2008年3月20日 (木)

必然性の洞察的探求

 他の職員の疲弊した表情の中に、自分自身のそれなりの疲労も同時に感じ取った。みんな早く帰るように指示し、私も早く帰った。そして今日はひとりで借りてきた映画のDVDを見ることにした。

 RAINという映画だった。人々の日常の、ちょっとした不幸を背負いつつ営まれていく生活の中で、歯車が狂い、それぞれの規模で人生が変わっていく、そういう人生の数々ををデジタルに刻んでいく、そんな映画だった。見終わったあと残る感情は「虚無感」、それがなんとなく心地よかった。

 思えばここ数カ月、私はこの「虚無感」と無縁の生活を送っていた。24時間という一日の時間の中で、意味のない時間を意味のない時間として受け入れ、それを消費するといったことはほとんどなかったのではないか。10分単位で私のすべての時間が意味づけられていた。利用者のための時間、書類を仕上げるための、事業を進展させるための時間。勉強のための時間、家族のための時間、そして心を休めるための時間、体を休めるため、リフレッシュのための時間。その日を忘れるための時間。「〜のため」と無縁な時間を、送ることはほとんどなかったような気がする。

 映画は虚無感に支配されていた。ブルーノートのジャズがずっと流れていた。そしてそれがすばらしかった。この映画の本当の狙いは、実はそこにあったのではないか。

 心に空白がないと、人は感受性を閉ざしてしまう。映像として、ストーリーとして、無理やり心に「空白」を作られ、そこにジャズをぶち込まれたような、そんな感覚だ。だから「人の不幸」の数々をデジタルな情報として流しているだけの映画でありながら、なんとなく心地よい感覚に陥るのだろう。

 私にだって「虚無」というにふさわしい時間の流れを送っていた過去はある。しかし当時と今では、音楽にしても絵画にしても、その感じ方が違う。当時は震えるような感性で、それらをとらえ、骨の中に染み込ませていた。今はその感覚は記憶の中にしかない。決して褒められるような生活じゃなかったけど、感受性は今よりも豊かだった。

 何が幸せか、ある意味分からなくもなってきた。でもその幸せって何か分からないくらいが、きっとちょうどいいのだろう。分かってしまった時点で、何かが終わってしまう気もする。

  とにかくゆったりした夜を迎え、ブルーノートのジャズに心を少し持って行かれた。そんな夜だった。おしまい。

 

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2007年10月12日 (金)

衝撃

ちょっと、これどう思います?

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ついでに・・・。

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妻よ、頑張って稼ぐから、あまり怒らないで(笑)

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2007年8月26日 (日)

ウコン最終回

ウコンネタで引っ張るのは、もうおしまい。ちゃんとした記事を書ける状況でないので、ご容赦下さい。

今日は妻の誕生日。妻はほとんど飲めないので、いつもは私一人で晩酌しておりますが、昨晩「ウコンを飲めば、朝スッキリするよ」と口説いて、コップ半分だけですけど、晩酌につき合わせました。ビール半分と私の小難しい話を聞くだけで睡魔に襲われてしまったようです。

ではまた。

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2007年8月 4日 (土)

たとえば昨日・・・(あるいは私の差別発言について)

金曜日、いつものように早起きをしたが、この日は<早朝お仕事>をせず。実はその前の晩、千葉県障害者就労事業振興センターのOさんhttp://jusan-kassei.de-blog.jp/inosisinohana/

に「体を大事にしなさい!」とこっぴどく怒られたので、何となくセーブがかかった。

朝はまずA作業所(地域活動支援センター)の送迎から始まります。

まずヨーイチ君の迎え。夏休み、ヨーイチ一家は秋田に行くと。ヨーイチもご機嫌。あれ?でもその日みんなと富士山に登る予定じゃなかったっけ?まあいいや。

次はタカ。タカを迎えに行くと、タカのママがこういってきました。

「ネコ見つかったから、安心してって塚ちゃんに言っておいて?」…(ネコが見つかったって何のことだろう?)

実はタカの家のネコを、ビラ男君(注:塚ちゃんと呼ぶケースもあるようです)が数日前、送迎の時にマンションから逃がしてしまったとのことでした。「あの人懐っこいタカの家のネコが逃げた?」…10年生きている去勢手術済みの男性ネコ。私が行く時はおよそ逃げ出すネコには思えません。

ビラ男君は、ネコを逃がしたことを気にして、その後も「ネコ見つかりましたか?」と聞いてきたりしていたようです。

タカのママがいいました。「あのネコ、人を見るの。人を見て勝負に出るときがあるの。塚ちゃんはあのネコになめられちゃったの。隙があるってバレちゃったの。」(人を見ているのはママのほうでしょう?)

ネコにまで「隙がある」と思われたか、ビラ男よ…。でもネコを逃がして、私に報告もしないで、そして何かあったらどうするつもりだったのか!?きっと不安で夜も眠れなかったのだろう。

読者のみなさん、どうかビラ男君に「ネコ見つかったよ」ということと、「ちゃんと報告しなきゃダメだよ」ということを優しく伝えていただけませんか?

<ここでちょっとコマーシャル>

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_75fd.html
ビラ男の一生

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_2f3f.html
続・ビラ男の一生

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_7763.html
ビラ男よ!

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_0022.html
ビラ男の正体を暴く!

さて、タカの送迎が終わり、タケシ君宅へ。タケシ君ママが「昨夜はごめんなさいね。タケシがどうしても友野さんに電話しろって騒ぎ出して、暴れて手がつけられないから電話しちゃった。」

理由は分かりませんが、私とタケシママが電話をしているところを見て、彼は落ち着いて静かに寝たようです。「電話ならいつでも構いませんよ。手がつけられない時は、飛んできますから。」と私。ただし私が酔っ払う時間の前に呼び出してよ!

送迎が終わり、A作業所の朝礼が終わり、私はB作業所に向かいます。この日は一日B作業所の仕事、牛乳配達を私がユータ君・コージ君とやります。

その日の牛乳配達は大急ぎでした。それは午後C作業所(就労継続支援事業)の利用希望者の面接をすることになっていたからです。牛乳配達途中に、面接の現場に行き、その後また配達に戻りました。

配達後、時計を見るとA作業所のカタログ配布の仕事が大詰めの時間。この暑い日に一日頑張って配っているんだろうなあ…。八千代市に私が飛んでいくと、イタルさんとクニちゃんがタオルで汗をふきながら走って配っていました。私の車を見るなり「迎えに来た」と車に乗り込もうとしましたが、ちょっと曇った表情も見せます。長い付き合いなので、その表情の理由も分かります。

「あと少しでコース終わるんだよね。最後までやってもいいよ。」と私が声をかけると、二人はニコッとします。そして私もその仕事についていきます。飛ぶように配っていきます。

私のスケジュールの都合などで、途中で仕事を切り上げてもらうこともないことはありません。そんな時この二人はいつも不満そうです。自分で決めたコースを回りきらないときはスッキリしないのでしょう。その気持ちはよく分かります。この日はB作業所のユータ君とコージ君が頑張ってくれたので私に時間的余裕がありました。最後はご機嫌で車に乗り込みました。車の室温が一気に上がりました。

この仕事が終わった後、私はクニちゃんを送りながら、ついでにD作業所に行って、パソコンの修理です。インターネットが立ち上がらない状態が長く続いていたようなので、その修理に行きました。A、B、C、Dと4つの作業所を一日で回って、同じ法人のグループなのに個性がそれぞれ違うなあ、と思いながら、なんとか修理が完了。からまった毛糸の束を解くような作業でした。その作業所の職員に「修理は終わったけど、私の時給は高いよ~」と話すと、「ねえねえ、このプリンター買おうと思うんだけどどう?」と話を切り替えられ、私もそこでいろいろアドバイスをしてしまい、「時給」の話は消えてしまいました。

その後、Eホーム(生活ホーム)に所用で立ち寄ると、Mさんが外でポツンと立っています。普段なら怖くてあまり近づかないはずの私にいろいろ話しかけてきます。「今日はイライラしてどうしようもない。今Eホームの中に入ったら私、誰か殴っちゃうかもしれないから、みんなが寝るまでこうやって外にいる。自転車で電気屋さんまで走ってきたけど、今日はそれでもぜんぜんダメ。危険だからみんなに近づかない方がいい。」

「分かった。よ~し、俺を殴ってみろ。」…好きに殴らせました。ぜんぜんパンチがなっていない。しばらくパンチの指導。そして「殴りたい時に殴っていいのはA作業所の職員3人だけだ。」と話す。そしてそれから話を聞く。

イライラの原因は実に小さなこと。「とまりぎソフトボールクラブ」と交流の深い(深く付き合ってくれている)ある町会の夏祭りに「ソフトボールクラブ」が販売員として参加します。E作業所で作ったカレーやC作業所で作ったパウンドケーキなどを販売します。その送迎からMさんが外れ、自力で現地集合になったことに対して、「自分だけいつもノケモノになっている」と感じ、爆発していたのでした。

「よし、今からA作業所に一緒に行こう」とMさんに呼びかけました。A作業所に行くと掃除男とビラ男がそれぞれ仕事をしていました。男3人で小娘を囲み、いろいろ話をします。「ノケモノになっている」と感じたときに常に抑えきれない怒りを感じてしまう根拠について。幼少時代からの辛かった記憶などをいろいろ話してくれました。双子の姉妹。「なんで向こうが健常者で、私が障害者なの?」「なんで私だけがいつも…。」…周りのちょっとした言葉でずいぶん傷ついてきたことはよく分かりました。

続けて彼女はこういいました。「でも私、よく『あなたどこに障害があるの?』と言われる。この前、駅でも言われた。でも手帳を持っている。手帳を持ったときはショックだった。でもまだ自分のどこが障害者なのかは分からない。教えてくださいよ!」

「自分ではどう思っているの?」私が聞くと「漢字とか計算とかは少し苦手だけど、その程度」と。

「漢字や計算は大した問題じゃないんだよ。さっきだって、ビラ男君が小銭2万円かぞえられなかったでしょ?そこだけとったらあなたと変わらないでしょ?」と私。(ビラ男よ…。)うなづくMさん。

「今、目の前にいる私・掃除男・ビラ男の3人とあなたの決定的な違いはなんだと思う? やっぱりあなたは障害者なんだよ。」

  *ここで私の「差別発言」が飛び出した。

「我々3人は、見えないところで仲間に意地悪したり暴力振るったり、仕事のビラをまとめて溝に捨てたり、言葉のない仲間の食事を食べてしまったり、お金を取ってしまったり、そんなことはしないんだよ。そこが我々とあなたの一番大きな違いなんだよ。そしてそれがあなたの障害なんだよ。」

「我々は、そんなことをしたらどうなるかを考える力がある。相手のことを思う力もある。自分はこうありたいという気持ちも強い。だからしないし、だからできないんだよ。」「あなたはそれが平気でできてしまう。普段はいけないことと分かっているつもりだと思うけど、その瞬間に考える力がないってことでしょ?大きな違いがあるとすればそこなんじゃないの? だからあなたはやっぱり障害者なんだよ。」

「今度、弱い人に暴力を振るいたくなったり、言葉のない人から食べ物やお金を取りたくなったら『これが私の障害』と思うといいよ。」

「あなたの双子の妹は小さい時からいつも友達がたくさんいて、あなたはいつも教室の隅で一人でいたという。そしてそれが『障害』のせいだという。でも単に漢字が苦手・計算が苦手というだけで、友達ができなかったりするもんじゃない。(漢字が苦手な掃除男も、計算が苦手なビラ男もちゃんと友達はいた。)あなたが学校で後輩をぶん殴ったりクラスメートに意地悪をしていたから友達ができなかったんでしょ? そういうのが実は『障害』だったんだよ。」

「人から物を盗んだり、意地悪したりしている時、『これが私の障害で、これがいつも一人ぼっちだった理由だ』と思いながらやるといい。そう思えば、できなくなるでしょ。」

Mさんは「イライラが消えた。ホームに帰りたい」といって帰っていった。帰り際、「でも殴りたくなったらA作業所に行って3人の誰かを殴っていいんだよね」という。「うん。でも今度は掃除男かビラ男にするといいよ。」(さっきはちょっと痛かったんだぞ。)

Mさんを帰して、私は「とまりぎジョギングクラブ」の活動報告書。「とまりぎジョギングクラブ」は、県内のいろいろな市民マラソン大会に参加し、「障害者チーム」としてはある意味有名にもなりつつある。このチームは市民大会で上位にランクインされるほどの強いチームではない(YACAチャリティーランで団体2位になったのが最高)。障害者だけの大会などに参加すれば、もちろんそれなりの結果が出ることは分かっているが、私自身それにはあまり興味がない。地域に出て行くことが目的なのだから。そんな「とまりぎジョギングクラブ」の一番の持ち味は、助け合う心。うちのチームの場合、自分だけが走れればいいということではない。目が見えない仲間もいるし、伴走がいなければ騒いで飛び跳ねてしまう仲間も多い。だから自分の成績だけでなく支えあうことも大切。前回の「青葉の森リレーマラソン」ではキャプテンイタルさんと副キャプテンユータ君は、仲間たちの伴走に回った。伴走も含めて、障害を持つ仲間たちができることは全部仲間たちでやる、それがモットー。

 だから先日の練習は、チームメンバーの半分がタオルで目隠しをして、一緒に歩く・走る練習をした。目が見えない仲間の気持ちを考えることと、そういう仲間への声かけの練習。私も走りました。

 その報告を書き終えたところで、その日の仕事は終わり。

いや~長かった。仕事がじゃなくてこの記事が。

でもずいぶん更新を待たせてしまったので、もう少し書きます。

昨日はこんな一日でしたが、これはあくまでも「作業所」を軸にした一日の流れの整理でして、その間の隙間隙間に別の仕事もしておりました。

(1)市川市のX作業所の工賃向上のために、ある配達業の仕事を手配するために、ある事業所にX作業所の宣伝もしてきました。「私が推薦するんだから大丈夫ですよ」

(2)船橋市のY作業所の作業を増やすために、もともと「ビル清掃」が得意なY作業所の特長を活かし、マンションの掃除の発注のための基礎設定もしておりました。

(3)市原市のZ事業所の地域活動支援センター移行のための支援策をどうするか、千葉県障害者就労事業振興センターのセンター長と電話でやり取りをしていました。週末一緒に訪問に行きます。(Aさん、今回は友達を連れて行くよ~。)

県の「工賃倍増計画策定ワーキングチーム」や「日中活動の質的・量的充実のための検討会議」にも参加をしていますが、「工賃倍増」にしても「新事業移行支援」にしても、会議で話し合う前にこうして動いております。

ここまで書けば、2~3週間更新しなくても大丈夫でしょう。おしまい。

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2007年7月 1日 (日)

アオムシを囲む人々

日付が変わろうとしている。それでもアオムシは頑張っている。わき腹からまたひとつ寄生蜂のマユを出した。そして体液が染み出している。おそらくこれが最後の寄生蜂のマユだろう。

長男の風歌は言った。「アオムシ、頑張ってる。だけど蝶にはもうなれない。」それ以上は語らない。慎重に言葉を選ぼうとして、そして結局選ばれた言葉はない。それが沈黙。

妻は金魚たちの世話をした後、アオムシのかごに目をやる。金魚たちはあの重い病気を乗り越えて、今日妻の判断で、やっと淡水に戻った。アオムシをしばらく眺めて、子供たちを連れて二階に上がっていった。

わたしの母が、深夜起きてきた。「アオムシ、きっと痛いんだと思う。どのくらい痛いんだろう。このまま生かせておくのがかわいそう。末期がんの人を見てきた。ただ痛いだけの状態がかわいそうな気がする。いっそのこと楽にしてあげたほうがいいんじゃないか、と思う」。そういい残して部屋に帰っていった。反論はできなかった。でも<命>って、痛いとか痛くないとか、展望があるとかないとか、そんなものの向こう側にあるような気もする。

明日からまた仕事頑張ろうと思う。

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アオムシ、ありがとう。

先週末、我が家の家族になった「トモノアオムシ」が、1週間猛烈に食べ続け、やがて虫かごの屋根によじ登り、さなぎになる準備に入ったことは、前回までのブログで書きました。長男・風歌(ふうた)やその友達のことちゃんが、とても大切にそのアオムシのさなぎの準備を眺めていました。

先日の朝、アオムシの様子がおかしい。へんな白い糸がわき腹からたくさん出てきて、アオムシは明らかに苦しんでいます。私は妻と風歌に「アオムシの病気について調べておいて」と言い残し、仕事に出ました。その日の仕事は忙しく、帰りは深夜になってしまいました。翌朝風歌に「アオムシはどうなった?」と聞きました。

「アオムシはねぇ…。食べられちゃったの。」重い口を開いて風歌が答えました。私にはまったく理解のできない答え。虫かごの中にいたのに、何で食べられちゃうの?

妻が説明してくれました。以下、妻の答えのすべてです。

アオムシは、寄生蜂(アオムシコマユバチ)に寄生されていた。この寄生蜂は、アオムシに卵を産み付けられ、幼虫となり、アオムシの体内で食い荒らし成長し、アオムシがさなぎになる準備に入った時を見計らって外に出てくる。そして出てきてすぐマユになる。およそ30匹。さなぎになるために天井で準備をしていたアオムシにその30個のマユが固まっている。すでにその蜂の30個のマユの方が、アオムシよりも大きくなっている。

トモノアオムシは、それでも生きている。食い荒らされた下半身はもう動かなくなっているが、体中に張り付いたマユから何とか逃れようと頭を動かし続けている。

アオムシは、蝶になることもさなぎになることも、もうできない。大好物のキャベツを5日間食べ続け、あんなに大きくなって、そしてさなぎになる準備に入った。しかしそれは、寄生蜂のために食べ続け、寄生蜂のために天井に登っただけだった。

「アオムシは、お腹は痛かったと思うけど、蝶になろうとして天井に登ったんだよね」と妻。「きっとそうだよね」と私。

風歌も「蝶になったらサヨナラするんだ」と語っていた。いい<サヨナラ>を待ち望んでいた。

あまりにも残酷な話だ。風歌は「腹ペコアオムシ」のアニメDVDを何度も見て、最後に蝶になる姿を繰り返し見ている。我が家のアオムシのことはもう何も言わない。

私は、寄生蜂のマユを鬼のような形相で全部壊し、アオムシを天井からキャベツの葉っぱの上に戻した。体はもう半分の大きさになってしまっている。さなぎになる準備をしていたアオムシだから、もうキャベツは食べないのかもしれない。実際食べてくれない。もちろん食べたとしても、さなぎにはなれないだろうし、そもそも食べた物が消化されてウンチになることもないだろう。

でもあんなに大好きだったキャベツの場所に、どうしても戻してあげたかった。一口でもいいから食べて欲しいな。

最後は本当に自分のために。

でも私が殺した寄生蜂のマユも、蜂の赤ちゃんです。蜂も可愛い赤ちゃんを産むために、卵を産みつけたのです。そう考えると、何がなんだか分からなくなってきた。妻もこういいました。

「自然は恐いね。でも私たちが生きていることだって、このアオムシと寄生蜂の関係とあまり変わらないんだよね。いろんな命の犠牲の上で生きてるんだよね。」

「そうだね」と私。

今、このブログを書いている途中、下に降りてアオムシを見に玄関に行った。そこには妻がいた。お互い顔を見合わせ、ちょっと哀しく笑った。アオムシはまだ生きている。

アオムシ、ありがとう。今度生まれてきたら、きれいなモンシロチョウになってね。

そして寄生蜂のマユたち、ごめんなさい。あなたたちを殺すことはなかったかもしれません。

B0025008_22102251 これがアオムシと寄生蜂の写真です。

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2007年6月29日 (金)

アオムシのその後

今日、仕事から戻ると、「おかえりなさ~い」の数がいつもより多い。ことちゃんとのんちゃんがまた遊びに来ていた。お母さん頑張りすぎてない?

