« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »

2006年11月27日 (月)

あと14年待て!

うちの3歳の長男と1歳の次男の話。どこのチビ兄弟もそうなのだろうが、「なぜ長男と次男はこんなにも違うのだろうか」とつくづく思う。

昨夜9時ごろ長男と次男は、かあちゃんに連れられて2階の寝室へ行った。2人ともまだ興奮状態で寝そうな状況にない。かあちゃんのみ放出する波長が変わってきていた。次男は乱暴者だから、かあちゃんが寝そうになると顔を叩いたり乗っかったり、やりたい放題。そんな次男を寝かせるために、長男はたいてい次男に絵本を読んであげる。昨夜はたまたま私も2階にいたので、長男の朗読を黙って聞いていることができた。この日は「カーズ」の絵本1冊最初から最後まで弟のために長男は読み上げていた。

長男は以前近所のお姉さん「ことちゃん」に我が家で絵本を読んでもらってから、大きいお兄さん・お姉さんはちっちゃい子供に絵本を読んであげることが「やさしさ」の証であると考えている部分がある。だから絵本を自分で読んでいて、分からない部分があると、「ねえ、これなんて読むの?なんて書いてあるの?」と何度も聞いてくる。そしてそのうち1冊読めるようになってしまう。いったい何冊の本を読めるようになったのだろうか。1歳の弟は、どこまで理解しているかは別として、すぐにお兄ちゃんに本を持っていって「はい」と渡す。そんな弟が3歳チビ兄ちゃんなりにかわいいのだ。

昨夜も長男は弟を寝かせるために「カーズ」を読む。しかしそのうちお兄ちゃんが眠くなり、先に寝てしまう。かあちゃん・兄ちゃんの順で。そして2人が寝静まったのを確認して、弟はそっと寝室を後にする。ここからが弟にとっての夜の本番なのです。弟が親父を独占するということは日中においてはなかなかない。どうしてもお兄ちゃんが先、次が弟、となってしまう。しかし夜の11時以降は自分の時間だと思っている。階段を立ったまま下りてくる1歳児。そして「兄貴とカカア、寝かしつけてきたぞ!」とばかりにおもちゃを広げ遊び始める。私も大人の時間をひとりで楽しみたいから無視し続けていると、洗濯かごを頭からかぶって走り回り笑いをとろうとしたり、何とか遊びの世界に引き込もうとする。それでもダメだと分かると、2階に上がって行き、兄ちゃん・かあちゃんを起こそうとする。叩いたり引っ張ったり。しかし2人が起きるわけがない。するとまた下におりてきて「靴はく!」と言い出す。この人、とにかく一切の束縛が嫌いで、常に外に意識が向いている。先日は夜中の11時過ぎに自分のカバンを持ち出し靴を履いて「バイバイ~」と鍵を開けて外に出ようとする瞬間をつかまえた。

正直に言って、この人はいずれ飛び出していってしまうと思っている。そしてこの人ならそれでもどうにかやっていかれると思っている。危険だからと閉じ込めておいても本人にとっては決して幸せではないし、第一閉じ込められるとも思っていない。だがせめて15歳までは我慢してもらいたいと思っている。そこから先は自由だ。だから本人には常々話している。「あと14年待て!」。

アスレチックに連れて行っても、3歳のお兄ちゃんができないアトラクションを、1歳の次男が軽々こなしてしまう。そうすると長男はやる気を失う。そんな長男は弟を寝かしつけるために本を読んであげる。

そんな次男を見て私は「こんな人になってみたいなあ」と思う。きっと長男もそう思っているだろう。思っていなくてもいずれそう思うに違いない。

せめて15歳まで。思えば私も私の父も、学費など経済的に親から面倒を見てもらっていたのは15歳まで。そしてそのことは約束として小さいときから伝えられていたので、高校も大学も私立などはは考えたことはなかったし、そのためにはまわりよりも先に準備をしなければいけないという意識は何となくあった気がする。学費を含めた生活援助は、いっさいなかった。

へんな伝統だけど、長男と次男には同じことを話していきたいとは思っている。でもその捉え方はきっと違うんだろうなあ。長男にとってはプレッシャーになるかもしれない。過度のプレッシャーにならぬよう配慮は必要。しかし次男は違う。「面倒を見るのは15歳まで」=「15歳になったら自由になる」そんな感じだろうなあ。

お子さんがもう大きくなっている読者の方の笑い声が聞こえそうですね。「バカな親」「分かってないなあ」ってね。顔が浮かぶぜ!

ところで仕事の関係上、ワゴン車(SPARKY)をもう一台買いました。SPARKYが2台になりました。嬉しいっす。

また、今日の朝、渋滞停車中に後ろの車に思いっきり追突されてしまいまして、SPARKEY1台壊れてしまいました。悲しいっす。

そして私は今日は首がいたいのです。              おしまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月25日 (土)

ビラ男の一生

わが福祉作業所のメイン作業は、ビラ配りにある。いろいろな業者の宣伝チラシ、カタログその他の配布を1部○円で受けている。リピーター率(一度当所に仕事を頼んでくれた方が、そのままお得意先に発展する割合)はきわめて高い。それは一般の広告代理業者と比べても仕事の質が高いからだ。仕事の質が高いということは①ごまかさず、ミスも少ない。②期限をしっかり守る。③依頼者のニーズを先読みして、反響が出やすいような配り方ができる。④報告が細かく、正確である。⑤実際に配布した担当者(障害者)が自分の責任で自分の報告をする。…以上の点が依頼者の信頼を生んでいるのだ。

その結果、仕事は常に豊富にあり、福祉の世界としてはみんなそれなりに胸を張れる給料を手にしている。(一般就職の場合との差はまだまだあるが。)

 作業所の仲間たちの障害の種別や程度はさまざま。しかし障害のある無しやその程度で人の優劣は決まらない。うちの作業所の場合、ビラ配りに気合が入っているかどうかで仲間同士の尊敬の差が生まれる。ずっと走って配れる仲間は尊敬される。地図の読み方が上手ければ尊敬される。雨や雪でもガンガン飛んでいく根性があれば尊敬される。言葉がある人・無い人は関係ない。頭がいい悪いも関係ない。根性があれば尊敬される。

