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2007年5月30日 (水)

イライラとパズル

昨夜の私は、家に帰ってもしばらくイライラが収まらなかった。家でイライラすることはほとんどないのだけれど。イライラするといっても表面的には無口になっていつも以上に掃除ばかりするだけですから、まわりは「調子悪いのかな?」と思う程度でしょう。

原因は、おそらくパズルだと思います。「リサイクルショップクローバー」で、働く車(消防車、パトカーなど)のパズルが出たので、次男・心歌(こうた)に買って帰りました。中古品ですが、パーツは全部ありました。

家に帰ってお兄ちゃん(風歌/ふうた)に「心歌にパズル買ってきたんだよ」と話すと、「心歌パズルもってなかったもんね。一緒にやろう!」お兄ちゃんも弟もご機嫌でパズルを始める。弟は細かいことは気にしないタイプなのであまりパズルには向かない。お兄ちゃんは1歳の頃から数十ピースのパズルを仕上げていた。だからこれは簡単すぎるのだが、弟のために「心歌、ここだよ~」と説明しながら並べている。弟も大喜び。

ところが、1ピース足りない。絵にポッカリ穴が開いている状態になってしまった。完成されたパズルの絵を楽しみに並べていたのに、最後の1ピースが無くなっていたのだ。途中車に乗るとき、私はパズルを落として、バラバラになったものを全部拾ったはずだった。しかし1ピース無くしてしまったのだ。

2人をとてもワクワクさせて、自分自身もワクワクしながら2人と遊んでいたのに、最後の最後にガッカリさせるだけになってしまった。

そういう自分自身の馬鹿さ加減に対する苛立ちが、妻や子供たちが寝静まった後もずっと体から消えなかったのだ。

朝になって立ち直った。そんな朝、福祉作業所のU君のお母さんから電話。U君が体調を崩し、頭痛がひどいという。今日は休ませることにした。

親たちはたいてい、障害を持って手のかかる我が子を福祉作業所に面倒を見てもらっていると考えている。(もちろんそういう側面はある。)しかしそれだけではない。

みんながパズルの1ピース。全員が集まってはじめて作業所の「絵」が完成する。1ピースでも不足なら、絵としては不完全なのだ。昨夜の子供たちとのパズル遊びと重ね合わせながら、U君のいない作業所を見て、そう思った。

みんな大切な一人一人。早く元気になれ。

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2007年5月29日 (火)

作戦!

障害者福祉の現場でさまざまなハプニングを乗り越え、仲間たちの地域生活を作っていくためには、ときにさまざまな作戦を練る必要がある。その作戦について語ったら、記事は何本でも書ける。

以前、何度もおまわりさんのお世話になってしまう仲間がいた。障害を持つ仲間に対して、基本的におまわりさんは優しいから、その人もついつい甘えたくなってしまうとおまわりさんの世話になる方法を選んでしまう。<優しいおまわりさんから、恐い私が彼女を引き取りにいく>という構図では何度も同じことを繰り返すだけだ。

その日、またしても呼び出しがかかり迎えにいった。彼女に会う前におまわりさん数名を呼び集め作戦会議。そして演技指導。おまわりさんが怒って留置所に入れようとしているところに私が入っていって、「今回だけは助けてください!」と彼女を救出し、「もうしません」と約束させる。おまわりさんもノリノリ。しかもやっぱりホンモノの人たちの演技はすごい。私自身演技だと知っていても恐くなってしまうほどの迫力。私が平謝りをしてなんとか彼女を救出し、車に乗せ、彼女に向かってこういった。「ひどい警察だなあ。あんな連中に今度つかまったら本当に何されるか分かんないよ。次につかまったら、俺、助けられないかもしれないよ。」…ウンとうなずく彼女。

 帰り際、こっそりと私が頭を下げると、おまわりさんたちはニッコリしてOKのサイン。(彼女、この記事読まないだろうな?)ここまで演技をしてくれたおまわりさんたちの想い、どうか彼女に届きますように。

 今日は別の彼が朝から暴れる予感。気持ちが優しく、また動揺しやすいため、社会のニュースに感情を制御できなくなってしまう。今日のスポーツ紙のトップ記事は、ある政治家の自殺とあるグループのボーカルの死去。どちらもとても悲しいニュースです。彼が読んだら動揺を超えて興奮し、時に大暴れになってしまうこともあります。そしてまわりに危害を加え入院騒動になることもあります。こういう時、我々は彼を落ち着かせよう、なだめようとするのですが、それは彼にとって、壁を作ってしまうだけのようです。「俺の気持ちが分からねぇ連中」という印象を与えるだけだからです。余計に独りよがりになってしまうのです。

 今日、私が作業所に入ったとき、彼はすでにスポーツ新聞を買いあさっていました。「調子はどうだ?」と聞くと、「いいわけねえだろ。バカヤロウ!」との返事。顔を近づけて威嚇してきます。

よし、俺が彼よりも興奮してやれ!