そして虫かごに目をやると、アオムシがいない。長男が「アオムシはねぇ。さなぎになる準備をしているの」。ことちゃんも続けて言います。「上のほうにいるよ。さなぎになるときに動かすと、死んじゃうんだよ。だから動かしちゃダメだよ」…「分かった。」

さなぎになったら、次は本当に蝶になります。蝶になったらサヨナラをしなければなりません。長男にそのことを話すと、意外にも納得していました。以前なら「絶対にサヨナラしない!」と駄々をこねるところなのに。

私の会社の方は、また仕事がドーンと入りました。県内の各福祉施設に発注する仕事です。今回もまた儲けはとりません。かなり率のいい仕事です。どこにどれだけ回すか、とても頭の痛い問題です。たくさんの作業所・施設から「仕事をくれ」といわれておりまして、そのすべてに応えられないのが心苦しいです。

昨日は県庁で会議。「行政としての(作業所の)立ち上げ支援のあり方について」という内容。ん~難しい。行政の仕事を民間がやるということは、意外とスムーズな場合が多い。しかし本来民間の仕事を行政がやるとなると、これが結構難しいというか、…疑問符がたくさんついてくる。

やはり地域福祉は、地域に根っこをはるその力強さこそか定着・安定する鍵です。あえて手を差し伸べてはいけない領域があるようにも思えます。

養殖は天然には勝てない。

会議のあとは、酒の席。いろんな話が聞けました。今日、このブログを開いた人の中には、「自分のことが書かれているんじゃないか」とヒヤヒヤしながら開いた人もいるのではないかと思います。

大丈夫です。しかし9月が楽しみです。船橋が変わるかも?

こんなことを書いている間に時間は刻々と過ぎていきます。明日は午前中職員会議のあと、午後講演を頼まれています。講演と質疑応答で3時間をどう費やすか。まだ何も考えていません。貴重な週末に聞きに来てもらうのだから、参加者一人一人に「来てよかった」と思ってもらいたいのですが、何を話せばそうなるのか、まだ見当がつきません。このまま何も準備をしないで行ったほうがいいかもしれないという気にもなってきました。(逃げかな?)

今日は一日牛乳配達をしました。10年前からのお客様、笑顔はぜんぜん変わらないのだけれど、そのおばあちゃんがずいぶん小さくなってきたように思います。これからもずっとその笑顔でいてもらいたいです。

講演準備は、もう諦めた!

ごめんなさい!

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2007年5月26日 (土)

僕の骨

前回の記事、タイトルをつけるのに苦労したもんだから「汚れつちまつた悲しみに」なんていうタイトルにした。長男・風歌(3歳)がなんとなく口にした詩のタイトルを、そのままつけた。

今日の朝、4時半に目が覚めてしまった。今日はいつもより出勤時間が遅いため、もう少し寝られるのならば寝ていたい、、、そう思いながら携帯を見ると、メールが来ていた。その詩の先が送られてきた。

    

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も小雪の降りかかる

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も風さへ吹きすぎる

 私も神経や感性がとんがっていた10代~20代の頃、この中原中也の詩を好んで読んでいたが、今では記憶の中でしか読むことがなかった。

 なんとなく気になって本棚の奥のほうに眠っている(「眠っている」こと自体ある意味うらやましい)中也の詩集を引っ張り出して読んでみた。

 詩を読むとき、あまりその人の年譜なり時代背景なりを探るのは元来好きではない。<感じる>と<評論する>は違うからだ。

 早朝から吸い込まれるように読んでいて、ふと気がついた。「20代前半の頃と感じ方が違うな」。

 「ホラホラ、これが僕の骨だ、

 生きていた時の苦労にみちた

 あのけがらわしい肉を破って・・・」

 「おもえば今年の5月には お前を抱いて動物園

 象を見ても猫(にゃあ)といい 鳥を見せても猫(にゃあ)だった

 最後に見せた鹿だけは 角によっぽど惹かれてか

 何とも云わず 眺めてた」

 中也は、長男を2歳で亡くしている。「感性の詩人」「感性の天才」などと言われているし、私もそう思って読んでいたが、そんなレッテル張りはだめだ。どんなに悲しかっただろう。

 また、不思議な詩の意味も分かった。

 「かなしい心に夜が明けた、

  うれしい心に夜が明けた、

  いやいやこれはどうしたというのだ?

  さてもかなしい夜の明けだ!」

 なんで「かなしい」のに「うれしい」のかが分からなかった。「これはどうしたことか?」・・・「かなしい」と「うれしい」が混じりあっていることこそが「かなしい夜の明け」なんだなあ。

 かなしさに徹しきれず、うれしさも首をもたげる。うれしさ自体何ら悪いことではない。でもうれしさが悪いことに感じてしまう。それはなぜ?

 中也は混沌とした心情を、混沌と書き綴っている。「感性の天才」だなんだっていわれているけど、この混沌とした感性は、「天才」だから感じるものではない。それをそのまま表現できたことこそが「天才」なのだろうが。

 中原中也の最愛の長男・文也が2歳にして亡くなったのが、1936年1月10日。そして次男・愛雅が産まれたのがその5日後の1月15日。

 いったい、なんてことだ!

 それから「亡き児 文也の霊に捧ぐ」とついた「在りし日の歌」という詩集を書きためた中也。しかしその翌年の1937年結核のため亡くなる。(「在りし日の歌」刊行。)

 さらに翌年の1938年、次男の愛雅が亡くなる。

 70年前のお話です。

 うちの2歳の心歌(こうた)も、2歳の文也と同じようにトラを見てもクマを見ても「ミヤ」(うちの猫の名前)と呼ぶ。変わっちゃいないんですね。赤ちゃんは。そしてそれを愛おしむ親の気持ちも。

 自分の「骨」を冷めた目で眺める中也。その向こうにある愛おしいものへの気持ち。

 20代前半までの頃と読み方が変わったのは、「感性」なり「表現」を実体から切り離してとらえるのはイミテーショナルだということ。香水と同じで実体がないものはそれまででしかないということ。(ん~表現が下手だな!)

 とにかくメールありがとうございます。仕事に行く時間です。

今日は法人の総会。そーかい、そーかい。

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2007年5月20日 (日)

スポ根とまりぎ!

みなさん、スポ根してますか?

私はこれまで、いろいろ偉そうなことばかり書いてきましたが、ほとんどがインチキでありまして、本当は単なるスポ根親父です。

さて、今日は「青葉の森リレーマラソン大会」です。千葉市中央区青葉の森で(4人~)10人が1チームを編成し、駅伝形式で42.195km走りきります。もちろん一般の市民大会ですが、我が「とまりぎジョギングクラブ」の障害者チームも大威張りで参加します。

我がチームの10名は、全盲だったり言葉がなかったり、伴走がいなければどこまでも飛んでいってしまうタイプだったりといろいろなハンディがありますが、いつもどおり勝つ気で参加します。

おととい、大会運営委員長様より私の携帯に電話。「選手宣誓を頼みたい」と。快諾。もちろん私じゃないですよ。女性ランナーのIさんがやります。

「とまりぎ」の障害者スポ根の特徴は、①我々は徹底して裏方に回ること。②いわゆる一般の障害者スポーツ、障害者レクと違って、障害者のみで囲わずに一般の中にドシドシ入っていくこと。

「徹底した裏方」と言いましたが、例えば今回のリレーマラソンの伴走者(一人では走れない人の伴走)も障害を持つ仲間たちがやります。キャプテンと副キャプテンが伴走です。

「一般の中に入っていく」といいましたが、確かに「ゆうあいピック」などのソフトボールの障害者大会に参加はします(前年度2部優勝)が、それが目的ではありません。地域の一般ソフトボールチーム、町会・クラブチームとの交流が目的です。試合相手はたくさんいらっしゃいます。いや、もっと先の目的は、うちのチームの選手が、地域のチームの中に入っていくことです。

実際本日、うちのソフトボールクラブの女性キャプテンのYさんは、地域の婦人ソフトボールチームの一員として、ソフトボール大会に参加します。チームの一人一人は、ソフトボールの交流を通じて、たくさんの地域の方々から名前を覚えられています。

先週も東葛地域のソフトボール大会(障害者大会)がありました。準優勝しましたが、決勝で特別支援学校のチームに惨敗しました。

負けた瞬間、来年は雇用型の事業を行おうと思いました。あの優秀な生徒さんたちをスカウトするためです(笑)。

さあ、そろそろリレーマラソンへの出発の時間。

このブログでスポ根関係の記事を集めてみました。新しい読者の方々はどうぞ。では行ってきます。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_7ead.html
ソフトボール、ハッタリ、そして出会いの大切さについて

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_7ffb.html
おかげさまで優勝しました

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_3a3c.html
ゆうあいピックソフトボール選手権で優勝!

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_ac92.html
私はどうしても許せなかった。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/51_60c0.html
第51回成人の日記念船橋市民駅伝大会

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_4724.html
船橋市民駅伝速報

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2007年4月23日 (月)

琥珀色の、薄暗い山の中で、死んだはずの親父に会い、会話をした夢。親父は私より若い頃の親父だった。親父が自分より若いにもかかわらず、甘えた口調で話す自分に違和感を感じながら、あたりに立ち込める霧の流れる方向を確かめていた。あとは雰囲気しか覚えていない。どんな夢だっけ?

どんよりとした雰囲気と静寂さとなつかしさ。その感覚だけが残った朝。この感覚が一日体内に残ってくれれば、胃がキリキリすることもピリピリすることもなく、一日仕事ができるんだけどな。仕事のペースは多少落ちても。せめて月曜日くらいはそんな一日になってくれれば、と思う。

そんな感覚は、きっと簡単に壊されちまうんだろうけど。あいつらの気合と鼻息で。

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2007年4月15日 (日)

風歌へ

風歌(ふうた)は先日幼稚園に入園したばかりの3歳児。うちの長男。
先日わが家に新たな「家族」がやってきた。わたしのいとこのヨージ。ヨージの家族の病気で、ヨージの介護者がいなくなり、こうして一時的にわが家が引き取ることになった。ヨージとは私は本当に小さい頃よく遊んだ。当時は彼の障害など気づかなかった。私の祖母の「ヨージはバカだから、かわいそう」といった言葉と、その言葉に激怒した私の母の言葉を今でも覚えている。
私も小さいなりに成長して、次第に祖母の言葉と母の言葉の意味を分かるようになった。ヨージとは一緒に遊ぶことはなくなった。遊んであげる、という意識に変わっていった。

私が11年前、まったく別の畑から福祉の世界に入ってきて、真っ先に考えたことは「いつかヨージを引き取ることになるだろう」ということ。そんなヨージが一時的にわが家に来た。

風歌にとって見たら、来客であるこのおじさん。おじさんはみんな自分にやさしく遊んでくれるはず。なのにこのおじさんだけ相手にもしてくれない。しばらく風歌は距離を取ってこのおじさんを観察していた。

トイレに入るとき、パンツまで脱ぐ。親父(私)がお尻を拭いてあげる。着替えも手伝い、ひげもそる。食べこぼしを拾う。そんな親父とこのおじさんの関係を風歌は黙って眺めていた。自分が食べこぼせば叱られるのに、このおじさんだとあまり叱られない。そんな現実を風歌はどう見ているのだろう。

次第に風歌が変わってきた。返事が返ってこなくても「ヨージおじさん、おはよう」と声をかける。得意の英語もおじさんの前では使わない。風邪をこじらせているヨージの鼻を拭こうとする。「お薬の時間だよ」と声をかけたり水を渡す。

風歌がある時こういった。「ヨージおじさんは、親父のお仕事の人たちとおんなじなんだよね。」私は答えた。「同じだよ。だからおじさんも畑で一生懸命働いてるんだ。だから親父とも同じだよ。」

風歌はそれに答えなかった。風歌のいう「おんなじ」と、私の答えの「同じ」の意味の違いを分かっているからだ。
なぜ私が違う意味の「同じ」を語ったのか、それはいつか分かってくれると思う。

風歌は日ごろから「車椅子のしんちゃんは、どうやって電車に乗るの?」と聞いてきたり、ブロックで車椅子を作り、「しんちゃんの車椅子作ったの。これ早いよ〜」と言ったり、「スティービ−ワンダーは目が見えないのになんで歌が歌えるの?」と聞いてきたりする。親父の仕事に連れ回しているので、何となく興味を持っているのだと思う。「しんちゃんの(入院している)病院は、スカイライナーとか成田エキスプレスが見えるから、また行きたいな〜」。昨日見舞いに連れてきた時に風歌が言った言葉。

親父の仕事、親父の性分によって、息子にいらぬ気遣いをさせているのかもしれないと悩むこともある。また息子が私のいとこの鼻を拭いてあげようとしたときは、正直複雑な気持ちになった。3歳児がヨージに対して慈悲の気持ちを表していることへの、うまく表現できないが抵抗感を私は持った。でもうれしくも思った。うれしさと抵抗感、複雑な気持ちを払しょくさせてくれたのは、ヨージだった。ヨージが笑顔で風歌に「おやすみなさい」と声をかけた。風歌も自然に答えた。

これでいいんだ、と思った。
それが、とりあえずの結論です。

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2007年3月11日 (日)

金曜日の夜

金曜日の夜、私が大きな荷物を持って帰ってくると、子供たちはちょっとしょんぼりする。「親父、お仕事いっぱいもって帰ってきたのね」と風歌(3歳)。

そして今日「かあちゃん、ロイヤルホームセンター行こう」とかあちゃんを誘い、外に出て行った。気の使い方が最近大人びてきて、もうちょっと子供らしさを持ってもらいたいと思う反面、「(外に行ってくれて)助かった」とも思ってしまう。早く仕事を片付けてあげなきゃな。

心歌(こうた・1歳)は、寝起きの時隣にいるのがかあちゃんだと思ったら親父だったというただそれだけの理由で、「もう~!おやじ、ないの!」と言って私の顔面を殴ってくる。私が優しく「こうちゃ~ん」と呼んでも「こうちゃん、しないの!」と言ってパンチ。

 そのくせ私が朝食中にはニコニコして近づいてくる心歌。

「心歌はこんな時しか寄ってこないんだから、来ても何もあげないよ~」と私が言うと、風歌が心歌を抱きしめ、「こうた、おやじに『おはよう』っていってごらん。もらえるよ~。」とささやいている。心歌がそれに応えて「おはよ」という。

しょうがない。お兄ちゃんがそういうなら。心歌にあげるしかない。心歌はもう口をあけて「ちょうだい、ちょうだい」をしている。この二人の大好物は梅干。

心歌、ネコとふざけていて、ネコと頭をゴッチンコ。ネコの石頭に勝てるはずがない。かなり痛かったはずだ。それなのにネコを抱きしめ「痛いの痛いのとんでけ~」とやってあげている。お兄ちゃんがいつもしてくれることを、こうしてネコにやってあげている。Cimg0035 写真はネコを抱いている風歌となでにいく心歌。ずっとずっと、この子達のために親父も頑張らなきゃいけないなあ。

さてさて、以前心歌がスティービーワンダーの「I just called to say I love you」を歌っていることを書きましたが、相変わらず心歌はその歌がおお気に入りです。

 散歩に出ても走りながら「I just called~」と歌っています。名前が心(ソウル)歌(ソング)で、誕生日もスティービーワンダーと同じ。自然にはじめて歌った曲がこの曲。偶然としては驚きであることを以前ブログで書きました。http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_cf94.html

 ところがさらにビックリすることを最近知りました。この曲、邦題がついていて「心の愛」というタイトルなんですって。心歌が歌う「心の愛」かぁ。

 たとえ傷つきやすくても線が細くても構わないから、人の心の痛みが分かる人になって欲しいと思います。それが叶えば、親父のダメダメ人生も、多少は意味のあったものに変わるのでしょう。

 さあ、子供たちがロイヤルホームセンターから帰ってくる前に、仕事を終わらせちまいましょう。

 ちなみに最近妻のブログからここに入ってくる方々もいらっしゃるようなので、あえて『子育て』カテゴリーで書きました。下が妻のブログ。

http://kurasitanosi.blog60.fc2.com/blog-entry-58.html

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2007年1月23日 (火)

人間の記憶について

 人間の記憶は、信号化され記憶の貯蔵庫でストックされている。我々は意識の地平において、その記憶の貯蔵庫から必要な記憶を必要量取り出す能力を一定程度有している。しかし、意識とは重層的なもので、例えば「思い出したい」と思う意識の裏側で、もうひとつ「思い出したくない」という意識が働くことがあり、またその逆もある。それらの重層的な意識は、複雑に絡み合い、意識は自己を対象化することはできない。対象化された時点において、それはもはや「意識そのもの」でなく「対象化された意識」となる。つまり本物ではなくなる。

 「対象化された意識」を「意識そのもの」として錯認してしまうその地平において、いわゆる意識化されていない(対象化されていない)意識を、「下意識」(フロイト)などと定義付けられることがある。

 本来対象化し得ない「意識」を意識的に対象化することによってしか、「意識」を意識することができない。「対象化された意識」しか、意識の自己認識手段はないということだ。それゆえにこの「下意識」という概念は、「対象化された意識」の中で、いまだ対象化されていない部分を表す概念としては、使い勝手がいい。

 さて、人間は意識的に記憶の貯蔵庫から、必要な記憶を取り出すことが一定程度できたわけだが、この「下意識」という概念を用いるならば、意識の指示でなく明らかに「下意識」の指示で、記憶の取捨が判断されるというケースがある。その記憶を呼び起こすことは、「意識」にとってよい選択肢でないという判断を「下意識」が行っていると思うよりほかないような状態に置かれることがある。あくまでも「対象化された意識」を「意識」と呼び、「意識の対象化からはみ出した、憶測に基づく意識」を「下意識」と呼ぶ概念操作を前提とするならば、の話だが。

 私自身もスッポリと抜け落ちている意識上の時空間がある。ある一定の記憶の世界を言葉にして表現することはできるが、それを脳内で映像化することができない。イメージとしてすっぽり抜けているということだ。そこにあるのは「無」なのだが、「下意識」が記憶の貯蔵庫に蓋をしているとしか思えないような現象が私の中では起こっている。

 しかしそれによって私は今こうして生きて、そして時に笑ったりすることができているのだろうと思う。

 「下意識」が「意識」そのものと向き合う中で、「意識」にとってその記憶は呼び起こすべきか否かを判断し、時に「意識」の指令に反した形で記憶の現出を操作する。それによって「意識」は自己を守っている。「下意識」の陰の力に支えられながらも「意識」は自己を所有している。

 こうした「意識」と「下意識」、「記憶」のバランスを欠くと、人間の「意識」は大きく混乱する。誰しも遠い過去の記憶が近い過去の記憶に比べて薄くなることによって、「意識」のバランスは保たれているのだとは思う。たとえ「下意識」の記憶操作がなかったとしても。

 「自閉症」と呼ばれる障害を持つ仲間たちの中には、こうした「意識」と「記憶」のバランスにやや難があるのではないかと思うようなケースが存在する人たちがいる。いわゆる「カレンダー人間」と呼ばれる、過去の記憶をカレンダーとともに瞬時に呼び起こす能力を持った仲間たちがそれだ。彼らは混乱しやすく、矛盾に対してとても敏感なのだ。

 3年前、Aさんから「正しいのはBだ」と言われた。そして昨日、同じくAさんから「正しいのはBではなくCだ」と言われた。

 通常我々なら、記憶が鮮明な「正しいのはC」という答えを基準に指示内容を整理することができる。「3年前のBだと言われたのは間違えだったのかな」「Aさんの意見が変わったのかな」「今の自分に踏まえて、AさんはBからCに答えを変えてきたのかな」というように。しかし彼らの場合には、3年前の記憶も昨日の記憶も、同じぐらいの印象と圧力をもって彼らに迫るのだ。だから整理する際の基準を失い、とても混乱する。

