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2006年7月31日 (月)

追記

昨日、「本当の地域福祉とは?」という記事を書いたところ、このブログがオープンしてもっとも多くの方々が読んでくださったようです。私の希望としては、共感してくれる人3割、憤慨してくれる人4割、その他3割・・・。今のところ「共感」の声はいくつか届いていますが、「憤慨」の声もいただければと思います。

障害者福祉全体のフィールドでは、小規模作業所なるものは実にマイナーな世界。施設型の福祉こそがメジャーであって、施設で働く人々の多くは「作業所」なるものの存在をあまり意識せず働いている場合も多いと思います。しかし作業所で働く人たちは違う。「施設」を常に意識して、時に憧れを抱いたり、時に「反面教師」にしたりしています。それはマイナーフィールドの宿命なのかもしれません。作業所で働く人々は、「施設型の福祉」に対して、いろんな感情を持ちながらも、しかし総じて共通項的感覚があります。

オイラのところの方が、一人一人への関わりは、絶対に深い!

オイラのところは、決して人を蹴落とさない。

この共通項的感覚すなわちプライドゆえに、当事者を中心とした自然発生的なネットワークは形成されていくのです。それはそのネットワークを作ってきた人間にしか分からない、とても大切な財産です。

アクセス数が多いと、こうやって調子に乗って、すぐに記事を書いてしまうんですよ。

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2006年7月30日 (日)

本当の地域福祉とは?

久々です。このブログ、行政の関係者など思いもよらぬ固い系の方々も読んでいることを最近知りましたので、行政に関係する話も少々・・・。私はあまり正面きって福祉行政に文句をいうタイプではなく、むしろ文句ばかりいっている人たちは逆に行政にしがみついているようで、「それはしたくない」と思ってきました。<文句ばかりいうくらいなら、無視したほうがいい。無視してもやっていかれるくらい、自分たちが福祉の力をつければいい>そんな感じで考えています。しかし今回は多少の忠告的な記事を書いてみようかな、と。

先日、県の主催する障害者の相談支援従事者研修に行ってきました。直接の目的は相談支援事業従事者(障害者ケアマネージャー)の資格を取るためでなく、新体系サービス事業のサービス提供責任者の資格のためです。

いろいろな人も読んでいるのでバリバリの福祉用語はここまでにしますね。簡素な表現に努めていきます。「子育て」などからこのブログに入ってきている人たちもいますので。

講義の概要はこんな感じです。障害を持つ方々の地域生活を支えていくためには、さまざまな困難ケースが存在します。そういうケースを決して切り捨てるのではなく、相談支援の担当者が本人や家族のニーズをしっかりとくみ取り、病院や地域の民生委員、就労支援の諸機関その他の関係者との「支援のためのつながり」を積極的に作り出し、当事者を中心とした「支援の輪」の会合などを通じて、その人にあった必要な支援のサービスの体系を計画する。本人の希望に即してその計画を実行し、たえず家庭訪問などを通じてその計画を検証し、時に修正し、継続的に本人と家族の生活を支えていく・・・。それが障害者の相談支援事業従事者の仕事だということです。福祉サービスは「施設から地域へ」がキャッチフレーズになっています。

お題目はすばらしい!あとはどうやってその仕事のプロを発掘し育てていくの?

皮肉っぽい問いかけをしたのはわけがあります。この研修、講師は行政担当者や福祉施設の施設長さんたちが担当していました。施設型福祉のプロの方々の語る「地域福祉」の講義でした。「困難ケースへの対応」・・・。でも実際はこれまで施設型福祉から多くの「困難ケース」を抱えた障害者が、時にははじき出され、ときには門前払いされ、行き場所をなくし小規模作業所などの「地域福祉」を頼ってきたのでした。いや、あまりに多くの人たちが施設型福祉からはじき飛ばされてきたことが、小規模作業所の今日の発展の主要な要因なのです。

小規模作業所は、直面するさまざまな「困難ケース」に向き合うために、何の教科書もない状態から、<病院や地域の民生委員、就労支援の諸機関その他の関係者との「支援のためのつながり」を積極的に作り出し、当事者を中心とした「支援の輪」の会合などを通じて、その人にあった必要な支援のサービスを計画する>というこの研修で提唱される「相談支援事業」を自然発生的かつ自発的に行ってきているのです。

