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2007年1月30日 (火)

自分が2人いたら・・・。

本当に忙しくなると、「自分が2人いたら」って思いませんか?

そう思いますよね。

でも2人もいたら大変ですよね。私が2人いたら。

2人の自分はどういう関係?

こんな上司の下では働きたくないし、

こんな部下も持ちたくないし、

「一緒に」なんてとんでもないし。

じゃあ、仕事に戻ります。

「就労支援の事業の会計処理の基準」って知ってますか?昨年末、厚生労働省が示してきたやつ。必要に迫られて一生懸命勉強しているんですよ。

でもそんな時に厚生労働大臣のあの発言、頭にきますよね。昨日の夜はそれで勉強やる気を失ったんですよ。でも今日は気を取り直して頑張ります。

「就労支援の事業の会計処理の基準」について、分からないことがあれば何でも聞いて下さい。答えます。ただし時差の関係で、3年ほど答えに時間がかかる場合もございます。

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2007年1月26日 (金)

奴らの足音のバラード

奴らの足音のバラード  かまやつひろし

何にもない 何にもない

全く何にもない

うまれた うまれた

星がうまれた

星がひとつ

暗い宇宙に うまれた

星には夜があり

そして朝が訪れた

何にもない大地に

ただ風が吹いてた

吹いてた

この曲、あの頃大好きだった。

もっと小さい頃は、歌詞の中身のあまりの大きさに

自分が吸い込まれていくような恐怖心を

感じていたような気がする。

両親と離れて、何もない地球の始まりのような空間で

たたずんでいるような、絶対的な孤独。

その大きさが、耐え切れず恐かった。

やがてそれなりに大きくなり、

苦悩というものの大きさをそれなりに知るようになり、

己れの苦悩の小ささを知らしめ、

それを超えた絶対的な法則性としての自然の弁証法。

その前にただ跪くしかないような、

物質への忠誠心を、

私はどこに置いてきたのか。

それともすべてがインチキだったのか。

私のすべてが。

自分が半分空っぽだから、

体が軽くなって、いい仕事ができるのだとしたら、

それはいいことだろうか?

考える前に、働こう。

それしかない。

それとも、他に逃げ口があるっていうのかい?

ただ闇雲に、働こうと思う。

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2007年1月23日 (火)

スランプの脱出法その2

半年前の7月16日に「私のスランプ脱出法」という記事を書きました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_8244.html

あの記事は個人の「スランプ」についてですが、今回は組織の「スランプ」です。障害者地域福祉という狭いフィールドですが、私も経験しました。4~5年前に。次々といろんなハプニングに襲われる。障害を持つ仲間たちをめぐって、いろんなことが立て続けに起きる。

ある仲間が地域情報誌の配達中に足を痛めていて、同行していた職員も私自身もそのことを知らずに帰してしまい、あとで大変になったこと。市販の安定剤を電車の中でまとめて全部飲んでしまい、救急車で運ばれた仲間。時事ニュースに興奮して暴れまわってしまった仲間。家出する仲間。仲間同士の取っ組み合いのケンカ。仕事上の苦情の嵐。まだまだありましたよ。こういうことが一気に同時に起こったのでした。それぞれのハプニングは直接には関連していない。いや、私自身が関連させて考えることができていなかったのです。

私はそのつど担当職員を呼んで、その対応のまずさなどについて説教をしていた記憶があります。「困ったなあ」という意識で。

その頃の私自身の問題について、具体的に今思うことは省略します。むしろどのように乗り越えたかについて書くだけにします。

ひとつの福祉作業所、たかだか15人程度の場所。浅くてもいい、2~3分の会話でもいい、とにかく毎日全員に声をかけ関わることを最大の目標にしました。意識せずみんなと関わっていると、いろいろ気を配っているつもりであっても、一人二人は一日関わることなく終わってしまう人が出てきてしまうものです。だから「必ず全員」ということを意識し目標にしたのです。私自身、何となくちっぽけな「指導者意識」のようなものが芽生え始めていた頃なので、「障害を持つ仲間たちとの関わり」は私がやるより私の下の職員にやらせるものという意識があったのだと思います。そこをスッパリと変えてみました。「自分がやらなければならないこと」と決めつけていたことを一度リセットして、私と仲間たちの「1対15」の関係の再構築から再出発したのでした。「1対15」を前提にするようになって、そこから「1対1」あるいは「3対15」の関係も新鮮なものになったように思います。

職員の仲間たちの苦悩や苦手なこと、日々の思いなども見えるようになりました。そうすればどこをどうサポートすればいいのかも見えてきました。そして何よりも私自身が前向きに物事を捉えられるようになりました。

そうしてあの地獄のような「組織のスランプ」を乗り越えたのでした。

今でも「全員と関わる」ということを目標にはしていますが、もちろんあの頃よりも業務内容は増えてかつ深くなり、毎日それが実現できるということは難しくなりました。しかし「2日間みんなと関われなかった時は、3日目には全員と関わる」というように、自分の中の区切りをつけるようにはしています。(現場職員からは「最近いつもいない」との苦情を承ってりますが。)

事実、3日間ほど中を空けてしまうと、今でも小さなハプニングがチラホラと出てきます。昔はそれを人のせいにしていた部分がありますが、今は自分の仕事の区切りのつけ方の問題として捉えています。

組織も人も、スランプを乗り越えて強くなっていくし、障害を持つみんなも失敗を乗り越えて強くなっていくものですよね。

ところで昨日、マナブ君が実習生(中学生)にお尻を近づけ、屁をぶっかけていました。中学生は我々に言いつけませんでした。「あいつ、またやったか」という声があちらこちらから聞こえてきそうですが、そうです。またやりました。

こういう小さいこと(小さくない?)を見逃さないことですよね。

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人間の記憶について

 人間の記憶は、信号化され記憶の貯蔵庫でストックされている。我々は意識の地平において、その記憶の貯蔵庫から必要な記憶を必要量取り出す能力を一定程度有している。しかし、意識とは重層的なもので、例えば「思い出したい」と思う意識の裏側で、もうひとつ「思い出したくない」という意識が働くことがあり、またその逆もある。それらの重層的な意識は、複雑に絡み合い、意識は自己を対象化することはできない。対象化された時点において、それはもはや「意識そのもの」でなく「対象化された意識」となる。つまり本物ではなくなる。

