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2007年2月28日 (水)

ネットワークの作り方

障害者福祉の分野は、「施設から地域へ」というキャッチフレーズで、さまざまな制度上の改革が進められています。

同じ障害者福祉でも、「施設型」と「地域福祉」では、まるで水と油のように違うと私は考えております。相撲部を解体して卓球部を作るようなもの。そう簡単に移行・展開ができるものではありません。「時期尚早」という印象がぬぐえません。

とはいえすでに漕ぎ出した船。考えていくしかないのです。

「地域福祉」の進展の鍵はネットワーク作りにあると思います。そしてそのネットワーク作りで頭を悩めておられる方々にお会いする機会が本当に増えました。障害を持つ人たちの地域での生活を支えてく。地域での生活を支えていくのにすべて自分で抱え込むようなスタイルではお互いが窮屈になります。というか不可能です。孫悟空がいつまで走っても手のひらの中にいた・・・そんな「手のひら」は「地域福祉」の仕事ではないのです。

<大きな器で小さくても安全な生活を守る>ことが「施設」なのだとすれば、<小さな器で大きな生活を支えていく>ということが「地域福祉」なのだといえます。

「そんなこと、そう簡単にできるわけねえよ」・・・当然です。簡単にできるわけないことを、ではどうやって実践していくのか。そこにネットワークの問題が必然化するのです。

ネットワークの作り方について。「ネットワーク」といってもさまざまなバリエーションがありますので、ここではあえて抽象的に話していきたいと思います。

ネットワーク作りにおいて、それを主導する方々がまず考えていらっしゃることは「どう広げるか」であるように思われます。広げるために身を粉にして一生懸命活動して、しかしそうはいかない部分も出てくる。そこで今度は「ネットワークの目的をどこにおくべきか」と発想される。こういうパターンが多いようです。

ちょっと時間がなくなってきましたので、結論的なことだけ述べておきます。

ネットワーク作りを主導される方がまず考えなければいけないことは、そもそも「ネットワークを作ろう」と思った自分自身において、目的を二重化して考えなければいけないということです。それは以下のようにです。

①ネットワークそのものの目的を考える。自分、あるいは自分の事業、自分達が抱えている障害を持つ仲間たちというものから一歩離れて構想する。主語を「地域」であるとか「地域の障害者」として考えるべき部分。

②そのネットワークを通じて、自分(たち)は何を目指すのか。ネットワークをつくるという活動そのものや作られたネットワークをどう活用するのかということ。この場合の主語は自分(たち)にあるのです。

①の領域だけで考えると、自分の実践とのつながりを失い、ただ疲れるだけで終わってしまう場合も多いようです。極端に言えば、自分の本当のやるべき任務・業務がおろそかになってしまう場合もあります。逆に②が突出しすぎると、引き回し的なネットワークになってしまい、他者にとっての意味合いを喪失し、やがて収束に向かってしまいます。収束に向かえば、当然自分の事業にとっての意味も失います。

大切なことは①、②を分化して考え、①を前提とした②の領域、②を前提とした①の領域をそれぞれ考えることです。その分析視覚と発想の深み、さらにはバランス感覚などが求められるのだと思います。

もう迎えにいく時間なので、ここまで。ではいってきま~す。

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2007年2月21日 (水)

育児休暇

 今日は「とまりぎ」グループ恒例のスポーツレク。船橋総合体育館で行われる作業所対抗、100人規模で運動会です。昨夜は我が作業所でもリレーの選手選考や各競技の対策会議が行われていたようです。
 しかし私は育児休暇。3歳の長男が高熱を出し、妻が幼稚園の用事があるため、私は家で長男の介護。昨日に比べて多少元気になってきました。長男のために栄養たっぷりのスープをつくりました。煮干しでだしをとって、かぼちゃとトマト、キャベツとベーコンをコトコトじっくり煮込んだスープ。みりんと塩、料理酒、そしてはちみつをたっぷり。はじめははちみつの甘さばかりが気になり、失敗かなと思ったのですが、かぼちゃとキャベツが溶けてきた頃には、おいしいスープに変貌。
 長男は二階で次男(1歳)とパソコンでビデオを見ていました。ビデオのエンディングのテーマが流れてきたかと思ったら、また途中から見たりしているようです。パソコンの操作ももうすっかり覚えてしまいました。長男を下から呼びます。「風歌(ふうた)〜、ご飯できたよ〜」。「は〜い」「は〜い」と二人の声。やがて二人は下に降りてきました。
 私は二階に上がりパソコンの終了をしようと思ったら、もうノートパソコンは閉じていました。なんと正規の方法でウィンドウズが終了されていました。いつ覚えたのでしょう。起動の仕方やマイピクチャ、ワードなどは自分で開いて遊んではいましたが、終了までできるとは。本人に聞くと「まず赤いところを押して、、、」と終了のしかたを説明していました。私は30歳で覚えたのに、この人まだ3歳。