 どんなにつらいのだろう、と思うときがある。記憶が消えない世界ってどんな世界だろう。これまでと矛盾する新たな情報は、時に彼らを混乱させる。そして行動のパターン化・ある種儀式めいた常道行動によって情報を遮断し、オウム返しによって他者を遮断する。「自閉症」という名称が付与された理由はこうした行動に基づく。

 それゆえ私は、彼らと接するときは、いかに自分自身の訴えに一貫性を持たせるか、ということに気を配る。

 「意識」は、本来対象化し得ない自己自身を対象化しそれを「意識」と表現し、その「対象化された意識」のアンサンブルを通じて他者を意識し、関係を作り上げていく。

 私は「下意識」の指令に基づいて過去の記憶を一部、おそらくは操作しているのだ。そしてそうした「意識」の自己省察の志向性において、自己の中に他者を自覚し、こうして彼らとの意識的な接点を作り出し、関係を作り出している。

 そうして今日も、私は彼らと「対象化された意識」の接点を模索している。

 これが「ぼくが福祉の仕事をはじめた理由」です。

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2007年1月18日 (木)

大阪の事件について

このニュースが飛び込んできて、私はしばらくの間、完全に判断停止に追い込まれてしまった。以下、産経新聞より一部省略かつ修正の後抜粋。

大阪府八尾市の近鉄八尾駅前の歩道橋で17日、大阪市平野区の西田璃音(りおん)ちゃん(3)が男に投げ落とされ重傷を負った事件で、殺人未遂容疑で逮捕された八尾市桜ケ丘、障害者作業所勤務、Y容疑者(41)が「仕事がイヤで、何か悪いことをすれば仕事場に戻らなくていいと思った」と供述していることが18日、八尾署の調べで分かった。同署は、Y容疑者が仕事でイライラしていたところに、たまたま璃音ちゃんが通りかかり、突発的に投げ落とした可能性が高いとみている。
 調べなどによると、Y容疑者は17日午前10時ごろから同市内にある作業所でクッキーの袋詰めの作業を行い、昼食のあと午後1時ごろから、同駅前でメンバーらとクッキーを販売。現場は人通りが多く子供も多数通りかかったが、約1時間半経過した午後2時半ごろに突然、璃音ちゃんを投げ落とした。
 調べに対しY容疑者は「仕事のストレスがたまっていて、むしゃくしゃしていた」などと供述していたが、「何か悪いことをすれば仕事に戻らなくていいと思った」と話していることも新たに判明。同署は、ふだんから仕事に対する不満があり、イライラしているところに、璃音ちゃんが通りかかり、突発的に投げ落とした可能性が高いとみている。

 同署によると、Y容疑者は落ち着いた様子で「悪いことをした」と反省の弁も述べている。精神科に通院治療中だが、質問の受け答えもしっかりしているという。
 一方、璃音ちゃんは依然、病院の集中治療室で治療を受けているという。
 社会福祉法人O会のK事務局長の話 「事件が起きたことは本当に残念。しかし、知的障害があるから事件を起こしたのではないことと、多くの知的障害者がまじめな人であるということを分かってほしい。こうした事件によって障害に対するマイナスイメージばかりが先行することが心配。知的障害者を常時、見守り続けることは現実的ではないし、そうしたからといって本人の自立につながるとはいえず、悩ましい。一人一人に対しての支援のスタイルが異なり、パターン化できないのも難しい」
 
 このニュースを、ふたりの<私>が同時に見ていた。一人は障害者の福祉作業所の所長としての私。もう一人は3歳児の父親としての私。
 所長としての私は、この事件に対するマスコミや世間の論調が、やれ「障害者を野放しにするな」とか「危険人物を街に出すな」とかと騒ぎ立てることをまずは直感した。一生懸命まじめに地域で働いている多くの障害を持つ仲間たちへの風当たりが急速に強まることを危惧した。大阪のその作業所(小規模通所授産施設)ではクッキーを作っていたという。その仲間たちはどうなってしまうのか。仕事が続けられるか、居場所は維持できるのか・・・。
 もうひとりの璃音ちゃんと同じ3歳児をもつ父親としては、一言でいって、「絶対許せない」。Y被告だけでなく、職員も施設も法人も、全部許せない。公開する文章には書けない言葉が頭をよぎる。そして「所長としての私」が作業所の存続を心配している、そういう「私」が許せない。
 「父親としての私」が怒りを持っていることに対して、「所長としての私」は、なんとも言葉がない。「こうした事件によって障害者に対するマイナスイメージばかりが先行するのが心配」というK事務局長の気持ちも十分に分かるが、今そんな言葉を被害者の親が聞いたら、はらわたが煮えくり返るどころの騒ぎじゃない。
 一日ずっと、整理できない感情を抱えていた。いまこうして書いているうちに何らかの答えが出るかとも期待していたが、それもどうやらダメなようだ。もう一度それぞれの「自分」に戻って考えてみる。
 
「所長としての私」として。
 私はこれまで、「障害者の就労支援」という仕事に携わってきた。人間として、できる部分・できない部分、そしていい部分・悪い部分、全部抱えた人間として、つまり我々と同じ一個の人間として、他者とふれあい認められて生きていくこと、何らかの形で他者に「必要だ」といわれる環境の中で生きていくこと、そういう人生を、あいつにもこいつにも送ってもらいたい、そんな思いで「就労支援」の仕事をしてきた。そして「障害者の就職」といっても、みんながみんな善意のかたまりのような所に送り込むわけではない。偏見・差別、それを前提とした社会に送り込むわけだ。ある意味、偏見や差別はあって当たり前(肯定するわけではないが。)、それを跳ね返す根性と実際の仕事ぶりを身につけさせて「お前が乗り越えろ!」と背中を押すのが私の仕事だ。
 健常者と同じ失敗をしても「やっぱり障害者だから」といわれてしまう。健常者と同じだけ手を抜いても周りの反感を買う。だから基準を厳しく設定するしかないのだ。「そこまで厳しくしなくても」とよく言われてきた。私を鬼のように思っている人たちも多いはずだ。でも本当に彼らが地域の中で差別や偏見を乗り越えて人から「必要だ」といわれて生きていくためには、基準を厳しく設定するしかないのだ。「自閉症」の仲間たちの独り言やこだわり、同じ言葉の繰り返しなどを「障害だから仕方がない」という捉え方をして、半端な優しさで受け入れてしまうことは、その人と社会の間に壁を作ってしまうことにしかならない。だから厳しく接する。世間が嫌がることに対しては、「○○障害だから」ということで済ませてしまうのではなく、それはいけないことなのだということを伝え続けていく。いいことはいい、悪いことは悪い、その基準を明確に伝えていく。それが私の考え方だ。
 こういう事件が起こり、世間が「だから障害者は・・・」という風潮を作ると、たいてい障害者施設陣営は「犯罪発生率は、(精神)障害者よりも健常者の方が高い」というデータをもって反論する。
 おそらくそのデータは正しいと思う。数多くの「障害者」と接してきて、同時にそれよりはるかに多い「健常者」と接してきて、そのデータは実感として正しいとは思う。
 だが、その一歩先のことを我々は考えなければいけないのだ。そういう風潮があっという間に作られてしまうそういう世間、あるいは社会。その中で障害を持つ仲間が日常的に地域で暮らすことを模索するという地域福祉の世界は、いかに「障害」をできない理由にせず、彼らに社会人としてのルールを厳格に伝えていけるか、それを貫けるか、そういう世界だということだ。差別や偏見を前提とした地域社会で「地域福祉」を推進するということは、それ相応の厳しさが関係にないとダメだということだ。そういう厳しさとその裏にある「地域の中で生きようよ」という思い、それを相手に伝えられて初めて「さあ、地域に出よう」ということになるのだ。我々にとっての教訓はその点にあるのだと考える。
 そしてもうひとつ考えるべきことは、「地域福祉」を進める以上、「100%何もない」ということはありえないということ。たとえ「99%大丈夫」と思える場面においても、残りの1%を予測して、それへの危機管理の意識と対応準備をどれだけできるのか、それが大切だということ。そしてさらには、「それでも100%はありえない」という冷厳な事実を自覚すること。腹をすえるしかないということ。
さて、「父親としての私」に戻ります。
 この感情は、やはり言葉にできません。うちの長男と同じ頃産まれて、同じように親は喜び泣いて、そして同じように夢を見ていたはずです。早く元気になって欲しい、それを祈るばかりです。
 以下はうちの長男が産まれた日に私が書いた詩(日記)です。親としての感情を推測してください。
    
     ほんとうに風ちゃんがうまれたら
    
    ほんとうに風ちゃんがうまれたら
    どんなだろうって思っていたら
    ほんとうに風ちゃんがうまれた
    はじめまして 風歌(ふうた)くん
    でもぼくは 君のことを
    ずっと前から 知っていたよ
    ところで 君のほうは?
 

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2007年1月14日 (日)

船橋市民駅伝速報

第51回成人の日記念船橋市民駅伝、わが「とまりぎジョギングクラブ」は・・・。

残念ながらタスキを4区→5区につなぐことはできませんでした。トップの市立船橋高校と15分以上の差がついた時点で繰り上げスタート。繰り上げスタートからわずか1分後にユータ君が入ってきました。今年も残念ながら灰色のタスキをもってゴール。

今年の市立船橋は強すぎた~。2位と5分くらいの大差での優勝だと思います。自衛隊などの強豪チームを大差で引き離していました。さすがもと高校全国NO1の学校。まだ正式記録は分かりませんが。

でも1分差(16分差)という数字は、来年の目標にはちょうどいい数字だと思っています。4人があと15秒ずつですよ。

心配されたアンカーのダイスケ君も朝には元気な顔を見せ「もう大丈夫です。僕が走ります」と言ってくれて、新成人のショータ君も安定した走りを続けてくれました。大きなブレーキもなく最後まで完走できたことは、とても嬉しいことです。

 第1区のマサシ君がトップの市船と5分差。第2区のサトル君がトップとの差をおよそ3分半広げて、第3区のシンイチロウ君が4分半、この時点でトップの市船とは13分開いていました。第4区のユータ君が奇跡的な走りでトップとの差の開きを2分以内に縮めないと繰り上げになるという展開。しかし3分開いてしまって結果16分の差。1分遅れで繰り上げスタートになったという展開でした。正直言って、うちのエース、第1区のマサシ君が4分差以内で帰ってきてくれると予想していたので、そこが唯一の誤算でした。というよりはぶっちぎりで優勝した市船が強すぎました。

市立船橋高校の選手のみなさん、おめでとうございます!

駅伝大会の後は、「とまりぎ」で今年成人式を迎える仲間たちと選手たち、そしてスタッフ・応援の人たちで焼肉食べ放題へ。70数名の小規模福祉作業所の仲間たち、そのうち今年成人式を迎える人は11人もいたんですよ!みんなでたくさん食べました。年賀状で「今年は就職させてください」と書いてきたマユミさんは(かなり嫌がっていましたが)私の横に座り野菜の食べ放題!・・・ちょっと体を引き締めないと、就職は難しいっすからね。動きが鈍くなるし疲れやすくなるし・・・。

今年成人になった仲間たち、おめでとう! 今後は本当の意味で「大人」として、地域社会で生きていくことになります。自分の行動の責任を自分でとれるように、そういう意味での「大人」になれるように、日々頑張っていきましょう。

このブログを読んで応援に来てくださった方もいらっしゃったようです。私はその方に面識ありませんでしたが「(ダイスケ君は)本当にいい体してるねぇ。足はもう大丈夫?」とダイスケ君が話しかけられていました。

とりあえず速報です。いつも思うことですが、目標は簡単に達成されてしまうよりも、すぐ目の前でスルリと逃げていく方が、ワクワクして楽しいです。来年達成された喜びを、今から想像しています。

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2007年1月13日 (土)

第51回成人の日記念船橋市民駅伝大会

明日、「第51回成人の日記念船橋市民駅伝大会」です。わが「とまりぎジョギングクラブ」も参加します。去年は自衛隊の第一空挺団と市立船橋高校がメチャ速く、5区で繰り上げスタートになってしまいました。わずか1分の差で・・・。今年はタスキをつなぐことが何よりの目標です。選手たちは福祉作業所や会社の仕事の後、5時~6時まで練習しています。ソフトボールクラブの方は障害者チーム同士の大会なので、優勝したりもできますが、こっちは違います。当然後ろの方を走ることになるとは思いますが、それでも集中力を切らさず、ゴールを目指していきたいです。

応援に来てくださる方も募集していますので、簡単にコースを説明します。遠方の方にとってはつまらない記事になりますがご容赦ください。

<1区>船橋総合運動公園を9時にスタート。(8時20分より開会式。)御滝中学までの4.0kmをマサシ君が走ります。普段は「障害者の働く場あぐり」で農作業をしています。農業で足腰が鍛えられたのでしょうか。ここ1年で急成長してチームのエースに君臨しました。仕事の方もかなりの成長をしていて、まだ22歳と若いので一般就労する力はついたとは思いますが、福祉作業所の給料と障害者年金を合わせれば、我々職員の1年目よりも稼いでしまっている(笑)ので、今のところ就労支援はしていません。以前は目を離すとふざけてしまい、「エントリーから外す!」と宣言したこともありましたが、最近はたんたんと走ることができるようになりました。なおもう一歩の向上心を期待したいところですが、それは沿道の応援で彼の潜在能力を引き出すしかありません。ゼッケン231番「マサシ!走れ!」と声をかけてください。

<2区>御滝中学から船橋北高校までの4.6km。一番長い距離は今年も若きエースサトル君が走ります。「かんぱす」から15歳で一般就労したサトル君ももう18歳。重労働で体力がついてガッチリしてきました。普段仕事が忙しくてなかなか練習に参加できていないのでその点が心配ですが、負けん気とイケメンぶりは誰にも負けないので、やってくれると思います。特に黄色い歓声をお待ちしています。

<3区>北高から東京学館船橋高校までの3.3km。シンイチロウ君です。「かんぱす」から一般就労してから、多少体力が落ちてきています。しかし最近は仕事の後「障害者の働く場クローバー」に立ち寄り毎日練習をしてきましたので、ブランクは解消されたと思います。「かんぱす」時代は仕事で毎日走っていましたからね。気の優しい男ですので、人を抜くということにためらいを感じてしまうところがあります。どうか野太い歓声と怒声をお願いします。

<4区>東京学館から新京成バス折り返し場所「豊富小隣」までの2.1km。短い区間のスピードランナーが集う区域です。「クローバー」のユータ君。以前、千葉県障害者振興センターのホームページでも紹介されていた「牛乳配達のプロ」のユータ君です。(以下がその記事)

http://jusan-kassei.de-blog.jp/inosisinohana/2006/12/post_2fe8.html

おそらく牛乳ビンを持って走ったほうがは速いんじゃないかと思います(笑)。去年はアンカーでしたが4区→5区の繰上げスタートを阻止するために、あえて4区に入ってもらいました。「牛乳屋さ~ん」と声をかけてくれれば、より速くなります。

<5区>「豊富小隣」から古和釜高校までの3.2km。最近安定してきたショータ君です。「とまりぎ」の廃品回収で、体力をつけてきていますが、同時に体脂肪もつけてきていますのでちょっと心配(笑)。あっそうそう、今年成人式です。おめでとう!泣き虫ショータもとうとう大人の仲間入りかぁ。この大会はショータ君のための大会です。脂肪を全部燃焼させていい走りをしてもらいたいです。終わったら成人のお祝いをしてあげるからなっ。度を越えた照れ屋で、黄色い歓声を受けるととろけてしまいます。低い声で「ショータ!」と声をかけてください。私は古和釜高校で陣頭指揮をとっています。

<6区>古和釜高校からゴール地点の船橋総合体育館(船橋アリーナ)までの2.4km。アンカーはいちおうダイスケ君です。練習ではエース、本番にはめっぽう弱い、気の優しすぎるダイスケ君です。しかし最近の練習では大スランプ。かなり厳しく指導されてきました。

 しかし昨日(12日)の夕方、足を痛めていることが発覚。表情の暗いダイスケ君に私が「ちょっと、屈伸してみな」と言ってみたのですが、屈伸さえもできず顔をゆがめています。私も一瞬凍りつきました。大会まであと2日。ダイスケ君といえば、引きこもり状態から脱して「かんぱす」に入ってきた頃は、「目がかゆい」といっては作業所を休み、「耳が痛い」といっては休もうとしていた人です。そのたびに私が家庭訪問して本人やご家族と話をしてきて、何とか強い気持ちで作業所に通えるようになったばかりです。「目がかゆい」といって休んでいた人が、これほどの足の痛みを我々に隠していたとは・・・。本人は「出たい」といっていますが、当日の体調次第で私が決めます。「船橋アリーナ付近を身長180cmの美男子の「231番」が足を引きずって走っていたら、それはダイスケ君です。無理はさせたくありませんが、気持ちには応えたいと思っています。ぜひとも10時ごろ、「船橋アリーナ」近くに結集していただいてダイスケ君を応援してあげてください。

万が一に備え、チームのキャプテン今年40歳のイタルさんには走る準備をしてもらっています。イタルさんも「ダイスケに走らせたい」と言っています。1月3日に亡くなってしまった板さんには、「まだ四十九日前だから、自宅付近近くでダイスケの足を守ってくれ」と話してあります。大の駅伝ファンだから、酔いつぶれていなければきっと守ってくれるはずです。

心を一つにしてタスキを最後までつないでいきたいです。

千葉県では障害者差別に関する条例が昨年制定されました。我々は法律や条例の制定運動という形でなく、障害を持つ人たちが、真剣に白球を追いかけたりタスキをつないだりしている姿を通じて、社会に呼びかけているのです。もっともそれは2次的な目的で、一番は勝つこと・走ること・みんながヒーローになることなのですけどね。でも2次的な目的くらいのほうが、人々の心に届くものなのです。

いい報告がしたいですね。なによりも無事と安全。板さん、頼む!

