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2006年7月16日 (日)

私のスランプ脱出法

久々の投稿です。長いスランプにはまり込んでいました。「前に向かって一歩足が出ない」という症状は、しばらくなかったことです。

スランプのおかげで、体調はよくなりました。睡眠時間が多くなったからです。仕事時間と睡眠時間は反比例しているので、やるべきことを毎日蹴り倒している間、体は元気になりました。しかしスランプからくる心の鈍痛は、けっこう厳しいものがありました。したがって「体調はよくなった」といっても胃腸などの消化器系には苦労をかけました。

さて今回は「私のスランプ脱出法」です。福祉の世界で働くものとして、「心の健康」は(もちろん体もそうですが)常に留意しておくべきことで早期の対応を要するものです。それは心を開けっ広げにして仕事をする世界だからです。自分の心を閉じたまま相手(障害者など)の心を開こうということは、精神科医でもない我々にとって、できることでもないしまたやるべきことでもありません。本題に移ります。

スランプ初期の場合、まずするべきことは<スランプの実体構造の分析>です。具体的には以下の通りです。

まず登場人物(実体)を措定します。「スランプ」とはそもそも実践が先にあり、その反作用を受けての再実践に関わる事柄です。ですからまず実践主体(私)があり、そして実践の対象があり、その実践に関わる諸関係があります。仕事というものは、それがたとえ福祉労働であってもあるいはプロスポーツであっても、すべて諸関係を前提とした実践です。平たくいえば、基本構造として次のような登場人物が前提となるでしょう。

A:私  B:仕事の対象(人や物) C:仕事上の諸関係(多くは上司・同僚など)

Cを前提にしたAが、Bに向かって取り組む構造、そこのどこかに不都合が生じて「スランプ」になるわけです。そしてまた、実際にどこにどういう不都合が起きているのかという現実の問題と、その問題を「私」の心でどう捉えているのかという意識の問題は実は別々の問題なのです。そしてここでは「意識の問題」としての「スランプ」をどう脱却するかという点に絞っていきます。

そもそもここでいう実際の不都合に関わる「現実の問題」と、その心への反映としての「意識の問題」は、「スランプ」を実感している意識状況下ではかなり乖離している場合が多いと思います。実際に解決すべき問題は常に必ず「現実の問題」なのですが、その「現実の問題」を包み隠してしまうくらい「意識の問題」が肥大化してしまい、ここでとりあえずの解決を目指さなければ「現実の問題」が見えてこない、そういう状況下において「意識の問題」の当面の解決を図るということです。したがってそれは、本来の「現実の問題」への糸口という意味をも持つのです。

A:私  B:仕事の対象(人や物) C:仕事上の諸関係(多くは上司・同僚など)・・・この3つの登場人物を前提に、まずは自分の「心のスランプ」のパターン分けを行います。まずこのA~Cの中で、どれが意識の比重として重いかということから分析していきます。

①Aが重いタイプ・・・もちろんBやCとの関係がうまくいかないことが前提なのですが、意識の比重としてはA=私にある場合です。うまく行かない実践そのものよりも、そういう自分自身とばかり会話をして悩みこんでしまうパターン。「自分がダメだ」と思いつめてしまうパターンです。

②Bが重いパターン・・・仕事の対象そのものの困難さや膨大さに押しつぶされてしまいそうになるタイプです。①のようにむやみに自分を責めすぎたりすることはありませんが、仕事を前にして手や足や心が前に出ず、倦怠感に支配されます。①のような自己否定的自己嫌悪に苦しむことはありませんが、無気力感、虚脱感に襲われます。

③Cが重いパターン・・・①、②の混合タイプではありますが、意識の上では仕事の上司、同僚、部下などとの関係が意識の大半を占めてしまうパターンです。①のように落ち込んでばかりでもなく②のように無気力ばかりでもありません。意識下においては落ち込んでもいますし無気力感もありますが、それ以上に他者への怒り、イライラがつのり、そして他者の自分への評価をあれこれ想像することに時間を費やしてしまいます。①の自分そのものよりも②の仕事の対象そのものよりも、他者への意識が大きくなっているのです。こういう場合あまり「スランプ」の自覚は持つことができません。「自分」や「仕事」で直接悩むわけではないですから、極端な話すべて「あの人のせいで・・」という意識になっているのです。ただしこの場合にも②と同じように実際の自分の仕事は進んでいないはずです。

私の場合、今回は明らかに②のパターンでした。①も③も、長い年月の中では経験してきたことではあります(今の仕事を始めるずっと前のことですが)。しかし今回は②でした。ということは逆からいって①や③はそれなりに克服してきたということでもあります。そしてその克服の鍵は「自己評価の適正化」ということだと思います。まずはそれを振り返ります。

