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2007年7月 8日 (日)

足立区学力テストの件と「工賃倍増計画」、および鼻くそについて

 東京都足立区のある小学校で、区独自の学力テストの集計から障害児3名の答案用紙を除外していたというニュースがありました。また他にも点数を上げるための不正もあるようです。(7月8日朝刊)

 この事実に対して、良心的な障害福祉関係者は憤慨するでしょうし、良心的な学校教育関係者は「起こるべくして起こった」と落胆するでしょう。

 このブログは、障害福祉関係者の読者が割合的に多いと思いますので、ちょっと説明します。

 足立区教育委員会は、昨年10月、学力テストの結果によって、小学校計72校、中学校計37校をそれぞれ4段階にランク分けし、最大約500万円から約200万円とする方針を打ち出しました。(一度「撤回」発言もあったが、事実上その方針で新年度を迎えました。)
 これほどまでして足立区が「学力向上」をめざしている直接の動機としては、東京都と区が実施している学力テストの結果が23区中23位、つまり最下位だったことがあげられます。「予算」という「エサ」と「脅迫」により、各校を競争させることにより学力アップを目指そうというやり方です。そして朝日新聞の報道では、小学生の間でも「エリート校」「バカ学校」という言葉が飛び交っている状況にあるようです。おそらく報道されたこの小学校以外も、似たり寄ったりのことがあるのでしょう。

 そして「平均点向上」のための奥の手として、障害児3名を集計対象から外すという行動に出たのでしょう。また、その他にも「学力テスト平均点向上」のためのさまざまな不正が行われていた可能性も指摘されています。

 東京都が、もし東京都の学力テスト平均点を出すときに、最下位の足立区を集計から外していたとしたらどう思うのでしょうかね。それと同じことを平気でしているのですよね。

 この学校の先生方、学校関係者、足立区の教育関係者の資質に問題があるわけではないでしょう。「何としても学力を上げたい」という思いがいつの間にか一人歩きして、当初の目的を見失い、手っ取り早い平均点アップの方法に手を染めたということでしょうか。「平均点」の向上ためには、弱者の切捨てがもっとも手っ取り早いのでしょう。

 千葉県には「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県作り条例」(「障害者差別条例」)があります。行政の方々も、福祉関係者も、この全国唯一の条例に誇りを持っている方が多く、私自身も半分は(*1)「いいことだ」と思っています。

 (*1)「半分は」とつけたのは、本来はこんな条例を必要としない社会こそが望ましいからです。障害者の差別に関する条例が必要な社会というものは、障害者(等)の差別が根強く存在している社会ということになります。「健常者への差別を禁止する」とか「男性への差別を禁止する」とかという条例はないでしょう?そのような条例が生まれる物質的根拠が存在しないからです。行政の方々は条例によって差別をなくす・減らしていくという考え方をするのは当然ですが、地域福祉の現場からすれば、逆の視点も必要です。差別を生み出す社会的背景を地域福祉の実践によって改善していくことこそが地域福祉の視点です。「そんな条例、うちにはいらないよ」という社会こそが望ましいのです。そういう社会でないこと自体が、我々地域福祉の実践家の反省材料なのです。そういう条例が必要だったという現実自体が我々に反省を要求しているのですよ。条例成立に大騒ぎしているみなさん、足元をどうぞご覧下さい。みなさんの回りをどうぞご覧下さい。そこに見えるものが条例を必要とする物質的根拠です。そしてそこがあなたのフィールドです。あなたの責任領域です。そこに立ち返りましょうよ。

 お~っと、話を大きく戻します。千葉県にそのような条例があるというところに戻しますね。このような条例がある千葉県なのだから、足立区の小学校のような事件がなければいいな、と思いますが、心配もあります。ましてや「教育」の世界でなく「福祉」の世界ではこのような<弱者切捨て→平均点向上>のような馬鹿げたことはないだろうと思いたいのですが、これもまた心配があります。

 千葉県は、さきのような条例をもつ県です。「障害者福祉先進県」を目指すことは当然のことでしょう。他方千葉県は、障害者施設・作業所の「平均工賃」が全国で下位に甘んじています。そこを改善したいと思うことも当然のことでしょう。そこに国から「工賃倍増計画」に関する予算が降ってきた。(1000万~3000万?)「よしっ」と思うのも当然でしょう。

 でもその「よしっ」という気持ちは、ある意味先ほどの足立区の教育行政とそのブレーンの教育関係者の「よしっ」という気持ちと大きな違いはないはずです。足立区も都内最下位の「平均学力」を引き上げたいという強い思いで改革に乗り出したのだからです。

 要は、そこから足を踏み外さないよう自己点検が必要だということです。弱者切捨てで「平均学力」を表面上押し上げようとした足立区と同じ道を歩んではいけないということです。それが本来の「障害者差別条例」を持つ千葉県のスタンスであるべきです。

