2007年7月26日 (木)

親離れ子離れそして兄妹離れのすすめ

この重いテーマについて、あえて書く!一部の福祉関係者、保護者などにとって見たら耳の痛くなる話であろう。しかし書く!

今日、千葉市に住む私の実妹から、メールが来た。以下全文。

そろそろ巣立つかも。一羽で過保護に育ったからなかなか飛ぶ勇気がない。親達が促してるんだけど。もしかしたら兄ちゃんが助けた彼奴かもしれない。違っても彼奴の兄弟には変わり無いね。

実は数週間前の日曜日の朝、実妹から弊社に電話。「団地の階段の踊り場の上に、ツバメが巣を作って、ヒナが一匹落ちちゃった。助けようがない。お母さんツバメも困っている。どうすればいいの?」

「お兄ちゃんが飛んでいくサ!待っていなさい!」

たまたま休みの日の朝だったので、すぐさま現地に向かった。片道1時間以上。ヒナは助かるか・・・。

現地に着くと、その救出の困難さに思わず愕然とした。階段の踊り場の天井なので、簡単に届く場所ではない。3匹のうち、2匹はすでに亡くなっていて、一番小さなヒナだけが動いている。

「お兄ちゃん・・・助けてあげて!」

私は団地から離れ、近所に長い脚立のある家を片っ端から探し回った。ずいぶんと走り回ってやっと見つけた。「すみません!脚立を貸してください。ヒナが落ちちゃったんです!」玄関から出てきたおじいちゃんは「そりゃあ大変だ。持っていって。錆びてるから開くかわかんねえけど。」

団地に戻り階段を走り、アクロバット的なかけ方で脚立をなんとかツバメの巣まで届かせた。錆びた脚立がもし折れたら、踊り場の4階から私はまっ逆さまだ。福祉の世界では「惜しい人をなくした」とかと言われるのだろう。

でもヒナを無事救出。足は震えたが、妹の期待には応えた。

そのヒナたちが、巣立ちの時期を迎えているというのが、先ほどのメール。なんとも可愛い、私の妹らしいメールだ。ツバメの巣の写真までついていた。200707260734331

妹よ、困ったときはいつでもお兄ちゃんを呼ぶんだぞ!

いつでも助けになってあげるからな。

ちなみによくこのブログにコメントをくれる「giriimo」とか「girl sister」は義理の妹で、妹はどちらもやっぱり兄としてかわいい。

以上、「親離れ子離れそして兄妹離れのすすめ」でした。

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2007年7月 1日 (日)

アオムシを囲む人々

日付が変わろうとしている。それでもアオムシは頑張っている。わき腹からまたひとつ寄生蜂のマユを出した。そして体液が染み出している。おそらくこれが最後の寄生蜂のマユだろう。

長男の風歌は言った。「アオムシ、頑張ってる。だけど蝶にはもうなれない。」それ以上は語らない。慎重に言葉を選ぼうとして、そして結局選ばれた言葉はない。それが沈黙。

妻は金魚たちの世話をした後、アオムシのかごに目をやる。金魚たちはあの重い病気を乗り越えて、今日妻の判断で、やっと淡水に戻った。アオムシをしばらく眺めて、子供たちを連れて二階に上がっていった。

わたしの母が、深夜起きてきた。「アオムシ、きっと痛いんだと思う。どのくらい痛いんだろう。このまま生かせておくのがかわいそう。末期がんの人を見てきた。ただ痛いだけの状態がかわいそうな気がする。いっそのこと楽にしてあげたほうがいいんじゃないか、と思う」。そういい残して部屋に帰っていった。反論はできなかった。でも<命>って、痛いとか痛くないとか、展望があるとかないとか、そんなものの向こう側にあるような気もする。

明日からまた仕事頑張ろうと思う。

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アオムシ、ありがとう。

先週末、我が家の家族になった「トモノアオムシ」が、1週間猛烈に食べ続け、やがて虫かごの屋根によじ登り、さなぎになる準備に入ったことは、前回までのブログで書きました。長男・風歌(ふうた)やその友達のことちゃんが、とても大切にそのアオムシのさなぎの準備を眺めていました。

先日の朝、アオムシの様子がおかしい。へんな白い糸がわき腹からたくさん出てきて、アオムシは明らかに苦しんでいます。私は妻と風歌に「アオムシの病気について調べておいて」と言い残し、仕事に出ました。その日の仕事は忙しく、帰りは深夜になってしまいました。翌朝風歌に「アオムシはどうなった?」と聞きました。

「アオムシはねぇ…。食べられちゃったの。」重い口を開いて風歌が答えました。私にはまったく理解のできない答え。虫かごの中にいたのに、何で食べられちゃうの?

