タケちゃんとレコード針
ぼくは小さい頃、名古屋の片田舎、まだ伊勢湾台風の傷跡が残る庄内川の川沿いの長屋に住んでいました。近所に「タケちゃん」と呼ばれる、おそらくは20代前半のお兄ちゃんが住んでいました。タケちゃんはいわゆる「知的障害者」で、近所のおばさんは「タケちゃんは馬鹿やから、よう話しとったらかんで」(あまり話をしたらいけないよ)と言っていました。でもぼくはタケちゃんが大好きでした。
タケちゃんはよくうちに来て、小さな包みに入ったレコード針を当時まだ20代だった母と5歳のぼくにプレゼントをしてくれました。母とぼくは「ありがとう」といっていました。タケちゃんに言葉はあったかどうか覚えていませんが、いつもニコニコと包みを持ってきて、ニコニコと手を振って帰っていくのでした。だからうちにはレコード針がたくさんありました。なぜレコード針なのかはわかりません。今から言えば、あの指輪か宝石の箱のような小さな包みが、プレゼントの象徴だったのかもしれません。
タケちゃんはまた、ぼくの大好きなアマガエルをよく捕まえてきてくれました。ぼくはそんなタケちゃんが大好きでした。
タケちゃんにはきれいなお姉さんがいました。そしてお姉さんはある日お嫁に行くことになりました。大人同士の会話を聞いていて、なんとなく、それは大きなことなんだと当時ぼくは感じていたような記憶があります。お姉さんの結婚式、しかしタケちゃんは、「風邪をひいたから」ということで、出られないことになりました。本当に「風邪」が理由だったかどうかはわかりません。今から言えば、それは違うのではないかという気がします。とにかくタケちゃんはお姉さんの結婚式に出られなくなったのです。
タケちゃんは、どうしても結婚式に出たかったのでしょう。お姉さんの結婚式の前の日、タケちゃんは家じゅうの風邪薬や、ありとあらゆる薬をいっぺんに全部飲んで、死んでしまいました。「タケちゃんは死んじゃったよ。だからレコードの針は、大切に使うんだよ」母親の言葉は鮮明にぼくの心に焼きつきました。
今残っているぼくのタケちゃんの記憶が全部ぼくの記憶かどうかはわかりません。あとから母親に聞かされて、付け加えられた部分もあるでしょう。しかしタケちゃんはお姉さんの結婚式の前の日、確かに薬を全部飲んで死んでしまいました。
昭和49年。ドラゴンズが巨人のV10を阻止して逆転優勝し、名古屋の街は大騒ぎでした。
タケちゃんが今のぼくに教えてくれるもの、それは人間は「ありがとう」といわれると飛び上がりたくなるほどうれしくなるし、はじき出されれば本当に悲しくなるということ、それだけです。
これがぼくの、いわゆる「障害者」という人との最初の出会いです。
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コメント
タケちゃん・・・。何とコメントしたらいいのか。感動と、優しいお話をありがとう。
お姉さんは幸せになれたのかしら。
投稿: のぽぽん | 2006年6月21日 (水) 15時02分