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2006年11月23日 (木)

かんぱす10周年台湾旅行~

「かんぱす10周年 台湾旅行」に関する記事です。本来ならば、その雰囲気をリアルに伝えるべく実名表記にしたいのですが、一応職員以外はすべてニックネームを使わせてもらいました。あらかじめご容赦下さい。しかも、記事がとても長げえことも、ご了解ください。

                          平成181122

                         かんぱす所長 友野 剛行

<台湾旅行にいたるまでの経緯>

・「かんぱす」は平成8年2月にスタート。(小規模福祉作業所として補助対象事業になったのは4月。)すなわち平成17年度の2月にはすでに満10年を迎えていました。だから当初は平成17年度の冬に10周年海外旅行を企画していたのです。平成169月におこなわれた「かんぱす父母会」で第一次企画を発表し、その月から毎月給料から2千円ずつ「かんぱす旅行積み立て」として徴収してきました。

 ところが平成17年5月のしんちゃんのあの事故。生死のふちをさまよい、その後も「かんぱす復帰の目途が立てられないしんちゃんを置いて、10周年旅行を実現する気持ちには誰一人としてなれませんでした。平成17年8月の父母会で、「本年度の海外旅行は凍結。来年しんちゃんが戻ってきたら、しんちゃんを連れてみんなで行く」と宣言。

 しんちゃんが奇跡的な快復を遂げて、車椅子ながら「かんぱす」に戻ってきたのが3月。しかし当初は入退院を繰り返し、およそ海外旅行など行かれるような状態ではありませんでした。本人の努力で体力も回復し、なんとか旅行に連れて行く目途が立ったのが夏頃。この頃から本格的に旅行の準備を始め、担当の武井と、JTB船橋のI氏による打ち合わせなどが始まりました。

<旅行の内容・日程の決定!>

 そして10周年旅行の概要も決定しました。11月19日()から21日()までの2泊3日、場所は台北です。旅行参加者は、「かんぱす」「クローバー」の仲間たちをはじめ、かつて「かんぱす」で働いていて今は「もえぎ」や「かりん」、「NPO法人とまりぎ」で働いている仲間たち、そして就職者の中からK君。また初の海外旅行。みんなの体調面のケアの必要性と、しんちゃんのサポートの関係から、しんちゃんのお母さんで現役の看護師をしているしんちゃんママにも参加を依頼し、合計26名ということになりました。

<パスポートの申請>

 これはとても大変でした。本人のできること・できないこと、そしてそれぞれの家庭背景も考慮しながら26枚のパスポートを揃えるのは、思っていたよりも苦労しました。普段ビッチリのスケジュールで仕事をこなしている仲間たち。その間を縫うような形で申請に行ったり、受け取りに行ったり…。そしてそれを数名ずつ、計画的に。途中様々なハプニングに見舞われたりしながらも何とか人数分揃ったときには、正直ホッとしました。

<旅行前日>

 いよいよ前日。しかしすでに半分の仲間にとっては、旅行は始まっているのと同じでした。飛行機の時間の関係で、全体の集合時間が早朝5時40分。約半分の仲間が「かんぱす」「あかり」に分かれて前日から泊り込みです。

 ここ数日、浮き足立つ仲間たち。心配で電話をかけまくってくる親たち…。

 夕方6時、「あかり」に旅行担当者の6名(友野・武井・塚本・三輪・菅野谷・大槻)が集まって最終打ち合わせ。当日5時40分に誰一人として遅れることなく集まるためには、そして集まった面々が何らトラブルなく予定している飛行機に乗るためには、かなり綿密な打ち合わせが必要でした。バス旅行や電車旅行のように、出発時間を多少遅らせたり、電車を1本遅らせれば済むという話ではないからです。