 それは障害のある無しに関係ないので、「職員」と「利用者」という区別も無い。「職員」として入ってきても、仲間たちから「気合が足りない」とレッテルを貼られれば、相手にもしてもらえない。言葉のない仲間から床に線を引かれ、「ここから先には入ってくるな」とジェスチャーで訴えられた「職員」もかつてはいた。「根性が足りない」と判断されたのだ。非常に分かりやすい世界だ。気合と根性だけが価値基準なのだ。

「職員」としてこの職場に入ってきて、まず仲間たちのこの価値基準・ルールを目の当たりにする。たいていの場合は、「根性なしとは思われたくないぞ」と気合を入れて頑張る。そしてやがて仲間たちから「お前、なかなかやるな」と認められるようになる。「職員」君もやりがいを感じ、この仕事にハマっていく。ビラ男の完成だ。事実、今年度「職員」として入ってきたTは、ビラ男として仲間たちから信頼され尊敬され、今では常に仲間たちの輪の中心にいる。仲間たちが帰ったあとも、何時間もビラを数えたり眺めたり、ビラにうっとりしている姿を見ると、ビラ男として尊敬されるその理由がわかるというものだ。終電時間までビラを眺めていても、彼はビラに飽きることはない。恋人と向き合うかのように彼は優しくビラに語りかけている。

ここまでは黙っていても仲間たちが鍛えてくれる。フワフワした新人を、気合の入ったビラ男に育て上げるまでは、障害を持つみんなの仕事だ。私の仕事はその先にある。みんなが育てたビラ男の視野を、どうやって広げていくか。ビラだけでなく、その作業所の将来展望、みんなの生活や生き方、その他さまざまな領域を幅広くケアできる人間に育てていくこと。それが私の仕事だ。

私は仲間たちが鍛えてくれた職員Tというビラ男の視野を広げるべく、「メール便」という作業を福祉の世界に委託したいというある企業の説明会に、ビラ男Tを行かせた。果たしてTの視野は広がってくるだろうか?

説明会後、Tから電話。非常に面白かったということと、もう少し自分の中で整理してみたいという内容。よしよし。「報告書を書くように」と指示。

翌日土曜日の夕方、Tからメール。「夕方までかかって、自分の考えをまとめてきたのか。えらい!」…そう思ってメールを読むと、「ピザーラ津田沼店、幕張4丁目1500部配り終えました」との内容!

ビラ男Tよ!私はゆっくりくつろいでいたのに、Tは今日もビラか!? 私の教育が行き届かないのか、それとも障害を持つ仲間たちの教育が行き渡っているのか・・・そう思ってパソコンを開くと、ちゃんと報告書ができていたではないか。しかも冷静かつ的確に判断されている。よかった。

このブログのせいで、Tがあちらこちらに顔を出すと、「パスポートの件で、遊んで来い!と怒られた人」とか「台湾でぼったくりにあった人」とかと、いらぬレッテルを貼られてしまうことがあるようだ。Tの名誉挽回とばかりにこのブログを書いてみたが、果たして名誉挽回になったかな?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月23日 (木)

かんぱす10周年台湾旅行~

「かんぱす10周年 台湾旅行」に関する記事です。本来ならば、その雰囲気をリアルに伝えるべく実名表記にしたいのですが、一応職員以外はすべてニックネームを使わせてもらいました。あらかじめご容赦下さい。しかも、記事がとても長げえことも、ご了解ください。

                          平成181122

                         かんぱす所長 友野 剛行

<台湾旅行にいたるまでの経緯>

・「かんぱす」は平成8年2月にスタート。(小規模福祉作業所として補助対象事業になったのは4月。)すなわち平成17年度の2月にはすでに満10年を迎えていました。だから当初は平成17年度の冬に10周年海外旅行を企画していたのです。平成169月におこなわれた「かんぱす父母会」で第一次企画を発表し、その月から毎月給料から2千円ずつ「かんぱす旅行積み立て」として徴収してきました。

 ところが平成17年5月のしんちゃんのあの事故。生死のふちをさまよい、その後も「かんぱす復帰の目途が立てられないしんちゃんを置いて、10周年旅行を実現する気持ちには誰一人としてなれませんでした。平成17年8月の父母会で、「本年度の海外旅行は凍結。来年しんちゃんが戻ってきたら、しんちゃんを連れてみんなで行く」と宣言。

 しんちゃんが奇跡的な快復を遂げて、車椅子ながら「かんぱす」に戻ってきたのが3月。しかし当初は入退院を繰り返し、およそ海外旅行など行かれるような状態ではありませんでした。本人の努力で体力も回復し、なんとか旅行に連れて行く目途が立ったのが夏頃。この頃から本格的に旅行の準備を始め、担当の武井と、JTB船橋のI氏による打ち合わせなどが始まりました。

<旅行の内容・日程の決定!>

 そして10周年旅行の概要も決定しました。11月19日()から21日()までの2泊3日、場所は台北です。旅行参加者は、「かんぱす」「クローバー」の仲間たちをはじめ、かつて「かんぱす」で働いていて今は「もえぎ」や「かりん」、「NPO法人とまりぎ」で働いている仲間たち、そして就職者の中からK君。また初の海外旅行。みんなの体調面のケアの必要性と、しんちゃんのサポートの関係から、しんちゃんのお母さんで現役の看護師をしているしんちゃんママにも参加を依頼し、合計26名ということになりました。

<パスポートの申請>

 これはとても大変でした。本人のできること・できないこと、そしてそれぞれの家庭背景も考慮しながら26枚のパスポートを揃えるのは、思っていたよりも苦労しました。普段ビッチリのスケジュールで仕事をこなしている仲間たち。その間を縫うような形で申請に行ったり、受け取りに行ったり…。そしてそれを数名ずつ、計画的に。途中様々なハプニングに見舞われたりしながらも何とか人数分揃ったときには、正直ホッとしました。

<旅行前日>

 いよいよ前日。しかしすでに半分の仲間にとっては、旅行は始まっているのと同じでした。飛行機の時間の関係で、全体の集合時間が早朝5時40分。約半分の仲間が「かんぱす」「あかり」に分かれて前日から泊り込みです。

 ここ数日、浮き足立つ仲間たち。心配で電話をかけまくってくる親たち…。

 夕方6時、「あかり」に旅行担当者の6名(友野・武井・塚本・三輪・菅野谷・大槻)が集まって最終打ち合わせ。当日5時40分に誰一人として遅れることなく集まるためには、そして集まった面々が何らトラブルなく予定している飛行機に乗るためには、かなり綿密な打ち合わせが必要でした。バス旅行や電車旅行のように、出発時間を多少遅らせたり、電車を1本遅らせれば済むという話ではないからです。