 「対象化された意識」を「意識そのもの」として錯認してしまうその地平において、いわゆる意識化されていない(対象化されていない)意識を、「下意識」(フロイト)などと定義付けられることがある。

 本来対象化し得ない「意識」を意識的に対象化することによってしか、「意識」を意識することができない。「対象化された意識」しか、意識の自己認識手段はないということだ。それゆえにこの「下意識」という概念は、「対象化された意識」の中で、いまだ対象化されていない部分を表す概念としては、使い勝手がいい。

 さて、人間は意識的に記憶の貯蔵庫から、必要な記憶を取り出すことが一定程度できたわけだが、この「下意識」という概念を用いるならば、意識の指示でなく明らかに「下意識」の指示で、記憶の取捨が判断されるというケースがある。その記憶を呼び起こすことは、「意識」にとってよい選択肢でないという判断を「下意識」が行っていると思うよりほかないような状態に置かれることがある。あくまでも「対象化された意識」を「意識」と呼び、「意識の対象化からはみ出した、憶測に基づく意識」を「下意識」と呼ぶ概念操作を前提とするならば、の話だが。

 私自身もスッポリと抜け落ちている意識上の時空間がある。ある一定の記憶の世界を言葉にして表現することはできるが、それを脳内で映像化することができない。イメージとしてすっぽり抜けているということだ。そこにあるのは「無」なのだが、「下意識」が記憶の貯蔵庫に蓋をしているとしか思えないような現象が私の中では起こっている。

 しかしそれによって私は今こうして生きて、そして時に笑ったりすることができているのだろうと思う。

 「下意識」が「意識」そのものと向き合う中で、「意識」にとってその記憶は呼び起こすべきか否かを判断し、時に「意識」の指令に反した形で記憶の現出を操作する。それによって「意識」は自己を守っている。「下意識」の陰の力に支えられながらも「意識」は自己を所有している。

 こうした「意識」と「下意識」、「記憶」のバランスを欠くと、人間の「意識」は大きく混乱する。誰しも遠い過去の記憶が近い過去の記憶に比べて薄くなることによって、「意識」のバランスは保たれているのだとは思う。たとえ「下意識」の記憶操作がなかったとしても。

 「自閉症」と呼ばれる障害を持つ仲間たちの中には、こうした「意識」と「記憶」のバランスにやや難があるのではないかと思うようなケースが存在する人たちがいる。いわゆる「カレンダー人間」と呼ばれる、過去の記憶をカレンダーとともに瞬時に呼び起こす能力を持った仲間たちがそれだ。彼らは混乱しやすく、矛盾に対してとても敏感なのだ。

 3年前、Aさんから「正しいのはBだ」と言われた。そして昨日、同じくAさんから「正しいのはBではなくCだ」と言われた。

 通常我々なら、記憶が鮮明な「正しいのはC」という答えを基準に指示内容を整理することができる。「3年前のBだと言われたのは間違えだったのかな」「Aさんの意見が変わったのかな」「今の自分に踏まえて、AさんはBからCに答えを変えてきたのかな」というように。しかし彼らの場合には、3年前の記憶も昨日の記憶も、同じぐらいの印象と圧力をもって彼らに迫るのだ。だから整理する際の基準を失い、とても混乱する。

 どんなにつらいのだろう、と思うときがある。記憶が消えない世界ってどんな世界だろう。これまでと矛盾する新たな情報は、時に彼らを混乱させる。そして行動のパターン化・ある種儀式めいた常道行動によって情報を遮断し、オウム返しによって他者を遮断する。「自閉症」という名称が付与された理由はこうした行動に基づく。

 それゆえ私は、彼らと接するときは、いかに自分自身の訴えに一貫性を持たせるか、ということに気を配る。

 「意識」は、本来対象化し得ない自己自身を対象化しそれを「意識」と表現し、その「対象化された意識」のアンサンブルを通じて他者を意識し、関係を作り上げていく。

 私は「下意識」の指令に基づいて過去の記憶を一部、おそらくは操作しているのだ。そしてそうした「意識」の自己省察の志向性において、自己の中に他者を自覚し、こうして彼らとの意識的な接点を作り出し、関係を作り出している。

 そうして今日も、私は彼らと「対象化された意識」の接点を模索している。

 これが「ぼくが福祉の仕事をはじめた理由」です。

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2007年1月19日 (金)

ぼくが福祉の仕事をはじめた理由

そりゃあ、一言ではいえないよ。

  

                 061118_1125001                             

うちの長男と次男。三輪車が長男、自転車が次男(笑)。

マスミ姉さんからいただいた自転車。

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2007年1月18日 (木)

大阪の事件について

このニュースが飛び込んできて、私はしばらくの間、完全に判断停止に追い込まれてしまった。以下、産経新聞より一部省略かつ修正の後抜粋。

大阪府八尾市の近鉄八尾駅前の歩道橋で17日、大阪市平野区の西田璃音(りおん)ちゃん(3)が男に投げ落とされ重傷を負った事件で、殺人未遂容疑で逮捕された八尾市桜ケ丘、障害者作業所勤務、Y容疑者(41)が「仕事がイヤで、何か悪いことをすれば仕事場に戻らなくていいと思った」と供述していることが18日、八尾署の調べで分かった。同署は、Y容疑者が仕事でイライラしていたところに、たまたま璃音ちゃんが通りかかり、突発的に投げ落とした可能性が高いとみている。
 調べなどによると、Y容疑者は17日午前10時ごろから同市内にある作業所でクッキーの袋詰めの作業を行い、昼食のあと午後1時ごろから、同駅前でメンバーらとクッキーを販売。現場は人通りが多く子供も多数通りかかったが、約1時間半経過した午後2時半ごろに突然、璃音ちゃんを投げ落とした。
 調べに対しY容疑者は「仕事のストレスがたまっていて、むしゃくしゃしていた」などと供述していたが、「何か悪いことをすれば仕事に戻らなくていいと思った」と話していることも新たに判明。同署は、ふだんから仕事に対する不満があり、イライラしているところに、璃音ちゃんが通りかかり、突発的に投げ落とした可能性が高いとみている。