妻が説明してくれました。以下、妻の答えのすべてです。

アオムシは、寄生蜂(アオムシコマユバチ)に寄生されていた。この寄生蜂は、アオムシに卵を産み付けられ、幼虫となり、アオムシの体内で食い荒らし成長し、アオムシがさなぎになる準備に入った時を見計らって外に出てくる。そして出てきてすぐマユになる。およそ30匹。さなぎになるために天井で準備をしていたアオムシにその30個のマユが固まっている。すでにその蜂の30個のマユの方が、アオムシよりも大きくなっている。

トモノアオムシは、それでも生きている。食い荒らされた下半身はもう動かなくなっているが、体中に張り付いたマユから何とか逃れようと頭を動かし続けている。

アオムシは、蝶になることもさなぎになることも、もうできない。大好物のキャベツを5日間食べ続け、あんなに大きくなって、そしてさなぎになる準備に入った。しかしそれは、寄生蜂のために食べ続け、寄生蜂のために天井に登っただけだった。

「アオムシは、お腹は痛かったと思うけど、蝶になろうとして天井に登ったんだよね」と妻。「きっとそうだよね」と私。

風歌も「蝶になったらサヨナラするんだ」と語っていた。いい<サヨナラ>を待ち望んでいた。

あまりにも残酷な話だ。風歌は「腹ペコアオムシ」のアニメDVDを何度も見て、最後に蝶になる姿を繰り返し見ている。我が家のアオムシのことはもう何も言わない。

私は、寄生蜂のマユを鬼のような形相で全部壊し、アオムシを天井からキャベツの葉っぱの上に戻した。体はもう半分の大きさになってしまっている。さなぎになる準備をしていたアオムシだから、もうキャベツは食べないのかもしれない。実際食べてくれない。もちろん食べたとしても、さなぎにはなれないだろうし、そもそも食べた物が消化されてウンチになることもないだろう。

でもあんなに大好きだったキャベツの場所に、どうしても戻してあげたかった。一口でもいいから食べて欲しいな。

最後は本当に自分のために。

でも私が殺した寄生蜂のマユも、蜂の赤ちゃんです。蜂も可愛い赤ちゃんを産むために、卵を産みつけたのです。そう考えると、何がなんだか分からなくなってきた。妻もこういいました。

「自然は恐いね。でも私たちが生きていることだって、このアオムシと寄生蜂の関係とあまり変わらないんだよね。いろんな命の犠牲の上で生きてるんだよね。」

「そうだね」と私。

今、このブログを書いている途中、下に降りてアオムシを見に玄関に行った。そこには妻がいた。お互い顔を見合わせ、ちょっと哀しく笑った。アオムシはまだ生きている。

アオムシ、ありがとう。今度生まれてきたら、きれいなモンシロチョウになってね。

そして寄生蜂のマユたち、ごめんなさい。あなたたちを殺すことはなかったかもしれません。

B0025008_22102251 これがアオムシと寄生蜂の写真です。

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2007年6月29日 (金)

アオムシのその後

今日、仕事から戻ると、「おかえりなさ~い」の数がいつもより多い。ことちゃんとのんちゃんがまた遊びに来ていた。お母さん頑張りすぎてない?

そして虫かごに目をやると、アオムシがいない。長男が「アオムシはねぇ。さなぎになる準備をしているの」。ことちゃんも続けて言います。「上のほうにいるよ。さなぎになるときに動かすと、死んじゃうんだよ。だから動かしちゃダメだよ」…「分かった。」

さなぎになったら、次は本当に蝶になります。蝶になったらサヨナラをしなければなりません。長男にそのことを話すと、意外にも納得していました。以前なら「絶対にサヨナラしない!」と駄々をこねるところなのに。

私の会社の方は、また仕事がドーンと入りました。県内の各福祉施設に発注する仕事です。今回もまた儲けはとりません。かなり率のいい仕事です。どこにどれだけ回すか、とても頭の痛い問題です。たくさんの作業所・施設から「仕事をくれ」といわれておりまして、そのすべてに応えられないのが心苦しいです。

昨日は県庁で会議。「行政としての(作業所の)立ち上げ支援のあり方について」という内容。ん~難しい。行政の仕事を民間がやるということは、意外とスムーズな場合が多い。しかし本来民間の仕事を行政がやるとなると、これが結構難しいというか、…疑問符がたくさんついてくる。

やはり地域福祉は、地域に根っこをはるその力強さこそか定着・安定する鍵です。あえて手を差し伸べてはいけない領域があるようにも思えます。

養殖は天然には勝てない。

会議のあとは、酒の席。いろんな話が聞けました。今日、このブログを開いた人の中には、「自分のことが書かれているんじゃないか」とヒヤヒヤしながら開いた人もいるのではないかと思います。

大丈夫です。しかし9月が楽しみです。船橋が変わるかも?

