっとちょうどいいのだろう。分かってしまった時点で、何かが終わってしまう気もする。

  とにかくゆったりした夜を迎え、ブルーノートのジャズに心を少し持って行かれた。そんな夜だった。おしまい。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月12日 (金)

衝撃

ちょっと、これどう思います?

http://muryop.com/br/?q=%E5%8F%8B%E9%87%8E%E5%89%9B%E8%A1%8C">

ついでに・・・。

http://muryop.com/br/?q=%E5%8F%8B%E9%87%8E%E5%A4%95%E5%AD%90">

妻よ、頑張って稼ぐから、あまり怒らないで(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年8月26日 (日)

ウコン最終回

ウコンネタで引っ張るのは、もうおしまい。ちゃんとした記事を書ける状況でないので、ご容赦下さい。

今日は妻の誕生日。妻はほとんど飲めないので、いつもは私一人で晩酌しておりますが、昨晩「ウコンを飲めば、朝スッキリするよ」と口説いて、コップ半分だけですけど、晩酌につき合わせました。ビール半分と私の小難しい話を聞くだけで睡魔に襲われてしまったようです。

ではまた。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年8月 4日 (土)

たとえば昨日・・・(あるいは私の差別発言について)

金曜日、いつものように早起きをしたが、この日は<早朝お仕事>をせず。実はその前の晩、千葉県障害者就労事業振興センターのOさんhttp://jusan-kassei.de-blog.jp/inosisinohana/

に「体を大事にしなさい!」とこっぴどく怒られたので、何となくセーブがかかった。

朝はまずA作業所(地域活動支援センター)の送迎から始まります。

まずヨーイチ君の迎え。夏休み、ヨーイチ一家は秋田に行くと。ヨーイチもご機嫌。あれ?でもその日みんなと富士山に登る予定じゃなかったっけ?まあいいや。

次はタカ。タカを迎えに行くと、タカのママがこういってきました。

「ネコ見つかったから、安心してって塚ちゃんに言っておいて?」…(ネコが見つかったって何のことだろう?)

実はタカの家のネコを、ビラ男君(注:塚ちゃんと呼ぶケースもあるようです)が数日前、送迎の時にマンションから逃がしてしまったとのことでした。「あの人懐っこいタカの家のネコが逃げた?」…10年生きている去勢手術済みの男性ネコ。私が行く時はおよそ逃げ出すネコには思えません。

ビラ男君は、ネコを逃がしたことを気にして、その後も「ネコ見つかりましたか?」と聞いてきたりしていたようです。

タカのママがいいました。「あのネコ、人を見るの。人を見て勝負に出るときがあるの。塚ちゃんはあのネコになめられちゃったの。隙があるってバレちゃったの。」(人を見ているのはママのほうでしょう?)

ネコにまで「隙がある」と思われたか、ビラ男よ…。でもネコを逃がして、私に報告もしないで、そして何かあったらどうするつもりだったのか!?きっと不安で夜も眠れなかったのだろう。

読者のみなさん、どうかビラ男君に「ネコ見つかったよ」ということと、「ちゃんと報告しなきゃダメだよ」ということを優しく伝えていただけませんか?

<ここでちょっとコマーシャル>

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_75fd.html
ビラ男の一生

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_2f3f.html
続・ビラ男の一生

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_7763.html
ビラ男よ!

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_0022.html
ビラ男の正体を暴く!

さて、タカの送迎が終わり、タケシ君宅へ。タケシ君ママが「昨夜はごめんなさいね。タケシがどうしても友野さんに電話しろって騒ぎ出して、暴れて手がつけられないから電話しちゃった。」

理由は分かりませんが、私とタケシママが電話をしているところを見て、彼は落ち着いて静かに寝たようです。「電話ならいつでも構いませんよ。手がつけられない時は、飛んできますから。」と私。ただし私が酔っ払う時間の前に呼び出してよ!