 同署によると、Y容疑者は落ち着いた様子で「悪いことをした」と反省の弁も述べている。精神科に通院治療中だが、質問の受け答えもしっかりしているという。
 一方、璃音ちゃんは依然、病院の集中治療室で治療を受けているという。
 社会福祉法人O会のK事務局長の話 「事件が起きたことは本当に残念。しかし、知的障害があるから事件を起こしたのではないことと、多くの知的障害者がまじめな人であるということを分かってほしい。こうした事件によって障害に対するマイナスイメージばかりが先行することが心配。知的障害者を常時、見守り続けることは現実的ではないし、そうしたからといって本人の自立につながるとはいえず、悩ましい。一人一人に対しての支援のスタイルが異なり、パターン化できないのも難しい」
 
 このニュースを、ふたりの<私>が同時に見ていた。一人は障害者の福祉作業所の所長としての私。もう一人は3歳児の父親としての私。
 所長としての私は、この事件に対するマスコミや世間の論調が、やれ「障害者を野放しにするな」とか「危険人物を街に出すな」とかと騒ぎ立てることをまずは直感した。一生懸命まじめに地域で働いている多くの障害を持つ仲間たちへの風当たりが急速に強まることを危惧した。大阪のその作業所(小規模通所授産施設)ではクッキーを作っていたという。その仲間たちはどうなってしまうのか。仕事が続けられるか、居場所は維持できるのか・・・。
 もうひとりの璃音ちゃんと同じ3歳児をもつ父親としては、一言でいって、「絶対許せない」。Y被告だけでなく、職員も施設も法人も、全部許せない。公開する文章には書けない言葉が頭をよぎる。そして「所長としての私」が作業所の存続を心配している、そういう「私」が許せない。
 「父親としての私」が怒りを持っていることに対して、「所長としての私」は、なんとも言葉がない。「こうした事件によって障害者に対するマイナスイメージばかりが先行するのが心配」というK事務局長の気持ちも十分に分かるが、今そんな言葉を被害者の親が聞いたら、はらわたが煮えくり返るどころの騒ぎじゃない。
 一日ずっと、整理できない感情を抱えていた。いまこうして書いているうちに何らかの答えが出るかとも期待していたが、それもどうやらダメなようだ。もう一度それぞれの「自分」に戻って考えてみる。
 
「所長としての私」として。
 私はこれまで、「障害者の就労支援」という仕事に携わってきた。人間として、できる部分・できない部分、そしていい部分・悪い部分、全部抱えた人間として、つまり我々と同じ一個の人間として、他者とふれあい認められて生きていくこと、何らかの形で他者に「必要だ」といわれる環境の中で生きていくこと、そういう人生を、あいつにもこいつにも送ってもらいたい、そんな思いで「就労支援」の仕事をしてきた。そして「障害者の就職」といっても、みんながみんな善意のかたまりのような所に送り込むわけではない。偏見・差別、それを前提とした社会に送り込むわけだ。ある意味、偏見や差別はあって当たり前(肯定するわけではないが。)、それを跳ね返す根性と実際の仕事ぶりを身につけさせて「お前が乗り越えろ!」と背中を押すのが私の仕事だ。
 健常者と同じ失敗をしても「やっぱり障害者だから」といわれてしまう。健常者と同じだけ手を抜いても周りの反感を買う。だから基準を厳しく設定するしかないのだ。「そこまで厳しくしなくても」とよく言われてきた。私を鬼のように思っている人たちも多いはずだ。でも本当に彼らが地域の中で差別や偏見を乗り越えて人から「必要だ」といわれて生きていくためには、基準を厳しく設定するしかないのだ。「自閉症」の仲間たちの独り言やこだわり、同じ言葉の繰り返しなどを「障害だから仕方がない」という捉え方をして、半端な優しさで受け入れてしまうことは、その人と社会の間に壁を作ってしまうことにしかならない。だから厳しく接する。世間が嫌がることに対しては、「○○障害だから」ということで済ませてしまうのではなく、それはいけないことなのだということを伝え続けていく。いいことはいい、悪いことは悪い、その基準を明確に伝えていく。それが私の考え方だ。
 こういう事件が起こり、世間が「だから障害者は・・・」という風潮を作ると、たいてい障害者施設陣営は「犯罪発生率は、(精神)障害者よりも健常者の方が高い」というデータをもって反論する。
 おそらくそのデータは正しいと思う。数多くの「障害者」と接してきて、同時にそれよりはるかに多い「健常者」と接してきて、そのデータは実感として正しいとは思う。
 だが、その一歩先のことを我々は考えなければいけないのだ。そういう風潮があっという間に作られてしまうそういう世間、あるいは社会。その中で障害を持つ仲間が日常的に地域で暮らすことを模索するという地域福祉の世界は、いかに「障害」をできない理由にせず、彼らに社会人としてのルールを厳格に伝えていけるか、それを貫けるか、そういう世界だということだ。差別や偏見を前提とした地域社会で「地域福祉」を推進するということは、それ相応の厳しさが関係にないとダメだということだ。そういう厳しさとその裏にある「地域の中で生きようよ」という思い、それを相手に伝えられて初めて「さあ、地域に出よう」ということになるのだ。我々にとっての教訓はその点にあるのだと考える。
 そしてもうひとつ考えるべきことは、「地域福祉」を進める以上、「100%何もない」ということはありえないということ。たとえ「99%大丈夫」と思える場面においても、残りの1%を予測して、それへの危機管理の意識と対応準備をどれだけできるのか、それが大切だということ。そしてさらには、「それでも100%はありえない」という冷厳な事実を自覚すること。腹をすえるしかないということ。
さて、「父親としての私」に戻ります。
 この感情は、やはり言葉にできません。うちの長男と同じ頃産まれて、同じように親は喜び泣いて、そして同じように夢を見ていたはずです。早く元気になって欲しい、それを祈るばかりです。
 以下はうちの長男が産まれた日に私が書いた詩(日記)です。親としての感情を推測してください。
    
     ほんとうに風ちゃんがうまれたら
    
    ほんとうに風ちゃんがうまれたら
    どんなだろうって思っていたら
    ほんとうに風ちゃんがうまれた
    はじめまして 風歌(ふうた)くん
    でもぼくは 君のことを
    ずっと前から 知っていたよ
    ところで 君のほうは?
 

