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2007年4月30日 (月)

久々です。

毎日たくさんの方がここを開いてくださっているのにずっと更新できず、すみませんでした。書くべきことは(最近の生活の中でも)山のようにあったのですが、いざ記事にするとなると考え込んでしまいます。いや、結論を出すまで考え込む時間的ゆとりがなかったというほうが正しいです。

知的障害を持つ私の親戚が我が家にきて生活を始めてから早1ヶ月。車椅子のシンタロウが入院してその病院に通い始めてから早3週間。息子が幼稚園に通い始めてからも早1ヶ月。私の会社の今の仕事が始動してから早1ヶ月。障害者自立支援法に基づく地域活動支援センターをふたつ始めてから早1ヶ月。法人の事務長として、7つの事業の書類などに追われてから早1ヶ月。就労支援会計処理基準という分けの分からない会計処理基準を適用しはじめて早2ヶ月。その他にもいろんなことがあった。

ありえないほど忙しかったです。

体調もしばらく崩しっぱなし。快復の兆しもなし。原因は寝不足なのは十分に分かっています。

ここにきて、板さんの言葉がよく思い出されます。(今年1月3日に死去。)

板さんについては↓

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_c98c.html

板さんを送迎中、私が栄養ドリンクを飲み干した時、板さんがいいました。

「寝てないんでしょ?俺もそうだったなあ。子供に金かかってましたからね。休めないんすよね。そいつを飲むと一日頑張れちゃうんですよね。毎日それ飲んで仕事してると、いずれ俺みたいな体(脳梗塞→半身不随)になっちゃいますよ」

板さんの言葉は、まだ私の中で生きています。

あと30年今のまま頑張れたら、板さんのおかげだな。

息子がパソコンを使いたがっているので、今日はここまで。昔の「いすず、ジェミニ」をパソコンで見たいそうです。

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2007年4月23日 (月)

琥珀色の、薄暗い山の中で、死んだはずの親父に会い、会話をした夢。親父は私より若い頃の親父だった。親父が自分より若いにもかかわらず、甘えた口調で話す自分に違和感を感じながら、あたりに立ち込める霧の流れる方向を確かめていた。あとは雰囲気しか覚えていない。どんな夢だっけ?

どんよりとした雰囲気と静寂さとなつかしさ。その感覚だけが残った朝。この感覚が一日体内に残ってくれれば、胃がキリキリすることもピリピリすることもなく、一日仕事ができるんだけどな。仕事のペースは多少落ちても。せめて月曜日くらいはそんな一日になってくれれば、と思う。

そんな感覚は、きっと簡単に壊されちまうんだろうけど。あいつらの気合と鼻息で。

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2007年4月15日 (日)

風歌へ

風歌(ふうた)は先日幼稚園に入園したばかりの3歳児。うちの長男。
先日わが家に新たな「家族」がやってきた。わたしのいとこのヨージ。ヨージの家族の病気で、ヨージの介護者がいなくなり、こうして一時的にわが家が引き取ることになった。ヨージとは私は本当に小さい頃よく遊んだ。当時は彼の障害など気づかなかった。私の祖母の「ヨージはバカだから、かわいそう」といった言葉と、その言葉に激怒した私の母の言葉を今でも覚えている。
私も小さいなりに成長して、次第に祖母の言葉と母の言葉の意味を分かるようになった。ヨージとは一緒に遊ぶことはなくなった。遊んであげる、という意識に変わっていった。

私が11年前、まったく別の畑から福祉の世界に入ってきて、真っ先に考えたことは「いつかヨージを引き取ることになるだろう」ということ。そんなヨージが一時的にわが家に来た。

風歌にとって見たら、来客であるこのおじさん。おじさんはみんな自分にやさしく遊んでくれるはず。なのにこのおじさんだけ相手にもしてくれない。しばらく風歌は距離を取ってこのおじさんを観察していた。

トイレに入るとき、パンツまで脱ぐ。親父(私)がお尻を拭いてあげる。着替えも手伝い、ひげもそる。食べこぼしを拾う。そんな親父とこのおじさんの関係を風歌は黙って眺めていた。自分が食べこぼせば叱られるのに、このおじさんだとあまり叱られない。そんな現実を風歌はどう見ているのだろう。

