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2007年11月 3日 (土)

東京モーターショー

今日は以前からシンタロウと約束していた東京モーターショーに行ってきました。大手術を控え、今後自由な活動が制約されてしまう。その前に好きなところに連れていこう、というものでした。シンタロウとシンタロウママ、私の妻と子供たち2人という2家族での大移動。渋滞と人混みという私の大の苦手なことでしたが、楽しかったですよ。

車椅子と一緒に、そしてチビふたりを連れながらだったので、全部見て回ることはできませんでしたが、それでもシンタロウも楽しんでくれたと思います。

回った範囲で、私とシンタロウママの見解としては、三菱モータースのお姉さんが一番きれいでした。「シンタロウ、友野さんの奥さんとあのお姉さんどっちがきれい?」とシンタロウママ。

いや~それは、ねえ。なんというか~。難問でしょう。

難問すぎて答えられません。口が裂けても答えられません。それほど難問。

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2007年11月 2日 (金)

メールありがとうございます。

昨日ドラゴンズが日本一になったことで、昨晩から今日にかけて、実にたくさんのメールをいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

ただ、若干勘違いをなされている方が少なくない人数でいらっしゃいますので、訂正させいて頂きます。

「ドラゴンズ勝ったから、アイツおごってくれるんじゃないか?」

「いつ焼肉連れて行ってくれるんですか?」

おごりませんから。

ただしおごってもらう約束はしています。うちの阪神ファンの職員。クライマックスシリーズで阪神ー中日、負けたほうがおごることになっていましたから。(ひどい所長?)

その人はいい人なので、たぶん「自分も中日ファンだ」といえば便乗できるのではないかと思います。直接お問い合わせください。

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2007年11月 1日 (木)

中日ドラゴンズ優勝!

涙が止まらない。中村ノリのヒーローインタビュー。

53年ぶりの日本一。しかし私がファンになってから33年。

33年前のドラゴンズの優勝については、平成16年6月のブログで触れたことがある。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_29cf.html

「1番高木が塁に出て~2番谷木がヒットエンドラン、3番谷沢がタイムリー、4番マーチンホームラン~」・・・あれから33年経ったんだなあ。私はまだ名古屋に住んでいて、ブログにも書いたが、町は大騒ぎだった。なんの疑いもなく、ドラゴンズファンになった。

千葉に越してきて、死んだ親父が「鈴木孝政を見に行こう」と後楽園に連れて行ってくれた。巨人・新浦と鈴木・・・と思いきや三沢の先発だった。「孝政じゃないじゃん!」私が言うと、「今度ナイターでもう一度孝政を見に行こう。速いぞ~」・・・。そんな親父も13年前に死んだ。

昭和57年の優勝は、人生の中でも一大事だった。高校受験の勉強をしながらラジオにかじりついていた。怪物江川の完封ペースを9回に大逆転したのは、大島のタイムリーと中尾(その年MVP)だった。ノートに大きく「ありがとう」と書いて泣きじゃくっていた。日本シリーズ、平野のタイムリーが1塁審判の足に当たり、本塁タッチアウト。あれで流れが変わり、最後は東尾のふてぶてしいマウンドの前に、西武の優勝を見た。

田尾が大洋長崎との首位打者争いの中で5打席連続敬遠もあった。5打席目、明らかなボール球をスウィングし抵抗を見せた田尾の姿を見て涙があふれた。

ケンモッカの引退試合、モッカが最後のサードのプレーでエラーをして苦笑いをした時、「ありがとう」と叫んで泣いていたのを覚えている。

谷沢の引退試合でのライトスタンドへのホームラン。

肩のケガからカムバックした鈴木孝政のど真ん中のスローボール(パームボール)での見事な三振。中継ぎエース堂上(堂上兄弟の父親)の連日連夜の登板。宮下がクロマティの暴行に向かっていった態度。全部が感動だった。

近藤真一の初登板ノーヒットノーランの時、篠塚に投げた最後のカーブは明らかに高めに外れたボール球だったが審判は「ストライク」。堂々とした近藤の態度に、審判の手も上がった。「強く生きよう」と思った。

昭和57年、16勝4敗で最高勝率のタイトルをとった都裕次郎のその年の防御率は3.14。円周率と同じだった。肩や肘を痛めた都は、その後左投げを諦めて、2軍で右手で投げていた。「何事も諦めず生きよう」と思った。都は今スコアラーをしている。

仁村徹の流し打ち、大島の潔い三振、上川の短く持ったバットでのシャープなセンター返し。バード島田。森田・与田の2枚ストッパー。代打の切り札豊田。(時代がメチャクチャになってきた。)

千葉で過ごした高校生活。大学は当然名古屋の大学に。もちろんドラゴンズをナゴヤ球場で応援するため。貧乏だったので、2軍戦ばかり見ていた。中日-近鉄戦。近鉄はルーキー中村ノリ(18歳)がサードを守っていた。2軍の中日の4番はラルフ・ブライアント。キャッチャーは今阪神の矢野だった。ブライアントはその後近鉄で、すばらしいホームランアーティストになり、阿波野とともに近鉄の一時代を築いた。

ノリが、中日のユニフォームを着てMVP。

そりゃ、泣けるでしょ。

遠い夜空にこだまずる

竜の叫びを耳にして

ナゴヤ球場詰め掛けた

ぼくらをジーンとシビレさす

いいぞ頑張れドラゴンズ、燃えよドラゴンズ

1番田尾が塁にでて

2番平野が送りバント

3番モッカがタイムリー

4番谷沢がホームラン いいぞ頑張れドラゴンズ、燃えよドラゴンズ

5番大島よみがえる

6番宇野が狙い打つ

7番中尾が駆け抜ける

8番田野倉躍り出る いいぞ頑張れ~

不死鳥孝政投げ抜いて

小松・牛島あとを絶つ

若きエースだ郭・都

続け三沢も藤沢も いいぞ頑張れ~

豊田よボールに食らいつけ

上川バットに気を入れよ

守れ金山走れ平田

華麗な守備の正岡も いいぞ頑張れ~

ミラクルガッツの石井君

天才ミートの藤浪君

生まれ変わった川又君

期待のルーキー尾上君 いいぞ頑張れ~

天下分け目に木俣あり

ここ一番に星野あり

いまこそ憎きジャイアンツ

息の根止めて優勝だ いいそ頑張れ~

ぼくらはみんな願ってる

祈る気持ちで待っている

それは一言優勝だ

近藤監督の胴上げだ

いいぞ頑張れドラゴンズ、燃えよドラゴンズ

 25年前よく歌っていた歌が、昨日のことのようにスラスラと出てきました。

ドラゴンズ、ありがとう。

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