 朝の送迎の方法から、モーニングコールの担当、切符のスムーズな買い方、連絡の集中方法まで、すべて事細かに決めました。

前日のうちに、大部分の仲間たちの荷物のチェック。あんちゃんは、通帳から年金手帳まで持ってきてしまう。ジャイアン君はゲームを持参するしないでひと悶着。K君はよほど日本が嫌いになったのか、パンツ7枚をカバンにいれ、キヨシは大槻君が準備したカバンを無視してカバン3つを持っていこうとする。エスキモーのような格好で南国に行こうとするコージ。卓さんは三輪さんがわざわざ自宅まで行き、90歳になろうとする卓さんのお母さんと一緒に荷物の準備。

 心配の一つに海外では携帯電話が使えないという問題がありました。携帯慣れしている我々は、事前の打ち合わせが不十分でも途中携帯で連絡を取り合えば済むという日常を送っています。そのままの意識で海外に26名で移動したら、いろんな失敗が予想されたからです。しかしJTBのI氏が海外でのレンタル携帯電話の手配までしてくれた(1本1日300円程度)ので、ずいぶんと楽になりました。

 ある程度準備が順調に進んで、みんなの体調管理も順調(1週間ほどはみんなの仕事量も抑えて、体調管理優先で作業をしていました。)で、本番を待つばかりとなりました。

 前日うちあわせで、最後に私はみんなにこういいました。「最後は全部私が責任を取るから、私の首が飛ばない範囲で、思いっきりみんなを楽しませるように。みんなを楽しませるということは自分たちも同じだけ楽しんで下さい。」

 大金を払って行くのです。2年間積み立てたお金を使って行くのです。その重みを「楽しみたい。楽しませたい。」という気持ちにつなげて結構。ピリピリするのは私一人で十分だと思っていました。

<旅行初日>

 打ち合わせ・シナリオ通りにまずは進んでいきました。本田さんが成田空港まで車椅子を含む7人を送ってくれたことによって、ゆとりも生まれました。遅刻者はゼロで、みんな元気です。ただしくにちゃんだけは緊張で引きつった顔。空港には予定通り7時40分には全員集合して、手続きを待つばかり。集合写真を撮りました。しかし数えてみると25人…。「一人足りない!」と思ったら、菅野谷さんが空腹に耐え切れず、ひとりでおにぎりを買いに行っていました。25人と26人、2種類の集合写真。

 その時点で私は「くにちゃんとコミ君だけは要注意」とみんなに伝えてありました。パスポートとチケットは節目節目で本人が持たなければならないからです。とくにコミ君はカバンのどこにパスポートを入れたかを、分かる人全員集めてそれを伝えておきました。

 しかし、荷物検査が終わり、空港の構内に入り、搭乗手続きで待っている間、ちょっとした隙間を見つけて、くにちゃんが逃走。厳重な警備で囲まれている構内からいとも簡単に逃げ去っていき、倉庫に隠れてしまいました。飛行機がよほど恐いのです。私が追いかけ、つかまえ震える手をとって再び構内へ。普段ならパスポートなしで入ることはできないところですが、事情を見ていた空港警備の人が入れてくれました。そこから先は武井君がマンツーマンでくにちゃんにつきました。

 さて飛行機への搭乗。車椅子のしんちゃんとしんちゃんママ、大槻君の3人は別の入り口から先に入れてもらいました。車椅子も検査の対象で、機内には別の車椅子で乗り込むからです。残り23名が乗り込んだとき、予想外の事態がそこにありました。我々26名の席がバラバラに用意されていたのです。狭い機内で大きな荷物を持った客が次々と乗り込んでくる。そんな中、我々が移動したり立ち上がったりできる状況ではありません。とりあえず塚本君・くにちゃん・タケシ君・武井君だけはなんとか固めて座らせることができ、私はみんながあまり見えない席に座らざるを得なくなりました。立ち上がると「シートベルトを着用して座って下さい」と注意される状況。「下りるときが勝負」と腹をくくるしかありませんでした。コミ君が一人で座っているのが遠くに見えました。トイレに行きたくソワソワして何度も注意されています。スチュワーデスに話をし、なんとかトイレまで連れて行ってもらう。

