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2007年6月18日 (月)

父の日

月曜日、今日は一日憂鬱な気分が抜けませんでした。何をやっても失敗しそうな気がして、いつもは秋空のように澄み切った私の頭の中の事業構想にいきなり雷雲が立ち込めたような感覚。まあ、明日には復活しているんだと思いますが。ビールを適量処方すれば。

昨日、長男の幼稚園の父親参観に行ってきました。初めて見る息子の幼稚園での生活。でも息子はおやじに気ばっかり使って「あの子がリンゴ組の○○ちゃんだよ」とか「△△君はイタズラばっかりで、すぐ怒られちゃうの。」とかと説明。「そんなことはいいからいつもの姿を見せてよ」・・・。

みんなで何曲も歌をうたっていたり、長い手話をみんなでやっていたり、「ここまで教え込むのは大変だったんだろうなあ」と感心しました。そしてその輪の中に長男が普通にいることに感動しました。お父さんのための歌もみんなで披露してくれて、手作りのプレゼントを一人ひとりのお父さんが子供から受け取ったりして、私も「親父、いつもありがとう」と言われて泣きそうになりました。終わった後では、それぞれの父子が愛情たっぷりに抱き合う光景がたくさんありました。どの家族にとっても、忘れられない一日だったでしょう。

でも、私は仕事柄、ちょっと胸が苦しくなったのも事実です。障害者の日中活動を支える場というものは昨今ではたくさんありますが、うちは特に本当に行き場所がない仲間たちが最後に門をたたく場でもあります。生活支援の体制が取れなければ支えきれない仲間たちが多いということです。「行き場所がない」ということにはさまざまな理由があって、家族の問題がその1番の理由です。事実、私が毎日接している仲間たちには、小さな頃から親と離れて生活するしかなかった仲間も多いのです。

私なりには「彼らはきっと寂しかったんだろうなあ」と考えてはきましたが、実際にこうした親子で感動するような演出などが幼稚園や学校などで普通に行われているのを肌で知り、その暖かな輪の中に身を置くと、「彼らはこういう環境の中でひとりたたずんで何を思っていたのだろうか」と考え込んでしまいました。

本当の意味で心の交流が難しい彼ら。心の扉が厚い彼ら。その扉を叩く日々の中で、彼らの幼少時代の孤独を私なりに想像はしてきましたが、想像とはおそらくまったくレベルの違うものだったのだろうと、この父親参観で思いました。

父親参観から家に帰り、妻などは「どうだった?よかったでしょ?」といろいろ聞きだそうとします。息子も「どうだ!」とばかりに得意そうな顔、満足な顔でこちらを見つめています。その言葉と心に応えたかったのですけれど、素直な感想をストレートに妻に告げることはできませんでした。「親がいない子のことを想像して胸が苦しくなった」などと家に帰った直後に言えないでしょう。(このブログで妻に白状したことになりますが。)

息子にはそんな寂しい思いをさせたくないと思う反面、第二、第三の息子のようなあの連中(障害を持つ仲間たち)の心の闇を少しでも触れたいと思う気持ち、それらが交差して、得意の自己嫌悪にも発展。直接にはあれだけ頑張って歌や踊りを覚えて披露してくれた息子を前にして、モヤモヤした気持ちを抱いている自分への嫌悪かな?

これが今日一日の憂鬱の正体かな? 自分でもよく分からない。

でもありがとう。

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