いくつかの例。たとえばこの研修の講義をされている施設から「リストラ」されてきた障害者の例。(私たちの作業所だけで、この施設からの「リストラ」組だけで4名います。しかしこの講義を担当する施設長さんの就任前で、F市が直接運営していた頃のことなので、この施設長の名誉を傷つけるものではありません。むしろそういう状態から立て直してきたのが、この施設長さんら新スタッフなのでしょう。)

お母さんに連れられて「A施設から、他の場所を探すよう言われた」として私たちのところに面接に来た障害を持つその女性。お母さんと二人暮らしでその女性の障害者年金だけで二人暮らししているといいます。身なりや雰囲気からすぐに「施設にはじき出された困難ケース」だということはすぐに感じました。まず家庭訪問。

彼女の家には屋根がありませんでした。トイレも台所も床がなく、地面が出ていました。トイレに用を足すのでなく、この穴に直接行うしかない状態です。この状態から彼女だけ救うのであれば、障害者年金を使い、私たちのもつ生活ホームに入居すればいいのですが、それだけではお母さんが生活できません。親戚やご近所との関係、その他さまざまなことがらに首をつっこみ、いろいろな工面を行い、なんとかこの屋根のない家を解体し、プレハブの家を立てることができました。生活保護なども活用し、生活ホームで暮らすようになったこの女性だけでなく、お母さんの生活も立て直してきました。今は二人ともとても生き生きとした暮らしをそれぞれの場所でしています。

もうひとりの施設「リストラ」組の男性。多動で衝動的な行動もあり、時に周りを傷つけることもあります。施設では「作業」はほとんど行わず、広い場所でひとりで走り回るだけだったといいます。「隔離」とはこういうことをいいます。彼がうちに来たとき、まずは施設と逆のことを実践しようと決めました。人々の輪の中で彼が必要であるという環境を作ることです。言葉はあまりありませんが、体が大きく力がある、そして道の記憶に長けている。そういう彼にぴったりの仕事を探す。

ありました!地域生活情報誌を車で配布員のお宅に配送する仕事です。この情報誌の担当者と話をし、彼についても詳しく知ってもらい、彼のための仕事としてこの「情報誌配送」の仕事をもらいました。この担当者は熱心に話を聞いてくれて社内の意見を調整し、仕事を回してくれたのです。しかしこの新聞、いったいどのくらいの重さになるのでしょう。この重い新聞をかれは両手で抱え、道を一発で覚える天性の才能を発揮して配送場所に走って配ります。この仕事を彼がはじめてもう8年。長年配達員をしている方々とは彼はもう長い付き合いになっています。「B君、この前○○駅の近くのレストランにいたね。お母さん美人ねぇ~」などと話しかけられます。彼はこの仕事を始めてほとんど休むことはありませんが、それでもたまに休むときは多くの方々から「B君どうしたの?」と心配の声をかけてもらいます。彼が施設の「問題児」から地域で働く社会人に成長することは、お母さんをはじめとした家族の彼の見方にも大きく影響します。そのことは家族関係にもつながってきます。毎月福沢諭吉の入った給料袋をもってくると「おつかれさん」「ありがとう」と家族に声をかけられます。

前者は彼女の生活背景作りから生活を支えてきた例、後者は彼の直接的な地域生活(仕事)からかれの生活背景を変えてきた例で、いずれもA施設リストラ組の例です。

たまたま講師として現在のA施設の方がいらっしゃたので上記の例を挙げましたが、その他数多くのケースが作業所の現場には存在します。知的、身体、精神の障害のうちいくつかを重複しているケースは施設から敬遠されてしまい、うちにやってきます。また知的障害でも「数学にはめっぽう強いが、人間関係など抽象的なものはまるでできない」というパターンは障害者手帳をもらえないケースがあり、障害者手帳がなければこれらの「施設」は利用させてもらえません。あるいは本人や家族がその「障害」を認めず、それゆえ必要な福祉サービスも受けられません。一般枠で就職を試みても全くダメで、ある人は「職員希望」として、ある人は「ボランティア希望」として、この地域福祉の門をたたくというケースもあります。こういうケースで必要なのは、まず本人と家族が「障害」を理解し受容するための関わりです。それは同時に周りの「障害者」を受け入れて仲間になり、なおかつ共通する自分の「障害」を前向きに受容して自分の人生を切り開いていく、そういう過程を準備するのです。ある人は自分の「障害」を素直に受け入れつつ、「自分の力でもう一度就職を目指したい」と訴え、障害者枠で自力で就職をつかみ、今でも頑張って働いています。またある人は、私たちが作成したプランに基づいて、障害者手帳、障害者年金を(私たちの支援で)取得し、私たちが準備した彼のスポーツなどの余暇活動での活躍の場で自信もつけて、精神的自立を目指した「生活ホーム」(障害者の共同生活)での生活を試みて、そして私たちのジョブコーチ(就職をお手伝いする人)をつけて、無事就職していきました。

