« 3+6+2=11 ? | トップページ | 遠い憧れについて他、3話 »

2006年8月 6日 (日)

弱者の立場、そこに送り出す側の論理

障害者の福祉作業所で、一般就労を目指す仲間への関わりについて。

一般就労を目指す仲間というのは、たいていその作業所においても中心的な位置にいる場合が多い。自分でもその立場はそれなりに自覚していて、その自覚はいろんな形で態度や行動に出ます。そしてそれがゆがんだ形で現れる時、その現場の「職員」と呼ばれる人たちにとって、頭を悩ませるひとつの問題となります。とくに障害を持つ仲間たちに対しての態度や行動。

大きくいって2つのパターンがあるかと思います。ひとつは「この人たちに任せられない」と一人で頑張りすぎてしまうタイプ。頑張るだけなら、なんら問題はない。頑張りすぎてしまって自分がきつくなって、きつくなったら相手のせいにしてしまうんですね。仕事をこなす力はあります。だから信頼されます。でもきつくなって投げてしまったり、人のせいにしてしまったりしたら、それまでの頑張りも水の泡になってしまいます。こういうタイプはあまり背負い込みすぎないように、適度な頑張りに留めておけるように周りが配慮すればいいことですから、関わり方次第ではそれほど大きな問題にはなりません。

さて、次のタイプ。「職員」と呼ばれる人たちが負けてしまうほど、よく周りに気を利かせ、非常に「助かる」人。周りがよく見える分、ついつい指図する側に立ちたがります。それによって「助かる」ことも多々ありますが、「自分の仕事をこなす」という点でやや難がある場合もあります。しかし周りがよく見えているその人にとって、「自分の領域」が視野の外に置かれてしまうのです。

前者はいわゆる「仕事をこなしてくれる人」なので、かかわり方次第では大きく伸びますし、就労支援においても、職場の人・支援者のちょっとした配慮を伝えていけばそれほど大きな問題にはならないでしょう。問題は後者のタイプです。

周りがよく見える分、仲間たちの様々な問題が見えてしまいます。だから自分が問われたとき「あの人だって・・・」とついつい自分と他者の比較をしてしまい、なかなか反省することができません。自分なりには一生懸命周りに気を使って頑張っているのに自分ばかりが責められているような気になってしまう場合もあります。その不満がつのれば、イライラの矛先は仲間たちに向いてしまいます。そしてそれもつのれば、ちょっとしたいじわるやよくない行動を起こすこともあります。ここまで来て、やっとその現場でも重要な課題となって浮かび上がってくるものです。

就労支援に限って、このようなケースへの対応をここでは考えます。周りの仲間へのよくない行動。それに対していろいろ話してみるものの、なかなか心に届きません。道徳的な観点から、説き伏せようとして失敗してしまう場合が多いようです。道徳的にしか問題にできないということは、相手に即して語れないということです。道徳とは個々人の、さまざまな理由をもつ<いい・悪い>の基準、そのさまざまな理由を取り払い一般化して抽象化したものです。つまり個々の理由を取り払ったところでの善悪の基準が道徳ということです。感覚的に抽象的な基準が道徳での善悪なのです。しかし現実に個々人に即すならば、「Aさんが、Bをするにあたって、Cをするということはよくないことである。それはCをすればBができないからである」という具体的な基準があるはずなのです。「AさんがBをする」という現実に即して、その深みに踏まえたところで「Cをすること」を問題にするならば、決して一般的で抽象的な道徳論では終わらないはずなのです。「相手に即して語れない」とはそういうことです。「Bをする」とはこの場合「就職する」あるいはもっと広い意味で「働きながら自分の社会生活を作る」ということでしょう。そのこととの関係で「Cをする」、つまり仲間にたいしてある意地悪的な行動をすることの善悪を考えるのです。

 一般的に障害者が就職する場合、その就職先の世界では「弱い立場」に立つことが多いと思います。もちろんそうでなく本当に社会や会社の先頭に立って頑張っておられる障害を持つ方々もおります。しかし福祉作業所で対象としている仲間たちは、どちらかというと「弱い立場」を前提にした就職を目指すしかない方々です。そうでなければ作業所には来ていません。

 仕事はそれなりにできるといっても、やはり配慮してもらったりフォローしてもらわなければうまくいきません。時には失敗をして迷惑をかけることもあるでしょう。それでも長く働き続けるにはどうしたらいいでしょうか。

 上記のような「弱い立場」の人が会社に入ってきている。周りの人は多くの場合、二つの感情を同時に抱えます。ひとつは「弱い立場」のこの人を助けてあげたい・応援したいという気持ち。もうひとつは、その人のできない部分「弱い立場」に基づく不足の部分に対してイライラする気持ち。・・・まわりはみんな、この両方を持っていると考えればいいのです。自分に即して考えれば分かることです。そしてこの二つの気持ちのどっちがどれだけ大きいかによって、その人の態度や関わり方が変わってくるということです。同情を求めるわけではないけれど、やはり同情に近い感情としての「やさしさ」が職場に多く溢れている方が、「弱い立場」の仲間たちにとっては働きやすい環境となります。

 ではその「弱い立場」の人が、職場でもっと「弱い立場」の人を馬鹿にしたり意地悪したりからかったりしていたら、周りはどう見るでしょう。「助けたい・応援したい」という気持ちと「イライラする」気持ち、そのバランスは大きく変わるでしょう。とても些細なことが、とても大きなことになる瞬間です。職場の人たちにとって、これまで自分のやさしさの範囲で受け止めていたその「弱い立場」の人のさまざまな失敗や不足の部分に対して、それを受け止められなくなります。周りの見方がガラッと変わるのです。それに抗して「憎まれっ子、世にはばかる」とばかりに実力を発揮できればいいでしょうけれど、そこまでの力がない大部分の仲間たちにとってはつらい世界が待っています。

 ほんのちょっとした態度や言葉で、「自分よりも弱い人を馬鹿にしている」と見られてしまった「弱い立場」の人は、その場所で長く勤められる可能性は限りなく低くなるでしょう。そういう態度や言葉は、いくらその仲間が真剣に「自分は就職したい、社会で働きたい」と思っていても、その思いと逆の方向に自分を運んでしまうのです。

 「Aさんが、Bをするにあたって、Cをするということはよくないことである。それはCをすればBができないからである」・・・その論理の具体的な形がこれです。

 支援者としては、ぜひこのような相手のニーズに即した将来の現実をイメージする力をしっかりもって、相手のニーズや現実に即した物事の善悪をしっかり伝えられる、そういうかかわり方を目指していくべきだと思います。

 自分の語る内容が、一般道徳に流れてしまい相手に届かないという現実に直面した際には、もう一度相手のニーズに戻るという習慣をつけていくべきだと思います。

  今日はなんかオレ、偉そうなこと言ってるなあ。12番目の選手のくせに。

|

« 3+6+2=11 ? | トップページ | 遠い憧れについて他、3話 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/118028/2958488

この記事へのトラックバック一覧です: 弱者の立場、そこに送り出す側の論理:

« 3+6+2=11 ? | トップページ | 遠い憧れについて他、3話 »