次第に風歌が変わってきた。返事が返ってこなくても「ヨージおじさん、おはよう」と声をかける。得意の英語もおじさんの前では使わない。風邪をこじらせているヨージの鼻を拭こうとする。「お薬の時間だよ」と声をかけたり水を渡す。

風歌がある時こういった。「ヨージおじさんは、親父のお仕事の人たちとおんなじなんだよね。」私は答えた。「同じだよ。だからおじさんも畑で一生懸命働いてるんだ。だから親父とも同じだよ。」

風歌はそれに答えなかった。風歌のいう「おんなじ」と、私の答えの「同じ」の意味の違いを分かっているからだ。
なぜ私が違う意味の「同じ」を語ったのか、それはいつか分かってくれると思う。

風歌は日ごろから「車椅子のしんちゃんは、どうやって電車に乗るの?」と聞いてきたり、ブロックで車椅子を作り、「しんちゃんの車椅子作ったの。これ早いよ〜」と言ったり、「スティービ−ワンダーは目が見えないのになんで歌が歌えるの?」と聞いてきたりする。親父の仕事に連れ回しているので、何となく興味を持っているのだと思う。「しんちゃんの(入院している)病院は、スカイライナーとか成田エキスプレスが見えるから、また行きたいな〜」。昨日見舞いに連れてきた時に風歌が言った言葉。

親父の仕事、親父の性分によって、息子にいらぬ気遣いをさせているのかもしれないと悩むこともある。また息子が私のいとこの鼻を拭いてあげようとしたときは、正直複雑な気持ちになった。3歳児がヨージに対して慈悲の気持ちを表していることへの、うまく表現できないが抵抗感を私は持った。でもうれしくも思った。うれしさと抵抗感、複雑な気持ちを払しょくさせてくれたのは、ヨージだった。ヨージが笑顔で風歌に「おやすみなさい」と声をかけた。風歌も自然に答えた。

これでいいんだ、と思った。
それが、とりあえずの結論です。

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働くって何だろう

働くって何だろう?

マクロ的に言えば、人間社会の存立条件ですよね。「社会」と「群れ」の違いは、労働=協働による生産諸関係があらゆる関係の基礎になっているという点にあります。歴史上いかなる社会もそれは同じです。ただ現代社会は、生産物あるいは労働の主体までもが「商品」という形態をとって流通し、商品の価値=交換関係があらゆる社会関係の基礎になっているという点が、これまでの社会と違うところです。

しかし私たちは、こうしたマクロ的な視野をもっていてももっていなくても、働いています。いや、働くということを重い課題として意識しながら生きています。

障害を持っていても、当たり前のように地域社会の一員として暮らして欲しい、暮らすべきである…これが福祉作業所あるいは地域活動支援センター(Ⅲ型)の建前上の前提です。

「建前上」といったのは、実際そういう信念を持って取り組んでいるところはそう多いわけではなく、たとえその信念を持っていても実際に貫くのは難しいからです。

昨日、こんな相談を受けました。「A君やB君やCさんに対して、仕事しなさいっていうのはどうなんだろうって考えてしまう。彼らにとって仕事をすることってそんなに意味があるのかなあ。それよりも外出の機会を増やしたりして仕事以外の充実の仕方を考えてあげた方がいいような気がして考えちゃうんですけど…。」

おそらくA君らの実際の姿、日常風景を見れば納得する方も多いでしょう。(言い方は悪いですが)傍から見れば結論は簡単なのです。「無理して働くことはないと思うよ」って、客観的な立場の人は誰でも思うと思います。

しかしその相談してきた人を含めて、中にいる人は違います。結論は簡単でなく深い葛藤を抱えることになるのです。

どんなに障害が重くても軽くても、ここにいる人たちはみんな仲間。まずは一人一人が頑張ることと、その頑張りを背景に至らない部分は互いに助け合うこと。そういう関係の中にA君らもいるのです。だから「頑張ろうよ」といい続けているのです。