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2007年1月 6日 (土)

「当然のこと」その2~最終回~

迷っていましたが、やはりこの記事を書くしかありません。

12月27日の夜、私は3歳の息子に「本当はサンタさんは親父でしょ?」と聞かれてしまったことは28日のブログで書きました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_de3e.html

実はその日の昼間、「かんぱす」「クローバー」合同の筑波山温泉日帰り旅行に行く時、私は車の中で板さんと「本当はサンタさんは誰なのか、子供たちが知ってしまったのはいつ?」ということについて、話をしていました。板さんについては12月11日のブログ「当然のこと」で書きました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_667b.html

12月27日、前日の豪雨と暴風が去り、あたかも「台風一過」であるかのような空気の澄みきったさわやかな朝。私は板さんを車に乗せ、車椅子のシンタロウを迎えに行くため、県道8号線を西に向かっていました。右前方には雪化粧の富士山が遠く鮮やかにそびえ立っています。

「やっぱり富士山はいいねえ。今日筑波山やめて富士山に行きたいね」と私。

「青木ヶ原っすか?」(笑)と板さん。「あそこは板さん一人で行ってよ(笑)」

「ところで友野さん、今年もサンタの大役は果たしたんですか?」と板さん。

「うん。兄弟喧嘩の種をまいてきちゃったみたいだけど、喜んでるみたいだよ。兄ちゃんにはラジコンカー」(私)。「もう風歌くんぐらいなら、ラジコンの操作もできるんですねえ」(板さん)。

「ところで板さんサンタは、子供にサンタの正体を話したのはいつ?」(私)「どうだったかなあ、一番上の子は確か小学校3年生ぐらいの時に、意を決して話したかなあ。でももう知ってるよって顔されたなあ。カミさんあたりがサッサとしゃべっちゃったんだろうなあ。あいつ、夢がないからさあ。」(板)

「奥さんがどうかは知らないけど、板さんの夢はいつもでかすぎるんだよ。でも俺も子供が小学校3年生になったら白状しようかな?」(私)。

(しかしその夜3歳の長男に「サンタは親父」と言われてしまった・・・。)

「子供たち4人に一番カネがかかる時だけ『お父さん、お父さん』で、それが終わったらお払い箱。男ってこんなもんっすかねえ。」(板さん)「俺はそうはならないよ。板さんと出会って、俺の反面教師になってくれたから、そんな失敗はしないよ(笑)」(私)。

世界各地を渡り歩き、建築の第一線でバリバリ働き、稼ぎまくり遊びまくっていたという板さんが、過労と生活習慣が原因で、脳梗塞と心筋梗塞で倒れ、半身不随になったのが8年前。こん睡状態・リハビリ生活、、、やがて独り者に戻ってしまっていた。アパート暮らしとなったその後はアル中と肝機能障害、そして糖尿病、借金地獄というある意味お決まりのパターン。登った山は高かったけど、そこから転がり落ちるのも早すぎた、いや速すぎた。そしてその山のふもとで私との出会いがあった。

一番低いところで出会ったのに、板さんの心はいつもまだ山のてっぺんにいた。山のてっぺんにいる人と、山のふもとで話をするわけだから、いつも心が通じ合わないんですよ(笑)。

 県道8号線が高架から地上におり、いよいよシンタロウの家に向かう。もう富士山など見えやしない。車椅子のシンタロウを筑波山に連れて行くのは以前からの約束ではあったが、今回の旅行の主人公はシンタロウでなく、板さん。(シンタロウと筑波山に関する記事は以下。)http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_f2eb.html

 何故筑波山&温泉旅行の主人公が板さんかというと、以前ブログで紹介した「かんぱす10周年台湾旅行」、実は板さんだけが参加できなかったからだ。(以下、台湾旅行の記事)

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_f265.html

 最高に楽しかった台湾旅行、しかし体調等の問題で板さんだけを置いていったことは何とも心残りではあった。その年の「心残り」はその年に解消したい。

「板さん、年末みんなでどこ行きたい?」「まあ、ゆっくり温泉がいいっすかねえ」「じゃあ、シンタロウも筑波山に行きたがっているから、筑波山を眺められる温泉に行こう!」

あとは「かんぱす」職員の武井君に下駄を預ける。「板さんを筑波山近くの温泉に連れて行くから、段取り立てて」。あとは武井君が段取りを立てた。筑波山中の食堂で温泉の割引券を見つけて私が武井君に「こっちの温泉の方が割引で安くなるし、女性陣の好きな足裏マッサージもあるし、こっちに変えない?」と進言してみたが、武井君に却下された。「ここは露天風呂がホテルの屋上にあるから、ここを選んだんですよ!」。「分かった」と私は進言撤回。

 筑波山山腹のホテルの屋上の露天風呂。12月とは思えない暖かな一日で「台風一過」のように空気は澄んでいた。風も強く、桶がカランカランと踊っていた。湯気も風にさらわれて、すぐ近くにある雲の中に吸い込まれていくので、メガネをかけて入浴してもメガネが曇らない。男性陣だけで18人。狭い浴槽にみんなで浸かっていた。半身不随で着替えに時間がかかる板さんがどこまで「ゆったり」を満喫できたかどうかは分からないが、板さんのためにみんなでここに来た事実は変わらない。

 眼前に富士山が見えた。船橋市の県道8号線から見た朝の富士山とはまるで違って、それは巨大だった。すぐそこにあるかのようだった。18本のチンポコの向こうに見える絶景ともいうべき壮大な富士山。シンタロウに言った。「お前、あの頂上まで登ったんだぞ!」。車椅子になる1年前、シンタロウは作業所の仲間たちと富士山に登った。

風呂から出て男性陣・女性陣が合流してもまだパンツ姿の板さんに女性陣からブーイング。ヨダレを垂らしながらも板さんは、笑顔で返していた。

板さんが自分の失禁やヨダレに気付かなくなってから、もう何ヶ月になっただろうか。歩くだけで転んでしまうようになってから何ヶ月になっただろうか。脳梗塞の後遺症か、アル中や糖尿の影響か、それら全部含んでの、全体的な衰弱か。

それでも板さんは「俺はここを出て、勉強して、行政書士になる。一人暮らしをする」といってはばからない。心はいつも山の上にあるのだ。山のふもとの私たちの進言など、おそらくは雲に消えて届かないのだ。山の頂上にいる板さんの心は、雲を突き抜けているので、いつも晴れ渡っている。これは昔からなのか、障害者になってからなのかは分からない。昔の板さんのことは、私は知らないのだから。

 板さんにこう質問したことがある。「好きなだけ食べて、好きなだけ酒を飲んで、1年でのたれ死ぬのと、俺たちのいうことをちゃんと守って、節制して10年・20年生きるのと、どっちがいい?選んでいいよ。」

 間髪入れずに板さんは答えた。「好きなだけ食べて飲んで、20年生きたいっすねぇ」・・・何も分かっちゃいねえんだ、このオッサンは。死の淵から蘇って今生きているのに、まだ自分は不死身だと思ってるんだから・・・。

 とにもかくにも、板さんを筑波山の温泉に連れて行かれた。12月とは思えない暖かな一日。空気は透き通るようで、富士山はすぐ目の前にあった。茨城で一番の美人が働いているという噂のマクドナルドに立ち寄ることはできなかったけど、いい一日だった。

 こうして「かんぱす」「クローバー」の一年が終わりました。私は12月30日のブログ「よいお年をお迎えください」の中で、「順調すぎる一年」「年を越すのが恐い」と書いた。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_29ab.html

 筑波山からちょうど1週間が過ぎた1月3日。板さんは本当に山のてっぺんに登ってしまいました。享年54歳。夕方散歩から戻ってきて、心筋梗塞でした。

 おそらくは大好きな箱根駅伝を見終わってから散歩に行ったのでしょう。自身も「青梅マラソン」に参加したことがある、大の陸上ファン。今回も「順天堂か、東海でしょう。古豪復活はないでしょう。」と予想していました。

 枕元には別れた奥さんと子供たちの住所などが書いてあるメモ。

 「向こうには新しい生活があるのだから、邪魔しちゃダメだよ。今の状態でどのツラさげて、会いに行くんだよ。あわせる顔ないでしょ?」何度私が説教しても、きっと山の上から聞き流していたのでしょう。そして会いに行こうとしていたのでしょう。

 今から思えば、筑波山の日の朝、「今年もサンタの大役は果たしたんですか?」と私に聞いてきたのが板さんでした。もう一度サンタさんにでもなるつもりだったのでしょうか。その時は質問の意味を予測することもできませんでした。

 板さんよ!あんたは何にも分かっちゃいなかったんだよ!子供さんが小学校3年生の時には、あんたはすでにサンタじゃなかったんだろ?どれだけ時間を巻き戻そうとしてるんだよ。いつもあんたは、何にも分かっちゃいねえんだよ!

 板さんとの最後のお別れの日は、筑波山の時と同じように、さわやかに晴れわたり空気の澄んだ一日でした。思えばこの人と約束した日は、いつもこんな天気だったように思います。どんな運をもらってこの世に生を受け、どんな運を山のてっぺんに持ち帰るつもりなのかこのオッサンは。

 私の予想を超えて、たくさんの人たちが最後の別れに手を合わせてくれました。これだけ好き勝手な人生を送ってきたこのオッサンに、なんでこれほどの人たちが手を合わせているのか。

 「板さんよ!もったいない話だと思わない?」そう思いながら手を合わせている私に、板さんからどんな答えが返ってくるか、これまでの付き合いの中で簡単に想像ができます。

 「きっと私の人徳じゃないですかねぇ」・・・きっとそう答えるでしょう。

 最後に好きなだけ酒を飲ませてやりたかった。後悔というより過去形の願望です。

 板さんよ。しょうがねえから、冥福を祈ってやるよ。そしてこれからは山の上から見守ってくれよ。あんたが時折みせる本当に優しい目で接してくれた俺の子供たちを。そしてあんたが最後まで会いたがっていたあんたの子供たちを。

 

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2006年12月28日 (木)

私はどうしても許せなかった。

私はどうしても許せなかったのです。K君は、弱いものを決して馬鹿にしない。強いものに打たれても決してへこたれない。優しさは表に出し、悔しさは胸にしまう。不器用だし仕事もできる方じゃないけど、そういう真面目さと優しさは、だんだんと味わいのある仕事をしてくれるようになるし、職場においてはなくてはならない存在になる。1年目より2年目、2年目より3年目、きっと重宝される。だから自信を持って企業に就職させたのです。「障害者だから」ということでなく、一人の人間として社会人として必要な人になる、そんな男です。

だから私は許せなかったのです。横っつらを思い切り張り倒しました。これを暴力というならいえばいい。

この時の障害者チームとのソフトボールの試合は、いつも通りの圧勝ムード。確かに誰もが「今日も楽勝だなあ」そう思っていたでしょう。私もベンチで怖い顔をしながらも、内心は安心しきっていました。そんな時、K君はわざと2塁から1塁に向かって走り出したのです。相手の1塁手を馬鹿にしながら。そんなことをする奴だと思ってキャプテンに任命したわけではない。相手は一生懸命プレーをしている。そんな時に明らかに馬鹿にした態度。

選手全員をベンチに呼び戻し、全員に頭を下げさせ、私は試合放棄しました。馬鹿にした時点でこちらの負けです。そしてK君を思い切り張り倒したのです。これを暴力というならいえばいい。適正化委員、市や県の障害福祉課や苦情処理第三者委員が何を言おうと関係ない。「処遇」云々の問題ではない。これは男と男の信頼関係の問題だ。私のK君への信頼の問題だ。「障害」云々の問題ではない。それが分からない奴は一列に並べて全員張り倒す。

そう宣言したところで目が覚めました。朝の4時。汗びっしょりかいて。全部夢であることに気付きました。正直ホッとしました。

Kが人を馬鹿にするようなことをするはずないよな~。

でも4時に目が覚めちゃったよ。あと1~2時間は寝られるはずだったのに。私がK君を100%信頼していれば、こんな夢は見なかったはずだ。たとえそれが99%であっても、残りの1%がこうして夢となって現れたのだ。

そういえばK君、「就職できたら所長と武井さんに、ハンバーグステーキをおごります」と約束していたよな。まだおごってもらってないぞ!

寝不足の原因は、そのハンバーグステーキだ。

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2006年12月21日 (木)

目に力がある人

なんとなくこう、「この人は信頼できる!」「この人とつながっておきたい」「この人のことが知りたい」・・・肩書きやステイタスとは関係なく、感性の領域でパッと「この人なら・・・」と思える人っていますよね?私自身がそう感じる対象の傾向なんて考えたことがなかったのですが、最近分かりました。

目に力がある人です。常に先のことをキッと睨みつける力が目にある人です。仕事などで交渉の際も、なんだかんだいってこういう感覚的な部分が大きく左右するような気がします。

そこでうちの次男の心歌(こうた)です。この人の目にもそれを感じます。何かの運命を背負って、たまたまうちの妻の腹を借りて、この世に生を受けたような気がします。5月の13日の金曜日に・・・。かわいい悪魔です。まだ1歳半ですが、末恐ろしいです。

「まんま」とか「おやじ」とか、もちろん単語はたくさんしゃべりますが、文章になる言葉に傾向があります。飯を食うことと束縛をはねつけること、これだけです。

「おやじ、もうあっちにいってよ」「うるさい、どいてよ」「いいから、まんまちょうだいよ」こんなことをいいます。兄ちゃん(風歌・ふうた)のときは「だ~いすき」とか「うれしい」「だいじょうぶだよ」、こんな言葉から覚えていったのに・・・。

いつも腹をすかせているので、一度好きなだけ食べさせてみたことがありました。子供用のご飯のお茶碗に3杯たべて、うどんを一玉(大人一人分)たべて、さらにパンを1枚食べてしまいました。まだ1歳ですよ!

とにかく消化が早いのです。はちきれんばかりのおなかは、見る見る小さくなって、すぐウンチになってしまいます。

怪我が治るのも、およそ同じ種類の生き物とは思えない早さです。頭を椅子に思い切りぶつけて、餃子のような形で腫れあがりました。本人はあまり痛がらず、むしろ「病院におもちゃを二つ持っていく!」と大騒ぎ。待合室で看護婦さんがびっくりするくらい腫れ上がっていたのに、「冷やさなきゃね」と冷えピタを持ってきてもらう間に、傷が癒えて、腫れも引いてしまいます。むしろ怪我をすると、周りがびっくりしたり心配するということを本人は覚えてしまいました。病院から戻ってきて、頭を椅子に叩きつけるまねをして、回りが「やめなさい!」と騒いでいるのをみて大喜び。病み付きになってしまったようで、怪我をしたところをわざと痛めて周りの反応を楽しんでいます。こういうときの目の力強さはすごいものです。怖いから目を合わさないようにしています。3歳のお兄ちゃんにできて1歳の心歌にできないことはほとんどありません。体を動かすことに関しては。

「目に力がある人」は、きっと心歌と同じように、もともと違うものを持っているんじゃないか、と思います。私の好きな何人かのアスリートを見てもそう思います。我々とは、もともと何かが違うんでしょうね。伸び伸び育って欲しいです。早く自由にしてあげたいし、はやく自由になりたいかも(笑)。

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2006年12月 7日 (木)

寒さも厳しくなりました。

心の足腰を鍛えること。どう鍛えるかって?かたっぽずつ、足を上げて、立ち続けること。心の足で。

そうすれば、揚げ足とられても、立ってられるでしょ。「どうぞ」と差し出すくらいの気持ちを持って。

今日の朝、風呂の中で、そう考えた。両足とられたら、そのまま押し倒してしまえばいい。

それともう一つ、そろそろ風呂の温度は42度に設定してもらいたい。寒くて出られないよ。

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2006年11月23日 (木)

かんぱす10周年台湾旅行~

「かんぱす10周年 台湾旅行」に関する記事です。本来ならば、その雰囲気をリアルに伝えるべく実名表記にしたいのですが、一応職員以外はすべてニックネームを使わせてもらいました。あらかじめご容赦下さい。しかも、記事がとても長げえことも、ご了解ください。

                          平成181122

                         かんぱす所長 友野 剛行

<台湾旅行にいたるまでの経緯>

・「かんぱす」は平成8年2月にスタート。(小規模福祉作業所として補助対象事業になったのは4月。)すなわち平成17年度の2月にはすでに満10年を迎えていました。だから当初は平成17年度の冬に10周年海外旅行を企画していたのです。平成169月におこなわれた「かんぱす父母会」で第一次企画を発表し、その月から毎月給料から2千円ずつ「かんぱす旅行積み立て」として徴収してきました。

 ところが平成17年5月のしんちゃんのあの事故。生死のふちをさまよい、その後も「かんぱす復帰の目途が立てられないしんちゃんを置いて、10周年旅行を実現する気持ちには誰一人としてなれませんでした。平成17年8月の父母会で、「本年度の海外旅行は凍結。来年しんちゃんが戻ってきたら、しんちゃんを連れてみんなで行く」と宣言。

 しんちゃんが奇跡的な快復を遂げて、車椅子ながら「かんぱす」に戻ってきたのが3月。しかし当初は入退院を繰り返し、およそ海外旅行など行かれるような状態ではありませんでした。本人の努力で体力も回復し、なんとか旅行に連れて行く目途が立ったのが夏頃。この頃から本格的に旅行の準備を始め、担当の武井と、JTB船橋のI氏による打ち合わせなどが始まりました。

<旅行の内容・日程の決定!>

 そして10周年旅行の概要も決定しました。11月19日()から21日()までの2泊3日、場所は台北です。旅行参加者は、「かんぱす」「クローバー」の仲間たちをはじめ、かつて「かんぱす」で働いていて今は「もえぎ」や「かりん」、「NPO法人とまりぎ」で働いている仲間たち、そして就職者の中からK君。また初の海外旅行。みんなの体調面のケアの必要性と、しんちゃんのサポートの関係から、しんちゃんのお母さんで現役の看護師をしているしんちゃんママにも参加を依頼し、合計26名ということになりました。

<パスポートの申請>

 これはとても大変でした。本人のできること・できないこと、そしてそれぞれの家庭背景も考慮しながら26枚のパスポートを揃えるのは、思っていたよりも苦労しました。普段ビッチリのスケジュールで仕事をこなしている仲間たち。その間を縫うような形で申請に行ったり、受け取りに行ったり…。そしてそれを数名ずつ、計画的に。途中様々なハプニングに見舞われたりしながらも何とか人数分揃ったときには、正直ホッとしました。

<旅行前日>

 いよいよ前日。しかしすでに半分の仲間にとっては、旅行は始まっているのと同じでした。飛行機の時間の関係で、全体の集合時間が早朝5時40分。約半分の仲間が「かんぱす」「あかり」に分かれて前日から泊り込みです。

 ここ数日、浮き足立つ仲間たち。心配で電話をかけまくってくる親たち…。

 夕方6時、「あかり」に旅行担当者の6名(友野・武井・塚本・三輪・菅野谷・大槻)が集まって最終打ち合わせ。当日5時40分に誰一人として遅れることなく集まるためには、そして集まった面々が何らトラブルなく予定している飛行機に乗るためには、かなり綿密な打ち合わせが必要でした。バス旅行や電車旅行のように、出発時間を多少遅らせたり、電車を1本遅らせれば済むという話ではないからです。

 朝の送迎の方法から、モーニングコールの担当、切符のスムーズな買い方、連絡の集中方法まで、すべて事細かに決めました。

前日のうちに、大部分の仲間たちの荷物のチェック。あんちゃんは、通帳から年金手帳まで持ってきてしまう。ジャイアン君はゲームを持参するしないでひと悶着。K君はよほど日本が嫌いになったのか、パンツ7枚をカバンにいれ、キヨシは大槻君が準備したカバンを無視してカバン3つを持っていこうとする。エスキモーのような格好で南国に行こうとするコージ。卓さんは三輪さんがわざわざ自宅まで行き、90歳になろうとする卓さんのお母さんと一緒に荷物の準備。

 心配の一つに海外では携帯電話が使えないという問題がありました。携帯慣れしている我々は、事前の打ち合わせが不十分でも途中携帯で連絡を取り合えば済むという日常を送っています。そのままの意識で海外に26名で移動したら、いろんな失敗が予想されたからです。しかしJTBのI氏が海外でのレンタル携帯電話の手配までしてくれた(1本1日300円程度)ので、ずいぶんと楽になりました。

 ある程度準備が順調に進んで、みんなの体調管理も順調(1週間ほどはみんなの仕事量も抑えて、体調管理優先で作業をしていました。)で、本番を待つばかりとなりました。

 前日うちあわせで、最後に私はみんなにこういいました。「最後は全部私が責任を取るから、私の首が飛ばない範囲で、思いっきりみんなを楽しませるように。みんなを楽しませるということは自分たちも同じだけ楽しんで下さい。」

 大金を払って行くのです。2年間積み立てたお金を使って行くのです。その重みを「楽しみたい。楽しませたい。」という気持ちにつなげて結構。ピリピリするのは私一人で十分だと思っていました。

<旅行初日>

 打ち合わせ・シナリオ通りにまずは進んでいきました。本田さんが成田空港まで車椅子を含む7人を送ってくれたことによって、ゆとりも生まれました。遅刻者はゼロで、みんな元気です。ただしくにちゃんだけは緊張で引きつった顔。空港には予定通り7時40分には全員集合して、手続きを待つばかり。集合写真を撮りました。しかし数えてみると25人…。「一人足りない!」と思ったら、菅野谷さんが空腹に耐え切れず、ひとりでおにぎりを買いに行っていました。25人と26人、2種類の集合写真。