私は昨日中日ドラゴンズが負けて、巨人に抜かれて2位になったことを大騒ぎした。中日が負けたという一つのニュースで、相手よりも先に大騒ぎをしたのだ。「ちゃんと応援したか?してねえだろ!どうしてくれるんだ!負けちゃったじゃねえかよ!スポーツ紙を俺に見せたら承知しねえぞ!今日は休みだけど、明日も負けたらお前どうなるか覚悟しておけよ!」

私がニュースで大騒ぎしている姿を彼に見せつけた。彼は引いていた。引いたということは冷静になったということだ。彼は私にこう言った「おい、野球バカ。中日が負けたっていうニュースだけで俺を殺す気か?」

私は答えた。「わかった。俺が悪かった。じゃあこれからはニュースで大騒ぎするのはお互いやめような。」

彼は一日落ち着いて作業をしてくれた。

賛否両論あるかと思いますが、これが私の作戦です。まだまだあるぜ!「バカヤロウ」。

「作戦」といっても、要は相手と同じ目線に立つための工夫です。

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2007年5月27日 (日)

今日は一日、、、。

損益計算書と貸借対照表を作成しておりました。

この両者の絡みって、仕上がるとゾクゾクしますね。誰が考えたんだろう?

ストックとフローの絡みでひとつのモノ(事業)を表現する。

物理学の世界では量子論として、物質(その最小単位)を物質と波の2側面から捉えますよね。互いに他を否定しあうものの弁証法的統一として存在了解します。これは自然によって与えられたものの認識であり解釈なのですけれど、それと同じような論理性を上記の2つは持っている気がします。しかも人間が作り出した経理の方法論。考えた人の頭の中を見てみたい。

そんな悠長なことを言っていられるのは18年度決算だからであって、来年度はそんなこと言っていられないだろうなあ。

今日はとりあえず一人で乾杯!

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2007年5月26日 (土)

僕の骨

前回の記事、タイトルをつけるのに苦労したもんだから「汚れつちまつた悲しみに」なんていうタイトルにした。長男・風歌(3歳)がなんとなく口にした詩のタイトルを、そのままつけた。

今日の朝、4時半に目が覚めてしまった。今日はいつもより出勤時間が遅いため、もう少し寝られるのならば寝ていたい、、、そう思いながら携帯を見ると、メールが来ていた。その詩の先が送られてきた。

    

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も小雪の降りかかる

 汚れつちまつた悲しみに

 今日も風さへ吹きすぎる

 私も神経や感性がとんがっていた10代~20代の頃、この中原中也の詩を好んで読んでいたが、今では記憶の中でしか読むことがなかった。

 なんとなく気になって本棚の奥のほうに眠っている(「眠っている」こと自体ある意味うらやましい)中也の詩集を引っ張り出して読んでみた。

 詩を読むとき、あまりその人の年譜なり時代背景なりを探るのは元来好きではない。<感じる>と<評論する>は違うからだ。

 早朝から吸い込まれるように読んでいて、ふと気がついた。「20代前半の頃と感じ方が違うな」。

 「ホラホラ、これが僕の骨だ、

 生きていた時の苦労にみちた

 あのけがらわしい肉を破って・・・」

 「おもえば今年の5月には お前を抱いて動物園

 象を見ても猫(にゃあ)といい 鳥を見せても猫(にゃあ)だった

 最後に見せた鹿だけは 角によっぽど惹かれてか

 何とも云わず 眺めてた」

 中也は、長男を2歳で亡くしている。「感性の詩人」「感性の天才」などと言われているし、私もそう思って読んでいたが、そんなレッテル張りはだめだ。どんなに悲しかっただろう。

 また、不思議な詩の意味も分かった。

 「かなしい心に夜が明けた、

  うれしい心に夜が明けた、

  いやいやこれはどうしたというのだ?

  さてもかなしい夜の明けだ!」

 なんで「かなしい」のに「うれしい」のかが分からなかった。「これはどうしたことか?」・・・「かなしい」と「うれしい」が混じりあっていることこそが「かなしい夜の明け」なんだなあ。

 かなしさに徹しきれず、うれしさも首をもたげる。うれしさ自体何ら悪いことではない。でもうれしさが悪いことに感じてしまう。それはなぜ?

 中也は混沌とした心情を、混沌と書き綴っている。「感性の天才」だなんだっていわれているけど、この混沌とした感性は、「天才」だから感じるものではない。それをそのまま表現できたことこそが「天才」なのだろうが。

 中原中也の最愛の長男・文也が2歳にして亡くなったのが、1936年1月10日。そして次男・愛雅が産まれたのがその5日後の1月15日。

 いったい、なんてことだ!