送迎が終わり、A作業所の朝礼が終わり、私はB作業所に向かいます。この日は一日B作業所の仕事、牛乳配達を私がユータ君・コージ君とやります。

その日の牛乳配達は大急ぎでした。それは午後C作業所(就労継続支援事業)の利用希望者の面接をすることになっていたからです。牛乳配達途中に、面接の現場に行き、その後また配達に戻りました。

配達後、時計を見るとA作業所のカタログ配布の仕事が大詰めの時間。この暑い日に一日頑張って配っているんだろうなあ…。八千代市に私が飛んでいくと、イタルさんとクニちゃんがタオルで汗をふきながら走って配っていました。私の車を見るなり「迎えに来た」と車に乗り込もうとしましたが、ちょっと曇った表情も見せます。長い付き合いなので、その表情の理由も分かります。

「あと少しでコース終わるんだよね。最後までやってもいいよ。」と私が声をかけると、二人はニコッとします。そして私もその仕事についていきます。飛ぶように配っていきます。

私のスケジュールの都合などで、途中で仕事を切り上げてもらうこともないことはありません。そんな時この二人はいつも不満そうです。自分で決めたコースを回りきらないときはスッキリしないのでしょう。その気持ちはよく分かります。この日はB作業所のユータ君とコージ君が頑張ってくれたので私に時間的余裕がありました。最後はご機嫌で車に乗り込みました。車の室温が一気に上がりました。

この仕事が終わった後、私はクニちゃんを送りながら、ついでにD作業所に行って、パソコンの修理です。インターネットが立ち上がらない状態が長く続いていたようなので、その修理に行きました。A、B、C、Dと4つの作業所を一日で回って、同じ法人のグループなのに個性がそれぞれ違うなあ、と思いながら、なんとか修理が完了。からまった毛糸の束を解くような作業でした。その作業所の職員に「修理は終わったけど、私の時給は高いよ~」と話すと、「ねえねえ、このプリンター買おうと思うんだけどどう?」と話を切り替えられ、私もそこでいろいろアドバイスをしてしまい、「時給」の話は消えてしまいました。

その後、Eホーム(生活ホーム)に所用で立ち寄ると、Mさんが外でポツンと立っています。普段なら怖くてあまり近づかないはずの私にいろいろ話しかけてきます。「今日はイライラしてどうしようもない。今Eホームの中に入ったら私、誰か殴っちゃうかもしれないから、みんなが寝るまでこうやって外にいる。自転車で電気屋さんまで走ってきたけど、今日はそれでもぜんぜんダメ。危険だからみんなに近づかない方がいい。」

「分かった。よ~し、俺を殴ってみろ。」…好きに殴らせました。ぜんぜんパンチがなっていない。しばらくパンチの指導。そして「殴りたい時に殴っていいのはA作業所の職員3人だけだ。」と話す。そしてそれから話を聞く。

イライラの原因は実に小さなこと。「とまりぎソフトボールクラブ」と交流の深い(深く付き合ってくれている)ある町会の夏祭りに「ソフトボールクラブ」が販売員として参加します。E作業所で作ったカレーやC作業所で作ったパウンドケーキなどを販売します。その送迎からMさんが外れ、自力で現地集合になったことに対して、「自分だけいつもノケモノになっている」と感じ、爆発していたのでした。

「よし、今からA作業所に一緒に行こう」とMさんに呼びかけました。A作業所に行くと掃除男とビラ男がそれぞれ仕事をしていました。男3人で小娘を囲み、いろいろ話をします。「ノケモノになっている」と感じたときに常に抑えきれない怒りを感じてしまう根拠について。幼少時代からの辛かった記憶などをいろいろ話してくれました。双子の姉妹。「なんで向こうが健常者で、私が障害者なの?」「なんで私だけがいつも…。」…周りのちょっとした言葉でずいぶん傷ついてきたことはよく分かりました。

続けて彼女はこういいました。「でも私、よく『あなたどこに障害があるの?』と言われる。この前、駅でも言われた。でも手帳を持っている。手帳を持ったときはショックだった。でもまだ自分のどこが障害者なのかは分からない。教えてくださいよ!」

