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2006年9月30日 (土)

拓也とTシャツと私

昨夜、脱衣所でTシャツをポーンと脱いだら、Tシャツの裏に書いてある「○○拓也」という名前に目が留まった。そう、このTシャツは拓也のものだった。私はこの「拓也」ブランドの服をたくさんもっています。パジャマもトレーナーも・・・。私より少しだけ体の大きい拓也。5年ほど前、お下がりを私がもらったものです。

本当にいたずら坊主でした。福祉作業所から拓也の自宅までの送迎。他の仲間を玄関まで送るため私が車から離れるわずかな時間、戻ってみると何かいたずらをしていました。バックミラーが天井を向いていたり、私の上着が隠されていたり、後ろの席の座る順番が変わっていたり・・・。ご家族の都合で私が拓也と一緒に泊まった日に、夜トイレから戻ると私と拓也の布団が入れ替わっていたり・・・。「あれ?また拓也だな?」と聞くと、さも満足そうにニヤ~っと笑っていました。拓也は言葉を持っていませんでした。でもおしゃべりが大好きでした。周りの人が面白いことを言うと、絶妙のタイミングで、顔より大きい口をパカッと空けて大笑いしていました。

養護学校を中退して福祉作業所に飛び込んできました。学校のほうがいたずら友達もたくさんいて楽しいはずなのに、彼は実社会(福祉作業所)で働く道を、同級生たちよりも一足先に選んできました。彼は「とまりぎ」で働くことが大好きでした。廃品回収で、たまにボロ(衣類)の袋を道路の車に向けてぶん投げて大興奮していたこともあります。ヒヤヒヤしたこともたくさんありましたが、今となったらすべてが懐かしい思い出です。

彼は20歳の時、病気で他界しました。20歳という短い人生をさかのぼって考える時、彼が養護学校を中退して地域の中で思いっきり働いて・思いっきりいたずらして生きる道を選んだことは、正解だったように思います。もちろんそういう解釈ができるまで、5年という月日は必要としましたけど。

彼が亡くなってしばらくしてから、私はよく彼の家に遊びに行きました。カメを連れて遊びに行くと、ご家族でカメをかわいがってくれました。拓也の話をたくさんして、大笑いしていました。拓也がどんなにいたずら坊主だったか、全部言いつけておきました。私の妻が妊娠中に遊びに行ったときのこと。

「いつ産まれるの?男の子か女の子か分かってるの?」と拓也のお母さん。「男の子ですよ。名前は風歌(ふうた)って決めてます。予定日は6月の13日です。」と私。

「えっ?6月13日?そうなの・・・。」お母さんはそういって、また別の話に切り替わりました。しばらくして小さな声で「6月13日は、拓也の誕生日なんです」。「あ!そうだね!じゃあ、きっと拓也の生まれ変わりだね。きっとやんちゃないたずら坊主だね。」と私。

それで拓也のTシャツとかを「これ着てください」と私がいただくことになったのです。

わが子の誕生日と同じという事実、普通ならすぐに「うちの子と同じ!」と喜んで話したくなると思います。でも拓也のお母さんは、しばらく間を空けてそして小さな声で話したのです。これが障害者のお母さんのお気持ちなんだとその時思いました。「うちの子と同じ誕生日」ということを告げて、喜んでもらえる自信がないという感覚が、タイミングを遅らせたのでしょう。でも「拓也がうちの子を守ってくれる。いたずらもたくさん教えてくれる」私はそう確信したので、それをお母さんに告げました。

ローテーションで、この「拓也」のネーム入りのTシャツを着てそして脱ぐ時、これらの思い出をいつも一瞬にして思い起こすことが出来ます。そして風歌を見る時「拓也がついていてくれる」という気持ちも持ちます。風歌のいたずらがあまりにひどくなる時「コラ!拓也!いい加減にしろ」と怒りたくなるときもあります(笑)。

おっと、もうこんな時間。今日は船橋市小規模作業所連絡会の会合。明日は「白井梨マラソン」に私は障害者チーム「とまりぎジョギングクラブ」の監督として行きます。拓也の養護学校の同級生、くにちゃんも10kmに参加します。

拓也、明日はくにちゃんの背中を押してやってくれ!

では仕事に行きます。

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2006年9月24日 (日)

福祉現場の右ストレート

現在、県の主催する「サービス管理責任者研修」の真っ只中です。ということは、記事にすることもたくさん出てきます。なぜならば現場を丸一日空けるということは、それだけハプニングが起こる可能性が高くなるからです。それだけでワクワクしてきます。あいつら、俺がいない間に、いったい何をやらかしてくれるのか・・・。会場には600人ほどの研修者。このうち本当に現場に根をはって仕事をしている人はどのくらいの割合なのかは分かりません。おそらくは寄生虫のような「管理責任者」もいることでしょう。それはそれで構わないのですが。とにかく現場を丸一日空ける日が続けば、いろんなハプニングが起こりうるのです。研修参加者の中には、戻ってみたら火の車だったという人もかなりの数いるのではないでしょうか。

さて我が愛すべきハプニングです。私が研修後、作業所に戻るとA君と一緒にビラ配りに出ていたB君が泣きながら電話をしてきました。

「オレにはもう友達はいなくなった。これからはひとりで仕事したいんだ!」泣いていて、何を言っているのかわかりません。「オレは何度も謝ったんだけど、あいつが許してくれねえんだ。一方的に殴られた。オレはやり返さなかった。」