 次に1歳の次男(心歌・こうた)の話。兄ちゃんが熱を出したので、下の部屋でばあちゃんと一緒に寝た心歌は朝2階に上がってきて「ばあちゃんと、じいちゃんと、くっついて寝んねした」と報告。じいちゃん?私の父は10年以上前に他界して、次男にはとくに写真なども見せたことがありません。ばあちゃんに聞いてみると「そういえば仏壇にくっついて寝てたよ」といいます。

 私は典型的な理系人間。死後の世界とかスピリチュアルな世界など信じるタイプではありません。量子理論の物性と波動性の解釈で確かに常識的認識を超える世界の存在は否定しませんでしたが。
 しかし1歳の心歌(こうた)にじいちゃんが見えるとは、、、。試しにばあちゃんが押入れの引き出しから写真を取り出そうとすると、先に心歌自身が1枚の写真を取り出して、「あっじいちゃんだ」といいだしました。妻も会ったことがない私の死んだ父の写真でした。「じいちゃんと寝んね。じいちゃんはおとうさんって。」

 えっ!? 「おとうさん」?

 私は息子たちには「おやじ」と呼ばせていて、「おとうさん」と呼ばせたことはありません。ただ私の父はかつて私に「おとうさん」と呼ばせていました。

 どういうことだ?

 「じいちゃんが来てるのかなあ?」私も妻も驚きました。でもばあちゃんは嬉しそう。そりゃそうですよね。

 こういう能力は、小さい時だけ備わっていて、次第に消えていくものなのか。たまたま言葉の早い次男だからそれを表現しただけなのか。だとすればこういう能力の向うに本当にそういう世界があるということか。

 信じられないが、ほかに解釈のしようがない。

 でもやっぱり信じないぞ。

 あっ資金収支予算書を仕上げなきゃ。

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2007年2月20日 (火)

障害者の地域福祉における地元不動産業者のとのつながりについて

障害者の地域福祉における地元不動産業者のとのつながりについて

先日ある短大の先生とお話して、表題の件について研究されているとのことで、意見等を求められました。「私のブログをよんでちょ~」とだけお答えしたのですが、私自身読み返したところ、該当する部分が少なかったので、ここでちょっと書きます。

<障害者の地域福祉について>

事業そのものが(うちのように)たとえ就労的事業が中心であったにしても、地域福祉の本来の目的は、「その人が(たとえさまざまな障害を抱えていても)当たり前のように地域で暮らす」ということが最大の目標になります。作業の提供はそれ自体が目的なのではなく、手段の体系の一つになるのです。

「地域で暮らす」ということの根本は、やはり<衣・食・住>のうちの<住>の社会的性格の有無にあります。その人が当たり前のように地域で暮らす、そのために我々福祉事業者ができることは何であるのか。そして我々の不足の部分は地域のネットワークを活用しながら、どうやって彼の<住>の社会的性格を支えていくのか、ということが大切なのです。

地域の中で、とりわけ<住>に関しての情報が集まるのは地元の不動産業者だと考えます。ですから我々は福祉事業の開所当所から地元の不動産業者との関係を大切にしてきました。