こんなことを書いている間に時間は刻々と過ぎていきます。明日は午前中職員会議のあと、午後講演を頼まれています。講演と質疑応答で3時間をどう費やすか。まだ何も考えていません。貴重な週末に聞きに来てもらうのだから、参加者一人一人に「来てよかった」と思ってもらいたいのですが、何を話せばそうなるのか、まだ見当がつきません。このまま何も準備をしないで行ったほうがいいかもしれないという気にもなってきました。(逃げかな?)

今日は一日牛乳配達をしました。10年前からのお客様、笑顔はぜんぜん変わらないのだけれど、そのおばあちゃんがずいぶん小さくなってきたように思います。これからもずっとその笑顔でいてもらいたいです。

講演準備は、もう諦めた!

ごめんなさい!

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2007年6月27日 (水)

アオムシは今

アオムシは今、猛烈に食べています。自分の体よりも一日のウンチのほうが大きいのです。もう4日間、我が家はアオムシの話題ばかりです。

なんでもそうですが、やはり出会いを大切にすることです。出会ったことによって面倒な部分もある場合もあるでしょう。でもその出会いを大切にしていれば、必ず報いはあるのです。それを期待するのでなく、そうなった結果に感謝することが大切です。

キャベツを猛烈に食べ続けるアオムシは、毎日ものすごい勢いで大きくなっている。8mm程度で我が家に越してきたアオムシは4日間で30mmに。4日で4倍?

これを見ていて、これまで野菜が嫌いだった長男が「ぼくも大きくなるよ」と、キャベツをたくさん食べるようになりました。

大人たちが、ガミガミ言っても食べない野菜、それをわずか数十ミリの小さな家族が食べてそして大きくなる姿を見せることで、簡単に解決してしまったのです。

アオムシのおかげです。

福祉作業所から就職していった仲間たちも、みんなが欲しがるようなゲームなどをたくさん買い込んで、たまには作業所に見せびらかしに来てくれればいいなあ。就職すればこれだけいろいろ買えるという姿を見せに来てくれればいい。そうすればみんなもっと「就職したい」っていう気持ちになるだろうなあ。

無理かな?

下に「害虫駆除なら」というスポンサーリンクが貼ってあることに驚きます。ちゃんと読んでから貼れよな!

あっそうそう。今日、このブログを読んでくれている方から、私のところで働きたいというお手紙をいただきました。お電話して面接日などを設定したいと思いますが、今日はもう遅いので、明日にでもお電話差し上げます。

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2007年6月25日 (月)

アオムシ

週末、私が料理をしている時、ほうれん草に蝶のさなぎを発見。長男に見せたら大喜び。「アオムシがさなぎになったんだね。蝶になったら、ぱ~っと飛んでいくよ」…結局、我が家の庭のトマト畑でさなぎを飼うことにした。

そうそう、長男も4歳になりました。まだ年少組です。

さなぎの様子が気になり、すぐに庭に出ようとする長男。網戸を開けたまま庭に出てしまうので、蚊がたくさん入ってしまう。長男に「蚊が入るから閉めて!」というとなぜか変な格好(志村けんのアイ~ンみたいな格好)で固まっている長男。「何してるの!」というと「ちょっと待って!すぐ終わる」と彼。よく見ると肘に蚊が止まっていて、長男は蚊が血を吸い終るまでじっと待っていた。長男は蚊を殺すことも許してくれない。もし次男(2歳)がコガネムシの胴体を引きちぎって「あっぶっ壊れちゃった~」などと言っているのが長男の目に止まったらと考えると、とても恐ろしい。

とにかく、そんな長男が庭でさなぎを育てている。

その翌日、今度はアオムシが小松菜に乗って我が家にやってきた。8mmほどの小さいアオムシ。当然長男は大喜び。庭のトマト畑での飼育が許されなかったので、虫かごで飼うことになった。このアオムシの可愛さには、長男だけでなく、家族全員が夢中になった。日曜日は我が家の中心にこのアオムシがいた。かなりの偏食家のアオムシで、小松菜、キャベツが大好き。タンポポは拒否。何を食べて何を食べないかで家族の輪ができた。