普段仲のいいA君がB君を殴ったということはおそらくよっぽどのことがあったのでしょう。話を聞く中で、どうやら民家の敷地内でケンカになり、殴られていたB君が近所の人に謝って許してもらったということ。A君はまだその現場近くに座り込み固まって動かないということが分かりました。

二人は終盤まで順調に仕事をこなし、送迎の時間と場所まで電話で指定して、職員のD君が車で迎えに行っている最中でした。好調な電話連絡からわずか20分後の出来事でした。さて、情報収集です。実は朝、イライラしていたB君が朝礼の時間に作業所の仲間のC君に言いがかりをつけてケンカをしていました。それを止めに入った職員のDにも殴りかかり、ちょうど訪問していた別の法人(グループ内の生活支援を掌る法人)の事務局長にも向かっていったといいます。また通勤途中でもケンカをしていたといいます。朝から大騒ぎだったようです。その後話をして落ち着かせて、本人の反省と精神的な安定を確認してから仕事に送り出した、とのことです。

またA君は、この作業所内で「ジャイアン」のように威張っているB君に対して唯一正面から注意できる仲間。筋肉の固まりで体のでかいB君に、A君も体では負けていません。そして普段からとても仲のいい二人。B君の多少のわがままやイライラはA君が吸収したり叱ったりしてくれます。

そんなA君が「ジャイアン」のようなB君を一方的に殴って、B君はただ謝っていたといいます。よほどのことがあったに違いありません。

私のいままでのやり方なら、すぐに自分で現場に飛んでいって解決を図ります。しかしこの日は腹が据わっていました。うちの職員がその場でどう判断しどう解決を図るか、むしろそれを見ようと思いました。起こってしまったことはもう仕方ありません。

さまざまな問題行動で、施設や職場からリストラされてきた仲間たちが中心の福祉作業所でありながら、あえて地域のど真ん中を仲間たちの活動の場に選んでやってきています。いろんなハプニングは予想しつつその責任を取る腹づもりは常にできています。

職員のD君は、まずB君を車に乗せ、現場近くで石のように固まったA君を何とか車に乗せようと悪戦苦闘していたようです。周りには当然見物人も出てきています。「重い荷物を車に乗せるようなやり方では、彼の心に届かない。心に届かなければ、彼を動かすことはできない。」私はそう指示しました。こうした光景はすでに予想済みだったので、同じく職員のE君にも急きょ現場に向かってもらいました。「まずは彼の心に働きかけること」その上で、現場の判断はとりあえずE君に任せました。

しばらくしてE君から報告電話。A君は相変わらず固まって動かないから、とりあえず迷惑をかけた民家に自分が謝って回りましょうか、という相談。

それはダメ!直接迷惑をかけたA君が固まって沈黙を守っているのに、先回りして謝って回ることはできない。・・・私はそう判断しました。

広告代理業という事業として考えた場合、職員・E君の判断は正しいのです。上司にあたるE君がまずは謝って現場を収めること、これは必要なことです。しかし私たちの現場は「事業」としての視点と「福祉」としての視点を両方併せ持つ必要があります。迷惑をかけた民家は当時留守で、いずれにせよ事後的な報告と謝罪になるでしょう。ならばこの場面では落ち着いて「福祉」の視点を貫くことです。「事業」としての責任は私が負う。事の規模からしても「事業」的な視点での判断の結果は、私が10回頭を下げるか20回頭を下げるかの違いでしかない。そんなものは大したことではない。ひとりの大男が顔を腫らせて大泣きし、もうひとりの大男が石のように固まっていたら、当然見物客も増えるでしょう。でもそこで「職員」っぽい人たちが石を引っ張り上げようとしていたり、石のまわりで頭を下げて回ったりしていたら余計に面白い見せ物にしかなりません。腹をくくるしかないのです。見物客には屁でもぶっかけて放っておくこと。二人の心と交信することにこの場は専念すること。それが大切な場面だと私は判断しました。

「A君が座り込んでいる場所に、一緒に座ってみたら?責任は俺が取るし、周りの人は関係ないから。一晩中でも一緒に座ってみたら?」・・・それが私が出した指示です。

A君については、以前このブログで記事を書いたことがあります。長い間引きこもっていて、やっとこの作業所で社会生活の形ができてきたところなのです。最近は誰よりも優等生。一生懸命仕事をし、信頼もされてきました。しかし多少のことでクヨクヨし、落ちるところまで落ちてしまうという弱さはまだ常に抱えています。またギリギリまで我慢して、爆発してしまうという部分もあります。このふたつがあるから就職も何度も失敗し、家に引きこもっていたのです。ここで大切なのは、爆発するまで我慢するのでなく、その前に相談してくるという方法を身につけること。そしてこの日のような大失敗のあとでも(ちゃんと反省をした上で)翌日から切り替え、前を向く習慣をつけること、この二つです。以前のようにこのまま崩れて引きこもってしまうのか、それとも今回の失敗をむしろ糧として、失敗後の自分の立て直し方を身につけるのか、そういう分岐点に彼は立っているのです。立っているというか固まっているのですけれど・・・。だからこそ、「事業」としての責任云々よりも、この場面では「福祉」としての視点で相手の心に届くことを優先にするべき、そういう判断内容だったのです。