 飛行機が飛んでいる間、緊張で今にも逃げ出す勢いのくにちゃんを塚本君がなんとか取り押さえている。しかしその横で同じく緊張しているタケシ君がくにちゃんの態度に八つ当たりして大騒ぎ。大変だったようです。

 なんとか台北空港に到着し、やっと仕事ができる環境ができました。私は比較的前のほうに座っていたのでみんなに「席を立つな。最後まで待っていろ。」という指示を出すことができました。コミ君がカバンを持たず下りようとウロウロしている姿が見えました。カバンをなくしたのです。スチュワーデスに話をし、まずは他の客が下りて落ち着けるまで待機させ、カバンを探してもらいます。後ろの方の収納庫にありました。カバンをしまってから席の移動になったようです。

 何とか全員飛行機を下りて、台湾に入国手続き。一人一人恐い顔をした入国管理官に尋問される形で台湾の国に入っていきます。我々がみんなの間に入って対応。ところがパスポートをなくす仲間が出てしまいました。コミ君です。パスポートをカバンのどこに入れたのかは今回の旅行参加者のほとんどに伝えてあり、みんなでコミ君に監視の目を光らせていたはずなのに、その隙間を縫って、コミ君らしい仕事をしてくれました。武井君が慣れない英語(都立大の英文科卒)で事態を伝え、機内に残されていたパスポートを見つけてくれた。

 初めて台湾の地に足を踏み入れ、その暑さだけが「異国の地」の証のようでした。顔も同じ、看板は漢字だらけで意味が分かってしまう。車は右側通行で左ハンドルだが日本車しかない状態。日本語で話しかければカタコト日本語で返ってくる。空気の匂いの違いは食文化の違いのようにも感じられました。

 台湾人の今回のガイドさん。呉さんという初老の男性。流暢な日本語で案内してくれます。あとで詳しく述べますが、このガイドさんとの出会いによって、今回の旅行は数倍楽しめたといってもいいでしょう。コミ君ハプニングで全体の時間がかなりずれ込んでガイドさんをずいぶん待たせることにはなってしまいました。しかし笑顔と「かんぱす御一行歓迎!」の横断幕で出迎えてくれて、まずは「専用車」というマイクロバスへ。車椅子にとっては厳しい条件でした。急な階段でしんちゃんの肩幅くらいしかない幅。担ぎ上げるにもこちらの手を回すスペースさえありません。一度目は私が馬力で持ち上げましたがこれを10数回繰り返すのかと思うと「大丈夫だろうか…」そんな不安もよぎりました。2回目からはしんちゃんママがしんちゃんに怒鳴りつけました。「アンタならそのくらい一人で登れるでしょ!ひとりで登ってみなさいよ!」私もハッとして2回目からは本人の出来るところを見計らいながら必要なサポートをするという形をとり、3回目、4回目と昇り降りも上手くなりました。上手くなってからはサポートを大槻君や塚本君に任せるようにしました。何しろ急な階段なので、お尻から出血が確認されましたが、大事には至りません。

 マイクロバスでまずは観光地である中正紀念堂へ。台湾での「中華民国」を建設した蒋介石に関する記念堂です。蒋介石の銅像やさまざまな歴史の断片、ガイドさんからの説明に一番喰らいついていたのがジャイアン君とあんちゃん。ジャイアン君のダジャレがどこまで通用していたかは分かりませんが、終始ご機嫌で話しかけていました。毛沢東の実践論と矛盾論を大学時代読みふけっていた私としても、毛沢東のライバルで敗北した蒋介石の記念堂は、複雑な思いながらも感銘を受けました。微動だにもしない警備・きらびやかな空間、とてもよかったです。輪からはみ出して勝手な行動をする人もおらず、みんながその説明に集中できたのもよかったです。

 その後、龍山寺に立ち寄り、リバービューホテルへ。そこで多少くつろいだりしている間にミニ職員会議。くにちゃん逃走とコミ君ハプニングの件、我々の立ち位置の悪さの軌道修正(多少のカミナリも落とす)、今後のスケジュールについての確認など。