作業の工夫をし、「はい」も「いいえ」も表現できない仲間たちの気持ちを汲み取り、ただ汲み取るだけでなく「働こうよ」というこちらの気持ちを伝えて、それがどれだけ伝わっているかは言葉でなく実際の作業工程で検証される。・・・・・でもほとんどの場合伝わっていない。それでも毎日同じように気持ちに働きかけ、「伝わらないな」と思っては落胆し、それでも毎日彼らと向き合う。そういう毎日を送りながらの「働くこと・働かせること」への疑問の吐露なのです。結論はそう簡単ではありません。

その場では私はこう答えました。「確かにそういう疑問は持つよねぇ。でも仕事しなくていいよってやっちゃうと、作業所において彼らを褒める機会がなくなっちゃうよね。」

「でも仕事で褒めてあげられることも、ほとんどできてないよ」とその人。

「でも褒めてあげるという目標や機会を最初からなくしちゃうと、気持ちの上で彼らに向き合えなくなっちゃうんじゃないか?」と私。「ん~そういうことか、分かった」とその人。

ここは障害者へのサービス事業です。彼らが毎日通ってくればそれだけで補助金などの公的資金が入り、職員の給料は保証されます。だから別に原則的には「(人間)関係」など意識しなくてもいいのかもしれません。実際に施設によっては障害者を「お客様」と呼び、「仕事」=「お客様へのサービス」という意識を徹底させているところもあります。筋としては間違いではありません。でも地域福祉の現場ではもう一歩先の「働くって何だろう」「彼との(人間)関係をどう作っていくべきなのだろう」という課題を一人一人が背負ってもらわなくてはならないのです。

一般に「働くことの意味」とは、社会的な貢献への意識だったり、社会的な地位などへの渇望だったり、今の生活の維持や発展のためだったり家族のためだったりします。給料収入を別の生活上の目的のために費やすその手段であったり、また「楽しいから」という自分自身の生活の充実のためだったりもします。目的・手段の入り混じった体系としてその人なりの「意味」を持つのだと思うのです。

しかし上記のいずれにも当てはまりそうにないA君らの「働くことの意味」を考えるということは、とても難しいことです。誤解を恐れずに言うと、「働くことの意味」は本人でなく第三者としての我々(直接関わっている人たち)が持つしかなく、ある意味一方的な思い込みも必要なのだと思います。歩けない人の足になってあげること、見えない人の目になってあげること、不安定な人の支えになってあげることと同様に、A君らの代わりに我々が「意味」を持ってあげること、そしてその線で接してあげること、それしかないのだと思います。そしてその線で考えるのなら「褒めてあげたい」「認めたあげたい」その思いがA君らと仕事を通じて関わることの「意味」になるのだと思うし、心の中で説明してあげる「働くことの意味」なのだと思います。

それをベースにして、外出などの機会を作って生活上の充実を考えてあげることはぜひとも必要です。他の仲間たちと同様に5時間みっちり仕事漬けという状態がいいのかどうかも現場で判断されるべきです。

でも、毎日毎日じっくり関わっている人たちは、本当にすごいと思いますよ。それができそうで実はできない人、さんざん見てきましたから。無意識なのか意識的なのか、大変な人・関わりたくない人には簡単に背を向けてしまう人も少なくありません。関わるとしてもほんの一瞬で、その一瞬はいい仕事をしますが、一日一緒にはいられないのです。福祉の世界で大切な人は、一瞬だけ関わりいい仕事をすることでなく、ずっと一緒にいてあげられる人です。

そろそろ仕事の時間ですので、また。

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2007年4月14日 (土)

夜と朝の隙間に落っこちて

今日は朝の4時ごろからポツポツと雨が降ってきて、5時にはザーッときました。不眠男のウェザーレポートでした。

昨日は「㈱ふくしねっと工房」の社長としての営業の仕事。地域活動支援センター(福祉作業所)の所長としての顔を隠して、遠方の面識のない障害者施設等を訪問…のつもりが行った先で「とまりぎのNさん元気?」「あ、あの〜寿退社しました。」「やっぱりねえ、そんなこと言ってたもん。」

