2008年5月 4日 (日)

お待たせしました。

青虫であった私が、やっとサナギになってじっとしていて、このブログからも遠ざかっておりました。サナギになった以上、どんな蝶に変身するのかをサナギの中で楽しみにしておりましたが、脱皮しても青虫のままでした。

でもなんか今度は、肩の凝らないいい感じの青虫に変身しておりましたので、自分なりにこの青虫の姿、気に入っております。

実は4月に新たな事業「多機能型事業所ワーカーズハウスぐらす」を立ち上げたのです。

「ぐらす」のホームページも、無愛想で単純なものを作り始めました。入り口だけ私が作り、この先の管理はうちの職員に託していきます。

ホームページは、http://www.hatarakimononoie.com  です。

「働き者の家ドットコム」と覚えてください。まだ各ページへのリンクは(5月4日現在)できませんが、新しいブログへはリンクできます。新ブログにはそこから入ってください。

ホームページ、既存のHPソフトなどは基本的に用いず、素朴一本でとりかかりましたが、もし施設内の意見として反対意見が多数出ましたら、テンプレートなどもしっかり整えるかもしれません。

ではまた。ここはいったん失礼します。でもたまに過去記事など読み返してくださいね。

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2008年3月20日 (木)

必然性の洞察的探求

 他の職員の疲弊した表情の中に、自分自身のそれなりの疲労も同時に感じ取った。みんな早く帰るように指示し、私も早く帰った。そして今日はひとりで借りてきた映画のDVDを見ることにした。

 RAINという映画だった。人々の日常の、ちょっとした不幸を背負いつつ営まれていく生活の中で、歯車が狂い、それぞれの規模で人生が変わっていく、そういう人生の数々ををデジタルに刻んでいく、そんな映画だった。見終わったあと残る感情は「虚無感」、それがなんとなく心地よかった。

 思えばここ数カ月、私はこの「虚無感」と無縁の生活を送っていた。24時間という一日の時間の中で、意味のない時間を意味のない時間として受け入れ、それを消費するといったことはほとんどなかったのではないか。10分単位で私のすべての時間が意味づけられていた。利用者のための時間、書類を仕上げるための、事業を進展させるための時間。勉強のための時間、家族のための時間、そして心を休めるための時間、体を休めるため、リフレッシュのための時間。その日を忘れるための時間。「〜のため」と無縁な時間を、送ることはほとんどなかったような気がする。

 映画は虚無感に支配されていた。ブルーノートのジャズがずっと流れていた。そしてそれがすばらしかった。この映画の本当の狙いは、実はそこにあったのではないか。

 心に空白がないと、人は感受性を閉ざしてしまう。映像として、ストーリーとして、無理やり心に「空白」を作られ、そこにジャズをぶち込まれたような、そんな感覚だ。だから「人の不幸」の数々をデジタルな情報として流しているだけの映画でありながら、なんとなく心地よい感覚に陥るのだろう。

 私にだって「虚無」というにふさわしい時間の流れを送っていた過去はある。しかし当時と今では、音楽にしても絵画にしても、その感じ方が違う。当時は震えるような感性で、それらをとらえ、骨の中に染み込ませていた。今はその感覚は記憶の中にしかない。決して褒められるような生活じゃなかったけど、感受性は今よりも豊かだった。

 何が幸せか、ある意味分からなくもなってきた。でもその幸せって何か分からないくらいが、きっとちょうどいいのだろう。分かってしまった時点で、何かが終わってしまう気もする。

  とにかくゆったりした夜を迎え、ブルーノートのジャズに心を少し持って行かれた。そんな夜だった。おしまい。

 

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2007年12月31日 (月)

2007年の終わりに

 久々に静寂な朝を迎えています。いろんな思いや感情、すべてを包み込んだ静寂さというべきか、ある種「無」に近い静寂さに自分が支配されているのを感じます。そして「無」の感情の奥のほうにあるのは、「感謝」、これだけです。あらゆる思いや感情を包み込み、そしてひとつに束ねられる唯一の感情、それこそが「感謝」であると実感しています。

 2007年を振り返り、さまざまな人との関わりを想起する時、「感謝」という一本の糸が、それらをひとつに束ねてくれるのです。

 いったい私は、どれだけの人たちに支えられて生きているのだろうか。何かあればいつでも駆けつけてくれる人たち、引っ張り出してくれる人たち、励ましの言葉、お叱りの言葉、忠告や提言、常に傍らで見守ってくれる人たち、そして何よりも愛すべき彼ら。