こういうケースは小規模作業所というこれまでの「地域福祉」実践の場においては無数にあるのです。私たちは、こうした施設の嫌う「困難ケース」に向き合う中で、この研修でうたわれているような「障害者ケア・マネジメント」のノウハウは、体で身につけてきています。もちろん教科書にはなっていませんし、私たちは教科書を書くほど暇ではありません。(ブログ書いてんじゃねえか!って?・・・日曜日なので許してちょ!)

さて県の研修のあと、我がF市の障害福祉課に訪問。「施設から地域へ」、その要となる市の事業としての「相談支援事業」、F市はどう考えているのか?

相変わらず、これまでの「施設型福祉」の顔に、「地域福祉」の看板を持たせて並べるだけのことでした。おめでたいことです。制度が変わっても、それを担う人間の価値観が変わっていかなければ、あるいは制度の変化に対応する視野の広さを獲得しなければ、なにも変わっていきません。福祉の世界で「制度」を考えるということは、「制度」の隙間からこぼれ落ちていく人たちの対応を考えるということが実は中心的な課題となるのです。しかし我が愛する「制度」の担い手さんたちには、この隙間の存在は実に小さく見えるようです。

さてどうしよう。県全体の「福祉作業所等のあり方研究会」で真の地域福祉の担い手を束ねていくべきか、あるいはF市の現状をちょっとつついていくべきか。・・・考えての結論。私はあくまでも「地域福祉の片隅」で、愛する仲間たちとともに、この地域の地域福祉の活動に邁進しよう。それが一番スッキリする形です。楽しいし。

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2006年7月17日 (月)

ちょっと一息

仕事のほうがちょっと煮詰まってきたので、ここでひとつ先日の息子たちとのエピソードを。

先日、息子たち(3歳、1歳)を連れて虫取り網をもって、近くの山と畑に虫取りに出かけた。坊主頭で虫取り網を持って山を走る長男を見て、通りすがりの家族が「いいねえ。坊主頭と虫取り網。最近あまり見なくなった光景だよね」と噂している。

長男は山で虫を見つけると、家に帰ってすぐに昆虫図鑑でその日に出会った虫を検索する習慣がある。そしてこの習慣は、実に1歳から続けている。3歳になった現在昆虫にはかなり詳しくなっている。しかも1歳の頃家にいて死んでしまった昆虫たちのことまでしっかりと覚えている。「あっタマムシ。これ死んじゃったね」とか。ダンゴムシ、カメムシ、テントウムシ、クモ・・・そういうこじんまりとした虫が結構好きなのだ。

話は脱線します。2歳になったばかりの時、うちの金魚のピッポが死んでしまった。ハンカチに乗せられ横たわっている金魚を見て2歳の長男はこういった。

「ピッポねんねしちゃったね。お庭でバイバイね。タマムシとクワガタといっしょだね。虫(金魚も虫のひとつのようだ)は、みんな目あいてねんねするね。(だから)また帰ってくるね。」

まだ簡単なひらがなしか読めないのに、小さい頃から図鑑ばかり読んでいた長男。あまり理論ばかりの頭でっかちにしたくない(もう十分頭でっかちだが)ので、地に足の着いたしっかりした感受性だけは育てていきたいと思い、わが夫婦は息子たちが望む虫なら、どんな虫でも飼うようにしている。我が家には犬、猫、カラス、カメなど10数匹のペットがいるが、長生きするその子たちとは別に<生まれて・愛されて・死んでいく>という命のサイクルを虫たちを通じて感じることは大切だと思っている。妻も虫は苦手だったが、今では息子たちと虫を観察している。

さて、虫取りに戻るがその日はいい収穫がなかった。畑のわき道を通って帰ろうとしたとき、畑で見かけたのは10cmほどの真っ黒なアオムシ。次男はキャーキャー言ってアオムシを触る。「つぶれちゃうよ!」 長男はしばらくじっと見つめて一言。

「あれ?このアオムシ、まだ蝶にならないねえ」・・・そうか!図鑑やDVDではアオムシはすぐに蝶になる。現実のアオムシはいくらじっと見ていても、なかなか蝶にならない。

