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2007年1月23日 (火)

人間の記憶について

 人間の記憶は、信号化され記憶の貯蔵庫でストックされている。我々は意識の地平において、その記憶の貯蔵庫から必要な記憶を必要量取り出す能力を一定程度有している。しかし、意識とは重層的なもので、例えば「思い出したい」と思う意識の裏側で、もうひとつ「思い出したくない」という意識が働くことがあり、またその逆もある。それらの重層的な意識は、複雑に絡み合い、意識は自己を対象化することはできない。対象化された時点において、それはもはや「意識そのもの」でなく「対象化された意識」となる。つまり本物ではなくなる。

 「対象化された意識」を「意識そのもの」として錯認してしまうその地平において、いわゆる意識化されていない(対象化されていない)意識を、「下意識」(フロイト)などと定義付けられることがある。

 本来対象化し得ない「意識」を意識的に対象化することによってしか、「意識」を意識することができない。「対象化された意識」しか、意識の自己認識手段はないということだ。それゆえにこの「下意識」という概念は、「対象化された意識」の中で、いまだ対象化されていない部分を表す概念としては、使い勝手がいい。

 さて、人間は意識的に記憶の貯蔵庫から、必要な記憶を取り出すことが一定程度できたわけだが、この「下意識」という概念を用いるならば、意識の指示でなく明らかに「下意識」の指示で、記憶の取捨が判断されるというケースがある。その記憶を呼び起こすことは、「意識」にとってよい選択肢でないという判断を「下意識」が行っていると思うよりほかないような状態に置かれることがある。あくまでも「対象化された意識」を「意識」と呼び、「意識の対象化からはみ出した、憶測に基づく意識」を「下意識」と呼ぶ概念操作を前提とするならば、の話だが。

 私自身もスッポリと抜け落ちている意識上の時空間がある。ある一定の記憶の世界を言葉にして表現することはできるが、それを脳内で映像化することができない。イメージとしてすっぽり抜けているということだ。そこにあるのは「無」なのだが、「下意識」が記憶の貯蔵庫に蓋をしているとしか思えないような現象が私の中では起こっている。

 しかしそれによって私は今こうして生きて、そして時に笑ったりすることができているのだろうと思う。

 「下意識」が「意識」そのものと向き合う中で、「意識」にとってその記憶は呼び起こすべきか否かを判断し、時に「意識」の指令に反した形で記憶の現出を操作する。それによって「意識」は自己を守っている。「下意識」の陰の力に支えられながらも「意識」は自己を所有している。

 こうした「意識」と「下意識」、「記憶」のバランスを欠くと、人間の「意識」は大きく混乱する。誰しも遠い過去の記憶が近い過去の記憶に比べて薄くなることによって、「意識」のバランスは保たれているのだとは思う。たとえ「下意識」の記憶操作がなかったとしても。

 「自閉症」と呼ばれる障害を持つ仲間たちの中には、こうした「意識」と「記憶」のバランスにやや難があるのではないかと思うようなケースが存在する人たちがいる。いわゆる「カレンダー人間」と呼ばれる、過去の記憶をカレンダーとともに瞬時に呼び起こす能力を持った仲間たちがそれだ。彼らは混乱しやすく、矛盾に対してとても敏感なのだ。

 3年前、Aさんから「正しいのはBだ」と言われた。そして昨日、同じくAさんから「正しいのはBではなくCだ」と言われた。

 通常我々なら、記憶が鮮明な「正しいのはC」という答えを基準に指示内容を整理することができる。「3年前のBだと言われたのは間違えだったのかな」「Aさんの意見が変わったのかな」「今の自分に踏まえて、AさんはBからCに答えを変えてきたのかな」というように。しかし彼らの場合には、3年前の記憶も昨日の記憶も、同じぐらいの印象と圧力をもって彼らに迫るのだ。だから整理する際の基準を失い、とても混乱する。

 どんなにつらいのだろう、と思うときがある。記憶が消えない世界ってどんな世界だろう。これまでと矛盾する新たな情報は、時に彼らを混乱させる。そして行動のパターン化・ある種儀式めいた常道行動によって情報を遮断し、オウム返しによって他者を遮断する。「自閉症」という名称が付与された理由はこうした行動に基づく。

 それゆえ私は、彼らと接するときは、いかに自分自身の訴えに一貫性を持たせるか、ということに気を配る。

 「意識」は、本来対象化し得ない自己自身を対象化しそれを「意識」と表現し、その「対象化された意識」のアンサンブルを通じて他者を意識し、関係を作り上げていく。

 私は「下意識」の指令に基づいて過去の記憶を一部、おそらくは操作しているのだ。そしてそうした「意識」の自己省察の志向性において、自己の中に他者を自覚し、こうして彼らとの意識的な接点を作り出し、関係を作り出している。

 そうして今日も、私は彼らと「対象化された意識」の接点を模索している。

 これが「ぼくが福祉の仕事をはじめた理由」です。

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