<どうやってつながりを作るのか>

 まず何よりも、障害を持つ仲間たちのことを理解してもらわなければなりません。「理解してもらう」という言い回しは、福祉関係者が好きでよく使うものですが、ここで少し注意が必要です。「どう理解してもらうのか」ということを考えなければなりません。その人の障害特性を理解してもらい、「障害者だから仕方がないんですよ」ということを理解してもらうということでしょうか? 違いますよね。「自分と同じ人間じゃん!しかも頑張ってるじゃん!」という形で理解してもらうことが第一前提ですよね。そのためにはやはり仕事ですよね。その結果ですよね。

 不動産業者が抱えている駐車場の除草、空き室の清掃、物件広告の配布、夜逃げの後処理…。これらを仕事として請けて、結果を返すんですよ。除草だったら作業前と作業後の写真、働いている写真なども報告書に添付してお見せする。物件広告の配布ならば、まずは小中学校の学区を意識することですよね。引越しする際、親がまず考えることが子供の転校の有無ですから。そのあたりを下調べして、反響が来やすいエリアをこちらから逆に意見するくらいまでにこちらの力量をつけること。そして結果につながることを実感してもらうこと。こういうことの積み重ねで、まずはその業者にとってなくてはならないパートナーになることが大切ですよね。

<その前に、付き合う業者の選び方>

 基本的には地元密着型の業者を選ぶこと。そして障害者の<住>に関係することですから、賃貸に強い業者。その上で、窓口の方のうち一人でもいいですから、福祉に対して理解がある人がいるところ。その人に対してまずは結果を返すことを何よりも大切にする。そうすれば自然と上の方の人が名刺を持ってこちらに来てくれます。

<その先のこと>

 互いのニーズを知り合う関係を作る。その不動産業者が抱えているアパートなどで暮らしている障害を持つ方のことでお困りになっているというケースは結構多いのです。「うちの利用者じゃないから関係ない」という態度をとったら終わり。もちろん背負い込みすぎるのも事業的な意味でマイナスになる可能性がありますので注意しなければなりませんが、お困りになっている事例をよき聞いて親身に解決策を講じることが大切です。

 そういうケースの場合、これまで、掃除や引越しを手伝ったり、買い物を手伝ったりしてきました。オーナーさんと居住者(障害者)の対立が深くなったりした時には、そこに入り込みすぎずに、その方の通院している病院のワーカーさんをつきとめ、そのワーカーさんと一緒に中に入って解決するということもしてきました。前提的に病院のワーカーさんとのつながりは大切です。こちらはワーカーさん(=病院)とのつながりのある事業者として、不動産業者のニーズに対応するのです。言い方は悪いですが、病院内のワーカーさんは所詮病院の人です。いかに地域福祉・地域医療を目指して頑張っている方でも、地域資源そのものとのつながりは我々ほどではありません。逆に障害を持つ入居者を抱えている不動産業者やオーナーさんにとってみたら、病院はよく分からない世界です。我々がその接点を担うことで、信頼をつかむことです。

 そうすることで、直接自分の事業所の利用者でない方の地域生活に関する諸問題も、側面的に支援し、地域福祉を進めることです。テメエのことしか考えない福祉事業者は、所詮テメエのことしか考えずに口で「ネットワーク」というだけなので、深みのあるつながりは作れないのです。

 つぎにこちらのニーズも伝えていきます。仕事上のニーズもありますが、それ以外もあります。千葉県では地域活動支援センターにおいて家賃補助制度があります。不動産業者との日ごろの付き合いの中で、そういう福祉制度についても理解してもらうことです。うちの事業所の周りの不動産屋さんは、みんな自立支援法に強いですよ(笑)。

 例えば家賃補助の限度額以内ならば事業者は直接の負担額は発生しません。ただし、敷金・礼金・保証金などは補助の対象で丸ごと自己負担になります。もう分かりますよね。オーナー様にも不動産業者にもプラスになる方向でかつこちらの負担額を減らせる方法を検討してもらえる関係ができるのです。

<さらにさらに>

不動産業者に好印象を与えれば、その業者と付き合いのあるオーナー様や事業主様にそのイメージは広がります。どうやって広げてくれているのかは直接見たことないので分かりませんが、パーッと広がっていくようです。それでずいぶん仕事も増えました。(もうこれ以上はお腹いっぱいです。)

<ひとつの到達点として>

 うちの利用者が生活の場を求めている時、あるいはグループホームなどを探している時、その業者は親身になって、探してくれます。オーナー様の不安に対しても、ちゃんと説得してくれて、安心させてくれます。そして何かトラブルがあったときには、対応してくれます。それだけでどんなに有難いことか!