「じゃあ、連れて帰ろう。きっといつかきれいな蝶になるよ」私はそういって、この真っ黒なアオムシを連れて帰った。長男は大興奮。帰ってすぐに「ばあちゃん!アオムシ採ってきたよ!きっと蝶になるよ!」「すごいねえ」とばあちゃん。さらに続けて「この虫は硬い葉っぱしか食べないんだよ」と。

このばあちゃん、昆虫、花、鳥など山に関することなら何でも知っている。このまま老いて死んでいくのがもったいない。脳ミソからハードディスクに情報を保存しておきたいと思うような人だ。そんなばあちゃんが私を呼んでこういった。

「あれは、蝶にならないよ。ブドウなどによくいる幼虫で、すごい蛾になるよ。あの子がみたらきっとショックを受けるよ。」

私は「ブドウ」「蛾の幼虫」でGOOGLE検索。・・・・・いた!・・・・・ばあちゃんの言うとおり、「すごい蛾」だ。「スズメガ」の一種で「セスジスズメ」といい、ノブドウなどを食べている。

0816sesuzisuzume 困った。蛾になったらどうしよう。いや、その前に図鑑で事実を知ってしまうこともありうる。しかもこの幼虫ものすごい勢いで葉っぱを食べている。

息子たちは大興奮。葉っぱを食べるこの来客に見とれている。「決めた!今日中にさよならしよう。息子たちが目を離しているうちに逃がしてあげよう」・・・父親の決心は固かった。職場の職員や得意先から何本か電話。しかしその内容を覚えていないほど、息子たちが目を離すタイミングを計るのに私の意識は集中していた。

「今だ!」・・・私は虫かごを持って玄関から飛び出した。静かな夜、虫かごをもった40前のオッサンが一目散に走っている。昼間、息子たちが虫取り網を持って走っている情緒あふれる光景とはあまりにも対照的なものであったに違いない。

まず一番近くの畑に解放した。「ごめんね」。蝶なら愛せるが蛾なら愛せないという自分の価値観に理不尽なものを抱えたままのさよなら。心は小さく痛んだ。しかしホッとした気持ちを隠すことなく家路に向かおうとしたその時、ばあちゃんの言葉が頭をよぎった。

「この虫は硬い葉っぱしか食べないんだよ」

今解放したこの葉っぱで大丈夫だろうか?・・・葉っぱならきっと食べるさ。・・・でもそういう私だって食べる葉っぱと食べない葉っぱがあるよな。自分がもし松などの針葉樹もレタスも同じ葉っぱだから毎日松を食べろといわれたら困るよな。・・・私は今自分の目線と自分の物差しだけで相手を計っているんじゃないか?福祉の道に生きる者として、そういう人にはなりたくないはずじゃないのか?

玄関先まで戻ってきていたが、私はUターンした。「やはり彼がもといた場所に戻してあげるべきだ」・・・また走ったさ。ところが解放したはずの場所に彼がいない。夜の闇にまぎれてしまった。「きっとこの葉っぱでもよかったということだろう」「いやいや、食べられる葉っぱを求めて探しているんじゃないか」「でもここからあの畑は遠すぎる。たどり着く前に死んでしまうよ」・・・「見つけた!」・・・2度目の「ごめんね」。

彼はもとの家(畑)に戻っていった。農家の人に見つかるなよ。私は家に帰り息子たちに説明。「もう夜になったから、アオムシは家に帰ったよ」。「そうか。帰ったのね。」そういって納得する長男。でも空っぽになった虫かごを見て涙を見せるもぐっとこらえていた。

あの涙は何だったのか。単なる来客の帰宅が寂しかっただけなのか。それとももっと深いところで何かを感じていたのか。私には分からない。きっと私が3歳の頃だったら、分かっていたかもしれない。でももう、ここがこれだけさびついているから、分からないのです。おしまい。

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2006年7月16日 (日)

私のスランプ脱出法

久々の投稿です。長いスランプにはまり込んでいました。「前に向かって一歩足が出ない」という症状は、しばらくなかったことです。

スランプのおかげで、体調はよくなりました。睡眠時間が多くなったからです。仕事時間と睡眠時間は反比例しているので、やるべきことを毎日蹴り倒している間、体は元気になりました。しかしスランプからくる心の鈍痛は、けっこう厳しいものがありました。したがって「体調はよくなった」といっても胃腸などの消化器系には苦労をかけました。