うちの人たちは、本当によく働いてくれます。時間を惜しまず労力を惜しまず、みんなのために身を粉にして毎日働いています。彼らの頑張りがあるから、「問題児」のレッテルを貼られ施設や職場からはじき出された仲間たちも地域の真ん中でこうして働いて生活ができるのです。

長い時間、彼らは固まったり泣いたり吠えたりしている二人の大男に寄り添い、心を開かせ、話をしていたようです。そうして事の全貌が見えてきました。

A君は前の日、私から「この地域はできる人が少ない難しいコースだ。明日お前とBでこのコースを配り終えたらお前を一人前として認めてやるよ」・・・そういわれていました。「一人前として認めてもらいたい」、そういう思いで彼は朝から本当に頑張っていたようです。他方のB君は、朝からイライラしていくつかのケンカをしてしまい、その後悔で消耗しきっていました。仲良しの二人の間には、最初からモチベーションにおいてかなりの差があったのです。消耗しきっていたB君は午前中10分ほどひとりで休憩を取っていたようです。その間もA君は配り続けていました。そしてひとりで休んでいるB君に対してA君は苛立ちを覚えていたのも事実のようです。夕方、とうとうA君は自分の持ち出しの1000枚(しかもあの難コースで!)を配り終えました。しかしひとりで休憩を取ったりしてずっとテンションの上がらないB君は、まだ数百枚残していました。「自分はこんなに頑張ったのに、Aさんがやる気ないから終わらなかったら、たまったもんじゃない」「Aさんが配り終わるまでずっと待っていたら、時間は遅くなるし、配った枚数の実績も自分とAさんが同じになってしまう。自分のほうがこんなに頑張ったんだから、枚数でも自分のほうがたくさん評価されて当然だ」・・・そんな思いでA君はB君のビラに手を伸ばしました。「半分わけてよ。手伝うから。」

しかしB君は後悔の固まりになっていました。朝のいくつかのケンカ。そして勝手に休憩を取ってしまったから、自分だけ遅くなってしまったこと。それらの後悔がひとつになり、独りよがりな意識になっていました。また仲のいいA君に対する甘えもあったのでしょう。「ビラを手伝う」と手を伸ばしたA君に対して、こう言い放ちました。

「勝手なことすんじゃねえよ!」

これでA君は、完全に切れてしまったのです。「朝から勝手なことをし続けたのはBさんだろ!オレはずっと頑張って、ずっと我慢していたんだ!」

「一人前」として認められたい、そんな思いでハイテンションで頑張ってきた疲労感、相棒に対する苛立ち、そして「勝手なことするな」というこの言葉、ここで我慢しきれなくなったのです。民家の敷地であることも忘れて、先輩のB君に暴力を振るってしまいました。

普段から「ジャイアン」のように威張りん坊気質のB君は、仲間に敬遠されることが多いのですが、A君だけは「友達」だと思っていました。突然切れてしまったB君のパンチを浴びながら、謝りながら反撃する気力もなくただ立ち尽くしていたようです。もちろん反撃していれば、力の差がかなりあるB君のほうが相手をねじ伏せてしまいます。しかし、ただやられるだけだったようです。

一日頑張って作業所に戻ったら「一人前」として認められ、褒められるはずのA君は、この瞬間に最悪の状態に転げ落ちてしまいました。一方、朝からまわりにケンカをふっかけ、孤立していたB君にとって唯一の「友達」だと思っていたA君のパンチは、B君を孤立の淵に追い込むには十分でした。固まっていた人・クヨクヨと泣いていた人、二人の大男のそれぞれの理由がこれです。

A君、B君の傍らには職員のD君とE君が寄り添います。少しずつ反省の気持ちも汲み取れるようになりました。2対2に分かれて、その日は夜遅くまで作業所に残っていたようです。日付変更まで数十分(笑)。私は別の作業所で同時に起こっていたハプニングへの対応で、その場から離れていました。

翌日、気まずい気持ちをにじませながら、A君とB君はお互い大好きなゲームの話をしていたようです。間にE君が入り、互いに目を合わせないながらも会話をしていたようです。みんなその日は朝から疲れきった顔をしていました。

今回のことで登場人物のそれぞれが何を学び、何を感じたのか。それをつかむのが私の仕事。ハプニングを通じて「事業」としても強化していくこと。間違いのない真剣な仕事を身につけていくこと。

時を同じくして、作業所の近所の畳屋さんから突然の仕事の依頼。腰を低く申し訳なさそうに頼み込んでこられました。イベントチラシの配布を、うちの作業所でなく別の広告代理業者(チェーン店)に頼んでみたところ、配布締切日になって「やっぱりできませんでした」と返されてしまったという。「9月24日までにこのチラシを持参されたお客様には豪華プレゼントが・・・」と書いてあるチラシを、9月20日に「できません」と返却してくるバカ事業者。ご近所さんの頼みをつき返すわけにはいきません。バカ事業者とうちの福祉作業所の仕事の質の違いを示すチャンスでもあります。

仲間たちは忙しいスケジュールの合間、手分けをしてそのチラシを配って差し上げました。大男は休日返上で、ものすごい数のチラシを配布し、イベントまでに間に合わせて差し上げました。さすが!