 ただ飛び込みで行って頭を下げて「生活の場を探してください」とやっても、仕事としては受けてくれても、その先は分かりません。そうならないためにも地道な関係を作っておくことが大切です。地道にコツコツ、そしてその中心は障害を持つ仲間たち自身だということです。

<まとめ>

仕事を通じて(不動産業者と障害者との)人間的なつながりを作り出し、その人間的なつながりを通じて地域福祉の仕事を進めていくのです。但し、不動産業者同士の関係については慎重に!配慮の力が求められます。

これ以上うちの方法をしゃべると、うちの職員に「それは企業秘密ですよ」と怒られてしまうので、これでおしまい。

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2007年2月18日 (日)

精神障害者の地域生活推進ネットワーク

基調講演、無事終わりました。達成感というよりは安堵感。これで普通の女の子に戻れます。(じじいだろ!。)
実はこの講演の前に、自立支援法の現段階についてこの1カ月詰め込み式でかなり勉強しました。何を聞かれても大丈夫なくらい。でも教壇に立つと、全部忘れちゃいました。だけど、障害を持つ仲間たちと、10年の月日の中で一緒に体で覚えたこと、体で感じたことはどんなに緊張しても忘れないんですよね。そのことを実感し、自分が本当に「現場人間」であることを知ったときに、本当の安堵感が沸いてきました。
いろんな方に来ていただきました。ありがとうございます。これが最後だと祈りたいのですが。

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2007年2月16日 (金)

福祉の仕事は楽しくいこう。

福祉の仕事は楽しくいこう。

いわゆる「成功哲学」系の文献を読むと、<発想の転換>のような例がよく出てきますよね。それはそれで「なるほどな」と思うのですが、では実践にどうつなげていくのかというと、それが結構難しい。

それは何故かというと<転換>するということは、軸が定まっていなければうまくできないからです。例えばジャンプして、着地する時に180度ターン(=転換)するとしましょう。それをうまくやるには頭を上げて直立の状態から始めますよね。体重の軸を真ん中に持ってこなければブレてしまい、うまくターンできないからです。前かがみになってターンするのは難しいでしょよね。

それと同じで<発想の転換>をするには、発想の軸をどこに定めるかということが実は一番肝心なのです。

障害者福祉の世界も同じです。最近障害者福祉事業の世界でもビジネスイデオロギーで福祉事業経営の発想を転換するといった類の催し物が多くあります。確かに<目からウロコ>という衝撃を覚える今までにない発想を教示されます。でもなかなか実践には活かせない。「活かせないのはその現場が悪いから」で福祉の現場が断罪される。

でも違うんですよ。それぞれの福祉現場にそれぞれの課題なり問題点があることは否定しません。しかし福祉には福祉の軸がある。そこに違う軸を持ってきて「さあ、ここでターンしなさい」といってもできるわけがないんですよ。そのことにそろそろ気付いていかないと、現場がメチャクチャになりますよ。

私の作業所が「○○西」という地域から「○○東」という地域に引っ越してきて丸二年。「○○西」では地域の中に(手前味噌のようですが)しっかりと根付いていて、「引っ越す」というだけでも大変でした。必要な場所として認知されていましたから、あちらこちらから「こっちに越してきて」「違うところに行かないで」と言われるのです。

私自身そのことに安住しすぎていたのでしょう。「必要とされて当たり前」という感覚に浸っていたのだと思います。

「○○東」への引越し。隣町ですから、当然のように歓迎されると思っていました。ところがどっこい…。「この道を障害者に歩かせるな。気持ち悪いだろう。」ちょっとのことで怒鳴りこまれたり市に苦情が入ったり…。当時私の不在時に新人職員がその対応をする羽目になったりして、いやぁ大変でした。