 朝の送迎の方法から、モーニングコールの担当、切符のスムーズな買い方、連絡の集中方法まで、すべて事細かに決めました。

前日のうちに、大部分の仲間たちの荷物のチェック。あんちゃんは、通帳から年金手帳まで持ってきてしまう。ジャイアン君はゲームを持参するしないでひと悶着。K君はよほど日本が嫌いになったのか、パンツ7枚をカバンにいれ、キヨシは大槻君が準備したカバンを無視してカバン3つを持っていこうとする。エスキモーのような格好で南国に行こうとするコージ。卓さんは三輪さんがわざわざ自宅まで行き、90歳になろうとする卓さんのお母さんと一緒に荷物の準備。

 心配の一つに海外では携帯電話が使えないという問題がありました。携帯慣れしている我々は、事前の打ち合わせが不十分でも途中携帯で連絡を取り合えば済むという日常を送っています。そのままの意識で海外に26名で移動したら、いろんな失敗が予想されたからです。しかしJTBのI氏が海外でのレンタル携帯電話の手配までしてくれた(1本1日300円程度)ので、ずいぶんと楽になりました。

 ある程度準備が順調に進んで、みんなの体調管理も順調(1週間ほどはみんなの仕事量も抑えて、体調管理優先で作業をしていました。)で、本番を待つばかりとなりました。

 前日うちあわせで、最後に私はみんなにこういいました。「最後は全部私が責任を取るから、私の首が飛ばない範囲で、思いっきりみんなを楽しませるように。みんなを楽しませるということは自分たちも同じだけ楽しんで下さい。」

 大金を払って行くのです。2年間積み立てたお金を使って行くのです。その重みを「楽しみたい。楽しませたい。」という気持ちにつなげて結構。ピリピリするのは私一人で十分だと思っていました。

<旅行初日>

 打ち合わせ・シナリオ通りにまずは進んでいきました。本田さんが成田空港まで車椅子を含む7人を送ってくれたことによって、ゆとりも生まれました。遅刻者はゼロで、みんな元気です。ただしくにちゃんだけは緊張で引きつった顔。空港には予定通り7時40分には全員集合して、手続きを待つばかり。集合写真を撮りました。しかし数えてみると25人…。「一人足りない!」と思ったら、菅野谷さんが空腹に耐え切れず、ひとりでおにぎりを買いに行っていました。25人と26人、2種類の集合写真。

 その時点で私は「くにちゃんとコミ君だけは要注意」とみんなに伝えてありました。パスポートとチケットは節目節目で本人が持たなければならないからです。とくにコミ君はカバンのどこにパスポートを入れたかを、分かる人全員集めてそれを伝えておきました。

 しかし、荷物検査が終わり、空港の構内に入り、搭乗手続きで待っている間、ちょっとした隙間を見つけて、くにちゃんが逃走。厳重な警備で囲まれている構内からいとも簡単に逃げ去っていき、倉庫に隠れてしまいました。飛行機がよほど恐いのです。私が追いかけ、つかまえ震える手をとって再び構内へ。普段ならパスポートなしで入ることはできないところですが、事情を見ていた空港警備の人が入れてくれました。そこから先は武井君がマンツーマンでくにちゃんにつきました。

 さて飛行機への搭乗。車椅子のしんちゃんとしんちゃんママ、大槻君の3人は別の入り口から先に入れてもらいました。車椅子も検査の対象で、機内には別の車椅子で乗り込むからです。残り23名が乗り込んだとき、予想外の事態がそこにありました。我々26名の席がバラバラに用意されていたのです。狭い機内で大きな荷物を持った客が次々と乗り込んでくる。そんな中、我々が移動したり立ち上がったりできる状況ではありません。とりあえず塚本君・くにちゃん・タケシ君・武井君だけはなんとか固めて座らせることができ、私はみんながあまり見えない席に座らざるを得なくなりました。立ち上がると「シートベルトを着用して座って下さい」と注意される状況。「下りるときが勝負」と腹をくくるしかありませんでした。コミ君が一人で座っているのが遠くに見えました。トイレに行きたくソワソワして何度も注意されています。スチュワーデスに話をし、なんとかトイレまで連れて行ってもらう。

 飛行機が飛んでいる間、緊張で今にも逃げ出す勢いのくにちゃんを塚本君がなんとか取り押さえている。しかしその横で同じく緊張しているタケシ君がくにちゃんの態度に八つ当たりして大騒ぎ。大変だったようです。

 なんとか台北空港に到着し、やっと仕事ができる環境ができました。私は比較的前のほうに座っていたのでみんなに「席を立つな。最後まで待っていろ。」という指示を出すことができました。コミ君がカバンを持たず下りようとウロウロしている姿が見えました。カバンをなくしたのです。スチュワーデスに話をし、まずは他の客が下りて落ち着けるまで待機させ、カバンを探してもらいます。後ろの方の収納庫にありました。カバンをしまってから席の移動になったようです。

 何とか全員飛行機を下りて、台湾に入国手続き。一人一人恐い顔をした入国管理官に尋問される形で台湾の国に入っていきます。我々がみんなの間に入って対応。ところがパスポートをなくす仲間が出てしまいました。コミ君です。パスポートをカバンのどこに入れたのかは今回の旅行参加者のほとんどに伝えてあり、みんなでコミ君に監視の目を光らせていたはずなのに、その隙間を縫って、コミ君らしい仕事をしてくれました。武井君が慣れない英語(都立大の英文科卒)で事態を伝え、機内に残されていたパスポートを見つけてくれた。

 初めて台湾の地に足を踏み入れ、その暑さだけが「異国の地」の証のようでした。顔も同じ、看板は漢字だらけで意味が分かってしまう。車は右側通行で左ハンドルだが日本車しかない状態。日本語で話しかければカタコト日本語で返ってくる。空気の匂いの違いは食文化の違いのようにも感じられました。