さて今回は「私のスランプ脱出法」です。福祉の世界で働くものとして、「心の健康」は(もちろん体もそうですが)常に留意しておくべきことで早期の対応を要するものです。それは心を開けっ広げにして仕事をする世界だからです。自分の心を閉じたまま相手(障害者など)の心を開こうということは、精神科医でもない我々にとって、できることでもないしまたやるべきことでもありません。本題に移ります。

スランプ初期の場合、まずするべきことは<スランプの実体構造の分析>です。具体的には以下の通りです。

まず登場人物(実体)を措定します。「スランプ」とはそもそも実践が先にあり、その反作用を受けての再実践に関わる事柄です。ですからまず実践主体(私)があり、そして実践の対象があり、その実践に関わる諸関係があります。仕事というものは、それがたとえ福祉労働であってもあるいはプロスポーツであっても、すべて諸関係を前提とした実践です。平たくいえば、基本構造として次のような登場人物が前提となるでしょう。

A:私  B:仕事の対象(人や物) C:仕事上の諸関係(多くは上司・同僚など)

Cを前提にしたAが、Bに向かって取り組む構造、そこのどこかに不都合が生じて「スランプ」になるわけです。そしてまた、実際にどこにどういう不都合が起きているのかという現実の問題と、その問題を「私」の心でどう捉えているのかという意識の問題は実は別々の問題なのです。そしてここでは「意識の問題」としての「スランプ」をどう脱却するかという点に絞っていきます。

そもそもここでいう実際の不都合に関わる「現実の問題」と、その心への反映としての「意識の問題」は、「スランプ」を実感している意識状況下ではかなり乖離している場合が多いと思います。実際に解決すべき問題は常に必ず「現実の問題」なのですが、その「現実の問題」を包み隠してしまうくらい「意識の問題」が肥大化してしまい、ここでとりあえずの解決を目指さなければ「現実の問題」が見えてこない、そういう状況下において「意識の問題」の当面の解決を図るということです。したがってそれは、本来の「現実の問題」への糸口という意味をも持つのです。

A:私  B:仕事の対象(人や物) C:仕事上の諸関係(多くは上司・同僚など)・・・この3つの登場人物を前提に、まずは自分の「心のスランプ」のパターン分けを行います。まずこのA~Cの中で、どれが意識の比重として重いかということから分析していきます。

①Aが重いタイプ・・・もちろんBやCとの関係がうまくいかないことが前提なのですが、意識の比重としてはA=私にある場合です。うまく行かない実践そのものよりも、そういう自分自身とばかり会話をして悩みこんでしまうパターン。「自分がダメだ」と思いつめてしまうパターンです。

②Bが重いパターン・・・仕事の対象そのものの困難さや膨大さに押しつぶされてしまいそうになるタイプです。①のようにむやみに自分を責めすぎたりすることはありませんが、仕事を前にして手や足や心が前に出ず、倦怠感に支配されます。①のような自己否定的自己嫌悪に苦しむことはありませんが、無気力感、虚脱感に襲われます。

③Cが重いパターン・・・①、②の混合タイプではありますが、意識の上では仕事の上司、同僚、部下などとの関係が意識の大半を占めてしまうパターンです。①のように落ち込んでばかりでもなく②のように無気力ばかりでもありません。意識下においては落ち込んでもいますし無気力感もありますが、それ以上に他者への怒り、イライラがつのり、そして他者の自分への評価をあれこれ想像することに時間を費やしてしまいます。①の自分そのものよりも②の仕事の対象そのものよりも、他者への意識が大きくなっているのです。こういう場合あまり「スランプ」の自覚は持つことができません。「自分」や「仕事」で直接悩むわけではないですから、極端な話すべて「あの人のせいで・・」という意識になっているのです。ただしこの場合にも②と同じように実際の自分の仕事は進んでいないはずです。

私の場合、今回は明らかに②のパターンでした。①も③も、長い年月の中では経験してきたことではあります(今の仕事を始めるずっと前のことですが)。しかし今回は②でした。ということは逆からいって①や③はそれなりに克服してきたということでもあります。そしてその克服の鍵は「自己評価の適正化」ということだと思います。まずはそれを振り返ります。