「このアオムシは、いっぱい食べてさなぎの中に入って少し休んで、今度出てくるときは、蝶になるんだよ。オモシロ蝶になるよ。」と長男。

「オモシロ蝶?」…すぐにその意味が分かって爆笑してしまった。庭でさなぎを見ながら私とばあちゃんが「これはモンシロ蝶だね」と話していたのを長男が聞いていて、「モンシロ蝶」が「オモシロ蝶」になったのでしょう。

じゃあ、このオモシロ蝶のアオムシの名前を決めよう。

長男がすぐに提案。「トモノアオムシ」。

「えっアオムシっていう名前?」と私が聞くと、「違う!トモノアオムシ!」と長男。

4歳児の頭の中では、トモノアオムシは、すでに家族なのでしょう。家族はみんな同じ苗字を持つから、同じ苗字をつけたのでしょう。「でもトモノアオムシは、トモノタロウ(我が家のカラス)に見つかったら、すぐに食べられちゃうよ」と周りが言うと「絶対にダメ!」と拒否する長男。

日曜日はそんなアオムシデーでした。ただ不幸なことにこのトモノアオムシ、次男の目に止まり、次男は夜、虫かごを振り回したり投げつけたりして遊んでいました。(長男は見ていないようです。)しばらくじっとして動かなかったトモノアオムシですが、夜の11時ごろ、再びキャベツを食べ始めたのでひと安心。アオムシの運命や如何に。

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2007年3月11日 (日)

金曜日の夜

金曜日の夜、私が大きな荷物を持って帰ってくると、子供たちはちょっとしょんぼりする。「親父、お仕事いっぱいもって帰ってきたのね」と風歌(3歳)。

そして今日「かあちゃん、ロイヤルホームセンター行こう」とかあちゃんを誘い、外に出て行った。気の使い方が最近大人びてきて、もうちょっと子供らしさを持ってもらいたいと思う反面、「(外に行ってくれて)助かった」とも思ってしまう。早く仕事を片付けてあげなきゃな。

心歌(こうた・1歳)は、寝起きの時隣にいるのがかあちゃんだと思ったら親父だったというただそれだけの理由で、「もう~!おやじ、ないの!」と言って私の顔面を殴ってくる。私が優しく「こうちゃ~ん」と呼んでも「こうちゃん、しないの!」と言ってパンチ。

 そのくせ私が朝食中にはニコニコして近づいてくる心歌。

「心歌はこんな時しか寄ってこないんだから、来ても何もあげないよ~」と私が言うと、風歌が心歌を抱きしめ、「こうた、おやじに『おはよう』っていってごらん。もらえるよ~。」とささやいている。心歌がそれに応えて「おはよ」という。

しょうがない。お兄ちゃんがそういうなら。心歌にあげるしかない。心歌はもう口をあけて「ちょうだい、ちょうだい」をしている。この二人の大好物は梅干。

心歌、ネコとふざけていて、ネコと頭をゴッチンコ。ネコの石頭に勝てるはずがない。かなり痛かったはずだ。それなのにネコを抱きしめ「痛いの痛いのとんでけ~」とやってあげている。お兄ちゃんがいつもしてくれることを、こうしてネコにやってあげている。Cimg0035 写真はネコを抱いている風歌となでにいく心歌。ずっとずっと、この子達のために親父も頑張らなきゃいけないなあ。

さてさて、以前心歌がスティービーワンダーの「I just called to say I love you」を歌っていることを書きましたが、相変わらず心歌はその歌がおお気に入りです。

 散歩に出ても走りながら「I just called~」と歌っています。名前が心(ソウル)歌(ソング)で、誕生日もスティービーワンダーと同じ。自然にはじめて歌った曲がこの曲。偶然としては驚きであることを以前ブログで書きました。http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_cf94.html

 ところがさらにビックリすることを最近知りました。この曲、邦題がついていて「心の愛」というタイトルなんですって。心歌が歌う「心の愛」かぁ。

 たとえ傷つきやすくても線が細くても構わないから、人の心の痛みが分かる人になって欲しいと思います。それが叶えば、親父のダメダメ人生も、多少は意味のあったものに変わるのでしょう。

 さあ、子供たちがロイヤルホームセンターから帰ってくる前に、仕事を終わらせちまいましょう。

 ちなみに最近妻のブログからここに入ってくる方々もいらっしゃるようなので、あえて『子育て』カテゴリーで書きました。下が妻のブログ。

http://kurasitanosi.blog60.fc2.com/blog-entry-58.html

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2006年10月29日 (日)