 台湾人の今回のガイドさん。呉さんという初老の男性。流暢な日本語で案内してくれます。あとで詳しく述べますが、このガイドさんとの出会いによって、今回の旅行は数倍楽しめたといってもいいでしょう。コミ君ハプニングで全体の時間がかなりずれ込んでガイドさんをずいぶん待たせることにはなってしまいました。しかし笑顔と「かんぱす御一行歓迎!」の横断幕で出迎えてくれて、まずは「専用車」というマイクロバスへ。車椅子にとっては厳しい条件でした。急な階段でしんちゃんの肩幅くらいしかない幅。担ぎ上げるにもこちらの手を回すスペースさえありません。一度目は私が馬力で持ち上げましたがこれを10数回繰り返すのかと思うと「大丈夫だろうか…」そんな不安もよぎりました。2回目からはしんちゃんママがしんちゃんに怒鳴りつけました。「アンタならそのくらい一人で登れるでしょ!ひとりで登ってみなさいよ!」私もハッとして2回目からは本人の出来るところを見計らいながら必要なサポートをするという形をとり、3回目、4回目と昇り降りも上手くなりました。上手くなってからはサポートを大槻君や塚本君に任せるようにしました。何しろ急な階段なので、お尻から出血が確認されましたが、大事には至りません。

 マイクロバスでまずは観光地である中正紀念堂へ。台湾での「中華民国」を建設した蒋介石に関する記念堂です。蒋介石の銅像やさまざまな歴史の断片、ガイドさんからの説明に一番喰らいついていたのがジャイアン君とあんちゃん。ジャイアン君のダジャレがどこまで通用していたかは分かりませんが、終始ご機嫌で話しかけていました。毛沢東の実践論と矛盾論を大学時代読みふけっていた私としても、毛沢東のライバルで敗北した蒋介石の記念堂は、複雑な思いながらも感銘を受けました。微動だにもしない警備・きらびやかな空間、とてもよかったです。輪からはみ出して勝手な行動をする人もおらず、みんながその説明に集中できたのもよかったです。

 その後、龍山寺に立ち寄り、リバービューホテルへ。そこで多少くつろいだりしている間にミニ職員会議。くにちゃん逃走とコミ君ハプニングの件、我々の立ち位置の悪さの軌道修正(多少のカミナリも落とす)、今後のスケジュールについての確認など。

 夜、再びマイクロバスに乗り込み、台湾料理の店へ。ここも食堂が地下でエレベーターもなく急な階段。男4人がかりでしんちゃんを下に連れて行く。体力勝負の初日だったので、腹もペコペコ。それにしてもものすごい品数と量の食事!あれだけ脂っこい料理なのにむねやけがしない。烏龍茶が日本で飲んでいるものと全く違い、とにかく甘い。やっとのことでお皿を空にしたら「サービスよ~」といって炒飯の大皿の追加。なんとか平らげたら「またサービスよ~」と炒飯!「もう無理ですよ」と話すと「もって帰りな」とカタコト日本語で言ってくれて、炒飯の残りを全部包んでくれた。日本ではこんな経験はできないですよね。

 ホテルに戻ったのが夜の9時。でも時差が1時間あるので、実際は10時。夜遊びも企画していたがみんなホテルに帰って風呂に入ったらバタンキュー。タケシ君も布団に入って10秒でいびきをかいていました。早朝の集合と恐かった飛行機、盛りだくさんの企画に、みんなはもう遊ぶ余力はありませんでした。

 しかたなくみんなが寝静まった夜に職員としんちゃんママだけでミニ宴会。「かんぱす」の初期を知る菅野谷さん、「かんぱす」の形がどんどん作られてきた発展期を支えてきた大槻君、そして今の形で入ってきた塚本君・武井君・三輪さん…。「かんぱす10年」を記念しての旅行。当然話の花も咲きます。途中からしんちゃんママの人生哲学について。女性陣にはいい勉強になりました。

<旅行2日目>

 ホテルでのバイキング朝食を済ませて、再びマイクロバスに乗って、基隆の観光。バスの中では「台湾かんぱす」を作ろう、という話。塚本君が所長に立候補。「ここでどんな仕事する?」その答えが分かりきっていながらあえてイタル君に質問。「ビラまきです」。やっぱり…。 

左には高くそびえる山々。右には海。日本にも同じ風景はありそうだが、何故か不思議なシダ植物。石畳の道、車椅子を押す塚本君・あんちゃん・ダイスケ君。男・浜ちゃんは、なぜか監督役に徹していたようです。上り詰めた所には、塩水でえぐられた奇妙な岩山。記念写真も撮りました。海風が湿り気を交えながらもさわやかに吹いていて、昨日ほど暑くないさわやかな午前。みんなの笑顔も絶えません。「クローバー」のミヨコさん・ミチタカさんは看護師のしんちゃんママに付き添われて、なんとかみんなについていけました。昨日逃走劇を繰り広げたくにちゃんも、風が吹けば心が広がるタケシ君も、全身に海風を受けながらご機嫌です。ダイスケ君・浜ちゃん・あんちゃん・塚本君の仲良し4人組は、おしゃべりが延々と続いています。いい悪いは別として。

 その後、野柳へ。石畳の高い階段。しんちゃんには申し訳なかったですが、車内で待機。大槻君がそれに付き合ってくれました。記念写真を撮ったり、お金を投げ入れるおまじないのようなものにみんなが夢中になったり。マナブ君そっくりの銅像にみんなで笑ったり。帰りに中国語しか話せない喫茶店でコーヒーを注文。身振り手振りでなんとかコーヒーを買う面々。これが苦い!でも美味しかったです。喫茶店にはネコが一匹。ネコを飼っているくにちゃんが優しく触りに行きます。ヨシコさんはネコが恐くて近づけず。

 その後、バスに乗り込み、台湾料理店へ。目玉はショウロンポウと餃子。これがまた美味い!みんな腹いっぱい食べつくして、再びバスに乗り込み、世界一高いビル「101」へ。500m以上の高さのビルの最上階までなんと36秒。これもまた世界一の速さのエレベーター。実は昼から午後は自由行動という企画書を出し、その分の料金は払っていなかったのに、ガイドさんのご厚意で、昼食の企画やそこまでのロードサービス、その後の「101」への移動まで、ガイドさんとこの運転手がやってくれて、「101」の入場料を安くする交渉までやってくれたのです。わすか2日間で、みんなのことを好きになってくれて、楽しめるための様々な配慮と段取りをノーマネーでやってくれたのです。