 それから「亡き児 文也の霊に捧ぐ」とついた「在りし日の歌」という詩集を書きためた中也。しかしその翌年の1937年結核のため亡くなる。(「在りし日の歌」刊行。)

 さらに翌年の1938年、次男の愛雅が亡くなる。

 70年前のお話です。

 うちの2歳の心歌(こうた)も、2歳の文也と同じようにトラを見てもクマを見ても「ミヤ」(うちの猫の名前)と呼ぶ。変わっちゃいないんですね。赤ちゃんは。そしてそれを愛おしむ親の気持ちも。

 自分の「骨」を冷めた目で眺める中也。その向こうにある愛おしいものへの気持ち。

 20代前半までの頃と読み方が変わったのは、「感性」なり「表現」を実体から切り離してとらえるのはイミテーショナルだということ。香水と同じで実体がないものはそれまででしかないということ。(ん~表現が下手だな!)

 とにかくメールありがとうございます。仕事に行く時間です。

今日は法人の総会。そーかい、そーかい。

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2007年5月24日 (木)

汚れつちまつた悲しみに

ご無沙汰しております。毎日たくさんの方々にご訪問していただき恐縮です。さて、先週の青葉の森リレーマラソン大会ですが、わが(障害を持つ)10人の仲間たちは見事42.195kmタスキをつなぎ、3時間10分で完走しました。今週末はソフトボールクラブの試合です。2つの法人の総会も今週末にあります。

 昼間、福祉作業所でギャーギャーと大声を出して仕事をして、夜妻が寝た後は会社の仕事をして、朝妻や子供たちが起き出す前に法人事務局の仕事をしています。土日は障害者スポーツ。こんな男なのに逃げ出さない妻は本当に偉いと思います。

 さて、たまには会社のお話しでもしようかと思いましたが、コンタクトレンズが乾いてきて、限界に近づきましたので、先ほど書き上げた資料をここに貼り付けます。仕事のイメージはこんな感じです。ではまた~。

  *表題の意味は何もありません。思いつきというか、息子がなんとなく口にしていた言葉をそのままタイトルにしました。

お礼と感想

 この度は、弊社の受注作業をお引受くださり誠にありがとうございました。ほとんどの施設・作業所の皆様は今回発注分の仕事を完了され、「次はいつ入るのか」とお問い合わせも多数いただいていおります。

   <中略>

 

 さて、今回皆様から集まった箱を検品する中で、私自身気付いたことをお話させていただきます。すべてプラスに受け取っていただき、決してお気を悪くされないようお願いいたします。

 ほとんどの商品は、こちらが想定した合格ラインを超え、自信を持って納品できる水準にあるものでした。しかし他方、ミスの仕方において多少気になる部分もございましたのでお知らせします。

 例えば、大きな一箱に50本入りの小箱が20箱入っています。20箱中1718箱は完璧に仕上がっているのですが、残りの23箱が完璧にミスであるというタイプ。50本入りの小箱のうち、50本全部がダメだというパターンです。

     <中略>

 一つの箱の50本すべてが同じパターンのミスをしているということは、おそらくは箱ごとに利用者(等)に手渡して、作業を行った結果でしょう。作業方法として、それはそれで構いません。ただ問題なのは、その箱は全く確認がされていないことを意味するということです。

 技術的なミスではありません。むしろ技術的には高い人だと考えられます。なぜなら50本すべてが通常より2mmないし3mm高い位置で貼られ、50本すべて同じ形で完成させる技術力があるということだからです。つまり作業過程で、誰かがひとことそのズレを修正させてあげれば、その方は完璧なものを仕上げたはずだということです。これは関わり方の問題であります。そして私は、福祉の世界でもっとも大切なことはこの直接的な関わり方の問題だと思うのです。最初の23本を一緒に手をとってやってみたり、<うまくいった、いかなかった>を一緒に語り合ってみたりして、一緒に修正する。そのような基本的な関わり方さえできていれば、防げるミスだと考えます。

 また、右側の方は完璧に仕上がっているのに段々と雑になってきて、一番左の列はかなり大雑把というミスのパターンもありました。最初の23本を見て「彼ならできる」と判断したものの、途中からおかしくなってくる。これはその人の気持ちの部分まで見えていない場合、起こりやすいミスです。

 授産活動を軸とした福祉活動において、こうした<その人の傾向を知る>ということはとても大切だと思います。一定の時間になると集中力が切れてくる人、周りの環境によって集中力にムラができる人、見ているときと見ていないときの作業にかなりの差が生じる人、さまざまなパターンが存在します。(これは障害あるなしにかかわらず言えることですが。)