金魚のキスのしかたについて

固い話で~す。今日は書きたいテーマが二つあります。日曜日。子供たちとの約束もあり、夜はお友達との約束もあるので、その隙間に書きます。まずは一つ目。

私は4年前に、「職業リハビリテーション」(障害者の就労支援)に関する研修に行きました。当時「職リハ」の世界でさかんに言われていたことは、「まずは個人の機動力・柔軟性を活かして地域のネットワークを作ること」でした。個人で作り上げるネットワークを組織に還元していく・組織を軸としたネットワークに発展させていく。そのためにはまず「個人」ということです。なぜ「個人」でなければならないかというと、あまりに「組織」を意識しすぎたり、相手に「組織」を意識させすぎたりすると、「人」としての信頼関係が作れないからです。どんな提案をされても「いや~理事長に相談しないと、私の一存ではお答えできません」「その件につきましては、~と上の者が申しておりましたので、~ということでお願いします」・・・こんな対応に終始するような状態では、その「人」にまわりはついてきません。腹の中では当然「理事長・所長はなんていうだろうか?私の判断は間違っていないだろうか」と小便チビるほど不安に駆り立てられていても、それを態度に出してはいけません。シガラミは外に見せるものでなく、自分の中で消化するものです。「私」というものをまずは知ってもらう。そして「私」を知ってもらうことが組織を知ってもらうことなのです。なぜなら「私」の中には組織というものが貫かれているはずだからです。そしてもしそうでなければ、「私」として動くべきではありません。

私の場合は障害者福祉の世界の人間なので、ネットワークを作るということは、障害を持つ仲間たちが中心になるということです。だから「私」として動く時には(まあ、いつもそうですけど)「私」の中に、障害を持つ仲間たちへの思いや愛情(怒り・悲しみも含めて)を、体中にブチ込んで動くのです。威張ることも媚を売ることもせず、虚勢を張ることも無理やり陰に回ることもせず、普通に他者と向き合うのです。なぜなら、その時点での「私」は、障害者の代理人にすぎず、障害者が求めている他者とのつながりは、まずは「普通の関係」だからです。だから私も「普通」に徹するのです。

さて、4年前の研修。その時のメモで私の5カ年構想というものがありました。講義を受けながら、私なりにイメージしたものを書きなぐったのです。初公開ですが、この4年間はその時の構想に沿って私は動いています。なぞの多い私の行動の種明かしです。

1年目、まずは地域の関係者とのつながりを作ること。地域の福祉関係者・町会・病院・理解のある住民の方々・、商店街や地域の中小企業・・・そういう方々とのつながりを作ることです。地域の福祉祭りなどの実行委員や会合、地域行事への参加を通じて作りました。

2年目、学校関係者。養護学校の先生などとの信頼関係を作ること。実習やちょっとした講演のようなものも含めて活用しました。

3年目、福祉の業界関係者。「福祉作業所等のあり方研究会」に所属し、小さくなりながらも(なってねえか?!)必要な関係者とのつながりを作り、情報などを仕入れやすい環境を作ってきました。情報を仕入れやすい環境を作るということは、自分も情報発信者になることです。そのためには苦手な勉強もそれなりにしなくてはなりません。受験生の手本になるくらい(笑)影でこっそり勉強をしました。

今年4年目は「障害者自立支援法」の施行も絡みますので、行政の関係者。人当たりよく、行政の方々ともニコニコとお話しておりますが、実は4年前に腹黒~く(笑)計画していた「ニコニコ」ですので、ご了解ください。つながりとしては予想を超えて広がってしまい、少々戸惑ってはいます。先日も船橋から遠い市町村の行政関係者から障害者の趣味に関する相談の電話。・・・もう少し話しても大丈夫かな?・・・ペットの飼い方です。ちょっと顔を出してみるにはあまりに遠すぎるのでここで書きますが、ペットを飼うのは小さい子供の育児と同じです。

抱き上げ、キスをすることです。(金魚も?・・・金魚には水槽越しにしてあげてください。やっとタイトルの理由が分かった?)