 世界一の高さのビルから見下ろす高層ビルの群れ。あまりの高さゆえに恐さすら感じませんでした。

 そしてそこからはじめてのグループ行動。7人に携帯電話を手渡し、綿密な打ち合わせのもと、グループごとにバラバラになりました。女性陣は6名(菅野谷・三輪・しんちゃんママ・エミさん・ヨシコさん・ミヨコさん)は一つのグループで、当初より検討されていた足つぼマッサージにタクシーを走らせていきました。6人全員が足裏などのマッサージを受けたそうです。菅野谷・三輪・しんちゃんママの3名は「痛いけど気持ちいい」と話していましたが、みんなのほうはケロッとしていました。体が小さすぎて肩もみと足のマッサージの両方を同時にするのが難しかったのがエミさん。「いたくない?」などと話しかけられ「は~い」などと答えていたようです。セレブにでもなったかのように。ヨシコさんはエステにはまってしまい、夜まで大興奮。

 冴えない男性陣は町をウロウロするばかり。行動力の差を思い知らされました。ミチタカさんなどは「無印良品」でイチゴジャムを買っていました。

 夜、各グループは「101」の地下にあるフードコートに再集合し、食事。50店舗近くの店に広い敷地。1品だけ食べるのはもったいないので「いくつか注文して食べろ」と指示していましたが、一品一品の量がものすごく、とてもハシゴはできませんでした。三輪さんのラーメンは辛すぎたようで、しんちゃんママに食べてもらっていました。それぞれが思い思いの店に行き、だんだん慣れてきた現地通貨の「元」を使っての注文。(この「元」はまとめて私が通貨交換し、それをみんなと随時交換したもの。)「100元かあ、安いなあ」と、計算が得意なジャイアン君・あんちゃんは口にして、「円」すらもよく分かっていないはずのK君・ユウタ君・スグルさんらがマネをして「120元かぁ」などと言っていました。コミ君はクレープをほおばって、ご機嫌。昨日のハプニングは忘れてしまったようです。

 食後はタクシーに分乗してホテルへ。台湾では実はタクシーの方が地下鉄よりも安くて旅行初心者には安全なのです。ホテルの名刺を渡すだけで済むのですから。

 この日の夜は、昨日よりはみんな元気。夜遊びの企画も再開しました。「夜遊びに行きたい人は?」…あんちゃん・ユウタ君・K君・ミチタカさん・ミヨコさん・マナブ君・コミ君・ダイスケ君・キヨシ君が立候補。我々の側も三輪さん・菅野谷さん・しんちゃんママ・塚本君・武井君が立候補。友野・大槻という「かんぱす」が一番長い2人が中に残り、居残り組を見ることにしました。グループに分かれて夜の町へと飛び出す仲間たち。しかしロビーでウロウロしている仲間を発見。浜ちゃんです。「いこうかな?やめようかな?」ずっと悩みながらウロウロしています。結局「やっぱりいく」とみんなを追いかけて飛び出していきました。悩める男・浜ちゃん。

 夜遊びでは、浜ちゃん・あんちゃん・コージ君・塚本君が射的のゲームに興じ、ぼったくられる。4人で金額を振り返らずゲームに没頭し、4人で4000元(1万5千円)の請求。塚本君が日本語で逆ギレしてなんとか支払額を1000元(ひとり千円弱)にまけさせて、事態を収拾。男・浜ちゃん、ぼったくりに合う。台湾かんぱす所長・塚本、ぼったくりを振り切る。

 深夜はミヨコさんも交えて恋愛論議。ミヨコさんの人生経験や塚本君の淡い恋の話。武井君の小難しい恋愛哲学など。

<旅行3日目>

 深夜まで起きていた人たちは眠い目をこすってホテルのバイキングへ。昼食の時間があまり取れないことから「腹いっぱい食わせおけ」と指示。

 朝食後は武井君・菅野谷さんの打ち合わせで、近くの「二二八和平公園」にいくことに。入り口近くでハーモニカやトランペットを演奏する白人男性。友野・キヨシ君・コミ君・ミチタカさん・コージ君という音楽好きの面々は座り込んで聞き入っていました。キヨシ君が一言「何か俺すごく気持ちがいいんですよね。ここに来てから。ずっと調子がいいんですよね~。」…彼との付き合いは長いけれど、こんな風に自分のことを語ってきたのは初めてです。公園内を散策すると、台湾リスが人間慣れして近づいてきます。日本の敗戦=台湾の「独立」を記念して作られた石造では、深い井戸のようなものに水が流れていく光景を、微動だにもせずコミ君・キヨシ君が眺めています。コージ君は飽きていました。その後、我がグループは台湾博物館へ。大航海時代の歴史上の遺品や絵画、「ポルトガルかなあ、スペインかなあ」「これ、マルコポーロ?」ミチタカ君・キヨシ君・友野で知的な会話も弾みます。説明は中国語と英語、とりあえず私が英語を訳して説明していると、キャーキャー大騒ぎの日本人集団と遭遇。菅野谷・三輪・エミさん・しんちゃんママ・ヨシコさん・ミヨコさんの女性陣。同じものを鑑賞しても話題がこれほど違うのか、と実感。

 公園のグループ行動は11時15分に集合。みんな集まったかな?

 どこの公園でもそうだが、台湾では広い場所には必ず太極拳をしている人がいます。ここも例外ではありません。ただこの公園が違うのは、その太極拳の輪の中に、日本の侍も混じっていたことです。男・浜ちゃん、太極拳を身につける。

 さあ、帰ろうかというときにみんなが口々に言います。

 「まだ日本に帰りたくない」「もう2~3日、ここにいたい」「卓さん、お金出してよ」。それほど楽しい3日間だったのでしょう。

 12時にホテルに戻り、マイクロバスで土産屋へ。みんな残してきた人たちへの思いをお土産に詰めて、大きな袋をもって歩いています。袋にたくさんのお土産をさげて歩いている菅野谷さんに卓さんが一言、「そんなもん拾ってくるから重たくなるんだよ」。「こんなもん、落ちてないから!」。ヨシコさんは自分で身につけるキーホルダーを買って大興奮。マナブ君は「お土産誰に買ったの?」と聞かれて「マナブだよ~」。自分で食べるのはお土産とは言いません。

 帰りの飛行機はガイドさんが手早く手配してくれて、みんな固まって座ることができました。だから混乱はなし。この3日間で、それぞれの役割分担も自然発生的に作られて、実にスムーズな動きでした。自分も楽しいから、自然と仲間と協力する意識が持てる。そんないい循環が、この3日目には形作られていました。

 帰りの飛行機は、あっという間でした。ほとんど記憶がありません。くにちゃんはまた青い顔をしていましたが周りが支えていました。飛行機の中では男・浜ちゃんがくにちゃんの手をしっかりと握りしめていました。飛行機を降りて、入国手続きへ。「楽しかったねえ」と口にする仲間たち。

 帰りにはまた本田さんが車で迎えに来てくれたので、車椅子も含めて非常にスムーズに動けました。電車組と車組に分かれて船橋へ。電車の車内ではジャイアン君・あんちゃん・塚本君・キヨシ君が大声でおしゃべり。まだ台湾にいるような雰囲気でした。見た目も含めて。

 こうして「かんぱす10周年台湾旅行」が無事に終わりました。またいつもの「かんぱす」「クローバー」の毎日です。でもその毎日の積み重ねが、こうした楽しい経験につながること、そのことを自覚して今後の毎日をより充実させていければ、と思います。

                                   以上

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月18日 (土)

全部時効!