膝を交え、寄り添い、心を拾い上げます。そうすると見えてくるこの人たちの思い。好きになるのが当然でしょ?こいつらが。

こうしてこの福祉作業所の毎日はドタバタと、しかし着実に前に向かって進んでいくのです。

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2006年9月17日 (日)

じじいのため息と回想

障害者の福祉作業所。人と関わる仕事。たくさんの若い人たちと一緒に仕事をしてきて、感じることがあります。

福祉の原点とは相手のニーズに耳を傾け、その実現のための手助けをすること、これに尽きます。しかしこの「ニーズに耳を傾ける」ということは意外と難しいことのようです。もちろん私自身がちゃんとできているというわけではありません。それこそ失敗と反省の繰り返しの中で実践をしているわけだし、答えのない答えを探し求める過程そのものこそが答えであるとしかいいようのない実践に身を置いているわけですが、そんな私から見ても「どう難しいのか、それを理解することが難しい」とさえ思ってしまうことが多いのです。最近ずっと考えている難問のひとつです。

「なんか、内容が固いわ。楽しい記事がいいわ。」と思った人は、昨日の記事にジャンプしてください。お~っと、あなたはダメ!ちゃんと読みなさい!

「ニーズに耳を傾ける」という行為、自分の実践に照らし合わせてみて、この行為を別な形で表現し直すなら、「自分の(相手への)思い・希望と、相手自身の思い・要求のつながりを模索する」ということでしょうか。つまり自分の価値観・判断・(相手への)思いというものがまず前提としてなければ、それは模索できないのです。「受容的交流」「あるがままを受け止める」、言葉ではいろいろ聞いているはずなのですが、受け止める側の自分自身が明確な価値意識を持ってそこに立っていないと、受け止めることはできないのです。風船が風を受け止められますか?

自分が相手に対して「こうなって欲しい」「こうなったらいいだろうな」「こうならないと、たいへんだぞ」・・・そういう価値意識で相手に向き合う。その上で相手の即時的な要求をしっかりと聞いて、こちらの価値意識とつながる地平において要求への回答を出す。聞く力は大切。しかし「聞く力」とは自分の価値意識を捨て去ることでなく、それを作り上げることです。どうやらその辺が難しいことのようです。聞こうとすると、自分の価値判断が消えて、ただ相手に振り回されることになり、それでは良くないと思うと今度は相手を無視した一方的な押し付けになってしまうのです。そして特に最近は聞いているつもりで実際は相手に振り回されてしまうタイプの人が多いようです。振り回されている状況を献身的に耐え続けることが「福祉の実践」であると勘違いするケースも多いのではないでしょうか。

要するに、自分が相手のビジョンを持てないということ、相手の生活や人生を(ある意味で勝手に)構想する力が、これまでの人生の中で形成されてないということなのだと思います。そんなものは「福祉」云々の前に、学生時代などの友達関係の中で自然と身につけてくるべきものだと私は考えていました。人と知り合い深く関係を築くということは、時に相手と対立するかもしれない価値観を明確にもって、それを互いにぶつけ合いながら相手を受容し受け止めていくことだと考えています。「オレは(オレのために)アンタにはこうあって欲しい」「オレは(アンタのために)アンタにはこうあって欲しい」この2つの基準をもってぶつかり合うことだと考えています。「考えている」というよりも、経験を言葉にするとそういうことになるのです。そのあたりの経験のギャップを感じることが多いのです。

相手のビジョンを持てないということは、実のところ自分自身の現実的なビジョンも持てないということになるでしょう。自分のこれからの人生設計や構想が実にフワフワしたものであるように思えることが多いです。地に足が着いていないということでしょうか。

分かれ道に出くわすと常に楽な道を選ぶ。それでいてその道のゴールを高く描く。<坂道は嫌いだけどあの山に登りたい>そういっている感じがします。また逆のパターンで、自分のこの先をほとんど描けていないのにスケジュールばかり詰め込んで、自分の時間に隙間を作らない。自室のソファーでぼんやりと「この先、私はどう生きよう」と考える時間もないのではないか、と心配になるケースもあります。

親の教育のあり方についても、日々考えさせられます。

携帯文化、メール文化の功罪についても考えさせられます。

また受験勉強とは今思い出してもくだらないものだし、当時も私はくだらなさを感じていました。それでも一日十数時間机にかじりついていたり、嫌な教科でも逃げずに向かったり、答えが分からない問題を何時間も考え抜いたりという行為そのものは今プラスになっていると思います。つまらないものに向き合いしがみつくためには、それなりの目的意識が自分の中にないとできることではありません。だから目的意識を失わないことに必死だったように思います。今目の前にあるつまらないものと、その先にある目的意識を絶えず交信させていくことが必要だったように思います。英文法も運動方程式も因数分解も、今の生活には何も役に立っていませんが、それでもあの日々は無駄になっていないように思います。部活も同様です。

しかし今それを振り返っても、難問の答えは見えてきませんね。でもヒントになるとすれば、「過去の経験はやり遂げたものに限って、自分の血や肉になる」ということでしょうか。今福祉の実践の中で、「やり遂げた」という経験をどう提供するか、それが大事なのかもしれません。「やり遂げた」・・・その経験の中で、自分の価値意識を育ててもらう。そういうことから始める必要があるのかもしれません。

これが難問に対する、現時点での答えです。

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2006年9月16日 (土)

ゆうあいピックソフトボール選手権で優勝!