 夜、再びマイクロバスに乗り込み、台湾料理の店へ。ここも食堂が地下でエレベーターもなく急な階段。男4人がかりでしんちゃんを下に連れて行く。体力勝負の初日だったので、腹もペコペコ。それにしてもものすごい品数と量の食事!あれだけ脂っこい料理なのにむねやけがしない。烏龍茶が日本で飲んでいるものと全く違い、とにかく甘い。やっとのことでお皿を空にしたら「サービスよ~」といって炒飯の大皿の追加。なんとか平らげたら「またサービスよ~」と炒飯!「もう無理ですよ」と話すと「もって帰りな」とカタコト日本語で言ってくれて、炒飯の残りを全部包んでくれた。日本ではこんな経験はできないですよね。

 ホテルに戻ったのが夜の9時。でも時差が1時間あるので、実際は10時。夜遊びも企画していたがみんなホテルに帰って風呂に入ったらバタンキュー。タケシ君も布団に入って10秒でいびきをかいていました。早朝の集合と恐かった飛行機、盛りだくさんの企画に、みんなはもう遊ぶ余力はありませんでした。

 しかたなくみんなが寝静まった夜に職員としんちゃんママだけでミニ宴会。「かんぱす」の初期を知る菅野谷さん、「かんぱす」の形がどんどん作られてきた発展期を支えてきた大槻君、そして今の形で入ってきた塚本君・武井君・三輪さん…。「かんぱす10年」を記念しての旅行。当然話の花も咲きます。途中からしんちゃんママの人生哲学について。女性陣にはいい勉強になりました。

<旅行2日目>

 ホテルでのバイキング朝食を済ませて、再びマイクロバスに乗って、基隆の観光。バスの中では「台湾かんぱす」を作ろう、という話。塚本君が所長に立候補。「ここでどんな仕事する?」その答えが分かりきっていながらあえてイタル君に質問。「ビラまきです」。やっぱり…。 

左には高くそびえる山々。右には海。日本にも同じ風景はありそうだが、何故か不思議なシダ植物。石畳の道、車椅子を押す塚本君・あんちゃん・ダイスケ君。男・浜ちゃんは、なぜか監督役に徹していたようです。上り詰めた所には、塩水でえぐられた奇妙な岩山。記念写真も撮りました。海風が湿り気を交えながらもさわやかに吹いていて、昨日ほど暑くないさわやかな午前。みんなの笑顔も絶えません。「クローバー」のミヨコさん・ミチタカさんは看護師のしんちゃんママに付き添われて、なんとかみんなについていけました。昨日逃走劇を繰り広げたくにちゃんも、風が吹けば心が広がるタケシ君も、全身に海風を受けながらご機嫌です。ダイスケ君・浜ちゃん・あんちゃん・塚本君の仲良し4人組は、おしゃべりが延々と続いています。いい悪いは別として。

 その後、野柳へ。石畳の高い階段。しんちゃんには申し訳なかったですが、車内で待機。大槻君がそれに付き合ってくれました。記念写真を撮ったり、お金を投げ入れるおまじないのようなものにみんなが夢中になったり。マナブ君そっくりの銅像にみんなで笑ったり。帰りに中国語しか話せない喫茶店でコーヒーを注文。身振り手振りでなんとかコーヒーを買う面々。これが苦い!でも美味しかったです。喫茶店にはネコが一匹。ネコを飼っているくにちゃんが優しく触りに行きます。ヨシコさんはネコが恐くて近づけず。

 その後、バスに乗り込み、台湾料理店へ。目玉はショウロンポウと餃子。これがまた美味い!みんな腹いっぱい食べつくして、再びバスに乗り込み、世界一高いビル「101」へ。500m以上の高さのビルの最上階までなんと36秒。これもまた世界一の速さのエレベーター。実は昼から午後は自由行動という企画書を出し、その分の料金は払っていなかったのに、ガイドさんのご厚意で、昼食の企画やそこまでのロードサービス、その後の「101」への移動まで、ガイドさんとこの運転手がやってくれて、「101」の入場料を安くする交渉までやってくれたのです。わすか2日間で、みんなのことを好きになってくれて、楽しめるための様々な配慮と段取りをノーマネーでやってくれたのです。