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2007年1月17日 (水)

明日更新!

毎日毎日、たくさんの方がこのブログを読んでくださっていて、なかなか更新できないことに恐縮しております。とくにここ1~2週間はとても読者が多いです。明日の夜、更新いたしますので、もうしばらくお待ちください。

 私は現在「就労支援事業会計基準」に関するセミナーに行っておりまして、受験時代以来(以上?)の予習・復習の毎日であります。でもちゃんと勉強していなかったら本当にチンプンカンプンだったでしょう。

 明日のセミナーが終わったら、ちゃんと記事を書いて、ビールを飲んで、一週間分寝ます。ではまた。

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2007年1月14日 (日)

船橋市民駅伝速報

第51回成人の日記念船橋市民駅伝、わが「とまりぎジョギングクラブ」は・・・。

残念ながらタスキを4区→5区につなぐことはできませんでした。トップの市立船橋高校と15分以上の差がついた時点で繰り上げスタート。繰り上げスタートからわずか1分後にユータ君が入ってきました。今年も残念ながら灰色のタスキをもってゴール。

今年の市立船橋は強すぎた~。2位と5分くらいの大差での優勝だと思います。自衛隊などの強豪チームを大差で引き離していました。さすがもと高校全国NO1の学校。まだ正式記録は分かりませんが。

でも1分差(16分差)という数字は、来年の目標にはちょうどいい数字だと思っています。4人があと15秒ずつですよ。

心配されたアンカーのダイスケ君も朝には元気な顔を見せ「もう大丈夫です。僕が走ります」と言ってくれて、新成人のショータ君も安定した走りを続けてくれました。大きなブレーキもなく最後まで完走できたことは、とても嬉しいことです。

 第1区のマサシ君がトップの市船と5分差。第2区のサトル君がトップとの差をおよそ3分半広げて、第3区のシンイチロウ君が4分半、この時点でトップの市船とは13分開いていました。第4区のユータ君が奇跡的な走りでトップとの差の開きを2分以内に縮めないと繰り上げになるという展開。しかし3分開いてしまって結果16分の差。1分遅れで繰り上げスタートになったという展開でした。正直言って、うちのエース、第1区のマサシ君が4分差以内で帰ってきてくれると予想していたので、そこが唯一の誤算でした。というよりはぶっちぎりで優勝した市船が強すぎました。

市立船橋高校の選手のみなさん、おめでとうございます!

駅伝大会の後は、「とまりぎ」で今年成人式を迎える仲間たちと選手たち、そしてスタッフ・応援の人たちで焼肉食べ放題へ。70数名の小規模福祉作業所の仲間たち、そのうち今年成人式を迎える人は11人もいたんですよ!みんなでたくさん食べました。年賀状で「今年は就職させてください」と書いてきたマユミさんは(かなり嫌がっていましたが)私の横に座り野菜の食べ放題!・・・ちょっと体を引き締めないと、就職は難しいっすからね。動きが鈍くなるし疲れやすくなるし・・・。

今年成人になった仲間たち、おめでとう! 今後は本当の意味で「大人」として、地域社会で生きていくことになります。自分の行動の責任を自分でとれるように、そういう意味での「大人」になれるように、日々頑張っていきましょう。

このブログを読んで応援に来てくださった方もいらっしゃったようです。私はその方に面識ありませんでしたが「(ダイスケ君は)本当にいい体してるねぇ。足はもう大丈夫?」とダイスケ君が話しかけられていました。

とりあえず速報です。いつも思うことですが、目標は簡単に達成されてしまうよりも、すぐ目の前でスルリと逃げていく方が、ワクワクして楽しいです。来年達成された喜びを、今から想像しています。

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2007年1月13日 (土)

第51回成人の日記念船橋市民駅伝大会

明日、「第51回成人の日記念船橋市民駅伝大会」です。わが「とまりぎジョギングクラブ」も参加します。去年は自衛隊の第一空挺団と市立船橋高校がメチャ速く、5区で繰り上げスタートになってしまいました。わずか1分の差で・・・。今年はタスキをつなぐことが何よりの目標です。選手たちは福祉作業所や会社の仕事の後、5時~6時まで練習しています。ソフトボールクラブの方は障害者チーム同士の大会なので、優勝したりもできますが、こっちは違います。当然後ろの方を走ることになるとは思いますが、それでも集中力を切らさず、ゴールを目指していきたいです。

応援に来てくださる方も募集していますので、簡単にコースを説明します。遠方の方にとってはつまらない記事になりますがご容赦ください。

<1区>船橋総合運動公園を9時にスタート。(8時20分より開会式。)御滝中学までの4.0kmをマサシ君が走ります。普段は「障害者の働く場あぐり」で農作業をしています。農業で足腰が鍛えられたのでしょうか。ここ1年で急成長してチームのエースに君臨しました。仕事の方もかなりの成長をしていて、まだ22歳と若いので一般就労する力はついたとは思いますが、福祉作業所の給料と障害者年金を合わせれば、我々職員の1年目よりも稼いでしまっている(笑)ので、今のところ就労支援はしていません。以前は目を離すとふざけてしまい、「エントリーから外す!」と宣言したこともありましたが、最近はたんたんと走ることができるようになりました。なおもう一歩の向上心を期待したいところですが、それは沿道の応援で彼の潜在能力を引き出すしかありません。ゼッケン231番「マサシ!走れ!」と声をかけてください。

<2区>御滝中学から船橋北高校までの4.6km。一番長い距離は今年も若きエースサトル君が走ります。「かんぱす」から15歳で一般就労したサトル君ももう18歳。重労働で体力がついてガッチリしてきました。普段仕事が忙しくてなかなか練習に参加できていないのでその点が心配ですが、負けん気とイケメンぶりは誰にも負けないので、やってくれると思います。特に黄色い歓声をお待ちしています。

<3区>北高から東京学館船橋高校までの3.3km。シンイチロウ君です。「かんぱす」から一般就労してから、多少体力が落ちてきています。しかし最近は仕事の後「障害者の働く場クローバー」に立ち寄り毎日練習をしてきましたので、ブランクは解消されたと思います。「かんぱす」時代は仕事で毎日走っていましたからね。気の優しい男ですので、人を抜くということにためらいを感じてしまうところがあります。どうか野太い歓声と怒声をお願いします。