今回は「とまりぎソフトボールクラブ」の活躍の報告です。「とまりぎソフトボールクラブ」の生誕の歴史については、以前記事を書きました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_7ead.html

さて、ゆうあいピックソフトボール選手権大会(2)において、「とまりぎソフトボールクラブ」が優勝しました。                      

以前の記事において、827日の「青年学級対抗ソフトボール交流会」で「とまりぎソフトボールクラブ」が優勝を果たしたこと、そして「ゆうあいピック」でも優勝し2大会制覇を目指すことをお伝えいたしました。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_7ffb.html

すでに新聞報道(朝日新聞9月15日朝刊)でご覧になった方もいらっしゃると思いますが、912日と13日、連日の熱闘を制して約束どおり優勝し、2大会制覇を成し遂げました。これで平成18年度は公式戦に全勝。練習試合を含めても、障害者チームとの対抗戦では無敗のままここまで来ることができました。まずはそのことをご報告いたします。

今大会は初戦から決勝戦まで、2516322040というスコア。

主力選手たちの温存で、控えの選手たちがスタメンに並んだ2回戦(63)も含めてエラーらしいエラーはいっさいなく、また大会歴史上初と評された決勝戦でのトリプルプレー(ショートライナーのジャンピングキャッチ&飛び出した12塁のランナーの封殺)もあり、「守備のとまりぎ」の名を千葉県に轟かせてきました。

選手たちは本当によくがんばったと思います。控えの選手たちが試合に出てもすぐ活躍できたのは、ベンチでも集中して声を出し続けていたからです。ベンチとナインの一体感こそが、この圧勝の原動力です。

また、「ソフトボールクラブ」の活躍の背景には、各作業所の仲間たちの協力があることを忘れてはなりません。

大会の2日間、選手と応援団すべての昼食を、早朝から作ってくれた「あぐり」の仲間たち。遥々成田まで応援に来てくれた「かんぱす」「クローバー」「もえぎ」の仲間たち。そして普段作業所の屋台骨を背負っている働き手たちが不在だった2日間、選手たちを送り出し、その分仕事をがんばってくれた作業所の多くの仲間たち。

そして大会参加のためのK君の休暇を、快く受け入れてくれて送り出してくれた「NEW DAYSSN店のマネージャーをはじめとしたスタッフの皆さん。

多くの方々の支えがあって初めて手にすることができた勲章です。

「とまりぎ」と交流を持っていただいている様々なチームおよび関係者の方々には、ここであらためて御礼申し上げます。

ゆうあいピック優勝までの軌跡

<第1回戦>

相手は初出場の「かしの木園」。初回が終わった時点で180。しかしチーム状態として決して喜べるものではありませんでした。結果的にヒットになるとはいえ、明らかな悪球に手を出しフォームを崩すクリーンアップ。仲間がホームランを打ってもシラーッとして出迎えないベンチの選手たち。仲間や相手への失礼な言動や行動。そしてあまりの大差ゆえに出番がないまま終わった控え選手はすねてしまい、整列もしようとしません。「このままでは大変なことになる」・・・そういう初戦でした。

<第2回戦>

昨年も対戦した「十倉厚生園」。第1戦の反省から、思い切った作戦を取りました。

主力5選手をスタメンから外し、控え組中心で戦いました。「水を得た魚」のように控え選手たちは躍動していました。控えバッテリーはフォアボールがゼロ、控え野手はエラーがゼロ。ホームラン狙いでフォームを崩す主力選手が空振りしてしまう速球投手の球を、ほとんどバットを持つ機会がないTさんが懸命に喰らいつき、ファールを重ねてのフォアボールは見事でした。6対3というスコアは平凡ですが、控え選手の自信という点では大きな一勝でした。

<準決勝>

「中野学園」との対決。この試合の目標は「チームの一体感」を作ること。「青年学級対抗」で、あの強豪「でいさくさべ」や「若草グリーンズ」を大差で破ったときのような一体感を取り戻すことでした。その要求に最初に応えてくれたのは、第2回戦で活躍した控えの選手たち。ベンチから一生懸命選手を励ましています。それでもなお消極的な態度や発言を繰り返す正捕手のO君に、普段はあまり会話をしてこないSさんが叱りつけます。

お前がそんなこと言っててどうすんだよ!

みんな勝つためにここに来てるんじゃねえか!