 その時点で私は「くにちゃんとコミ君だけは要注意」とみんなに伝えてありました。パスポートとチケットは節目節目で本人が持たなければならないからです。とくにコミ君はカバンのどこにパスポートを入れたかを、分かる人全員集めてそれを伝えておきました。

 しかし、荷物検査が終わり、空港の構内に入り、搭乗手続きで待っている間、ちょっとした隙間を見つけて、くにちゃんが逃走。厳重な警備で囲まれている構内からいとも簡単に逃げ去っていき、倉庫に隠れてしまいました。飛行機がよほど恐いのです。私が追いかけ、つかまえ震える手をとって再び構内へ。普段ならパスポートなしで入ることはできないところですが、事情を見ていた空港警備の人が入れてくれました。そこから先は武井君がマンツーマンでくにちゃんにつきました。

 さて飛行機への搭乗。車椅子のしんちゃんとしんちゃんママ、大槻君の3人は別の入り口から先に入れてもらいました。車椅子も検査の対象で、機内には別の車椅子で乗り込むからです。残り23名が乗り込んだとき、予想外の事態がそこにありました。我々26名の席がバラバラに用意されていたのです。狭い機内で大きな荷物を持った客が次々と乗り込んでくる。そんな中、我々が移動したり立ち上がったりできる状況ではありません。とりあえず塚本君・くにちゃん・タケシ君・武井君だけはなんとか固めて座らせることができ、私はみんながあまり見えない席に座らざるを得なくなりました。立ち上がると「シートベルトを着用して座って下さい」と注意される状況。「下りるときが勝負」と腹をくくるしかありませんでした。コミ君が一人で座っているのが遠くに見えました。トイレに行きたくソワソワして何度も注意されています。スチュワーデスに話をし、なんとかトイレまで連れて行ってもらう。

 飛行機が飛んでいる間、緊張で今にも逃げ出す勢いのくにちゃんを塚本君がなんとか取り押さえている。しかしその横で同じく緊張しているタケシ君がくにちゃんの態度に八つ当たりして大騒ぎ。大変だったようです。

 なんとか台北空港に到着し、やっと仕事ができる環境ができました。私は比較的前のほうに座っていたのでみんなに「席を立つな。最後まで待っていろ。」という指示を出すことができました。コミ君がカバンを持たず下りようとウロウロしている姿が見えました。カバンをなくしたのです。スチュワーデスに話をし、まずは他の客が下りて落ち着けるまで待機させ、カバンを探してもらいます。後ろの方の収納庫にありました。カバンをしまってから席の移動になったようです。

 何とか全員飛行機を下りて、台湾に入国手続き。一人一人恐い顔をした入国管理官に尋問される形で台湾の国に入っていきます。我々がみんなの間に入って対応。ところがパスポートをなくす仲間が出てしまいました。コミ君です。パスポートをカバンのどこに入れたのかは今回の旅行参加者のほとんどに伝えてあり、みんなでコミ君に監視の目を光らせていたはずなのに、その隙間を縫って、コミ君らしい仕事をしてくれました。武井君が慣れない英語(都立大の英文科卒)で事態を伝え、機内に残されていたパスポートを見つけてくれた。

 初めて台湾の地に足を踏み入れ、その暑さだけが「異国の地」の証のようでした。顔も同じ、看板は漢字だらけで意味が分かってしまう。車は右側通行で左ハンドルだが日本車しかない状態。日本語で話しかければカタコト日本語で返ってくる。空気の匂いの違いは食文化の違いのようにも感じられました。

 台湾人の今回のガイドさん。呉さんという初老の男性。流暢な日本語で案内してくれます。あとで詳しく述べますが、このガイドさんとの出会いによって、今回の旅行は数倍楽しめたといってもいいでしょう。コミ君ハプニングで全体の時間がかなりずれ込んでガイドさんをずいぶん待たせることにはなってしまいました。しかし笑顔と「かんぱす御一行歓迎!」の横断幕で出迎えてくれて、まずは「専用車」というマイクロバスへ。車椅子にとっては厳しい条件でした。急な階段でしんちゃんの肩幅くらいしかない幅。担ぎ上げるにもこちらの手を回すスペースさえありません。一度目は私が馬力で持ち上げましたがこれを10数回繰り返すのかと思うと「大丈夫だろうか…」そんな不安もよぎりました。2回目からはしんちゃんママがしんちゃんに怒鳴りつけました。「アンタならそのくらい一人で登れるでしょ!ひとりで登ってみなさいよ!」私もハッとして2回目からは本人の出来るところを見計らいながら必要なサポートをするという形をとり、3回目、4回目と昇り降りも上手くなりました。上手くなってからはサポートを大槻君や塚本君に任せるようにしました。何しろ急な階段なので、お尻から出血が確認されましたが、大事には至りません。

 マイクロバスでまずは観光地である中正紀念堂へ。台湾での「中華民国」を建設した蒋介石に関する記念堂です。蒋介石の銅像やさまざまな歴史の断片、ガイドさんからの説明に一番喰らいついていたのがジャイアン君とあんちゃん。ジャイアン君のダジャレがどこまで通用していたかは分かりませんが、終始ご機嫌で話しかけていました。毛沢東の実践論と矛盾論を大学時代読みふけっていた私としても、毛沢東のライバルで敗北した蒋介石の記念堂は、複雑な思いながらも感銘を受けました。微動だにもしない警備・きらびやかな空間、とてもよかったです。輪からはみ出して勝手な行動をする人もおらず、みんながその説明に集中できたのもよかったです。

 その後、龍山寺に立ち寄り、リバービューホテルへ。そこで多少くつろいだりしている間にミニ職員会議。くにちゃん逃走とコミ君ハプニングの件、我々の立ち位置の悪さの軌道修正(多少のカミナリも落とす)、今後のスケジュールについての確認など。

 夜、再びマイクロバスに乗り込み、台湾料理の店へ。ここも食堂が地下でエレベーターもなく急な階段。男4人がかりでしんちゃんを下に連れて行く。体力勝負の初日だったので、腹もペコペコ。それにしてもものすごい品数と量の食事!あれだけ脂っこい料理なのにむねやけがしない。烏龍茶が日本で飲んでいるものと全く違い、とにかく甘い。やっとのことでお皿を空にしたら「サービスよ~」といって炒飯の大皿の追加。なんとか平らげたら「またサービスよ~」と炒飯!「もう無理ですよ」と話すと「もって帰りな」とカタコト日本語で言ってくれて、炒飯の残りを全部包んでくれた。日本ではこんな経験はできないですよね。

 ホテルに戻ったのが夜の9時。でも時差が1時間あるので、実際は10時。夜遊びも企画していたがみんなホテルに帰って風呂に入ったらバタンキュー。タケシ君も布団に入って10秒でいびきをかいていました。早朝の集合と恐かった飛行機、盛りだくさんの企画に、みんなはもう遊ぶ余力はありませんでした。

 しかたなくみんなが寝静まった夜に職員としんちゃんママだけでミニ宴会。「かんぱす」の初期を知る菅野谷さん、「かんぱす」の形がどんどん作られてきた発展期を支えてきた大槻君、そして今の形で入ってきた塚本君・武井君・三輪さん…。「かんぱす10年」を記念しての旅行。当然話の花も咲きます。途中からしんちゃんママの人生哲学について。女性陣にはいい勉強になりました。

<旅行2日目>

 ホテルでのバイキング朝食を済ませて、再びマイクロバスに乗って、基隆の観光。バスの中では「台湾かんぱす」を作ろう、という話。塚本君が所長に立候補。「ここでどんな仕事する?」その答えが分かりきっていながらあえてイタル君に質問。「ビラまきです」。やっぱり…。 

左には高くそびえる山々。右には海。日本にも同じ風景はありそうだが、何故か不思議なシダ植物。石畳の道、車椅子を押す塚本君・あんちゃん・ダイスケ君。男・浜ちゃんは、なぜか監督役に徹していたようです。上り詰めた所には、塩水でえぐられた奇妙な岩山。記念写真も撮りました。海風が湿り気を交えながらもさわやかに吹いていて、昨日ほど暑くないさわやかな午前。みんなの笑顔も絶えません。「クローバー」のミヨコさん・ミチタカさんは看護師のしんちゃんママに付き添われて、なんとかみんなについていけました。昨日逃走劇を繰り広げたくにちゃんも、風が吹けば心が広がるタケシ君も、全身に海風を受けながらご機嫌です。ダイスケ君・浜ちゃん・あんちゃん・塚本君の仲良し4人組は、おしゃべりが延々と続いています。いい悪いは別として。

 その後、野柳へ。石畳の高い階段。しんちゃんには申し訳なかったですが、車内で待機。大槻君がそれに付き合ってくれました。記念写真を撮ったり、お金を投げ入れるおまじないのようなものにみんなが夢中になったり。マナブ君そっくりの銅像にみんなで笑ったり。帰りに中国語しか話せない喫茶店でコーヒーを注文。身振り手振りでなんとかコーヒーを買う面々。これが苦い!でも美味しかったです。喫茶店にはネコが一匹。ネコを飼っているくにちゃんが優しく触りに行きます。ヨシコさんはネコが恐くて近づけず。

 その後、バスに乗り込み、台湾料理店へ。目玉はショウロンポウと餃子。これがまた美味い!みんな腹いっぱい食べつくして、再びバスに乗り込み、世界一高いビル「101」へ。500m以上の高さのビルの最上階までなんと36秒。これもまた世界一の速さのエレベーター。実は昼から午後は自由行動という企画書を出し、その分の料金は払っていなかったのに、ガイドさんのご厚意で、昼食の企画やそこまでのロードサービス、その後の「101」への移動まで、ガイドさんとこの運転手がやってくれて、「101」の入場料を安くする交渉までやってくれたのです。わすか2日間で、みんなのことを好きになってくれて、楽しめるための様々な配慮と段取りをノーマネーでやってくれたのです。

 世界一の高さのビルから見下ろす高層ビルの群れ。あまりの高さゆえに恐さすら感じませんでした。

 そしてそこからはじめてのグループ行動。7人に携帯電話を手渡し、綿密な打ち合わせのもと、グループごとにバラバラになりました。女性陣は6名(菅野谷・三輪・しんちゃんママ・エミさん・ヨシコさん・ミヨコさん)は一つのグループで、当初より検討されていた足つぼマッサージにタクシーを走らせていきました。6人全員が足裏などのマッサージを受けたそうです。菅野谷・三輪・しんちゃんママの3名は「痛いけど気持ちいい」と話していましたが、みんなのほうはケロッとしていました。体が小さすぎて肩もみと足のマッサージの両方を同時にするのが難しかったのがエミさん。「いたくない?」などと話しかけられ「は~い」などと答えていたようです。セレブにでもなったかのように。ヨシコさんはエステにはまってしまい、夜まで大興奮。

 冴えない男性陣は町をウロウロするばかり。行動力の差を思い知らされました。ミチタカさんなどは「無印良品」でイチゴジャムを買っていました。

 夜、各グループは「101」の地下にあるフードコートに再集合し、食事。50店舗近くの店に広い敷地。1品だけ食べるのはもったいないので「いくつか注文して食べろ」と指示していましたが、一品一品の量がものすごく、とてもハシゴはできませんでした。三輪さんのラーメンは辛すぎたようで、しんちゃんママに食べてもらっていました。それぞれが思い思いの店に行き、だんだん慣れてきた現地通貨の「元」を使っての注文。(この「元」はまとめて私が通貨交換し、それをみんなと随時交換したもの。)「100元かあ、安いなあ」と、計算が得意なジャイアン君・あんちゃんは口にして、「円」すらもよく分かっていないはずのK君・ユウタ君・スグルさんらがマネをして「120元かぁ」などと言っていました。コミ君はクレープをほおばって、ご機嫌。昨日のハプニングは忘れてしまったようです。

 食後はタクシーに分乗してホテルへ。台湾では実はタクシーの方が地下鉄よりも安くて旅行初心者には安全なのです。ホテルの名刺を渡すだけで済むのですから。

 この日の夜は、昨日よりはみんな元気。夜遊びの企画も再開しました。「夜遊びに行きたい人は?」…あんちゃん・ユウタ君・K君・ミチタカさん・ミヨコさん・マナブ君・コミ君・ダイスケ君・キヨシ君が立候補。我々の側も三輪さん・菅野谷さん・しんちゃんママ・塚本君・武井君が立候補。友野・大槻という「かんぱす」が一番長い2人が中に残り、居残り組を見ることにしました。グループに分かれて夜の町へと飛び出す仲間たち。しかしロビーでウロウロしている仲間を発見。浜ちゃんです。「いこうかな?やめようかな?」ずっと悩みながらウロウロしています。結局「やっぱりいく」とみんなを追いかけて飛び出していきました。悩める男・浜ちゃん。

 夜遊びでは、浜ちゃん・あんちゃん・コージ君・塚本君が射的のゲームに興じ、ぼったくられる。4人で金額を振り返らずゲームに没頭し、4人で4000元(1万5千円)の請求。塚本君が日本語で逆ギレしてなんとか支払額を1000元(ひとり千円弱)にまけさせて、事態を収拾。男・浜ちゃん、ぼったくりに合う。台湾かんぱす所長・塚本、ぼったくりを振り切る。

 深夜はミヨコさんも交えて恋愛論議。ミヨコさんの人生経験や塚本君の淡い恋の話。武井君の小難しい恋愛哲学など。

<旅行3日目>

 深夜まで起きていた人たちは眠い目をこすってホテルのバイキングへ。昼食の時間があまり取れないことから「腹いっぱい食わせおけ」と指示。

 朝食後は武井君・菅野谷さんの打ち合わせで、近くの「二二八和平公園」にいくことに。入り口近くでハーモニカやトランペットを演奏する白人男性。友野・キヨシ君・コミ君・ミチタカさん・コージ君という音楽好きの面々は座り込んで聞き入っていました。キヨシ君が一言「何か俺すごく気持ちがいいんですよね。ここに来てから。ずっと調子がいいんですよね~。」…彼との付き合いは長いけれど、こんな風に自分のことを語ってきたのは初めてです。公園内を散策すると、台湾リスが人間慣れして近づいてきます。日本の敗戦=台湾の「独立」を記念して作られた石造では、深い井戸のようなものに水が流れていく光景を、微動だにもせずコミ君・キヨシ君が眺めています。コージ君は飽きていました。その後、我がグループは台湾博物館へ。大航海時代の歴史上の遺品や絵画、「ポルトガルかなあ、スペインかなあ」「これ、マルコポーロ?」ミチタカ君・キヨシ君・友野で知的な会話も弾みます。説明は中国語と英語、とりあえず私が英語を訳して説明していると、キャーキャー大騒ぎの日本人集団と遭遇。菅野谷・三輪・エミさん・しんちゃんママ・ヨシコさん・ミヨコさんの女性陣。同じものを鑑賞しても話題がこれほど違うのか、と実感。

 公園のグループ行動は11時15分に集合。みんな集まったかな?

 どこの公園でもそうだが、台湾では広い場所には必ず太極拳をしている人がいます。ここも例外ではありません。ただこの公園が違うのは、その太極拳の輪の中に、日本の侍も混じっていたことです。男・浜ちゃん、太極拳を身につける。

 さあ、帰ろうかというときにみんなが口々に言います。

 「まだ日本に帰りたくない」「もう2~3日、ここにいたい」「卓さん、お金出してよ」。それほど楽しい3日間だったのでしょう。

 12時にホテルに戻り、マイクロバスで土産屋へ。みんな残してきた人たちへの思いをお土産に詰めて、大きな袋をもって歩いています。袋にたくさんのお土産をさげて歩いている菅野谷さんに卓さんが一言、「そんなもん拾ってくるから重たくなるんだよ」。「こんなもん、落ちてないから!」。ヨシコさんは自分で身につけるキーホルダーを買って大興奮。マナブ君は「お土産誰に買ったの?」と聞かれて「マナブだよ~」。自分で食べるのはお土産とは言いません。

 帰りの飛行機はガイドさんが手早く手配してくれて、みんな固まって座ることができました。だから混乱はなし。この3日間で、それぞれの役割分担も自然発生的に作られて、実にスムーズな動きでした。自分も楽しいから、自然と仲間と協力する意識が持てる。そんないい循環が、この3日目には形作られていました。

 帰りの飛行機は、あっという間でした。ほとんど記憶がありません。くにちゃんはまた青い顔をしていましたが周りが支えていました。飛行機の中では男・浜ちゃんがくにちゃんの手をしっかりと握りしめていました。飛行機を降りて、入国手続きへ。「楽しかったねえ」と口にする仲間たち。

 帰りにはまた本田さんが車で迎えに来てくれたので、車椅子も含めて非常にスムーズに動けました。電車組と車組に分かれて船橋へ。電車の車内ではジャイアン君・あんちゃん・塚本君・キヨシ君が大声でおしゃべり。まだ台湾にいるような雰囲気でした。見た目も含めて。

 こうして「かんぱす10周年台湾旅行」が無事に終わりました。またいつもの「かんぱす」「クローバー」の毎日です。でもその毎日の積み重ねが、こうした楽しい経験につながること、そのことを自覚して今後の毎日をより充実させていければ、と思います。

                                   以上

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2006年10月21日 (土)

一部昇格!

最近次男は歌ばかりうたっている。現在、1歳5ヶ月になって言葉もまだあまり多くないのだが、歌う時だけはハッキリとした言葉でうたう。童謡なら10曲以上はすでに歌える。長男と違っていらぬ気遣いはせず、「わが道を行く」タイプなので、「意志を伝える」=言葉よりも、行動の方が先に立つ。しかし「意志を伝える」という目的でない「歌うこと」については、とにかくこだわりを持って練習している。

そんな次男が先日同じ歌を一日歌い続けていたという。

「あじゃお~ ちえ~ あ~う~」・・・ばあちゃんが「この『あじゃお~』を一日歌ってたのよ。何の歌だろう?」と私に聞いてきた。

もしかしてあの曲?いやいや知るはずがない。じゃあ何だろう?でもやっぱりあの曲?

私は心歌(こうた)の前で少し口ずさんでみた。

「I just called ~」 

すると心歌は続けた。「ちえ~ あ~う~」

やっぱりそうだ!スティービーワンダーだ!

I just called to say I love you.

私と心歌が一緒に歌っていると、長男・風歌(ふうた)も入ってきました。風歌はサビだけでなく、もう少し歌っていた。3人で歌いました。

私がこの歌をはじめて知ったのは中学生の時、1歳下の妹が部屋でいつも歌っていて、それを聞いて覚えてしまったのです。スティービーワンダーの歌声よりも、今でも妹の声が記憶されています。妹が歌っているのを聞いて覚えたスティービーワンダーの曲を、いつの間にか私も口ずさんでいたりするのでしょう。それを長男が。そしてそれを次男が・・・。歌っている時の顔まで妹そっくりです。

I just called to say I love you.