そのつど私が頭を下げに行って収拾するのですが、そういうことが繰り返されると、新人職員の意識がどんどん小さくなってしまいます。

うちの作業所のモットーは、障害者が地域で必要とされ、必要とされていることを各々が肌で感じ、威張って(胸を張って)生きていくことです。「職員」といわれる側の我々が「地域に何を言われるか」とビクビクしながらやっていたら困るわけです。

2年前私はその新人職員に言いました。

「面白くなってきたね。苦情をもらうと、内心ワクワクするんだよ。俺が何を考えて頭下げていたか分かる? 3年後には逆に頭を下げられるんだろうなあって思いながら、頭を下げてるんだよ。だからワクワクするんだよ。これまでの○○西地域ではなかなか味わえなかったことだよね。苦情なんてもらえなかったわけだから。その意味が3年後には分かるから。」

それから2年が経ちました。先日、うちの作業所がある地域でちょっとした問題がありました。うちの作業所も地域の方々の共同出資で作られた私道に面しているのですが、その私道の奥にアパートがあります。そのアパートのごみの出し方を巡って、地域の方々とアパートの管理会社が対立している。市も間に入っていますが、収拾がつきません。市指定のごみ収集車がこの私道に入って、何かあったときに責任の所在がどこなのかという問題があるのです。市道ならば、たとえば6トンにもなる収集車が入って道路が陥没したとき、その修理責任は市の側にあり、市が修理代を負担します。この道路そのものもそれほど丈夫でなく、6トン車では耐えられないだろうというのが多くの方の見解です。アパート住民とこの地域の方々の感情の問題にもなっています。

我々はその対立の輪に入りました。うちの障害を持つ仲間たちなら解決できると踏んだからです。公道で収集車が待機している間に、うちの力自慢の仲間たちが分担してその奥のアパートのごみを収集車まで運ぶことができる。その方法でまずは地域の方々が納得してくれて、さらにアパート管理会社と業務の契約が結べれば、関係者すべてにとっていい解決ができます。

その提案を持ちかけたところで、対立の輪は解けて輪は解散になりました。

以前「障害者はこの道をフラフラ歩くな」といわれた道で、彼らが頼られ頼まれることになりました。障害を持つ仲間たちが「お願いします」と頭を下げられる立場に立ちました。ここから先、本当の信頼をつかむか否かは仲間たち自身の頑張りですが、我々はそこには絶対の自信を持っています。だからこういう提案ができるのです。

「フラフラ歩くな」といわれた道で、「お願いします」といわれて胸を張って歩くわけです。そういう構想を描くことそのものを<発想の転換>というのであれば、その際の軸は「障害を持つ仲間たちそのものを主人公として考える」という福祉の世界ならではのものです。その道を歩かない方法を考えるのではなく、「どうすれば奴らが威張って歩けるか」という発想。その価値観の軸。この軸がブレてしまうと、発展はしないのです。「職員」といわれる人たちがいくら地域におべっかを使ったりし続けても、問題は解決にはつながらないのです。

「3年後には分かるから」と宣言してから2年。1年後が楽しみです。でもその楽しみは2年前から楽しみにしているものです。

長くなったけど、最近の事例でもう一つ。ある固定客のみを対象とした個人事業者の宣伝チラシの配布をうちの作業所が行っています。こうした依頼業者だけで、うちの作業所は両手で足りないほどの数を抱えています。この個人事業者との付き合いは2年近くになるでしょうか。今では「入って当たり前」の事業者の一つになっています。

ところがこの事業者から先日相談を受けました。実は固定客の減少で広告費出費が出せなくなっている。単価を下げてもらえないか、という相談。

うちはリピーター率が極めて高く、うちから別の業者に乗り換えたという例は少なくとも私は1件も知りません。ですから広告の効果というものには自信を持っています。配り方やエリア指定などあらゆる意味で他の業者には真似できない水準だと自負しているからです。しかしこの個人事業者さんの例でいえば、うちが宣伝チラシ配布を担当してからも、固定客が増えていないというのです。