さて5ヵ年構想の最後、来年は企業関係者です。そのための準備として、まだ青写真以下の状態ですが、今年会社を立ち上げました。5月1日に「会社法」が施行されましたので、ゴールデンウィーク全部つぶして準備して、5月8日に立ち上げました。これもまた受験生の鏡で、一夜漬け勉強のお手本のようでした(笑)。来年に向けて、少しずつつながり作りは準備を進めています。

このように1年ごとにスタンスを少しずつ変えてやってきていますが、なぜ1年毎かというと理由があります。準備に半年・実践に半年、このくらいのスタンスがやはり必要だからです。毎年度前半にまず手を広げます。本当にパーッとね。単なる思い付きや思い込みでなく、計画的にそれなりに準備はしているわけですから、当然つながりは広がります。そして年度後半は、それを少し縮小します(笑)。「縮小」とは二つあります。ひとつは切り捨てることです。障害を持つ仲間たちにとって、あるいは地域や社会全体の障害者にとって、プラスになるメドがたたないつながりを維持する必要はありません。(その人が「障害者にとってプラスにならない人」ということでなく、私がその人とつながる必要性があるかどうかの問題です。)もうひとつは、冒頭でもお話したとおり、「私」から「組織」に還元することです。大切な人とのつながりを「私」としてでなく「組織」としてのつながりに発展させていくことです。あるいはつながりの中での役職を、うちの職員に引き継ぎます。(面倒だから押し付けているわけではないのですよ。誤解しないでね。あっ今日福祉祭りだね。頑張ってね。)

こうして身軽な状態に戻りながら、年度後半から、翌年の準備をするのです。これが私のスタンスです。

5ヵ年構想の集大成としては、これらのつながりをひとつに束ねて、ひとつの形にすることです。それは障害者の雇用と就労の支援、これにつきます。会社作りもそのための準備でした。だからこの時期を選んで立ち上げたのです。私の行動原理の種明かしです。この時期の種明かしも計画どおりです。あ~すっきりした~。不眠と便秘が治るかな?

そして参考になったかな?はやく追いついてこいよ!立ち止まって待つことはしないけど。誰のために書いているか分かるだろ?

坊やと小娘。

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2006年10月15日 (日)

週末地域福祉の歩き方

最近「育児」の記事ばかりで「ちゃんと仕事をしているのか」とお思いの方もいらっしゃると思いますが、もともと大した仕事をしているわけではありませんので、その点はご理解ください。「大した仕事」をしているのは、障害を持つ仲間たちです。そしてそこに寄り添う「職員」と呼ばれる仲間たちです。

さて、今は日曜日の昼間。この土日について今日は書きます。

昨日土曜日は、朝からフラッと「障害者の働く場クローバー」へ。春になればまたうちを希望して養護学校の生徒さんらがたくさん入ってきます。今の場所だけでは狭すぎるので、新たな作業所=店の場所探しです。行きつけの不動産屋(笑)などを回ります。この近辺の不動産屋は、障害者自立支援法について、少なくとも他の地域の不動産屋よりは詳しいはずです。なぜなら、私が説明して回っていますから。地域活動支援センターの家賃補助の計算方法なども既にご存じです。この季節に私がフラッと不動産屋に行くと、それだけで「また増やすんですね」とすぐに了解されます。まずは私のイメージの話をします。それに合う物件をいろいろ探してくれます。あるひとつの不動産屋の奥さんがしばらく実家に戻っていたことも、そしてその理由も私は知っています。「お父さんは?」「ええ、結局亡くなりました。でも100歳まで頑張ってくれたから・・・」「そうですか」。

フラフラ歩いていると、地域の顔と呼ぶべきオバチャンたちにもあちらこちらで会います。これからの構想などいろんな話をしながら情報収集。この方法が一番いいのです。もちろん身の上話なども織り交ぜながら。いろんな悩み・いろんな問題を抱えながらみんな自分の人生を生きている。その事実は障害あるなしに関係ありません。息子さんとの関係、自分の体調のことや老後のこと、かわいい孫の話、くだらない(失礼!)近所の噂話・・・。そういう話にも付き合います。付き合わされます。

この日は物件については収穫なし。うちの職員の事業構想はどんどん広がって具体的になってきています。なんとかそれに追いつくようにベースを用意してあげなければいけないのに・・・。

午後は、近所の在宅の障害を持つ方のお宅に訪問。私個人として、たまにこうして訪問したり外に連れ出したりしています。自分が若い頃、障害を持っているがゆえに社会から・会社からさんざん受けてきた辛い思い。40年経っても若い障害者たちは今でも同じように辛い思いを背負って生きている。そんな社会が少しでも変わっていくことが彼の夢であり願いであります。私の夢や今後の構想や今の福祉行政の動きなどをお話しています。とても目を輝かせて聞いてくれます。私自身もなんとなくダラダラと惰性で仕事をしていたりする時、こうして訪問してその方と話をします。「このままじゃいけない」とピリッとします。