ところで、昨日監督会議がありまして、千葉県障害者ソフトボール大会で「とまりぎソフトボールクラブ」の一部昇格が決まりました。

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2006年10月 8日 (日)

スポーツの秋

今日は、長男が通い始めた幼稚園ではじめての運動会。なのに私はソフトボールの試合。高芝地区の町会ソフトボール大会に「とまりぎソフトボールクラブ」として参加。町会のチームに混じって、障害をもつ仲間たちのチームがのびのびとプレーしてきました。結果は0-15で惨敗。でもとても楽しかったです。途中、妻からの運動会速報として、息子の活躍シーンの写メールが送られてくる。「親父が見たら、感動してきっと泣いちゃうよ」と妻。飛んで行きたかったが、生活ホームでの父兄との面談も予定されていた。その後でも飛んで行きたかったが、面談の報告や今後の事業構想の相談を理事長にしなければならない。

その頃には息子は家に帰っていた。熱が38度5分。グッタリして寝込んでいた。そんなスポーツの秋。妻も産休以来休んでいた婦人バレーボールチームに復帰。

先週は「白井梨マラソン」の引率。再来週はYMCAチャリティーランの引率。と東葛地区の障害者ソフトボール大会、その後は「成田POPラン」・・・。スポーツの秋は12月まで休みなく続きます。

親父は遊んでるわけじゃないんだよ・・・。笑っているけど、お仕事してるんだ。

次男の自由への渇望はどこまでも膨らんでいく。産まれてすぐから、抱かれると「離せ~」と暴れていた心歌(こうた)。束縛の一切を拒絶する。洋服まで「束縛だ」と脱ぎたがり、布団は一切ダメ。その範囲はどんどん拡大し、部屋の安全対策の囲いや、ドアが閉まっていることさえも「束縛だ」と大騒ぎ。そのうち、家そのものも彼にとっては自由を奪うものになるだろうし、いずれ「日本は狭すぎる」と飛び出すのだろう。でも私は密かに彼に憧れている。

そんな心歌(こうた)は音楽が大好き。中でもスティービーワンダーを聞くと、踊りだす。ソウルミュージックが体に合うようだ。今ではハーモニカを上手に吹いて踊っている。まだ1歳なのに。このブログの左にあるトラックバックで心歌の誕生日の出来事を調べてみたら、なんとスティービーワンダーと同じ誕生日だった。ちょっとビックリ。ソウルミュージック・・・漢字で書けば心(ソウル)歌(ミュージック)、つまり心歌。

この人は、いつかハーモニカとギターをもって、どこか赤茶色の大地に飛んでいくんだろうな。俺も連れて行ってくれよ!俺のギターとお前のハーモニカで、南部の黒々とした小粋なオバチャンでも見つけ、一緒に歌いたいな。ブラインドレモンジェファーソンのラビットフットブルースあたりをね。

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2006年10月 3日 (火)

仕事をこなせる・こなせない

福祉の仕事の基本は、人と関わることです。人と関わる時間を充実させるためには、それ以外の「自分の仕事をこなす」ということが実は大切になってきます。そこをどう考えるか、という記事です。関心がある人、関心を持つべき人だけ読んでください。

誰でも仕事をこなせた時はあるし、こなせない時もある。こなせなかった場合の自分の傾向というものがある。自分の傾向を自分自身はどう見ていて、他人は自分をどう見ているのか、そのつながりをつかむことが「自分の傾向を知る」ということです。自分の傾向を知った上で、それはどうまずいのかを考えることが何よりも大切。そのためのひとつのシミュレーションです。

あなたに鉛筆と色鉛筆、そして画用紙が一枚渡されました。仕事の中味は「森の絵を描いてください。10分以内にお願いします。」というもの。この仕事、あなたはこなせませんでした。自分がこなせなかった理由を、以下のタイプから選んでください。

 

 A:「絵を描くのは苦手だなあ…困ったなあ」と思っている間に時間切れ。

 B:「描こうとは思ったんですけど、鉛筆が折れてしまって描けませんでした」という理由がついてくるタイプ。

 C:「急に言われてもできないよ。」「10分でできるわけないよ」とブツブツ言いながら結局は投げてしまうタイプ。

 D:「自分は苦手なので、○○さんが代わりに描いてくれるといっていました。たぶん描いてくれたと思います」というタイプ。

 E:鉛筆でサッサと書き上げ「終わりました」。色がついていないことを指摘されると「色鉛筆を使えという指示はされていません」と言い返す(あるいは腹の中でそう思う)タイプ。

 F:1本の木を一生懸命葉っぱまで丁寧に描き、それに時間を費やし、途中で「このペースでは終わらない」と気付き、あとになって「やっぱり10分では無理です」というタイプ。

 G:1本の木を一生懸命葉っぱまで丁寧に描き、それに時間を費やす。結局1本だけ丁寧に、あとは適当に「やっつけ仕事」をするタイプ。

 H:途中まではスムーズに描きあげ、色を塗る段階で「葉っぱは春夏なら緑、秋なら枯葉の色、冬なら葉っぱは無し。どの季節の森を描くべきか」を質問しようと思っている間に時間切れのタイプ。

 I:苦手意識で手がつかず、最後にギリギリになって「白紙の状態じゃまずい」と思い、とりあえず描き始めた形跡だけを残すタイプ。

 J:その他のタイプ。

この中で、自分はどのタイプだと思っていますか? そしてそういう「こなせなかった仕事」の例を具体的に挙げてみてください。そして他の人にあなたをどのタイプだと見ているかを聞いてみてください。その上で、そういうタイプは何故まずいのかを考えてみてください。

例えば。EとHは形は違いますが、根っこの部分は同じです。仕事を指示された時、言葉で発せられた指示内容を、言葉になっていない部分までつかみとって理解する力があるかないか。そして指示どおりに行うべき領域と、自分の裁量で判断するべき領域の線引きができないということです。違う指示内容で考えて見ましょう。仕事場の上司から「台所洗剤が切れたから買ってきて」と指示されました。箱入りのケースでまとめ買いして注意されたら「ひとつだけ買ってこいとは指示されなかった」というのがEのパターン。洗剤のメーカー・銘柄の指示がなかったため「確認するまで買えない」というのがHのパターン。

「洗剤を買ってきて」という直接の言葉による指示。その裏にあるものをつかみ出すということは、①仕事場で使う洗剤。昼食後使うだけだからたくさんはいらない。②油物を大量に洗うわけではないので、高価なもの入らない。…これが指示内容を理解するということ。その上で、③常識の範囲の安さで、いろんなメーカーのものから自分で1本選ぶ。…これが自分の裁量の範囲。

これがスムーズに、指示した人の想定とズレない形で行える人が、実は仕事をこなせる人です。

最初の例に戻れば、鉛筆と色鉛筆を渡された時点で「色を塗る」ということは、言葉の指示になっていなくても前提として当然考えるべき(E)であり、季節や葉っぱの色、木の種類などは「自分の裁量」として前提にすべき(H)ことで、いちいち確認の手間をとるべきことでないのです。

そういう感じで考えて自分の傾向を整理することは、福祉の世界でも大切なことです。

もう家を出る時間。6時50分に出るのに現在6時40分。ひゃ~!

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2006年10月 1日 (日)

タイトルのつけようのない話

今は日曜日の夕方です。昨日、土曜日も販売やら会議やら「障害者就労継続支援事業」の立ち上げ準備の手伝い(要は引越し)やらで動き回り、今日も「白井梨マラソン」の引率でやっと家に帰ってきました。週末もあまり家にいられないため、たまに早く帰ってきたときは息子たちと遊ぼうと決めていましたが、妻と息子は友達の家に遊びにいったきり帰ってきません。妻の友達とは、千葉県障害者就労事業振興センターの職員の人で、うちの長男と同じ年の娘さんのいるお母さんです。せっかく遊びに行ったのだから、いい仕事ネタでも持って帰ってきてくれればいいのですが、そういうわけでもありません。話は、お互いの共通の趣味のコーヒーのことや育児のことばかりのようです。

そもそも私と妻も、あまり仕事の話はしません。こちらもやはり話題は子育てと、共通の趣味の音楽と映画、そして動物たちの話ばかりです。(交際中から仕事の話はお互いしませんでした。)昨夜の家族会議は、金魚の水槽の水の量が多すぎることの弊害について。ばあちゃんから提起があったのでそれについて話し合いました。その少し前は我が家に25年住んでいるカラスの目の大ケガについて。(おそらくは失明してしまったと思われます。)千葉市に住む私の妹が我が家のカラスの異変に気付き、「病院に連れて行ってあげなよ!」と言ってきました。羽の奇形で飛べない・歩けない・目もほとんど見えないカラス。もう老体なので病院に連れ出すのも可愛そう。獣医学の進歩と私たちの過保護で、動物たちは本来の寿命より長く生きることがあります。苦しいだけの延命が彼らにとって望まれることなのか、そんなことを話し合いました。

さて今日は「育児」についてです。(前置きが長げ~よ)

数日前、妻が「今日も一日イライラして風歌(長男)とケンカばかりしちゃった。ごめんなさい。」と夕食時に私に訴えてきました。息子は長男として、妻は母親として、それぞれ成長してきているので、以前の「イライラ」とは質が違うはずです。妻は続けます。「風歌が言うことは、いつも正しい。それは私も分かっている。でもかあちゃんはうまくできないの!だからついつい『かあちゃんだって、頑張ってるんだから認めてよ』と風歌に要求しちゃうの」といいます。長男はまだ3歳になったばかり。ずいぶんと難しいケンカをしてるんだなあ・・・。

1歳の心歌(こうた)に対して妻が注意していると「かあちゃん、もう少しやさしく言ってみなよ。笑った顔をしてみなよ」と長男は言います。また「かあちゃん、心歌にお水あげてみなよ」と長男。言われたとおり水を飲ませてあげると次男は落ち着きました。妻と次男のケンカに際しては「それは心歌が悪いよ」「それはかあちゃんが悪いよ。かあちゃん少し落ち着いてよ」・・・そんなこともいいます。こんな関係を一日続けていて、妻がとうとう「もう、いや!」となってしまったようです。

「風歌に頼りすぎているんじゃないか?まだ3歳だぞ。対等な立場で話を聞きすぎて、ゆとりがなくなっているよ。『お兄ちゃん、えらいなあ』ぐらいの気持ちでいいんじゃないか。」私はそういいました。

リフォーム中で足場に囲まれた家を見ると「ねえ、あの家つかまっちゃってるよ。束縛されてる。いやだよ~って言ってるよ」。筑波山に行った帰りには「山が泣いてるよ。風歌君が帰っちゃったよ~、さびしいよ~って泣いてるよ。風歌、泣いてる山を発見したよ。」・・・そんな長男。

真正面から向き合いすぎているから、もう少し長男とその感性を包み込むような関係をつくったほうがいいよ。それが私の意見でした。半分納得して半分納得できない顔の妻。

その夜、私は自室で仕事をしていました。書類の山と格闘している私のところに長男がやってきました。「おやじ、なにやってんの?」「お仕事だよ」。長男は窓を開けて空を指差してこういいました。「ホラ、見て。もう真っ暗だよ。真っ暗のあとは、いい天気になって明るくなるんだよ。だから今日はもう、お仕事はおしまいの時間だよ。」・・・ドキッとしました。「確かに全部片付けようとしたら、朝になっちゃうな。風歌のいうとおり、区切ることも大切だな」。さっきまでの切羽詰った気持ちと、「頑張るぞ」というモチベーションはすべて消えました。

「あと少しだけやったら終わりにするから、下で待っててね。」と私。「うん、わかった。じゃあ、下で待ってるからね。」続けてこういいます。「おやじ。あと少しでお仕事おわりなんだから、あと少しは、ちゃんとがんばるんだよ」。

一度やる気が切れたところで「あと少しはがんばるんだよ」の一言。またドキッとしました。「そうだな、最後はちゃんとやらなきゃな」・・・。納得してしまいました。

そして分かりました。妻の言う「風歌のいうことはいつも正しい。でもかあちゃんはうまくできないの!」・・・こういうことか。私も短時間だが長男の一言一言に完全に振り回されていました。妻の半分納得できない顔の理由も分かりました。息子を受け止めることを妻に要求する前に、私が妻を受け止めるべきでしたね。それにしても、この人(風歌)と付き合っていくのは大変だなあ。

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2006年9月30日 (土)

拓也とTシャツと私

昨夜、脱衣所でTシャツをポーンと脱いだら、Tシャツの裏に書いてある「○○拓也」という名前に目が留まった。そう、このTシャツは拓也のものだった。私はこの「拓也」ブランドの服をたくさんもっています。パジャマもトレーナーも・・・。私より少しだけ体の大きい拓也。5年ほど前、お下がりを私がもらったものです。

本当にいたずら坊主でした。福祉作業所から拓也の自宅までの送迎。他の仲間を玄関まで送るため私が車から離れるわずかな時間、戻ってみると何かいたずらをしていました。バックミラーが天井を向いていたり、私の上着が隠されていたり、後ろの席の座る順番が変わっていたり・・・。ご家族の都合で私が拓也と一緒に泊まった日に、夜トイレから戻ると私と拓也の布団が入れ替わっていたり・・・。「あれ?また拓也だな?」と聞くと、さも満足そうにニヤ~っと笑っていました。拓也は言葉を持っていませんでした。でもおしゃべりが大好きでした。周りの人が面白いことを言うと、絶妙のタイミングで、顔より大きい口をパカッと空けて大笑いしていました。

養護学校を中退して福祉作業所に飛び込んできました。学校のほうがいたずら友達もたくさんいて楽しいはずなのに、彼は実社会(福祉作業所)で働く道を、同級生たちよりも一足先に選んできました。彼は「とまりぎ」で働くことが大好きでした。廃品回収で、たまにボロ(衣類)の袋を道路の車に向けてぶん投げて大興奮していたこともあります。ヒヤヒヤしたこともたくさんありましたが、今となったらすべてが懐かしい思い出です。

彼は20歳の時、病気で他界しました。20歳という短い人生をさかのぼって考える時、彼が養護学校を中退して地域の中で思いっきり働いて・思いっきりいたずらして生きる道を選んだことは、正解だったように思います。もちろんそういう解釈ができるまで、5年という月日は必要としましたけど。

彼が亡くなってしばらくしてから、私はよく彼の家に遊びに行きました。カメを連れて遊びに行くと、ご家族でカメをかわいがってくれました。拓也の話をたくさんして、大笑いしていました。拓也がどんなにいたずら坊主だったか、全部言いつけておきました。私の妻が妊娠中に遊びに行ったときのこと。

「いつ産まれるの?男の子か女の子か分かってるの?」と拓也のお母さん。「男の子ですよ。名前は風歌(ふうた)って決めてます。予定日は6月の13日です。」と私。

「えっ?6月13日?そうなの・・・。」お母さんはそういって、また別の話に切り替わりました。しばらくして小さな声で「6月13日は、拓也の誕生日なんです」。「あ!そうだね!じゃあ、きっと拓也の生まれ変わりだね。きっとやんちゃないたずら坊主だね。」と私。

それで拓也のTシャツとかを「これ着てください」と私がいただくことになったのです。

わが子の誕生日と同じという事実、普通ならすぐに「うちの子と同じ!」と喜んで話したくなると思います。でも拓也のお母さんは、しばらく間を空けてそして小さな声で話したのです。これが障害者のお母さんのお気持ちなんだとその時思いました。「うちの子と同じ誕生日」ということを告げて、喜んでもらえる自信がないという感覚が、タイミングを遅らせたのでしょう。でも「拓也がうちの子を守ってくれる。いたずらもたくさん教えてくれる」私はそう確信したので、それをお母さんに告げました。

ローテーションで、この「拓也」のネーム入りのTシャツを着てそして脱ぐ時、これらの思い出をいつも一瞬にして思い起こすことが出来ます。そして風歌を見る時「拓也がついていてくれる」という気持ちも持ちます。風歌のいたずらがあまりにひどくなる時「コラ!拓也!いい加減にしろ」と怒りたくなるときもあります(笑)。

おっと、もうこんな時間。今日は船橋市小規模作業所連絡会の会合。明日は「白井梨マラソン」に私は障害者チーム「とまりぎジョギングクラブ」の監督として行きます。拓也の養護学校の同級生、くにちゃんも10kmに参加します。

拓也、明日はくにちゃんの背中を押してやってくれ!

では仕事に行きます。

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2006年9月24日 (日)

福祉現場の右ストレート

現在、県の主催する「サービス管理責任者研修」の真っ只中です。ということは、記事にすることもたくさん出てきます。なぜならば現場を丸一日空けるということは、それだけハプニングが起こる可能性が高くなるからです。それだけでワクワクしてきます。あいつら、俺がいない間に、いったい何をやらかしてくれるのか・・・。会場には600人ほどの研修者。このうち本当に現場に根をはって仕事をしている人はどのくらいの割合なのかは分かりません。おそらくは寄生虫のような「管理責任者」もいることでしょう。それはそれで構わないのですが。とにかく現場を丸一日空ける日が続けば、いろんなハプニングが起こりうるのです。研修参加者の中には、戻ってみたら火の車だったという人もかなりの数いるのではないでしょうか。

さて我が愛すべきハプニングです。私が研修後、作業所に戻るとA君と一緒にビラ配りに出ていたB君が泣きながら電話をしてきました。

「オレにはもう友達はいなくなった。これからはひとりで仕事したいんだ!」泣いていて、何を言っているのかわかりません。「オレは何度も謝ったんだけど、あいつが許してくれねえんだ。一方的に殴られた。オレはやり返さなかった。」

普段仲のいいA君がB君を殴ったということはおそらくよっぽどのことがあったのでしょう。話を聞く中で、どうやら民家の敷地内でケンカになり、殴られていたB君が近所の人に謝って許してもらったということ。A君はまだその現場近くに座り込み固まって動かないということが分かりました。

二人は終盤まで順調に仕事をこなし、送迎の時間と場所まで電話で指定して、職員のD君が車で迎えに行っている最中でした。好調な電話連絡からわずか20分後の出来事でした。さて、情報収集です。実は朝、イライラしていたB君が朝礼の時間に作業所の仲間のC君に言いがかりをつけてケンカをしていました。それを止めに入った職員のDにも殴りかかり、ちょうど訪問していた別の法人(グループ内の生活支援を掌る法人)の事務局長にも向かっていったといいます。また通勤途中でもケンカをしていたといいます。朝から大騒ぎだったようです。その後話をして落ち着かせて、本人の反省と精神的な安定を確認してから仕事に送り出した、とのことです。

またA君は、この作業所内で「ジャイアン」のように威張っているB君に対して唯一正面から注意できる仲間。筋肉の固まりで体のでかいB君に、A君も体では負けていません。そして普段からとても仲のいい二人。B君の多少のわがままやイライラはA君が吸収したり叱ったりしてくれます。

そんなA君が「ジャイアン」のようなB君を一方的に殴って、B君はただ謝っていたといいます。よほどのことがあったに違いありません。

私のいままでのやり方なら、すぐに自分で現場に飛んでいって解決を図ります。しかしこの日は腹が据わっていました。うちの職員がその場でどう判断しどう解決を図るか、むしろそれを見ようと思いました。起こってしまったことはもう仕方ありません。

さまざまな問題行動で、施設や職場からリストラされてきた仲間たちが中心の福祉作業所でありながら、あえて地域のど真ん中を仲間たちの活動の場に選んでやってきています。いろんなハプニングは予想しつつその責任を取る腹づもりは常にできています。

職員のD君は、まずB君を車に乗せ、現場近くで石のように固まったA君を何とか車に乗せようと悪戦苦闘していたようです。周りには当然見物人も出てきています。「重い荷物を車に乗せるようなやり方では、彼の心に届かない。心に届かなければ、彼を動かすことはできない。」私はそう指示しました。こうした光景はすでに予想済みだったので、同じく職員のE君にも急きょ現場に向かってもらいました。「まずは彼の心に働きかけること」その上で、現場の判断はとりあえずE君に任せました。