明日の早朝から3日間「かんぱす10周年・台湾旅行」に行ってきます。「かんぱす」「クローバー」の仲間たち・元「かんぱす」で一般就労した仲間や他の作業所でがんばっている仲間も誘って、総勢26人の大移動です。朝6時に全員が元気に無事集まるか、、、今はそれだけが心配です。

10周年。側面に立って振り返るならば、順調に一歩一歩前進し続けた10年だったとはいえます。他にはないひとつの福祉の形を作り出してきたとは思っています。しかし「側面」でなく真っ只中にいた人間としては、そんな楽観的な感想では済まされないさまざまなハプニングを想起せざるを得ません。思えばいろんなことがありました。

イライラして、通行中の高級車を蹴りつける仲間もいました。(私も土下座して謝りに行った覚えがあります。)毎晩ニュースの時間になると暴れて壁やガラスをぶち割り、仲間に危害を加え、手のつけられない状態が3年近く続いた仲間もいました。(彼の生活を支えるために、私も夜中にずいぶん通ってそのまま泊り込んだ日々は長かったです。)お金を盗んでそのまま放浪し、真冬に3ヶ月も電車を乗り継いでの逃避生活をしていた仲間もいました。(終電後から始発前まで、毎晩探し続けました。品川駅は今でも目をつぶっても歩けます。)仕事中路上での殴りあいのけんか。目がかゆい・耳が痛いといってはサボってしまう仲間を迎えに行っていた日々。親とけんかしてパニックになり、自衛隊の演習場の鉄条網を乗り越えて侵入してしまった仲間。(「かんぱす」のせいにされてしまいました。)言葉の無い女性が裸足で作業所から抜け出し、車道の真ん中を歩いて踏み切りも超えて、放浪してしまったこと。コンビニでパンを袋のまま噛り付いていて、店員が不信に思い通報してくれました。一年間で何回も骨折する仲間たち。被害妄想が昂じてテレビ番組に連絡して「私をここから救出してください。それを特番にして下さい」と手配をしていた仲間。駅での度重なる迷惑行為。お母さんを裸にして興奮してしまう仲間。ふだん寝ながら仕事をしているのに、その日はなぜが目がパッと開いていて走って仕事をしているなあ、と思ったら実は足首を骨折していた仲間。(痛くて目が覚めたのでしょう。)隣の民家に入り込んでしまう仲間。「外でご飯食べるから」とウソをついてお母さんから毎朝1000円もらって、帰りにエロ本を読んでいた仲間。親に見つからないよう毎日エロ本を捨ててから帰っていたといます。迷子だけで何回あったでしょう。深夜3時に八王子まで迎えに行ったこともあります。私が実習に使い、無事一般就職したのに、就職初日に「やっぱり、かんぱすに帰りたい!」と職場から逃げ帰ってきてしまった仲間。その他数々の犯罪スレスレのハプニング・・・。

いろいろあったけど、この10周年旅行で全部時効とすることをここに宣言します!もちろん私のあんなことや、こんなことも含めてです。

さまざまなハプニングで私をしびれさせてくれた仲間たちですが、彼らの前向きな気持ちは、本当にすごいものがあります。七転び八起きということばがありますが、いったい彼らは何回転んで何回立ち上がってきたのでしょうか。それを時間で表現しなおすと10年ということになるのでしょう。

彼らの目・表情・気迫・それらを含んだオーラ、これに感化された人間は、なかなか彼らに背を向けることが出来ません。事実「かんぱす」の10年のうち、私が知る9年強の間では、試用期間3ヶ月をすぎた常勤職員で、彼らに背を向ける形で「かんぱす」をやめてった人間は実は一人もいないのです。普通ありえない話ですよね。家庭の事情などでやむを得ず辞めた人は10年間の間に1~2名いますが、いずれもボランティアとしてであったり、何らかの形でずっと関わり続けてくれています。(茨城のKさん、読んでるよね?そろそろ顔を出しなさい!。)

そんな魅力的な連中に出会えたことを、今あらためて喜びとして感じ、緊張感の中にも「楽しい旅行にしたい」という気持ちを強く持ちます。

会議しながら書いてましたので、支離滅裂な文章ですが、とりあえず行ってきます!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月16日 (木)

教訓

今日の夕方、Sさんが「相談に乗って下さい」と突然この福祉作業所に来ました。仕事中だったので、少し下で待っていただきました。その間、日曜日から3日間、台湾旅行に行く作業所の仲間たちはSさんをつかまえて「オレ、飛行機5回目!」だの「ひこうき~」だのと興奮して話しかけています。(深刻な顔したSさんの顔色を見ることもなく、場の雰囲気もつかまずに・・・)ここ数日興奮しっぱなしです。

とりあえず話をひと通り聞いて、次に出た言葉は「うちの娘、天才なんですよ~」。

話を聞けば確かにすごい娘さん。娘自慢をず~っと聞いていて、「これは私にとっての教訓だな」と悟りました。

私も息子自慢はほどほどにします。おしまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月14日 (火)

オヤジは今日も遅くなります。

 障害を持つ仲間たちが、仕事においてミスをしてしまいました。「チラシお断り」と書いてあるポストにチラシを入れてしまったというミスです。前回同じお宅に別の仲間が入れてしまい、依頼業者(宅配ピザ)のほうにクレームが入っていたのです。同じお宅に別の仲間が今回入れてしまったということ。

 直接は、この作業の担当者の伝達ミス。(ちゃんと仲間たちに配布禁止の場所を伝えていれば、ミスはないからです。)しかしそのお宅がご立腹で「責任者を出せ!」とおっしゃっている以上、私が頭を下げてくるしかありません。私たちの福祉作業所は、数々の依頼業者から「まじめに一生懸命仕事をしてくれている」という信頼をそれなりに得ていますので、この一件で依頼業者との関係が壊れることはありませんが、この問題を解決してくるほかはありません。