なぜバレた?顔に「とまりぎ」と書いてあるのかな?バレているなら仕方ない、「とまりぎ」の機関誌を手渡す。すると、「いつも読んでますよ。友野さんが送ってくれるんですよねえ」…そうか、私の名前でこの機関誌は発送されていたんだ。

名前だけが一人歩きする。講演や研究会の話もまた入ってしまった。ここでは大した存在じゃないのに。「所長」といっても従業員の雇用条件すら知らない。「どんな契約?見せて」というと「えっ知らないんですか?」と逆に驚かれてしまう。3人いれば3回驚かれる。多少は交流が広がってさまざまな情報が入りやすい環境になることは仲間たちにとってプラスになることですが、あまり名前だけ一人歩きするのはちょっとくすぐったい。実情とかけ離れていますからね。

そのうち雲隠れしますから。あっ雨がやんだ。こんな感じで静かになりますから。

雨がやむと鳥たちは大喜びです。すずめたちがチイチイ鳴いています。そういえば先日妻がこんなことを言ってきました。「お母さん(私の母)面白いんだよ。鳥が笑ってるのが聞こえるって言っていて、見たらその鳥、ミミズをくわえていた。お母さん鳥の言葉が分かるんだって。」

5時半になると、この季節はさすがに朝ですね。そろそろ早い人は起き出して、「あれ?ゆうべ雨降ったのかな?」とかと言うのでしょう。新聞がビニールに入っていたりして。

昨日からうちの金魚のぱっぽが心配です。だから私は今こうして起きているのです。ぱっぽの病気は昨日妻が気づきました。「一日見てあげられなかったら、ぱっぽ病気になっちゃった。」と妻が言ってきました。

わが家には今私の親せきがいて、一緒に暮らしています。彼は知的な障害を抱えていて、今親が入院しているので、こうしてうちが引き取って一緒に暮らしています。私の親せきなのに、妻が介護を全部してくれています。息子の入園式&登園開始も重なって、妻は大忙しです。そんな中、きんぎょのぱっぽの病気を心配しています。

ぱっぽはたまに横になりかけたり、けいれんのようにバタバタしたり、一晩中やっていました。横にいてあげることしかできません。その横でカメたちはスヤスヤ寝ています。となりでこれだけぱっぽがバタバタしているのに気づかないようです。

6時になり、犬やネコたちも起きてきました。水がないと言って大騒ぎです。毎日の当たり前の風景の中で、ぱっぽだけがいつもと違う。当たり前の風景は、そのちょっとしたことだけで、ずいぶんと見え方が違ってきます。命の有限性を感じながらその風景を見るからです。

命の有限性は毎日意識しすぎていると、気がめいってしまいます。だけど、たまにこうしてじっくり考えることも必要です。息子の風歌は通い始めた幼稚園から帰ってきてぱっぽを見て、1年半前に死んだ金魚のぴっぽのことを思い出したようで、ぴっぽが死んだ理由を妻に尋ねていました。同じころ死んだカブトムシのことも思い出したようです。命の有限性を直感したとき、記憶の扉が開くということもあるのでしょう。

福祉の現場も命の有限性と本来は向き合っています。毎日は意識しませんが、意識する瞬間を大切にすることは必要です。

当たり前の毎日は、当たり前じゃないものをも包み込みながら、当たり前に繰り返していきます。当たり前じゃないことを包み込むことこそが、むしろ当たり前なのです。

恐竜時代からそれは繰り返され、今こうして我々が当たり前のように地球で威張って暮らしています。ちょっとずつ形を変えて、私も歳を重ねていきます。

どうやら妻が起きたようです。私も待ちに待った睡魔がやってきました。今日も忙しいのですけれど、ちょっとは夢も見られるかな?ダメかな?

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2007年4月 8日 (日)

新たな仲間たちの紹介で~す。

桜は散り始め、ピンクと緑の色彩バランスが街路樹の色を決しています。「桜は散り始めが一番きれいだなあ」・・・そんなことをいうと「かんぱす」の仲間たちに怒られそうですが。「花びらの掃除が一番大変なんですよ」って。そうか、うちは神社の清掃委託も頼まれていたんだっけ。

じゃあ5月がいい季節なのかなあ?