 そういう人たちに支えられなければ生きていけない自分の小ささを、喜びを持って実感するのです。小さいことの喜びとは、かくも温かい。これからも小さく生きよう。小さく生きるということは、身の丈の生き方をするということであり、身の丈とは常に「感謝」を実感できるサイズということでしょうか。

 時に自分を大きく見せようという気持ちになってしまうこともあります。しかしそれを必ず叩いてくれる人たちがいます。後ろ向きな気持ちで小さくなる場合もあります。しかしそれを引っ張り上げてくれる人たちもいます。そういう人たちの心をしっかりと受け止めていけば、「身の丈」は回りによって用意されていくものです。

 みんな、ありがとう。

 せっかくの完全オフの日。この日につかんだ静寂さとその内に脈打つ「感謝」の気持ち。これを来たるべき2008年の私の仕事のスタンスにしていきたいと思います。

 さまざまな人たちのさまざまな思いを受け、今日もこうして生きており、そして働いていくわけです。さまざまな思いに翻弄(ほんろう)されながら、小さき私はウロウロと、前に進んでいくのでしょう。しかし節目節目でそれを「感謝」の糸で束ねながら、道筋を確かなものに正していく。そういう道のりが私には与えられているのでしょう。

 しかし「感謝」を形に変えていく取り組みとは、前提的に「自分」というものがしっかり据わっていなければなりません。「感謝」とは鏡のようなもので、「自分」があってはじめてそれは価値あるものになるからです。

 静寂さに自分が還ることができた。そこを拠点にいま一度、<自分は何をしたいのか>に立ち戻るべきだと考えます。

 先日の夜、妻がぼんやりと金魚のぱっぽを眺めていました。同じ病気で金魚のぽっぽを失った妻は、今度は病気からの快復に成功し、こうしてぱっぽは元気に泳ぎ回り、妻の笑顔がありました。その翌朝、同じ椅子で同じ笑顔(同じ顔)で金魚を見つめる長男の姿がありました。「ぱっぽ、元気になったね。」

 ぽっぽやぴっぽを失った悲しみは、ぱっぽの元気な姿を喜ぶ気持ちだけでなく、「いつかぱっぽが川に戻れるようにしたいね」という私たち家族の夢にもつながります。思えば我が家は私が小さい時から、ケガをしたり病気になったり迷子になった動物たちがやってきました。元気になったり飼い主が見つかったりして、彼らは帰っていくのでした。そして今年25歳になる飛べない・歩けない・目が見えないカラスなど、帰っていくところのない動物たちのみが、我が家で主のように威張って生活しているのです。「駆け込み寺」のように、人も一時的に住み着いたりすることがよくありました。動物だらけの汚い家に駆け込んでくる人たちもいました。私の祖母の代などはもっと顕著だったといいます。障害を持った人、(戦中・戦後)食べ物がない人などが、よく住み着いていたといいます。

 今日、そんなようなことを思い浮かべていました。感性の源ともいえる家風から離れたところで<自分は何がしたいのか>を構想することができない。私が帰ってくる場所は常に必ずここなのですから。

 貧しいけど温かい…そんな環境で生きてきたように思います。そんな私ができることの精一杯は、<貧しいけど温かい仕事>これだけです。

 

いつかみんなが巣立っていくという夢を見続けること。

それでも巣立っていけない時は、無理のない範囲でしっかりと支え続けること。

無理なことは頭を下げ、人に託していくこと。

それが自分にできることのすべてだと思います。

自分や仲間たちが温かくなれるような仕事はやる。温かくなれない仕事はやらない。相手への「感謝」につながる仕事はやる。「感謝」に結びつかない仕事はやらない。「みんなが巣立っていくという夢」につながる仕事はやる。つながらない仕事はやらない。

これがすべての価値基準です。この価値基準に立ち返り、2008年は一歩一歩前を向いて頑張っていこうと思います。

みんなありがとう。

<追伸>

しばらくこのブログ、中断します。いつもたくさんの方々に読んでくださり、本当にありがとうございました。

少し落ち着いたら、本を書こうと思っています。しばらく「雲隠れ」いたします。

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2007年11月 3日 (土)

東京モーターショー

今日は以前からシンタロウと約束していた東京モーターショーに行ってきました。大手術を控え、今後自由な活動が制約されてしまう。その前に好きなところに連れていこう、というものでした。シンタロウとシンタロウママ、私の妻と子供たち2人という2家族での大移動。渋滞と人混みという私の大の苦手なことでしたが、楽しかったですよ。