しかしこの一言で、O君は立ち直りました。初回に17点を奪い圧勝ムード。そんな中でもO君は、雨に濡れたバットを拭いたり仲間に声をかけたり、チームのためにできることを一生懸命やるようになりました。ボールに喰らいつく姿勢も変わりました。

結果的には第1戦と同じ大差の圧勝でしたが、「チームの一体感」という意味では全然違う意味のある1勝でした。この時点で結果は見えていました。あとは決勝戦、いかにみんなで楽しめるかだけです。

<決勝>

決勝戦をスタンドで悔しい思いをもって眺めていた前回大会からちょうど1年。これまで何度も優勝経験のある「松里福祉会」との試合。しかしわがチームは、はじめから勝利は確信していました。ノーエラー、トリプルプレーに満塁ホームラン。完璧な勝ち方でした。

大会MVPには、当然「守備のとまりぎ」のエース、豪腕・浜田君です。(新聞に「最優秀殊勲選手」として名前が出ていますので、ここでもそうします。)

試合後、仲間を称えあう選手たち。そして来年は1部(盗塁等あり)に昇格することも考えなければいけません。Sさんや他の仲間がこういいました。「今日のO君がキャッチャーなら、俺たち1部でも十分戦えるよ。大丈夫、あれだけ体を張って止めてくれたら、いけるよ」・・・試合中、O君を叱りつけていたSさんから出たこの言葉。「一体感」の象徴のように感じました。これから盗塁・進塁などを中心に練習を組み立て、「走れる人」を中心としたチーム編成も考えていきます。地域のチームの方々には、この「盗塁等あり」の新ルールでお願いしたいと思います。これまで本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。                                                                   (監督:友野 剛行)

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2006年9月10日 (日)

質問です。

みなさま、いつも読んでいただきましてありがとうございます。ちょっとご質問させていただきます。

このブログというものは、「アクセス解析」といって、このページを開いてくれた件数や時間帯が管理者には調べられるようになっています。そこで気になることがひとつ。以前から深夜の4時にこのページを開いている人が非常に多いということです。

夜更かししている子は誰かな?昼間シャキッとしてますか?

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2006年9月 9日 (土)

父親・仕事・組織そしてサボりについて

9月になりました。障害者自立支援法、その日中活動分野での活動開始は10月です。あと1ヶ月弱となりました。10月からの参入を予定されている事業者の方々は準備に大変忙しいことと思います。

そこで今回の記事は、うちの長男の「幼稚園見学会」です。前の記事で書きましたように、うちの長男はホームページで行きたい幼稚園を探していました。妻がその中のいくつかに見学の予約を入れておいたのです。

「オレも行くから」

「えっ?行かれるの?仕事大丈夫?」

「行かれるかどうかじゃなくて、オレは行くの!」

訪問先のいくつかの幼稚園で、長男は夢中。みんなが裸足でグランドで体操をしていたら「ふうたも~」と靴を脱いでグランドに走ってしまう。慌ててつかまえると「ふうたも幼稚園行きたいなあ。だって友達いっぱい欲しいんだもん。おうちに帰らない。」・・・駄々をこねます。この気持ちに応えなきゃなぁ、と思いました。幼稚園・保育園・在宅、考える際の基準は、妻のゆとり・家計のこと・教育のこと、そういう視点でばかり話し合っていたように思います。やはり息子の視点を第一にしたいものです。

さて、話を少し仕事の方にもっていきます。私も「福祉」の世界の人間として、やはり同じように<人>を支え<人>と関わる仕事としての保育や教育の分野には、やはり単なる「父親」から離れた部分で興味を持ちます。普段はお子さんを託される立場に立っていますが、今は息子を託すという立場で幼稚園や園長先生、先生や子供たちを見ています。自分が自然に目が行くところや質問するところ、それは逆に普段自分が見られたり質問されることです。素直に「面白いなあ」と思いました。いくつかを回って、これほどまでにそれぞれが違うのか、と驚きもしました。

理事長や園長先生、こういう偉い立場の人の言うことは、すべて立派なことです。それぞれの考え方の違いはあれ、すべて納得させられることです。そして違いがあるとすれば、その偉い人のいうことが、本当に末端まで染み込んでいるのか、それとも言葉だけなのかということです。幼稚園や保育園などの、従業員が数十人程度の小さい組織は大企業と違って、この偉い人が本当にいい仕事をしているのかどうかで全体の色が変わってくるのだと感じました。きっと福祉の世界もそうなのでしょう。

 ある幼稚園は子供が見学に来ても目も合わさない。逆にうちの子に興味を持って話しかけてきた児童が注意されている。・・・この際だからはっきり言いますが、ちゃんとしたあいさつもできない先生たち。ひとりふたりならどこの組織にもこういう人はいると解釈できますが、そうではない。

 もうひとつの幼稚園は、誰もが自然にあいさつをしてくる。私にでなく息子にです。見学者である息子が輪に加わろうとすると、子供たちも先生も、普通に受け入れてくれている。先生も考え方をしっかり持っていて、偉い人の言葉だけでなく、その先生がここの幼稚園の考え方・方針について自信を持って説明できる。「うちは、幼稚園では○○が大切だと考えています。△△については小学校に入ってからで十分だと考えています。だからうちでは~はしません。」こういう説明がきっちりできるのです。

こんなにも違うのかと思いました。もちろんこの後者の幼稚園は、もう定員いっぱいで入るのは困難なのですが・・・。

この違いは何なのでしょうか?先生がその幼稚園に就職するときにすでに資質の差があったのでしょうか。「福祉」の世界からの類推ですが、資質の差ではありません。入ってきてから差がつくのです。どちらのタイプの幼稚園も、偉い人の言葉を散々聞かされて仕事をしていることには変わりないでしょう。ならば何が違うのか?