しばらくしてE君から報告電話。A君は相変わらず固まって動かないから、とりあえず迷惑をかけた民家に自分が謝って回りましょうか、という相談。

それはダメ!直接迷惑をかけたA君が固まって沈黙を守っているのに、先回りして謝って回ることはできない。・・・私はそう判断しました。

広告代理業という事業として考えた場合、職員・E君の判断は正しいのです。上司にあたるE君がまずは謝って現場を収めること、これは必要なことです。しかし私たちの現場は「事業」としての視点と「福祉」としての視点を両方併せ持つ必要があります。迷惑をかけた民家は当時留守で、いずれにせよ事後的な報告と謝罪になるでしょう。ならばこの場面では落ち着いて「福祉」の視点を貫くことです。「事業」としての責任は私が負う。事の規模からしても「事業」的な視点での判断の結果は、私が10回頭を下げるか20回頭を下げるかの違いでしかない。そんなものは大したことではない。ひとりの大男が顔を腫らせて大泣きし、もうひとりの大男が石のように固まっていたら、当然見物客も増えるでしょう。でもそこで「職員」っぽい人たちが石を引っ張り上げようとしていたり、石のまわりで頭を下げて回ったりしていたら余計に面白い見せ物にしかなりません。腹をくくるしかないのです。見物客には屁でもぶっかけて放っておくこと。二人の心と交信することにこの場は専念すること。それが大切な場面だと私は判断しました。

「A君が座り込んでいる場所に、一緒に座ってみたら?責任は俺が取るし、周りの人は関係ないから。一晩中でも一緒に座ってみたら?」・・・それが私が出した指示です。

A君については、以前このブログで記事を書いたことがあります。長い間引きこもっていて、やっとこの作業所で社会生活の形ができてきたところなのです。最近は誰よりも優等生。一生懸命仕事をし、信頼もされてきました。しかし多少のことでクヨクヨし、落ちるところまで落ちてしまうという弱さはまだ常に抱えています。またギリギリまで我慢して、爆発してしまうという部分もあります。このふたつがあるから就職も何度も失敗し、家に引きこもっていたのです。ここで大切なのは、爆発するまで我慢するのでなく、その前に相談してくるという方法を身につけること。そしてこの日のような大失敗のあとでも(ちゃんと反省をした上で)翌日から切り替え、前を向く習慣をつけること、この二つです。以前のようにこのまま崩れて引きこもってしまうのか、それとも今回の失敗をむしろ糧として、失敗後の自分の立て直し方を身につけるのか、そういう分岐点に彼は立っているのです。立っているというか固まっているのですけれど・・・。だからこそ、「事業」としての責任云々よりも、この場面では「福祉」としての視点で相手の心に届くことを優先にするべき、そういう判断内容だったのです。

うちの人たちは、本当によく働いてくれます。時間を惜しまず労力を惜しまず、みんなのために身を粉にして毎日働いています。彼らの頑張りがあるから、「問題児」のレッテルを貼られ施設や職場からはじき出された仲間たちも地域の真ん中でこうして働いて生活ができるのです。

長い時間、彼らは固まったり泣いたり吠えたりしている二人の大男に寄り添い、心を開かせ、話をしていたようです。そうして事の全貌が見えてきました。

A君は前の日、私から「この地域はできる人が少ない難しいコースだ。明日お前とBでこのコースを配り終えたらお前を一人前として認めてやるよ」・・・そういわれていました。「一人前として認めてもらいたい」、そういう思いで彼は朝から本当に頑張っていたようです。他方のB君は、朝からイライラしていくつかのケンカをしてしまい、その後悔で消耗しきっていました。仲良しの二人の間には、最初からモチベーションにおいてかなりの差があったのです。消耗しきっていたB君は午前中10分ほどひとりで休憩を取っていたようです。その間もA君は配り続けていました。そしてひとりで休んでいるB君に対してA君は苛立ちを覚えていたのも事実のようです。夕方、とうとうA君は自分の持ち出しの1000枚(しかもあの難コースで!)を配り終えました。しかしひとりで休憩を取ったりしてずっとテンションの上がらないB君は、まだ数百枚残していました。「自分はこんなに頑張ったのに、Aさんがやる気ないから終わらなかったら、たまったもんじゃない」「Aさんが配り終わるまでずっと待っていたら、時間は遅くなるし、配った枚数の実績も自分とAさんが同じになってしまう。自分のほうがこんなに頑張ったんだから、枚数でも自分のほうがたくさん評価されて当然だ」・・・そんな思いでA君はB君のビラに手を伸ばしました。「半分わけてよ。手伝うから。」

しかしB君は後悔の固まりになっていました。朝のいくつかのケンカ。そして勝手に休憩を取ってしまったから、自分だけ遅くなってしまったこと。それらの後悔がひとつになり、独りよがりな意識になっていました。また仲のいいA君に対する甘えもあったのでしょう。「ビラを手伝う」と手を伸ばしたA君に対して、こう言い放ちました。

「勝手なことすんじゃねえよ!」

これでA君は、完全に切れてしまったのです。「朝から勝手なことをし続けたのはBさんだろ!オレはずっと頑張って、ずっと我慢していたんだ!」

「一人前」として認められたい、そんな思いでハイテンションで頑張ってきた疲労感、相棒に対する苛立ち、そして「勝手なことするな」というこの言葉、ここで我慢しきれなくなったのです。民家の敷地であることも忘れて、先輩のB君に暴力を振るってしまいました。

普段から「ジャイアン」のように威張りん坊気質のB君は、仲間に敬遠されることが多いのですが、A君だけは「友達」だと思っていました。突然切れてしまったB君のパンチを浴びながら、謝りながら反撃する気力もなくただ立ち尽くしていたようです。もちろん反撃していれば、力の差がかなりあるB君のほうが相手をねじ伏せてしまいます。しかし、ただやられるだけだったようです。

一日頑張って作業所に戻ったら「一人前」として認められ、褒められるはずのA君は、この瞬間に最悪の状態に転げ落ちてしまいました。一方、朝からまわりにケンカをふっかけ、孤立していたB君にとって唯一の「友達」だと思っていたA君のパンチは、B君を孤立の淵に追い込むには十分でした。固まっていた人・クヨクヨと泣いていた人、二人の大男のそれぞれの理由がこれです。

A君、B君の傍らには職員のD君とE君が寄り添います。少しずつ反省の気持ちも汲み取れるようになりました。2対2に分かれて、その日は夜遅くまで作業所に残っていたようです。日付変更まで数十分(笑)。私は別の作業所で同時に起こっていたハプニングへの対応で、その場から離れていました。

翌日、気まずい気持ちをにじませながら、A君とB君はお互い大好きなゲームの話をしていたようです。間にE君が入り、互いに目を合わせないながらも会話をしていたようです。みんなその日は朝から疲れきった顔をしていました。

今回のことで登場人物のそれぞれが何を学び、何を感じたのか。それをつかむのが私の仕事。ハプニングを通じて「事業」としても強化していくこと。間違いのない真剣な仕事を身につけていくこと。

時を同じくして、作業所の近所の畳屋さんから突然の仕事の依頼。腰を低く申し訳なさそうに頼み込んでこられました。イベントチラシの配布を、うちの作業所でなく別の広告代理業者(チェーン店)に頼んでみたところ、配布締切日になって「やっぱりできませんでした」と返されてしまったという。「9月24日までにこのチラシを持参されたお客様には豪華プレゼントが・・・」と書いてあるチラシを、9月20日に「できません」と返却してくるバカ事業者。ご近所さんの頼みをつき返すわけにはいきません。バカ事業者とうちの福祉作業所の仕事の質の違いを示すチャンスでもあります。

仲間たちは忙しいスケジュールの合間、手分けをしてそのチラシを配って差し上げました。大男は休日返上で、ものすごい数のチラシを配布し、イベントまでに間に合わせて差し上げました。さすが!

膝を交え、寄り添い、心を拾い上げます。そうすると見えてくるこの人たちの思い。好きになるのが当然でしょ?こいつらが。

こうしてこの福祉作業所の毎日はドタバタと、しかし着実に前に向かって進んでいくのです。

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2006年9月 6日 (水)

人生の選択

3歳になった長男。先日新聞の折り込み広告で船橋市内の私立幼稚園マップが冊子になって入っていたのを見つけて、じっと見入っている。

そうか、そろそろ幼稚園を考えなければいけない時期か。願書受付が11月。その前に各幼稚園で説明会、見学会などが催され、それが進路選択の一助となる。在宅か幼稚園か保育園か・・・。正直なところ、息子(たち)が妻と離れて何時間も過ごすということは、まだ考えられない。保育園などは5時まで、いやそれ以上に預かってくれるという。まったく驚きだ。そんな長い時間親子が引き裂かれていたら、妻がもたない。私だって胃に穴が開く。小学校に入学するまでの必要なしつけや学力は、私が見るつもりであった。息子よ!大丈夫だ。私がお前を、スーパーマンにしてあげるから。

幼稚園ガイドをしばらく読んだ後、息子は私にこういった。

「おやじぃ、ふうた、この幼稚園に行きたいな!」・・・おおっ!息子よ、私から離れるつもりか。あどけないその笑顔で、私から巣立っていくつもりなのか息子よ!いや、違う。何か理由があるはずだ。

「なんでこの幼稚園がいいの?」と私。「ボールでみんな遊んでるでしょ?ふうた、ボールがある幼稚園がいいんだぁ」。・・・ボールかぁ。分かった。親父に任せておけ。

さっそくサッカーボールを買い与えた。親父がお前をJリーガーにしてあげるからな!

「おやじぃ、ふうた、このボールもって幼稚園に行くんだ」と息子。

父親として、一人の人間として、私は人生の大きな岐路に立ち、そして決断をした。息子よ!お前の気持ちは十分に分かった。親父と一緒に、いい幼稚園を選ぼう。

さっそく息子と一緒にインターネットで市内私立幼稚園のマップを検索。「しつけ」とあれば、「厳しすぎるんじゃないか」と心配になり、「遊びが第一」とあれば「遊んでばかりで大丈夫か?」と心配になる。「設立数十年」とあれば、歴史にアグラをかいているんじゃないかと疑念を持ち、「新しい校舎」とあれば未熟ではないかと疑念を持つ。

ダメだ!私には決める勇気がない。・・・息子をパソコンの前に残し、居間に戻り私はコーヒーをすすっていた。しばらくして多少落ち着いた私は、自分の部屋(実はここが私の会社)に戻った。息子はまだパソコンと睨めっこ。なんとスクロールをしていろんな幼稚園の写真を見ていた。「やっぱり、このボールの幼稚園にするね。大丈夫だよ」と息子。来週、この幼稚園の見学会に行く。

福祉作業所の所長として、私がいつも親たちにいうのは「子離れをしなさい。親離れをさせなさい」ということ。実は説教ばかりしています。

お母さんたち、実はこれが私の姿です。笑いたければ笑えばいいが、でもお互いさまだぞ!

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2006年9月 5日 (火)

携帯電話

地域福祉の仕事をして10年。「地域福祉」とは、障害を持つ仲間たちを施設の中やその周辺で囲い込んでおくような関わり方でなく、地域の中にどんどん出て行こうという関わりです。つまり、目が離れることも当然多いといえます。危険性は承知しつつ、細心の注意を払って危険を抑止します。

携帯電話。私が持つようになったのは10年前。その頃はまだ職員の中でも持っている人の方が少なかったです。学生上がりの新人職員がポケットベルを持っていることに驚いていました。ポケベルは営業職のサラリーマンが持つものだと思っていたからです。

携帯電話が普及して、この仕事においてもずいぶん便利になりました。障害を持つ仲間たちの親や地域の方からの連絡も携帯電話のメールで入ったりします。仲間たちの母親の愚痴もメールでなら聞くことができます(読んでいたらごめんなさい!)。障害を持つ仲間たちと離れていても連絡が取り合えるので、心配性の私にとってはとても便利なものです。「安心」をもらっているような気がします。

しかし逆に、ホッと一息つく時間がなくなったのも事実です。この電話が目の前にある限り、電話の向こうの人は仕事上の<私>と会話をしてきます。ずいぶん前ですが、新婚旅行の最中でさえ、いくつかの商談をする羽目になりました。あの時あのタイミングであの業者様からの催促の電話がなければ、いまここにいる長男は、じつは女の子だったかもしれません。そんなわけで、この携帯電話のおかげで、私の生活から完全な<私人>というものがなくなりました。

そんな私の携帯電話、昨日も一日中鳴り続けていました。「パソコンが動かないんだけど・・・」だけで2件、障害者の共同生活の場「生活ホーム」だけで4箇所。親たちや作業所の職員、福祉関係者・・・。

「生活ホーム」からはこんな電話でした。「昨日のソフトボール(地域の町会チームとの交流戦)、体調が悪くてちゃんと練習できなくて申し訳なかった。本当に頭が痛くて今熱が38度ある。やる気がないわけじゃないから、大会には出して欲しい」・・・「大会のことはまだ先だから、そんなことより早く病院に行くぞ!」と私。

もうひとつの生活ホームからはこんな電話。「誰かがオレの部屋の電気をイタズラして、電気をつかないようにしたんですよ。オレが(インシュリンの)注射を打つこと知ってて、わざと暗くしようとしたやつがいるんですよ。」・・・私が帰宅してほっとした瞬間にかかってきた電話。尋常ではありません。もちろんそんなことができる仲間はいるはずありませんが、電気がつかないのは困ったことです。「今すぐ行くから注射しないで待っていて」と私。

車で向かう途中、「蛍光灯が切れたのかな?テールランプかな?」といろいろなケースを想定して対応も決めていました。しかしいざ電気をいじってみても、まったく反応なし。疑われた生活ホームの仲間たちも懐中電灯を持ったり椅子を持ってきたりと私に協力しながら不安そうな顔。ブレーカーを確認しても、他の部屋の電気を持ってきて移植してもダメです。私も困っていました。「電気をイタズラされた!」との訴えを起こした人は、障害を持つようになる前は、海外のダムや橋を作る大型プロジェクトの電気関係の責任者として第一線で働いていました。そんな彼は電気を元から遮断するには配線のどこをどうすればいいのかというところから、これは間違いなく妨害工作であるという論拠を展開しています。

「この部屋のどこかに電気のスイッチない?」・・・私が聞くと「いや、それはない。この部屋は和室で・・・」と展開する彼。それを半分聞きながら私は廊下にスイッチのようなものを発見し、ONにしてみると中の電気がピカーッと。

疑いをかけられていた仲間たちは「良かったねぇ、Aさん。電気ついたねぇ」・・・普通なら「疑いやがって!このヤロー」と向かっていきたくなるような状況ですが、彼らは素直に電気がついたことを喜んで、椅子などを片付けたりしてくれました。私が帰るときにその二人は「ありがとうございました!」、原告の彼は「・・・」。気まずかったんでしょう。そういうことにしておきましょう。

私も一度「ただいま」と家に帰ったあと、お小言を並べる気にもならなかったので、そのまま3人のホームを後にしました。その帰りにも別のホームから電話。帰ってからも作業所からいくつかの電話。息子たちは親父との食事を待っていてくれました。「待たせちゃったね。ごめんね。」

携帯電話によって仕事上の生活はずいぶん便利になりました。しかし<私人>の領域はずいぶん狭くなりました。でも「まあいいか」と思っています。この日の収穫は、普段私と会ったとき(現在は一般就労)にはいつも(怖くて)緊張ながら敬語で話をするB君が、生活ホームという空間の中では緊張もせず、私に敬語も使わなかったということ。生活者としてのひとりの青年B君と話ができたということ。それが自分の中ではなんとなく嬉しかったということです。

以上が「携帯電話」をタイトルとした今日の記事です。

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2006年8月28日 (月)

おかげさまで優勝しました。

 先日8月27日の「第23回青年学級対抗ソフトボール交流会」において、「とまりぎソフトボールクラブ」は2部トーナメント戦において、優勝することができました。ここまでこのチームを鍛えてくれた、たくさんの地域のソフトボールチームの皆様への感謝を込めて、ご報告させていただきます。

   *「青年学級」とは、養護学校・特殊学級の卒業生たちが休日などを利用してレクレーションやクラブ活動、旅行などを楽しむためのものです。

 試合そのものは1回戦から決勝戦まで、1試合あたりの平均得点17点、そして全試合毎回得点、すべて圧勝に近い結果でした。もともと普通に戦えば優勝を狙える位置にいることは分かっていました。苦手だった速球派ピッチャーへの対応もこれまで練習や試合に付き合ってくださった皆様のおかげで克服してきましたし、練習の仕方・声の掛け合い方・投げ方や取り方や打ち方、すべて皆様に教わってきたことをそれなりに身につけてきたので、「これだけの地域の方々に支えられているこのチームが負けるはずはない」という気持ちは、みんな持っていました。

  *「とまりぎ」はこの1年間だけでも、4つの町会の一般チーム、シニアクラブチーム、地域の一般クラブチーム、婦人クラブチーム、高校女子ソフトボール部(今年インターハイに出たところ)、障害者施設の職員チーム、病院デイケアのチームなど10以上のチームと交流させてもらってきました。

 しかし「敵は我にあり」…このチームの最大の弱点は<気持ち>にあったのです。ちょっとしたミスでも萎縮してしまい、普段のプレーができなくなる仲間たち。カッとなりやすく、またすぐにあきらめてしまう傾向のある仲間たち。ちょっとしたミスで萎縮したり、互いに責め合ったり、試合を投げてしまったり…そういった<気持ち>こそが、最大の敵だったといえます。

 この日も最初はいつもの悪いムード。「第1戦の先発ピッチャーY君」という発表を聞いたとき、下を向いてしまう他の選手たち。先日の地域の高齢者チームとの試合で、フォアボールを連発するY君に声をかけることもなく、結局エラーの連発で自滅して負けてしまったムードを引きずったままのスタートでした。

 しかし、そんなムードを打ち消したのは、Y君の見違えるような好投。面白いようにストライクが入るY君のピッチングに、ナインのリズムも自然とよくなります。少々のエラーは「ドンマイ、ドンマイ!」。最後はエースのH君の試運転のためにマウンドは譲ったものの、本当に見事なピッチングでした。

 

最大の敵、<気持ち>の問題に、このチームは打ち勝とうとしている。それを証明するようなエピソードが、この日は他にもたくさんあったのです。

第2戦は前年度のチャンピオンチーム。当然エースのH君の出番です。前半はエースらしい好投で大差のついた試合展開。しかし後半突然崩れてしまいました。時折気にしている手を見てみると、なんとボールを投げる右手の親指の爪がはがれて、なくなっていました。先日の試合でボールを当てて、はがれていたのです。痛みを圧してのマウンド。それを見たK君が「あの~ぼく投げましょうか?」…。気が優しく、どちらかというと消極的なタイプのK君が、積極的に自ら申し出てきたのです。

そのK君も前の試合でセンターの打球を追うとき足の付け根を傷めていて、試合中以外は立っていられないほどだったのです。「大丈夫なの?」「走れないけど、投げられます。」…それよりもH君を心配していたのです。

そんなK君の<気持ち>に託して、決勝戦はK君の初登板です。ナインも緊急登板のK君を励まし支えます。フォアボールが続いたときには、みんながマウンドに行って声をかけています。

大ファインプレーも出ました。レフトに抜けようかという強烈な当たり、サードのMさんが飛びついてボールを捕まえにいきます。強い打球はMさんのグローブをはじいて転がっている。しかしそこに詰めていたショートのN君がそのボールを拾い上げ、身を呈してファーストに送球。今度は難しいバウンドをファーストのSさんが体を張って抱きかかえるようにキャッチし、間一髪アウト。支えあう心がMさん・N君・Sさんと受け継がれた見事なアウトでした。

他にもバックホームでアウトにする「1点もやらないぞ」というプレー。冷静にフォアボールを選んで次のバッターにつなごうという姿勢。支えあう心が、最大の敵、一人一人の<気持ち>の問題を克服したのです。

優勝の瞬間はまさに歓喜の瞬間でした。一人一人が、<気持ち>の問題に打ち勝っての優勝なのです。そのことを感じあえたから、あれほど仲間たちが互いをたたえあい、喜びを分かち合えたのです。そして今、この喜びを、ここまでチームを支えてくれた地域の数々のチームのみなさんと分かち合いたいのです。これまで本当にありがとうございました。

是非、秋の「ゆうあいぴっくソフトボール大会」にも勝って「2大会制覇」を達成したいです。また胸を貸してください!

