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2006年9月 5日 (火)

携帯電話

地域福祉の仕事をして10年。「地域福祉」とは、障害を持つ仲間たちを施設の中やその周辺で囲い込んでおくような関わり方でなく、地域の中にどんどん出て行こうという関わりです。つまり、目が離れることも当然多いといえます。危険性は承知しつつ、細心の注意を払って危険を抑止します。

携帯電話。私が持つようになったのは10年前。その頃はまだ職員の中でも持っている人の方が少なかったです。学生上がりの新人職員がポケットベルを持っていることに驚いていました。ポケベルは営業職のサラリーマンが持つものだと思っていたからです。

携帯電話が普及して、この仕事においてもずいぶん便利になりました。障害を持つ仲間たちの親や地域の方からの連絡も携帯電話のメールで入ったりします。仲間たちの母親の愚痴もメールでなら聞くことができます(読んでいたらごめんなさい!)。障害を持つ仲間たちと離れていても連絡が取り合えるので、心配性の私にとってはとても便利なものです。「安心」をもらっているような気がします。

しかし逆に、ホッと一息つく時間がなくなったのも事実です。この電話が目の前にある限り、電話の向こうの人は仕事上の<私>と会話をしてきます。ずいぶん前ですが、新婚旅行の最中でさえ、いくつかの商談をする羽目になりました。あの時あのタイミングであの業者様からの催促の電話がなければ、いまここにいる長男は、じつは女の子だったかもしれません。そんなわけで、この携帯電話のおかげで、私の生活から完全な<私人>というものがなくなりました。

そんな私の携帯電話、昨日も一日中鳴り続けていました。「パソコンが動かないんだけど・・・」だけで2件、障害者の共同生活の場「生活ホーム」だけで4箇所。親たちや作業所の職員、福祉関係者・・・。

「生活ホーム」からはこんな電話でした。「昨日のソフトボール(地域の町会チームとの交流戦)、体調が悪くてちゃんと練習できなくて申し訳なかった。本当に頭が痛くて今熱が38度ある。やる気がないわけじゃないから、大会には出して欲しい」・・・「大会のことはまだ先だから、そんなことより早く病院に行くぞ!」と私。

もうひとつの生活ホームからはこんな電話。「誰かがオレの部屋の電気をイタズラして、電気をつかないようにしたんですよ。オレが(インシュリンの)注射を打つこと知ってて、わざと暗くしようとしたやつがいるんですよ。」・・・私が帰宅してほっとした瞬間にかかってきた電話。尋常ではありません。もちろんそんなことができる仲間はいるはずありませんが、電気がつかないのは困ったことです。「今すぐ行くから注射しないで待っていて」と私。

車で向かう途中、「蛍光灯が切れたのかな?テールランプかな?」といろいろなケースを想定して対応も決めていました。しかしいざ電気をいじってみても、まったく反応なし。疑われた生活ホームの仲間たちも懐中電灯を持ったり椅子を持ってきたりと私に協力しながら不安そうな顔。ブレーカーを確認しても、他の部屋の電気を持ってきて移植してもダメです。私も困っていました。「電気をイタズラされた!」との訴えを起こした人は、障害を持つようになる前は、海外のダムや橋を作る大型プロジェクトの電気関係の責任者として第一線で働いていました。そんな彼は電気を元から遮断するには配線のどこをどうすればいいのかというところから、これは間違いなく妨害工作であるという論拠を展開しています。

「この部屋のどこかに電気のスイッチない?」・・・私が聞くと「いや、それはない。この部屋は和室で・・・」と展開する彼。それを半分聞きながら私は廊下にスイッチのようなものを発見し、ONにしてみると中の電気がピカーッと。

疑いをかけられていた仲間たちは「良かったねぇ、Aさん。電気ついたねぇ」・・・普通なら「疑いやがって!このヤロー」と向かっていきたくなるような状況ですが、彼らは素直に電気がついたことを喜んで、椅子などを片付けたりしてくれました。私が帰るときにその二人は「ありがとうございました!」、原告の彼は「・・・」。気まずかったんでしょう。そういうことにしておきましょう。

私も一度「ただいま」と家に帰ったあと、お小言を並べる気にもならなかったので、そのまま3人のホームを後にしました。その帰りにも別のホームから電話。帰ってからも作業所からいくつかの電話。息子たちは親父との食事を待っていてくれました。「待たせちゃったね。ごめんね。」

携帯電話によって仕事上の生活はずいぶん便利になりました。しかし<私人>の領域はずいぶん狭くなりました。でも「まあいいか」と思っています。この日の収穫は、普段私と会ったとき(現在は一般就労)にはいつも(怖くて)緊張ながら敬語で話をするB君が、生活ホームという空間の中では緊張もせず、私に敬語も使わなかったということ。生活者としてのひとりの青年B君と話ができたということ。それが自分の中ではなんとなく嬉しかったということです。

以上が「携帯電話」をタイトルとした今日の記事です。

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