近所まで戻ってきたので、一度自宅に戻り子供たちを連れてまた福祉作業所などに行きます。

「生活ホームあかり」ではYさんが庭の草取りをしていた。「今日はやることないから草を取る」・・・「仕事」としては草取りが一番嫌いといっているのに・・・。そこに近所の子供たちが集まってきました。5~6人の子供たちが虫かごを持って生活ホームに結集。虫かごの中にはヤモリやトカゲ、カマキリやその餌としてのバッタがたくさん!生活ホームに暮らす障害を持つ仲間たち、近所の愛すべき悪ガキたち、うちの子供たちが輪になって遊んでいました。5歳のお兄ちゃんが3歳のうちの息子にカマキリなどを触らせてもらっています。息子は大喜び。ヤモリのお腹を触らせてもらったり・・・。近所の4歳のお兄ちゃんが一言「このヤモリ、腹筋ないねえ」。このすばらしい一言に逢えただけでこの日の私は幸せになりました。調子に乗って「おじさんは腹筋強いぞ!」とシャツをめくると、悪ガキたちが次々と私のお腹に思いっきりパンチ。我慢して平気な顔をしていました。これも私の地域福祉のスタイルです。

地域(近所の悪ガキ)と施設(生活ホーム)の垣根、そして私の私生活(息子たち)その三者の垣根はこの空間にはありません。地域も福祉も家庭も全部ゴチャ混ぜにして生きていくスタイルは、実は「とまりぎ」の30年来のスタイルです。

「とまりぎ」の創設者・岸本は30年前、在宅障害者を訪問し、「地域に出よう。ともに働こう」ということを呼びかけて回り、「とまりぎ」ができました。岸本は、障害を持つ仲間をその自宅まで迎えて、そのお宅に自分の子を預けてから福祉作業所にきていたと聞きます。えっちゃんのお母さんに自分の子供を見てもらっていたのです。今のように福祉作業所への補助金制度もなく完全自主運営をしていた作業所で岸本自身がとっていた給料が当時5万円。障害者には多い人で6万円払っていたと聞きます。極貧生活の中、障害者の地域での生活を支えるために、彼は同時に自分の生活も支えてもらっていたのだといいます。えっちゃんのお母さんがよく言っていました。「岸本さんは、仕事に熱中しすぎて、うちのえっちゃんを送ってくれるのはいいんだけど、自分の子供をうちに忘れて置いて帰っちゃうのよ(笑)」・・・こんなエピソードも残っているようです。そんなえっちゃんのお母さんが20数年後、体を壊し動けなくなった時、えっちゃんとえっちゃんのお母さんの生活を泊り込みで支えてくれたのが、岸本の娘さんでした。そんなえっちゃんのお母さんも他界。天涯孤独になったえっちゃんは今生活ホームで仲間たちと暮らしています。

そしてその生活ホームの庭でこの日作られていた仲間たちと近所の子供たちとうちの子供たちの輪。私の知らない「とまりぎ」創設期をイメージしながら私は考えました。「とまりぎの歴史と理念のわずかひとかけらでも、継承できているのだろうか?」。

土曜日はこんな一日でした。

今日日曜日は朝からチラシ配りの作業を行う仲間たちの送迎と、「前原地区福祉祭り」への顔出しとあいさつ回り。今日も昨日以上にたくさんのエピソードに恵まれましたが、もう疲れたので書きません。(仕事もたまっているし・・・。)

10月11日、千葉県は全国初の「障害者差別条例」が制定。障害がある人もない人も当たり前のように地域で暮らす。そのための背景が「条例」として制定されたのです。

ここで少し、威張っちゃおうかな?

千葉県には「とまりぎ」があります。

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2006年10月 1日 (日)

タイトルのつけようのない話

今は日曜日の夕方です。昨日、土曜日も販売やら会議やら「障害者就労継続支援事業」の立ち上げ準備の手伝い(要は引越し)やらで動き回り、今日も「白井梨マラソン」の引率でやっと家に帰ってきました。週末もあまり家にいられないため、たまに早く帰ってきたときは息子たちと遊ぼうと決めていましたが、妻と息子は友達の家に遊びにいったきり帰ってきません。妻の友達とは、千葉県障害者就労事業振興センターの職員の人で、うちの長男と同じ年の娘さんのいるお母さんです。せっかく遊びに行ったのだから、いい仕事ネタでも持って帰ってきてくれればいいのですが、そういうわけでもありません。話は、お互いの共通の趣味のコーヒーのことや育児のことばかりのようです。