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2006年8月 6日 (日)

弱者の立場、そこに送り出す側の論理

障害者の福祉作業所で、一般就労を目指す仲間への関わりについて。

一般就労を目指す仲間というのは、たいていその作業所においても中心的な位置にいる場合が多い。自分でもその立場はそれなりに自覚していて、その自覚はいろんな形で態度や行動に出ます。そしてそれがゆがんだ形で現れる時、その現場の「職員」と呼ばれる人たちにとって、頭を悩ませるひとつの問題となります。とくに障害を持つ仲間たちに対しての態度や行動。

大きくいって2つのパターンがあるかと思います。ひとつは「この人たちに任せられない」と一人で頑張りすぎてしまうタイプ。頑張るだけなら、なんら問題はない。頑張りすぎてしまって自分がきつくなって、きつくなったら相手のせいにしてしまうんですね。仕事をこなす力はあります。だから信頼されます。でもきつくなって投げてしまったり、人のせいにしてしまったりしたら、それまでの頑張りも水の泡になってしまいます。こういうタイプはあまり背負い込みすぎないように、適度な頑張りに留めておけるように周りが配慮すればいいことですから、関わり方次第ではそれほど大きな問題にはなりません。

さて、次のタイプ。「職員」と呼ばれる人たちが負けてしまうほど、よく周りに気を利かせ、非常に「助かる」人。周りがよく見える分、ついつい指図する側に立ちたがります。それによって「助かる」ことも多々ありますが、「自分の仕事をこなす」という点でやや難がある場合もあります。しかし周りがよく見えているその人にとって、「自分の領域」が視野の外に置かれてしまうのです。

前者はいわゆる「仕事をこなしてくれる人」なので、かかわり方次第では大きく伸びますし、就労支援においても、職場の人・支援者のちょっとした配慮を伝えていけばそれほど大きな問題にはならないでしょう。問題は後者のタイプです。

周りがよく見える分、仲間たちの様々な問題が見えてしまいます。だから自分が問われたとき「あの人だって・・・」とついつい自分と他者の比較をしてしまい、なかなか反省することができません。自分なりには一生懸命周りに気を使って頑張っているのに自分ばかりが責められているような気になってしまう場合もあります。その不満がつのれば、イライラの矛先は仲間たちに向いてしまいます。そしてそれもつのれば、ちょっとしたいじわるやよくない行動を起こすこともあります。ここまで来て、やっとその現場でも重要な課題となって浮かび上がってくるものです。

就労支援に限って、このようなケースへの対応をここでは考えます。周りの仲間へのよくない行動。それに対していろいろ話してみるものの、なかなか心に届きません。道徳的な観点から、説き伏せようとして失敗してしまう場合が多いようです。道徳的にしか問題にできないということは、相手に即して語れないということです。道徳とは個々人の、さまざまな理由をもつ<いい・悪い>の基準、そのさまざまな理由を取り払い一般化して抽象化したものです。つまり個々の理由を取り払ったところでの善悪の基準が道徳ということです。感覚的に抽象的な基準が道徳での善悪なのです。しかし現実に個々人に即すならば、「Aさんが、Bをするにあたって、Cをするということはよくないことである。それはCをすればBができないからである」という具体的な基準があるはずなのです。「AさんがBをする」という現実に即して、その深みに踏まえたところで「Cをすること」を問題にするならば、決して一般的で抽象的な道徳論では終わらないはずなのです。「相手に即して語れない」とはそういうことです。「Bをする」とはこの場合「就職する」あるいはもっと広い意味で「働きながら自分の社会生活を作る」ということでしょう。そのこととの関係で「Cをする」、つまり仲間にたいしてある意地悪的な行動をすることの善悪を考えるのです。

 一般的に障害者が就職する場合、その就職先の世界では「弱い立場」に立つことが多いと思います。もちろんそうでなく本当に社会や会社の先頭に立って頑張っておられる障害を持つ方々もおります。しかし福祉作業所で対象としている仲間たちは、どちらかというと「弱い立場」を前提にした就職を目指すしかない方々です。そうでなければ作業所には来ていません。

 仕事はそれなりにできるといっても、やはり配慮してもらったりフォローしてもらわなければうまくいきません。時には失敗をして迷惑をかけることもあるでしょう。それでも長く働き続けるにはどうしたらいいでしょうか。

 上記のような「弱い立場」の人が会社に入ってきている。周りの人は多くの場合、二つの感情を同時に抱えます。ひとつは「弱い立場」のこの人を助けてあげたい・応援したいという気持ち。もうひとつは、その人のできない部分「弱い立場」に基づく不足の部分に対してイライラする気持ち。・・・まわりはみんな、この両方を持っていると考えればいいのです。自分に即して考えれば分かることです。そしてこの二つの気持ちのどっちがどれだけ大きいかによって、その人の態度や関わり方が変わってくるということです。同情を求めるわけではないけれど、やはり同情に近い感情としての「やさしさ」が職場に多く溢れている方が、「弱い立場」の仲間たちにとっては働きやすい環境となります。

 ではその「弱い立場」の人が、職場でもっと「弱い立場」の人を馬鹿にしたり意地悪したりからかったりしていたら、周りはどう見るでしょう。「助けたい・応援したい」という気持ちと「イライラする」気持ち、そのバランスは大きく変わるでしょう。とても些細なことが、とても大きなことになる瞬間です。職場の人たちにとって、これまで自分のやさしさの範囲で受け止めていたその「弱い立場」の人のさまざまな失敗や不足の部分に対して、それを受け止められなくなります。周りの見方がガラッと変わるのです。それに抗して「憎まれっ子、世にはばかる」とばかりに実力を発揮できればいいでしょうけれど、そこまでの力がない大部分の仲間たちにとってはつらい世界が待っています。

 ほんのちょっとした態度や言葉で、「自分よりも弱い人を馬鹿にしている」と見られてしまった「弱い立場」の人は、その場所で長く勤められる可能性は限りなく低くなるでしょう。そういう態度や言葉は、いくらその仲間が真剣に「自分は就職したい、社会で働きたい」と思っていても、その思いと逆の方向に自分を運んでしまうのです。

 「Aさんが、Bをするにあたって、Cをするということはよくないことである。それはCをすればBができないからである」・・・その論理の具体的な形がこれです。

 支援者としては、ぜひこのような相手のニーズに即した将来の現実をイメージする力をしっかりもって、相手のニーズや現実に即した物事の善悪をしっかり伝えられる、そういうかかわり方を目指していくべきだと思います。

 自分の語る内容が、一般道徳に流れてしまい相手に届かないという現実に直面した際には、もう一度相手のニーズに戻るという習慣をつけていくべきだと思います。

  今日はなんかオレ、偉そうなこと言ってるなあ。12番目の選手のくせに。

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2006年8月 1日 (火)

またいつか富士山へ

先日、うちの福祉作業所に通う車椅子の仲間(通常「利用者」と呼ぶのを私は「仲間」と呼びます)が体調を崩し、私は病院に連れて行きました。3時間ほど点滴。彼は半分眠そう、しかし彼が寝てしまったら私も隣で寝てしまいそう(笑)。で、いろいろ話しかけていました。

今度みんなで筑波山行くけど、一緒に行こうな!

山? オレ車椅子じゃ難しい。遠慮する。

どうして?あれだけ「富士山もう一度行きたい」っていってたじゃん。

彼が車椅子になったのはわずか1年前。その前は知的障害者としてうちの福祉作業所に来ていました。歩けるころは本当に手に負えませんでした・・・。ちょっと目を離すと勝手に好きなところに行ってしまう。鍵が開いている車とか、玄関が開いている家とか発見するともう大変。勝手に入ってしまうんだから。家にはまっすぐ帰らず、お母さんのところには苦情の電話があとを立たない。注意されても3分すれば忘れてしまう。

そんな彼が福祉作業所の仲間たちと富士山の頂上に登ったのは、そのさらに1年前。普段は自分だけの世界で、いたずらばかりしている彼が、富士山の話になると笑顔でいつも報告してくれます。

そんな彼が予期せぬ転落事故で、脊椎損傷=下半身不随になったのは1年前。生死を境にしても「また富士山に登りたい」といつも話し、集中治療室から一般病棟に移るときも「歩けるようになったら、また登るから」と話していました。

彼は「神経は完全に断裂しており、一生足を動かすことができない。」と宣告されていましたが、歩けると信じていました。彼の知的な障害が、ある意味絶望の淵から彼を守ったのでしょうか。暗い顔や諦めた顔は一度も見せたことがありませんでした。そして「絶対にありえない」と言われていた足を動かすということ、あるとき彼は「ホラ!」といってそれを見せてくれました。ありえないことが目の前で起こり、一瞬私は途方に暮れましたが、彼の生命力の強さにただただ感動しました。

生命力の信じがたいほどの強さと前に向かう気持ち、それがあれば「不可能」をなぎ倒せるのか!前に向かう気持ちがあれば、向こう岸にある断裂された神経を、わしづかみにできるということか!

しかし実際に足がピクリと動くようになってから、彼の口から「富士山に登りたい」という言葉がなくなりました。「歩けるようになったら」という言葉もなくなりました。足がピクリと動くようになったことが、むしろその先の道のりの険しさを彼に自覚させたのかもしれません。

そんなこともあり、私は「筑波山に行こう」と持ちかけたのです。始めの答えはNO。

質問を変えました。「最近どんな夢を見る?」

点滴を受け、半分の意識の中で彼はこう答えました。

「飛行機に乗ったり、電車に乗ったり・・・」

「夢の中では歩いてるのか?」と私。

「うん、歩いてる。だけど飛行機から落ちたり電車から落ちたり、怖い」と彼。

普段表情に出したり言葉に出したりしない、いやできない、彼のトラウマです。たとえ夢の中が車椅子でもいいから、楽しい夢が見られたらいいな。

「やっぱり筑波山に行こう!怖かったら下のほうで遊んでもいいし、上に行きたかったらみんなで引っ張っていくから」「分かった、行く」と彼。

明日は彼の退院。入院中も元気なときは私が朝病院に迎えに行って、福祉作業所に連れてきていました。そして仕事が終われば病院に連れて行きます。だから退院も私が行き、そのまま彼は作業所に来るのです。作業所、家族、病院、在宅看護センター、この4者が四辺をなし、彼を頂点としたピラミッドを形成しています。あるいは4者で彼を乗せたお神輿を担いでいるというべきか。

またいつか、富士山へ・・・。

その前に海外旅行に連れて行く約束もしているんですけどね。今年の秋。

彼とはまあ、そんな関係です。

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2006年7月16日 (日)

私のスランプ脱出法

久々の投稿です。長いスランプにはまり込んでいました。「前に向かって一歩足が出ない」という症状は、しばらくなかったことです。

スランプのおかげで、体調はよくなりました。睡眠時間が多くなったからです。仕事時間と睡眠時間は反比例しているので、やるべきことを毎日蹴り倒している間、体は元気になりました。しかしスランプからくる心の鈍痛は、けっこう厳しいものがありました。したがって「体調はよくなった」といっても胃腸などの消化器系には苦労をかけました。

さて今回は「私のスランプ脱出法」です。福祉の世界で働くものとして、「心の健康」は(もちろん体もそうですが)常に留意しておくべきことで早期の対応を要するものです。それは心を開けっ広げにして仕事をする世界だからです。自分の心を閉じたまま相手(障害者など)の心を開こうということは、精神科医でもない我々にとって、できることでもないしまたやるべきことでもありません。本題に移ります。

スランプ初期の場合、まずするべきことは<スランプの実体構造の分析>です。具体的には以下の通りです。

まず登場人物(実体)を措定します。「スランプ」とはそもそも実践が先にあり、その反作用を受けての再実践に関わる事柄です。ですからまず実践主体(私)があり、そして実践の対象があり、その実践に関わる諸関係があります。仕事というものは、それがたとえ福祉労働であってもあるいはプロスポーツであっても、すべて諸関係を前提とした実践です。平たくいえば、基本構造として次のような登場人物が前提となるでしょう。

A:私  B:仕事の対象(人や物) C:仕事上の諸関係(多くは上司・同僚など)

Cを前提にしたAが、Bに向かって取り組む構造、そこのどこかに不都合が生じて「スランプ」になるわけです。そしてまた、実際にどこにどういう不都合が起きているのかという現実の問題と、その問題を「私」の心でどう捉えているのかという意識の問題は実は別々の問題なのです。そしてここでは「意識の問題」としての「スランプ」をどう脱却するかという点に絞っていきます。

そもそもここでいう実際の不都合に関わる「現実の問題」と、その心への反映としての「意識の問題」は、「スランプ」を実感している意識状況下ではかなり乖離している場合が多いと思います。実際に解決すべき問題は常に必ず「現実の問題」なのですが、その「現実の問題」を包み隠してしまうくらい「意識の問題」が肥大化してしまい、ここでとりあえずの解決を目指さなければ「現実の問題」が見えてこない、そういう状況下において「意識の問題」の当面の解決を図るということです。したがってそれは、本来の「現実の問題」への糸口という意味をも持つのです。

A:私  B:仕事の対象(人や物) C:仕事上の諸関係(多くは上司・同僚など)・・・この3つの登場人物を前提に、まずは自分の「心のスランプ」のパターン分けを行います。まずこのA~Cの中で、どれが意識の比重として重いかということから分析していきます。

①Aが重いタイプ・・・もちろんBやCとの関係がうまくいかないことが前提なのですが、意識の比重としてはA=私にある場合です。うまく行かない実践そのものよりも、そういう自分自身とばかり会話をして悩みこんでしまうパターン。「自分がダメだ」と思いつめてしまうパターンです。

②Bが重いパターン・・・仕事の対象そのものの困難さや膨大さに押しつぶされてしまいそうになるタイプです。①のようにむやみに自分を責めすぎたりすることはありませんが、仕事を前にして手や足や心が前に出ず、倦怠感に支配されます。①のような自己否定的自己嫌悪に苦しむことはありませんが、無気力感、虚脱感に襲われます。

③Cが重いパターン・・・①、②の混合タイプではありますが、意識の上では仕事の上司、同僚、部下などとの関係が意識の大半を占めてしまうパターンです。①のように落ち込んでばかりでもなく②のように無気力ばかりでもありません。意識下においては落ち込んでもいますし無気力感もありますが、それ以上に他者への怒り、イライラがつのり、そして他者の自分への評価をあれこれ想像することに時間を費やしてしまいます。①の自分そのものよりも②の仕事の対象そのものよりも、他者への意識が大きくなっているのです。こういう場合あまり「スランプ」の自覚は持つことができません。「自分」や「仕事」で直接悩むわけではないですから、極端な話すべて「あの人のせいで・・」という意識になっているのです。ただしこの場合にも②と同じように実際の自分の仕事は進んでいないはずです。

私の場合、今回は明らかに②のパターンでした。①も③も、長い年月の中では経験してきたことではあります(今の仕事を始めるずっと前のことですが)。しかし今回は②でした。ということは逆からいって①や③はそれなりに克服してきたということでもあります。そしてその克服の鍵は「自己評価の適正化」ということだと思います。まずはそれを振り返ります。

結論から言えば、自分自身の自己評価あるいは自分の「あるべき姿」、「本当はこのくらいできるはず」という広義の自己評価が、実際の自分とかけ離れている場合、①や③を引き起こすということです。自分の「あるべき姿」を高く設定しすぎてそれに押しつぶされてしまうのが①。自分の「あるべき姿」の高さを守り抜くために、結果として他者を蹴落とすことになるのが③だということです。「あるべき姿」「自分はこのくらいできる人間だ」という意識、その設定が高すぎている中で、その高すぎる設定を守る強さがなければ①のように崩れるし、守り抜く強さがあれば他者を蹴落とすという③の行動に出ます。それだけの違いです。また強いか弱いかもその時の自分の状況・立場によって決定されます。

私は①や③のタイプのスランプを経験する中で、自己評価を下方修正してきたつもりです。大きく崩れる心配もなければ守りぬくために必死になる必要もない、そういう位置に自分の評価を定めてきました。ですからボロクソ言われ続けても大して動揺しませんでしたし天まで持ち上げられてもそれにしがみつく気持ちもありません。すべてはいくつかの大きなスランプと、そのときこの私を支えてくれた人たちとの出会いのおかげです。(その人は読んでくれていると思いますが。)

さて今回は②のタイプです。やるべき仕事が目の前にボンとある。たくさんあるわけだからひとつずつこなしていけばいいのは理屈では分かるが、どれも手につかない。そしてそれらの仕事の大変さは50%認識している。「50%の認識」というのは、実際取り掛かり始めたら今の想像以上に大変な仕事だということを今の想像上認識しているという状態を指す。「20%の認識」ならば、本当の大変さを想像する前の段階なので、人は前向きになれる。少なくとも意識の上では。そして「80%の認識」ならば、すでに解決の道のりを示せているかあるいは実現困難と判断しているかどちらかなので、あまり苦難はない。この「50%の認識」で立ち止まっているというのが今の自分の現実です。

さあ、どうするか。やるべきことは多種多様。毎日頭の中では「今日はこれとこれをこなして・・・」と構想するものの、何一つできないまま毎日が過ぎていきます。とはいっても何もせず頭を抱えているわけではなく、福祉労働者の原点として、障害を持つ仲間たちとの関わり、汗水流してともに働くという生活を毎日送っているのですが、半分それが「逃げ」であることを自覚してはいます。(自分の原点である世界が同時に「逃げ」る場所でもあるということに、幸せは感じます。それはさておき・・・。)

やるべきことの多種多様ぶりの分析からはじめました。グラフを書いて縦軸と横軸それぞれ「すぐに結果が出るか、あるいはなかなか結果が出ないか」「とても重要か、あるいはそれほどでもないか」・・・するとこう分類されます。

① すぐに結果はでるが、それほど重要ではない(やるべきことだが、遅れてもたいした問題ではない)。

② とても重要だが、結果が出るまでに時間がかかる。

③ ①と②の間にあるもの。

意識の上ではこうなります。「①は今すぐやらなくても大丈夫(やれば結果はすぐ出るから)。②は今すぐ始めても、すぐに結果が出るわけではない(しかも始めたら大変)」・・・そういう意識で、手が止まるのです。

結論からいえば「スランプのときは①の仕事からやっつけていく」ということです。

重要性をあれこれ頭で考えていく前に、目の前のことをひとつずつやっつけていくこと。「仕事をこなした」という実感が自分の気持ちを前に押し上げ、困難な②に立ち向かう自分を作り上げてくれるということです。今日私は自分の会社の簿記の「総勘定元帳」の形式を整えた。わずか15分の仕事だった。毎日毎日「今日はこれとこれとこれをやろう」と構想していたものから外れていた、些細な仕事だった。でもそれで吹っ切れた。つぎにやりたいことが見えてきた。やるべきことでなくやりたいことが見えてきたのです。

ソフトボールの試合の前の15分を使ってできる仕事。いつでもできるから隅に追いやっていたことを取り掛かったことで心の闇が晴れた。心の闇が晴れたので、このブログも書く気になった。(長すぎますけどね。)

私の知り合いでこのブログを読んでくれている人たちの中に、真面目すぎて一生懸命すぎるがゆえにさまざまな「スランプ」を抱えている人たちがいます。「まさか、自分のことじゃないだろ」と思っているあなた、実は「あなた」のことです。「あなた」はひとりではありませんが、しかし「あなた」は十分「あなた」のひとりです。

「スランプ」を栄養にして、自分の道を切り開きたいと思います。かろやかに小さいことを成し遂げ、大きく喜びたいものです。そしてそれを呼びかけたいと思います。

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