車椅子と一緒に、そしてチビふたりを連れながらだったので、全部見て回ることはできませんでしたが、それでもシンタロウも楽しんでくれたと思います。

回った範囲で、私とシンタロウママの見解としては、三菱モータースのお姉さんが一番きれいでした。「シンタロウ、友野さんの奥さんとあのお姉さんどっちがきれい?」とシンタロウママ。

いや~それは、ねえ。なんというか~。難問でしょう。

難問すぎて答えられません。口が裂けても答えられません。それほど難問。

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2007年11月 2日 (金)

メールありがとうございます。

昨日ドラゴンズが日本一になったことで、昨晩から今日にかけて、実にたくさんのメールをいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

ただ、若干勘違いをなされている方が少なくない人数でいらっしゃいますので、訂正させいて頂きます。

「ドラゴンズ勝ったから、アイツおごってくれるんじゃないか?」

「いつ焼肉連れて行ってくれるんですか?」

おごりませんから。

ただしおごってもらう約束はしています。うちの阪神ファンの職員。クライマックスシリーズで阪神ー中日、負けたほうがおごることになっていましたから。(ひどい所長?)

その人はいい人なので、たぶん「自分も中日ファンだ」といえば便乗できるのではないかと思います。直接お問い合わせください。

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2007年11月 1日 (木)

中日ドラゴンズ優勝!

涙が止まらない。中村ノリのヒーローインタビュー。

53年ぶりの日本一。しかし私がファンになってから33年。

33年前のドラゴンズの優勝については、平成16年6月のブログで触れたことがある。

http://kanpasu2004.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_29cf.html

「1番高木が塁に出て~2番谷木がヒットエンドラン、3番谷沢がタイムリー、4番マーチンホームラン~」・・・あれから33年経ったんだなあ。私はまだ名古屋に住んでいて、ブログにも書いたが、町は大騒ぎだった。なんの疑いもなく、ドラゴンズファンになった。

千葉に越してきて、死んだ親父が「鈴木孝政を見に行こう」と後楽園に連れて行ってくれた。巨人・新浦と鈴木・・・と思いきや三沢の先発だった。「孝政じゃないじゃん!」私が言うと、「今度ナイターでもう一度孝政を見に行こう。速いぞ~」・・・。そんな親父も13年前に死んだ。

昭和57年の優勝は、人生の中でも一大事だった。高校受験の勉強をしながらラジオにかじりついていた。怪物江川の完封ペースを9回に大逆転したのは、大島のタイムリーと中尾(その年MVP)だった。ノートに大きく「ありがとう」と書いて泣きじゃくっていた。日本シリーズ、平野のタイムリーが1塁審判の足に当たり、本塁タッチアウト。あれで流れが変わり、最後は東尾のふてぶてしいマウンドの前に、西武の優勝を見た。

田尾が大洋長崎との首位打者争いの中で5打席連続敬遠もあった。5打席目、明らかなボール球をスウィングし抵抗を見せた田尾の姿を見て涙があふれた。

ケンモッカの引退試合、モッカが最後のサードのプレーでエラーをして苦笑いをした時、「ありがとう」と叫んで泣いていたのを覚えている。

谷沢の引退試合でのライトスタンドへのホームラン。

肩のケガからカムバックした鈴木孝政のど真ん中のスローボール(パームボール)での見事な三振。中継ぎエース堂上(堂上兄弟の父親)の連日連夜の登板。宮下がクロマティの暴行に向かっていった態度。全部が感動だった。

近藤真一の初登板ノーヒットノーランの時、篠塚に投げた最後のカーブは明らかに高めに外れたボール球だったが審判は「ストライク」。堂々とした近藤の態度に、審判の手も上がった。「強く生きよう」と思った。

昭和57年、16勝4敗で最高勝率のタイトルをとった都裕次郎のその年の防御率は3.14。円周率と同じだった。肩や肘を痛めた都は、その後左投げを諦めて、2軍で右手で投げていた。「何事も諦めず生きよう」と思った。都は今スコアラーをしている。

仁村徹の流し打ち、大島の潔い三振、上川の短く持ったバットでのシャープなセンター返し。バード島田。森田・与田の2枚ストッパー。代打の切り札豊田。(時代がメチャクチャになってきた。)