「自分ではどう思っているの?」私が聞くと「漢字とか計算とかは少し苦手だけど、その程度」と。

「漢字や計算は大した問題じゃないんだよ。さっきだって、ビラ男君が小銭2万円かぞえられなかったでしょ?そこだけとったらあなたと変わらないでしょ?」と私。(ビラ男よ…。)うなづくMさん。

「今、目の前にいる私・掃除男・ビラ男の3人とあなたの決定的な違いはなんだと思う? やっぱりあなたは障害者なんだよ。」

  *ここで私の「差別発言」が飛び出した。

「我々3人は、見えないところで仲間に意地悪したり暴力振るったり、仕事のビラをまとめて溝に捨てたり、言葉のない仲間の食事を食べてしまったり、お金を取ってしまったり、そんなことはしないんだよ。そこが我々とあなたの一番大きな違いなんだよ。そしてそれがあなたの障害なんだよ。」

「我々は、そんなことをしたらどうなるかを考える力がある。相手のことを思う力もある。自分はこうありたいという気持ちも強い。だからしないし、だからできないんだよ。」「あなたはそれが平気でできてしまう。普段はいけないことと分かっているつもりだと思うけど、その瞬間に考える力がないってことでしょ?大きな違いがあるとすればそこなんじゃないの? だからあなたはやっぱり障害者なんだよ。」

「今度、弱い人に暴力を振るいたくなったり、言葉のない人から食べ物やお金を取りたくなったら『これが私の障害』と思うといいよ。」

「あなたの双子の妹は小さい時からいつも友達がたくさんいて、あなたはいつも教室の隅で一人でいたという。そしてそれが『障害』のせいだという。でも単に漢字が苦手・計算が苦手というだけで、友達ができなかったりするもんじゃない。(漢字が苦手な掃除男も、計算が苦手なビラ男もちゃんと友達はいた。)あなたが学校で後輩をぶん殴ったりクラスメートに意地悪をしていたから友達ができなかったんでしょ? そういうのが実は『障害』だったんだよ。」

「人から物を盗んだり、意地悪したりしている時、『これが私の障害で、これがいつも一人ぼっちだった理由だ』と思いながらやるといい。そう思えば、できなくなるでしょ。」

Mさんは「イライラが消えた。ホームに帰りたい」といって帰っていった。帰り際、「でも殴りたくなったらA作業所に行って3人の誰かを殴っていいんだよね」という。「うん。でも今度は掃除男かビラ男にするといいよ。」(さっきはちょっと痛かったんだぞ。)

Mさんを帰して、私は「とまりぎジョギングクラブ」の活動報告書。「とまりぎジョギングクラブ」は、県内のいろいろな市民マラソン大会に参加し、「障害者チーム」としてはある意味有名にもなりつつある。このチームは市民大会で上位にランクインされるほどの強いチームではない(YACAチャリティーランで団体2位になったのが最高)。障害者だけの大会などに参加すれば、もちろんそれなりの結果が出ることは分かっているが、私自身それにはあまり興味がない。地域に出て行くことが目的なのだから。そんな「とまりぎジョギングクラブ」の一番の持ち味は、助け合う心。うちのチームの場合、自分だけが走れればいいということではない。目が見えない仲間もいるし、伴走がいなければ騒いで飛び跳ねてしまう仲間も多い。だから自分の成績だけでなく支えあうことも大切。前回の「青葉の森リレーマラソン」ではキャプテンイタルさんと副キャプテンユータ君は、仲間たちの伴走に回った。伴走も含めて、障害を持つ仲間たちができることは全部仲間たちでやる、それがモットー。

 だから先日の練習は、チームメンバーの半分がタオルで目隠しをして、一緒に歩く・走る練習をした。目が見えない仲間の気持ちを考えることと、そういう仲間への声かけの練習。私も走りました。