その相談に乗ったうちの「職員」は、当初「単価を下げるしかないかなあ」と考えていたようです。気持ちは分かります。これだけ長く付き合っている業者、相手が困っているんだから何とかしてあげたい。そういう気持ちになるものです。でもここで先ほどの「価値観の軸」に戻って考えるならば、長期的にはそれは決していい判断にはなりません。まずこれまでの障害を持つ仲間たちの労働を「価値がなかったもの」として否定することにもなってしまいます。そして今後の彼らの労働の価値も(単価を下げるわけだから)下げてしまうことになるのです。すなわち軸のないターンになってしまうのです。

私は宿題を出しました。(すぐにヒントを与える悪い癖はありましたが・・・)

①なぜ反響が来なかったかの分析をすること。チラシの大きさ・中味、さらにいえば、この事業者のセールスポイントは何であり、それがこのチラシに反映されているのか、など。

②そのうえで、仲間たちにとってプラスになる方向で、この業者のプラスになる道を考えること。

③「固定客がつかなかったから単価を下げて」に対して、「固定客を3倍にしてあげるから単価を上げて」と答えられるような発想を持つこと。

こういう<発想の転換>を持つためには、障害を持つ仲間たちの仕事に対して我々がどう評価しているのか・何を大切に、何を軸として判断するのか、ということが大切なわけです。その軸にどっかりと体重をかけた上で、「どうすれば固定客を増やして上げられるだろうか」と構想することです。

仲間たちの仕事に大きな問題はなかったはずです。その信念があります。問題があったとすれば、彼らに仕事の段取りを指揮した我々の側にあるか、あるいはもっと前の段階にあるか、いずれかです。そう思えば簡単に単価を下げるという発想にはつながらないはずです。

前のブログでちょっと紹介した気もしますが、今彼はいろんな構想を考えているようですし、その軸は間違っていません。どんな答えを持ってきて、どんな解決をしてくれるのか、そしてその解決の先には障害を持つ仲間たちが輝いている絵があるのか、楽しみです。

今回の記事のタイトルは、「福祉の仕事は楽しくいこう」でした。楽しそうでしょ(笑)。でも大変なんですから。特に私のところで働いている人たちは、特に大変ですよ。

来てみます?きっと逃げ出したくなりますよ。最初のうちはね。でも誰も逃げないんですけどね。障害を持つ仲間たちのハートが刺さっちまいますからね。

やばいっ、オレ明後日講演しなきゃいけないのを忘れていた。準備ができていない。逃げ出したくなりました。仲間たちのところへ。

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新作業の一こまなど

       Img027        

計量器を使って、何か分量を測って製作しています。計量器の使い方も少しずつ覚えてきました。

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 何か真剣に作業をしています。いったい何ができるんでしょう。

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 ところでこの「職員」は、何してるんでしょう?働いているんでしょうか。私の管理不行届きでしょうか。

すべては謎に包まれています。

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2007年2月13日 (火)

私の日常

 朝起きてコーヒーを飲んでいると、出窓の外にいつものメジロが2羽やってきます。彼らの好物グレープフルーツをぶら下げてあるからです。1羽は(オスかな?)いつも大胆にグレープフルーツをつっつきながらもう一羽を呼びます。もう一羽(メス?)はとてもシャイで、ぶら下げてある糸に留まりながら、キョロキョロ様子を伺い、大丈夫そうなら食べに来ます。

 私がストーブをつけるので、金魚たちも起きてきます。カメたちはよほど室温が上がらないと、起きてきません。犬やネコ、カラスは年寄りなので、寝ています。

 福祉作業所につくと、まずぬか床に手を入れます。私専用のぬか床が、作業所にはあります。頑張って働いている仲間たち、冬なのに汗を大量にかき、時に塩を噴いているので(笑)、こうして漬物を用意してあげているのです。ぬか床をいじりながら、その日一日自分が落ち着いて仕事ができるように暗示をかけます。

 冷蔵庫を開けると、たまに前日私が用意した漬物が残っていることもあります。ちょっとガッカリします。しかし食べてみると、「まだまだ漬物になっていないな」と思います。ぬか床は生きています。毎日かかわることが大切です。そして人間と同じで、マニュアルどおりにはいきません。ぬか漬けをはじめて1週間で、ベテランのぬか床と同じ味が出せるわけはありません。熟成されていくのです。いろんな野菜を包み込みながら、ぬか床は自らの味を出していくのです。そして手を入れる人によって微妙に味が変わってきます。何故かは分かりません。「生きているから」としか言いようがありません。ナスの色は、そのことが顕著です。