そもそも私と妻も、あまり仕事の話はしません。こちらもやはり話題は子育てと、共通の趣味の音楽と映画、そして動物たちの話ばかりです。(交際中から仕事の話はお互いしませんでした。)昨夜の家族会議は、金魚の水槽の水の量が多すぎることの弊害について。ばあちゃんから提起があったのでそれについて話し合いました。その少し前は我が家に25年住んでいるカラスの目の大ケガについて。(おそらくは失明してしまったと思われます。)千葉市に住む私の妹が我が家のカラスの異変に気付き、「病院に連れて行ってあげなよ!」と言ってきました。羽の奇形で飛べない・歩けない・目もほとんど見えないカラス。もう老体なので病院に連れ出すのも可愛そう。獣医学の進歩と私たちの過保護で、動物たちは本来の寿命より長く生きることがあります。苦しいだけの延命が彼らにとって望まれることなのか、そんなことを話し合いました。

さて今日は「育児」についてです。(前置きが長げ~よ)

数日前、妻が「今日も一日イライラして風歌(長男)とケンカばかりしちゃった。ごめんなさい。」と夕食時に私に訴えてきました。息子は長男として、妻は母親として、それぞれ成長してきているので、以前の「イライラ」とは質が違うはずです。妻は続けます。「風歌が言うことは、いつも正しい。それは私も分かっている。でもかあちゃんはうまくできないの!だからついつい『かあちゃんだって、頑張ってるんだから認めてよ』と風歌に要求しちゃうの」といいます。長男はまだ3歳になったばかり。ずいぶんと難しいケンカをしてるんだなあ・・・。

1歳の心歌(こうた)に対して妻が注意していると「かあちゃん、もう少しやさしく言ってみなよ。笑った顔をしてみなよ」と長男は言います。また「かあちゃん、心歌にお水あげてみなよ」と長男。言われたとおり水を飲ませてあげると次男は落ち着きました。妻と次男のケンカに際しては「それは心歌が悪いよ」「それはかあちゃんが悪いよ。かあちゃん少し落ち着いてよ」・・・そんなこともいいます。こんな関係を一日続けていて、妻がとうとう「もう、いや!」となってしまったようです。

「風歌に頼りすぎているんじゃないか?まだ3歳だぞ。対等な立場で話を聞きすぎて、ゆとりがなくなっているよ。『お兄ちゃん、えらいなあ』ぐらいの気持ちでいいんじゃないか。」私はそういいました。

リフォーム中で足場に囲まれた家を見ると「ねえ、あの家つかまっちゃってるよ。束縛されてる。いやだよ~って言ってるよ」。筑波山に行った帰りには「山が泣いてるよ。風歌君が帰っちゃったよ~、さびしいよ~って泣いてるよ。風歌、泣いてる山を発見したよ。」・・・そんな長男。

真正面から向き合いすぎているから、もう少し長男とその感性を包み込むような関係をつくったほうがいいよ。それが私の意見でした。半分納得して半分納得できない顔の妻。

その夜、私は自室で仕事をしていました。書類の山と格闘している私のところに長男がやってきました。「おやじ、なにやってんの?」「お仕事だよ」。長男は窓を開けて空を指差してこういいました。「ホラ、見て。もう真っ暗だよ。真っ暗のあとは、いい天気になって明るくなるんだよ。だから今日はもう、お仕事はおしまいの時間だよ。」・・・ドキッとしました。「確かに全部片付けようとしたら、朝になっちゃうな。風歌のいうとおり、区切ることも大切だな」。さっきまでの切羽詰った気持ちと、「頑張るぞ」というモチベーションはすべて消えました。

「あと少しだけやったら終わりにするから、下で待っててね。」と私。「うん、わかった。じゃあ、下で待ってるからね。」続けてこういいます。「おやじ。あと少しでお仕事おわりなんだから、あと少しは、ちゃんとがんばるんだよ」。

一度やる気が切れたところで「あと少しはがんばるんだよ」の一言。またドキッとしました。「そうだな、最後はちゃんとやらなきゃな」・・・。納得してしまいました。

そして分かりました。妻の言う「風歌のいうことはいつも正しい。でもかあちゃんはうまくできないの!」・・・こういうことか。私も短時間だが長男の一言一言に完全に振り回されていました。妻の半分納得できない顔の理由も分かりました。息子を受け止めることを妻に要求する前に、私が妻を受け止めるべきでしたね。それにしても、この人(風歌)と付き合っていくのは大変だなあ。

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