結論から言えば、自分自身の自己評価あるいは自分の「あるべき姿」、「本当はこのくらいできるはず」という広義の自己評価が、実際の自分とかけ離れている場合、①や③を引き起こすということです。自分の「あるべき姿」を高く設定しすぎてそれに押しつぶされてしまうのが①。自分の「あるべき姿」の高さを守り抜くために、結果として他者を蹴落とすことになるのが③だということです。「あるべき姿」「自分はこのくらいできる人間だ」という意識、その設定が高すぎている中で、その高すぎる設定を守る強さがなければ①のように崩れるし、守り抜く強さがあれば他者を蹴落とすという③の行動に出ます。それだけの違いです。また強いか弱いかもその時の自分の状況・立場によって決定されます。

私は①や③のタイプのスランプを経験する中で、自己評価を下方修正してきたつもりです。大きく崩れる心配もなければ守りぬくために必死になる必要もない、そういう位置に自分の評価を定めてきました。ですからボロクソ言われ続けても大して動揺しませんでしたし天まで持ち上げられてもそれにしがみつく気持ちもありません。すべてはいくつかの大きなスランプと、そのときこの私を支えてくれた人たちとの出会いのおかげです。(その人は読んでくれていると思いますが。)

さて今回は②のタイプです。やるべき仕事が目の前にボンとある。たくさんあるわけだからひとつずつこなしていけばいいのは理屈では分かるが、どれも手につかない。そしてそれらの仕事の大変さは50%認識している。「50%の認識」というのは、実際取り掛かり始めたら今の想像以上に大変な仕事だということを今の想像上認識しているという状態を指す。「20%の認識」ならば、本当の大変さを想像する前の段階なので、人は前向きになれる。少なくとも意識の上では。そして「80%の認識」ならば、すでに解決の道のりを示せているかあるいは実現困難と判断しているかどちらかなので、あまり苦難はない。この「50%の認識」で立ち止まっているというのが今の自分の現実です。

さあ、どうするか。やるべきことは多種多様。毎日頭の中では「今日はこれとこれをこなして・・・」と構想するものの、何一つできないまま毎日が過ぎていきます。とはいっても何もせず頭を抱えているわけではなく、福祉労働者の原点として、障害を持つ仲間たちとの関わり、汗水流してともに働くという生活を毎日送っているのですが、半分それが「逃げ」であることを自覚してはいます。(自分の原点である世界が同時に「逃げ」る場所でもあるということに、幸せは感じます。それはさておき・・・。)

やるべきことの多種多様ぶりの分析からはじめました。グラフを書いて縦軸と横軸それぞれ「すぐに結果が出るか、あるいはなかなか結果が出ないか」「とても重要か、あるいはそれほどでもないか」・・・するとこう分類されます。

① すぐに結果はでるが、それほど重要ではない(やるべきことだが、遅れてもたいした問題ではない)。

② とても重要だが、結果が出るまでに時間がかかる。

③ ①と②の間にあるもの。

意識の上ではこうなります。「①は今すぐやらなくても大丈夫(やれば結果はすぐ出るから)。②は今すぐ始めても、すぐに結果が出るわけではない(しかも始めたら大変)」・・・そういう意識で、手が止まるのです。

結論からいえば「スランプのときは①の仕事からやっつけていく」ということです。

重要性をあれこれ頭で考えていく前に、目の前のことをひとつずつやっつけていくこと。「仕事をこなした」という実感が自分の気持ちを前に押し上げ、困難な②に立ち向かう自分を作り上げてくれるということです。今日私は自分の会社の簿記の「総勘定元帳」の形式を整えた。わずか15分の仕事だった。毎日毎日「今日はこれとこれとこれをやろう」と構想していたものから外れていた、些細な仕事だった。でもそれで吹っ切れた。つぎにやりたいことが見えてきた。やるべきことでなくやりたいことが見えてきたのです。

ソフトボールの試合の前の15分を使ってできる仕事。いつでもできるから隅に追いやっていたことを取り掛かったことで心の闇が晴れた。心の闇が晴れたので、このブログも書く気になった。(長すぎますけどね。)

私の知り合いでこのブログを読んでくれている人たちの中に、真面目すぎて一生懸命すぎるがゆえにさまざまな「スランプ」を抱えている人たちがいます。「まさか、自分のことじゃないだろ」と思っているあなた、実は「あなた」のことです。「あなた」はひとりではありませんが、しかし「あなた」は十分「あなた」のひとりです。

「スランプ」を栄養にして、自分の道を切り開きたいと思います。かろやかに小さいことを成し遂げ、大きく喜びたいものです。そしてそれを呼びかけたいと思います。

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2006年7月 2日 (日)