 その人の傾向を知り、そのマイナス面をどうフォローアップしていくのか、それがとても大切だと思います。気分転換が必要な人。あえて誰かと競争させながらやる気を引き出してあげるべき人。環境から整えてあげるべき人。対応はさまざまです。

 11本確認させていただく中で、その作業風景が見えてくるようでした。

 自立支援法が成立し、障害者福祉の世界では、器に関することが話題としては先行しがちです。<報酬単価→器(事業形態)→人、作業>というベクトルで発想し語られがちです。しかし大切なのは関わり方の中味だと思います。

<中略>

また、以下のようにも考える必要があると思います。先方事業者が確認をする際、最初に目にしたのが、たまたまミスの多い箱だったら、残りの9割(以上)の評価もそのようなものになってしまいます。ひとりに対してちゃんと関われなかったがゆえに、その作業所全体が<ミスが多いところ>という印象を持たれ、あるいは今回のようなケースでは<障害者団体>全体が、「やっぱり障害者だから…」という印象を与えてしまうということです。先方事業者の<障害者像>もマイナスに作用するでしょう。そして仕事とはそういうものです。

千葉県は全国に先駆けて障害者差別に関する条例が制定されました。それはそれですばらしいことですし、それに携わった方々の努力には本当に頭が下がります。しかし条例だけでは人の心までは変えられません。心を表に出す際にそこに一定の正しい制御がかかる、それが法律であり条例であると思います。そして本当に心に訴えるには、やはり草の根的な活動しかないのだと考えます。福祉の現場で働くものとして、地域の方々、企業関係者、その他に「やっぱり障害者だから…」というマイナスイメージを作ってしまうことだけは避けたいものです。ひとりひとりとじっくり関わり、人との出会いを大切にする。そしてその広がりの中で、出会った相手のこれまでの<障害者観>も少しずつ変えていく。仕事もそのための手段のひとつであるという発想も必要なのだと思います。そういう地道な世界です。

いろんなことを書かせていただきました。そして今回私の不手際で納品時間を間違えたり待たせたりして、大変ご迷惑をおかけしました。作業に関しても、私自身の説明の悪さもあったかと思います。この場でお詫び申し上げますとともに、これに懲りずこれからも弊社にお付き合いくださるよう切に願います。

なお、今回こちらで<不良品>と判断させてもらったものは、「クローバー」のN君にすべて修正してもらって完成させましたので、ご心配には及びません。

<中略>

では今後ともよろしくお願いします。

                       ㈱ふくしねっと工房

                       代表取締役 友野 剛行

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2007年5月20日 (日)

スポ根とまりぎ!

みなさん、スポ根してますか?

私はこれまで、いろいろ偉そうなことばかり書いてきましたが、ほとんどがインチキでありまして、本当は単なるスポ根親父です。

さて、今日は「青葉の森リレーマラソン大会」です。千葉市中央区青葉の森で(4人~)10人が1チームを編成し、駅伝形式で42.195km走りきります。もちろん一般の市民大会ですが、我が「とまりぎジョギングクラブ」の障害者チームも大威張りで参加します。

我がチームの10名は、全盲だったり言葉がなかったり、伴走がいなければどこまでも飛んでいってしまうタイプだったりといろいろなハンディがありますが、いつもどおり勝つ気で参加します。

おととい、大会運営委員長様より私の携帯に電話。「選手宣誓を頼みたい」と。快諾。もちろん私じゃないですよ。女性ランナーのIさんがやります。

「とまりぎ」の障害者スポ根の特徴は、①我々は徹底して裏方に回ること。②いわゆる一般の障害者スポーツ、障害者レクと違って、障害者のみで囲わずに一般の中にドシドシ入っていくこと。

「徹底した裏方」と言いましたが、例えば今回のリレーマラソンの伴走者(一人では走れない人の伴走)も障害を持つ仲間たちがやります。キャプテンと副キャプテンが伴走です。

「一般の中に入っていく」といいましたが、確かに「ゆうあいピック」などのソフトボールの障害者大会に参加はします(前年度2部優勝)が、それが目的ではありません。地域の一般ソフトボールチーム、町会・クラブチームとの交流が目的です。試合相手はたくさんいらっしゃいます。いや、もっと先の目的は、うちのチームの選手が、地域のチームの中に入っていくことです。

実際本日、うちのソフトボールクラブの女性キャプテンのYさんは、地域の婦人ソフトボールチームの一員として、ソフトボール大会に参加します。チームの一人一人は、ソフトボールの交流を通じて、たくさんの地域の方々から名前を覚えられています。

先週も東葛地域のソフトボール大会(障害者大会)がありました。準優勝しましたが、決勝で特別支援学校のチームに惨敗しました。

負けた瞬間、来年は雇用型の事業を行おうと思いました。あの優秀な生徒さんたちをスカウトするためです(笑)。

さあ、そろそろリレーマラソンへの出発の時間。

このブログでスポ根関係の記事を集めてみました。新しい読者の方々はどうぞ。では行ってきます。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_7ead.html
ソフトボール、ハッタリ、そして出会いの大切さについて

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_7ffb.html
おかげさまで優勝しました

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_3a3c.html
ゆうあいピックソフトボール選手権で優勝!