 「平均学力」も「平均工賃」も、ある意味同じ落とし穴があります。「何のため?」という視点を失うと、一人歩きしてしまう恐れのある数値だということです。本来中味のない数字のはずの「平均」を実体化してしまうと、とても危険だということです。弱者切捨てにつながりやすいということです。「教育」の世界でどうかということは私の専門外なのでコメントはしませんが、少なくとも「福祉」の世界の絶対的な前提は、弱者の視点に立つことです。実体化された「平均」は、常に弱者に冷たい眼差しをおくります。

 簡単な話、生産性の低い障害者を入れれば、その施設の平均工賃は下がります。切り捨てれば平均工賃は上がります。

県の単位で考えた時、何の作業をしていいかさえ分からず困っている施設・作業所を無視して、強者を育成・養成しても、県の「平均工賃」は上がります。これまで行く場所もなく自宅や病院、入所施設から外に出ることがあまりできなかった多くの障害者が「まずは外に出ること。地域の中で日中活動の場をもつこと。」を目指して、作業所などが急速に増えたとしたら、県の平均工賃は下がります。意地悪な言い方をすれば、「まずは日中の居場所を作りたい」という場所を、その地域からなくしてしまえば、その分「平均工賃」は上がるでしょう。極端な話、「工賃倍増」は簡単な話です。

 「平均工賃」なんて、そんな数字でしかないのです。しかしそれが実体化され、ある意味魔力を持つと、とんだ間違いを起こす恐れもあるということです。

 とりわけ千葉県の福祉行政が「工賃向上」を考えるなら、何よりもまずボトムアップを考えるべきです。数字の話は好きではないのだけれど、あえて言うならば「工賃1万円」に届かない施設・作業所に対する支援をまずは考えるべきだと思うし、数字的な結果が欲しいのならば、「工賃1万円」の達成数(割合ではない)を大切にすべきです。

 現場の感覚からして、障害者の給料、1万円に届くかどうかは大きな意味を持つような気がします。初めて「給料1万円」を、障害を持つ仲間が持ち帰った時の親の顔を見れば分かります。施設・作業所に「障害を持つわが子の面倒を見てもらっている」という意識が、「この子、働いているんだ」に変わるのが、この「1万円」だと思うのです。(一般論ですけれど。)「行ってらっしゃい。頑張って。」と送り出される関係が築ける線が、一般的にはこの「1万円」にあると思います。

 障害福祉サービス費の自己負担分を除くならば、交通費・食費などの利用諸経費(支出)を超えるためにも、この1万円という線が大切なように思います。

 もちろん「1万円でいい」と言っているわけではありませんし、事実私の作業所ではその「1万円」の線は楽に超えていますが、「これでは足りない。もっと増やしてあげたい」と日々考えています。

 しかし県全体の施策を考えるならば、「働いている」という実感の沸く最低ラインとしてのこの「1万円」を達成するための施策を打つことが、もっとも千葉県らしいことのはずです。「草の根的」な地道な活動を重要視した施策が、本来は望ましいと思われます。

 別な視点から考えます。障害者が差別される際の根源的な背景は、社会そのものの根源的な存立条件が生産諸関係にあるということです。つまりその社会の生産諸関係の様態が社会の形態・様相・意識を根源から決定しているということであり、障害者差別が生まれる物質的な根拠は、障害者がその社会における社会的生産諸関係からはみ出していることにあります。そしてそのことがまた、障害者就労に関する福祉行政が存立する根拠でもあります。今の社会の生産様式・生産諸関係からはみ出された障害者たちにいかに就労の場を提供し、障害者差別が生み出される社会的生産関係における矛盾点を補完するか、それが就労に関する障害者福祉行政の立脚点であるはずです。

 

 「福祉」はあくまで社会にとっては「補完」であって、「補完」は矛盾を前提としています。矛盾に盲目な「補完」はありえません。矛盾に立脚しつつも、同時に現実肯定的・追認的な立場で「補完」は成り立つのです。ただし「補完」は矛盾の縮小をこそ願う立場であって、矛盾の拡大再生産に対しては断固たる拒否の立場をとるべきであります。社会の矛盾を、障害者福祉の世界で拡大再生産させることだけはしてはいけないのです。そのような意味でも、障害を持つ人が社会的生産関係の中でそれなりの役割を果たせるという実感の、文字通り最低サインを「1万円」に置くならば、そのラインにこだわりを持ってもいいのではないでしょうか。

もっとも、事実として作業所等には障害の程度・種別などによって「最低1万円」さえもかなり厳しい仲間たちがいることも事実です。しかしその彼らの数百円・数千円の労働の価値を、価値としてしっかり受け止めてあげることももうひとつ大切な視点になりますが、これは現場の人間の考える領域です。

話が大きく蛇行をしています。

さて、どうまとめましょうか。

このブログの記事、誰が何に使っても構いません。私、友野剛行の執筆です。やたらと「鼻くそ」だの「うんこ」だのと連発するブログを書いております。

鳥取の方々も読んでいただいてますよね? どう思います?

ではまた。

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