「言葉」というものには、<正しい・間違っている>という客観的な判断の他に、<聞ける・聞けない>という主観的な判断があります。おそらくそこが違うんだと思います。偉い人が正しいと思ったこと、そして客観的にもそれは正しいとされることを懸命に訴えても、「聞けないよ」という場合があります。そういう場合、周りはたいていシラけて聞いています。というか、流しています。働く人(先生)も生活がかかっていますから、流すしかないのです。ケンカをして損をするのは自分ですから。

大きな組織の場合には、多くの場合偉い人はある意味言葉だけの存在です。地位やら名誉やら過去の実績やら、そんなものをバックに従えた「言葉」だけの存在です。少なくとも末端から見ればそうです。その人の実際の仕事ぶりなど言葉の裏側にあるものについてはあまり見えません。

しかし小さな組織はそうではありません。すべて丸見えです。小さい組織では上に立つ者は丸裸ということです。自分で陰部を隠しているつもりであっても、そうなのです。(表現が汚いけど。) ここに<聞ける・聞けない>の違いがあるのです。

聞けない言葉は隅々には染み込んでいかない。シラけた雰囲気が蔓延します。はっきりいって、そういう雰囲気を感じた幼稚園もありました。

「父親」から離れて「仕事」に戻って考えたとき、私もこんな分析をしている場合ではありません。私も「丸裸」の一人だからです。大切なことは「言葉」だけでなく、背中で伝えていかなくてはなりません。それは私なりに肝に銘じていることでもあります。若い人たちの仕事のレベルを上げていくことも私の仕事ですが、それ以上に私自身が向上心を持って、常に先を進んでいなければいけません。10の仕事を相手に要求したのなら、自分は裏で20の仕事をしていなければなりません。裏で20の仕事をして、それが表となって表れるのが15ぐらいでしょうか。表に出た部分だけでも、仕事を要求した相手よりも上をいっていなければなりません。そうじゃなきゃ、「言葉」が軽くなるでしょ? 軽くなってしまった言葉は、いくら地位や名誉のレベルを上げてもその軽さは変わりません。

私は自分の仕事の評価を、私と一緒に働く人たちの目で測るようにしています。「聞けない」という目をされたときには、私が仕事をしていないと考えるのです。働くみんなの目が生きているときには(そのみんなの仕事の結果がどうであれ)私の仕事としては○です。

さて問題。このブログによって、金曜日私が仕事をサボって幼稚園の見学会に行ったことがみんなにバレてしまいました。果たして来週から私の言葉は、「聞ける」ものなのか「聞けない」ものなのか、これが大きな問題です。とりあえず土・日頑張ることをアピールしておきましたが、さあどうでしょう。

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2006年9月 6日 (水)

人生の選択

3歳になった長男。先日新聞の折り込み広告で船橋市内の私立幼稚園マップが冊子になって入っていたのを見つけて、じっと見入っている。

そうか、そろそろ幼稚園を考えなければいけない時期か。願書受付が11月。その前に各幼稚園で説明会、見学会などが催され、それが進路選択の一助となる。在宅か幼稚園か保育園か・・・。正直なところ、息子(たち)が妻と離れて何時間も過ごすということは、まだ考えられない。保育園などは5時まで、いやそれ以上に預かってくれるという。まったく驚きだ。そんな長い時間親子が引き裂かれていたら、妻がもたない。私だって胃に穴が開く。小学校に入学するまでの必要なしつけや学力は、私が見るつもりであった。息子よ!大丈夫だ。私がお前を、スーパーマンにしてあげるから。

幼稚園ガイドをしばらく読んだ後、息子は私にこういった。

「おやじぃ、ふうた、この幼稚園に行きたいな!」・・・おおっ!息子よ、私から離れるつもりか。あどけないその笑顔で、私から巣立っていくつもりなのか息子よ!いや、違う。何か理由があるはずだ。

「なんでこの幼稚園がいいの?」と私。「ボールでみんな遊んでるでしょ?ふうた、ボールがある幼稚園がいいんだぁ」。・・・ボールかぁ。分かった。親父に任せておけ。

さっそくサッカーボールを買い与えた。親父がお前をJリーガーにしてあげるからな!

「おやじぃ、ふうた、このボールもって幼稚園に行くんだ」と息子。

父親として、一人の人間として、私は人生の大きな岐路に立ち、そして決断をした。息子よ!お前の気持ちは十分に分かった。親父と一緒に、いい幼稚園を選ぼう。

さっそく息子と一緒にインターネットで市内私立幼稚園のマップを検索。「しつけ」とあれば、「厳しすぎるんじゃないか」と心配になり、「遊びが第一」とあれば「遊んでばかりで大丈夫か?」と心配になる。「設立数十年」とあれば、歴史にアグラをかいているんじゃないかと疑念を持ち、「新しい校舎」とあれば未熟ではないかと疑念を持つ。

ダメだ!私には決める勇気がない。・・・息子をパソコンの前に残し、居間に戻り私はコーヒーをすすっていた。しばらくして多少落ち着いた私は、自分の部屋(実はここが私の会社)に戻った。息子はまだパソコンと睨めっこ。なんとスクロールをしていろんな幼稚園の写真を見ていた。「やっぱり、このボールの幼稚園にするね。大丈夫だよ」と息子。来週、この幼稚園の見学会に行く。

福祉作業所の所長として、私がいつも親たちにいうのは「子離れをしなさい。親離れをさせなさい」ということ。実は説教ばかりしています。

お母さんたち、実はこれが私の姿です。笑いたければ笑えばいいが、でもお互いさまだぞ!