 その報告を書き終えたところで、その日の仕事は終わり。

いや~長かった。仕事がじゃなくてこの記事が。

でもずいぶん更新を待たせてしまったので、もう少し書きます。

昨日はこんな一日でしたが、これはあくまでも「作業所」を軸にした一日の流れの整理でして、その間の隙間隙間に別の仕事もしておりました。

(1)市川市のX作業所の工賃向上のために、ある配達業の仕事を手配するために、ある事業所にX作業所の宣伝もしてきました。「私が推薦するんだから大丈夫ですよ」

(2)船橋市のY作業所の作業を増やすために、もともと「ビル清掃」が得意なY作業所の特長を活かし、マンションの掃除の発注のための基礎設定もしておりました。

(3)市原市のZ事業所の地域活動支援センター移行のための支援策をどうするか、千葉県障害者就労事業振興センターのセンター長と電話でやり取りをしていました。週末一緒に訪問に行きます。(Aさん、今回は友達を連れて行くよ~。)

県の「工賃倍増計画策定ワーキングチーム」や「日中活動の質的・量的充実のための検討会議」にも参加をしていますが、「工賃倍増」にしても「新事業移行支援」にしても、会議で話し合う前にこうして動いております。

ここまで書けば、2~3週間更新しなくても大丈夫でしょう。おしまい。

| | コメント (0) | トラックバック (5)

2007年7月 1日 (日)

アオムシを囲む人々

日付が変わろうとしている。それでもアオムシは頑張っている。わき腹からまたひとつ寄生蜂のマユを出した。そして体液が染み出している。おそらくこれが最後の寄生蜂のマユだろう。

長男の風歌は言った。「アオムシ、頑張ってる。だけど蝶にはもうなれない。」それ以上は語らない。慎重に言葉を選ぼうとして、そして結局選ばれた言葉はない。それが沈黙。

妻は金魚たちの世話をした後、アオムシのかごに目をやる。金魚たちはあの重い病気を乗り越えて、今日妻の判断で、やっと淡水に戻った。アオムシをしばらく眺めて、子供たちを連れて二階に上がっていった。

わたしの母が、深夜起きてきた。「アオムシ、きっと痛いんだと思う。どのくらい痛いんだろう。このまま生かせておくのがかわいそう。末期がんの人を見てきた。ただ痛いだけの状態がかわいそうな気がする。いっそのこと楽にしてあげたほうがいいんじゃないか、と思う」。そういい残して部屋に帰っていった。反論はできなかった。でも<命>って、痛いとか痛くないとか、展望があるとかないとか、そんなものの向こう側にあるような気もする。

明日からまた仕事頑張ろうと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アオムシ、ありがとう。

先週末、我が家の家族になった「トモノアオムシ」が、1週間猛烈に食べ続け、やがて虫かごの屋根によじ登り、さなぎになる準備に入ったことは、前回までのブログで書きました。長男・風歌(ふうた)やその友達のことちゃんが、とても大切にそのアオムシのさなぎの準備を眺めていました。

先日の朝、アオムシの様子がおかしい。へんな白い糸がわき腹からたくさん出てきて、アオムシは明らかに苦しんでいます。私は妻と風歌に「アオムシの病気について調べておいて」と言い残し、仕事に出ました。その日の仕事は忙しく、帰りは深夜になってしまいました。翌朝風歌に「アオムシはどうなった?」と聞きました。

「アオムシはねぇ…。食べられちゃったの。」重い口を開いて風歌が答えました。私にはまったく理解のできない答え。虫かごの中にいたのに、何で食べられちゃうの?

妻が説明してくれました。以下、妻の答えのすべてです。

アオムシは、寄生蜂(アオムシコマユバチ)に寄生されていた。この寄生蜂は、アオムシに卵を産み付けられ、幼虫となり、アオムシの体内で食い荒らし成長し、アオムシがさなぎになる準備に入った時を見計らって外に出てくる。そして出てきてすぐマユになる。およそ30匹。さなぎになるために天井で準備をしていたアオムシにその30個のマユが固まっている。すでにその蜂の30個のマユの方が、アオムシよりも大きくなっている。

トモノアオムシは、それでも生きている。食い荒らされた下半身はもう動かなくなっているが、体中に張り付いたマユから何とか逃れようと頭を動かし続けている。

アオムシは、蝶になることもさなぎになることも、もうできない。大好物のキャベツを5日間食べ続け、あんなに大きくなって、そしてさなぎになる準備に入った。しかしそれは、寄生蜂のために食べ続け、寄生蜂のために天井に登っただけだった。