<4区>東京学館から新京成バス折り返し場所「豊富小隣」までの2.1km。短い区間のスピードランナーが集う区域です。「クローバー」のユータ君。以前、千葉県障害者振興センターのホームページでも紹介されていた「牛乳配達のプロ」のユータ君です。(以下がその記事)

http://jusan-kassei.de-blog.jp/inosisinohana/2006/12/post_2fe8.html

おそらく牛乳ビンを持って走ったほうがは速いんじゃないかと思います(笑)。去年はアンカーでしたが4区→5区の繰上げスタートを阻止するために、あえて4区に入ってもらいました。「牛乳屋さ~ん」と声をかけてくれれば、より速くなります。

<5区>「豊富小隣」から古和釜高校までの3.2km。最近安定してきたショータ君です。「とまりぎ」の廃品回収で、体力をつけてきていますが、同時に体脂肪もつけてきていますのでちょっと心配(笑)。あっそうそう、今年成人式です。おめでとう!泣き虫ショータもとうとう大人の仲間入りかぁ。この大会はショータ君のための大会です。脂肪を全部燃焼させていい走りをしてもらいたいです。終わったら成人のお祝いをしてあげるからなっ。度を越えた照れ屋で、黄色い歓声を受けるととろけてしまいます。低い声で「ショータ!」と声をかけてください。私は古和釜高校で陣頭指揮をとっています。

<6区>古和釜高校からゴール地点の船橋総合体育館(船橋アリーナ)までの2.4km。アンカーはいちおうダイスケ君です。練習ではエース、本番にはめっぽう弱い、気の優しすぎるダイスケ君です。しかし最近の練習では大スランプ。かなり厳しく指導されてきました。

 しかし昨日(12日)の夕方、足を痛めていることが発覚。表情の暗いダイスケ君に私が「ちょっと、屈伸してみな」と言ってみたのですが、屈伸さえもできず顔をゆがめています。私も一瞬凍りつきました。大会まであと2日。ダイスケ君といえば、引きこもり状態から脱して「かんぱす」に入ってきた頃は、「目がかゆい」といっては作業所を休み、「耳が痛い」といっては休もうとしていた人です。そのたびに私が家庭訪問して本人やご家族と話をしてきて、何とか強い気持ちで作業所に通えるようになったばかりです。「目がかゆい」といって休んでいた人が、これほどの足の痛みを我々に隠していたとは・・・。本人は「出たい」といっていますが、当日の体調次第で私が決めます。「船橋アリーナ付近を身長180cmの美男子の「231番」が足を引きずって走っていたら、それはダイスケ君です。無理はさせたくありませんが、気持ちには応えたいと思っています。ぜひとも10時ごろ、「船橋アリーナ」近くに結集していただいてダイスケ君を応援してあげてください。

万が一に備え、チームのキャプテン今年40歳のイタルさんには走る準備をしてもらっています。イタルさんも「ダイスケに走らせたい」と言っています。1月3日に亡くなってしまった板さんには、「まだ四十九日前だから、自宅付近近くでダイスケの足を守ってくれ」と話してあります。大の駅伝ファンだから、酔いつぶれていなければきっと守ってくれるはずです。

心を一つにしてタスキを最後までつないでいきたいです。

千葉県では障害者差別に関する条例が昨年制定されました。我々は法律や条例の制定運動という形でなく、障害を持つ人たちが、真剣に白球を追いかけたりタスキをつないだりしている姿を通じて、社会に呼びかけているのです。もっともそれは2次的な目的で、一番は勝つこと・走ること・みんながヒーローになることなのですけどね。でも2次的な目的くらいのほうが、人々の心に届くものなのです。

いい報告がしたいですね。なによりも無事と安全。板さん、頼む!

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2007年1月11日 (木)

飛んだ・・・。

先日、おもちゃ屋さんに立ち寄ったとき、なんとなく凧(たこ)に目が留まって、買ってしまいました。昔なつかしいゲイラカイト。トーマスの絵の描いてあるやつ。そういえば凧あげなんかしている子、今いないですねえ。ゲームを持って子供達はいつも下を向いている。青空の下でも下を向いている。それってやっぱり間違いですよね。

「うちの子も凧なんて見たこと無いだろうなあ」・・・買って帰った後、ゲイラカイトを冷蔵庫の脇に隠しておいた。すぐに長男風歌(ふうた・3歳)に見つかる。

「おやじィ、何買って来たのよ。これ何?」・・・長男はすぐに説明書などを見て、ものの構造を知ろうとする。ラジコンだって構造把握から入ったんだから。設計図男・説明書男の本領発揮。「これはきっと、風で飛ぶ飛行機だね。風でとぶんだよ、きっと。」と風歌。「3歳児に言われなくても、親父は飛ばし方も知ってるんだぞ!」と私。さっそく凧揚げです。

風歌も次男の心歌(こうた・1歳)も妻もばあちゃん(私の母)も大興奮!風が強い日だったのでどんどん高く上がっていきます。しかし今の凧は軟弱にできていてすぐに壊れてしまう。「ダメだ。修理しなきゃね。」と風歌。

<壊れたものは直して使う> それを身につけることは大切なことだ。さっそく家に帰って修理。完璧な出来栄え。今度は風歌と2人だけで広場に行きました。

3歳の風歌、見事な糸さばきでどんどん高く舞い上がらせていきます。40mほど上がったでしょうか。高くなればなるほど力が必要になります。

そこに強風が吹いてきて、とうとう風歌は手を離してしまいました。「親父! ギャ~!」という悲鳴と泣き叫ぶ声。風歌はもうあきらめてしまったのか、その場で倒れこみ泣くばかり。この子が腹の底から本気で泣くのははじめて見たような気がします。抱きしめるしかありません。

凧は本当に気持ちよさそうに、大空を泳いでどんどん小さくなっていきます。「これぞ自由」とばかりに右に左に・・・。

さんざん泣いた風歌は「もうダメだ。親父、また買ってきて」・・・。そういったとたん、小さくなったはずの凧がまた大きくなってきました。近づいてきたのです。近づいては離れ、なんとも思わせぶりな態度を示す凧。そしてとうとう消えてしまいました。

「風歌、探しに行こう!」・・・家に帰って車に乗ります。ばあちゃんは「きっと神社の方まで飛んで行っちゃったんじゃないかな」と。いくら自然博士のばあちゃんとはいえ、気まぐれな風の表情まで見えるわけはない。・・・そう思いながらも神社の方向に車を走らせ、探しに行きました。

見つかった!神社の近くの畑の真ん中に。ばあちゃんは何者だ?しかし風歌は大喜び!