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_ac92.html
私はどうしても許せなかった。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/51_60c0.html
第51回成人の日記念船橋市民駅伝大会

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_4724.html
船橋市民駅伝速報

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2007年5月18日 (金)

工賃倍増計画策定

昨日は、千葉県の工賃倍増計画策定に関する会議に参加。

障害者福祉分野の就労・授産に特化した領域における第一線で活躍されている方々や企業、行政の方々と熱のこもった討論の初日。

面白かったです。勉強になりました。

おそらく「自分の勉強になる」ということが軸になっていくと思います。

会議の中で考えました。「工賃をあげていくためのノウハウ」それを県全体に波及していくこともこのチームの責務なのだということは十分に分かります。しかし自分(たち)が本当に苦労して這い回ってつかんできたノウハウや技術の核心部分は、そう簡単にはお話できません。少なくとも私はそうでした。どうしても核心部分を避けてのお話になってしまいます。意識せずともそうなっている自分に気付いたのでした。

オレ、失格だな~。

その後、シンタロウが入院している病院へ。熱出してやがった。「頑張って我慢して、退院したら好きなところ連れて行ってやるぞ。どこがいい?」

「SHIDAX」

ちょっとガックリ。

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2007年5月17日 (木)

「いらっしゃいませ」と「はじめまして」

「リサイクルショップ クローバー」の店長をしております友野です。「クローバー」は前原店と飯山満店というふたつの店舗があります。今日は私、一日店長みたいなものです。夕べ、うちのの職員から「明日は牛乳配達か店かどちらかに入ってください」と指示を受けましたので、こうしてお店に入っているわけです。

飯山満店はいつものとおり、なじみのお客様が来て、「今日は雨ねえ」とか「この前置いてあったブラウスまだある?」とかといいながら、顔に「お得意様」と書いてご来店してくれます。

前原店は、保育所、託児所、幼稚園などの密集地帯を選んで4月にオープンした店で、まだ「お得意様」と呼ぶべきお客さんがたくさんついているわけではありません。比較的若いお母さんが保育園などの帰りに立ち寄ってくれるようになりました。

今日、うちの長男(3歳)と同じくらいの男の子と若いお母さんがご来店。「この有精卵」ってどこでつくってるの?とご質問。

<待ってました>とばかりに私が説明。柏井市の高柳というところにある「わかたけ社会センター」(http://park20.wakwak.com/~wakatake/)という障害者の施設で作ってるんですよ。鶏を放し飼いにして、元気な卵を産んでるんですよ。

その若いお母さんは、「そうなんですか~」と感心されたあと、「じゃあ有精卵ってどうやってつくるの?」・・・私は少々慌てた。<お子さんがいるんだから、有精卵の作り方ぐらい知ってるはずだよなあ。店長はどう答えればいいのよ!>

そこに気を利かせて入ってきてくれたのが「クローバー」のSさん。元タクシー運転手ですが脳梗塞の後遺症で半身に麻痺が残り、こうして「クローバー」で働いている。午前中営業活動に出てもらって昼戻ってきたところだった。

「とにかく、有精卵は栄養価が違うんですよ。私も詳しくは知らないんですけど、例えば蛇とかが鶏の卵を食べますよねえ。有精卵と無精卵では必ず有精卵を食べるらしいですよ。蛇に聞けば間違いないでしょうね。」

この一言で卵のお買い上げ~。さすがタクシー運転手。お客様との駆け引きのうまさと雑学の知識。

私は「有精卵はどうやって」と聞かれて、ただ鶏の交尾の絵ばかりが頭の中に浮かび、慌てているだけでしたが、Sさんの場合は、さりげなく自分のフィールドに話を持っていき、お客様の直接の質問でなくニーズに踏まえての答えを展開していたのでした。

一日店長失格でした。さて、午後の仕事に戻ります。

P.S. 昨日からこのブログを開いてくれる人が突然ポーンと増えたようで、調べてみたら「鳥取県障害者就労事業振興センター」さんのブログ「がんじょDe笑売」でなんと私のブログが紹介されておりました。http://ganjo.jugem.jp/

鳥取県のみなさま、はじめまして。こんなブログですが、たまに遊びに来てやってください。

で「がんじょ」ってなんですか?