  ゴールデンウィークはお店(リサイクルショップ)があまり売れません。

じゃあ6月がいい季節?   

  梅雨時のビラ配りは一番大変です。畳店のキャンペーンもあります。

じゃあ7月?

  牛乳配達の蓄冷剤が増えるので、配達が大変になります。

8月は?

  庭の草取り依頼がまとめて入ってきます。

9月なら・・・

  クリーニング店のビラ配りがまとめて入ってきます。上半期決算もあります。

10月!

  地域の福祉祭りの実行委員を掛け持ちでやっています。それに学校関係などの販売シーズンでもあります。

11月!

  リサイクル衣料の総入れ替えのシーズンで大変です。

12月!

  そりゃ~大掃除でしょ。掃除の依頼も増えてきます。

1月!

  船橋市議会の報告がド~ンと来ます。

2月!

  車の研磨の仕事が大変です。氷よりも冷たくなっているんですから。

3月!

  文句なく忙しいでしょ~。

みんなそんなに働いてばっかりいて!季節を楽しむゆとりもないのか?そんなに仕事が楽しいか?

楽しいんだろうなあ。目がキラキラしてるもんな。みんなここの福祉作業所に入ってきた時は、目線を上にあげることもできないような顔をして、お母さんたちも疲労でグッタリした顔をしてここに入ってきたのに。

あっそうそう、4月から「福祉作業所」でなく「地域活動支援センターかんぱす」になりました。「クローバー」も「地域活動支援センタークローバー」になりました。しかも店舗を一つ増やし、飯山満店と前原店の二つになりました。仕事も増えて事業所も増えたのですが、そうした理由は障害を持つ仲間たちが今年もまたボーンと増えたからです。

この記事のタイトルは「新たな仲間たちの紹介」でしたっけ?

じゃあ次回紹介します。

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2007年4月 3日 (火)

メールの恐ろしさ

「やっぱり! 何か怒ってるのかな~って思ってたけど、朝、友野さんの顔を見たらいつもと変わらなかったからホッとした~。」

実はこれ、今日の朝の福祉作業所のある仲間のお母さんからのメールです。別にラブラブメールじゃありません(笑)。

昨日、「かんぱす」は社会研修でお花見。私は「クローバー」の前原店の開店準備で参加できず、武井君も休暇で、塚本君(ビラ男?)ひとりでみんなを連れてお花見に行く日でした。にもかかわらず朝から雨。早朝から塚本君と「どこに行くか、あそこは月曜だから定休日か」などというメールのやり取りをしていて、その合間に「雨ですが、用意はいつもどおりでいいですか?」とメールが来たもんだから、てっきり塚本君だとばっかり思ってしまって、「そのくらい自分で考えろ!」とメールを返信してしまいました。

今日の朝、何気なく読み返したときに実はそのメールは塚本君でなく、ある仲間のお母さんだったことに気付いたのです。私は父兄に「(社会研修の用意ぐらい)自分で考えろ!」と怒ってしまったのです。昨日はその後、何も気付かぬまま、彼を笑顔で迎えに行き、お母さんも普通に出てきて、「じゃあ行ってきます」と会話していたのです。

今日の朝気づいて大慌てで「すみません。昨日メールを間違えて送ってしまいました。」と平謝りメール。その返事が冒頭のメールです。

いや~恥ずかしい。実は以前も友達(障害者振興センター事務員)に、「今日の夕食はカボチャのスープと○○と、・・・を作ってあげるからね」というメールを送ってしまったことがあります。妻と間違えて。すぐに得意げなひやかし電話をちょうだいして気付きましたが。

また逆にうちの職員同士の「~の件について、友野さんはどう考えているのかなぁ」という相談メールを、間違えて私本人がちょうだいしたことがあります。5年ぐらいはこのネタを引っ張ろうと考えています。

みなさん、メールには気をつけましょう。お忍びメールなどは特に注意して下さいね。

「友野さんはどう考えているのかなぁ」だって!知らねえよ、そんなもん!・・・あと3年はこれをいうぞ。

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