「あきらめないでよかった。」とてもすがすがしい気持ちでした。

息子たちとのふれあい、「親父らしさ」を示せたことはやっぱり嬉しい。ふだんあまり顔も見せられないからね。

やがて日中までのポカポカ陽気から、だんだんと暗くなり、風も冷たくなってきた頃、妻とばあちゃん(嫁と姑)が「映画に行く」と出て行きました。なにやらキムタクが出ている何とかという映画だそうです。妻もばあちゃんも、それぞれ息子(風歌と心歌、私)を家に残して映画を見に行くというのです。私と子供達はお留守番!

普通の嫁と姑ってどんな関係だろうか? ふたりで「キムタク」の映画行く?ありえねえ!

たまたま、ことちゃんの家族から「夕食一緒にどうですか?」とお誘いを受けたので、男3人の悲しい夕方は避けられましたけど。

<追記>

「これはきっと風で飛ぶ飛行機だね」と分析する風歌。この分析魔・設計図男は、とどまるところを知りません。夕食に誘われ、暗い夜道、車に乗っていると突然こんなことを言い出しました。

「ガードレールは、車がぶつからないように光っているんだね。でも電池は入ってないよ。車が光るとガードレールも光るんだよ。」いつもこうして分析に夢中なのです。

カップラーメンを作っているときに、「かやく」の入った袋をじっと見て、「このギザギザは袋をあけやすくするためについてるんだよ、きっと。だからここからあけるんだよ。」

ラジコンのバックの車庫入れの前には車体を裏返してコントローラとタイヤの動きを確かめてから右折バックをしました。

素朴に育って欲しくて「風歌」ってつけたのになあ。

今日の記事は仕事とは何の関係もありません!

書けるような仕事、してないんですよ今日は。まあ、それなりに頑張ってはいるんですけどね。少しずつは。

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2007年1月10日 (水)

消えた・・・。

EXCELで、明日までに作るべき書類、あと少しで完成のヤツ。別の文書を参照して切り貼りして、参照文書だけ消そうと思ったら、ボケーッとしていて作るべき書類まで消えてしまった。

今から全部作り直し?

家でやります。今日は誰とも話をしたくないし、顔も見たくありません。

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2007年1月 6日 (土)

「当然のこと」その2~最終回~

迷っていましたが、やはりこの記事を書くしかありません。

12月27日の夜、私は3歳の息子に「本当はサンタさんは親父でしょ?」と聞かれてしまったことは28日のブログで書きました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_de3e.html

実はその日の昼間、「かんぱす」「クローバー」合同の筑波山温泉日帰り旅行に行く時、私は車の中で板さんと「本当はサンタさんは誰なのか、子供たちが知ってしまったのはいつ?」ということについて、話をしていました。板さんについては12月11日のブログ「当然のこと」で書きました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_667b.html

12月27日、前日の豪雨と暴風が去り、あたかも「台風一過」であるかのような空気の澄みきったさわやかな朝。私は板さんを車に乗せ、車椅子のシンタロウを迎えに行くため、県道8号線を西に向かっていました。右前方には雪化粧の富士山が遠く鮮やかにそびえ立っています。

「やっぱり富士山はいいねえ。今日筑波山やめて富士山に行きたいね」と私。

「青木ヶ原っすか?」(笑)と板さん。「あそこは板さん一人で行ってよ(笑)」

「ところで友野さん、今年もサンタの大役は果たしたんですか?」と板さん。

「うん。兄弟喧嘩の種をまいてきちゃったみたいだけど、喜んでるみたいだよ。兄ちゃんにはラジコンカー」(私)。「もう風歌くんぐらいなら、ラジコンの操作もできるんですねえ」(板さん)。

「ところで板さんサンタは、子供にサンタの正体を話したのはいつ?」(私)「どうだったかなあ、一番上の子は確か小学校3年生ぐらいの時に、意を決して話したかなあ。でももう知ってるよって顔されたなあ。カミさんあたりがサッサとしゃべっちゃったんだろうなあ。あいつ、夢がないからさあ。」(板)

「奥さんがどうかは知らないけど、板さんの夢はいつもでかすぎるんだよ。でも俺も子供が小学校3年生になったら白状しようかな?」(私)。

(しかしその夜3歳の長男に「サンタは親父」と言われてしまった・・・。)

「子供たち4人に一番カネがかかる時だけ『お父さん、お父さん』で、それが終わったらお払い箱。男ってこんなもんっすかねえ。」(板さん)「俺はそうはならないよ。板さんと出会って、俺の反面教師になってくれたから、そんな失敗はしないよ(笑)」(私)。

世界各地を渡り歩き、建築の第一線でバリバリ働き、稼ぎまくり遊びまくっていたという板さんが、過労と生活習慣が原因で、脳梗塞と心筋梗塞で倒れ、半身不随になったのが8年前。こん睡状態・リハビリ生活、、、やがて独り者に戻ってしまっていた。アパート暮らしとなったその後はアル中と肝機能障害、そして糖尿病、借金地獄というある意味お決まりのパターン。登った山は高かったけど、そこから転がり落ちるのも早すぎた、いや速すぎた。そしてその山のふもとで私との出会いがあった。

一番低いところで出会ったのに、板さんの心はいつもまだ山のてっぺんにいた。山のてっぺんにいる人と、山のふもとで話をするわけだから、いつも心が通じ合わないんですよ(笑)。

 県道8号線が高架から地上におり、いよいよシンタロウの家に向かう。もう富士山など見えやしない。車椅子のシンタロウを筑波山に連れて行くのは以前からの約束ではあったが、今回の旅行の主人公はシンタロウでなく、板さん。(シンタロウと筑波山に関する記事は以下。)http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_f2eb.html