今晩、約束をとって謝りに行ってきます。

仲間たちが地域に出て行って一生懸命働いている。さまざまなハプニングや失敗は、最小限に食い止めつつも100%避けられるものではありません。ある意味最終的な部分は私の仕事になってきます。そして私の仕事になる以上、その仕事についての考え方を整理する必要があります。

まずいくら障害を持っていたとしても、地域に出て働く以上は「社会人」としての責任を求めていくことになります。責任を求めるということは責任を取るということです。それがまず前提です。その上で、まずはよほどの悪質なものでなければ、最初の事態は「ハプニング」という性格を持ちます。「ハプニング」を防ぐには「配慮」です。「ハプニング」を先回りして予想して、それを回避するための「配慮」です。そして次に同じことが起こった場合、これは単なる「ハプニング」では済まされなくなります。これは明らかなミスとなります。

「ハプニング」が起こる前に必要なものは「配慮」。しかし起こってしまって以降は「対応」ということになります。「配慮」と「対応」の違いは、「配慮」は予想を前提にした危機管理であるのに対して、「対応」は実際的な事柄を具体的に防いでいくための措置です。「対応」がとれなかった場合、これは「ミス」といいます。そして「ミス」に対しては事態の推移の中で、私の直接的な仕事になる場合があります。

働いているみんなが、故意にミスをしようとしているわけでなく、結果として「ハプニング」や「ミス」を犯してしまった場合、私が安っぽい頭を下げて回ることについては、何の抵抗もありません。起きてしまった事態への意識と責任感は十分に感じている奴らですから。みんななりに誠意を尽くし、それでもダメなら、「こういう状況だから、あとは私に任せておけ」というほかありません。でも本当の私の仕事はその先にあります。次の「対応」の中身を検討・吟味して、それで十分かどうかの判断と、それが継続されているかの確認です。正直な話、ミスはいいのです。同じミスを2回繰り返さないという意識だけをしっかり持ってもらえば、それでいいと思っています。問題は後ろでなく、前にあるのです。

ミスを通じて学んでいくのは、みんなだけではありません。頭を下げながら、私も学んでいくべきなのですね。

次男の風邪がなかなか治りません。オヤジは今日も遅くなります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月12日 (日)

ダブルブッキング王

今日は朝から「とまりぎソフトボールクラブ」の試合&相手チームと合同のバーベキュー大会。大穴北東町会イースターズからのお誘いです。朝、試合前の練習をしてひと汗かいたところでさあ試合。ところが私はここで現場を離れなくてはなりませんでした。

実はこの日、ダブルブッキングで「とまりぎジョギングクラブ」が「小出監督ランニングアカデミー」に参加する日でした。小出監督&佐倉アスリートクラブの方々に走り方などを指導してもらうというものです。

車で佐倉に行き、開会式まで参加。「あっ小出監督だ!カメラを忘れた!」仕方なく携帯電話でカシャ!これがその写真です。Img004_1 小さくて見えづらいですが、小出監督が挨拶している時の写真です。

開会式だけ参加して、ソフトボール場に戻ります。試合はもう終わって、バーベキュー大会の頃です。腹ペコでしたが頭の中では肉を食べておりました。ところが、、、「終わってる・・・・」。

相手チームの方々はもうビールで真っ赤な顔。私を見つけるなり「監督、今日どこ行ってたのよ~!」「すみませんでした~」

両企画の関係者の方々、今日は本当にありがとうございました。スポーツっていいっすねえ、本当に。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月11日 (土)

昨夜、閉め出されてしまいました。

超個人的な宣伝ですが、12月23日にAEON八千代緑ヶ丘店でライブをやることになりました。今日はそのリハがあり、ちょっと歌っただけですが体がボロボロです。昨夜、妻子に部屋から閉め出され(何の心当たりもありませんが、たぶん子供のいたずらで中から鍵をかけたまま寝てしまったようです。)、私は深夜まで待機していたにも関わらず、早朝5時には起き出し掃除や洗濯などをしておりました。ちょっと仕事場に顔を出し、そのままリハ。元来睡眠時間は4時間あれば大丈夫な方ですが、今日は体が言うことをききません。若くないなあ、と実感しました。

その「若くないなあ」という実感は、同時にこの地域福祉の世界の次の世代をどう育てるかという考えに結びつきました。毎日このオッサンにくどくど言われている諸君は、わたしの頭の中で何を考えているか、だいたい分かっているとは思います。そして今回は、それをまとめます。

①外の空気を吸収してください。

 自分を伸ばすのは、結局は「他流試合」だと考えます。「井の中の蛙」にならないこと。どんどん外の空気に触れて、それを素直に受け止めること。素直に受け止めるとは、誰に対してもあるいは何に対しても「否定」から入らないこと。「否定」は遮断であり、吸収にはつながりません。自分たちは今の現場でそれなりに誇りを持って働いている。ある意味「他とは違う」というプライドを持っている。それは大切なのです。しかし、どこに行っても誰にあっても、何かは自分(たち)より優れている。それを感じ取り、共感すること。いろんな考え方に触れたらグラグラしてしまう部分もあるでしょう。でもそのグラグラすることこそが大切なのです。グラグラしながら自分の中で作り上げたものこそが本物なのです。「このままでいいのか」「やっぱりこのオッサンの考え方ややり方は間違ってるんじゃないか」・・・そう思ってもらって大いに結構!その先をどうかとことん考え抜いてください。はっきり言っておきますが、私は妄信的に「尊敬」されることは嫌いなのです。なぜなら私がそこから何も学べないからです。福祉の外の世界に対しても同じです。福祉だけの基準で考えないこと。いろいろな基準で発想できることが大切です。いろんな基準を自分の中で束ねる、その束ねるひもが「福祉的」であればいいのです。