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2006年9月 5日 (火)

携帯電話

地域福祉の仕事をして10年。「地域福祉」とは、障害を持つ仲間たちを施設の中やその周辺で囲い込んでおくような関わり方でなく、地域の中にどんどん出て行こうという関わりです。つまり、目が離れることも当然多いといえます。危険性は承知しつつ、細心の注意を払って危険を抑止します。

携帯電話。私が持つようになったのは10年前。その頃はまだ職員の中でも持っている人の方が少なかったです。学生上がりの新人職員がポケットベルを持っていることに驚いていました。ポケベルは営業職のサラリーマンが持つものだと思っていたからです。

携帯電話が普及して、この仕事においてもずいぶん便利になりました。障害を持つ仲間たちの親や地域の方からの連絡も携帯電話のメールで入ったりします。仲間たちの母親の愚痴もメールでなら聞くことができます(読んでいたらごめんなさい!)。障害を持つ仲間たちと離れていても連絡が取り合えるので、心配性の私にとってはとても便利なものです。「安心」をもらっているような気がします。

しかし逆に、ホッと一息つく時間がなくなったのも事実です。この電話が目の前にある限り、電話の向こうの人は仕事上の<私>と会話をしてきます。ずいぶん前ですが、新婚旅行の最中でさえ、いくつかの商談をする羽目になりました。あの時あのタイミングであの業者様からの催促の電話がなければ、いまここにいる長男は、じつは女の子だったかもしれません。そんなわけで、この携帯電話のおかげで、私の生活から完全な<私人>というものがなくなりました。

そんな私の携帯電話、昨日も一日中鳴り続けていました。「パソコンが動かないんだけど・・・」だけで2件、障害者の共同生活の場「生活ホーム」だけで4箇所。親たちや作業所の職員、福祉関係者・・・。

「生活ホーム」からはこんな電話でした。「昨日のソフトボール(地域の町会チームとの交流戦)、体調が悪くてちゃんと練習できなくて申し訳なかった。本当に頭が痛くて今熱が38度ある。やる気がないわけじゃないから、大会には出して欲しい」・・・「大会のことはまだ先だから、そんなことより早く病院に行くぞ!」と私。

もうひとつの生活ホームからはこんな電話。「誰かがオレの部屋の電気をイタズラして、電気をつかないようにしたんですよ。オレが(インシュリンの)注射を打つこと知ってて、わざと暗くしようとしたやつがいるんですよ。」・・・私が帰宅してほっとした瞬間にかかってきた電話。尋常ではありません。もちろんそんなことができる仲間はいるはずありませんが、電気がつかないのは困ったことです。「今すぐ行くから注射しないで待っていて」と私。

車で向かう途中、「蛍光灯が切れたのかな?テールランプかな?」といろいろなケースを想定して対応も決めていました。しかしいざ電気をいじってみても、まったく反応なし。疑われた生活ホームの仲間たちも懐中電灯を持ったり椅子を持ってきたりと私に協力しながら不安そうな顔。ブレーカーを確認しても、他の部屋の電気を持ってきて移植してもダメです。私も困っていました。「電気をイタズラされた!」との訴えを起こした人は、障害を持つようになる前は、海外のダムや橋を作る大型プロジェクトの電気関係の責任者として第一線で働いていました。そんな彼は電気を元から遮断するには配線のどこをどうすればいいのかというところから、これは間違いなく妨害工作であるという論拠を展開しています。

「この部屋のどこかに電気のスイッチない?」・・・私が聞くと「いや、それはない。この部屋は和室で・・・」と展開する彼。それを半分聞きながら私は廊下にスイッチのようなものを発見し、ONにしてみると中の電気がピカーッと。

疑いをかけられていた仲間たちは「良かったねぇ、Aさん。電気ついたねぇ」・・・普通なら「疑いやがって!このヤロー」と向かっていきたくなるような状況ですが、彼らは素直に電気がついたことを喜んで、椅子などを片付けたりしてくれました。私が帰るときにその二人は「ありがとうございました!」、原告の彼は「・・・」。気まずかったんでしょう。そういうことにしておきましょう。

私も一度「ただいま」と家に帰ったあと、お小言を並べる気にもならなかったので、そのまま3人のホームを後にしました。その帰りにも別のホームから電話。帰ってからも作業所からいくつかの電話。息子たちは親父との食事を待っていてくれました。「待たせちゃったね。ごめんね。」

携帯電話によって仕事上の生活はずいぶん便利になりました。しかし<私人>の領域はずいぶん狭くなりました。でも「まあいいか」と思っています。この日の収穫は、普段私と会ったとき(現在は一般就労)にはいつも(怖くて)緊張ながら敬語で話をするB君が、生活ホームという空間の中では緊張もせず、私に敬語も使わなかったということ。生活者としてのひとりの青年B君と話ができたということ。それが自分の中ではなんとなく嬉しかったということです。

以上が「携帯電話」をタイトルとした今日の記事です。

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