「アオムシは、お腹は痛かったと思うけど、蝶になろうとして天井に登ったんだよね」と妻。「きっとそうだよね」と私。

風歌も「蝶になったらサヨナラするんだ」と語っていた。いい<サヨナラ>を待ち望んでいた。

あまりにも残酷な話だ。風歌は「腹ペコアオムシ」のアニメDVDを何度も見て、最後に蝶になる姿を繰り返し見ている。我が家のアオムシのことはもう何も言わない。

私は、寄生蜂のマユを鬼のような形相で全部壊し、アオムシを天井からキャベツの葉っぱの上に戻した。体はもう半分の大きさになってしまっている。さなぎになる準備をしていたアオムシだから、もうキャベツは食べないのかもしれない。実際食べてくれない。もちろん食べたとしても、さなぎにはなれないだろうし、そもそも食べた物が消化されてウンチになることもないだろう。

でもあんなに大好きだったキャベツの場所に、どうしても戻してあげたかった。一口でもいいから食べて欲しいな。

最後は本当に自分のために。

でも私が殺した寄生蜂のマユも、蜂の赤ちゃんです。蜂も可愛い赤ちゃんを産むために、卵を産みつけたのです。そう考えると、何がなんだか分からなくなってきた。妻もこういいました。

「自然は恐いね。でも私たちが生きていることだって、このアオムシと寄生蜂の関係とあまり変わらないんだよね。いろんな命の犠牲の上で生きてるんだよね。」

「そうだね」と私。

今、このブログを書いている途中、下に降りてアオムシを見に玄関に行った。そこには妻がいた。お互い顔を見合わせ、ちょっと哀しく笑った。アオムシはまだ生きている。

アオムシ、ありがとう。今度生まれてきたら、きれいなモンシロチョウになってね。

そして寄生蜂のマユたち、ごめんなさい。あなたたちを殺すことはなかったかもしれません。

B0025008_22102251 これがアオムシと寄生蜂の写真です。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年6月29日 (金)

アオムシのその後

今日、仕事から戻ると、「おかえりなさ~い」の数がいつもより多い。ことちゃんとのんちゃんがまた遊びに来ていた。お母さん頑張りすぎてない?

そして虫かごに目をやると、アオムシがいない。長男が「アオムシはねぇ。さなぎになる準備をしているの」。ことちゃんも続けて言います。「上のほうにいるよ。さなぎになるときに動かすと、死んじゃうんだよ。だから動かしちゃダメだよ」…「分かった。」

さなぎになったら、次は本当に蝶になります。蝶になったらサヨナラをしなければなりません。長男にそのことを話すと、意外にも納得していました。以前なら「絶対にサヨナラしない!」と駄々をこねるところなのに。

私の会社の方は、また仕事がドーンと入りました。県内の各福祉施設に発注する仕事です。今回もまた儲けはとりません。かなり率のいい仕事です。どこにどれだけ回すか、とても頭の痛い問題です。たくさんの作業所・施設から「仕事をくれ」といわれておりまして、そのすべてに応えられないのが心苦しいです。

昨日は県庁で会議。「行政としての(作業所の)立ち上げ支援のあり方について」という内容。ん~難しい。行政の仕事を民間がやるということは、意外とスムーズな場合が多い。しかし本来民間の仕事を行政がやるとなると、これが結構難しいというか、…疑問符がたくさんついてくる。

やはり地域福祉は、地域に根っこをはるその力強さこそか定着・安定する鍵です。あえて手を差し伸べてはいけない領域があるようにも思えます。

養殖は天然には勝てない。

会議のあとは、酒の席。いろんな話が聞けました。今日、このブログを開いた人の中には、「自分のことが書かれているんじゃないか」とヒヤヒヤしながら開いた人もいるのではないかと思います。

大丈夫です。しかし9月が楽しみです。船橋が変わるかも?

