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2006年7月 2日 (日)

「ちょっかい」と哲学

先日、福祉作業所「かんぱす」から一般就労していった仲間が初給料の明細をもって「かんぱす」にやってきた。就職しても「かんぱす」がこづかい・所持金・通帳の本人管理の支援をしているから、その書き方などを教わりに来たのだ。

直接の支援者は私ではない。私は横にいてちょっかいをかけるだけ。「好きな子はできたか?」「かんぱすに戻ってくるか?」「給料でハンバーグおごってくれる約束はどうした?」などと、こづかい帳の相談に来た彼の邪魔をしていた。

「うるさいオッサンだなあ」という態度・・・。それがまた何か嬉しくて、しつこくちょっかいをかけてしまうんだな。すでに彼の気持ちは新しい会社の一員、私の顔色を伺う必要もなく気持ちも前に向かっている。

いろいろ悩んでしまったりある種の挫折をもってここから離れていった仲間たちにとっては「また戻りたい場所」になればいいし、彼のようにここから巣立っていった仲間たちにとっては「もう、戻りたくない場所」であればいいと思う。

もともと障害者の地域福祉なんていう仕事の究極の目標は「自分が不必要な存在になること」だ。「必要な存在」を経由して「不必要な存在」になることだ。「必要な存在」を自己目的化してしまうという過ちは、自己満足的なボランティアと仕事を区分できないことに起因する。

もう少しいう。障害者の地域福祉という仕事の本質的な存立条件は、社会そのものと、障害を持つ個人の間の矛盾にある。(もちろんこの場合、医療的福祉は除く。)地域福祉の究極目標は社会が少しずつ変わっていき、障害を持つその個人も社会適応様式など少しずつ変わっていくことを通じて、その矛盾が少しずつ解決されていくことにある。

固い? もう少し続けていい? 

したがって、地域福祉の前進とは、地域福祉の存立条件の解消への道のりである。地域福祉は地域福祉そのものの否定の方向性において、本質的には障害を持つ<個>とそれを含む<全体>との矛盾的自己同一の地平において止揚されるのだ。そしてその本質の世界においては、「障害」と称されるものの全ては「個性」へと止揚される。

障害者の地域福祉の仕事を進めていくということは、このマクロ的な展望に踏まえつつ、ミクロ的な直接的関わり、つまり1対1の関わりの実践を検証していくということだ。

例としていえばこういうこと。Aさんの○○介助(トイレや歩行や食事、作業など)ができるのは<私>を含めた数名しかいない。その限りでは自分は「必要な存在」だ。自己存在の有限性などを視野から外し、狭い世界で考えれば、<私>にとって、それはひとつの満足を生む。でもAさんの○○介助ができる人の、もっと不特定な広がりがもてればどんなにかいいだろう。

 そのためにはAさんが何を身につければいいのかな?「やってもらって当たり前」という態度は世界を狭くするよな。せめてこの部分を自分でできれば、介助者の負担はかなり減るよな。そうすれば頼むことも頼まれることも、もっと気軽になるよな。親が子離れできず、つねに監視の目を光らせているような状態では、あえて手を差し伸べたい人なんていないよな。気分の悪い介助ほどつまらない仕事はない。ということは、Aさんの精神的な親離れも必要だよな。

 または社会の側はどう変わっていけばいいのかな?まずはその<個>に対する理解が必要だよな。<個>を超えた障害そのものも知っておいてもらったほうがいいよな。「地域福祉」の立場で、地域にどうそれを伝えていけばいいかな。もちろん(いわゆる「福祉」世界の人が大好きな・・・ちょっとイヤミ)法制度上の改善も必要だよな。

 そんなことを構想しながら関わっていくということが必要であるし、マクロとミクロを行ったり来たりしながらそれを直接的な関わりの中で統一していくことが必要なのだ。

 こんな結論的なことを書いてしまって、このブログ、次に続くのだろうか?

 さて、これらの「地域福祉の哲学」は、いわゆる「福祉」の教科書にはどこにも書いてありません。逆のことはたくさん書いてありますが。だから「福祉」に関する資格は、運転免許と違ってすぐに実践的な力を持つものではありません。

いっさいは実践する力と構想する力。「構想」といっても頭でっかちになる必要はない。頭で構想するもいいし、ハートで構想するもいい、足で構想するもいい。考える部分なんてどこでもいいんだ。胃袋だっていい。キンタマだっていい。<自分>という存在のどこかで究極の姿を描き、あとはボーンと実践する力。それが必要な世界なんですよね。

 それが分からないお馬鹿さんたちへ。愛を込めて。

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