「ちょっかい」と哲学

先日、福祉作業所「かんぱす」から一般就労していった仲間が初給料の明細をもって「かんぱす」にやってきた。就職しても「かんぱす」がこづかい・所持金・通帳の本人管理の支援をしているから、その書き方などを教わりに来たのだ。

直接の支援者は私ではない。私は横にいてちょっかいをかけるだけ。「好きな子はできたか?」「かんぱすに戻ってくるか?」「給料でハンバーグおごってくれる約束はどうした?」などと、こづかい帳の相談に来た彼の邪魔をしていた。

「うるさいオッサンだなあ」という態度・・・。それがまた何か嬉しくて、しつこくちょっかいをかけてしまうんだな。すでに彼の気持ちは新しい会社の一員、私の顔色を伺う必要もなく気持ちも前に向かっている。

いろいろ悩んでしまったりある種の挫折をもってここから離れていった仲間たちにとっては「また戻りたい場所」になればいいし、彼のようにここから巣立っていった仲間たちにとっては「もう、戻りたくない場所」であればいいと思う。

もともと障害者の地域福祉なんていう仕事の究極の目標は「自分が不必要な存在になること」だ。「必要な存在」を経由して「不必要な存在」になることだ。「必要な存在」を自己目的化してしまうという過ちは、自己満足的なボランティアと仕事を区分できないことに起因する。

もう少しいう。障害者の地域福祉という仕事の本質的な存立条件は、社会そのものと、障害を持つ個人の間の矛盾にある。(もちろんこの場合、医療的福祉は除く。)地域福祉の究極目標は社会が少しずつ変わっていき、障害を持つその個人も社会適応様式など少しずつ変わっていくことを通じて、その矛盾が少しずつ解決されていくことにある。

固い? もう少し続けていい? 

したがって、地域福祉の前進とは、地域福祉の存立条件の解消への道のりである。地域福祉は地域福祉そのものの否定の方向性において、本質的には障害を持つ<個>とそれを含む<全体>との矛盾的自己同一の地平において止揚されるのだ。そしてその本質の世界においては、「障害」と称されるものの全ては「個性」へと止揚される。

障害者の地域福祉の仕事を進めていくということは、このマクロ的な展望に踏まえつつ、ミクロ的な直接的関わり、つまり1対1の関わりの実践を検証していくということだ。

例としていえばこういうこと。Aさんの○○介助(トイレや歩行や食事、作業など)ができるのは<私>を含めた数名しかいない。その限りでは自分は「必要な存在」だ。自己存在の有限性などを視野から外し、狭い世界で考えれば、<私>にとって、それはひとつの満足を生む。でもAさんの○○介助ができる人の、もっと不特定な広がりがもてればどんなにかいいだろう。

 そのためにはAさんが何を身につければいいのかな?「やってもらって当たり前」という態度は世界を狭くするよな。せめてこの部分を自分でできれば、介助者の負担はかなり減るよな。そうすれば頼むことも頼まれることも、もっと気軽になるよな。親が子離れできず、つねに監視の目を光らせているような状態では、あえて手を差し伸べたい人なんていないよな。気分の悪い介助ほどつまらない仕事はない。ということは、Aさんの精神的な親離れも必要だよな。

 または社会の側はどう変わっていけばいいのかな?まずはその<個>に対する理解が必要だよな。<個>を超えた障害そのものも知っておいてもらったほうがいいよな。「地域福祉」の立場で、地域にどうそれを伝えていけばいいかな。もちろん(いわゆる「福祉」世界の人が大好きな・・・ちょっとイヤミ)法制度上の改善も必要だよな。

 そんなことを構想しながら関わっていくということが必要であるし、マクロとミクロを行ったり来たりしながらそれを直接的な関わりの中で統一していくことが必要なのだ。

 こんな結論的なことを書いてしまって、このブログ、次に続くのだろうか?