こんなことを書いている間に時間は刻々と過ぎていきます。明日は午前中職員会議のあと、午後講演を頼まれています。講演と質疑応答で3時間をどう費やすか。まだ何も考えていません。貴重な週末に聞きに来てもらうのだから、参加者一人一人に「来てよかった」と思ってもらいたいのですが、何を話せばそうなるのか、まだ見当がつきません。このまま何も準備をしないで行ったほうがいいかもしれないという気にもなってきました。(逃げかな?)

今日は一日牛乳配達をしました。10年前からのお客様、笑顔はぜんぜん変わらないのだけれど、そのおばあちゃんがずいぶん小さくなってきたように思います。これからもずっとその笑顔でいてもらいたいです。

講演準備は、もう諦めた!

ごめんなさい!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月26日 (土)

僕の骨

前回の記事、タイトルをつけるのに苦労したもんだから「汚れつちまつた悲しみに」なんていうタイトルにした。長男・風歌(3歳)がなんとなく口にした詩のタイトルを、そのままつけた。

今日の朝、4時半に目が覚めてしまった。今日はいつもより出勤時間が遅いため、もう少し寝られるのならば寝ていたい、、、そう思いながら携帯を見ると、メールが来ていた。その詩の先が送られてきた。

    

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も小雪の降りかかる

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も風さへ吹きすぎる

 私も神経や感性がとんがっていた10代~20代の頃、この中原中也の詩を好んで読んでいたが、今では記憶の中でしか読むことがなかった。

 なんとなく気になって本棚の奥のほうに眠っている(「眠っている」こと自体ある意味うらやましい)中也の詩集を引っ張り出して読んでみた。

 詩を読むとき、あまりその人の年譜なり時代背景なりを探るのは元来好きではない。<感じる>と<評論する>は違うからだ。

 早朝から吸い込まれるように読んでいて、ふと気がついた。「20代前半の頃と感じ方が違うな」。

 「ホラホラ、これが僕の骨だ、

 生きていた時の苦労にみちた

 あのけがらわしい肉を破って・・・」

 「おもえば今年の5月には お前を抱いて動物園

 象を見ても猫(にゃあ)といい 鳥を見せても猫(にゃあ)だった

 最後に見せた鹿だけは 角によっぽど惹かれてか

 何とも云わず 眺めてた」

 中也は、長男を2歳で亡くしている。「感性の詩人」「感性の天才」などと言われているし、私もそう思って読んでいたが、そんなレッテル張りはだめだ。どんなに悲しかっただろう。

 また、不思議な詩の意味も分かった。

 「かなしい心に夜が明けた、

  うれしい心に夜が明けた、

  いやいやこれはどうしたというのだ?

  さてもかなしい夜の明けだ!」

 なんで「かなしい」のに「うれしい」のかが分からなかった。「これはどうしたことか?」・・・「かなしい」と「うれしい」が混じりあっていることこそが「かなしい夜の明け」なんだなあ。

 かなしさに徹しきれず、うれしさも首をもたげる。うれしさ自体何ら悪いことではない。でもうれしさが悪いことに感じてしまう。それはなぜ?

 中也は混沌とした心情を、混沌と書き綴っている。「感性の天才」だなんだっていわれているけど、この混沌とした感性は、「天才」だから感じるものではない。それをそのまま表現できたことこそが「天才」なのだろうが。

 中原中也の最愛の長男・文也が2歳にして亡くなったのが、1936年1月10日。そして次男・愛雅が産まれたのがその5日後の1月15日。

 いったい、なんてことだ!

 それから「亡き児 文也の霊に捧ぐ」とついた「在りし日の歌」という詩集を書きためた中也。しかしその翌年の1937年結核のため亡くなる。(「在りし日の歌」刊行。)

 さらに翌年の1938年、次男の愛雅が亡くなる。

 70年前のお話です。

 うちの2歳の心歌(こうた)も、2歳の文也と同じようにトラを見てもクマを見ても「ミヤ」(うちの猫の名前)と呼ぶ。変わっちゃいないんですね。赤ちゃんは。そしてそれを愛おしむ親の気持ちも。

 自分の「骨」を冷めた目で眺める中也。その向こうにある愛おしいものへの気持ち。

 20代前半までの頃と読み方が変わったのは、「感性」なり「表現」を実体から切り離してとらえるのはイミテーショナルだということ。香水と同じで実体がないものはそれまででしかないということ。(ん~表現が下手だな!)