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2007年5月16日 (水)

就労か工賃アップか

「就労か、工賃アップか」・・・。または「充実した日常」か。

障害者自立支援法制定を通じて、あるいは厚生労働省が音頭をとり各自治体がそれに呼応する形で、「就労」「工賃アップ」に関する施策がさまざまな形で図られようとしています。

そして他方、「就労」「工賃アップ」が作業所・施設を判断する際の画一的な物差しにされることへのアンチテーゼとして「充実した日常」などを対置するところも出てきています。

ちょっと待って。

まず、障害を持つ彼らの日中の居場所がまだまだ足りないんですよ。これは地域の現場じゃないと分からないことですよね。居場所のない人たちの中で、統計的に数字として上がってこない人もたくさんいるのです。

もうひとつ。「就労」にしても「工賃アップ」にしても、要するに<働く>ことの意味の問題ですよね。そしてそれは各々固有の問題ですよね。

障害を持つ方々の中でも親の財産や年金などで、一生働かなくても生活が可能な人もいますし、まったくその逆の人もいます。

<働く>ということには(以前も書いた気がしますが)目的性と手段性が統一されているのです。自分に照らし合わせてみてください。そしてそれは各々固有の問題なのです。みんな違うのです。

福祉の現場の人たちは、今目の前にいる一人一人について、まずはじっくり考えてみてください。大いに悩んでください。その悩みの先に「就労」や「工賃アップ」があれば、その現場の目標の一つに掲げ、必要があれば行政の施策等も大いに活用してください。悩みの先に「就労」「工賃アップ」がなければそんな施策はどうぞ無視してください。それだけのことです。

まずは一人一人に戻りましょう。それができるのが現場の特権です。「就労」「工賃アップ」またはそれらのアンチとしての「充実した日常」、そのような看板に障害を持つみんなを当てはめるのでなく、一人一人の目線からさまざまな看板を眺め・選択し・活用するということです。

そして行政の方々やその周辺の方々は、今述べた「現場の特権」を無条件に承認してください。その上でさまざまな施策を準備し、現場からの声に応える体制を目指してください。くれぐれもある一定の物差しで現場を計ろうとしないこと。なぜならそれをすると、あなた方も現場から「一定の物差し」で計られ判断されてしまうからです。「現場を分かってない」というように。

それこそ不毛な物差し合戦でしょ?くだらないんですよ。そういう論争は。

現場と行政(およびその周辺)は、できることもやるべきこともぜんぜん違う。どっちが良いも悪いもない。どっちが上も下もない。障害を持つみんなにとって両方必要なのは事実なのだから。

自分たちだけが頑張っているというのは思い上がりです。うんこです。うんこ。

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2007年5月12日 (土)

発想の転換

私たち夫婦は、ケンカらしいケンカをしたことがない。私自身が(仕事で見せるような)声を張り上げた経験も家ではない。

今回の記事は「発想の転換」です。

さて、週末(のうち私が休みの日)の我が家は、朝昼晩私が全員分の料理、片付けすべて一人で行うことが決まりごとになっている。換気扇やガス台の回りの油汚れや流しの排水溝の汚れなどが気になる性質なので、料理・片付けがてら1週間分の汚れを落とすのが、私のリフレッシュ法なのです。だから妻も母も私に気を使って(?)台所には近づかないようにしてくれている。私に気を使って、あるいは気を使わせないようにと、奥の部屋でゴロゴロしていてくれている。食べ終わった食器をそのままにしておいてくれるのも、おそらく私に気を使ってくれているのだろう。感謝をすれば怒る理由もない。

ところが今日の昼、前回の記事で書いたようにアインシュタインに関する文献などを「もえぎ」で買ってきてしまったものだから、私がそれに没頭してしまい、珍しく台所に立たなかった。すると、妻がチャーハンを作ってくれた。

「ちょっと失敗して、味がちょっと濃くなっちゃったんだけど…いい?」と妻。

発想の転換をすれば文句を言うこともない。

そのチャーハンを一口食べて、得意の「発想の転換」がすぐに完了した。

チャーハンが主食だという観念を捨てればいい。おかずだと思えばいいんだ。

このチャーハンをおかずにすれば、少しのおかずでたくさんのご飯が食べられるよ。

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「もえぎ」の商魂と団結力

10日という日は、障害者自立支援法に基づく就労継続支援事業等においては、障害福祉サービス費請求業務の締切日である。就労継続支援事業B型に4月から移行した「もえぎ」にとっては初の請求書類等の提出日であり、その書類の確認のため、私は「もえぎ」に赴いた。

事務所と「福祉ショップ&リサイクルショップもえぎ」は、同じ建物の1階だが、入り口が違う。事務所の用事を済ませたあと、私はその店に立ち寄った。毎日地域の方々からのご提供の品が入り、中にはあっと驚く掘り出し物もある。

その日、私が「もえぎ」で目にしたものは古本の山。しかもその内容がすごい!哲学・科学の古典がずらり!田辺元(戦前の哲学者西田幾多郎の元弟子)の全集、戸坂潤の科学論、ヘーゲルやカント、キルケゴールの古典、アインシュタインの相対性理論とその関係著作…。思わず目を見開いて本を眺めていると、「もえぎ」の店員&職員が「これ、BOOK OFFとかに持っていけば売れますかねぇ」と言ってくる。

私は思った。(これらの本の価値が分かってないな。こういう専門書を扱う古本屋でないと、これらの価値は分からないのに…。よし、私が買い叩いてしまえ!)