 さて、障害を持つ仲間たちの昼食、昨日は祝日で仕出し弁当が休みだったので、私が作りました。2作業所分の昼食。かたやきそばに野菜炒めをあんかけにして、味付けは豆板醤を軸にちょっとピリッとさせました。ちょっとピリッとした仕事につながるかな、と思って。

 炊いたご飯が残ると、たいていはおにぎりを作って、働く仲間たちの夕方のおやつにします。しかし職員がたくさん仕事を抱えているときなどは、私が彼らの夜食を作って置いておくこともあります。

 私はたいてい先に帰ります。帰る時間によりますが、早い日は夕食の準備をします。人参などはカメにも半分あげてしまいます。カメは人参が大好物です。6匹のカメ。誰が食べて誰が食べられなかったかは口元(クチバシ)をみれば分かります。赤くなってますから。

子供たちを寝かしつけてから、さあお勉強。本とにらめっこです。

お勉強は、内容でなく必ず時間で区切ります。そうしないと際限がないからです。時間になれば、ビールを飲んで、翌朝のコーヒータイムまでぐっすりです。

朝になれば、またメジロたちがやってきます。1匹は積極的で、1匹は慎重です。カメたちがようやく起きはじめる頃、私は作業所でぬか床に手を入れています。

おしまい

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2007年2月 6日 (火)

福祉作業所の日常

障害者の小規模福祉作業所「かんぱす」と「クローバー」で働いていると・・・。

こんな日常になります。

まずは先週末。宣伝広告の配布の委託を受けている地域の学習塾から相談がありました。昨今の生徒さん不足についてでした。うちの職員がその経営を救うために、あの手この手を考えています。障害者福祉と今の子供に関する諸問題の接点を模索し、互いにとっていい道はないか、いろいろ考えてあげているようです。インターネットでイジメ問題などを調べていた痕跡がデスクの上に残っています。この職員は、隣の市町村の地域福祉に関するプロジェクトの相談にも乗ってあげているようです。

金曜日の夕方、いつもなら帰ってしまう仲間たちが、ガスメーターの解体やチラシ配布の準備などをしながら夕方遅くまで残っています。実は土曜日、地域の「きっず柔道大会」に畳を運ぶ仕事を地域の小学校のPTA(親父の会)から依頼されていまして、みんなその仕事のために残っていたのでした。私の仕事はカップラーメンを10個買ってきて、これから力仕事をする仲間たちの夜食にしてあげることでした。地域のお父さんたちと一緒に汗水流して働く仕事。「かんぱす」にはこんなに宝の山(働き手)がいるのだということをアピールするために、気合の入った力持ちばかりを集めて、この仕事に望みました。流れ作業で80枚の畳は柔道大会の会場に次々と運ばれ、あっという間に仕事は完了。感謝されて喜ぶ仲間たち。

週があけて、月曜の朝。私は地域の自動車修理工場の社長さんから呼び止められました。「所長さん、ちょっとこの車見てくださいよ!」大きな声で社長さんは言います。(何だろう、と内心ビクビク。)

「この車、かんぱすのダイスケ君とマナブ君が磨いたやつですよ。信じられないくらいピカピカでしょ。本当すごいっすよ。前はアルバイト入れてたんだけど、やっぱりみんな手を抜くんですよね。でもダイスケ君たちの仕事は出来上がりがぜんぜん違うんですよ。おかげで車磨きは彼らに全部任せて、他の仕事に入れるから、こちらとしては大助かりなんですよ。」販売用の車を磨いたりワックスをかける仕事を請けているのです。普段どちらかというと仕事が遅く注意されがちなダイスケ君の持ち味。つまり丁寧で器用。それがこんな形で認められ評価されていたのでした。

そうこうしている間に、作業所にチラシがどっさり届きました。船橋市議会の議会報告です。今回は5万部。船橋市議会の近況を地域の有権者の方々に届ける仕事もしています。障害を持つ仲間たちはこの仕事をどうこなすか、みんな思い思いの構想をぶつけ合っています。