 世界一の高さのビルから見下ろす高層ビルの群れ。あまりの高さゆえに恐さすら感じませんでした。

 そしてそこからはじめてのグループ行動。7人に携帯電話を手渡し、綿密な打ち合わせのもと、グループごとにバラバラになりました。女性陣は6名(菅野谷・三輪・しんちゃんママ・エミさん・ヨシコさん・ミヨコさん)は一つのグループで、当初より検討されていた足つぼマッサージにタクシーを走らせていきました。6人全員が足裏などのマッサージを受けたそうです。菅野谷・三輪・しんちゃんママの3名は「痛いけど気持ちいい」と話していましたが、みんなのほうはケロッとしていました。体が小さすぎて肩もみと足のマッサージの両方を同時にするのが難しかったのがエミさん。「いたくない?」などと話しかけられ「は~い」などと答えていたようです。セレブにでもなったかのように。ヨシコさんはエステにはまってしまい、夜まで大興奮。

 冴えない男性陣は町をウロウロするばかり。行動力の差を思い知らされました。ミチタカさんなどは「無印良品」でイチゴジャムを買っていました。

 夜、各グループは「101」の地下にあるフードコートに再集合し、食事。50店舗近くの店に広い敷地。1品だけ食べるのはもったいないので「いくつか注文して食べろ」と指示していましたが、一品一品の量がものすごく、とてもハシゴはできませんでした。三輪さんのラーメンは辛すぎたようで、しんちゃんママに食べてもらっていました。それぞれが思い思いの店に行き、だんだん慣れてきた現地通貨の「元」を使っての注文。(この「元」はまとめて私が通貨交換し、それをみんなと随時交換したもの。)「100元かあ、安いなあ」と、計算が得意なジャイアン君・あんちゃんは口にして、「円」すらもよく分かっていないはずのK君・ユウタ君・スグルさんらがマネをして「120元かぁ」などと言っていました。コミ君はクレープをほおばって、ご機嫌。昨日のハプニングは忘れてしまったようです。

 食後はタクシーに分乗してホテルへ。台湾では実はタクシーの方が地下鉄よりも安くて旅行初心者には安全なのです。ホテルの名刺を渡すだけで済むのですから。

 この日の夜は、昨日よりはみんな元気。夜遊びの企画も再開しました。「夜遊びに行きたい人は?」…あんちゃん・ユウタ君・K君・ミチタカさん・ミヨコさん・マナブ君・コミ君・ダイスケ君・キヨシ君が立候補。我々の側も三輪さん・菅野谷さん・しんちゃんママ・塚本君・武井君が立候補。友野・大槻という「かんぱす」が一番長い2人が中に残り、居残り組を見ることにしました。グループに分かれて夜の町へと飛び出す仲間たち。しかしロビーでウロウロしている仲間を発見。浜ちゃんです。「いこうかな?やめようかな?」ずっと悩みながらウロウロしています。結局「やっぱりいく」とみんなを追いかけて飛び出していきました。悩める男・浜ちゃん。

 夜遊びでは、浜ちゃん・あんちゃん・コージ君・塚本君が射的のゲームに興じ、ぼったくられる。4人で金額を振り返らずゲームに没頭し、4人で4000元(1万5千円)の請求。塚本君が日本語で逆ギレしてなんとか支払額を1000元(ひとり千円弱)にまけさせて、事態を収拾。男・浜ちゃん、ぼったくりに合う。台湾かんぱす所長・塚本、ぼったくりを振り切る。