「これ、一冊10円で売ってよ」

すると施設長さんが「みんな、どうする?」と、そこで手作り品の製作作業をしている障害を持つ仲間たちに聞く。5人の仲間たちがそこで作業をしていた。5人とも言葉はほとんどない。<Yes-No>の意思表示も苦手な仲間たちが「もえぎ」には多い。それなのに施設長さんはみんなに「どうする?」と聞いたのだ。「これは追い風かも」と思って、私も続けて「みんな~いいよね?」と猫なで声でみんなに尋ねる。

木工パズルのやすりがけをしていたユータ君がにっこり振り返り、両手で「×」のサインを私に送る。続けてトミコさんらもにっこりしながら首を横に振る。全員が「ダメ」のジェスチャー。それを見て施設長さんが「みんな、ダメだってサ!ちゃんとお金払ってくださいよ。」

この団結力は何だ?しかも私は「恐い人」で通っているはずなのに、私に媚を売る人が一人もいない。グループ内で5つあるお店のどこを行っても一人くらいはゴマをすって「いいですよ」と言ってくれるはずなのに、ここは誰一人として崩せない。

「分かった。車に戻ってお金を取ってくる。」

正規のお金を支払い私は店を後にした。

どう切り崩すかが次の課題だ。

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2007年5月10日 (木)

給料日~続「働くって何だろう」~

4月15日、私は「働くって何だろう」という記事を書きました。(↓)

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_a446.html
福祉作業所(地域活動支援センター)において、A君らとの関わり方について悩むある職員の方の相談、そして「働く」ことについての考察について書きました。

1ヶ月近く前、あの記事を書いているとき、私は「これだけ自分のために真剣に考えてくれる人が常に傍らにいるんだから、A君は幸せだよなあ」と思って書いていました。本当にこの関わり方でいいのか、その答えを模索しながら、常に向き合ってくれる人がいつもそばにいるのです。その「職員」の人は、あの後仕事だけでなく、カラオケなどにもA君を連れて行ってあげたりしていました。

そして今日、作業所の給料日です。金額はどうであれ、A君と、その「職員」の方々らが真剣に向き合い関わってきた結晶がつまった給料袋ですから、それはとても重いものだと思います。

しかしそのA君は、昨日亡くなってしまいました。数日前、突然の脳の病気で自宅で倒れ、そのまま還らぬ人になってしまいました。享年19歳。今日その重い給料袋をもって参列することになるのでしょう。最後の「お疲れさま」になってしまいました。

私自身もA君のことはずっと前から知っていました。毎朝毎朝、同じ場所で会っていました。地域の福祉に関する会合が定期的にありましたので、ご家族ともずっと前から面識がありました。

今日は給料日。100人がそれぞれ頑張ってきたその結晶を受け取る日です。A君もその中の一人です。

A君、お疲れさま!

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2007年5月 8日 (火)

社会的入所?

千葉県内で、精神障害者のグループホームや作業所を運営されているK氏から、あるメーリングリストを通じて「精神障害者の長期入院」の問題、「社会的入院」の問題に関して、次のような論文が届きました。抜粋し掲載します。

精神障害者の長期入院の問題は、この国において何十年もの間議論され続けてきたにもかかわらず、結果的にはこの間の統計数値が雄弁に語っているように、ほとんど未解決のまま一向に前進しておりません。

私はそれぞれ定員四人のGH(グループホーム)を、男女一つずつ計二箇所運営しております。GHから更に自立度の高い段階に行けそうな方々を次々とGHから移す支援をも、微力ながらも同時に開設当初から行って参りました。GHから次の段階に行った方々を、地域の福祉力で支えていくシステムをどのようにすれば作って行けるかを、日々模索し続けています。GHに入居している方々にとって、GHが最終のゴールとは私にはどうしても思えないのです。一工夫して行けば、ここから更に自立できる方もまだまだ大勢おられるはずです。自分達の個々の希いをそれぞれに掲げながら、誰もが暮らしやすい地域を一緒に創っていければと願っております。

このように次の段階へ行ける入居者を、もしもGHの世話人等が自らの生活のために<経営>を優先して囲い込んだならば、それを病院における「社会的入院」をもじって、GHにおける「社会的入居」と言おうと私は考えております。