 さて、これらの「地域福祉の哲学」は、いわゆる「福祉」の教科書にはどこにも書いてありません。逆のことはたくさん書いてありますが。だから「福祉」に関する資格は、運転免許と違ってすぐに実践的な力を持つものではありません。

いっさいは実践する力と構想する力。「構想」といっても頭でっかちになる必要はない。頭で構想するもいいし、ハートで構想するもいい、足で構想するもいい。考える部分なんてどこでもいいんだ。胃袋だっていい。キンタマだっていい。<自分>という存在のどこかで究極の姿を描き、あとはボーンと実践する力。それが必要な世界なんですよね。

 それが分からないお馬鹿さんたちへ。愛を込めて。

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2006年7月 1日 (土)

ソフトボール、ハッタリ、そして出会いの大切さについて

障害者の働く場とまりぎグループ(7つの福祉作業所)に通う仲間達と卒業生(就職した仲間など)や地域のデイケアの仲間などから構成される「とまりぎソフトボールクラブ」が千葉市の「でいさくさべ」さんから、交流試合において3年越しの「初の1勝」をあげました。

3年前、私は福祉作業所だけでなくデイサービス事業もやろうかな、という思いつきで千葉市の「でいさくさべ」さんに訪問しました。職員の方が親切にサービスメニューなどを教えてくれる中で、ちょっと気になったのが「ソフトボール」というメニュー。

「うちもたまにソフトボールやってるんですよ」と私。「じゃあ今度試合しましょう」とその方。「そうですね」・・・。

思わず口が滑ってしまった。「うちもたまにやっている」といっても、ボールをコロコロ転がして寝かせたバットに当てて、手をつないで1塁に歩くようなもの。「今度試合をしましょう」なんていうレベルではない。でも訪問先で親しみをもってこんな会話を交わし、楽しく帰ってきた。「いい勉強になったなあ」

ところがしばらくして「でいさくさべ」さんから電話。「ソフトボールの試合、いつやりましょうか?」・・・やばい!ボールコロコロがバレてしまう!・・・焦りながらもそれを隠し、日程を調整。「あの~職員もチームに入れてもいいですか?」と私「構いませんが、うちは入れませんよ」と返ってきた。ホームページで「でいさくさべ」を検索。千葉県全体の大会である「ゆうあいぴっくソフトボール選手権」でベスト4! 大変なことになってしまった。いまさら「実はコロコロボールを転がして・・・」なんて言えないよなあ。ピッチャーがボールをコロコロ転がして相手に笑われる夢まで見てしまった。

大慌てでチームを結成。グローブも足りない!左利きの私は右利き用のグラブをはめて練習。あの時は本当によく練習した。父兄に相談。「こういうことで試合をすることになってしまって・・・」。練習試合を組んでもらう。

練習を通じて、それなりに形にはなってきた。「勝てるかも!」(いま思うと恥ずかしい!)それなりに自信をもって試合に臨み、完敗。「でいさくさべ」さんからすれば、練習相手にもならなかった。でも快く「またやりましょう」といってくださる。

作業所に戻ってみんなと話し、「とまりぎソフトボールクラブ」正式に発足。毎週練習を重ねてきた。「でいさくさべ」さんは何度も練習試合をしてくれた。もちろん勝てはしなかったが、点差だけは少しずつ縮まっていった。20点差・18点差・15点差という感じで・・・。

それから2年。うちも強くなった。千葉県全体の大会「ゆうあいぴっく」ソフトボール選手権大会(2部)でもベスト4まで勝ち上がり、記録の上では「でいさくさべ」さんに追いついた。「でも勝ったことがない」・・・。

チームの何人かが「千葉県選抜チーム強化練習」に参加し、トップクラスの練習を肌で感じた。うち1名が千葉県代表選手になった。「でも、でいさくさべさんには勝ったことがない」・・・。

そして昨日、ついにその日がやってきた。お互いベストメンバーでなく、レベル的にはお互い多少落ちた試合だったが逆転逆転の攻防戦の末、Yさん(女性)の逆転満塁ホームランなどで見事勝利!(Yさんは、知的障害者女子ソフトボール投げの県大会大会記録を持っている)

試合後、向こうの選手たちから握手を求めてやってきてくれた。「おたがい、次のゆうあいぴっくで頑張ろう!」

その時ふと、あの3年前の「うちもたまにソフトボールをやってるんですよ」という私のハッタリを思い出し、その恥ずかしい感覚を思い出した。

あのハッタリがあったこと。そしてこの弱小チームにお付き合いし続けてくれた「でいさくさべ」のみなさんとの出会いがあったこと。そして何よりも選手たちがきつい練習に耐えてきてくれたこと。そしてこの日の初勝利があった。

「でいさくさべ」さんへの本当の恩返しは、今年秋の「ゆうあいぴっく」。どうか決勝まで当たらないように、祈っています。お互い決勝まではいくでしょう。決勝で当たれば、どっちが勝っても構わない。(勝ちたいけどね。)3年間の付き合いの全ての思いを、その試合に出したいと思います。

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