もうひとつの作業所クローバーに立ち寄ると、みんなでこの春発売開始予定の新製品の開発に没頭していました。何を発売するかはまだ秘密です。いうとクローバーの職員に怒られてしまいます。私が顔を出すと「クエン酸の消費量が多くてコストがかかっちゃうんですよ。他の粉末の酸で代用できないでしょうか。」と相談。「ん~。ワインビネガーは液体だから、化学反応が進みやすいから難しいけど、量を調節して試してみたら?」

それからもう一つ相談。牛乳配達の委託を受けている事業所から「もう1コース回ってほしい」と頼まれているという。「八千代の小娘が月・木で来てくれるなら可能だけど…ちょっと考えさせて」と対応。

そうこうしている間に、さっきとは別の学習塾から電話。「来週チラシ配ってよ。今回は6000部いい?明日の夕方取りに来て!」…。今日も大忙しです。

さらには地域の地区社会福祉協議会の会長さんが「クローバー」に来所。ペットボトルの回収を地域としてやりたいと思って市に相談しに行くんだけどどう思う?、そのフタをとる仕事とかできない?「クローバー」の職員が対応。この職員は地域の福祉祭りの実行委員もやっているので、こうして会長自ら相談に来てくれるのだ。

最近は事務方の仕事ばかりに追われて、障害を持つ仲間たちと直接一緒に汗水流して働く機会が減ってしまいましたが、こうして地域の方々事業者さんらとお会いしていると、いかに仲間たちが地域の中で頑張って働いているのか。いかにたくさんの信頼をされているのかがよく分かります。

そして明日からはこれまで取引のなかった業者さんからの依頼で新しい仕事も始まります。アパートの共用部の清掃です。すでに数社からこの仕事は請けていますが、この業者さんからは初めて。結果を出せば仕事が増えるというので、みんな気合が入っています。

事務仕事は達成感などが乏しく、ずっとやっていると暗い気分になりがちですが、地域の方々からの仲間たちの頑張りの「速報」がこうしてさまざまな形で私の耳に入ってくるので、私も頑張ろうと思うのです。

お前らホント、スゲ~よ!

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2007年2月 3日 (土)

息子が作った詩

「かあちゃん」

ふうたがわらうと  かあちゃんもわらう

ふうたがおこると  かあちゃんもおこる

ふうたがあそぶと  かあちゃんもあそぶ

 

 

 

          Cimg0785 友野風歌(3歳7ヶ月)

  写真は1年前(2歳)。0歳の心歌(こうた)に甘えられる。

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2007年2月 1日 (木)

ヒント

小さな事業を切り盛りすること。

大切なのはイメージ力と機動性。

小さな事業所の存在価値は、等身大ゆえのぬくもりと近い距離感。人や取引先に安心感を与えるそれ。小さな事業所が小さな関係を作り、それを大きく膨らませるのは、実は先に述べたイメージ力。イメージ力とは空間的あるいは時間的な意味で、自分の視野のその先にあるものを感覚的につかみとる力。それを可能にするのは「経験」を自分の中でリサイクルして分別・再利用する力。あとは作られたイメージに対する実践的な処理能力。

機動性について。1番良い判断(best)をじっくり時間をかけてするべきか。あるいは結果としてbestではなく2番目、3番目(better)なのかも知れないというリスクを背負いつつも判断を瞬時に行うべきか、このどちらの判断方法を採用するかを臨機応変かつ瞬時に判断すること。これが機動性の前提。「ここはじっくり時間をかけて考えるべき」「ここはすぐに答えを出すべき」その振り分けがいかに適切かということ。

いいかえれば二つの基準を同時に持つこと。ひとつは「bestの判断は何なのか」ということ、もうひとつは判断までの時間。この組み合わせによって打ち出した判断内容に基づいて行動する、これが機動性。つまり押す場面、引く場面の見極め。

こういうのを書くと、みんな「自分のこと書いてるのかなあ」って不安になるよね。でも安心してください。その「予感」が当たっているのは一人だけですから。

よけいに不安?

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