 何故筑波山&温泉旅行の主人公が板さんかというと、以前ブログで紹介した「かんぱす10周年台湾旅行」、実は板さんだけが参加できなかったからだ。(以下、台湾旅行の記事)

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/post_f265.html

 最高に楽しかった台湾旅行、しかし体調等の問題で板さんだけを置いていったことは何とも心残りではあった。その年の「心残り」はその年に解消したい。

「板さん、年末みんなでどこ行きたい?」「まあ、ゆっくり温泉がいいっすかねえ」「じゃあ、シンタロウも筑波山に行きたがっているから、筑波山を眺められる温泉に行こう!」

あとは「かんぱす」職員の武井君に下駄を預ける。「板さんを筑波山近くの温泉に連れて行くから、段取り立てて」。あとは武井君が段取りを立てた。筑波山中の食堂で温泉の割引券を見つけて私が武井君に「こっちの温泉の方が割引で安くなるし、女性陣の好きな足裏マッサージもあるし、こっちに変えない?」と進言してみたが、武井君に却下された。「ここは露天風呂がホテルの屋上にあるから、ここを選んだんですよ!」。「分かった」と私は進言撤回。

 筑波山山腹のホテルの屋上の露天風呂。12月とは思えない暖かな一日で「台風一過」のように空気は澄んでいた。風も強く、桶がカランカランと踊っていた。湯気も風にさらわれて、すぐ近くにある雲の中に吸い込まれていくので、メガネをかけて入浴してもメガネが曇らない。男性陣だけで18人。狭い浴槽にみんなで浸かっていた。半身不随で着替えに時間がかかる板さんがどこまで「ゆったり」を満喫できたかどうかは分からないが、板さんのためにみんなでここに来た事実は変わらない。

 眼前に富士山が見えた。船橋市の県道8号線から見た朝の富士山とはまるで違って、それは巨大だった。すぐそこにあるかのようだった。18本のチンポコの向こうに見える絶景ともいうべき壮大な富士山。シンタロウに言った。「お前、あの頂上まで登ったんだぞ!」。車椅子になる1年前、シンタロウは作業所の仲間たちと富士山に登った。

風呂から出て男性陣・女性陣が合流してもまだパンツ姿の板さんに女性陣からブーイング。ヨダレを垂らしながらも板さんは、笑顔で返していた。

板さんが自分の失禁やヨダレに気付かなくなってから、もう何ヶ月になっただろうか。歩くだけで転んでしまうようになってから何ヶ月になっただろうか。脳梗塞の後遺症か、アル中や糖尿の影響か、それら全部含んでの、全体的な衰弱か。

それでも板さんは「俺はここを出て、勉強して、行政書士になる。一人暮らしをする」といってはばからない。心はいつも山の上にあるのだ。山のふもとの私たちの進言など、おそらくは雲に消えて届かないのだ。山の頂上にいる板さんの心は、雲を突き抜けているので、いつも晴れ渡っている。これは昔からなのか、障害者になってからなのかは分からない。昔の板さんのことは、私は知らないのだから。

 板さんにこう質問したことがある。「好きなだけ食べて、好きなだけ酒を飲んで、1年でのたれ死ぬのと、俺たちのいうことをちゃんと守って、節制して10年・20年生きるのと、どっちがいい?選んでいいよ。」

 間髪入れずに板さんは答えた。「好きなだけ食べて飲んで、20年生きたいっすねぇ」・・・何も分かっちゃいねえんだ、このオッサンは。死の淵から蘇って今生きているのに、まだ自分は不死身だと思ってるんだから・・・。

 とにもかくにも、板さんを筑波山の温泉に連れて行かれた。12月とは思えない暖かな一日。空気は透き通るようで、富士山はすぐ目の前にあった。茨城で一番の美人が働いているという噂のマクドナルドに立ち寄ることはできなかったけど、いい一日だった。

 こうして「かんぱす」「クローバー」の一年が終わりました。私は12月30日のブログ「よいお年をお迎えください」の中で、「順調すぎる一年」「年を越すのが恐い」と書いた。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_29ab.html

 筑波山からちょうど1週間が過ぎた1月3日。板さんは本当に山のてっぺんに登ってしまいました。享年54歳。夕方散歩から戻ってきて、心筋梗塞でした。

 おそらくは大好きな箱根駅伝を見終わってから散歩に行ったのでしょう。自身も「青梅マラソン」に参加したことがある、大の陸上ファン。今回も「順天堂か、東海でしょう。古豪復活はないでしょう。」と予想していました。

 枕元には別れた奥さんと子供たちの住所などが書いてあるメモ。

 「向こうには新しい生活があるのだから、邪魔しちゃダメだよ。今の状態でどのツラさげて、会いに行くんだよ。あわせる顔ないでしょ?」何度私が説教しても、きっと山の上から聞き流していたのでしょう。そして会いに行こうとしていたのでしょう。

 今から思えば、筑波山の日の朝、「今年もサンタの大役は果たしたんですか?」と私に聞いてきたのが板さんでした。もう一度サンタさんにでもなるつもりだったのでしょうか。その時は質問の意味を予測することもできませんでした。

 板さんよ!あんたは何にも分かっちゃいなかったんだよ!子供さんが小学校3年生の時には、あんたはすでにサンタじゃなかったんだろ?どれだけ時間を巻き戻そうとしてるんだよ。いつもあんたは、何にも分かっちゃいねえんだよ!

 板さんとの最後のお別れの日は、筑波山の時と同じように、さわやかに晴れわたり空気の澄んだ一日でした。思えばこの人と約束した日は、いつもこんな天気だったように思います。どんな運をもらってこの世に生を受け、どんな運を山のてっぺんに持ち帰るつもりなのかこのオッサンは。

 私の予想を超えて、たくさんの人たちが最後の別れに手を合わせてくれました。これだけ好き勝手な人生を送ってきたこのオッサンに、なんでこれほどの人たちが手を合わせているのか。

 「板さんよ!もったいない話だと思わない?」そう思いながら手を合わせている私に、板さんからどんな答えが返ってくるか、これまでの付き合いの中で簡単に想像ができます。

 「きっと私の人徳じゃないですかねぇ」・・・きっとそう答えるでしょう。

 最後に好きなだけ酒を飲ませてやりたかった。後悔というより過去形の願望です。

 板さんよ。しょうがねえから、冥福を祈ってやるよ。そしてこれからは山の上から見守ってくれよ。あんたが時折みせる本当に優しい目で接してくれた俺の子供たちを。そしてあんたが最後まで会いたがっていたあんたの子供たちを。

 

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2007年1月 3日 (水)

お正月も終わります!