 深夜はミヨコさんも交えて恋愛論議。ミヨコさんの人生経験や塚本君の淡い恋の話。武井君の小難しい恋愛哲学など。

<旅行3日目>

 深夜まで起きていた人たちは眠い目をこすってホテルのバイキングへ。昼食の時間があまり取れないことから「腹いっぱい食わせおけ」と指示。

 朝食後は武井君・菅野谷さんの打ち合わせで、近くの「二二八和平公園」にいくことに。入り口近くでハーモニカやトランペットを演奏する白人男性。友野・キヨシ君・コミ君・ミチタカさん・コージ君という音楽好きの面々は座り込んで聞き入っていました。キヨシ君が一言「何か俺すごく気持ちがいいんですよね。ここに来てから。ずっと調子がいいんですよね~。」…彼との付き合いは長いけれど、こんな風に自分のことを語ってきたのは初めてです。公園内を散策すると、台湾リスが人間慣れして近づいてきます。日本の敗戦=台湾の「独立」を記念して作られた石造では、深い井戸のようなものに水が流れていく光景を、微動だにもせずコミ君・キヨシ君が眺めています。コージ君は飽きていました。その後、我がグループは台湾博物館へ。大航海時代の歴史上の遺品や絵画、「ポルトガルかなあ、スペインかなあ」「これ、マルコポーロ?」ミチタカ君・キヨシ君・友野で知的な会話も弾みます。説明は中国語と英語、とりあえず私が英語を訳して説明していると、キャーキャー大騒ぎの日本人集団と遭遇。菅野谷・三輪・エミさん・しんちゃんママ・ヨシコさん・ミヨコさんの女性陣。同じものを鑑賞しても話題がこれほど違うのか、と実感。

 公園のグループ行動は11時15分に集合。みんな集まったかな?

 どこの公園でもそうだが、台湾では広い場所には必ず太極拳をしている人がいます。ここも例外ではありません。ただこの公園が違うのは、その太極拳の輪の中に、日本の侍も混じっていたことです。男・浜ちゃん、太極拳を身につける。

 さあ、帰ろうかというときにみんなが口々に言います。

 「まだ日本に帰りたくない」「もう2~3日、ここにいたい」「卓さん、お金出してよ」。それほど楽しい3日間だったのでしょう。

 12時にホテルに戻り、マイクロバスで土産屋へ。みんな残してきた人たちへの思いをお土産に詰めて、大きな袋をもって歩いています。袋にたくさんのお土産をさげて歩いている菅野谷さんに卓さんが一言、「そんなもん拾ってくるから重たくなるんだよ」。「こんなもん、落ちてないから!」。ヨシコさんは自分で身につけるキーホルダーを買って大興奮。マナブ君は「お土産誰に買ったの?」と聞かれて「マナブだよ~」。自分で食べるのはお土産とは言いません。

 帰りの飛行機はガイドさんが手早く手配してくれて、みんな固まって座ることができました。だから混乱はなし。この3日間で、それぞれの役割分担も自然発生的に作られて、実にスムーズな動きでした。自分も楽しいから、自然と仲間と協力する意識が持てる。そんないい循環が、この3日目には形作られていました。

 帰りの飛行機は、あっという間でした。ほとんど記憶がありません。くにちゃんはまた青い顔をしていましたが周りが支えていました。飛行機の中では男・浜ちゃんがくにちゃんの手をしっかりと握りしめていました。飛行機を降りて、入国手続きへ。「楽しかったねえ」と口にする仲間たち。

 帰りにはまた本田さんが車で迎えに来てくれたので、車椅子も含めて非常にスムーズに動けました。電車組と車組に分かれて船橋へ。電車の車内ではジャイアン君・あんちゃん・塚本君・キヨシ君が大声でおしゃべり。まだ台湾にいるような雰囲気でした。見た目も含めて。

 こうして「かんぱす10周年台湾旅行」が無事に終わりました。またいつもの「かんぱす」「クローバー」の毎日です。でもその毎日の積み重ねが、こうした楽しい経験につながること、そのことを自覚して今後の毎日をより充実させていければ、と思います。

                                   以上

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