GHを自らの理念に沿った形で丸4年間運営してみて、初めて病院経営の大変さも少しですが分かりはじめました。社会的入院の問題を病院だけを<単純化>して悪者に仕立てて批判することのみでは、この極めて闇の深い問題は解決しえないのです。

皆様方もご承知の通り、退院促進の課題は現在社会的入院を余儀なくされておられる方々が、このまま病院内で老齢化して老人施設へ移動するか、または病院内で亡くなっていくかの何れかの道を辿って、<解決>をして行くことになる可能性が極めて大きいのです。しかしこの退院促進の課題を、このまま深い闇の中に放置し続けていくことは許されません。誰かが地域の側より真正面からこの課題に取り組むことにより、深い闇の中に隠蔽されている精神障害者が置かれている情況を少しでも顕在化させていく必要があるのです。当事者・家族・医療・福祉・行政・市民等々…のみんなで、心を病む人々(=実は誰にとってもそれは他人ごとなどではなく、心を病んでいる人の姿は過去や未来の「自分自身」や、自分を取り巻く「周囲の人々」の姿でもあるのです!!)の行く末を考えて行くことは、それはとりもなおさずこの国で長い間隠蔽されてきた深い闇を、少しずつ明るみに導き出していく端緒になっていくはずです。

K氏のこの論文は、直接には病院内に設置される「退院支援施設」の是非および態度表明とその段取りについて書かれたものです。しかし私は作業所および生活支援に関わるものとして、もう少し普遍的に解釈し、考えさせられました。経営を優先に病院やホームで抱え込むことが「社会的入院」および「社会的入居」なのだとしたら、作業所・施設などにおいても「社会的入所」もあるよなあ、と。

元来、社会からある意味断絶させられた形で、家族が障害者を抱え込んで生活されている状況。その状況に対して、社会参加・地域参加を呼びかけて、その本人の社会参加の場を提供し、また媒介的に家族のゆとり、家族の<普通の暮らし>をも支えていくのが作業所の第一の任務です。だから当然目指すべき道として生活支援とリンクしていくのです。

そしてさまざまな方々が通ってくる中で、その一人一人を知っていく中で、次のステップを構想していくことも必要になってきます。一般就労を含めた、より広い社会参加を目指すべき人、医療とのよりいっそうの協力関係を構築することを通じて、より円滑かつ安全な社会参加を目指すべき人、・・・いろいろ見えてくるわけです。

しかし作業所や施設が、国や自治体からの公費で経営を補い、ある意味<抱え込む>ことを通じて運営が安定する今の法体系システム(障害者自立支援法)のもとでは、必ずしも理念どおりに行かない部分も出てくるでしょう。経営ができなくなれば、支えることも難しくなるからです。

家族や病院が<抱え込む>ことに対して、別の選択肢を用意してその機会を提供するのが作業所であったりグループホームであったりするわけですが、そこがまた<抱え込む>経営を余儀なくされているという現実もあるということです。

現場は常にその矛盾を実感していなければなりません。そしてその解決策を模索していなければなりません。

それを昨晩からずっと考えています。(今は朝の5時。)

考えるべき点は、思いつくところでは次の通りでしょうか。

①公費即経営という硬直した経営スタイルから脱し、経営のダイナミズムを模索すること。完全自主運営をモデルの一つとして理念的に吸収し、経営のオルタナティブ(代案)を提示し、実践してみること。

②ケアの深さに応じた事業規模を検討すること。たとえば日中の生活を無事に安全に送ることだけを目指した(今時そんなところは少なくなってきたと思いますが)事業では、ケアそのものがマニュアル的に対応できるわけですから、ある程度大きな規模でも可能だと思います。しかし逆に一人一人に即した深いケア(家庭背景、将来の問題、その人の生き方の問題にまで踏み込んだケア)を目指すならば、自らの力量とケアの深さ(関わり方の理念)に対応する事業規模というものがあるはずです。その限界点の認識とその超え方を考える必要があるということ。

K氏の論文からかなり逸脱してしまいました。しかし考えるヒントはたくさんいただきました。

おっそろそろ仕事に行く時間。週末は作業所のキャンプもあります。総勢50人くらい? ソフトボールの大会も同じ日にあります。その次には「青葉の森リレーマラソン大会」もあります。5月末までは書類の山がそびえ立っています。雲に隠れて山頂が見えません。ただ見たくないときもあります。

昨日の夜、M作業所にブラッと立ち寄ったら、職員の方がひとりで事務仕事をしていました。「事務もやるんですか?」「全部ですよ!全部!」

どこも同じだと思うと、ちょっと嬉しくなったりしました。お忙しい時間にお邪魔いたしました。

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