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2006年10月15日 (日)

週末地域福祉の歩き方

最近「育児」の記事ばかりで「ちゃんと仕事をしているのか」とお思いの方もいらっしゃると思いますが、もともと大した仕事をしているわけではありませんので、その点はご理解ください。「大した仕事」をしているのは、障害を持つ仲間たちです。そしてそこに寄り添う「職員」と呼ばれる仲間たちです。

さて、今は日曜日の昼間。この土日について今日は書きます。

昨日土曜日は、朝からフラッと「障害者の働く場クローバー」へ。春になればまたうちを希望して養護学校の生徒さんらがたくさん入ってきます。今の場所だけでは狭すぎるので、新たな作業所=店の場所探しです。行きつけの不動産屋(笑)などを回ります。この近辺の不動産屋は、障害者自立支援法について、少なくとも他の地域の不動産屋よりは詳しいはずです。なぜなら、私が説明して回っていますから。地域活動支援センターの家賃補助の計算方法なども既にご存じです。この季節に私がフラッと不動産屋に行くと、それだけで「また増やすんですね」とすぐに了解されます。まずは私のイメージの話をします。それに合う物件をいろいろ探してくれます。あるひとつの不動産屋の奥さんがしばらく実家に戻っていたことも、そしてその理由も私は知っています。「お父さんは?」「ええ、結局亡くなりました。でも100歳まで頑張ってくれたから・・・」「そうですか」。

フラフラ歩いていると、地域の顔と呼ぶべきオバチャンたちにもあちらこちらで会います。これからの構想などいろんな話をしながら情報収集。この方法が一番いいのです。もちろん身の上話なども織り交ぜながら。いろんな悩み・いろんな問題を抱えながらみんな自分の人生を生きている。その事実は障害あるなしに関係ありません。息子さんとの関係、自分の体調のことや老後のこと、かわいい孫の話、くだらない(失礼!)近所の噂話・・・。そういう話にも付き合います。付き合わされます。

この日は物件については収穫なし。うちの職員の事業構想はどんどん広がって具体的になってきています。なんとかそれに追いつくようにベースを用意してあげなければいけないのに・・・。

午後は、近所の在宅の障害を持つ方のお宅に訪問。私個人として、たまにこうして訪問したり外に連れ出したりしています。自分が若い頃、障害を持っているがゆえに社会から・会社からさんざん受けてきた辛い思い。40年経っても若い障害者たちは今でも同じように辛い思いを背負って生きている。そんな社会が少しでも変わっていくことが彼の夢であり願いであります。私の夢や今後の構想や今の福祉行政の動きなどをお話しています。とても目を輝かせて聞いてくれます。私自身もなんとなくダラダラと惰性で仕事をしていたりする時、こうして訪問してその方と話をします。「このままじゃいけない」とピリッとします。

近所まで戻ってきたので、一度自宅に戻り子供たちを連れてまた福祉作業所などに行きます。

「生活ホームあかり」ではYさんが庭の草取りをしていた。「今日はやることないから草を取る」・・・「仕事」としては草取りが一番嫌いといっているのに・・・。そこに近所の子供たちが集まってきました。5~6人の子供たちが虫かごを持って生活ホームに結集。虫かごの中にはヤモリやトカゲ、カマキリやその餌としてのバッタがたくさん!生活ホームに暮らす障害を持つ仲間たち、近所の愛すべき悪ガキたち、うちの子供たちが輪になって遊んでいました。5歳のお兄ちゃんが3歳のうちの息子にカマキリなどを触らせてもらっています。息子は大喜び。ヤモリのお腹を触らせてもらったり・・・。近所の4歳のお兄ちゃんが一言「このヤモリ、腹筋ないねえ」。このすばらしい一言に逢えただけでこの日の私は幸せになりました。調子に乗って「おじさんは腹筋強いぞ!」とシャツをめくると、悪ガキたちが次々と私のお腹に思いっきりパンチ。我慢して平気な顔をしていました。これも私の地域福祉のスタイルです。

地域(近所の悪ガキ)と施設(生活ホーム)の垣根、そして私の私生活(息子たち)その三者の垣根はこの空間にはありません。地域も福祉も家庭も全部ゴチャ混ぜにして生きていくスタイルは、実は「とまりぎ」の30年来のスタイルです。

「とまりぎ」の創設者・岸本は30年前、在宅障害者を訪問し、「地域に出よう。ともに働こう」ということを呼びかけて回り、「とまりぎ」ができました。岸本は、障害を持つ仲間をその自宅まで迎えて、そのお宅に自分の子を預けてから福祉作業所にきていたと聞きます。えっちゃんのお母さんに自分の子供を見てもらっていたのです。今のように福祉作業所への補助金制度もなく完全自主運営をしていた作業所で岸本自身がとっていた給料が当時5万円。障害者には多い人で6万円払っていたと聞きます。極貧生活の中、障害者の地域での生活を支えるために、彼は同時に自分の生活も支えてもらっていたのだといいます。えっちゃんのお母さんがよく言っていました。「岸本さんは、仕事に熱中しすぎて、うちのえっちゃんを送ってくれるのはいいんだけど、自分の子供をうちに忘れて置いて帰っちゃうのよ(笑)」・・・こんなエピソードも残っているようです。そんなえっちゃんのお母さんが20数年後、体を壊し動けなくなった時、えっちゃんとえっちゃんのお母さんの生活を泊り込みで支えてくれたのが、岸本の娘さんでした。そんなえっちゃんのお母さんも他界。天涯孤独になったえっちゃんは今生活ホームで仲間たちと暮らしています。

そしてその生活ホームの庭でこの日作られていた仲間たちと近所の子供たちとうちの子供たちの輪。私の知らない「とまりぎ」創設期をイメージしながら私は考えました。「とまりぎの歴史と理念のわずかひとかけらでも、継承できているのだろうか?」。

土曜日はこんな一日でした。

今日日曜日は朝からチラシ配りの作業を行う仲間たちの送迎と、「前原地区福祉祭り」への顔出しとあいさつ回り。今日も昨日以上にたくさんのエピソードに恵まれましたが、もう疲れたので書きません。(仕事もたまっているし・・・。)

10月11日、千葉県は全国初の「障害者差別条例」が制定。障害がある人もない人も当たり前のように地域で暮らす。そのための背景が「条例」として制定されたのです。

ここで少し、威張っちゃおうかな?

千葉県には「とまりぎ」があります。

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