みなさん、どんな正月でしたか?

普段できないこと(仕事、趣味、勉強)をまとめてやる正月。家族のために過ごす正月。自分の充電。旅行。

私は例年通りの3点セットです。箱根と高校サッカーと仕事。箱根駅伝で泣いて、高校サッカーで泣いて、仕事で泣いてます。仕事の方は、箱根に例えるならば、5区の山登りです。タスキを受け取ったと同時に息が上がり、足が痙攣している感じです。3月までにこの山を登れるの?本当に大丈夫?やはり勉強は若いうちにしておくべきですね。活字が頭に残らないんですよ。

長男(3歳)とトランプで神経衰弱をして2勝4敗。3歳児の記憶力はやはりすごい。長男とラジコンカーでレースをしたら2勝0敗。速い方のラジコンをとったほうが勝ち。大人になるということは、こうしたずるさを身につけるということか。ラジコン車庫入れ(ビールの空き箱で車庫を作り、そこにラジコンカーをバックで車庫入れする)はほぼ互角。フローリングにワックスをかけたので、夜中子供たちが寝た後、ラジコンのドリフト駐車を練習しています。

次男(1歳)は箱根駅伝に夢中。コマーシャルが入ると、「終わっちゃったよ!」とか「見えないよ!」とか「頑張れって言ってるのよ」とかとわけのわからないことをいってテーブルを叩いて怒っています。この次男、とても暴力的な(笑)性格ですが、いつの間にか10まで数えられるようになっていました。恐ろし~。ラジコンも操作しています。

さあ、明日からまた頑張りましょう。

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2007年1月 1日 (月)

明けましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。

大晦日、わが心の師、北島三郎の「まつり」に酔いしれ、酔いしれすぎて記憶を失い、気付けば二日酔いとともに新年を迎えておりました。「せがれ、その手が宝物~」(まつり)にジ~ンとしました。越路吹雪も美空ひばりも、レイチャールズもジェームスブラウンも他界した今日、「心の師」は三郎先生のみであります。

さて年末の大掃除、我が家ではやはりキッチンが私のフィールドですので、キッチン回り、換気扇、ガス回りは一年の感謝をこめて、私が掃除するほかありません。(私が家にいるときは、私の妻も私の母もほとんどキッチンに立たせることはありません。料理と掃除は私の仕事です。)そして私は、大掃除用の掃除グッズは、けっこう詳しいのです。だいたい新しい洗剤などが出るとすぐに買いたくなります。「風呂釜用強力~」「強力カビ取り~」「強力油取り~」とかと宣伝されると、ついつい買ってしまいます。自分で確かめたいのです。

今回私が換気扇の掃除をしようとした時、わたしの母(ばあちゃん)と妻が「重曹を使ってみたら?」と言ってきました。二人が重曹にハマリ、本などを回し読みしているのは知っていましたが、「掃除のプロに掃除のアドバイスをしてくるとは何たる無礼者!」と思い、無視していました。しかしやはり自分で確かめたくなってしまうんですよね。洗面器にお湯で溶かした重曹を入れ、それにつけた雑巾で換気扇回りを掃除してみました。

これがビックリ!

スプレータイプの油汚れ専用強力洗剤ではどうしても直接スプレーした部分とその回りにムラができてしまいます。そのムラを取るために、無駄にスプレーを使ってしまい、しかも体によくないものを撒き散らしている気がします。しかし重曹は嫌な匂いもなく体に優しく、そしてきれいに汚れが落ちるのです。私は嬉しくなってキッチン全体をこの重曹で磨いて、すぐさまパソコンに向かって「重曹」について調べました。

これは面白い!いろんな用途に使える面白さだけでなく、「これは哲学的に面白い存在だ」、そう思ったのです。この大地に深く眠っている鉱石や海底海中にも存在し、人間の体内にも存在する。そして双方の浄化作用をひっそりと引き受け、かつ人間が自然の一部であることを証明している。物理学的法則性からはみ出すことをせず、自然は物質の自己運動を通じて変貌し、やがて人間的自然を産み落とすに至った。自然の一部であり、自然からはみ出し、かつ現在自然に逆らおうとする優秀であると同時に愚かであるこの人間なるものを自然史的過程の中から生産し、かつ場所的に再生産している。人間が愚かにも、本質的には自分自身がその一部であるはずの自然に公然と刃向かい、産業や文化、生活を作っている。人間はこうして人間的自然としての自分自身を傷つけている。

 人間と自然の違いは、ただ脳髄と直結しているか、脳髄と空間的に切り離されているかの違いでしかない。畑に育つ葉っぱ類。これは誰が見ても自然の自然たる姿をしている。しかしこれを人間が摂取して体内に送り込まれ、体内の一部と化し脳髄と直結された時点で「人間」となる。それがやがて糞尿として体内から放出され脳髄と切り離された時点でまた「自然」となる。それだけの違いでしかないのだ。しかも脳髄の活動そのものも物質の自己運動とそれを支える物理学的法則性からなんら独立していない以上、人間は自然なのです。

 人間が本来自分自身である自然との無駄な争いに興じている。そこに歯止めをかけるかのごとく、自然の中から、人間の体内から、この重曹が自らをアピールしている。物質的であると同時に神秘的であるこの「重曹」に、そんなロマンを感じてしまいました。そんなロマンを感じながらの年末大掃除でした。妻やばあちゃんにこんな話しても「また難しいこと言ってる」ぐらいでほとんど聞いてくれないと思われますので、ブログにしました。誰か一人くらいは共感してくれるかな、と思って。桜井さん(笑)!

そしてA型族の諸君はすでに気付いているとは思いますが、「重曹」について、詳しく調べておくように。何か見えてくるような気がするぞ~。

こうして私は元旦から仕事ネタを考えているのでした。今年もよろしくお願いします。

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