千葉で過ごした高校生活。大学は当然名古屋の大学に。もちろんドラゴンズをナゴヤ球場で応援するため。貧乏だったので、2軍戦ばかり見ていた。中日-近鉄戦。近鉄はルーキー中村ノリ(18歳)がサードを守っていた。2軍の中日の4番はラルフ・ブライアント。キャッチャーは今阪神の矢野だった。ブライアントはその後近鉄で、すばらしいホームランアーティストになり、阿波野とともに近鉄の一時代を築いた。

ノリが、中日のユニフォームを着てMVP。

そりゃ、泣けるでしょ。

遠い夜空にこだまずる

竜の叫びを耳にして

ナゴヤ球場詰め掛けた

ぼくらをジーンとシビレさす

いいぞ頑張れドラゴンズ、燃えよドラゴンズ

1番田尾が塁にでて

2番平野が送りバント

3番モッカがタイムリー

4番谷沢がホームラン いいぞ頑張れドラゴンズ、燃えよドラゴンズ

5番大島よみがえる

6番宇野が狙い打つ

7番中尾が駆け抜ける

8番田野倉躍り出る いいぞ頑張れ~

不死鳥孝政投げ抜いて

小松・牛島あとを絶つ

若きエースだ郭・都

続け三沢も藤沢も いいぞ頑張れ~

豊田よボールに食らいつけ

上川バットに気を入れよ

守れ金山走れ平田

華麗な守備の正岡も いいぞ頑張れ~

ミラクルガッツの石井君

天才ミートの藤浪君

生まれ変わった川又君

期待のルーキー尾上君 いいぞ頑張れ~

天下分け目に木俣あり

ここ一番に星野あり

いまこそ憎きジャイアンツ

息の根止めて優勝だ いいそ頑張れ~

ぼくらはみんな願ってる

祈る気持ちで待っている

それは一言優勝だ

近藤監督の胴上げだ

いいぞ頑張れドラゴンズ、燃えよドラゴンズ

 25年前よく歌っていた歌が、昨日のことのようにスラスラと出てきました。

ドラゴンズ、ありがとう。

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2007年10月13日 (土)

ねえ、親父ぃ

ねえ、親父ぃ。もう少しカッコ良くすれば?

どこを?

耳の上のところの毛とか、ちょっとカッコ悪い。

ねえ、親父ぃ。心歌(こうた)って、いい名前だね。でも心歌ってちょっとうそつきだよね。かわいいけどね。

ねえ、親父ぃ。ぼく(風歌.ふうた)どこから産まれたかわかる?

ぼくは、かあちゃんから産まれたんだよ。

どんなふうに産まれたの?

ちょっとびっくりして泣いたけど、あんまり泣かなかったよ。

かあちゃんのお腹にいた時、覚えてる?

うん。ちょっと覚えてる。かあちゃんがからいのを食べると、赤ちゃんもからいんだよ。緑のからいやつ、かあちゃん食べたでしょ。ぼく、からかったんだよ。それは覚えてる。あとはもう、忘れちゃった。

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2007年10月12日 (金)

衝撃

ちょっと、これどう思います?

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ついでに・・・。

http://muryop.com/br/?q=%E5%8F%8B%E9%87%8E%E5%A4%95%E5%AD%90">

妻よ、頑張って稼ぐから、あまり怒らないで(笑)

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2007年10月 9日 (火)

それはそれ

「それはそれ、これはこれ」…。最近呪文のように自分の中で唱えている言葉です。
どんな状況下でも冷静な判断をしていくためには、感情の一色塗りを防ぐことです。何かの感情で自分自身の心を一つの色に染めあげないことです。
「心」というものが一つの空間のようなものだとしたら、その空間にふすま程度のソフトな区分けをすることです。絶対的な断絶でなくソフトに区分けをするのです。そしてソフトに部屋数を増やすことです。この部屋数が物事を多面的に見る力につながり、心にゆとりをつくるのです。その呪文が「それはそれ」…。
誰でも至らない部分はあるし、高く評価をしてあげるべき部分もある。それは自分自身に対しても同じ。

いい音楽を聞いて、いい酒を飲んで、妹の体調を心配したり妻の機嫌を伺ったり、「明日」という日からの多少の逃避願望を楽しみながら、ゆっくり「明日」を待つことにします。おやすみなさい。

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2007年10月 6日 (土)

結果

赤組が見事勝利。

長男は玉入れの時、隣のお友達を持ち上げて遊んでいたり、白組なのに赤帽子に切り替えてふざけたり、レースでもまわりをキョロキョロして、まともに走らなかったり。

あ~、読者諸君!これ以上私に何を語らせようというのか。

その後の作業所連絡会、職員会議、心ここにあらず。

あ~~~~

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