 とにかくメールありがとうございます。仕事に行く時間です。

今日は法人の総会。そーかい、そーかい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月20日 (日)

スポ根とまりぎ!

みなさん、スポ根してますか?

私はこれまで、いろいろ偉そうなことばかり書いてきましたが、ほとんどがインチキでありまして、本当は単なるスポ根親父です。

さて、今日は「青葉の森リレーマラソン大会」です。千葉市中央区青葉の森で(4人~)10人が1チームを編成し、駅伝形式で42.195km走りきります。もちろん一般の市民大会ですが、我が「とまりぎジョギングクラブ」の障害者チームも大威張りで参加します。

我がチームの10名は、全盲だったり言葉がなかったり、伴走がいなければどこまでも飛んでいってしまうタイプだったりといろいろなハンディがありますが、いつもどおり勝つ気で参加します。

おととい、大会運営委員長様より私の携帯に電話。「選手宣誓を頼みたい」と。快諾。もちろん私じゃないですよ。女性ランナーのIさんがやります。

「とまりぎ」の障害者スポ根の特徴は、①我々は徹底して裏方に回ること。②いわゆる一般の障害者スポーツ、障害者レクと違って、障害者のみで囲わずに一般の中にドシドシ入っていくこと。

「徹底した裏方」と言いましたが、例えば今回のリレーマラソンの伴走者(一人では走れない人の伴走)も障害を持つ仲間たちがやります。キャプテンと副キャプテンが伴走です。

「一般の中に入っていく」といいましたが、確かに「ゆうあいピック」などのソフトボールの障害者大会に参加はします(前年度2部優勝)が、それが目的ではありません。地域の一般ソフトボールチーム、町会・クラブチームとの交流が目的です。試合相手はたくさんいらっしゃいます。いや、もっと先の目的は、うちのチームの選手が、地域のチームの中に入っていくことです。

実際本日、うちのソフトボールクラブの女性キャプテンのYさんは、地域の婦人ソフトボールチームの一員として、ソフトボール大会に参加します。チームの一人一人は、ソフトボールの交流を通じて、たくさんの地域の方々から名前を覚えられています。

先週も東葛地域のソフトボール大会(障害者大会)がありました。準優勝しましたが、決勝で特別支援学校のチームに惨敗しました。

負けた瞬間、来年は雇用型の事業を行おうと思いました。あの優秀な生徒さんたちをスカウトするためです(笑)。

さあ、そろそろリレーマラソンへの出発の時間。

このブログでスポ根関係の記事を集めてみました。新しい読者の方々はどうぞ。では行ってきます。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_7ead.html
ソフトボール、ハッタリ、そして出会いの大切さについて

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_7ffb.html
おかげさまで優勝しました

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_3a3c.html
ゆうあいピックソフトボール選手権で優勝!

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_ac92.html
私はどうしても許せなかった。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/51_60c0.html
第51回成人の日記念船橋市民駅伝大会

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_4724.html
船橋市民駅伝速報

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年4月23日 (月)

琥珀色の、薄暗い山の中で、死んだはずの親父に会い、会話をした夢。親父は私より若い頃の親父だった。親父が自分より若いにもかかわらず、甘えた口調で話す自分に違和感を感じながら、あたりに立ち込める霧の流れる方向を確かめていた。あとは雰囲気しか覚えていない。どんな夢だっけ?

どんよりとした雰囲気と静寂さとなつかしさ。その感覚だけが残った朝。この感覚が一日体内に残ってくれれば、胃がキリキリすることもピリピリすることもなく、一日仕事ができるんだけどな。仕事のペースは多少落ちても。せめて月曜日くらいはそんな一日になってくれれば、と思う。

そんな感覚は、きっと簡単に壊されちまうんだろうけど。あいつらの気合と鼻息で。

| | コメント (1) | トラックバック (0)