②野心をもってください。

 いつか私を追い出してください。または飛び出てください。その自信がない人だけ、私の近くにいればいいです。私は飛び出されても、あるいは私が追い出されても、ぜんぜん平気です。そういう気持ちがあるとないとでは、仕事への姿勢が変わってきます。自分が知らない領域・自分が苦手な領域に対して、真剣に向き合うようになります。結果として追い出したり飛び出たりしなかったとしても、それはそれでいいことです。でもそのくらいの「野心」がないと、本当の真剣さは生まれてこないような気がします。地域で暮らす障害者たちのために、自分はどうあるべきか。それが基準です。「もっとこういう場所が必要だ!そのために自分はこんなことを始めてみたい!」・・・そんなことを言ってくれるようになったら、どんなに嬉しいことか。大喜びで追い出し(笑)、そして納得できるものなら協力しますから。まだまだ先の話ですけどね。大丈夫。代わりの人を育てるくらいの自信はありますから。要するに障害を持つ人たちを傍らにした自分なりの夢を、しっかり持ってくださいよということです。

③ 私の夢

 ここまで組織づいてしまうと、はかない夢で終わってしまう可能性もありますが、私の夢は妻と二人で小さな作業所かグループホームをやることです。あるいは今の会社で障害者とともに細々と活動するすることです。できれば、動物たちと虫たちと花畑で囲まれたプレハブか何かのポンコツ小屋で。子供たちに呆れられながらも多少の協力をしてもらって、細々と食いつないでいければ十分です。貧乏暮らしは慣れているし、生き抜くコツも身につけています。名刺もないし、「福祉」の世界ではほとんどの人は私たちのことを知らない。そういう気軽さで、いつか暮らすのです。ただ、いろんなところで活躍している人たちが、ちょっと困ったり相談があるときだけ、ひっそりとしたそのプレハブ小屋に足を運んでくれる。ビール6缶くらい持参して(笑)。それで十分です。私の最後のパートナーは妻ですから、どうぞ安心して蹴落としてください。

まとめに代えて。要するに気合を入れろ、ということです。おしまい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

たいへん忙しくしておりました!

書きたいことは山のようにあるのに、その時間が全く取れませんでした。今は今日の仕事の中止の手配で朝からバタバタとしております。勝手に「たぶん中止だろうなあ」と判断してしまう人、「オレは雨なんか関係ねえ!逆らってでもやるからな!覚悟しとけ!」といってくる人、、、いろんなタイプに即して連絡を取らなければなりません。

そういうことでまた後で。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 5日 (日)

アクセス解析について

このブログの管理者(=私)は、「アクセス解析」といって、「誰が」以外の多くの情報を手に入れることができます。何日何時に何名、一日に何名、合計何名など。そして最近それがバージョンアップして、このページを開いてくれた人が、次にどの記事に移動したのかとか、そのページを何分開いていたのかまで分かるようになっています。

これが面白いんだ。「育児」の記事ばかり読んでいる人は、「障害者自立支援法」がどうしたとかのページは3秒くらいで飛ばしてしまうし、毎日同じページばかり読んでいる人がいるし、、、。とくにうちの職員にハッパをかけるような内容のページを毎日開いて読んでいるおりこうさんがいることも、このバージョンアップされた「アクセス解析」で分かりました。10分近く記事とにらめっこしているようですね。

累計ですが、3ヶ月で数千人がこのブログに入ってきています。読者数としては数百人ですが。それでも嬉しいですけどね。

驚いたのは、一日何回もこのブログを開いている人が80人もいること!そして1日20回以上開いている人もいらっしゃるようです。

こっちも忙しくて、そう毎日更新はできませんから、2~3日に1回開いてくれれば十分ですよ(笑)。それよりお仕事を頑張りましょう!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 4日 (土)

かわいらしいミスの仕方

今日は、成田POPマラソンの引率です。6時半出発なのに寝坊してしまいました。何かの奇声で目を覚ましたら、我が家に今日走る予定の選手、T子さんがいた。いや~ビックリした。高速道路を使い、なんとか受付時間には予定通りに到着。

すっきりした秋晴れではないけれど、薄くかかった雲がその向こうの空の高さをむしろ表現するかのようで、そしてまた時折雲の隙間から差し込む日差しが、太陽系の絶対的な静寂さを私たちの心まで届けているようで、とてもすっきりした顔の面々が、成田に集いました。

 最近、なんか俺おかしいか?

「とまりぎジョギングクラブ」のうち、長・中距離選手8人が選ばれて、今日の大会に参加。全盲のS君は今年もお父さんの伴走でハーフマラソンに。その他10kmに3人、3kmに4人が走りました。特筆すべきは3kmマラソン初参加の女性メンバーIさんが8位に入賞したこと。いや~よかったです。

さて前回の記事で、私は今日の朝刊に「県民だより」があるとお話しましたが、1日間違えておりました。明日です。多少は恥ずかしい気持ちもありますが、誰にでもあるミスなのであまり気にしていません。パスポートの受取日を間違えるよりは、かわいらしいミスだと解釈しています。(変わらねえか?)以下の記事を参照のこと。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_6343.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 3日 (金)

千葉県民のみなさん!

明日の新聞折込に入っている「県民だより」をどうぞご覧ください。

私たちの福祉作業所の仲間たちがバ~ンと写真掲載されていますから。

先日行われた写真撮影は私もいくつか同行し、撮影現場に立ち会っていたのですが、実際に採用される写真を見せていただいて、いろいろ考えさせられました。

世の中、本当にコツコツ頑張っている人と、ちょっと頑張っていればそれだけで脚光を浴びる運命にある人と、いるんですね(笑)。

もちろん写真に掲載される仲間たちも、本当に頑張って働いているのですよ。ただ写真の枠からちょっとはみ出している人の頑張りは、本当にすごいのですよ。牛乳配達のY君!新聞配送のU君! 僕には、写真の枠の外で頑張っている君たちの姿が見えるのだよ。

でも本当にいい写真を撮ってくれてありがとうございます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年11月 2日 (木)

よく考えました。

明日は一日休みをもらって、絵を描こうと思っています。パステルで。題材は決まっていませんが、薄紫を基調としたビジョンが浮かんでおります。薄紫の中でも、絵画全体の明るさを表現できるような気がしたのが、明日の休みの唯一の動機です。空気が澄んでいる分、浸透圧の関係で、自分の中にあるものが拡散していくような感覚への防御として、それを束ねる先が、私にとっては絵画なのかもしれません。

そしてそれは、昔からそうだったような気もします。

携帯はずっと、マナーモードにしていると思います。商談以外は着信にも返信しません。

みんな、怪我をしないように。

あさっては、成田POPマラソンの引率に行きます。絶好調のH君が、どこまで上位に食い込めるか、それが楽しみです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年10月 | トップページ | 2006年12月 »