結論から言えば、自分自身の自己評価あるいは自分の「あるべき姿」、「本当はこのくらいできるはず」という広義の自己評価が、実際の自分とかけ離れている場合、①や③を引き起こすということです。自分の「あるべき姿」を高く設定しすぎてそれに押しつぶされてしまうのが①。自分の「あるべき姿」の高さを守り抜くために、結果として他者を蹴落とすことになるのが③だということです。「あるべき姿」「自分はこのくらいできる人間だ」という意識、その設定が高すぎている中で、その高すぎる設定を守る強さがなければ①のように崩れるし、守り抜く強さがあれば他者を蹴落とすという③の行動に出ます。それだけの違いです。また強いか弱いかもその時の自分の状況・立場によって決定されます。

私は①や③のタイプのスランプを経験する中で、自己評価を下方修正してきたつもりです。大きく崩れる心配もなければ守りぬくために必死になる必要もない、そういう位置に自分の評価を定めてきました。ですからボロクソ言われ続けても大して動揺しませんでしたし天まで持ち上げられてもそれにしがみつく気持ちもありません。すべてはいくつかの大きなスランプと、そのときこの私を支えてくれた人たちとの出会いのおかげです。(その人は読んでくれていると思いますが。)

さて今回は②のタイプです。やるべき仕事が目の前にボンとある。たくさんあるわけだからひとつずつこなしていけばいいのは理屈では分かるが、どれも手につかない。そしてそれらの仕事の大変さは50%認識している。「50%の認識」というのは、実際取り掛かり始めたら今の想像以上に大変な仕事だということを今の想像上認識しているという状態を指す。「20%の認識」ならば、本当の大変さを想像する前の段階なので、人は前向きになれる。少なくとも意識の上では。そして「80%の認識」ならば、すでに解決の道のりを示せているかあるいは実現困難と判断しているかどちらかなので、あまり苦難はない。この「50%の認識」で立ち止まっているというのが今の自分の現実です。

さあ、どうするか。やるべきことは多種多様。毎日頭の中では「今日はこれとこれをこなして・・・」と構想するものの、何一つできないまま毎日が過ぎていきます。とはいっても何もせず頭を抱えているわけではなく、福祉労働者の原点として、障害を持つ仲間たちとの関わり、汗水流してともに働くという生活を毎日送っているのですが、半分それが「逃げ」であることを自覚してはいます。(自分の原点である世界が同時に「逃げ」る場所でもあるということに、幸せは感じます。それはさておき・・・。)

やるべきことの多種多様ぶりの分析からはじめました。グラフを書いて縦軸と横軸それぞれ「すぐに結果が出るか、あるいはなかなか結果が出ないか」「とても重要か、あるいはそれほどでもないか」・・・するとこう分類されます。

① すぐに結果はでるが、それほど重要ではない(やるべきことだが、遅れてもたいした問題ではない)。

② とても重要だが、結果が出るまでに時間がかかる。

③ ①と②の間にあるもの。

意識の上ではこうなります。「①は今すぐやらなくても大丈夫(やれば結果はすぐ出るから)。②は今すぐ始めても、すぐに結果が出るわけではない(しかも始めたら大変)」・・・そういう意識で、手が止まるのです。

結論からいえば「スランプのときは①の仕事からやっつけていく」ということです。

重要性をあれこれ頭で考えていく前に、目の前のことをひとつずつやっつけていくこと。「仕事をこなした」という実感が自分の気持ちを前に押し上げ、困難な②に立ち向かう自分を作り上げてくれるということです。今日私は自分の会社の簿記の「総勘定元帳」の形式を整えた。わずか15分の仕事だった。毎日毎日「今日はこれとこれとこれをやろう」と構想していたものから外れていた、些細な仕事だった。でもそれで吹っ切れた。つぎにやりたいことが見えてきた。やるべきことでなくやりたいことが見えてきたのです。

ソフトボールの試合の前の15分を使ってできる仕事。いつでもできるから隅に追いやっていたことを取り掛かったことで心の闇が晴れた。心の闇が晴れたので、このブログも書く気になった。(長すぎますけどね。)

私の知り合いでこのブログを読んでくれている人たちの中に、真面目すぎて一生懸命すぎるがゆえにさまざまな「スランプ」を抱えている人たちがいます。「まさか、自分のことじゃないだろ」と思っているあなた、実は「あなた」のことです。「あなた」はひとりではありませんが、しかし「あなた」は十分「あなた」のひとりです。

「スランプ」を栄養にして、自分の道を切り開きたいと思います。かろやかに小さいことを成し遂げ、大きく喜びたいものです。そしてそれを呼びかけたいと思います。

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